「人形の小屋」         (一)  一八九六年六月六日、日本列島の最北端の町、稚内市の郊外に、隕石の落下があった。  数は、全部で十数個が確認されたが、その中の最大のものは、直径二十センチ程の、円形の黒い隕石だった。   市から連絡を受けた北海道庁や北海道大学の担当者や研究者がやって来て、落下した隕石の捜索と、収拾を始め、マスコミは、ヘリコプターまで、動員して、大々的な報道を行った。  市は、この隕石落下事件で、大騒ぎになった。  そんな町の大騒ぎは、しかし、まだ、雪の残る山中の小屋に暮らしている、猟師の平銃四郎には、伝わってこなかった。  銃四郎が、その「光」を見たのは、その前の夜だった。その日は、一日中、快晴の空が広がり、その分、夜は冷え込んだが、余りの好天で、狩りも捗らなかっただけに、夜は、夕方から飲みはじめた酒の酔いが回り、早目に寝てしまった銃四郎が、寝覚めた時は、既に、時計は、翌日の一時を回っていた。  酔い覚ましにと、銃四郎は、小屋の外に出た。そして、満天に広がった夜空を、ずっと、見上げていた。  夜の静寂が、むしろ、耳に痛かったが、どの  「シーン」 という静けさの音が、酔い覚ましには効果があった。  目もパッチリとしてきて、頭が冴えて、神経が張り詰めてきた。  小一時間も、外の木製の椅子に座っていると、突然、静寂の音のなかに、  「キーン」 という高い音程の金属音が、割って入り、銃四郎の両耳を打った。  銃四郎は、天を見上げた。  流れ星が糸を引いて、こちらに向かって落ちてくるのが見えた。  それは、長い尾を持っていた。長い尾が引く光の糸は、数本見えた。  その最初の一本は、銃四郎の小屋の北の山に落ちた。  そして、次ぎから、次へと、糸は、地上に落下し、数分で、その光のショーは、終わった。  最後の一本は、小屋の東側の谷に落下したように見えた。  遠く、町の方向を見ると、最大の光を引いていた隕石が落ちた辺りの場所で、炎が上がるのが見えた。その炎は、徐々に赤みを増し、拡大していった。    下界の町の夜は、消防車の  「ウー、ウー」 というけたたましいサイレンの音で、破られた。  市内の各消防署の消防車は、一斉に、市内の一箇所に向かって集中していた。それは、バイパスから市内に入る交差点の脇にある、ガソリンスタンドで、午前一時過ぎに、火の手があがり、「119」番通報を受けた、消防本部の通信室は、場所が場所だけに科学消防車も含め、市内消防の全車出動を指令した。  十数台の消防車が、一斉に消火作業に当たった結果、火は、一時間ほどで、消し止められた。幸いにして、ガソリンスタンドの地下に埋まっているガソリンや灯油などの油類への延焼は避けられ、屋根と事務室の一部を焼いただけで、大きな被害はなかった。  出火原因の解明に当たった警察は、翌日に詳しい現場検証をして、解明に当たることにした。ただ、屋根に大きな穴が空いており、地上に、数個の石が砕けて、落ちていたことから、空からの落下物が原因と思われた。  この火事に相前後して、市内からは、さらに五件の落下物による被害が報告された。  屋根が破られたもの三件、硝子が割れたもの一件、看板に穴があいたもの一件だった。  翌朝、市内では、いろいろな機関の調査が始まったが、手を尽くして、収拾された落下物は、市役所内の対策本部に集められ、専門家の鑑定を待つことになった。その数は十六個。ガソリンスタンドに落ちたものが最大だった。  その日の昼頃には、北海道大学理学部の隕石専門家が、鑑定を始めた。  その結果は、  「落下した隕石は、全て、同じ組成を持っている。鉄を中心に、マンガン、クロム、チタンなどの金属で構成され、ごく一般的な隕石である」 というものだった。  これらは、肉眼の鑑定と、ルーペなどの簡便な光学機器による初歩の鑑定で、さらに詳しい組成は、各機関に持ち帰って、調べることになった。    平銃四郎は、その朝、東の谷へ行ってみた。そのあたりに最後の隕石が落ちているはずだった。  三十メートル程の、斜面を降りると、そこには、細い幅の水の流れがあって、その両脇に、岩がかさなった川原があった。その川原に降りて、昨夜、見た光の流れの辺りを仰ぎ見ると、深く連なった林の一角が、一本の線で斜めに切断されたような格好で、線画引かれたような形で、隕石の落下の痕跡が残っているのが、確認された。  銃四郎は、その線の痕を目で追って、最後に地面と交差する地点に向かって歩いていった。そこは、林の中田だった。  その林の中の杉の木には、焦げた痕が残っていた。数本の木が、焦げたあとを残していて、その焦げ痕を繋ぐと、やはり、最後には、地面に突き当たった。  銃四郎は、その最後の地点に来た。下草が燃えた痕があった。その焼けた草を、スコップで取り除くと、土が見えた。土は、少しえぐれて、噴火口のような格好で、その中央部に、硬い石が埋まっていた。  銃四郎は、回りの土を掘って、内部の石を取り出した。  直径は、十五センチ程。抱えて見ると、重さは、二十キロ・グラムくらいあった。  銃四郎は、石を、持ってきた背負い袋に入れて、背中に背負って、持ちかえった。 小屋に戻ってから、銃四郎は、その石を、土間の横にある棚の上に置いて、おいた。棚の上の天井は、屋根と一枚板で、建ててから、すでに、かなりの時間が経っていたため、雨が降ると水漏れがした。そして、置かれた石の上に数滴ずつの水が落ち、石を濡らした。    北海道大学理学部に持ち帰られた隕石は、電子顕微鏡で詳しく検査されたが、その組成は、最初の検査で確認されたことと、変わらなかった。放射線の検査もされたが、検知されず、ただ、磁力の検査では、かなり強い、磁力が検知された。  「ごく、一般的な星間物質である」 というのが、一致した、鑑定結果だった。  それらの標本は、岩石が多数収拾されている資料室に収納され、深い眠りに付いた。       (二)    それから、五カ後の晩秋、平銃四郎の猟師小屋の近くを、市内のハンター五人が、通りかかった。その日は、午前中は秋の日の抜けるような好天に恵まれたが、午後から低気圧の接近で、急に雨が振り出し、軽装だったハンターらは、雨を避ける場所を探していた。  「そういえば、この近くに、猟師の小屋があったはずだ」  年長のリーダー格のハンターが、思い出したように、仲間に言った。それを聞いて、皆、安心し、小屋を探すことに全神経を傾けた。  そうして、やっと、この銃四郎の小屋を見つけ、軒下に勢ぞろいして、いまから、入口の扉を開けようとしていた。  小屋には、電気が来ていないので、入口は暗かった。持っていたジッポのライターに火を点けて、照らしながら、内部に入った、ハンターらは、暗いなかを内部に進んでいた。そして、囲炉裏の脇で、何か横になっている物体に足を取られて、転倒した。  その物体に光を照らすと、それは、人の死体だった。  すでに、すっかり、容貌が変化し、顔は、干からびて、半分、骸骨が露出していた。肌けた胸からは肋骨が見えていた。衣服は、動物の革をなめした毛皮を纏っていたが、それも皆、乾燥して、死体の皮膚に密着し、動物臭い匂いがした。  僅かに顔や上肢や下肢に残された皮膚には、まだらの斑点があり、淡い水玉模様をつくっていた。  猟師たちは、驚愕したが、とにかく、この小屋で雨が上がるのを待つことにした。しかし、その日は一日、雨が残り、結局、そこで夜を明かした。  五人とも一睡もしなかった。そして、翌朝、天気が好転するのを待って、山を降りた。  だが、彼らは、その晩、小屋で見たことは、誰にも報告しなかった。なぜなら、彼らは、未だ、狩猟が解禁される前のこの時期に、猟に入っていたという後ろめたさがあったし、小屋での一泊がそれほど重要な意味を持つとは、考えなかったからである。    それから半年が過ぎた。  一九九一年の六月六日、稚内市立病院の救急医療室の当直医師、清田幸子は、夜の十時を過ぎてから、救急車で連続して運ばれてきた救急患者の処置に追われていた。  最初の患者は、右肩が抜けていた。別になにかの力仕事をしていて、そうなったわけではない。  「寝ようとして、布団に入るとき、右腕を突いたら、肩が動かなくなった」 とその患者は訴えた。  清田は、腕のレントゲン写真を撮り、救急処置として、肩の骨を元に戻す治療をしたが、すでに、受け入れるべき骨が溶解していることがわかり、事態の深刻さが分かった。これは、場合によっては、右腕を切断しなくてはいけないことを意味していた。  肩の付け根が、壊死していて、切除するしかないような症状を呈していた。  清田は、痛み止めと、腐敗止めの抗生物質を投与して、入院の手続きを取った。  この処置が終わったころ、次の患者が運ばれてきた。この患者は、首の骨が抜けそうになっていて重症だった。頸骨が脱臼するのは、珍しいが、この患者は、まさにその症状で、  「頸が突然、抜けたてしまったようで、痛くて仕方がない」 と訴えた。  触診でも、そのことは、確認された。そして、その頸の骨の骨折は、まだ、進行中で、場合によっては、頭部が脱落する危機にあることが、認められた。  清田医師は、集中治療室に入院させる処置を取った。酸素吸入と、場合によっては、人工心肺の助けが必要になる、緊急事態だった。  その手配が終わり、患者を送りだしたあと、今度は、左腕が抜けたという患者が、搬送されてきた。最初の患者とまったく同じ症状で、ただ、発症の部位が、右と左で違うだけだった。清田医師は、最初の患者と同じ処置を取り、翌日の手術の予定を入れて、入院させた。  この三人の処置で、三時間が経過していた。  四人目が到着したのは、そのあと、三十分ほどしてからだった。  休憩室でコーヒーを飲んでいた清田医師は、  「先生、今度は、足ですよ」 という看護婦の呼び掛けで、診察室へと促された。  看護婦がそういったのは、清田医師も感じていたことだが、  (同じような症状の患者が、こうして連続して運ばれてくるのは、なぜだ) という疑問が、この夜の救急勤務のスタッフたちの間で、生まれていたからだ。  