「朝子」
                   
 田園都市線の××駅北口にある洋菓子喫茶店で朝子と待ち合わせた小泉が、注文したアメリカン・コーヒーを一口啜ろうとして、ふと目を外の街に向けると、鼠色の毛皮を軽快に着こなした若い女が、真っ先に目に飛び込んできた。
 なにげなしにその女の後ろ姿を追っていくと、女はくるりとこちら向きになり、今行った道をそのまま、戻り始めた。
 午後から降り始めた雨が徐々に激しくなり、雨滴がガラスを伝い始めたせいで、小泉が座った窓際の席からも、外の風景は崩れ掛かって、見づらくなっていた。
 だから、顔は見えない。しかし、小柄だがきりっと引き締まった肉体を動物の毛皮の中に包んでいる女が、灰色の塊となって、こちらへ近寄り始めたことは、意識の外にあっても、感覚で分かる。
 確かに意識しての知覚ではないから、その女が通り過ぎてしまった後、小泉の視線は褐色に濁った液体へと戻された。
 この店に彼がいる目的は、朝子を待つことである。
 朝子は大学のサークル活動で知り合った後輩である。卒業後、小泉は今の会社に入り、朝子は小さな出版社に入社した。小泉が入ったビール会社は、日本の経済成長に歩調を合わて成長し、会社の発展に連れて小泉も社内の階段を登り、収入も増えていった。営業や企画、広告のような派手な部署でなく、人事畑一筋に歩いてきたのは、彼がそれを望んだということではなく、あくまで会社という組織の論理に従ったまでのことだ。
 入社後十七年間に随分、他人の秘密も知った。組合活動からも除外される人事部の社員は、とかく異端視され、うさん臭い目で見られがちだが、それは同僚達が「人の秘密を知っている者だ」と恐れの気持ちを抱いているからだ。
 それほど大した秘密ではなくても、人間は他人に知られたくない小さな秘密を大なり小なり抱えて生きている。それが致し方ない理由で人事上の書類に残ることがある。例えば視力とか、既往症とか、最近では毛髪の多少まで、外見上は分からないまま世間を渡って行けることでも、本人の口からは絶対洩れないが、人事書類には明確に記されているものがある。
「あの目がパッチリして可愛いA子さんが、実は凄い近眼で、コンタクトを離せない」とか「ハンサムのB君は実は若禿げで」とか、お見合いの席でも明かせない“秘密”がそっくり手に入る。
 だが、小泉は知り得たことを口外したことは一度もない。「医者や弁護士と同じで、人事部員には守秘義務がある」。この考えを職業上の倫理として十七年間守ってきた。
 それほどまでに「堅い」小泉が朝子と今の関係になったのは、ものの弾みだったとしか言い様がない。
 守秘義務ということを突き詰めて考えてみようと思い付いた小泉は、その道の権威である某国立大学の医学部教授に、伝手を頼って教えを請いにいったことがある。その教授の研究室で原稿を受け取りに来た朝子とバッタリ再会したのである。
 医学専門書だけを出版している朝子の出版社は小さいが堅実な経営で、社員の待遇も良かった。学生時代はそれほど目立つほうではなかったのに、こざっぱりしたスーツに細身の体を包み、ネックレスとイヤリングを付け、化粧をした朝子はキャリアウーマンそのもので、日頃地味な仕事をしている小泉には、眩しかった。
 「いやあ、随分変わってしまって。綺麗になって、見違えたよ」
 「私も小泉さんだとは、全く驚きだわ。あなたはお変わりないようね。幾分、老けたかな」
 十八年ぶりの再開に話が弾んで、帰りに一緒に食事をして、それで済まずにアルコールを補給して。話も段々、学生時代の調子へとテンポが速まった。
