「199×年・夏」              1  江ノ島の灯台の上を、一羽の鴎が旋回している。先程までは、三羽か四羽が揃って、青空に輪を描いていたのが、今は、たった一羽が、時計回りの旋回を繰り返している。仲間と、はぐれたのだろうか。ほかの鳥たちは何処にいったのだろう。そのうちに、上空をずっと離れなかった鴎は、遙か彼方に飛び去っていき、一羽の鴎だけが舞っていた空には焼けるような激しい太陽の光だけが広がっている。  僕は、西浜のビーチハウスのリクライニングチエアに仰向けになって、レイバンのサングラスの中から、鴎の姿を追っていた。浜は七月の末の混雑を見せていたのに、空の上は空いていた。昼頃に、日曜日の海の人出を取材に来た新聞社とテレビ局のヘリコプターが三機、やって来て、耳を塞ぎたくなるような轟音を響かせていたが、午後二時の今は、ただ、真夏の昼下がりの気だるさが、浜にただよっていた。  白く塗られた木製のデッキの先の浜には、ビーチパラソルの花が咲いていた。最近は、その下に携帯式の小型の椅子を置いて、のんびり座っているカップルが多い。浜の砂の上にシートを敷いて、寝ころんでいる人もいたが、パラソルの下は、すっかり昔とは風景が違う。昔はあんな椅子はなかった。昔といっても、僕が小学生の頃、父母と一緒にこの浜で遊んだころだから、そう古い話ではない。なぜなら、僕はまだ十八歳。高校三年生なのだ。僕は、高校生活最後の夏を、こうして、浜に寝そべって過ごしているわけだ。  (皆は、予備校の夏期講習で、汗を流しているだろうに)  思わず、そういう紋切り型の言葉を呟きそうになったが、これはおかしいとすぐに気が付いた。今時の予備校には、エアコンがびっちり効いている。汗を流すほど熱い教室など皆無に違いない。彼らは快適に頭の汗を書いていることだろう。ただ、それは僕が、今照りつける太陽の下で、褐色の肌に浮かせている大粒の汗とは、質が違うのだけは確かだった。ほんとうは、僕も、彼らの中に入っていなければならないのだ。それなのに、僕は、海に居た。予定ではそう長くなる海辺の滞在ではないが、とにかく、僕は今年も、慣れ親しんだこの湘南の海にまた、来たのだった。  鴎の姿が消えてから、僕はサングラスを掛けたまま、目を閉じた。こういう照りつける日差しの下では、そうしたからと言って眠られるものではない。とにかく目を閉じて、考えてみたかったのだ。いまこうしていられるのは、友達たちに比べて、幸福なのだろうか、それとも、限りなく不幸なのだろうか。そんなことを考えはじめて、結論が出ないまま、堂々巡りをしているうちに、僕の通っている高校の春の光景が目に浮かんできた。  湘南FM放送を流しているビーチハウスのスピーカーから、PUFFYの「渚にまつわるエトセトラ」が聞こえはじめた。僕は、テーブルの上のパイオニア製のMDラジカセに入れたモーツアルトの交響曲四十一番「ジュピター」のMDをヘッドホンで聞きはじめた。フルトベングラーが、クリーブランド・フィルを振った復刻盤だが、最近のディジタル録音にはない、まろやかで暖かみのある演奏が、僕は好きだった。そのきびきびとしながらも、ゆったりとした音の流れが、気持ちを限りなく健康にしてくれる。僕にとっては、心の癒しの特効薬なのだ。真昼の焼けつく太陽が照らす浜で、そういう音楽を聞いているとは、誰も想像しないだろう。だが、それが、僕の最高の鎮静と至福の時なのだ。この日はそれが格別だった。  僕の通っている高校は中高校一貫教育の私立高校で、世間には超進学校で知られていた。なにしろ、今年の春の大学入試では、十八年連続で東大合格者一位の記録をつくったのだ。都内ではいわゆる私立御三家の一角を占める難関校だった。この学校に僕が入学したのは、中学からだった。そのための中学入試は激戦で、進学塾の秀才や全国模擬試験の上位の常連が、こぞってその戦いに参加し、勝ち残ったものだけが、勝利の栄冠を手にしていた。そういう形容の仕方は、しかし、僕たちの周囲を取り巻く大人たちが、勝手に付けたもので、マスコミも時折、「低年齢化する受験戦争」などのタイトルで、狂騒を煽っていた。わずか、十二歳の子供にとって、受験の重圧は、だが、それほど、負担ではなかった。いや、負担に感じていたものもいたろうが、少なくとも僕には、楽しい経験だった。あの年頃で、全力で打ち込むことが出来る経験を持てる人は、昔はそういなかっただろう。だが、その年でもそういう競争的な状況を戦いきることが出来ることを知って、僕には快適だった。高校野球の選手たちが小学校から才能を発揮し、テニスやゴルフの若手有力選手が、幼いころから天分を見せるように、知能の戦いで、素晴らしい才能を発揮する天才たちが居るのを知ったのも、僕には有益な体験だった。  世間には受験戦争や有名校指向をあざ笑うような風潮がある。「知能ばかりが優先して、頭でっかちの秀才はいらない」という論議もあるが、そういう論がかまびすしい割には、ちっとも教育制度は変わらないし、東大がなみいる全国の大学の頂点に君臨しているのも、戦後ずっと変わらぬ図式なのだ。受験生にとっては、東大理科三類に現役で合格する知能と学力を持っている者は、英雄だったし、そういう世間の評価は、昔から寸分も変わっていない。むしろ、近年のほうが過激になっている様子なのだ。  (高校球児が、運動能力を限界まで競って注目を浴びるなら、知的能力が優れた僕たちが、その能力を競って何が悪いのか)  というのが、僕の最近までの考えだ。  それは、確かに、こういう道に導いてくれたのは、父母のお陰だが、いくら親たちが意気込んでも、肝心の子供にその才能がなければ、空回りするだけである。第一義的に問題なのは、本人の力であることは、間違いない。父母の期待に、子供が応えるからこそ、希望は叶うのだ。そういう核心の点を抜きにして、父母の受験熱や子供の奮闘ぶりを興味本位に伝えて、批判するのは公平でない、と僕はずっと思っている。  それは、今の学校に入ってから、素晴らしい個性に出会うことができて、確信となっている。「いろいろ批判する人は、勝手にしろ。羨望と妬みが、あなたにそういうねじ曲がった見かたをさせるのだろう。そんな皮相な考えを越えた個性を君は知らないのか」と叫びたくなるほど、僕の周囲には、いわゆる知的能力に溢れた「できる個性」が大勢いた。    三年生に進んだ今年の春、高校の校舎から中学の建物に向かう坂道を見事に満開の花で彩った桜並木の下で、僕は、あいつに出会った。中学の校舎の反対側の丘の上に広く広がった運動場に昇る階段の下で、昼休みを過ごしていた僕たちの所に、彼は笑顔でやって来て、いきなり、  「モーツアルトは、三十五歳で死んだが、彼がその短い生涯で作曲した作品は、交響曲が四十一曲、オペラが十六作品など。合わせて約六百に上る膨大な数の作品を生み出したのだ。三十台半ばで彼の生涯は終わったが、その後何年も長生きしても、これ以上の作品は生まれなかっただろう、と言われている。天才の命は太く短い。天は短くとも充実した時間を彼らに与え、性急に天に、自らの近くに召されたのだ。人の生は長さでは図れない。天才は早く現れる。君達、のんびりしている暇はないぞ」  と話しかけてきたのだった。僕たちも応じた。  「そうだ。アインシュタインが、相対性理論のアイデアを得たのは、二十代と言われるが、正確には十代から考えていたのだ」  そう言ったのは、寺岡だった。  「寺岡君、それは違う。相対性理論は、天才の仕業かも知れないが、アインシュタインは、子供のころは鈍才だった。モーツアルトは、子供のころから天才だったんだ。そこが、神の見いだす芸術家と苦労人の学者の違いだよ」  寺岡に反論したあの男、島田俊介は、狷介な人格だった。  「今年、注目されているゴルフのタイガーウッズみたいのを、天才と言うんだよ」  島田はまた、新しい例を引いた。  「良く聞け、天才の才能は遅くても十代に現れる。そうでなくては天才とは言わない。君達は、だから、いずれも天才ではない。せめて、毎日、努力して、秀才にはなりたまえ」  唖然としている僕たちに、島田はそう言って、去っていった。坂道を下っていった彼の黒い学生服の肩に桜の花びらが散って落ちたが、そんなことは気にしない様子で、島田は、ゆっくりと高校の校舎の方に歩いていった。その時、彼の足取りが重たげで、しかも、歩みの緩急のリズムに乱れがあるのに、僕は気が付いた。彼は、左右の足の長さが違うのだった。しかも、かなり違う。右が長く、左が短い。だから、歩くたびに、右足が地面に付いているときは、肩が上がり、左足の時には、すっと頭が傾いて体全体が左に倒れた。  「彼は、身障者なんだ。ちゃんと、その認定も受けている。体にハンディーがあるから、と必死で勉強で頑張っている。その頑張りに応えるだけの頭脳を備えているしな」  同じ進学塾だった内野が、呟いた。内野は、塾では、島田にまったく歯がたたなかった、という。  「特に数学はできる。奴は、数学オリンピックの選手なんだ。昨年の香港の大会では、金メダルを獲得した。世界で一番になったわけだよ。そのくせ、がりべんではない。広く多彩な知識があるよ。授業だって、まともに聞いていない。いつも何かを考えている風だ。数学の問題を解いているんだろうな」  同じクラスの山田が、付け加えた。  寺岡も内野も、山田も、いま、僕が通っている東大受験塾のクラスメートだ。彼らも成績は優秀だった。その彼らが、脱帽する程の知力を持つ、寺岡とは、どういう人間なのか。僕は、俄然、興味が湧いてきた。ちょうど、そのころ、脳の機能や知性の源泉についての関心が強かったから、人に抜き出た知力の寄ってくるところを追究してみたいという気持も強かった。それはどういう構造を持ち、どういうメカニズムで機能し、どの様な影響を本人の行動と周囲の人の日常にもたらすのか。その日以来、僕は、島田の近くに出来るだけ寄って、マン・ウオッチングを始めたのだ。    昼休みが終わって、僕は、次の授業のあとの休み時間に、島田のいる一組に行った。僕は四組で、この高校は三階建ての校舎に一階に四組ずつの教室があった。一学年は十二組で、それが三階に別れて入っていた。一組の教室は玄関の一番近くにあり、教室、前の廊下は他のクラスの生徒の行き来が多かった。僕は、休み時間に廊下に出て、談笑している生徒の中に山田を見付け、近寄っていった。  「おい。飯島君どうしたんだ。珍しいじゃないか。休み時間に出てくるなんて」  山田が、親しげな笑顔で話しかけてきた。  「いや、いい空気を吸いたくなってね。ほら、気候もこんなにいいし。教室に閉じこもっているのは、心身の健康に良くない」  「そうだな、そう思った奴が多いので、今日はこんなにいるんだ」  山田は、クラスの殆どが、廊下に出てきているのを確認するように言った。  「島田君はいないの」  僕が聞くと、山田は即座に答えた。  「いないよ。彼は出てこない。というより、出てくることはない、と言ったほうが正確だ」  まったく、この学校の生徒は、理屈ばかりが先行している。なぜ、出てこない、と言うのと、出てくることはない、との区別を付ける必要があるのだ。僕が茫然としていると、山田が付け加えた。  「君は、唖然としているが。さっきも言ったろう、彼は身障者なんだよ」  「だからって、歩いていたじゃないか」  「そうじゃない。立ち上がるときと、座るときが一番辛い。だから、朝、ああして、自分の席に座ると、滅多なことでは、席を離れることはない。その点、今日は、異常な日だった。昼休みに、外に出て、しかも、あの急な坂を上って来たんだからね。よほど、いいことがあったのかな」  山田の解説は明瞭だった。だが、僕には納得しがたい面もあった。  「でも、立ち上がることは出来るんだから、そう辛いわけではないんだろう」  「それは、本人しか、分からないが、断末魔の苦しみという訳ではないだろう。ちょっとだけ、健常者より、エネルギーを必要とするのかもしれない。でも、それは、彼の考えなんだ。いつも、要らぬエネルギーを無駄使いしたくない。人間一生で使うエネルギー量はそう違わない、それを若いうちに使ってしまうか、徐々に使っていくかで、人生の長さが決まる、と言っている。だが、それより、彼は休み時間こそ、自分だけの時間なんだろう。ああして、俺たちには見当も付かない難しい数学の問題を考えているのさ」  山田は、顎を杓って、開け放たれた扉の先に見える寺岡の後ろ姿の方を示した。  島田の後ろ姿が見えた。彼の席は最後部の真ん中だった。右足を机の枠から大きくはみ出して、投げ出し、左足は、机の脚の中に入れていた。それは、一見、投げ槍の崩れた姿勢と見られかねないが、彼の体の作りから、そういう姿勢しか取りようがないのだろう、と僕は推測した。  「いつも、休み時間にも、ああやって、考えごとをしているのかい」  「そうだよ。毎日同じだ。体育の時以外はな」  そう言って山田は、片目を瞑った。僕と同じで、高校生になって急激に背が伸びて、百八十センチを越えている山田は、バスケットでは、僕の好敵手だった。背の高さが僕も同じくらいだったから、二組の合同授業で対戦するといつも、リバウンドの取り合いになった。運動神経は僕の方が少し良かったから、垂直飛びの記録は僕の方が上だった。だから、二対一の割合で、僕の方が競り勝った。ある日、接戦の試合に僕の組が勝ったあと、次の授業で、山田の足が真新しいシューズで包まれているのに気が付いた。