四人目の患者は、右足を付け根から、脱臼していた。正確に言うと、それは、脱臼ではなく、根元の骨壊死だった。しかし、そのような場所の壊死が突然に起きるはずがない。なんらかの、前触れの痛みや症状があるのが、常識だが、腕が取れそうな最初の患者も、三番目の患者も  「突然、痛みが走って、そうなった」 と言っていた。  四人目の患者も同じ事を言った。すでに、右足は、今にも、とれそうになったいた。これも、救急措置として、痛み止めと化膿止めの注射をし、入院させた。  そして、五人目の患者が、左足の脱臼症状で運ばれてくるだろうことは、すでに、全スタッフの確信になっていた。  そして、そのとおり、五人目の患者は、そのとおりの症状で運ばれてきて、予定していた処置を受けて、入院した。    翌日、入院していた五人の容体は、まったく好転することなく、徐々に、悪化した。分離しかかっていた部分の肉体が、さらに、溶解を始め、緊急の接合手術を行っても、まったく、効果がなかった。頭部が外れかかっていた重体の患者も、脊椎が分離していった結果、殆ど、頭が落ち掛けていた。固定されたいたため、血管と神経は繋がっており、脈拍と呼吸は維持されていたが、接合手術が不可能になって、この患者の死は、目前だった。  四肢が分離しかかっていた四人は、昼頃には、接合を断念し、むしろ、切断手術をしなければならない状態になった。その手術が始まったころ、頭が落ちかけていた患者の命の火が尽きた。しかし、四人の四肢切断手術は成功し、一命は取り留めることができた。  これらの手術に係わった医師らが、驚いたのは、応急処置されていたはずの分離部分が、まったく、その効果なく、切り離されていく症状が進み、接合手術を受け入れないほど、すっかり、組織が崩壊してしまっていたことだった。  「細菌のせいなのだろうか」  「細菌だったら、消毒で、死んでいるはずですが」  「極めて強力なヴィールスに食い散らされたのではないか」  「それなら、こんなに速く、溶断症状が進むはずがない」  ベテランの医師と若い医師との問答は、この新しい症状への疑念へと焦点を合わせていった。  「こういう症例は、とにかく、初めてだから、病理解剖が必要だな。組織を採集して検査をする必要もある」  「そうしましょう。われわれには、なにがなんだか、全く見当つかない」  溶解した組織を採取し、頭部が欠落した患者の遺体は、解剖しなければいけない。切り落とした四肢も、病理解剖に回されることになった。  切断された四肢は、冷凍保存された上、北海道大学医学部の病理解剖に付されることに、決まった。また、頸が切れて頭部が分断されて死亡した患者の遺体も、解剖に付されたあと、遺族に引き渡すことに決まった。埋葬は、解剖の後になることになった。  北海道大学での解剖は、他の予定が立て込んでいたため、三日後に行われることになり、一遺体と二つずつの上肢と下肢が、梱包されて、札幌へ向けて送りだされた。  これらのボディーは、その日の内に、札幌に到着、医学部病理学教室の解剖室に運搬され、その冷蔵保管庫に保存された。           (三)  病理学教室の解剖室は、医学部別館の地下二階にある。すでに、相当、老朽化した鉄筋コンクリート建ての建物は、打ち放しのコンクリートが剥き出しになったうそ寒い建造物だ。  深く、暗い地下へと続く階段を降りていくと、外の空気とは違ったヒンヤリとした冷気が、肌を刺す。  昼間はここに、主任教授である目黒麿呂と助教授、助手らが、姿を見せているが、夜ともなれば、夜警さえも巡回をはばかる闇の空間となる。  解剖室の隣の遺体置場では、解剖を待つ遺体(ボディー)十数体が、棺に入れられて、眠っている。稚内市立病院から移送された四肢と頭の取れた死体一体とその頭部は、この場所に安置されていた。  照明がない真黒の闇に包まれた死体置場で、もし、音がするならば、それは、時折、崩れそうな、建て付けの隙間から迷い込むドブネズミの足音か、太ったゴキブリが、モゾモゾと動きまわる時の、低い断続的な音だけである。  真夜中になれば、隙間のない真の静寂が訪れて、冷たく淀んだ空気の動きを破るものはいない。  だが、この夜は、その静寂を破って動き始めたものがあった。  午前三時を過ぎたころ、遺体置場の棚の中で、  「ゴソッ」 と物の動く音がした。  それは、稚内から運ばれた四肢と頭部が入れてあるステンレス製の棚で、遺体が置かれているモルグの場所のちょうど、反対側にあり、厳重にロックされたガラスの扉が、正面を塞いでいた。  その棚の中で、まず、右の上肢が動きはじめた。その動きは、人指し指の先端から始まった。先端は、ゆっくりと、内側に折れ曲がりはじめ、第一関節から徐々に、折り畳まれて、円くなった。次ぎに、中指が同じような動きを始めて、内側に折れ曲がり、二本の指が円くなった。そしてその動きは、薬指、小指と伝わっていった。親指が最後に内部に折り曲がって、五本の指が、掌の中に入り、拳を作った。その瞬間、今度は、全ての指が伸びて、外側に開いた。その一連の動作は、二度、繰り返されたあと、今度は、手首が曲がった。そして、上腕部の関節が折れ曲がり、安置されていたときは、一本に伸びていた、右腕は、くるりを内側に折り畳まれて、全体が、円くなった。  蛇がとぐろを巻くように、円く抱え込まれていた右腕は、次には、人指し指の先から、徐々に、伸びていき、中指、薬指、小指、親指が伸びて、手首が真っ直ぐになり、そして、関節も真っ直ぐになって、伸びきると同時に、グンと伸び上がり、切断された部分を支点にして、一気に、直立した。  それは、まるで、生きているような動きだったが、それを、見ていた者が、誰もいないのは、当然だった。  右上肢が正立した時を同じくして、その隣に横たわっていた左上肢が動きはじめた。これもまた、右腕と同様に人指し指の屈曲から全ての一連の動きが始まった。  右手、右腕と同様に、ただ、完全に対照的な動きで、左腕も最後の腕の関節の屈曲を終え、小さく円くなった後、一気に伸びきって、最後は、付け根の部分を下にして、直立した。  これで、両腕が、ガラス戸に閉ざされた暗い棚の中に揃って、直立したことになった。  両下肢は、その一段下の高さのある棚の中に、入っていた。直立した両腕の中指と親指が密着し、強い力で両指が弾かれて、親指が滑って人指し指に叩きつけられた。いわゆる「指パッチン」を、胴体から切り離され、孤立して直立している右と左の両腕が行うと、  「パチン」 という破裂音が、遺体置場の静寂を破った。  この音をきっかけにして、一段下の棚に入っていた、両脚が動きはじめた。切断された両脚は、完全な人体ならば、仰向けに寝た形で、右足が向かって左、左足は向かって右に、こちらの窓へ足の裏を向けて、置かれていた。  「パチン」 という音に、最初に反応したのは、左足だった。縮んでいた足指が、まず、反り上がって、伸びきり、指の間を開いては、閉じる動作を二、三回繰り返した。その後、足首が動き、足の裏を棚の底に直角に持ち上げた後、右、左への回転運動をした。そこで、小休止してから、膝小僧の関節が曲がり、脚はゆっくり、折り曲げられて、膝を頂点に山形に曲がった。この運動が三回繰り返され、左脚は、元の形に戻った。  この動作が終わるのを待っていたように、上の棚で、直立した両腕が、再び、指パッチンをした。すると、今度は、右脚が、左脚の行ったのと全く同じ動作を、同じ順序で繰り返し、最後に、曲げてた脚を伸ばしきって、元の位置に戻った。  死んでしまったと思われた上肢と下肢は、生命力を取り戻していた。  それぞれが、独立した生命体のように、独自の運動を繰り返したあと、今は、一連の動作を終え、沈黙していた。  次に起こるのは、何か。それは、想像に難くない。遺体置場に置かれた分断された頭部と胴体に、何かが指令されるはずだった。  上の棚に入っていた右腕が、棚板上を跳ねながら、ガラスの扉の所へ来ると、人指し指と親指が、内部から止め金を外し、扉を押して、外側に開いた。続いて、左腕の入った棚の扉を開くと、観音開きのガラス扉は、全面的に開放された。  すると、棚の上で、両腕は近寄り、五本の指を絡ませて組み、祈りの時の形をとった。その形でそれぞれの指が、小刻みに震えていたのは、指に強い力が入っていた証拠だろう。  祈りの手の先は、反対側にある遺体収納棺の方向に向かっていた。  そして、少しの時間が経った。五分ほどすると、収納棺の中の遺体に反応が起きた。頭部と胴体に別れていた遺体の胴体部分の四肢の付け根が、溶けはじめ、四肢が切り落とされ始めた。  四肢は、内部からの熱で分解を始め、まるで、雪解け時期に、固い雪塊が一気に溶けだすように、急速に、液状化し、床に流れ落ちて、流れていった。  そして、棺の中には、ボディーと頭だけが残った。  その時、棚の上の右腕が、ジャンプして部屋の床に降り、右手を差し延べて、その上にあった両脚が入っている棚の止め金を外し、扉を開けた。左腕も、続いて、床に降りた。そして、両脚も、開いた扉を通って、床に降り、二つずつペアになった上肢と下肢は、リズミカルにスキップしながら、反対側の遺体置場の方向に向かった。  遺体棺の前で、また、右腕が動いて、扉の止め金を外した。そして、開いた入口から、内部に入り、右腕、左腕、左脚、右脚の順で、四肢が消失していた胴体に接合した。  こうした一連の動きによって、分断され、分割されて、保存されていた四人の別々の腕と脚が、五人目の頭部が切断された患者の遺体の四肢の場所に接合し、一体となった。  こうして、保存されていた四肢は消失し、一つの遺体と一個の頭部だけが遺体棺の中に残される状況になった。ただ、接合した四肢は、ボディーの物ではなかった。  異なる四人の四肢と一体化したボディーは、当初は、その切断面で溶け、液状を呈していたが、小一時間もすると、接合された境目も判別できないくらいに、繋がり、完全に一体化した。  すでに、時刻は五時近くになり、夜が、白々と明けはじめていた。         (四)  北海道大学医学部病理学教室の目黒麿呂教授による病理解剖は、その日の午前九時過ぎから、別館地下二階の同教室解剖室で行われる予定だった。たが、その準備のために、遺体置場に保存してある四肢を取り出そうとした白田・助手が、中に、何も入っていないことに気が付いた。  白田助手は、直ちに、目黒教授に連絡した。  「なんだって、どういうことだね、それは」  物事にこだわらない性格の教授だったが、この報せには、狐に摘まれような表情をした。  「それが、保存棚の中に、何も入っていないのです。四肢が一つもないのです」  「誰かが持ち出したのではないか。それしか、考えられないだろう」  「・・・・・・・・・」  「昨日、到着して、すぐに、保存棚の中に入れたのだろう。あの場所へは、われわれ以外は、出入りする者はいないのだし、どうも、分からんな」  「はい」  教授は、怪訝な表情のまま、理解できかねる素振りをしていたが、ふと、もう一点に気が付いて、さらに問いかけた。  「それで、頭と胴体の切断された方の遺体は、あるのかい」  「それは、大丈夫です。確かにあります。さっき、確認しました」  「では、その一体だけでも、解剖して調べようじゃないか。今日は、その予定だったんだから、予定通りにやるよ」  「分かりました」  この二人に、財田・助教授が加わって、定刻通り、午前九時過ぎから、解剖が始まった。  遺体を入れた棺から、まず、頭部を取り出して、手術台の横のトレーに乗せた。次ぎにボディーも三人がかりで、抱き上げ、縦長の手術台に運びあげた。  目黒・教授は、まず、裸体のボディーの全体の外観を観察した。見た目では、これといった異常は認められず、しっかりとした体躯には、上肢、下肢ともに完全に揃っており、外面からの病変は観察できなかった。  この目による観察が終わったあと、教授は、次ぎに、大型のメスを手にして、胴体の腹部中央の正中線に沿って、切り降ろした。すると、厚い肉色の脂肪が露出し、さらにメスを深く入れて、切り口を開けると、腹の中から、内蔵が顔を見せた。  正中線に沿って、喉の下まで、切開してから、教授は、内蔵を取り出した。  正確に、一つひとつを切りだして、手術台の脇のバットに取り分けて入れた。  長くとぐろを巻いた腸、拳大の胃や心臓、灰色の透き通った肺などが、切断されて、手術台の横に、積まれていった。  それらは、あとで、切片にも切り分けられ、顕微鏡検査や化学分析に回される。  全ての臓器を取り出すのに、二時間かかった。時刻は、すでに、午前十一時を過ぎていた。  こうして、内蔵の取り出しが終わり、一息いれ、次の頭部の切開に掛かろうとしたとき、異変が起きた。  明るい外光を僅かに吸収する窓口となっている、南向きの小窓のガラスが、突然、  「パキーン」 という音とともに、一瞬にして割れて、粉々に飛び散ったのが、前触れだった。  三人は、驚いて、天井を見上げたが、落ちてくる硝子の破片を避けるために、次の瞬間は、全員が床に身を伏せていた。  ガラスが割れて、穴が開いた窓からは、外の強風が吹き込み、その内側の長いカーテンが、ちぎれそうになって、  「バタ、バタ」 とはためいき、吹き寄せる風の強さを伺わせた。  すると、その強風を受けて、天井から吊ってあった手術用の照明器具が、揺れはじめ、数回スイングしたあと、  「パチーン」 という破壊音とともに、切れて落ち、手術台の端に当たって、床に落ち、メチャメチャニなった。    このとき、トレーに乗せられていた、頭部の耳が、ピクピクと動いた。  その痙攣は、顔面を伝って、頬から鼻に移り、鼻を蠢かせたあと、上唇の筋肉を刺激した。頬が引きつって、笑い顔になった。上唇の筋は、縮んで、口の中の白い歯が露出した。それは、まさに、笑い顔だった。  その笑い顔に呼応するように、手術台の胴体が、動いて、頭の方に移動を始めた。  すると、頭部も胴体のほうに引き寄せられ、頸の上に接着して、固定した。  頭部の接着部分は、溶解した状態だったが、それも、十分もすると、すっかり、密着し、境目も修復されて、一体化した。横のトレーに取り分けられていた内蔵も、一斉に、全てが体内に戻っていった。  教授らは、そのあいだ、ずっと、床に伏せていたので、その上の方で起きた一連の動きには、気が付かなかった。  頭部が密着し、一体の人体が、完成したあと、室内には、静かな時間が訪れていたが、そう分かってから、三人が、立ち上がる頃には、もう、手術台の上の人体は、呼吸と心臓の鼓動が始まり、目も開いて、いまにも、起き上がろうとしていた。  やっと、立ち上がった三人は、そこに動きはじめている人体を見た。  そこには、確かに、頭部が切り離されて死体であるボディーが、あるだけのはずだった。  三人は、絶句した。そして、その唖然とする、三人の間をすり抜けて、活動を始めた生命である全裸の男の人体が、歩きはじめ、扉を開けて、外に、出ていった。  どんなに激しい出血にも、動転したことがないだろう、教授は、気を失って、昏倒した。助教授も、倒れた。一人、助手だけが、気丈にも、この全てを見ていたが、歩きはじめた人体に体を押されて、倒れてしまい、その行方を追うことは、考えつかなかった。 手術室から逃走した「再生人体」は、暗い地下二階の暗く、長い廊下を駆け抜けて、この建物の東端の階段まで来た。その階段は、幅が一メートルくらいで狭く、人一人がやっと、擦れ違える程度の広さだった。  「再生人体」は、当然のことながら、一糸まとわぬ姿だった。股間には元々、胴体にあった陰毛が茂っており、その茂みの中から、かなり、大きな逸物が垂れ下がっていた。逸物は、「再生人体」が走っているあいだ、振り子のように揺れて、下肢の股に当たり、接着したばかりの頭脳にその違和感が、感触神経によって伝えられた。  頭脳は、ボディーが、何も着ていないのを認識していた。しかし、ボディーが、伝えてくる逸物の振り子感と、それが股に当たった時の、圧迫感の間には、違和感があった。  ボディーが伝えてくるのは、本来の自分の感覚だが、下肢から伝わって来るのは、何か違う。そう知覚しながら、頭脳はむしろ、一糸纏わぬ自らの姿を認識するのが先だった。  (何か、身に着けないといけない。特に、下半身には)  頭脳の思考中枢は、  「着物を探すこと」 をボディーに命じた。  階段を一段分昇ると、そこは、医学部付属病院の入院患者のシーツや毛布類を洗濯、消毒するリネン・フロアで、その一番、東の隅に清掃員らの控室があった。  「再生人体」の彼は、その部屋のドアーを開け、ロッカー室を探して、中に入り、作業員のロッカーで、鍵の掛かっていないものを探して、次々に開けていった。  五つ目のロッカーの中で、作業員の上着とズボンが見つかった。彼は、それを身に着け、部屋を出た。そして、もう一段分の階段を昇り、正面玄関までの長い廊下を、一気に走り抜け、素知らぬ顔をして、外来患者が出入りする玄関フロアから、自動ドアーを通って、外へ、出た。    そのころ、地下二階の手術室の三人は、やっと、気を取り直して、事態を把握しかけていた。  とにかく、解剖用に手術台に載せてあった胴体が消え失せ、分離して置いてあった頭部も無くなっていることも分かった。  最後の瞬間に見たのは、その二つが合体し、生命活動を始めて、歩きだした人体だった、というのが、三人の一致した感想だった。  とにかく、異常事態が起きたのは、間違いない。  部屋を出ていった「再生人間」を追跡する気力は、三人にはなかったが、動転していた気持ちを取り直して、冷静になってから、  (これは、一大事だ) と気が付いた。  そして、助手が部屋を駆け出て、後を追ってみたものの、その時は、「再生人間」の姿はなかった。  なすすべもなく、部屋に戻ってきた助手の報告を受けた目黒教授は、医学部長室に電話を掛け、簡潔に、事情を説明した。医学部長は、まったく予想できないような事態を、すぐには、理解できないようだったが、  「もし、それが、本当に起きた事なら、その失われてしまった四肢と出ていった一つの人体の捜索が、まず、最初に行うべきことだ」 と判断するだけの、分別は心得ていた。  学部長は、全学部と付属病院に、緊急捜索の指令を発した。そして、警察にも連絡し、町にでた「再生人間」の捜索が開始された。    建物を抜け出た彼は、ただひたすらに走っていった。その道を真っ直ぐに行けば、札幌市内のメーンストリートと直交する。そこを左に行くと、札幌駅方面。右に行けば北へ向かう。彼は、迷わず、左へ行った。  そのころ、「110番」通報を受けた北海道警察は、札幌市内各署に緊急捜索指令を発した。  彼が駅への道路を南下し、線路の踏切を渡りきったころ、札幌北署のパトカーが、清掃服姿の不審な人物が、走って行くのを見つけた。パトカーは、サイレンを鳴らして、追跡を始めた。  その甲高い音を聞いた彼は、逃走の駆け足を速めた。パトカーは、追跡のスピードを上げた。  所詮、人の速さは、車には叶わない。右へ行くと駅のロータリーに向かう交差点で、無線連絡を取りながら、追跡していたパトカーに挟み打ちになった。立ち往生した彼をさらに、三台のパトカーが、取り囲んだ。彼は完全に包囲された。  その追跡劇を、通りがかりの市民が大勢、立ち止まって、見物していた。  彼は逃げ場がなくなった。包囲の輪は徐々に狭まり、目前に迫ってきた。  捕まるかもしれないというその瞬間、彼は、体内から、湧きだすように、大きな声で  「ハイオー、ハイ」 と叫んだ。  すると、体にロケットを点けられたように、全身が一直線に空中に舞い上がり、その頂点で、消滅した。  パトカーの警察官らは、あっけに取られて、空を見上げていた。見物していた人々は、この一大スペクタルに、思わず、大きな拍手を送っていた。  「再生人間」の彼は、こうして、空中に消えしまった。  それと同時に、今にも泣きだしそうだった空が、急激に暗くなり、大粒の雨が振りだした。警官らはパトカーの車内に逃げ込み、野次馬たちも、三々五々、散っていき、現場を離れはじめた。  その日、町は、さながら忍者映画のように、空中に消えた人間の話題で持ちきりになった。         (五)  空間移動した「再生人間」は、瞬時に、稚内市の郊外にある平銃四郎の猟師小屋に移動していた。  「ワープ」というSFの空間移動の用語があるが、これは、そういう時間的な余裕のある静かな移動ではなく、まさに、瞬時に行われたので、当の本人も、その移動を認識出来なかった。  メカニズムは、どういうものなのか。  考えかたとしては、物体の組織が、空中に分解して、透明化して、溶解し、その元素が、何かの設計図のようなものの指令によって、再び組み合わされて、生成し、元の形に蘇る、というプロセスが考えられる。  これは、遺伝子情報による、細胞の再生と同じ過程で、全てが遺伝子によって、書き込まれた設計図に従って、全く同じ形に合成されるのと酷似している。  そして、この過程は、五人分の四肢と胴体、頭部の分断と溶切も、この種の整然としたメカニズムに従って、行われる物質の分解、合成の過程とも、相通じるものがあった。  ということは、そういうプロセスが、進行していくプログラムが、何処かにあるということだった。  だが、空間移動した「再生人間」にとっては、その理屈や働きは、理解の外にある。彼はただ、何かの指令によって行われた一連の過程に従って、札幌市の目抜き取りの交差点から、稚内市郊外の山中にある古い猟師小屋に、全肉体を移動されただけだった。  その小屋に移動して、彼は、彼を取り囲む暗い室内を、まず、見回した。そして、直ちに、小屋の外に出て、薪を集め、囲炉裏にくべて、暖を取った。  小屋の入口の物置棚に、古ぼけた石が一個、置かれていた。彼は、その石に、いつか見たことがあるという既視感覚(デジャブ)を感じ、懐かしくなって、掌に取ってみた。その石は、天井から漏れ落ちる水で、穴が穿たれ,中の物質が溶けだした後のように、軽石のようなスが、入っていた。彼は、その石を大事そうに、上着のポケットにしまった。  次ぎに彼が、目にしたのは、囲炉裏の脇に敷かれた筵の上に、脱ぎ捨てられていた古い毛皮の上着だった。これは、猟師が狩りに出掛けるときに着用する猟着で、野性動物の皮革で出来ていた。彼は、それを羽織って見た。そのために、手を掛けたとき、中に人が入っているような気がしたが、ただ、人の形で畳まれていたため、そこに人間が入っているような形になっていただけだった。  彼は、この毛皮の猟着にも、既視感覚が、あった。  そして、下履きも着替えて、かれは、すっかり、かつての、この小屋の主の姿に、変身していた。 秋の色が強くなってきて、稚内市郊外の平銃四郎の猟師小屋がある山中も紅葉で、山が燃えた。  夏に「再生人間」になって、この小屋に来てから、彼は、休みなく働いた。  最初に着手したのは、汚れきっていた小屋の内部の清掃だった。彼は、外の雑木林から、熊笹を切ってきて、柏の木の棒に括り付けて、ほうきを作った。  そのほうきを、十本ほど作ってから、小屋にあった桶を手にして、谷に降りていき、水を汲んできた。  彼は、まず、作ったほうきを使って、部屋の床に落ちていた塵や糸屑を掃きだした。筵の上の藁屑や塵あくたをすっかり、外に掃きだして、土の床上に山と積んだ。そして、この山をスコップで掬って、部屋の外に出すと、部屋のなかは、すっかり、綺麗になった。  次ぎに、彼は、汲んできた水桶に棚にあった布切れを入れて浸し、しっかりと、絞って、畳や棚を拭いた。囲炉裏の周りの木枠も綺麗に拭い、上がり框や桟、壁も綺麗に拭き掃除をしていった。  この結果、小屋の内部は、見違えるように綺麗になった。  この作業には、丸二日かかった。  翌日、彼は、この小屋の脇の地面の下草を刈りはじめた。全てを刈るのに一週間掛かった。そのあと、露出した土を綺麗にならして、平らにし、その後、さらに、平らになった地面を、丸太の先を使って、突き固めた。  そして、その数日後、彼は、山に入っていき、太い材木を切りだしてきて、整地を終わった地面の上に並べた。  彼は新しい小屋の建築に取りかかった。  丸太を何本も切りだしては、順に並べていき、自然乾燥させるのに、一ヵ月かかった。この間、彼は、一日も休みなく働いた。木を切りだして、積み重ね、皮を剥いで、丸太にする。そうして、それらの用材が全て揃ったころから、彼は、新しい丸太小屋の建設に取りかかった。これに、また、一ヵ月かかった。  十一月も末になると、この地方は雪の中に埋まる。初雪が降り始めるころに、古い小屋の隣に同じくらいの大きさの新しい小屋が完成した。  新しい小屋の内部は、四面が棚になっていて、腰から下の部分は、人間一人が、入れられるくらいの大きな収納箱がしつらえられていた。その箱は、全部で十五箱ほどあり、その上には、横に幅広の木の板を張った人形の陳列棚のようになっていた。  たしかに、彼は、人形の陳列台を作ったのであった。そして、そこに並べられるべきものは、これから、彼が、徐々に時間を掛けて、収集していく物なのだった。  新しい小屋は完成した。彼の次の「仕事」は、棚に飾るべき「人形」の収集だった。深い雪に埋もれる山中で、いかにして、ここに飾る「人形」を集めるのか。その方法は難しいが、彼には、十分な当てがあった。    山小屋から数キロ山を下れば、そこは、舗装された道路が真っ直ぐに延びていて、かなりの車の通行量があった。しかも、この道は、途中で何度も、トンネルを通過する構造になっていた。  通行している車の中には、多種多様な人間たちが乗っていた。若者から老人まで、男も女も、それこそ、それぞれの人間が、それぞれの個性を持って、あらゆる種類の豊富な人間たちを乗せて車が走っていた。  (人間の種(スペシーズ)を採取するのに、これほど、格好の場所はない)  彼は、まず、そういう車の中の人間たちを狙うことにし、一キロほど続くトンネルの入口に、その「ワナ」を仕掛けた。  その「ワナ」は、構造物ではない。これは、物理的空間の中に設けた、不透明なスポットで、言わば、三次元から四次元へと空間を移動させる入口のようなものだった。  だから、人の目では、知覚できない。空間を操作する能力を持った「彼ら」だけが、作ることのできる「ワナ」だった。         (六)  最初にこの「ワナ」(トラップ)に掛かったのは、デートでドライブ中の若い男女のカップルだった。  このトンネルの直前まで、猛スピードで飛ばしてきたスポーツカータイプの車が、トンエルに入った瞬間、車は、消えた。  後続車があったが、消えたのが、トンネルに入った丁度その時だったので、テール・ランプが、点灯しなければ、前の車をはっきりと確認ができない。後続車は、何の異常を感じずにトンネルを通過していった。  消えたスポーツタイプの車の中の二人は、真っ直ぐにトンネルを通過していると思っていたが、いくら走っていっても、トンネルを抜けないのに、不審を抱いた運転席の男が、急ブレーキを踏んで、車を停止させた。  すると、視界が広く開け、周囲が明るくなった。それは、明るさだけの空間で、白一色の世界だった。二人は、その余りの明るさに目を射られて、目が眩み、瞼を閉じた。すると、また、視界が閉ざされ、暗黒の世界が訪れた。そして、気を失った。  彼は、最初の獲物を捕らえて、  (これで、ワナの設定はうまくいった) と確信した。  この「ワナ」が、完璧に動作するかどうかが、これからの獲物の収穫に係わってくる。それには、素晴らしい獲物を期待している、あの星の博物学者たちの満足を得られるかどうかが、掛かっていた。  最初の二つの「標本」は、無事に、空間移動して、新しい小屋に設けた収集箱の中に収まった。  収集物は、まず、収集者が、丁寧に、詳しく検査を行うのが、コレクションの鉄則だ。  彼は、収集箱の扉を開けて、内部を見た。一つの箱には、若い男性、二つ目には若い女性が、瞳を閉じて横たわっていた。  彼は、まず、若い女性の方を調べてみることにした。なぜ、そうしたかというと、こちらの方が、彼らの世界には存在しない貴重な種のように思われたからだ。  蓋を開けると、最初に匂うような芳香が鼻を突いた。こういう若草のような香りを発する生命体は、彼らの世界には、存在しない。それに、柔らかい皮膚の感触。そういう瑞々しい肌を持っている生命体も、見たことがなかった。  女性の「標本」は、衣類を着けていた。ベージュのツーピースを着たフォーマルな装いで、耳にはイヤリング、頸にはネックレスをしており、黒皮のハイヒールを履いていた。  だが、標本は、生身でなければならない。かれは、まず、ネックレスを外し、イヤリングをむしり取った。次ぎに、大きなピンセット様の道具で、スーツのジッパーを外し、ボタンも取って、上着を脱がした。それが、終わると、その下に着けたブラウスのホックを引きちぎり、やはり、ピンセットとメスを使って、切り裂いた。「標本」は、かすかに息をしていた。しかし、深い睡眠に落ちいっていて、意識はなかった。  ブラウスを取りは外すと、中から、待っていた素肌が露出した。だが、その下で、盛り上がっている乳房というものを見るのは、彼には、初めての経験だった。  (そうした胸部の突起物を、われわれの星の博物学者は、珍しがるに違いない)  彼はそう確信して、中をみて見たくなった。  ブラジャーの前の窪みに、ハサミを差し込んで、切った。ブラジャーが捌けて、二つの丘があらわになった。  この丘の真ん中に赤い乳首が見えた。これは、彼には、赤い班紋に見えたから、人間種の新種を発見したような驚きで、その先をピンセットの先でつついてみた。すると、標本の体が反応し、  「アアー」 という喘ぎ声を上げたので、彼はびっくりして、その作業を中止した。  これで、「標本」の上半身を覆っている物が、全て、取り外されたが、まだ、下半身を隠している物を取り外す作業が残っていた。  かれは、スカートの表面を、上から下へ、一気に、メスで切り裂いた。スカートは、開かれて、広がった。その下は、細い網目のパンティー・ストッキングと肌色をしたパンティーだけが、残されていた。  彼は、パンストをピンセットで摘んだ。パンストの糸が延びて、山形になった。彼はその一端にメスを入れて、切り裂いた。