 「へえ、四十も近いというのにまだ一人でいるの。随分遊んでいるんでしょ」
 「いや、なかなか良い縁がなくてね。お見合いもしたけど、フィーリングが合う人がいなくて、いい歳になってしまった。朝ちゃんは一人じゃないんだろ」
 「まあね、一人ではないけれど。でも私は外が好きなんだよね。掃除洗濯なんて真っ平。
こうやってさ、東京の町の、キラキラ輝いている夜景を見ながら、昔の友達と一緒に飲むなんてこと、最高じゃない。私はこういうほうが向いているんだわ」
 そんなことがあって、そんな気分になったときに、どちらからともなく、電話を掛け、、
六本木や原宿や渋谷や赤坂や…。そういう二人の男と女にピッタリの場所で合って、飲んで食べて。それだけの関係がここ一年ぐらい続いていた。
 小泉にとって、朝子はセックスの対象になる異性とは思われなかったし、朝子もそういう点では淡白そのものだった。「結婚した」のを仄めかした朝子の言葉は、小泉にとってそれほどの重みを持たなかった。小泉が朝子の後ろに夫の影を感じたことは一度もなかった。過去形で語った言葉の中に、「ひょっとして、別れたのかな」との意味を汲み取って、小泉は自ら納得していた。
         ×         ×         ×
 そんな朝子が、今日の午前中に電話を寄こして「会いたい」と言ってきた。しかも「あなたの家の近くの○○で」と店の名前まで指定してきた。今まで、日曜日に昼間から会ったことは一度もなかったし、お茶を飲んだ例しはない。
 「突然気でも変ったのかな」と不思議に思いながらも、小泉は寝起きの後の癖になっている熱いシャワーを浴びて、ゆっくりヒゲを剃り、そろそろ桜もほころび始めたこの季節に合わせたセーター姿で、約束の午後三時より一時間も早くから、この店に出掛けてきたのだった。
 出がけにポツポツと始まった雨足は次第に速まり、今はもう大降りである。三時を十五分ほど過ぎたのを腕時計で確かめた後、自動ドアーが開いた入り口のほうに目をやると、そこに、濡れた傘をたたみながら、先程の灰色の毛皮の女が入って来たところだった。
 「何だ、朝子じゃないか」
 その顔を見て、小泉は、小さな違和感に襲われながら、小作りながらも高く整った鼻、大きく見開いた瞳、肉感的な唇といった朝子の特徴を捕らえて、
 「おーい、ここだよ」
 と大声を上げた。
 朝子は驚いたように小泉の方を見、それからふと我に返ったように、こちらのほうへ歩み寄ってきた。
 「お待たせしました。遅れてすみません。失礼します」
 慎み深そうに、両足を揃えて前の席に座った。
 「珍しいね。休みの日の昼間から、会いたいなんて」
 「驚いたでしょ。でも、急に会いたくなったの。迷惑だったかしら」
 「反対だよ。いつも仕事帰りに酒を付き合うばかりじゃ、変化がない。こうやって、素面で真面目な話をするのも良いだろう」
 「その話なんですけど、とても恥ずかしいお話になってしまうの。話さないほうがいいかもね」
 瞳がいやに濡れ、頬が赤みを帯びているのが気になったが、小泉は先輩顔をして、
 「なんでも言ってみなさい。言いたいことがあるんなら」
 と胸を出した。
 「実は、私、昨晩、けんかをしちゃって。むしゃくしゃしたから、あなたに電話をしたの」
 「けんかって、誰と」
 「同居人よ。決まってるでしょ」
 きっぱりと、突き放すような言い方に、もともと口の重い小泉は、話しの接ぎ穂を失った。
 「御主人かね」
 「………」
 「いいえ、あいつが、良い思いばかりして楽しんでるんだから、私も楽しむの。その、相手をしてほしいの」
 「それで…」