僕の姿を見つけると、山田は寄ってきて、  「おい、今日は負けないぞ。この新兵器があるからな」  と言って、足を上げてみせたのだ。  「ええ、これ、エアー・ジョーダンじゃないか」  僕は、その特徴のあるバスケット・シューズは、雑誌で見て知っていた。靴の底に空気が入る構造になっていて、それが、抜群の履き心地と機能性を発揮する。雑誌は、「五センチは、跳躍力が伸びる」というキャッチコピーを付けていた。僕は一見しただけで、欲しくなったが、写真の下に付けられた値段を見て、諦めた。「十三万円」の値段が、誇らしげに輝いていたのだ。それを、山田は、あっけらかんと履いている。彼の母親は、この学校の他の生徒の母親と同じく、酷い教育ママに違いない。たぶん、山田は、あの試合のあと、家でその日、学校であった出来事を詳細に報告したに違いない。そして、悔しい敗戦を、涙ながらに(山田がやりそうなことだ)語り、母親の同情を買ったのだ。そして、この母親は、大企業の顧問弁護士だという父親の豊かな収入の一部を、息子のために(いつものように)躊躇なく割いて、この貴重なシューズを、東京の町の隅々まで探して探しだし、手に入れたのだ。雑誌には、「国内では殆ど入手不可能」と書いてあったから、あるいは、父親の手も煩わせて、業界の裏から手を回したのかもしれない。  僕はそのシューズを見て、かちんときた。前半はその性能を確かめてやろうと、山田の動きを図っていたが、やはり、確かにジャンプは何時もの彼ではなかった。正確に五センチは、高かった。その結果、我がチームは、四点差を付けられて、前半を終わった。僕は作戦を考えた。NBAの選手でも、追い詰められたときに使う金じ手を使ってやろうと思ったのだ。それは、マンツーマン・ディフェンスを敷いて、相手を潰すシフトを取り、その布陣のもとで当の相手を潰すのだ。ボールを狙いに行かず、足を狙うのだ。  僕はその汚い作戦を、躊躇無く実行した。山田は、球を持って僕の前に来るたびに、靴を踏まれて、転びかけた。それでも、転びながらも旨く、転倒を免れたのは、僕が彼が転ぶまで、足を踏みつづけなかったからだ。そして、山田もそうされたくなかったらしく、足を持っていくと、すぐに球を離してパスをした。山田は、試合よりも、自分の靴の方が大切だったのだ。そう見られても、おじけずかないのが山田の取り柄だった。  そういう経緯が二人の間にあったから、彼は片目を瞑ったんだろう。僕はさらに聞いた。  「体育の時は、どうしているんだ」  「ああ、参加するよ。足を使う陸上や球技は見学が多いが、器械体操なんかは、俺たちよりうまい。特に、鉄棒は独壇場だ。俺たちの同期で、大回転ができるのは他にいないだろう。うちの体育では水泳はやらないが、それもうまいらしいよ」  水泳が体育の種目にないのは、最近の高校では珍しい。その理由は、単純にプールがなかったからだ。我が母校は、いつもながらの財政難に泣きつづけていた。  「じゃあ、運動会はどうしている」  運動会は、この学校の名物行事だった。その最上級生の三年生を中心に色分けの組に別れて対抗戦を行う春の運動会に、生徒たちは一体になって燃えた。この運動会を終えると、三年生は一斉に受験態勢にはいる。その後は、受験に不必要な授業に出てこない生徒も増え、夏休みまでには受験に必要なカリキュラムを全て終えて、夏休み以降は、集中して受験対策の模試などに力を注ぐのが、中高一貫校であるこの学校の方針だった。しかも、それは、学校の体勢というより、個人の計画に任せられているのが、また、この学校のやりかただった。  「参加しているよ。一年のときは俵取り、二年では騎馬戦、そして、今年は、棒倒しに参加する。もっとも、走るのは無理だから、守りの一員だがね」  山田は、当然のように言った。  「じゃあ、五体満足の俺たちと、同じか」  「いや違う。大変な努力がいる」  何不自由ない坊ちゃん育ちの山田の言葉とは思えなかった。  「彼は、生きていくことだけで、大変なハンデーを背負っているんだ。家からこの学校まで出てくるだけで、大変なエネルギーがいるだろう。満員電車を乗り継いで、千葉の奥から出てくるんだ。途中には階段もある。東京駅の地下ホームに、総武線の電車は付くんだが、それは、地下深い所にある。エレベーターがあるとはいえ、そこから、地上に出て、京浜東北線に乗り換えるだけでも大変だよ。だれでも、息が上がる。それを、彼は毎日、あの体でやっているんだぜ。やわな俺たちが出来るかな」  山田は自分のことを棚に上げて、島田を絶賛した。何でも息子の言うことを聞く、優しいママに買ってもらったエアー・ジョーダンを踏まれるのがいやで、僕との競り合いを降りた男なのに。  僕はますます、島田が気になってきた。   放課後、学校に残っている奴はほとんどいない。皆、次の予定が待っているのだ。その多くは、塾へ行くことなのだ。中学では、やっていたクラブ活動も、高校三年生は、放免されて、二年生が指導的な立場になる。三年は既にOBなのだ。  僕も、週に四回、学校が終わったあと、受験塾に通っている。一つは中学時代から続けているもので、現役で合格した東大生が講師を務める東大受験専門の塾だった。その塾は、四年位前までは、JR代々木駅近くにあったが、評判が上がって塾生が増えたため、今は小田急の南新宿駅の近くのビルに移転した。この塾に入るには、一応、資格があった。男女とも、私立の御三家と東京の国立高校の生徒は、無試験で入れたが、それ以外は、入塾試験を受けなければ行けない。入ってからも、学期ごとに組替え試験があり、成績順に最高点者から順にA組から組み分けされていた。だから、生徒にはまず、A組に入るのが目標となる。要領が良かったのか、僕は、なぜか、入塾以来、数学、英語とも、一度もB組以下に落ちたことがない、珍しい存在だった。一番は取れないが、時折、二番の成績を上げることがあり、悪くても、一組の定員である二十番を下ったことはなかった。A組のメンバーは、半分くらいは、いつも入れ替わっていたが、ということは、何故か残りの半分は同じ顔触れだったということだ。それは、この十人くらいは、毎日のように、夕方顔を合わせて、現役合格の東大生の講師の授業を受けていた、ということなのだ。僕は、小学校からずっと、男子校だったから、女子と一緒に机を並べて授業を受けるのは、この塾が初めてだった。女子の多くも、小学校から私立女子校に通っているものが多く、やはり、男子と机を並べるのは、初めてという子が多かった。だからだろうか、僕たちは仲がよかった。    去年の夏休みに、僕は、これという予定もなく、ただ、塾の計画にしたがって、夏期講習に出ていた。外はうだるような暑さで、冷房が効いた教室が心地よかったのも、家にいるより快適な、夏期講座に真面目に通った理由でもあった。  その講習が最終日になって、いよいよ、誰もが、自分たちの休みを過ごすようになる日の前日に、金井三枝子が、いつも最後列に座る僕の席に、女の子がまとまって座っている前の席からやって来て、  「ねえ、みんなで、明日、何処かに行かない。夏期講習も今日で終わりだし、パッといこうよ」  と持ちかけてきた。  「ああ、いいよ」  僕が、気だるげに答えると、  「それなら、決まった。何処に行くか計画を立てるから、飯島君は男子を纏めてよ。行きたい人を集めてほしいんだ」  三枝子は、明るく笑いながら、そう言った。健康そうな白い整った前歯が、薄暗い蛍光灯の光を受けて、ちらりと光った。その白さに比べて肌はうす黒かった。冬でも、海で焼いたような褐色の肌色をしていて、いかにも健康そうな少女に見えた。事実、彼女は、健康には自信があるようで、一日も塾を休んだことがないのが、自慢だった。僕は、気が滅入っているときに、この塾で彼女の明るい笑顔を見て、持ち直したことが、何度かある。そんなことは、誰にも言ったことはないが、心の底では、彼女に感謝していたのだ。  「いいよ、いまから聞いてみるよ」  僕が、ハッキリとそう言ったので、彼女は満足そうに、  「じゃあ、お願いね。あとで、電話するわ」  と言って、席を離れていった。  「電話する」  というのは、家に違いない。これまで、僕は女の子から名差しで電話を貰ったことはない。母が出れば、家の者に物議を醸すのは間違いない。それは、嫌だった。彼女のその一言が、その後、僕の頭から離れなかったが、次から次へと顔を出した寺岡や内野や富岡らの同級生に今の話をして、参加希望を募った。みんな、行く気があったが、それぞれ、既に決まっていた予定もあって、今日すぐに明日とは行かないのだ。だが、僕の他に二人、寺岡と内野が参加できることがわかった。こちらは三人だが、丁度いい数だろう。あっちもその位の感じだし、と考えて、その日は、講義が終わるとすぐに、帰宅した。最後のドリルは、出来たものから帰っていいことになっているから、終わったあとは、友達に会うことはない。だから、三枝子も、  「あとで、電話する」  と言っていたのだ。  帰り際に、三枝子の席の辺りを見たが、彼女は既に部屋を出ていた。それだけ、彼女はテストが出来るのである。   その晩、僕が夕食を取ったあと、自分の部屋でモーツアルトの交響曲四十番のCDを聞いていると、母が  「電話ですよ。若いお嬢さんから」  と呼んできた。僕は、子電話の受話器を取り上げた。  「ねえ、さっきのこと、どうなった」  それは、三枝子のはち切れそうに弾んだ声だった。  「ああ、あれか、二人は確保できたよ。寺岡と内野が、行ってもいいと言っていたよ」  「なんだ、そうか。まあいいや。私は、飯島君が行けばいいんだから。それで、何処がいい」  その時、死んだカラヤンがウイーンフィルを振ったシンフォニーが、大団円に入って、音量が一気に、大きくなった。僕は机の上のリモコンで、ボリュームを絞った。アンプの銀色のフロントパネルの大きなダイヤルがくるりと、反時計回りに回転した。  「そうだな、もうすぐ、夏も終わるし、今年は講習ばかりで、海にも行かなかったから、行ってみようかと思うんだけど」  「海か、海ね。私は、ディズニーランドは、どうか、と思っていたんだけど、混んでいるだろうし、熱いし、お金もかかるしね。でも、海だと裸になるんでしょ。私達、そんなに自信があるほうじゃないわよ」  「なにが」  「だから、水着は苦手なんだよ、みんな」  「そうか、女の子は、そんなことまで考えるんだ。それで、そっちは人数はそろったのかい」  「それは、大丈夫よ。三島さんと、中村さんが、付き合うって」  「そうか」  金井三枝子は、国立大学の付属高校だったが、三島と中村は、東大進学校で有名な私立女子高校の生徒だった。金井は活発で、どちらかというと運動選手型だったが、三島と中村は、おっとりとしていて、むしろ、控えめなお嬢さんタイプだった。話していても口数も少なく、どちかというと、ぼーっとしている。それなのに、いざ試験となると、いつも上位の入っているのだから、僕らに取っては、彼女たちは、存在そのものが不気味だった。異星人のような気もしていた。そういえば彼女たちが、水着姿で、水遊びをしている姿は、想像を越えていた。いつも、体型が出ないようなざっくりとした服を着ていたから、というより、殆ど紺の制服姿だったから、この年頃なら、ふっくらとしてきているだろう体型や胸の脹らみも、外からは判断できかねた。彼女たちは、少女なのだろうか、それとも、もうすっかり、成熟した女性の体付きになっているのだろうか。それは、人には話さないが、密かに胸に秘めた僕の彼女たち異性への疑問だった。  「彼女たちは、どこに行きたがっているの」  「それは、聞いても分からない。ほら、あの人達は口数が少ないし、殆ど、自分の意見を言わないの。本当は話し出したら、しっかりとした自分の意見を言うと思うわ、でも、ずっと、女子校できたから、男の子との付き合いかたがわからないのよ。だから、そのための勉強にということもあって、私の話に乗ったんだと思うわ」  そう三枝子は電話口で言ったが、それは、彼女自身のことを言っているのは間違いなかった。三枝子自身が、小学校から女子校ばかりで、男と机を並べているのは、あの塾でしかないのだから。だが、違うのは、彼女は、外向的な正確で、物おじしないという点だった。  「じゃあ、いいじゃないか。海にいこうよ。彼女たちだって、学校の授業で水泳はしたことがあるだろう。それなら、水着だってあるだろう」  「それはそうね。でも、スクール水着じゃ、詰まらないな。私はビキニを持っているけど、あの人達はどうかしら。でも、あした行く時に、買っていてもいいしね。飯島君その時は付き合ってくれるでしょう」  「ああ、いいよ。じゃあ、あした、東京駅で、八時はどう」  「東京駅って言っても広いわよ」  「ああそうだ、湘南に行くんだから、湘南電車のホームでは、どうかな」  「湘南電車は、一つのホームではないでしょう。彼女たちは千葉からだから、総武線直通の横須賀線がいいわよ」  「ああ、大船で乗り換えればいいんだからね。では、東京駅の横須賀線下りホームで八時に。俺の方は男たちにそう連絡しておくよ」  「ええ。でも、まだ、どこに行くか決めてないじゃない」  そう言えばそうだった。僕は行く先は、勝手に分かったものと思っていた、というのは、僕にとって、海とはこの湘南の西浜以外には考えられないからだ。この海は、僕が幼児の頃から、父母に連れられて、毎夏を過ごした海なのだ。