パンストの所々に穴が空けられ、若い女性の「標本」の身体中に絡みついた。彼は、その絡みついた場所を、一つ一つ、丁寧に切り払って、脇に仕分けした。  あと、残されたのは、肌色のパンティーと黒革のハイヒールだけになった。  肌色のパンティーを、ピンセットで摘んだ彼は、パンストの時と同じような手際の良さで、この最後の女性の覆いを、切り取り、脇に置いた。こうして、「標本」は、黒い革のハイヒールを付けただけの姿になった。  パンティーを取り払うと、その下から黒い茂みが出てきた。かれは、その茂みの一本一本を、ピンセットで摘んで、メスで切り取り、じっくりと観察した。そうした観察をしているうちに、茂みの奥に、赤い口を開けた部分があるのが分かった。彼は、茂みをかき分けて、この部分の中心にある核の部分をピンセットの先でつついてみた。  半睡眠状態の「標本」は、今度は、  「ヒー」 という声を上げて、悶えたが、覚醒はしなかった。  彼は、全ての被服を取り外す作業を終えて、次は、この標本の汚れを落とす作業にかかることにした。覚醒していない状態でそれは行われれなければならない。薬物は使用していなかっが、「標本」は、睡眠状態になっていたから、この作業は簡単だった。  彼は、特殊な薬液をしみ込ませた布で、「標本」の体を拭っていった。そして、黒い茂みの内部の割れ目も綺麗に薬液で拭い、そこに流れ出ていた液体を始末した。  こうして、黒いハイヒールを履いただけの人間の若い女性の「標本」が生きたまま、生まれたままの姿で、収集され、箱に収められて、次の検査を待つことになった。   二度めに採集した「標本」は、子供二人を含む、四人連れの家族だった。四人は小型のファミリー・カーに乗って、日本最北端の岬に出掛けて、旭川市の自宅に帰る途中だった。  午後四時すぎ、その「ワナ」の仕掛けられたトンネルの入口に差しかかった小型ファミリー・カーは、トンネルに入って、ヘッド・ライトを点灯しようとしたが、その瞬間に、忽然と消失し、最初の「標本」と同様に、白光の満ち溢れた空間を、意識を失ったまま、「再生人間」の待ち受ける新しい山小屋の「人形の家」に、移動した。  四人が収納箱に収まった時、彼は、若い二人のアベックの女性の方の「標本」を処理しおわって、次の男の方の処理に取りかかろうとしていた。  彼は、なぜか、男の方の処理は、女の場合よりは、おざなりにした。着衣を、はさみとピンセットで取り外したのは、同じだったが、下着まで、全ての衣類を取り外して、全裸にしてからも、女性の場合のように、薬剤を使っての浄化の作業はしなかった。着衣だけを外して、裸体になった「標本」の外形を観察しただけで、処理を終えた。  この処理を終えるころに、家族連れの四人が、移送されてきた。このとき、彼は、人間という種の成育期の「標本」を入手したことを確認しただけで、その他の作業はしなかった。  彼は、若い男女の処理に集中していたので、もうそれ以上、「標本」取扱作業は、したくなかったのだ。   (七)  一日、「標本」作りに熱中しているうちに、日が落ちていくころになっていた。太陽が西に傾いたころを見計らって、彼は、小屋の外に出て、積んであった丸太の木を、数本、短く切りわけ、何本かを手にして、小屋に戻った。  すっかり、日が落ちて、夜の静寂が小屋を覆うころ、彼は、その木の一本を手にして、ナイフとノミで刻みはじめた。  手付きは、不器用だったが、繰り返し、削りを掛けているうちに、徐々に、木が形を成してきた。  最初に出来たのは、人形の頭部だった。その形は、長い髪やふっくらとした顔つきから女性と思えた。ナイフとノミは、さらに、肩を形造り、胸部の形成に移っていった。胸には、しっかりとした脹らみが、持たせてあった。  すなわち、この彫像は、女性の人形で、彼は、昼間、処理に専念した人間の女性の「模型」を作っていたのだった。  木を使った人形作りは、そう簡単ではない。ろくろがあれば、こけしのような筒形の加工も、容易に出来るが、簡単なノミとハイフでは、削った面もゴツゴツし、粗削りな形にならざるをえず、加工は難しかった。  それでも、彼は、丁寧に細かい切り口を入れ、胸部の脹らみと腹部の凹み、腰の張りなど、女性特有の形状を切りだしていった。  特に、念入りに細工したのは、彼が、生身の女性「標本」を調べたとき、最も印象深かった両脚の付け根の部分を黒々と覆ったものだった。その茂みの質感は、木を削っただけでは、表すのが難しい。  両足は、固定した形ではなく、むしろ、自由に動かせるように、関節部分で接合し、別の部材で組み立てる形に持っていって見ようという考えが閃いた。  そのために、腰の下の部分は、鋭利に切断し、両脚だけは、別に切り取って、一本ずつ成形し、後で、接合部分にはめ込むことにした。  そうするには、両脚を一脚ずつ成形していく細かい細工をしないといけない。そして、荒削りした部材を人間の脚のように、丸く、滑らかに仕上げるには、ノミとナイフだけでは、無理だった。できれば、ヤスリのように、表面を削って、細かく仕上げる道具が欲しかった。  彼は、考えた。  金属を加工して、ヤスリを作るのには、材料がないので、無理だ。厚い紙や糊もないので、サンド・ペーパーを作ることもできない。いろいろと、思考を巡らせた結果、あることを、思いついた。そして、小屋を出て、谷を下り、川原に降りて、袋に砂を掬って、持ちかえった。その細かい砂で、木の肌を擦り、木肌の表面をなだらかにする方法を思いついたのだった。  砂粒による研磨は、想像よりもうまく行った。ぼろ布に砂粒を入れて、その中に彫刻した木材を入れ、包み込むように揉むと、木肌は徐々に磨かれて、滑らかになった。  こうして、白木の木片は段々と、丸みを帯びて人体の脹らみを見せるようになっていった。  両足の仕上げを終えて、両方の上肢も同じやり方で作っていったが、こちらは、さらに細かく、繊細な仕上げを必要とした。より細かい砂を集めて、磨かなければならなかった。  こうして、頭部も胴体部分も、わずかずつだが、加工を進め、全部で六つのパーツができあがった。  それは、「再生人間」の彼が、五人の人体を部分的に切断したパーツを、再び、組み合わせて、形成されたのと、全く同じ工程だった。  こういう一連の作業で、人形一体を作り上げるのに、約二週間掛かった。この間、モデルになったアベックの女性と男性は、昏々と眠り続けていた。それは、通常の場合なら、空腹と栄養失調を招きかねない時間の長さと保存状態にあったが、「彼ら」は、それでも、心臓の鼓動を続け、かすかに、静かに呼吸を続けていた。即ち、生きていた。  彼は、出来上がった白木の人形を持って、標本保存箱の前に行き、モデルとなった女性の箱を開けて、人形と照合した。  人形の形は、モデルを完璧に模していた。頭部と胴体と手足の長さの比率、幅、厚さ、そして、外形は、ほぼ完璧にコピーされ、縮小されていた。  だが、まだ、完成品ではないことに、彼は、気が付いていた。  それは、頭部を覆う黒い髪、そして、下腹部の秘密の場所の上部に張りついている黒い茂みが、人形にはなかった。両腕の付け根の部分に細かに生えている腋毛もなかった。  かれは、生きている標本の頭部から、人形に必要なだけ、鋏で頭髪を切り取った。そして、両腋毛も切り取り、下腹部で縮れている陰毛も、左手で長さを揃えて、鋏で切り取ろうとした。  だが、陰毛に手を掛けた瞬間、若い女の標本は、身を捩って、彼が触れるのを避けようとした。眠っているはずの女体が、そういう動きをするのは、意識してなのか、無意識でなのか、分からないが、確かに、その生きている女体は、生まれたままの姿の、最も、恥ずかしい部分を触られるのを、拒むように、彼の手の動きと反対側に、体を捩った。  体を反転されて、鋏を使えなくなったため、彼は、代わりに鋭利な剃刀を、持ち出してきて、刃で毛を切断しようとした。だが、彼の立っている位置と、反対側になった女性の陰毛を切り取るのは、そう易しくなかった。  それでも、無理に、毛に手を掛けて、剃刀を当てて、真っ直ぐに引っ張った。すると、最初に数本が切れて、左手に残ったものの、残りをさらに、切断する瞬間、剃刀が滑って、黒い茂みの下に、口を開けていた陰唇の上部に刃が掛かり、その頂点にある核の部分を包んでいる皮膚を切り裂いた。包皮は切られて、パックリと口を開け、鮮血が迸り出た。  その時、寝ていた女性は、  「ギャッ」 と声を上げて、叫び、一瞬、覚醒した。が、次の瞬間、激痛と出血のためか、気を失って、悶絶した。  彼は、迸り出た鮮血に驚愕したが、落ちついて、持っていた布で血を拭い、手当てをした。布は、すぐに、赤く染まった。だが、そのまま、傷口に押し当てていると、徐々に、凝結し、出血は治まった。  ただ、切断された部分は、開かれたままで、縫合手術が必要だったが、、もとより、彼には、その手段も技能もなかった。若い女性の標本のその部分、即ち、クリトリスの表皮は、切開されたまま、陰核が剥き出しになった。それは、彼女が、性交をする際の感覚の鋭敏さを何倍にも増強するはずの知覚神経の露出を意味していた。即ち、彼女の性器は、過度に感覚の鋭い状態に改造されたのだった。    彼は切り取った毛髪を、綺麗に切りそろえた。これを頭、胴、下腹部と三種類ずつ分けて、紙袋に入れて保存した。  そして、この毛を一本ずつ、植え込む細い穴を人形の体のしかるべき場所に開けていった。それは、長く根気のいる作業だったが、彼は、驚くべき集中力で、作業に熱中したため、仕事は、ハイ・ペースで進んでいった。中でも彼が熱中したのは、陰部に穴を穿つ作業だった。  彼は、標本のその部分を、じっくりと観察して、詳細な部分まで記憶しておいた。その記憶に従って、黒い茂みに隠された繊細な部分を加工していった。二つに別れた割れ目をその内部の襞、さらにその上部の突起部分などを、極めて細かいディデールまで、詳細に再現できたのは、この彼の鋭利な観察力と記憶力によるものだった。  その部分のピンク色の色彩こそなかったが、正確に縮小された形状は、拡大してみれば、まさに本物の女性性器といってよいほどの出来ばえだった。