 「そとへ出ましょ。あいつが浮気してるんだから私もするのよ」
 小泉は気迫に気圧されたまま。タクシーに押し込まれた。国道246号線沿いに点在する中世のお城のようなモーテルに車は横付けされ、朝子の後ろに付き従うように個室に入っていた。
                   
 雨はドシャ降りになってきた。
 朝子は直ぐに先ず毛皮を脱ぎ、小泉に凭れ掛かってきた。
 「ねえ、キスして」
 こう迫られたが、このときも変に違和感がして、小泉をたじろがせた。
 しかし、小泉も男盛りの年頃。ずっと悪しからず思っていた朝子が、こうして自らを開こうとしている。塞き止められていたものが、関を切って流れだす時がやってきたのだ。
 絡み付いてきた両腕を受け止め、自分の腕を朝子の背後に回して、ぽってりとぬめりを帯びた官能的な朝子の唇を吸った。朝子は舌を絡ませてきた。小泉はそれに応じ、口中に粘液が溢れた。
 「キスだけで感じちゃった。早く脱がせて」
 小泉は前開きのブラウスのホックを外しに掛かった。一つずつ上から、閉じていたものを外していくと、その下は直ぐ素肌だった。
 「ノーブラなのかねいつも」
 「今日は乳首が張って痛いの」
 ブラウスを脱がし、丸裸になった上半身を抱え、拝むようにしながら、小泉は朝子の乳房をゆっくり両手で撫で上げた。ふくよかで滑らかな乳房だった。
 「嘗めてちょうだい」
 唇を乳首に持っていき、円錘の下部から上部へと舌を這わせた。乳首に辿り着き、戻りつする度に、朝子は
「もっと強く。いいわ」
と鼻を鳴らした。
 もうすっかり高まってしまった朝子だったが、小泉はまだ冷めていた。
 「風呂に入ろう。そうしてからのほうが良い」
 「私、直ぐにもしたいわ。でも体を綺麗にしたほうが良いわね」
 朝子は直ぐにしたがったが、小泉には計画がある。
 (据膳食わぬは男の恥、とはいうが、直ぐに食べてしまっては味もそっけもない。据膳は自分流に味わい尽くさねば)
 三十代に鍛えた女性経験が美食の仕方を教えてくれていた。
 「先に入ってくれ。後から直ぐ行く」
 朝子は、下半身に残っていたスカートとパンスト、パンティーを自分で脱ぎ、真っ裸のまま、脱いだものを綺麗に畳んだ。
 「良い体をしているね。年の割りに締まっているし、プロポーションも崩れていない」 「そんなに見詰めないで。じっと見られると、ゾクゾクしてしまうわ」
 「快感でかね」
 「気持ちが悪い、と言うのは完全なウソかな」
 「君の裸を見ただけで、こんなになっちゃったよ」
 小泉は逆に下のほうから脱ぎ出し、ズボンを脱いだ後、怒張したペニスをパンツの中から引き出してみせた。
 「小泉さんのものって、意外と大きいわね」
 「それは君のせいだ」
 「触っても良いかしら」
 「条件を飲めばね」
 「ねえ、良いでしょ」
 「君のあそこも触らせてくれるかい」
 「いじめないでよ」
 朝子はそう言って、右手を小泉の下腹部へ伸ばした。
 「駄目だ、バスルームへ行こう」
 小泉はパンツを脱ぎ、セーター、ワイシャツに肌着を脱ぎ捨て、朝子と同じ生まれたままの姿になると、
 「さあ、どうぞ」
 とペニスを突き出し、朝子に握らせたまま、風呂に入った。
 湯船に二人して漬かりながら、小泉は朝子の性器を探った。湯の中で触る性器はいつも卑猥だ、と小泉は思う。空気中でもいかにも陰湿な構造だが、水中ではヌメヌメした生き物のような感じだ。「秘貝」とか「あわび」「赤貝」とかの形容は正鵠を射ている。
 朝子の性器は手触りが良かった。大きさも小泉好みの小さめで、指を触れた感触では中の構造も小作りのようだ。