だから、僕は、説明の必要はないものと、勝手に思い込んでいたのだ。  「江ノ島の西浜だよ」  僕がそう言うと、三枝子は、  「なんだ、私も小さいころ、行ったことがあるわ。水族館があって、海豚が芸をしていた。夏は人が多いでしょうね」  「そうね、だから、いいんじゃないか。でも、平日はそれほど、込まなくなってきたよ。もう、夏も終わるしね。浜には、人がいすぎてもうるさいし、いなくともさびしいものだぜ」  「あんな派手なとこじゃあ、私達気後れしてしまう」  「それなら、家でゆっくりしてから、時々、海に行けばいい」  「家って、海の家のこと」  「いや、僕の家の夏の家があるんだ」  「あら、飯島君の家の別荘なの」  「そんなに、洒落た物じゃない。小さな堀建て小屋だよ。ただ、海で過ごすために親父が手に入れたんだ」  「優雅だな。やっぱり、飯島君の家って、お金持ちなんだ」  「そうじゃない、本当に小さな小屋のようなものだよ。そこに君達を連れていく。崩れそうな家だから、覚悟はいいかい。夜は幽霊がでるかもしれない」  「私は大丈夫、オカルト映画に行っても、私だけは泣いたことがないんだからね。あとの二人は知らないけど」  「それなら大丈夫だ。君には打って付けかもしれない」  「なんか、楽しみが増えたな。飯島君に声を掛けてよかったわ。こんなに電話で話が出来たし、あしたは一緒に海に行けるなんて」  カラヤンは指揮を終えていた。ミニコンポのCDは終わり、FM放送に自動的に切り替わっていた。FM放送は、天気予報をやっていた。  ーー 南方海上を北上中の台風十三号は、あす未明には、伊豆諸島に到達します。速度を速めながら、その後も北上を続け、明日夕方にも伊豆半島が暴風雨圈に入ります。関東地方も明後日中に、台風の圏内に入り、進路が変わらなければ、夜半から風雨が激しくなるでしょうーー。  「明日は大丈夫らしい」  「ええ」  「いや、台風が来ているんだよ。明日は大丈夫だ」  「そう、では、明日、必ず来てね、それから、皆に連絡を忘れないで」  「君もね」  「おやすみなさい」  「グッド・ナイト」  電話は切れた。僕は、彼女たちを海に誘ったのは、正解だと思っていた。それは、彼女たちが、あの土用波が激しくなってきているだろう湘南の海で、どの様な行動をするか、に密かな興味があったからだ。いつも勉強では、優秀な成績をあげ、男を見下したところのある彼女たちが、僕には慣れ親しんだ湘南の高波とどう格闘するか。それとも、勝負を避けるか。海に入っていて、波と友達になるのか。きっと、再来年は、東大に現役入学し、エリート意識をますます強めるに違いない彼女たちが、自然の力とどう対峙していくのか。僕は試して見たかった。それは、鼻持ちならないという批判を、その殊勝な態度で、巧みに交わしていくに違いない彼女たちの本質を見るために、格好のシチュエーションと思われた。  明日の出来事を想像するだけで、僕は加虐的な快感が湧いてきた。あの頭でっかちの少女たちが、塾でと同じように女王様のように振る舞うことができるかどうか。僕は、冷静に冷たい目で観察してやるのだ。何時もは制服に隠れているむせ帰るような肢体も、海では白日の元に晒される。その生身の彼女たちをじっくりと味わってやろうではないか。高校二年の僕は、生意気にも、そう考えていた。  ベッドに仰向けになって、天上を眺めた。そこには、NBAシカゴ・ブルズの大スター、マイケル・ジョーダンのショットシーンを拡大したポスターが張ってある。  「最高のプレーは、最高の頭脳から生まれる」  僕はその言葉を眠い頭で反芻した。             2  東京駅には、地下鉄で行った。丸の内線の地下ホームから、真っ直ぐに伸びている地下道を通って、広いホールの壁一面にある切符自動販売機で、藤沢までの切符を買った。ホールの真ん中には大きな蒸気機関車の車輪が置いてあって、そのわきが待合室になっている。僕はいつも、この駅に来ると、その待合室の側を通って、そこに屯している人達を観察するのが癖になっていた。全国から東京に集まって来ている人達の縮図が見えるような気がしたからだ。だが、今日は、時間がない。約束の時刻には、駅構内の反対側の地下ホームに到着していなければならないのだ。  僕は切符を手にして、改札を通り抜け、線路を横断する地下道のほうに進んでいった。人の流れがこちらからと向こうからの二手に別れて、澱みなく押し寄せていた。どの人達も、夏の終わりに湿り気を増した空気を身にまとわりつかせて、喘いでいるようだった。台風が来ようとしているために、じっとりと湿気を吸った空気が、生暖かい停滞感をもたらしていた。それに、地下道は狭い。昔は照明も薄暗く、いかにも戦後の復興期の駅の様子(といっても、僕は知らない。歴史の本で見たようなと言うだけだ)とそっくりだったが、近年、綺麗に整備されて、見違える様に明るくなっていた。それは、幼いころに、父母に連れられて、この通路を通った記憶が、蘇ったので、分かったのだ。あるいは、それは、この通路ではないかもしれないが、僕は、こういう閉鎖空間に入ると、かならず、薄汚い生のコンクリート打ちのガード・トンネルを思い出してしまう。  あくせくと黄色人種の男や女や老人や若者の人の波が流れていく脇の壁には、大きなプリントのポスターが張ってあった。黒人女のスーパーモデルが、正面を向いて、白い歯を輝かせながら、微笑んでいた。暗いバックを背景に、ただ、その顔だけが額に汗を輝かせて、笑っていた。それが何の商品なのかはすぐには分からない。その隣りは、ピンクとブルーの淡色のプラスチックのボトルを二本拡大した写真を左に配し、右手にはシャンプーで泡立った髪の毛を両手で挟んだポーズを取った半裸の若い女性が写っているポスターだった。こちらは、何の商品なのかがすぐにわかった。女性は日本人の若いモデルのようだった。いや、若くはないかもしれない。僕は、その潤んだような瞳を、確かテレビの時代劇で見たような気がした。肌がすべすべとしていて、清潔感を感じさせる女優だった。だが、それも、テレビの画面からだから、実際の彼女がそういう肌を持っているのかどうかはわからない。いくらでも、化粧などの人工的な手段で、加工することができる。現代はそういう時代なのだ。化粧を取り、人工的な加工を外せば、がさがさの肌のあばずれ女が現れるかも知れないのだ。この世に信じられるものは少ない。特に、大衆を対象にした商売では、嘘が当然のように罷り通っているのだ。  こう、考えながら僕は人の流れに逆らっているわけではない。あくまでも、流れに乗りながら歩いていくなかで、瞬時に考えたことを、長々と思い出しているに過ぎない。だが、人の脳は、そういう処理を可能にしている。  もう一つ、壁のポスターの記憶の断片があった。最後に見たのは、白人女優が裾まで長く黒い、肌触りのよさそうなイブニングドレスに身を包み、白い背景の前で、カクテルグラスを右手に持って、こちらを向いて微笑んでいるものだった。左側には、英語のラベルを腹に巻いた黒褐色のガラス瓶が配置されていた。ウイスキーの広告なのだろうか。文字がないので、詳しい内容は分からないが、感じでは確かにウイスキーのポスターのようだった。  これらの三つの広告がなぜ、記憶に残ったのかは、僕自身は分からない。ただ、壁に沿って横に多数並んでいたポスターのなかで、その三つが印象深かったのは、いずれも、本来それらが訴えなければならない、商品のためではない。全体的な印象が、そのときの僕の感性に触れたのだ。黒い肌のモデルと淡い色のシャンプーのボトルと時代劇女優とそして、白人のセクシー女優と、その間に何の相関関係もないのは確かだ。だが、それらが、また、なんの脈絡もなく狭い地下道の閉じられた空間に並んでいるのが、現代社会なのだ。  僕の感性は、そういう狭い世界に、そういうポスターが閉じ込められ、いかにも、幸せそうに、反応のない通りがかりの人々に微笑みかけているという、よく考えてみれば異様な空間に反応したのかもしれない。そういう、閉ざされた空間で、いかにも幸せそうに振る舞っているのは、ポスターの中の人間だけではないかもしれない。それを横目に通り過ぎていく人々の方にこそ、閉じた狭い世界があるのかもしれなかった。僕の世界は、たしかに、そうだった。そういう、世界から、すこしでも、出てみようという試みが、今日の小旅行なのかもしれない。  通路は終わって、また、広いホールに出た。そこを突っ切って、なっすぐに進むと、横須賀線と総武線、湾岸線などの深い地下ホームに至る階段とエスカレーターのある場所に行く。僕は、まっすぐに進んで、長いエスカレーターに足を踏み入れた。このエスカレーターを三回乗り継いで行かねばならない。とにかくホームまでは遠い。地下深く作られたプラットホームまで、もし階段を歩いていったら、心臓が破裂するかもしれない。この地下ホームは、エスカレーターがなければ成り立たない現代の異物なのだ。ゆっくりと進むエスカレーターに身を任せながら、僕は考えていた。  (もし、体が不自由な人が、このホームを使うとしたら、どうするのだろうか)  見たところ、最近増えてきた車椅子専用のリフトは整備されていないらしい。エレベーターがあるのだろうか。だが、それは、普通には見つからない。そういう表示もないのだ。あるいは、駅員に話をすれば、その場所を教えてくれるかもしれないが、急いでいたり、ある程度、体力に自信がある身体障害者は、介添人の力を助けに、このエスカレーターに乗ろうとするかもしれない。この長いエスカレーターに頼るしか、地下深くに行く手立てはなさそうだった。健常者でさえ、歩くのは辛いのだから、そうするのは、当然の選択だろう。そんなことを考えながら、エスカレーターを乗り換えていくと、待ち合わせ場所の地下ホームに着いた。その瞬間、僕は、なぜそんなことを考えていたのだろうと、疑問が湧いた。さっきは、ポスターのことで頭が一杯だったのに、今度は、身障者がどうやって、ここまで、来れるかを考えていた。これでは、支離滅裂だ。  この二つの発想には、とこかに、統一性がなければならない、と僕は考えた。それは、あせりでもあった。わずか、東京駅を横断する間に、頭の中の脳細胞に起きた二つの記憶の現象をいかに、統一的に理論化するか。それは、現代物理学の課題となっている力の統一理論の構築と、同じように僕には重要に思えたのだ。  だから、待ち合わせのホームで三島や寺岡、内野を見つけたあとも、僕は考えごとをしていて、彼らの会話は虚ろに聞いていた。三島と中村の二人の女性が乗ってきた白と青のツートンカラーの車両に乗りこんでからも、僕は皆の会話に入っていけなかった。といっても、大した会話があったわけではない。毎日のように夕方、顔を合わせている連中だったし、ここで違うことといえば、いつもは、教室の前と後ろに固まっている男子と女性が、こんなに近くに顔を突き合わせていることだけだった。だが、そういう空間的な身近さが、こういう集団デートでは、貴重なのだ。それなのに、僕は、この空間には、まったく関係がない、ポスターとエスカレーターのことで、頭が一杯だったのだ。  集中した思考の結果は、横浜駅に着いたころに出た。そこに至るまでの違和感は、途方もなく僕を不愉快にしていたが、仲間たちはそれには気が付いていないようだった。  (そうか、僕はそういうものから、逃げなければ行けない)  それが、僕の結論だった。では、「そういうもの」とは何なのか。それは、都会の至るところで牙を剥いている欲望を刺激する誘惑と情報、それに踊らされ、自縛してしまう地下空間のよぅな閉ざされた個性に違いない。僕たちはそういう枠から出ていかなければならない。僕たちは地球の引力に引かれて、落ちてしまう宇宙船と同じ運命を辿っては行けないのだ。僕は、そう強く思った。全てを失ってしまうかもしれないが、それを恐れてはいけない。なにかを手にしようとする努力が、喪失に繋がる場合だってありうるのだ。それが、あの空疎なポスターの空間が、訴えかけていた反メッセージなのかもしれない。大金を使ってあのポスターを制作した人達は、あの作品を見て、そう考える高校生がいることなど、想像も出来ないだろうが。  こんな、哲学的な思考をしたのは、向かっている場所が、なつかしい、あの海の家だからかもしれなかった。あの家には、ある過去の喪失の記憶がこびり着いている。そんなことなど、ここにいる五人の優秀な頭脳を持つ若い鮎たちには、おくびにも出さないが、僕は、その過去の記憶を呼び覚ますために、彼と彼女たちを誘ったのかもしれない。  僕は、思考の果てにたどり着いて、四人掛けの椅子の向かい側に座った二人の少女を見た。千葉方面から乗ってきた三島と中村は、彼女たちが在籍する都内の女子名門校でも同級生だった。二人はいつも一緒にいた。学校でも、塾でも。そして、塾が終わると、一緒に手を取り合って、家に帰るのだった。電車のなかで、新しく分かったことも、僕を驚かせた。なんと、彼女たちは小学校から一緒だったのだ。  「いいえ、その前の幼稚園からね」  と三島よう子が言った。この子は、丸い大きな眼鏡を掛けている。髪は二つに分けて三つ網にして、肩まで垂らしている。かおに雀斑が多かった。まるで、赤毛のアンのようだった。本人も、それを意識しているのだろうか、フリルの付いたハーフ・スリーブのワンピースは、ピンク地に花柄をあしらって、可愛らしかった。