胸の丸みや脹らみ具合も見事に本物そっくりに再現されており、あとは、毛髪を付けて、色彩が付けば、完全に人体のレプリカが完成する。  彼は、植毛の作業に糊は使わなかった。使わなかったというより、糊がなかったので使えなかった。その代わりに、彼は、四肢の接合部をナイフで切って、その切り口から滲み出る粘液を使用した。  確かに、この粘液には粘りがあり、収集した髪の先端に付けて、人形の体に穿った穴に差し込むと、瞬時に接着した。それは、アラビア糊のような粘着力で、しかも、アラビア糊よりも接着力が強く、瞬間接着剤と同じような効果があった。  頭部への頭髪の丁寧な接着作業を終えると、人形の頭は、見違えるように人間の顔に近くなった。腋への毛の接着は必要量が少なかったので、短い時間ですんだ。そのあとの陰部への陰毛の接着が最後になったのは、上から順に作業を進めていったからでもあるが、彼の心のなかに、  (楽しみは最後に取っておこう) という気持ちが起きていたことは、否定できない。  すでに、この部分の木彫を進めている時に、彼は、異様な興奮を覚えていた。それは、心の芯からわき起こるような快感の衝撃で、そういう情動に動かされて、彼はその作業を、快適に進めていった。  だが、その部分の作業は、異様な疲れをももたらした。興奮と同時に激しい疲れをもたらす、その作業は、麻薬効果と同じだった。彼は、集中して作業を終え、じっと、疲れて眠った。  そういう木彫作業と同じ興奮を、彼は、この植毛作業でも味わった。というより、むしろ、こちらの作業のほうが、興奮度は高かった。なにしろ、陰毛の感覚が、加わっていた。その柔らかく、ちじれた感触が、興奮感覚を刺激したうえ、黒い色、それに、それらが密集した時ふわふわとした弾力を感じて、彼は、心地よかった。  一本ずつ、丁寧に、開いた股の部分に、植毛を続けていると、彼は、うっとりと陶酔した気分になり、心の中心から、歓びがこみ上げてくるのを感じた。  (この作業が永遠に続けられたら)  彼は、そう思いながら、手を動かしていた。  だが、作業には、必ず、終わりがある。すべての用意した毛を植え終わって、彼は、また、横になって眠った。  昏々と、眠って、朝になって、目を覚ますと、そこに、綺麗に毛髪が付けられた若い女の人形が微笑んでいた。  だが、それは、生まれたままの姿で、木の木目が肌から浮き立った裸で、彼を見ていた。  (次は、着物を付けさせないといけない)  彼は、そう思考した。  (そうすれば、完璧な人間のモデルができあがる)  彼は、剥がしておいた、女の標本の着衣から、布を少しずつ切り取って、人形に着せる衣服の縫製に掛かった。    人形の着衣の縫製は、それほど難しい作業ではなかった。本物の衣類の縫製は、型紙から始まって、裁断、縫い合わせと何段階もの工程を踏むが、人形の着衣は、ただ、大きさを揃えて、形を切り抜き、あとは、パッチワークのように、木肌の表面に張りつけるだけである。  だが、彼は、その作業にも凝った。標本の着衣と全く同じ形態にするために、剥がした着衣を標本に、再び、着させて点検した。それは、まず、上体のブラジャーから、始まり、着衣一点ずつを一つ一つ着けさせて、点検した。ということは、その一点以外の部分は、裸体だったということだ。すなわち、若い女性の肌に、ただ、ブラジャーだけを着用させ、下半身には、なにも着けないという、非常に非日常的な姿態を標本は、取らされるということだった。が、その本人は、半睡眠状態のため、かすかに、  (なにかが、肌に触れている) 程度にしか、そのときの状態を意識していない。  ブラジャーだけを、肌に着けた女性は、普通の人の目からすると異様で、官能的だが、「人間」ではない彼には、そういう感じをもたらす作用はおきない。  そのようにして、一つずつ、丁寧に点検をしながら、見事に着衣を揃えて、全ての人形に着せた。  あとは、外部に露出している顔や手足の肌を作り、目鼻立ちを整えて、眉や口紅を入れるだけになった。  肌をどう加工するかは、難題だったが、彼は、塗料の持ち合わせはなかったので、人間の皮膚をそのまま移植することにした。すなわち、標本から皮膚を剥離して、人形の肌に張りつけるのである。しかし、これは、人間ならば、かなり、しっかりした、精細な技術が必要な医療行為だった。  彼には、そういう技術はなかったが、武器は、あった。それは、どのような人間の細胞でも溶解し、分解してしまう体液を持っていることだった。その正しい使用法に従って、彼は、標本の体から皮膚を分離し、人形の肌に張り付けた。  標本の肌は、痛みもなく、はぎ取られたが、この皮膚は、その体液の持つ作用によって、短時間で再生するはずだった。  彼は、ついでに、眉の毛や目の黒い色素も溶出した。そして、それも、人形のしかるべき部分に、塗っていった。  こうして、若い女性の人形一体が、完成した。  彼は、この完璧な人間の複製を、標本箱の上部にしつらえられた棚の上に飾り、「NO1」の標識を付けた。  このあと、同様の手順で、カップルの男の方の人形、さらに、家族連れの四人分の人形を製作し、それぞれの標本の収納箱の上の棚に飾った。人形は、六体揃ったことになる。    その数日後から、収納箱の中の標本に、ある変化が起きた。六人とも、すべて、全裸で保存されていた。その、裸体の標本に最初に起きた異常な変化は、身体の全般的な縮小だった。  まず、両手両足の長さが、五分の一程に、縮んだのが、第一段階だった。次いで、それぞれの四肢の太さが、縮小した。さらに、続いて、胴体が、やはり、五分の一の大きさになった。そして、手足と同様に、直径が縮小した。最後は、頭部の縮小だったが、これは、頭蓋骨の固さに、変化を妨げられて、縮小のスピードは、遅かった。  だが、そうした順序で、体全体が、五分の一に縮んだ。その結果、標本箱の中の標本は、皮膚がダブダブになり、まるで、ボロ布を纏っているような姿になった。しかし、そのままではなく、体全体の縮小が終わると、今度は、細胞の縮小が起きた。それは細胞の減少分裂を伴っており、そのため、個々の細胞が、蘇生して、新しくなった。  これは、標本の人体全体の若返り、即ち、若年化が行われたことを意味していた。大人は、幼児の体に退行し、二人の子供は、乳児の姿に逆上っていた。それは、時間の逆行だった。過去へと時間が巻き戻されたのである。  それは、タイム・マシンによって、過去へ逆上るのと同じだった。  こうして、身体は縮小し、上の棚に飾られた人形と同じ大きさになっていた。  それでも、全てが完璧に模された人形には、何が、足らなかったのだろう。  外見も体色も、着衣も、なにもかも、標本そのものになった人形に、足りないもの。それは、人間の生命に不可欠の生の息吹と人間の魂の働きだけだった。木片には生き生きとした生命細胞の動きは、感じられない。  木片と生命細胞が入れ替わり、そこに魂が宿れば、その人形は、全く生きている人間と同じになる。  標本の縮小は、そのための過程の中にあったといえる。  その過程は、まるで、ビルト・イン(埋め込み)されたプロセスのように、機械的に、スケデュール通りに進んでいった。それは、意識の外で、自動的に組み込まれている整然とした過程だった。    自らの細胞が、時間を逆行して、若返っている過程の間、当の標本の本人たちは、何を感じていたのだろうか。  いずれの標本も、半睡眠状態にあった。ということは、覚めているほうから見れば、半覚醒状態だったということだ。  即ち、半分は意識があって、生きていたのである。その目覚めている意識の半分で、標本たちは、過去の自分の人生の記録映画をフラッシュ・バックしていた。  例えば、最初に細胞革新が起きた例の若い女性の場合、最初に彼女が知覚したのは、激しい全身の痛みだった。これは、体全体をゴム膜で覆われて、縛り付けられているような感覚だった。その限界までの縮小感の後、朝のシャワーの後のような爽快感が、彼女を襲った。なにもかもが、瑞々しく、しっとりと、露を含んでいた。春の快晴の日の朝のように、清々しい気分を感じ、全身が瑞々しさであふれかえった。  だが、一方で、記憶の方は、初恋の相手のファースト・キッスの場面やセックスの初体験の場面が、断片的に映像となって、現れては、消えた。  そのあと、一気に、幼児の場面へと飛び、思いを寄せていたいたずらっ子とお医者さんごっこをしていて、女の子の一番大切な部分を、医者役の男の子に見せている場面が回想された。それは、初めての甘酸っぱい「異性体験」だった。  そして、時間が進むにつれて、記憶は、一気に逆行して行き、突然、二つの白い乳房を抱えて、口に含んでいる乳児のころの自分の姿が、目に映った。それは、まさに甘美な体験だった。柔らかい乳房の感触と、その先端から滲み出る栄養豊富な液体を、必死に、吸い取っている乳児の姿が現れ、その吸引感覚を自らの唇にも感じて、彼女は、赤ん坊になりきっていた。  他の五体の標本に起こった変化も、彼女と大同小異だった。こうして、六人の意識体験は、乳児期に退行していき、その生命細胞もその時代へ若返りを果たして、凝縮した。  では、そういう体験の中で、切り落とされた古い記憶と古い細胞は、どうなったのか。  それは、全て、棚の上に置かれた人形の中に、移送されたのだった。すなわち、記憶という魂と現在の姿の生命細胞が、木の人形の中に移送され、人形は、生命力を獲得したのである。  こうして、五分の一の、人形のモデルが、揃えられた。木片の植物細胞は、現在の六人の生命細胞に置き換えられ、魂を吹き込まれた。これは、完璧なる標本の縮小版で、意思を持って語り、感覚を持って、環境を認識した。  だが、語ることは、あくまでも、創造者である彼の命令を待たねばならない。六体の人形は、語る能力を持ちながら、語ることはなく、静かに、沈黙したまま、今にも動きだすことも出来る肉体を抱えて、棚のうえに、整然と並んでいた。          (八)    残る五体の人形への「魂」の呼び込みと生体細胞の移転も、順次、行われた。  実を言うと、生体細胞移転の際の細胞減少と細胞の再生・活性化は、平静の内に行われたわけではない。それは、標本たちには、半睡眠状態とは言え、激しい苦痛を伴っていた。  そのプロセスが、進行していく際には、標本たちは、目の球を剥いて、悲鳴を上げていた。全身が切り刻まれて、解体されてしまうという深い恐怖の奥底から、その叫び声はわき上がって来た。その絶叫は、細胞縮小プロセスが、進行していく間中続いて、月明かりの夜も、漆黒の闇夜の晩も、静まり返った森の静寂を破って、天空に突き刺さっていった。  最初の若い女性の、絹の布を切り裂くような鋭い高音の悲鳴が、森の動物たちの眠りを呼び覚ました後、若い男の身を切るような断続的なうめき声が、中音部を形つくった。そして、四人家族の妻のアルトの悲嘆に満ちた、絞り出すような糸を引く声。その夫の運命の神が地底を踏みならす時のようなバスの低音による悲痛の叫び。さらに、最後は、この夫妻の二人の男、女児によるボーイ・ソプラノとチャイド・ボイスによる葬送のときの、レクシエムに似た絶叫。  それらの、激痛と悲痛と苦悩と苦悶がない混ぜになった声、こえ・・・・が、次ぎ次ぐと標本箱の内部から発せられて、その箱と共鳴し、「死の曲」を奏でていた。  彼はその声を聞いてはいたが、意味は理解しなった。彼にとって、標本の発する音は、人が昆虫を採集して、その標本をピンで止める際に、昆虫が感じるかもしれない痛みによる苦痛の叫びと同様に、「無関心」の範疇に含まれていた。  だが、一方で、血液が体内を巡りだし、肌色に赤みを増した棚の上の人形たちは、いまにも動きだしてもおかしくない活性化の状態にあった。  彼が、ひとこと、  「話せ」  と命令を下せば、彼らは、すぐにも、話しはじめるだろう。  外界が雪に閉ざされた冬の真ん中のある日、彼は、六体の人形を、床の上に一列に並べた。先頭には、若いアベックの男、次ぎにその女。そして、四人家族の男の子と女の子。その後ろにその母親。そして、最後に父親を配列し、  「全員、動け」  と命じた。  すると、六人は、ほぼ同時に、大きく背伸びをして、伸び上がり、口を大きく開けて、あくびをした。  「ああー。やっと、目が覚めた。すっかり、寝てしまった。気持ち良く、寝たな」  列の最後の父親が、そういって、言葉を発したのが、最初だった。  「私達、これから、どうなるの」  若い女の人形が言った。  「どうなるったって、どうにもならないさ」  若い男の人形が言った。  「だって、こんな姿になってしまって、もう、わたしは、以前のわたしではないわ」  「確かにね。君の姿は、僕の知っていた君ではないな。ただ、前よりは、大分、若返っているようだ」  「あなたも、少年になってしまったのね。なぜかしら」  「それは、いいことだ。俺は、いつも、少年時代に戻りたいと、思っていた」  そういって、口を挟んだのは、四人家族の父親だった。  「なぜそう思っていたの」  妻の人形が聞いた。  「それは、その時代のほうが、楽しい思い出が、いっぱいあるからね」  「少年時代のほうが、素晴らしいということ。では、青年時代や、わたしたちが結婚してからは・・・」  「・・・・・・。恋愛していたころは、楽しかった」  「恋愛って、誰と。わたしたちは、恋愛結婚じゃないわよ」  夫は、妻の追究に、戸惑って、話題を変えた。  「お前も俺も、こうして、少女や少年の時代に戻ってしまったのに、子供たちは、乳児に戻ってはいないよ。なぜなんだ」  「そんなこと、知らないわよ。でも、確かにそうね。子供たちは、二、三歳しか、戻っていないようだ」    それは、こういうことだった。  彼の属するシステムの中では、時間の逆行は、ある限度までしか、行われない。それは、生後五歳までくらいということに、決まっていた。その代わり、「人」の世界で暮らしていた者にとっては、恐ろしいことに、「その世界」では、生まれた瞬間から、それぞれの一生の命の長さが、決定されてしまっているのだった。  例えば、ある男児が生まれたとすると、その時の順番が、ルーレットの穴に、ボールが入っていくように、乱数表に従って、その子の生きていられる期間が決まる。それは、平均して六十歳位だが、長ければ百歳にもなり、短いものは二十歳までしか、生きられないという次第だった。  そういう世界で、生活する者にとって、予め分かっている自分の死期が近づけば近づくほど、その時から遠ざかろうと、知恵を絞り、策を弄するのは当然だ。そういう様々な努力の中で生まれたのが、この「生命細胞の蘇生技術」だった。  しかし、この技術は、開発されたばかりで、実用化の検証は済んでいなかった。その検証をその世界で行うことは、体制側には、反乱と受け止められ、革命勢力と見なされる。体制を転覆する危険性のある分子と見なされ、反逆者にされてしまう。  このため、この技術を開発した医師と科学者たちは、体制を覆しかねないこの技術を検証することも許されず、第一級の国家機密として、秘密の金庫の奥深く、封印されて、秘蔵された。  しかし、現実には、若くして死ななければならないと定められた者たちと、老年まで寿命が保障された者たちとの間で、激しい階級闘争が始まり、彼がいた世界は、社会体制の崩壊の危機に瀕していた。  そうなったとき、そういう社会のフリクション(摩擦)を解消する「技術」として、光を当てられたのが、忘れかけられていた「細胞蘇生技術」だった。時の権力者は、この技術の活用で、「寿命」を延ばし、人々が満足するまで、生き長らえさせることで、社会不安を解消しようとしたのだった。  そのためには、この技術の検証が行われ、実用化へ向けて、多くの実験が行われなけれなければならない。そのために選ばれたのが、彼らの世界と、環境が似ていて、予てから着目していた「地球」だった。  だから、彼には、人形にした標本を、精密検査して、そのデータを、待っている科学者たちに送るという任務があった。そして、出来れば、実験対象になった人形たちを、「持ち帰る」ことが、求められていた。だが、このための瞬間移動を行うには、莫大なエネルギーを必要とする。  それで、彼は、まず、データを収集する方法を選んだ。だからこそ、彼は、人形たちに号令を掛けて、運動を開始させたのだった。あとは、この人形たちが生体として、有効に、機能を十分に発揮できるかどうかである。  では、細胞と魂とを抜かれた標本達はどうなるのか。  そこには、「死」が、待っていた。標本達は、まだ生きていたが、細胞の老衰化のスピードは速く、魂も抜かれて、心は、空虚になっていた。それらは、生きた屍だった。だが、生きてはいたから、活動をする。時折、気を荒立てて、箱の中で、激しく動き、騒々しい物音を立てていた。  彼は、そういう古い標本には、辟易していた。彼が手塩にかけて、作り上げた人形は可愛いが、その元となった標本は、もう不要だった。  彼は、その標本達を、採ってきた現場に返そうと、思った。切りに抜いたため穴が開いた着衣を纏わせ、合図をして目を覚まさせて、六体の標本に、活力を与え、標本箱から、抜け出させて、起立させると、部屋の外に追いやった。  外は、一面が真っ白の、雪の世界だった。六体の標本は、ボロボロになった衣服を着ただけの姿で、雪の森林の中へと、解放された。  彼が、人形たちの訓練を始め、数日たったころ、人形たちの「魂」が、ある疑問を問いかけはじめた。  「なぜ、俺たちはこんな恰好をしているのだい」  四人家族の父親が、母親に聞いた。  「なぜかしら。そういえば、私はもっと、大きかったような気がする」  「そうだろう。俺だって、もっと、大きくて、逞しく立派な大人の男だったんだ」  「それが、子供たちと同じ背の高さになって・・・・・・。違っているのは、肌の艶と顔つきの大人らしさ、こどもっぽさの違いだけ。なぜ、こんなに、なったのかしらの」  「俺たちは、長く眠っていたのではないかな」  「そう。そんな気もするし、ずっと、こうして一緒にいたような気もする。ただ、昔のような背丈でも、太り具合でもないのは、確かだわ」  「俺たちに、何かがあったことは、確かだ」  「そういえば、ずっと、私達に命令してきた彼は、何者なのかしら」  「それが、分からない。考えてみれば、われわれを作った創造主なのかもしれないな」  「創造主! それなら、神様ということ?」  「そうだ。だから、彼の言うことに、われわれは、従ってしまう。逆らえない」  「ここにいる六人は、みな、彼の創造物なの」  「そうだろう。われわれは、彼によって、作られたのだ」  「それなら、なぜ、俺たちに、彼女とデートした記憶やら、セックスしたという記憶があるのだい」  じっと、夫婦の会話を聞いていた若い男が、口を挟んだ。  「そう、わたしにも、夫に愛された思い出や子供たちを生んだという記憶があるわ」  「ということは、われわれは、昔、何者かであったということではないかな」  夫が、威厳を伴った低音で断定的に、言った。  「そうか、われわれは何者かだったんだ。創造される前から、われわれは、既に、何者か、だった。彼の存在の前から、われわれは存在していたのか」  そういう考えかたは、創造主の否定であった。  ということは、今、現在における自らの否定にも繋がる重大な事実だった。だが、それ以前に既に、存在していたら、どうなるのか。  それは、創造主、すなわち、神を否定し、自らの存在を存在そのものから生まれたものとして肯定すること繋がる。  即ち、彼らは、その原点において、彼らだった、ということだ。  「われわれが、そもそもわれわれだった、としたら、われわれは、われわれの意思で生きることができるはずではないか」  若い人形が叫んだ。  「そうだね、何も、あの男の言うがままに、動かなくていいんだわ」  若い女が叫んだ。  この発見は、自然の成り行きでいけば、「彼」とは何なのか、という問に繋がる。  「あの偉そうに、われわれに命令を下している彼は、何なのだ。