 「これで、色もピンクだったらまさに理想通りだ」
 朝子は手での玩弄に飽きたのか、今にも口で頬張りたそうな目付きになっている。うっとりとしている。
 「さあ出て、よく洗おう。あそこを綺麗にしてから、ゆっくり味わい合おうね」
 スポンジに石鹸をたっぷり擦り付けて泡を大量に出し、
 「これでやり給え」
 と朝子に渡した。
 朝子は泡一杯のスポンジを両手で受け取ると、まず小泉のそそり立ったものに、泡を撫で付けた。そのあと、片足立ちになって、自分の下半身を泡塗れにした。
 「あとは、手でしましょうね」
 小泉の手をとって、自分のものに当てがい、自分の手は小泉のペニスへ。小泉がひだをまさぐり、クリトリスを指で刺激すると、朝子も先端から根元へと何度も上下動を繰り返す。
 「ああ、いいわー。気持ちが良いわー」
 「君も上手だね。こりゃ、かなりのベテランだ」
 「好きこそ物の上手なれ、って言うでしょ。好きなんだもの」
 ひとしきり、まさぐり合った後、小泉はいたわるように朝子の乳房から背中、それに手足を洗い、朝子も同じようにした。
 「足の指の先も綺麗にしたいけど、朝ちゃんが口でもっと綺麗にしてくれないかな」
 「いいわよ。上の口、それとも…」
 「両方で」
 朝子は先ず、上気した唇で、小泉の右足の親指から順に小さいほうへと一本ずつ頬張った。左足も丁寧に拭うように頬張った。
 小泉も朝子に同じ事をしてやった。
 「下の口では君だけができるんだ。してくれるかい」
 朝子は小泉の右足を両手で抱えると、その上にしゃがみ込む形で、やはりまず親指を自分の体内に押し込んだ。
 「男の人のその物より、短いから入れにくいわ。でもやっぱり感じちゃう」
 左足に移る頃には、「あー」の声のテンポは益々速まり、小指を入れ終ると、へなへなとへたり込んでしまうほどだった。
 もう一度、湯船に入る時には、小泉は朝子を両腕に抱えなければならなかった。右腕で頭を支え、左腕では両足を抱えて、湯に浸った小泉は閉じている朝子の瞼の上にキスをし、そのあと、唇を吸った。
 
 タオルで水分をお互いに十分拭い合ってから、小泉はベッドに倒れ、朝子が髪を拭くのを待った。朝子は完全に水分を拭い終えないまま、待ち兼ねたようにベッドに倒れ込んできた。
 「時間はたっぷりよ。したいだけしましょうね」
 まだ、日は高い。人が眠るまでには十分すぎる時間があった。
 朝子は小泉の上に乗し掛かって来た。小泉の閉じた瞼に口付けし、自慢の高い鼻を嘗め、
耳に息を吹き掛け、うなじにキスをした。
 「耳にキスをすると気持ち良いでしょ。女はそうよ。男だってそうよね」
 小泉には小さい頃、床屋で耳たぶを剃ってもらい、ゾクッとした幼児体験が思い出された。今でも、年若い女の理容師に顔を剃ってもらうと、顔に乗し掛かって来る乳房の重みや鼻息が堪らなくなって、“白昼夢”を見るときがある。
 朝子のキスは胸へ降りた。両乳首に溢れるほどの接触を繰り返して、腹部へ更に下る。臍の中を舌で抉りながら、既に両手は陰毛をまさぐっている。柔らかい手の感触が小泉には心地好かった。次はペニスだ。両手で包み込んでいる。口を持って来るに違いない。
 「男の人の物って不思議ね。あんなに軟らかくって可愛いのが、こんなに堅く逞しくなっちゃって」
 舌の湿った感触が、小泉の下半身を伝った。
 「おれも未だ捨てたもんじゃない。陰気な仕事が内気な性格にしているだけさ。こんなに雄々しいじゃないか」
 女はこうして男を強くすることもできる。そこが男女関係の不思議さでもあるのさ、と思いながらも、快感が先立った。
