「ブレジネフの遺産」梗概
 
 一九九一年のソ連邦の崩壊で、世界の安全保障上、核兵器の管理が緊急の問題になった。旧ソ連時代に頻発した原子力潜水艦の事故が、ソ連解体後、次々と明るみに出たがその一つは、日本の自衛隊の対潜哨戒機によって捕捉され、米国にも通報されていた。
 しかし、肝心な事故原因は、不明だった。米国の諜報機関は、原因を突き止めようと元KGB職員のスパイグループを雇って、ロシア海軍原子力潜水艦基地のあるウラジオストックに潜入させた。
 そのころ、世界最終戦争を目論む日本の新興宗教団体から、核兵器の取得を依頼されたフランス人の「死の証人」、ル・ノートル伯爵は、チェチェン独立運動の司令官、オベリンの武装軍団を雇って、解体のためウクライナからロシアに移送される核ミサイルの強奪を計画、着々と準備を進めていた。
 原子力潜水艦の事故原因は、ロシア軍の調査委員会の報告書では、「ミサイルに使用された発火装置のコンピューター・チップの誤動作」と指摘され、そのチップは、東南アジア諸国産の欠陥品と推測された。
 米国のクリキントン大統領とロシアのエミチャン大統領は、この危険なチップの交換を協力して、実施する事にしたが、原子力潜水艦の事故原因を探っていた元KGBのグループから、ル・ノートル伯爵らの核ミサイル強奪計画の情報がもたらされた。
 米国は、ドイツ駐在のNATO軍の特殊部隊に、防戦出動を要請し、完全武装のヘリコプター部隊が出動した。
 ポーランド経由で、ウクライナ国内に入った強奪集団のトラックは、鉄道輸送のミサイルを奪取し、NATO部隊と交戦したが、まんまと、NATO軍の裏をかいて逃走。ミサイルは、グダニスク港から、日本船籍の自動車運搬船で北海へ向けて、出航した。しかし、この船は、北海で、大爆発事故を起こし、ミサイルもろとも海底に沈んだ。
 結局、原潜の事故原因は、不明のままだったが、米ロ両国は、危険性のあるミサイルのチップの交換を終え、世界の危機は回避された。
 だが、本当の原因は、チップの不良ではなかった。ウラジオストックの海軍基地でそれが、明らかにされた。