裾が広がったスカートの端は白いレースが飾っていた。これでは、高原にピクニックに行くアルプスの少女の装いだ、と僕は思った。隣の窓側の席に座っている中村美智代も、瓜二つの格好をしていた。顔つきが三島より大人びているのと眼鏡を掛けていないのが、違うだけで、着ているものの趣味は似通っていた。ただ、色が違う。こちらは、青系統の配色で統一していたから、ウイーンのホテルのカフェのウエイトレスのような姿だった。やはり、アルプスの少女なのだが、やや高地の住人の感じだ。  この二人に比べて、金井三枝子は、臍だしルックのヤンキーガールの格好をしてきた。既に水着を付けてきたのか、よく膨らんだバストを強調するような、身丈の短い焦げ茶のティーシャツに、洗い晒しのネービーブルーの短パンのジーンズを履いていた。頭にトンボも目のように丸い外国製のサングラスを挟んでいた。電車が揺れるたびに、僕の隣に座った金井の右腕が僕の裸の腕に触れた。僕等男たちはと言えば、僕は上はメジャーリーグの英語のロゴが入った空色のコットンシャツに、下は青のパステルカラーのバーミューダ・ショーツにサンダル姿。寺岡は上は白のテニスウエアに白いショートパンツと白のランニング・シューズの白ずくめ、内野は黄色の開襟シャツの上に灰色のヨットパーカーを首で結んだ暑苦しい姿に、下はダボダボのズボンだった。みんなサングラスを手にしたり、頭の上に掛けていた。向かいの二人の少女を除き、この統一性のなさは、何なのだ。これが、現代のファッションであり、個性というのだろうか。この不統一性は、僕たちの一角だけではない。車内の全てが不統一で、乱雑で、不確実性に満ちていた。僕達の生きている社会は、そういう画一性を基本的に嫌う思想で出来ていたから、それが、人々の姿にも投影している、ということもできたが、それは、裏返せば、不統一で統一されているということであり、戦慄すべき管理の証拠のようにも思えるのだ。僕は、そのとき、  (個性的という無個性、不統一という統一性で、僕たちの社会は成り立っている)  と確信した。そういう目に見えない管理と押しつけから、逃げなければ、人は本当の自由と開放を得ることはできない。僕はそういう思考に引かれていた。  電車が、藤沢駅に着いて、僕たちは下車した。ここからは、小田急に乗り換えて、終点の江ノ島に向かう、構内の時計が九時半を指していた。ちょうどいい時間だ。家の海の家の着いて、海に出るのは十時過ぎころになるだろう。計画通りの行動だった。  江ノ島駅からは歩いていく。海岸沿いに西へ一キロ程行った防砂林の裏に、家はあった。この家を建てた当初は、家のベランダから海が見渡せたが、十年ほど前に、湘南遊歩道と呼ばれる海沿いの道路の脇に東京の老舗のステーキ店が、郊外レストランを建てたため、見通しが悪くなった。いまでは、江ノ島の島影の手前に、終日赤い炎を上げているトーチが何本も見える。それが、この店のしゃれたシンボルマークなのだ。夜になると、火を落とすが、かなり遅くまで燃えている赤い光は、寝鼻には邪魔で、地獄のかがり火のように見えるのだった。そのとおり、僕は小さいころ、この家で地獄のはてを見た時があった。子供心に、小さな希望を喪失したことがあったのだ。  友達五人は、家に入るなり、  「あれ、考えていたより、ずっと、綺麗ね」  と三枝子が言ったのを皮きりに、口を揃えて、いい家だと褒めそやした。僕たちが来ないときには、管理人の老夫婦が住んでいるから、家は築年数の割に痛んでいないのだ。僕たちが来た時には、老夫婦は食事や風呂、寝具の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれる。それだけが、この老夫婦に、賃貸料をとらずに、この家を貸している条件だった。もちろん、滞在の間の食費や燃料費の実費は払うことになっていたが、律儀な夫婦は滅多なことでは受け取らなかった。  「老後を海の近くで過ごしたいという私達の希望が、好条件で叶ったのですから、それだけで、十分です」  と言って、いくら礼をしようとしても、断固として、受け取らないのだ。仕方なく、母は、この家を訪れるときは、かなり高額な土産を買うことにしていた。老夫婦の衣類や好物をたくさん買い込んで、やって来るのが通例になっていた。それでも、老夫婦は勿体ない、と言って固辞し、仕方なく、ただ置いたままにして帰ってくるのが、慣習になっていた。そんなに固辞した老夫婦が、次の夏に行くと、置いてきた衣類を身に着けているのが、幼い僕には不思議だった。それが、大人の付き合いというものかと、思ったのだ。その老夫婦の夫、源太郎さんは、僕と二人きりで、浜に行くと、  「私は和広君が、一人でここにやって来る時を楽しみにしていますよ。お父さんやお母さん抜きでね。そのときは、あんな気使いはいりません。体一つでお出でなさい。気遣いなんかいりません。それでなくても、私達は十分お世話になっているんですから」  といつも言った。  その言葉が本当かどうか、僕はこれまでに試したことはなかったが、こんど、初めて試してみようと思ったのだ。だから、僕等は手ぶらで来た。あの源さんの言葉が、本心を語ったものなのか、それとも、お世辞なのか、僕には判断ができなかった。大人の会話の真実性が、僕はわからなかった。だから、こうして、初めて手ぶらで、この家に来たのだ。  家は一階が庭に面して八畳と六畳の二部屋があり、それが、客間になっていた。奥に台所と風呂、それに便所などがあった。東の端には、洋間があったが、殆ど使われていなくて、ドアーにも万年鍵が掛かっていて、倉庫のような使われかたをしていた。二階には老夫婦が住んでいた。こちらは、六畳の二部屋があるはずだったが、人の居室なので、僕は入ったことがない。  一階の二部屋を使うことにして、荷物を置いた。と言っても、泊まるわけではないから、部屋割りはしなかったし、荷物も、皆、水着を入れたバッグを一つ持っているだけだったから、適当に投げ置いておけばよいのだ。  「ここで、少し、休んで、着替えてから、海に出よう。ボートや浮き輪やビーチボールは、用意したのがあるから、使っていいよ」  僕は、畳に腰を降ろした五人にそう言ってから、源さんにそれらを物置から出してくれるように頼んだ。  二つの部屋の間を襖で仕切って、着替えをした。男たちは、ただ、上着を脱いで、履いてきたズボンを水泳パンツに履き帰ればいいから簡単だったが、女子はすでに水着を付けてきた三枝子以外の二人は、重装備のワンピースを脱いでから、持ってきた水着に変えなければならないので、時間が掛かった。それに、長い髪の毛を纏めたり、日除け止めを縫ったり、隣りの部屋からその慌ただしさが、聞こえてきた。  だが、とにかく、皆、水着になった。女の子たちが、  「さあ、お披露目よ」  と言って、舞台の幕を上げるように、仕切りの襖を開いたあとで、僕等は目を白黒させていた。  三島は、着ていた洋服と同じピンクの、そして、中村はやはり、ブルーの超ビキニ姿で、僕等の前に姿を現したのだった。二人の間に立っている金井三枝子は、ティーシャツと同じ茶色のツーピースの落ちついた水着だった。みんな、十七歳の年頃の健康な体をしていた。上着にくるまれていた若い肉体は、外から見るよりも、成熟していた。女性として出るべきところは、しっかり出ていて、括れるべき所は、滑らかに括れていた。胸も腰も尻も、彼女たちは、その頭脳と同じように、何者にも、妨げられずにしっかりと成長したのだ、とその肢体は語っていた。  同じ年の僕たちには、その姿は光々しかった。ひよわでまだ、力仕事をする大人の筋肉を得ていない僕たちの肉体は、彼女たちに比べ貧弱に思われた。僕たちが、彼女たちの肢体を見て、思わず、すぐに目を逸らさせたのは、そういう劣等感によるものだったにちがいない。彼女たちは塾での成績も優秀だった。ここにいる男三人と比べると、その差は歴然としていた。それに、この肉体ときたら。僕等男たちは、身を寄せ会って、これからの海での遊びで主導権を発揮できるかどうかを、訝っていた。  だが、ここは、僕の家だ。僕が先導しなければ、誰も先に行くものはいない。  「さあ、いこう」  僕は皆に声を駆けて、家を出た。管理人の奥さんが用意してくれた昼飯のお握りと水筒を貰い、それぞれに、浮き輪やボール、ボートに空気入れを持って、浜に向かった。  海はもう土用波が立っていて、高い波が寄せてくるためか、浜に上がって甲羅干しをしている人達が多かった。沖には、ヨットが出ていたが、その付近まで、泳いでいっている人はいなかった。浜の近くに黒い海水帽が幾つか浮かんでいた。その多くは、家族連れの子供たちだ。若い男女は殆どが、浜に敷いたシートやパラソルの下で、惰眠を貪っていた。時折、何方かが相手に手を出すと、その手を掴んではじゃれあったり、若い大人のカップルがすることは、ワンパターンだった。  僕は、浜に出て、軽く準備体操をした。皆も、勝手に体をほぐした。そうやって、念入りに準備体操をしたのは、沖に出ていくつもりだったからだ。僕は、この海には慣れている。沖に出ても怖くない。何処がどのくらい深く、波の下の何処に岩があるかも知っていた。いつも素潜りで、そういう秘密の場所を見つけるのが、海に出る楽しみだったのだから。  僕は、三人の女の子と二人の男友達を前に、  「これから、沖に出るけど、皆、大丈夫だろう」  と聞いた。泳ぎに自信がなければ、沖には出られない。あの立派な体を見せつけて、僕たちをたじろがせた女の子たちが、果たして、沖に出ていけるか。僕は、男としての主導権を握り、彼女たちを試してみたかった。聡明な彼女たちのことだ。無茶はしないだろう。でも、自信があればこの挑発を避けることはないだろう。  「いいわよ、どこまでも、付いていくわ」  と真っ向から受けて立ったのは、一番おとなしげで、口数も少ない三島よう子だった。 「中村さんも行くでしょう」  よう子は、そう付け加えた。  「大丈夫かい。本当に」  僕は念を押した。  「それは、勿論よ。私達、これでも、記録を持っているんだから」  中村が口をとんがらせて、言った。  「どういう、記録だよ」  寺岡が聞いた。  「遠泳の中学記録よ。これでもスイミングクラブに五年も通ったんだからね」  三島が胸を張った。まったく、人は見掛けによらない。あの、強度のトンボ眼鏡を駆けた弱視気味のひ弱そうな三島が、そんな泳ぎ手なのか。僕は愕然となった。  「わたしだって、遠泳は得意よ。パパが大学の水泳部だったから、小学生のころから外房で泳がされたの」  中村が追い打ちを駆けた。  そういうやり取りを、沈んだ顔つきで聞いていたのが、金井と内野だった。  「わたしは遠慮する。自信がないから。浜近くで泳ぐわ」  「おれも、止めておくよ。はっきり言って、水泳は苦手なんだ。おれには、数学と同じくらい、苦手なんだ。わかるだろう、この意味」  内野が言うと、夏の講習で数学の出来が悪くて、先生にどやされた時の彼の四苦八苦の姿を思い浮かべて、皆、笑いながら、納得した。  「よし、じゃあ、四人でいこう。俺が、先頭を泳ぐから、順番を決めて付いてこいよ」  「飯島君、追い越すかもしれないわ。その時は、悪く思わないでね」  三島が生意気なことを言ったが、僕は無視して、海に入っていった。  足が付かなくなってから、徐々に水温が低くなった。大勢が泳いでいる浜近くから、江ノ島の方に遠ざかって行くと、波が落ちついてきた。多分、離岸流に乗ったのだろう、それほど、苦労せずに、沖に出ることが出来た。もし、泳ぎが達者でなかったら、この水の流れは、危険なのだ。急速な水流が、一気に、浜で泳いでいる人を沖に持っていくことがある。それが、時に秒速二メートルを超える離岸流の怖さだった。 だが、沖の青い海の表面は、小波が立つ程度で凪でいた。三島は、豪語したとおり、達者な泳ぎで、僕と平行して泳いでいた。その後ろを中村が付いていく。僕の後ろには寺岡が泳いでいた。みんな、離岸流を巧みに交わし、ここに来ていた。青い海の表面は、小波が立つ程度で凪でいた。三島は、豪語したとおり、達者な抜き手で、僕と平行して泳いでいた。その後ろを中村が付いていく。僕の後ろには寺岡がぴったり付いてきた。  沖に出てから、僕は上向きになって、背泳を始めた。こうしていると、青く広がった夏の空が、果てしなく広がってみえる。海に浮かんで、波に身を任せながら、空を見ているのは、格別の気分がした。こうしていて、僕は、よくドヴォルーザークの交響曲ホ短調「新世界から」の最初のモチーフを聞いた。広大は空間に、無限の希望を抱いて臨む時、この曲が、最も相応しい感じがしていた。気持ちが高まり、そして、癒される。海の上にはその何方もあったが、さらに、危険も存在した。海の上をとどまることなく漂流して、帰るのが不可能な沖に出てしまうのが、一番危険だった。  僕たちはその限界点にまで来ていた。女子二人にどんなに泳力があっても、限界はあるのだ。僕が、彼女たちの限界だ、と見ている地点まで、僕たちは来ていた。もし、ここで、体の異常が突発したりしたら、事故が起きる危険もある。  「どうだい、もっと沖にいくかい」  僕は、二人の女の子に大声で聞いた。  「いい、もういいわ。わたし、溺れたくないもの。折角、一度、助かった命だし」  「えっ」  三島の一言が聞き取れなかったので、僕は、もう一度聞いた。  「だから、わたしは、二度と命を危険にさらしたくないの。