それとも、われわれは彼なしに、元々、存在していたのだから、彼に頼る必要はないし、彼の言いなりになることはない」  父親がそう論理を進めた。  「私達が自由に生きていくためには、彼はむしろ、邪魔者だっていうことね」  直感力が鋭い若い女性の人形が、さらに、論理の流れを押し進めた。  「そうだ。彼は、必要ない」  父親が断定した。  「もう、われわれは、解放され、自由になるべきだ。彼のくびきを離れて」  六体の人形のグループに、彼を越え、彼の存在を否定しようという、暗黙の合意が自然に形成された。  人形たちは、それぞれに、ナイフやノミや金槌や鋏などの「武器」を手にして、囲炉裏の側の寝場所で寝込んでいた彼の周りを取り囲んだ。  「掛かれー」  リーダー格の父親の大号令に従って、彼らは一斉に、凶器を振り降ろした。  凶器を差し込まれた彼の身体のいたるところに、傷が付き、差し傷の穴が開いた。その傷口から、黄色い体液が噴出した。その体液が流れ出した場所は、いずれも、劇薬に触れた時のように、爛れ始め、熱を発して、組織が崩れはじめた。  それは、体の上に、火山の噴火のマグマが噴出したのと同じで、グズグズと煮えたった地獄の風景が、点々と出現し、彼のボディーは、時間の経過とともに、液状化し、崩壊した。                (九)  ドライブ中の若い男女と家族連れが、帰宅しなかったことは、それぞれの肉親が気づいて、警察に捜索願いを出していた。  地元の稚内警察署は、アベックの二人の行方不明の届け出を受けて、足取りを追ったが、トラップが仕掛けられたトンネルまでの足跡は、辿れたが、そのあとの足取りが掴めないままだった。  家族四人の不明の捜索願いを受けた旭川署は、稚内署に連絡を取って、消えたファミリー・カーの行方を追った。すると、例のトンネルのある山の頂上に乗っていた車が、放置されているのを発見した。だが、乗っているはずの四人は消えていた。  若い二人の失踪事件が、同じ場所で起きていたから、両警察署は、付近を重点的に捜索し、聞き込みを行った。しかし、足跡は、突然、そのトンネルで消え、その先はようとして知れなかった。  アベックが、乗っていた車は、トンネルのある山を下って、沢に到る道の途中で横転しているのが、見つかった。  両警察署の捜査員は、発見された二つの車の内部を徹底的に調べた。しかし、六人の人間が消えた先は不明だった。ただ、車のシートに、人が移動していった時の、引っかき傷のような筋が残っているのが見つかった。  その筋の先を一直線に延長していくと、交点が分かる。その一点に、この事件の謎を解く鍵がある、と考えたのは、自然だった。  正確な測量が行われ、製図が起こされた。図面に引かれた直線二本は、稚内市郊外の山中で交差していた。  地図の上で、確認されたその山中に向けて、捜索が行われることになった。  その捜索の最中に、乗り捨てられていた二台の車で、異変が起きていた。  最初に発見した時には、車中に人体らしきものは、何も、発見されなかったが、再度の捜査の際に、突然、六体のミイラが、出現したのだ。  着衣などから、それらは、行方不明になっていたカップルと家族連れに間違いないものと思われた。しかし、いずれの遺体も、その顔がくしゃくしゃで、梅干しのように、皺だらけになって縮んでおり、肉親らの確認は手間取った。  ただ、着衣は、出掛けていった当時のもので、身体的特徴は、すっかり、失われていて、確認の頼りにならなかったものの、肉親らは、当の本人たちと認めざるを得なかった。  六人の遺体は、精密な検査をするため、司法解剖に回されることになった。そのため、札幌市の北海道大学医学部に、搬送されていった。    猟師小屋の中で、六体の人形は、「神」であった「彼」をほふって、日々の厳しい訓練から解放された。  彼は、それまで、「細胞移転」で作った彼の人形たちが、問題なく動作し、何らかの支障がないかを、チェックしていたが、人形たちの生体細胞は正常に作動し、問題なく動いた。いずれも幼児に退行した人形たちは、活発に動き、快活に話した。  ただ、彼らには、かつて一度生きた「人生」の記憶が残っていたから、子供の肉体に、大人の知能と記憶を持つ、異様な生体だった。  そして、その記憶が、彼を崩壊させたのだった。  北大医学部に移送された六人の遺体は、同学部の斎藤明治・法医学教室教授によって、解剖された。  最初の外見所見で、斎藤教授が、驚いたのは、その六体がいずれも、ミイラのような形状をしていて、顔と体が縮小してしまっているにも係わらず、皮膚の組織は、ミイラの皮膚のようには、死んで、干からびてはおらず、生体としての生命を保っていることだった。  斎藤教授は、解剖の際の定められた手順に従って、体の中心線に沿って、まず、腹部にメスを入れた。切り開かれた内部の組織が、薄い脂肪層の下から、覗いていた。内蔵は、いずれも、縮小しており、通常の二、三割程度の大きさしかなかった。  教授は、体内から一個ずつ、内蔵を取り出し、秤に乗せて計量した。どの内蔵も、重さは通常の二、三割だった。  (人間が、このように縮小して、小さくなってしまうとは、何故なのか)  教授はの疑念は、募っていった。  だが、六体とも、同じように縮小していたことから、同じ原因によって、このような身体の縮小が起きたことは、確かだった。  一つずつ摘出した内蔵は、いずれも、組織検査に回された。その結果によって、体の縮小の原因も突き止められるはずだった。  教授は、解剖の全ての作業を終えてからも、なぜ、このように生体の「半ミイラ化」が起きたかを、考えていた。  考えられるのは、縮小が体全体に及んでいることから、個々の細胞レベルでの変化が起こって、このような現象が起きたのでははいか、ということだった.  細胞検査に回されていた内蔵の検査結果は、翌日に出た。  その結果、細胞を構成する多くの「部品」の中で、「核」の部分が、全ての検査細胞から失われているのが、判明した。「核」の中には、遺伝子DNAが含まれている。その遺伝子が、失われていたということは、これらの細胞は、もう、新たな細胞分裂は行われず、再生は不可能だということだった。  では、消えた核と遺伝子は、どこに行ってしまったのだろうか。それが、謎だった。  検査結果が、斎藤教授の部屋に届けられた頃には、朝から降っていた雨が激しくなり、土砂降りの状態になっていた。  そのころ、医学部の建物に隣接した老朽化した理学部の標本室の隕石標本の入った箱の一つに、雨漏りした水が、滴り落ち始めていた。  その部屋に、掃除の作業員が二人、入ってきた。夕方になって、その日一日の最後の作業を始めようと、部屋の片隅の椅子に腰掛けて、タバコを吸いながら、世間話をしていた。  雨はますます激しくなり、隕石の標本箱に、落下しつづけていた水滴の落ちる速さと量が、増えていった。  乾燥していた標本の隕石に、十分な水分が供給され、十六個の石は湿り気を帯びて、飽和状態になった。  水分が飽和状態になったころ、石は、突然、破裂音を発して、激しく発熱を始め、蒸気を発して、跳ねはじめた。蒸気は標本箱に充満し、箱の隙間から外に噴出して、部屋の一隅が、もうもうとした煙で覆われた。  煙が、部屋の一角に漂いはじめたころ、タバコを吸っていた清掃員が、この異変に気付いた。二人は、タバコを灰皿に擦り付けて、急いで、もみ消し、煙の出ている場所へ急いだ。  煙の出ている場所を、探ると、それは、山積みになっていた標本箱の中からだった。  (火事だ)  と直感した二人は、煙の出ている箱を突き止め、消火をするつもりで、その箱に手を掛けて、開こうとした。  すると、突然、箱の中から石の破片が、砕けて飛び散り、二人を直撃した。破片は二人の体を襲い、突き刺さった。  二人は、  「ギャー」 とわめいて、床に崩れ落ち、苦痛に顔を歪めながら、床をはいずりまわっていたが、そのうちに、意識を失い、気絶した。  そのあと、四肢の付け根の溶解が始まった。それは、第二の「再生人間」の誕生の始まりだった。  十二月になって、町にジングルベルの音が流れはじめた。  東京・銀座四丁目の交差点の角にある、時計店のショウウインドーは、トナカイのソリを操るサンタ・クロースのディスプレーで、飾られていた。  そのソリには、四人家族が乗っている四人乗りと、アベックが乗っている二人乗りの二台があった。その六体の人形は、いずれも、本当の人間のような素晴らしい出来ばえだった。  立ち止まって、そのショウウインドーを眺めていた女の子が、手を引いている父親に聞いた。  「このお人形さんたち、本当の人間みたいだわ。いまにも、喋りだしそうよ」  「そうだね、本当に良くできている。生きている人間そっくりだ」  「私も、こんな人形が欲しいわ」  「そうかい、では、サンタクロースにお願いするんだね」  「パパ。わたし、絶対、これと同じ人形が欲しいわ」  「では、パパが、サンタさんにお願いしてみよう」  父親は、女の子を母親に預けて、店の中に入っていき、店員に尋ねた。  「あの表のディスプレーの人形は、何処で買えますか」  店員が答えた。  「さあ、分かりません。私どもも、それが知りたいのです」  「なんですって」  「あの人形たちは、ある日、突然やって来て、ああいう風に、居すわってしまったのです」  「居すわったとは」  「知らないうちに、ああいう、恰好のディスプレーが、出来ていたのです」  狐に摘まれたような気持ちで、父親は、店を出てきた。  「あの人形は、何処かから来たのだが、何処かは、分からないそうだよ」  女の子は、この説明に納得しなかった。  「わたしは、どうしても、あれが、欲しいの」  そう言って、愚図って、大声で、泣きだした。  すると、ショウウインドーの中の、サンタの人形が、口を動かして、言った。  「お嬢ちゃん。必ず、君の所へ、行くよ。待っていてね」  その声を聞いた女の子は、やっと安心して、こっくりと、大きく頷いて、泣き止んだ。  だが、その声は、両親や道を行く大人たちには、まったく、聞こえなかった。                     (終わり)