帰りましょう」  言いなおした言葉はきっぱりと鋭かったので、良く聞こえた。引き帰そうと言っているのだ。  「わかった。戻ろう」  僕は決断し、浜に向かって、戻ることにした。彼女が言った一言が気になったし、たしかに、もうかなり、陸地を離れていて、帰るべき地点に来ていたのだ。  岡に上がってから、僕は三島に再び、聞いた。  「一度、助かった命、とか言ったようだけど」  「ええ、本当よ」  タオルで濡れた髪を拭きながら、  「そう。私、小学校のころ、死にかけたの。車に轢かれそうになってね。でも、ある人のお陰で助かった。私を助けて、その人が身代わりになって、大怪我をしたの。いまでも、体が不自由なのよ。足がびっこになってしまって。でも、その人は、そのことを気にしていないようなの。僕の足がちんばになったって、一人の命が救われたんだから、それでいいんだって、言うのよ。私その人を一生、大事にするわ。私が、こんなになんでも頑張れるのは、救われた命があればこそだもの」  と落ちついて話してくれたのだった。  浜で待っていた三枝子と内野は、所在なげだった。二人で、泳ぎに行ったかと思えば、持ってきたパラソルの下に寝ていたのだという。他の若いカップルと変わらない過ごしかただ。  「よかったろう。恋人気分で」  遠泳にすっかり疲れ切って、機嫌が悪かった寺岡が、内野を揶揄した。  「まあな、それが、泳げない者の楽しみだよ。金井さんとこうして二人きりで過ごせるとは、思わなかった」  内野ははにかみながら、顔を赤らめた。  「そうね、わたしも、よかった。もっと沖にいればよかったのに」  三枝子が僕の顔を見つめながら、詰るように言った。それは、僕と彼女との特別の親密さを他の人に感じさせるような言い方だった。それも、仕方がなかった。僕と彼女とで、この海行きは企画され、先導されたのだから、皆も、それは、分かっているはずだった。だが、この僕に媚びるような言い方は、嫌な感じだった。家に電話を掛けて来たときから、感じたことだが、三枝子は、僕をそういう関係に引きずり込みたいらしいのだ。そう意図しなくても、そういう成り行きが、彼女の心のなかに描かれているような感じがした。  そして、それは、現実になった。  日が西の山塊の縁に落ちて、僕たちは腹が空いたので、遊歩道沿いの「リンガーハット」で長崎チャンポンと皿うどんを食べた。もう、海水浴の人達は、すっかり少なくなり、夕闇を待っていた恋人たちの乗った車が駐車場を満たしはじめていた。  「今日は楽しかった。久し振りに、思い切り水の中で体を動かして、気持ちがいいわ」  泳ぎの得意なのを見せられた満足感もあって、三島と中村は食欲も旺盛だった。すでに、家に帰って風呂に入り、着替えをすませていたから、彼女たちは来たときの高原の少女のような格好に戻っていた。丸い大きな眼鏡をしたガリ勉の女の子のようだが、その中身は違うことが、今日はよくわかった。彼女たちより、活発で外向的に見える三枝子がそう泳げないのも意外だった。そのうえ、三枝子は、帰る用意をしなかった。僕が、源さんの。「久し振りだから、ゆっくりしていきなさい」との誘いを断りきれずにいたとき、「そうだ、お嬢さんもよかったら、一緒に泊まっていきなさい」と三枝子を声を掛けたのを真に受けて、外泊するつもりいるのだ。源さんは、あの年だから、人の気配を見るの長けている。僕と三枝子の親密そうな会話を聞いて、気を回したのだ。  食事が終わり、帰りがけに、僕は三島に聞いた。  「さっき、浜で話した君の命の恩人は、どういう人なの」  「同い年の小学生よ。家の近くの、当時、五年生だった」  僕は、そのひと言を聞いて、愕然とした。てっきり大人だと勝手に思っていた。お父さんくらいの大人が子供の命を救って、自分が命を落とすということは、ないことではない。だが、それは、僕と同じ年の子供、いや、今ではもう子供とはいえないかもしれないが、すくなくとも当時、小学五年生の子供が、同じ年の少女の命を救ったのだという。僕には想像もできない、究極の自己犠牲ではないか。  「じゃあ、話題になったろうね」  「いえ、そういうことは、いやだと言っていたから、表には出なかったわ。でも、学校と警察が表彰するということになったの。それでも、彼は辞退したから、何の栄誉も受けなかった。もちろん、私の家でも、お礼をしたかったんだけど、母子家庭のお母さんも彼も固辞されて、結局、言葉でお礼をしただけになったの」  「彼はどうしているんだ」  「あなたの学校の同級生だと思うわ。とても、勉強が出来たから、お母さんは無理して、私立に入れたと言っていたから」  僕がそういう話をしていたとき、三枝子は、内野と親しく話していた。  そして、店の前で別れ際に、  「当分会えないかも知れないけど、皆元気でね。また」  と謎の言葉を残して、手を振った。僕は三枝子と一緒に、二人で、家に戻った。    夜になると空気が生暖かさを増してきた。夕食を済ませてから、僕たちは縁台に座って空を見ていた。源さん夫妻は、夕食を終えると、早々と二階に引き上げていった。それも、彼らのささやかな思いやりだった。明るい閃光をあげて、空の暗闇が時々、明るくなる。浜沿いのどこかの町で、夏の最後の花火大会をしているのだ。三枝子も僕も寝着は持ってこなかったから、昼間の姿のままだった。風呂に入ったとはいえ、汗の匂いがした。その匂いは、でも、心地よかった。男にとっての若い女の匂いは、個性によって違うのだろうか、それとも共通したものがあるのだろうか。経験がない僕には、分からなかったが、そのときの三枝子の匂いは、僕の鼻孔を通って、真っ直ぐに脳天に向かい、直接、大脳皮質の快感を刺激した。三枝子が、空を見ながら、僕の肩に肩を寄せ、  「ねえ、こうして二人きりになれるなんて、思わなかった」  と言ったとき、僕の下半身は反応し始めた。僕は、三枝子の方の足を反対側の足に乗せて組み、その状態を三枝子に悟られないようにしたため、不自然な格好になった。そういう姿勢は逆に上半身を三枝子の方に近寄せ、体が密着した。  「わたし、飯島君のこと、和君て呼んでいい」  「ええ」  僕は突然の申し出の意味が分からなかった。  「そうすると、話しやすくなるわ。なんでも」  「いいよ」  「あたし、和広君を初めて見たときから、素敵だなって思った。背が高いし、優しいし、頭もいいし。わたし、ずっと、女子校だったから、男の同級生を知らないの。でも、それでいいんだ、と思っていた。男なんて不潔だと思っていたこともある。だって、女子だけで何の不自由もないんですもの。女の独り暮らしは、難しくない。男に比べたらね。そう思うわ」  三枝子が僕の手を握った。  「僕はずっと、男子校だった。でも、女の話はしたよ。いい女を見たら追いかけるのが男だよ」  「わたしは、どう。貴方に似合った女かしら」  「そんなこと、まだわからないよ。まだ、十八歳なんだぜ」  「でも、法律上も、結婚できるのよ。している人だっているじゃない」  「している人を知っているのか」  「いいえ。でも、いると言うわよ」  「まあな、でも、俺たちの回りにはいない。今は、みんな、自分の将来を見つめている時だ」  「そうね、じゃあ、あなたはどういう将来を見ているの」  「わからない。君はどうなんだ」  「たぶん、このまま行けば、東大に入って、官僚か法律家になるわね」  「それは、自分で選んだ道じゃないだろう」  「たしかにね、それは、確実にそうだわ。お母さんとお父さんの希望よ。でも、最近は、それでいいんじないか、と思うようになってきた。父母を喜ばせるのは、娘として気持ちがいいことよ」  「だから、いい成績を取るんだ」  「半分はね、でも、私にも闘争心というか、競争に勝ちたいという欲求があるわ。それに、良くできたと褒められるのは嬉しいし」  「じゃあ、自分のために頑張っているんだ」  「そうでもない。もし、人がそれぞれの違った能力を持って生まれて来ているとしたら、その能力に従って、社会に貢献すればいいんじゃないの」  「それは、正論だ。だが、全てがそのとおりに行くわけじゃない」  「だから、私達は、与えられた知的能力を生かすために、難しい受験に挑戦して、東大に行くのよ」  三枝子は、自分の将来に何の疑いも抱いていない。暗闇を照らす三か月のうす暗い光に照らされた瞳が、光っていた。  「なにごとも、疑いを抱かない人生は単純で幸せだ」  「和君は、どうするの」  「それが、分からない。君達と同じ塾に通っているんだから、たぶん、東大を受けるだろう。どこを受けるか、それによって、人生も変わって来る。それは、自分の選択だが、本当はそうでもないんだな。たとえば、具体的に、僕が医者になりたくて、理三を受験したいと思っても、学力がなければはいれない。最難関だからね。ということは、結局、俺の人生は偏差値に左右されるということではないか。たぶんそうやって、人の人生は決まっていくんだよ」  「それは、安田先生も言っていたわね。おれは、医者になる積もりなんかなかったが、全国模試で成績が抜群によかったから、先生に理三も受かるかもしれない、と言われた。ギャンブルだったが受験して、たまたま受かったんだ。それで、医者になることになった。本当は、数学者になりたかったのに。いまでも、解剖の実技は耐えられない。おれは、血を見ただけで卒倒しそうになるのに、と言っていたわ。成績が良かったばっかりに、したくない、嫌なことをしているんだわね」  「そうさ。だから、俺たちはもっと強くならなくてはいけないんだ。もっと、自分自身に問いかけて、自分が何故生まれてきたか、何故生きているのか、と考えなくてはいけない。この世で何が出来て、何をしたいのかを、しっかりと掴み取りたいのに、できないんだ。おれたちは、そうしたいのに、大人たちは、そんなことはいい、受かってから考えろ、と言って避けている。敷かれた道を行けばいいんだ、という。俺たちはこの社会に対して、自分の能力と個性で何かしたいのに」  「だから、私達と同じ世代の女子高校生が、援助交際したり、ルーズソックスを履いて、茶髪で大人の男と付き合うのかしら。お金が欲しいだけじゃないみたい」  「そう、彼女たちは目的を持っていない。生きる意味を確認できていないんだ。そして、考えようともしない。だから、救いがない。そこに大人の金銭的利害が絡んで、いいように大事な魂を売っている」  「わたしたちは、少なくとも考えている。いや、そうでもないか。考えずに、ただ、勉強だけに打ち込んでいるのかもしれない」  「三枝子は、ああいう格好をしてみたいとは、思わないのか」  「一度もないわ。でもああして、奔放に生きて見たい、という気持ちはある。異性に対する欲望には、彼女たちと変わりがないもの。それが、自然に健康に育ってきた十八歳の女の自然な姿よ。だから、キスして」  三枝子は突然にそういい、顔を寄せてきた。  僕も自然に唇を寄せて、三枝子の小さな剥き出しの、生の唇に重ねた。甘美な快感が、体を走って脳髄に達し、さらに下って、下半身に走った。その部分は、一気に硬直したが、もう足を組むのはやめていた。足を組んだ体勢では、三枝子の体を支えられなかったし、いつまでも、足の筋肉で押さえつけておけるほど、硬直した部分は、弱くなくなっていたからだ。僕は、三枝子の体を両腕で抱えて、さらに強く、唇を押しつけ、空いていた三枝子の右手を僕の硬直した部分に導いた。三枝子は自然に従い、右手で僕のズボンの上から、その部分を握りしめた。そうして、ずっと、静止していた。  暗い空で、明かりが弾けた。そのすぐ後に、大きな破裂音がやって来たのを聞いてから、二人は体を離した。そして、三枝子は、明るく輝く空からの微光を受けた僕の顔を、開ききった瞳で見つめながら、  「大きくて、逞しいのね。男の人って」  と呟いた。僕は黙って、昂然としていた。  「よかった、思い出ができて。わたし、暫く日本を離れるから」  「なんだって、それは、どういうこと」  「オーストラリアへ短期留学することになったの。公費留学の試験に受かったのよ。九月になったら、すぐに行くの」  初耳だった。そうなのか、三枝子だって、こうして、しっかり自分の人生の計画を進めているではないか。それに比べ、僕は、なにも決められないで迷っているばかりだ。  「だから、思い残すことはないようにしておきたかったの。なにがあるかわからないしね。飛行機が落ちて、死ねかもしれないし」  そうか、思い残すことがないように、彼女は僕を誘い、こうして、自分の欲望を満たしたのか。僕とこうなることを、彼女は計画して、そのとおりに実行したのだ。  「これで、思い残すことはなくなったかい」  僕は残酷に聞いてみた。  「そうね。今年の夏は、そうなりたいと考えていた。そうなったから、そうかも。手紙を書くわね」  これからの人生も、すべてが、彼女の思いどおりに運ぶだろうか。そうはならないのが、この世だという気がする。だが、そうなるかもしれない。これだけ、計画的で、周到な女性なのだから。彼女の知性が、それをやり遂げるのに役立つに違いないと、僕は、その夜信じた。              3       以上が去年の夏の思い出だ。僕がこれを思い出したのは、青春時代には誰にでもある経験だろうが、僕には忘れられない貴重な体験だったということのほかに、海で聞いた三島の告白に登場した同級生の男を、あの島田俊介だと確信したためだ。  三島は、その命を恩人を、  「あなたの学校の同級生だと思うわ」  と言っていた。同じ学年で足が悪くて、びっこを引いているのは、島田しかいない。僕は、それ以来、島田に強い関心を抱くことになっていたのだ。  桜の季節が終わると、生徒たちは高校時代の最大のイベント、六月の大運動会の準備に突入する。各人がそれぞれ、何らかの職務を担当し、全力を注ぐのだ。僕は、二年生係と旗手に選ばれた。各組ごとに色分けしたチームに入り、学年を縦に割ったチームで対抗し、各競技の得点を争うのだ。そのため、最上級生の三年生は、チームの勝利を目指し、全力を注ぐ。後輩の二年生の面倒を見て激励し、組の印の色分けされた旗を持つのが僕の仕事となった。これが、高校生生活最後の短い季節を、思い切り楽しもうという姿勢が、この狂気の運動会を支えていた。これが終われば、三年生は一斉に受験準備に入るのだ。  島田は、体のハンディーもあって、活動的な係は無理なのか、大看板を描く係に自ら立候補していた。応援看板はこの運動会の名物で、多彩なデザインと色彩を各組とも競っていた。島田は、その制作係になったのだが、皆がそういう運動会の準備に打ち込み始めた五月のある日に、事件が起きた。それは、些細な窃盗事件だったのだが、一人の同級生の退学に破門を広げ、その事件の渦中に島田がいたのだ。  運動会を控えた体育の時間は、各種目の練習に割かれていた。三年生は毎年、棒倒しをすることに決まっていた。長い竹の棒を支える防御組と倒しに掛かる攻撃組とに別れて、本番そのままに、練習を繰り返した。激しい体のぶつかり合いがあるから、皆、分厚い肉布団を着ている。これは、一年生のときの俵運びの種目でも、体の衝突があるので、一斉に作ったのをそのまま使っている人が多い。母親たちは、この防護服を作るのにアイデアと裁縫の腕を競っていた。密接な情報連絡と収集の結果、作り上げた努力の塊なのだった。  その防護服を付けての最終練習の日に、クラスの全員が教室を出て授業を終え、帰ってきて制服に着替えたときに、何人かが、服のポケットに入れておいたり、鞄に入れていた財布が無くなっているのに気が付いた。そういう金品の紛失事件は、これまでも、ぽつりぽつりと起きていた。CDプレーヤーやMDプレーヤーなどの高級な所持品が無くなったこともあった。だが、連続的でなく、被害者も一人ずつだったから、皆、おかしいと思いながら、自分で忘れたのかと考え直したりして、表沙汰にはならなかたのだ。第一、クラスの友達にそういう悪さをする人がいるとは考えたくなかった。人を疑うことは、自分も疑われることだと、誰もが思っていたのだ。そんな波風を、だれも起こしたくはなかった。平穏無事に毎日を過ごし、無事三年間を過ごし、卒業できればいいのだから。  だが、今回は様子が違った。同じクラスの五人もが、一斉に財布や金がなくなった、と言いだしたのだ。それは、一組の事件だったが、噂は直ちに、僕のいる四組にも伝わってきた。被害者の話し合いで、被害を確定し、先生に報告しようと言うことになった。その報告の前に、なぜ、なくなったかを、思い出してみよう、と提案したのは、山田だった。彼は言った。、  「僕は教室を出ていくとき、鞄にいれた財布を確認した。だから、体育が始まるまでは、鞄にあったのだ。皆、そうじゃないか」  他の四人も同じだった。そういう事件が起きているという噂は皆、聞いていたから、用心はしていたのだ。  「そのあと、最後に出たのはだれだい」  「それは、鍵係の島田に決まっているよ」  皆が、島田を見た。  「とすると、なにか、彼が知っているんじゃないか。彼が、しっかり戸締りをして出ていれば、だれも、教室には入れないだろう」  皆は島田の席に集まって、最後に教室を出たときの様子を聞いた。  「いつものように、だれもいないのを確認してから、教室を出たよ」  島田は、頬を緊張させながら、きっぱりと言い切った。  「となると、合鍵を持っている人が、いるのかな」  「それは、考えられない。そこまでして、盗まないだろう」  合鍵まで作って、狙っているのだとしたら、プロだ。プロの窃盗犯が学校に出入りしていることは考えられなかった。プロが狙うほど、高校生の財力は豊かではない。  そうは、考えたくないが、どうしても考えられるのは、級友がそういうことをしているという、考えたくない事態だ。  「それ以上は、俺たちでは解明できない。とにかく、大量な被害が出たのだから、担任に話そう」  山田らは、そう決めて、クラス担任の教師に、被害を報告した。  学校側も短時間の連続被害に、危機感を強めたのだろう。これまでも、そういう類の報告は受けていたから、対策を講じなければいけない、考えていたところだった。  担任は、最後に教室を出た鍵係を、呼んで事情を聞くことにした。島田が呼ばれて、応接室に言った。  この事情聴取は長い時間がかかった。島田が何かを隠しているらしいことは、最初の山田らの質問を受けたときの雰囲気で、うすうす、分かっていたから、全てを話させるために、時間が掛かったのだろう、と友達たちは推測した。  長い聴取を終えて、教室に帰ってきた島田は、疲れ切った表情で、机に突っ伏すと、大声を上げて、号泣した。しばらく、泣いたあと、  「皆に、迷惑を掛けて申し訳ない。今日はこれ以上、学校にいる気分ではないから、失礼する」  と宣言して、よろよろと立ち上がり、ズック鞄を肩に掛けて、教室を出ていった。みなは、唖然として、見送った。そういう、行動から、  「島田は、何かを知っているんだ。それとも、彼がやったのかな。そうとしたら、何故なんだ。彼は金に困っていたのか。なにか、買いたいものがあったのかな」  級友たちは憶測したが、  「あの彼が、そんなことをするわけがない」  という意見では一致した。毎日、彼が非常な努力をしている姿をみているし、その成果も知っていたから、そういう犯罪行為をするとは、想像もできなかったのだ。第一、彼は、世界数学オリンピックで金メダルを獲得したチャンピオンなのだ。オリンピックの金メダリストが、破廉恥行為は決してしないと世間から期待されているように、彼もまた、最高のモラリストと見られていたのだ。  教師たちが、合意した対策は、ラジカルだった。この学校の校風は、一見、謙虚で謙譲的態度を取りながら、合理的な思考で達した結論を実行するのに、憚らない点に一つの特徴があった。  「今度の体育の時間に、犯人を罠に掛けよう」  というのが、対処策だったのだ。要するに、現行犯で捕まえ、否定しようのない形で、事件を一挙に解決しよう、というのだった。そうなれば、予想される犯人の生徒は、前後を阻まれて、進退極まるだろう。そういうシチュエーションに持ち込んで、過去の犯行も追及しようというのだ。プライドの高い生徒とその両親なら、もうその時点で、退学を申し出るに違いない。学校から処分を出すには手間がかかる。何度も会議を開いて、検討を重ねないと行けない。場合によっては、警察に立件してもらう手間をかかる。それでは、面倒だ、と考えたのも無理ではない。自主的退学なら、そういう生徒を出したという不名誉を避けられるし、校名に疵が付く恐れもない。一番、いいのは、本人のため、という理屈で、自主退学してくれることなのだ。  その罠は、次の週の体育の時間に仕掛けられた。囮になったのは、島田だった。それを説得するために、先週の事情聴取は手間取ったのだった。彼は多分、強く反対したのだろう。  「級友を罠に落とすようなことはできない。事件を公にして、犯人が自首するようにしたほうがいいのではないのか。そのほうが、反省を促せるし、教育的ではないだろうか」  とでも主張したのだろう。それを、覆えさせるために、時間が掛かったとしか、思えなかった。  だが、とにかく、「作戦」は実施された。  これまでも不審な行動を取っていて、目を付けられていた生徒が、一人いた。彼は先天的な無毛症で、子供のころから禿げていた。それが、彼の心のなかでは、コンプレックスになっていて、それをバネにこの学校の入試に挑み、成功したのだった。だから、合格の瞬間に彼は、達成感を味わっただろうが、その後、彼と同じ程度の秀才はたくさん居ることがわかって、今度は、もっとひどい挫折感を味わうことになった。頭の毛がふさふさとして、彼より体格の立派な級友が大勢いることを、知ったのだ。  島田は級友が皆、グラウンドに出たのを、見届けて、鍵を掛けて、部屋を出た。そのとき、教師らは、教室を見通せる戸外の壁の陰や天井に身をひそめて、無線で連絡を取っていた。教室に不審な人影が見えたら、ただちに、待機した生活指導の教師数人が踏み込む算段だった。  案の定、疑いを持たれていた生徒が、姿を現したのは、生徒たちの姿が消えてから十数分後だった。背の低い人陰が、教室に現れて、机の間を物色して歩いているが、外からも見えた。ただちに、待機の教師が踏み込んだ。教室の出入口の鍵は、しっかり掛けられていた。そのかわり、廊下通路側の壁の下の通風口が、開いていた。ここは、普段は閉じられているが、背が低い者なら、引き戸を引いて、通ることができた。思わぬ通り道があったのだ。短身の彼は、その通りかたを知っていた。  「おい、何しているんだ」  踏み込んだ教師の問い掛けに、彼は、呆気なく、犯行を自供した。そのとき、彼は、既に、三人の生徒の財布や金品を手にしていた。逃れようのない証拠だった。島田は、その日、体育の授業には参加せず、教室を出たあと、柱の陰で、この捕物劇の全てを見ていた。そして、「やはり、そうだったか」と頷いた。  犯人の生徒は、この事件をきっかけに、予想どおり、退学届けを出して、折角入ったこの学校を辞めていった。その後、両親の配慮で、英国のプライベートスクールに留学したという話が流れてきた。彼のためには最善の選択が行われたらしい。  この事件が落着してからも、島田の様子は変わらなかった。体育の授業も、足を使うボールゲームや陸上などには、参加しなかったが、器械体操は得意で、鉄棒の大車輪が出来るのは、彼だけだったのだ。上半身と腕の強さが、その種目を得意にしていた。何も変わらない彼の姿を見て、僕は、あのような事件の渦中にいたのに、その心理的影響はないのだろうか、と訝った。あの事情聴取で、なにが話されたのかも知りたかった。僕の持ち前の好奇心が、鎌首をもたげて、島田の心の真実を知りたがっていた。事件のことも、教師との話のことも、彼は全く話さず、寡黙になっていた。いつも、休み時間に机にへばりついて、考えごとをしている島田の姿が、以前よりも寂しげに見えた。    春の大運動会は、毎年のことで、なにも変わったことは、なかった。僕たちは果敢に戦い、勝利の歓びに笑い、敗戦の悲しみに涙した。青年たちは汗に塗れ、土に汚れて、力を尽くし、巨大な潜在的エネルギーを爆発させた。これも、恒例だったが、丘の上の会場は女子高校生で賑わっていた。金井三枝子も来ていた。彼女は、昨秋の豪州への短期留学を終えて、帰国していたが、僕との関係はなにも進展しなかった。塾では、むしろ、よそよそしげになり、話も交わさなかった。それは、夏休み明けの組分けで、彼女がAクラスに入れなかったのが、大きな原因かとも思われた。同じクラスでないのだから、会うこともないのだ。運動会には、今のクラスの男子生徒に招かれて、来たのかも知れなかった。  オーストリアからは、「元気で勉強しています。お変わりないですか。ではまた」と書いた絵はがきが来ただけだった。彼女は、留学に行く前に、僕とのことで目標を持っていた。それを、達成したから、もう興味がなくなったのだろう、と僕は考えた。彼女の真意は分からないが、何事にせよ、僕は自然体なのだ。そういう風に流れがいったのなら、なにも無理をすることはない。成り行きでいいのだ。だから、三枝子のことは気にならなかった。  それより、三島よう子のことが、気になった。彼女も来たに違いない、と僕は彼女の姿を探した。彼女が命を救われたのは、島田だったのかを、確かめたかったし、そうならば、彼女から島田のことをもっと、聞きたかった。  演目の間に、三島を探した。だが、体をぶつかり合うような見物人の多数の中から、少女一人を探しだすのは、困難だった。僕は、彼女のほうが、こちらを探しだしてくれるのを、待った。僕は、組の旗手をしていたから、観客からは、目立つはずだった。  一連の応援斉唱が終わって、僕は応援席の所定の位置に戻って、二年生を世話をしていた。そのとき、後ろから、聞き覚えのあるメゾ・ソプラノの高い声が聞こえた。  「飯島君、こんにちは」  後ろを振り向くと、思った通り、三島よう子が立っていた。今日は、随分ドレッシーなファッションをしていた。柔らかいドレープが裾まで長い、薄地のグリーンのワンピースが、爽やかな印象だった。  「来てたのか。友達は」  「いいえ、今日は一人で来たの」  「そんな恰好をしていると、勿体ないよ。ここは、男の格闘の場だから、すぐ汚れてしまう」  「いいの、ちょっと、飯島君にお願いしたいことがあるんだけど」  「僕で、いいなら、言ってみてよ」  「ほら、この前話した、私の命の恩人ね。もうずっと、会っていないから、会いたいの。よかったら、紹介してくれない」  「ずっと、会ってないのか。それじゃ、分からないんじゃないか」  「ええ、彼方は私のことをすぐには、分からないかもしれない。でも、私は絶対、分かるわ。どんなに変わっていようとも、私の命の恩人ですもの。私は一日たりとも、忘れたことはない。こうして、生きていられるのも、全ては、あの人のお蔭だから」  「ずっと、会っていないのかい」  「そう、ほら、彼、全てを辞退してしまったし、お礼の手紙も何度も出したけど、簡単な返事が来ただけよ」  「でも、僕の知っているやつが、その人だという確証はないんだろう」  「だから、頼んでいるのよ。その人を見て見たいの。それで、間違いなくその人だと、分かったら、紹介して、お願い」  僕は、頼みを了承した。そして、ただちに、応援席を出て、島田がいるに違いない、斜め横の紫色組の応援席に、彼女を連れていった。島田が、何時も真ん中の席にいるのは、知っていた。斜めに傾斜した板が張ってある応援席の、予想したその場所で島田は大声を張り上げて、味方を応援していた。  「ほら、あの大声を上げている男だ」  三島は、僕と入れ代わりに前に出て、爪先立ちで背を延ばして、僕が指し示した方向を見た。  「ああ、あの小柄な人ね。そう、あ間違いないわ。顔の輪郭がそっくりだし、太い眉毛と大きな額が、忘れもしない、私の恩人だ」  「そうか、じゃあ、待ってろよ。いま、呼んできてやる」  僕は人波をかき分けて、応援席に行き、島田に、  「君にぜひ会いたいという人がいる」  と伝えた、島田は僕の後ろに従って出てきた。三島がその様子を見ていて、応援席の後ろの広い空間に下がっていった。応援看板の裏だから、そこは僅かな人のいない空間があって、話がしやすそうだった。  「ほら、連れてきたよ。こちらが、島田君だ。こちらはわかるかい」  すっかり、シンプルに装った女性の姿を見て、島田は始め、怪訝な顔をしていた。遠く記憶を辿るように無口で、彼女の顔を見つめていた。  「この人は君を恩人だと思っている」  「ああ、そうか。粗忽な女の子だ。なんて言ったっけ。おれと似た名前だったな」  「はい、三島と言います。小学生のとき、交通事故に会いそうになって、あなたに助けられた」  「ああそうだ。あの子だね。こんなにいい女になったのか」  「島田さんだって、立派な高校生に」  そう言ったあと、三島は、島田の下半身に目をやり、  「体の具合は如何ですか」  と小さく聞いた。  「ああ、もう固まって、このままにしてあります。これで、不自由はないしね。医者は、手術で正常に直ると言うんですが、それには時間とお金もかかる。直すために長期間、学校を休みたくないし、第一、これは、自分で直して見るつもりなんです。それまでの、お預けというところですよ」  島田は快活に語った。この話から彼が、医師になろう、と考えていることが分かった。しかも、自らの手で手術を自分の不自由な足に施そうというのだ。この学校で、成績優秀な生徒が医師になろうとして選ぶのは最難関の東大理三の入試だ。だからこそ、彼は必死の勉強をしていたのだ。休み時間にも彼が机を離れないのは、一概に体のためばかりとは、言えないのかもしれない。  「でも、私のために、そんな大怪我をしてしまって、いまでも、感謝とともに申し訳ない気持ちで一杯なんです」  「そんなに、気にしてもらっては、返って申し訳ないよ。ああいう場面に出くわせば、誰でもしたことをしたまでだよ。それに、足が不自由になったのは、あの事故ばかりとは言えない。その後の経過期間に、柔道なんかしてしまい、怪我したところを、再度傷めたんだ。それで、こんな恰好に曲がってしまった。自業自得の所もある」  島田はそう言って、三島の気遣いを慰めた。  「ところで、そんなに凄い事故だったのかい」  僕は不躾に聞いてみた。  「それは、そうだわ。島田さんの足が完全に車輪の下敷きになり、骨も折れていたんだから。現場は血まみれだったし、私は気絶して、よく分からなかったけど」  「僕は横断歩道を渡っていた彼女を目掛けて坂の上からトラックが走ってくるのを、歩道のこちら側で見たんだ。そして、衝突する間際に飛び出していて、彼女を突き飛ばした。彼女は向こう側の歩道に倒れ、僕は身代わりに足を轢かれたというわけだ」  「暑い日で、私日傘を差していた。それで、少し、考え事をしていたから、車に気が付かなかったんだわ。信号もない交差点だったしね」  二人は、数年前の事故の記憶を辿っていた。それが、二人の今の関係の原点なのだから、久しぶりの出会いでそうなるのは自然だった。しかし、何時までも回想に浸っているほど僕達は、歳をとってはいない。僕等の年代には、過去より、未来が大きく見えるし、そのほうが強い関心事なのだ。  「なんで、飯島君は、彼女を知っているんだい」  島田が当然の疑問を呈した。僕は簡単に経緯を説明し、去年の夏に海で過ごした話をした。  「そうか、いいなあ。それが、本当の高校生らしい夏の過ごし方だよね。毎年、同じことの繰り返しにこんなに熱中するこの学校の校風は少し、変だよ。男ばかりの熱気が空回りしているんだ。運動会が終われば、最終目標の大学入試にかかりっきりになる。それもまた慣習で、その結果が、来年の冬の成果となって返ってくると言うわけだ。そして、そして、週刊誌のランクで何年連続トップとか書かれるわけさ。それもいい。そのために、中学入試を乗り越えてここ入ったんだからね。でも、いいな、男女で海で過ごすなんて。それは、今年こそ、必要なんじゃないか」  島田はいつになく、熱心に自分の考えを述べていた。  「うん、そうだな」  「そうだわね」  僕も、三島も彼の主張に自然に頷いていた。  「じゃあ、今年もいこう。夏になったら。島田君も誘って」  僕は島田に明言した。本当は、体が不自由な島田が、裸になって、その揃っていない両足を、皆の目の前に晒すのは、苦痛ではないのか、という心配があった。多くの人が好奇の目で見るかもしれない。ズボンで覆っているかぎり、彼の障害は、歩行するとき体が揺れることでしか、分からない。だが、衣服を取り去ったら、その障害は白日のもとに、晒される。そのことを、彼は苦痛に感じないのだろうか。それに、そういう不自由な体で、泳ぐことが出来るのか。海に入らず、ただ、浜で寝ているだけだとしたら、彼は一日、人々の好奇の目に自らの体を晒しに行くようなものだ。動物園のパンダの役目を果たしたいと思う誇りのある人間はそういない。  だが、このことは、彼自らが、言い出したことなのだ。彼の心の真意は、分からないが、僕は、以上のような諸々の疑問や問題の解答は、海に行くことで、全て得ることが出来ると考えたから、彼の申し出を全面的に了承したのだった。  「君たち、かの楽聖・モーツアルトは、僕等の歳には、もう、交響曲を三十番まで作曲していたんだぜ。十八歳の歳には、親子鷹の父、レオポルトとともに旅行に出ていた。途中、ウイーンで皇后、マリア・テレジアにも謁見して、ミュンヘンに向かっていた。これから、彼の輝かしく膨大な作曲活動が始まろうとしていたんだ。十八とは、そういう歳なんだ。未来への輝かしい希望と期待に満ち溢れて、可能性を探っている。そういう、人生の最高の時なんだよ。時間を無駄にはしたくない。だから、青春の思い出はつくっておいたほうがいい。たのむぜ、飯島」  島田は、そう明るく言い残して、体を揺さぶりながら、応援席に戻っていった。           4  その計画を実行したのは、七月の末だった。去年は夏の終わりの土用波の立つ頃で、夏が行ってしまう時期の憂いが漂っていた浜にも、この頃は、これから夏の盛りとなるのを待つ人々の期待と夢が重なった、体全体を包み込むような活気がみなぎっていた。そういう時期のほうが、島田が言った僕たちの年齢に会っているような気がしたし、その後には長い半年間の集中的受験勉強の時期が待っているから、その前に済ましておきたかった。それに、「善は急げ」の気持ちもあった。だれでも、楽しいことを何時までも待っていられないのだ。  僕は昨年のメンバーを誘ってみた。だが、内野は東北の母の実家で涼しい中で勉強する計画が出来ていた。中村も、家族旅行の予定があった。結局、男子は僕と島田と寺岡、女子は金井と三島が参加することでまとまった。僕は妹を連れていくつもりだった。妹の知恵は、数学オリンピックで金メダルを取った高校生を新聞で読んで、興味を持っていた。  「お兄ちゃんの学校の同級生だというのにすごいわね。和君」  と言っては、僕を揶揄していた。そのすごい、同級生が一緒に海に行くと、話したところ、「ぜひ、一緒に連れていって」と駄々をこねたのだ。僕は仕方なく同意した。  浜には今度は、小田急で行った。ロマンスカーでゆっくりするのも、いいものだが、そうしようと言ったのは、妹だった。彼女は、海岸の家に行くのは、小さい頃からロマンスカーと決めている。社内で紅茶など軽食のサービスがあるが、幼い頃、毎年のように、海に出掛けるとき、父母はその社内で僕等に好きな物を頼ませてくれた。妹は幼児の頃は、そのときアイスクリームを頼むのが定番だったが、中学生になってからは、苺ジャムが入ったロシアン・ティーになった。ただ、それを頼みたい一心で、彼女はロマンスカーに乗りたがるのだ。  そのエアコンが効いてゆったりと落ちついた車両の対面座席に座った島田に、胸に支えていた疑問を聞いてみた。彼には聞きたいことが山程あったが、一番知りたかったのは、春先に学校で起きた盗難事件の真相だった。  「あの時は、大変だったろう。教師に呼ばれて、詰問されたんだって」  島田は話したくない様子だった。だが、電車が新釣百合が丘を過ぎた頃、飲み物を飲んで、気持が落ち付いた島田は、そのことを話し出した。  「僕は、あのことでは胸にしまっておくべきことが多いが、思い出すと、いまでも、義憤に耐えない気持ちだ」  と彼は、鋭い目をして、身を乗り出した。  「あの日、俺は、教師に呼ばれて、彼らの計画を知った。その日の被害は内密にして、罠を仕掛け、次の機会に捕まえようということだった。そのために、俺に囮になれと言うんだ、俺は、もちろん、すぐに反対した。むしろ、公にして、犯人の自首を呼びかけるほうが教育的だし、学生の自治権も満たされる、と思ったんだ。それで、囮になるのは、断りたかった、同級生をそういう、卑劣なやり方で誘い出す役割は断りたかったし、なんといっても、犯人にはそれなりの、理由があるのではないかと,思ったのだ。その理由を聞かないで、一刀両断に現場を抑えるのは、一方的なやり方だと、考えた。それに、俺には、やった奴の心当たりがあったんだ」  「だれなのか、知っていたのか」  「大体の見当は付いていた。あの日、俺は教室を出たあと、便所に行ってから、グラウンドに出た。そのとき、奴が部屋に入ろうとしているのを見たんだ。まさか、盗みに入ろうとしているとは、その時は考えもしなかった。だから、あの日、教師らに押し切られた後、おれはそいつに会って、決まったことを教えてやった。そうでなければ、公平じゃあないと思った」  「じゃあ、彼が捕まる前に、君は、会って、罠が仕掛けられる、と教えたのか」  「そうだ、それなのに、あいつは、やったんだ。だから、奴は自分から捕まったようなものさ。多分、楽になりたかったのだろう」  島田はそこまで、話したあと、サイドテーブルの上の紅茶を一口、啜った。  「彼に会って、動機は聞いたのかい」  「ああ。聞いた。それが、一番肝心だからな。再発を防止し、彼に再度の犯行をさせないためにも。本当は、そういうのは、教師の仕事だ。だが、俺は彼らの代わりに、そうせざるをえなかったんだ」  「なんて、言っていた」   「君も知っているだろうが、一部のギャンブル好きが、教師の目を盗んで賭マージャンやポーカー、さらには、花札をやっているのを知っているだろう。一回ごとの掛け金は、僅かなものだが、一部の連中はつるんでいるから、いかさまもあるんだ。彼はそういう連中に係わっていて、負けが込んでいた。博打の負けの借りの返済を迫られていたんだ。見てのとおり小柄で、体にコンプレックスがあったから、そこに付け込まれたこともある。賭け事をやっていた連中は一部は、明るみに出て、注意されたが、頭が切れるやつらは、尻尾を出さずにいる。君も誘われたことがあるんじゃないか」  「ああ、知っているよ。おれは、小さいころから、親父と家族マージャンをやっていたから、彼らに誘われても負けなかった。そうしたら、以後誘われなくなった」  「ところが、奴はあの通り、一人っ子のうえ、体の支障もあって、わがまま放題に育てられていた。だから、そういう誘いに抵抗感がなく、しかも、勝負には負けていた。連中にはいい鴨だったんだ」  「そいつらは知らんぷりか」  「そうだ。悪い奴ほどよく眠る、とはよく言ったものだ。彼はそういう脅迫から逃れたかったんだろう。おれが、注意してやったのに、また、やったんだ。もうそうするしか、逃げる手はないと、考えたのかもしれない。そうして、彼を追い込んだ理由を明らかにしたかったのかもしれない。彼は自分の身を捨てて、不正を正したかったのかもしれない。自己犠牲で世直しをしようとした聖者の心境だったのかもしれない。だが、事態はそういう方向には行かなかった。全ての事実を覆い隠そうとの意図が強く働いて、彼の退学届の提出で、ことは丸く収まった。学校側の目論見通りさ。それが、大人の知恵であり、統治ということの実体だよ」  「事態は何も解決せず、将来への展望もない。すべては現状維持で終わったわけだ。学校の名誉は守られ、一人の生徒が辞めていった。そして、賭マージャングループは、息を殺して生き延びた」  「それで、来春には、俺たちと一緒に東大を受けて、合格者の数を増やすというわけだ。やつらのグループの親父たちの職業を見てみろよ。弁護士や医者、国家公務員、商社員、銀行員なんてのばかりだよ。リーダー級の一人が、言ったことがある。俺は何でも強い。ギャンブルも強いし、勉強もできる。親父の弁護士の仕事を継いで、金儲けをするのために、この学校に入った、と言うんだよ。それも人生だとは思うが、悲しいじゃないか」  島田はそういって目を瞬かせた。  「おれなんて、母が早く父と離婚したから、母子二人暮らしだ。でも、金儲けだけが人生の目標だ、とは思わないよ。もっと、大事なものがあるんじゃないか、と思うよ。それが、なんだかは、まだ分からないが。そういうことをさせるために神様は、俺たちをこの世に送りだしたんじゃないか。俺たちには、社会的な役割があるとは思わないか」  瞳が輝いていた。だが、言われた僕は、返答のしようがなかった。どう答えればいいのか、頼りになる確信がなかった。    最後に、僕は辛口の質問をした。  「それなら、なぜ、君が暴露しようと思わなかったのかい」  「本当はそうすべきだな。いまでも、そうすべきだと、思っているよ。でも、勇気がない。おれには、学校側と戦おうという、勇気がなかった。穏便にあと半年を過ごせば、学校との関係は終わる。おれは、打算家なんだ」  「いや、僕だって、そうしたろう。それが、人情というものだ。人一人ではどうにもならないこともある。特に、今のような学生の身分ではね」  「だがな、このことは、小骨のように、俺の喉に引っ掛かり続けることだろう。三島さんを助けたことは、忘れてしまうかもしれないが、友達を裏切ったことだけは、残る」  「裏切ったわけじゃない。彼が盗みを働いたのは事実なんだから」  「それでも、俺たちは級友だ。しかも、未成年だ。更生の余地は残されているんだ」  話はそこまでだった。あとは、いくら、話しても彼の悔恨の気持ちを揺すぶるだけだ。そんな過ぎたことより、これからの、楽しい時間をどう過ごすかのほうに関心事を移すほうがいいだろう。    この前のように、家で着替えて、浜に出た。島田はびっこを引いていた。たしかに、彼が歩いていくと、すれ違った人達は、異様な表情で彼の足を見たが、彼は気にしなかった、それに、最近はそういう身障者に向ける世間の目も変わってきたのか、露骨な関心を寄せる人はいなかった。他人には無関心なのだ。  僕たちは沖に出た。島田は鮮やかな抜き手で、綺麗な泳ぎをした。上半身を有効に使った泳法で、特に平泳ぎがうまかった。この海で鍛えた僕に勝るとも劣らない泳ぎだった。三島も寺岡も見事なスイマーだったから、力一杯、実力どおりの泳ぎが出来て、爽快だった。いったん、海に入ると、金井と知恵は、途中まで付いてきたが、とても自分の実力では、一緒は無理だと察してか、浜近くでじゃれあっていた。二人は気が会うようだった。電車の中から、話が弾み、三枝子は知恵に色々と質問して、家の家族の事を聞いていた。知恵も三枝子の豪州留学の経験を熱心に聞いていた。  いつもの管理人夫人の握り飯の昼食のあと、二度ほど、みんなで、沖にいった。ビーチボールも持ってきていたが、島田には無理だから、そのことを気使って、だれも、「やろう」とは言わなかった。  一日三回も全力の泳ぎをすれば、くたびれ果てる。日が西に落ちるころには、みんな、浜に立てたパラソルの下に敷いたシートの上に体を横たえ、惰眠を貪るトドのようになっていた。話をする者もいない。そのうちに、日は傾き、人々が引き上げはじめた。僕たちも帰り支度を始めた。家で着替えをして、目の前の「スエヒロ」で、夕食を取った。腹一杯に焼き肉を詰め込んで、午後七時ころには駅に向かった。  島田は苦しそうに足を引きずっていたが、一日ですっかり黒く焼けた顔はいつも笑顔で、並んで歩いている知恵や三島に、その幅広い知識を披露して、二人の若い女性を感嘆させていた。  「ねえ、数学って私は難しくて全然できないの。どうすればできるようになるかしら」  知恵の数学音痴は、家でも有名だった。小学校から大学まで無試験で進める女子大の付属中学に通う知恵は、たまに、落第点ぎりぎりの点を取ってきて、母を悩ませていた。  「受験数学と、ほんとうの数学いう学問はまったく違うものだよ。だから、僕も学校の試験ではできないことがある。僕の考えているのは、もっと、広大で本質的な数学の世界の問題だ」  「たとえば、ほら、フェルマーの定理なんか。解法を考えたこと、あるの」  三枝子が聞いた。  「ああ、でも、あれは、簡単には解けない。現代数学の最先端を活用して、やっとのことで、解くことができた。あれこそ数学の名問題だな。簡素で均整が取れているうえに、難問だ」  「どうやって、解いたの」  先を歩きながら、聞いていた三島が、口をはさんだ。  「そんなの簡単には説明できないよ。それができていたら、僕が解いていた」  「そうだなあ」  皆が笑った。夕方、風の方向が海から岡へと変わるころだ。上空で、風が巻いて、時折、静寂が訪れる。そういう瞬間は、時間が止まったような感覚になる。東京で流れている時間とは、異質の時間の流れが、そこにあった。  だが、いつまでも、その時の流れのなかにいることはできない。今夜中には帰宅しないといけない。小田急で藤沢に出て、東海道線に乗り換えて東京駅に向かった。島田と三島は千葉に帰る。できれば、大船で総武線直通の横須賀線に乗り換えたかった。やって来たアルミニウム車両は、大船での接続のダイヤになっている東京行きだった。  真夏の太陽の下で、力一杯、体を動かしたために、すっかり疲れきった僕たちは、ずっと寝ていた。大船までは、僕は起きていたが、ほかの連中は高鼾をかいていて、揺り起こさなければ起きないほどだった。横須賀線では、皆、眠った。東京駅で列車を降りることが出来たのは、この列車が東京止まりだったためだ。ここで別れる僕と妹、寺岡と金井は、ホームを変えて次の千葉行きを待つことにした島田と三島と共に、エレベーターに向かっていた。  疲労で、足の悪い島田を気使う余裕もなく、むしろ、彼の自律的行動に慣れきっていた僕らは、それぞれ勝手に、エスカレーターに乗り込もうとしていた。  先頭の僕が、上りのエスカレーターのせり上がってくる鉄の階段に、足を乗せかけたとき、反対側の下りのエレベーターの遙か上方の乗り込み口あたりから、空気を切り裂くような悲鳴が聞こえた。  「ああー。やめてー。だめだー」  という女声の叫び声に続いて、  「ドターン」  「ガラガラ」  「バシーン」  という機械的な金属音が響き渡り、固い物体が金属に叩きつけられながら落下する時の破壊的な音が、飛んできた。  僕たちは足を止めて、乗り掛かったエレベーターを飛び降り、危険を避けようと、柱と壁の陰に走り込んだ。そのとき、後ろから、黒い人影が、足を引きずりながら、向こう側のエスカレーターの降り口に走っていくのが見えた。下のエスカレーター・ホールでは乗客たちの悲鳴が上がっていた。そして皆、その後に起きるであろう悲惨な事態を予感して、それぞれに防衛姿勢をとろうとしていた。ある人は、上りの階段を走り上がり、また、下り階段を走り下がり、上りのエスカレーターを駆け上がって避難する人も多かった。  だが、走りだした人影の島田だけは、違っていた。悲鳴のした下りのエスカレーターを不自由な足を引きずりながら、走って上ろうとしていたのだ。その時とき、下りのエスカレーターには、人はいなかった。それは、奇蹟的だったが、到着列車はあったが出発列車が空白だったのが、多くの人には幸いだった。たった二人、島田と落ち始めた車椅子に乗っていた五歳のダウン症児を除いては。  島田は、急速に落下してきた鋼鉄のパイプでできた車椅子に、体当たりしていった。それは、もう、エスカレーターが、終わろうとする付近だった。もし、そのままのスピードで車椅子が、コンクリートの床に落下したら、乗っている幼児は投げ飛ばされ、床にうちつけられて、良くても重症、悪ければ死ぬことも避けられない事態だった。  体当たりした島田のお陰で、車椅子は落下の速度を緩め、島田の体を突き飛ばして、ゆっくり階段を下っていって、最後の階段の辺りで止まった。乗っていた幼児は気を失っていた。その前に頭からまっ逆さまに落ちて、床に叩きつけられ、後頭部から夥しい出血を始めた島田の体が、上向きに倒れていた。島田は白目を剥いて、怒っていた。咄嗟に駆け寄った僕の目には、それは、歌舞伎の荒事で主役が見栄を切ったときの恐ろしい隈取りの顔付きに見えた。これは、スーパーマンの化粧だ。人であって人を超える英雄の姿なのだと思った。  上のほうから、若い女性が体をよろけさせながら、駆け降りてきて、車椅子の上の幼児を抱き上げた。彼女の手にはもう一人、幼稚園児のような少女が手を引かれていた。  駅員が緊急事態を告げたのか、担架が運び込まれ、島田はその上に乗って何処かに運ばれようとしていた。  「だれか、この方の知り合いの方はいませんか」  駅員の声がした。僕らは、名乗りを上げて、運ばれていく島田の担架に付いていった。エレベーターをさらに二つ乗り継いで、地上に出た。ホールを横切り、駅舎の外にでると、屋根に赤い緊急灯を回している救急車が待機していた。  「一緒に乗っていく人は」  ヘルメット姿の救急隊員が尋ねた。僕が随伴することにした。  狭い救急車の車内で、島田は顔に酸素吸入装置をつけて寝ていた。脇に、心臓の鼓動と呼吸の状態をモニターする装置が青い光の線を、ブラウン管のディスプレーに描きだしていた。係員は電話で収容すべき緊急病院を当たっていた。それが、なかなか、決まらず、車は発車しないまま時間が無為に過ぎていった。その時間が無限の長さに感じられた。  やっと、行き先が決まって、救急車が走りはじめたとき、鼓動も呼吸も乱れてはいなかった。だが、混雑した都内の道路を、車体を軋ませ、サイレンの金切り声を上げながら、縫って行っても、僕には蝸牛の歩行と同じくらいの速さにしか思われない救急車のスピードは、島田が命を燃やすことのできる最後の時間を、容赦なく消費し、四谷の私大の付属病院に到着したときは、ディスプレーの波は乱れはじめていた。  救急救命センターでは、輸血や強心剤のビニール管を繋がれたまま、ダメージを受けた箇所を特定するため、頭部のMRT(磁気共鳴装置)検査を受けるために、島田は担架に乗ったまま、検査室に入っていった。  そのころ、タクシーで追いかけてきた友人たちが駆けつけた。僕は、島田の家の電話番号を寺岡に聞いて、電話した。母親と思われる人が出た。僕は手短かに事態を説明した。母親は落ちついていた。事態を掌握した彼女は、「すぐに病院に駆けつける」と言って電話を切った。  島田は、検査室から、なかなか帰ってこなかった。それは、事態が悪いほうに進展していることを予感させた。僕ら等は祈った。この偉大な僕らの英雄が、偉大な魂が、未来を嘱望された十八歳の青年の命の火が、今日消えることのないように、僕らは神に祈った。  だが、島田は帰ってこなかった。    それが、一週間前だった。そして、通夜と葬儀とが行われ、全ての死後の行事が、滞りなく済んで、僕は一人でこの浜に来た。この一年間に起きたことは、大きな感動と喪失の記憶になって、沈積していた。  ヘッドホンから、聞こえていたモーツアルトの交響曲ハ長調四十一番「ジュピター」は、最終楽章に入っていた。全音符が四つ並んだ第一主題が、何度も繰り返すように、次々に現れて、先行している主題を追いかける。フーガの技法を最大限に駆使した緻密な作曲家の技法が、音の群れを自由自在に操っていた。天才児、モーツアルトは、この最後のシンフォニーで、やっと、心残りのない境地に達したかのようだ。彼は三十二歳の八月にこの曲を完成させ、その三年後の十二月に死んだ。「レクイエム」を未完のままに。  だが、島田は、その半分を生きただけだった。生涯で二度目の自己犠牲をし遂げて、生還しなかった。僕にはできないことだ。たぶん、一生掛けても、できないだろう。それを、十八歳までに、二度もやり遂げて死んだ。  こんなことが、この夏にあったことを知る人は少ない。芸能界の離婚話や恋愛話にうつつを抜かすテレビも、殺人事件や金融スキャンダルを毎日のように華々しく報道する新聞も、暗く心を落ち込ませるゴシップだらけの週刊誌も、この話を知らない。長ったらしい形容詞で彩られた中身のない長文の論文を性懲りもなく載せている総合雑誌が、知るよしもない。  僕はCDの頭出しをして、第一楽章に戻した。「アレグロ・ヴィヴァチェ、ハ長調、四分の四拍子、ソナタ形式」の楽曲が始まった。ギリシャの神、ジュピターの堂々たる足音を思わせる確固としたルズムで始まった楽章は、その調性の乱れを一切、見せることなく音節を刻み、天からの啓示を告げはじめた。これは、島田の曲だった。  「モーツアルトは、三十五歳で死んだんだ。天才の命は太く短い。天は短くとも充実した時間を彼らに与え、性急に天に、自らの近くに召されるのだ。人の生は長さでは図れない。君達、のんびりしている暇はないぞ」  ビーチハウスのラウドスピーカーが、また、「渚にまとわるエトセトラ」を、がなりはじめた。  僕はヘッドホンのボリュームを上げた。                                  (終わり)