 朝子の唇は小泉の男を包み込んだ。喉の奥の方への上下運動を激しく繰り返すと、小泉の腰部を快感が突き抜けた。
 「まだ出してしまわないでよ。メインディッシュはまだなのよ」
 行ってしまいそうな小泉の表情を素早く見て取った朝子は、ペニスを離すと、摩擦で熱を持った唇を太腿から足首へと伝わせて行き、先程、バスで自らの中に包み込んで綺麗にした足の指を十本、丁寧に嘗め尽くした。
 「さあ、終わったわ。今度は私がしてもらう番ね」
 「有難う、朝子。さあ下になって」
 小泉は体を入れ替えて、上になると、朝子の足元へ顔を持っていき、足指の方から嘗め始めた。朝子の眼前にいきり立ったものを突き付け、朝子の泉を吸い尽くす積もりだった。 朝子の陰毛はやはり柔らかく、密だった。毛はビロードのように手触りがよく、小泉は何度も撫で回した後、性器の色を確かめるため、ベッドサイドのライトのスイッチを入れた。
 「やはり、ピンクだね。もうすっかり濡れて、てかてかに光っているよ。何人もの男の物を受け入れて来たんだろうけど、色だけは処女のようだ」
 そんないたぶるような言い方にも、朝子は素直に、
 「そんなに多くはないわ。したい人はそんなに多くはいないわよ」
 と虚ろに繰り返す。小泉は構わず追い討ちを掛けて、
 「でも、性能は開発済みだね。その証拠にこんなに液が溢れている。お尻のほうまで溢れ出しているよ」
 「もう入れて下さいってことよ。まだ入れて下さらないの。あなたのこんなに大きく固くなっているのに」
 「では、入れてあげようか。どういう体位が良いのかな」
 「最初は正常位。バックもいいわ。私が上になるやつもしたい」
 小泉は朝子を突き上げた。粘液で満ち溢れた壺の中への挿入は容易だった。ヌメヌメとした感触を先端から全体に感じて、すぐ行きそうになった。ここは踏ん張り所だ。
 「ああー、あー。良いわー。響くわー」
 朝子のよがり声が長く糸を引くように切れ目なく続いた。
 上になり、下になり、前になり、後ろになり、男と女が野獣のように貪り合い、与え合う恍惚の時が澱みつつ、粘り付きながら、流れて行った。
 「あーあーあーあーあー。あーーーーー」
 「うっうっうっうっうっ。うーーーーー」
 小泉の力が抜けた。朝子は虚空を彷徨って浮上した。
 「行ったよ」
 「…………」
 ぐったりとなった小泉は、朝子の額に手を当てて、玉のように光る汗を拭った。
 「良かったかい」
 朝子は黙ったまま、コックリ頷いた。
 小泉と朝子はこの日、初めて男女の関係を持った。余韻を楽しむ時間を小泉は朝子の乳房の上に頬を付けたままで過ごした。グッ、グッ、グッと朝子の心臓が脈を打つ音が、命を実感させる。小泉はいつもの寝癖で、右の耳を下にして朝子の上にうつ伏せになっていた。そうしながら、左手で朝子の右の乳頭をくるくると撫でて、弄んだ。
 時が過ぎ、日が落ちた。シャワールームで汗を流して汚れた体を洗い、二人はモテルの前で、さよならをした。
 
 めくるめく時が、二人をより近しい間柄にしたような気持ちになったのに、春から夏へと季節が移っても、朝子からの連絡はなかったし、小泉もなぜか会いたいと思うことはなかった。人の活動が、活発になっていくこの時期に、仕事を持つ二人は、それぞれに多忙だった。
 梅雨が明けて、東京を包み込むような蒸し暑さが覆い尽くした頃、エアコン疲れした小泉は、何とはなしに、電話機に手を伸ばして朝子の出版社にダイヤルした。
 「もしもし、お元気」
 「まあどうにか。あなたも…。随分御無沙汰でしたこと」
 「君こそ、あれから音沙汰なしだったね」
 「あれから…。そうね。忘れ掛けていたわ」
 「今晩当たり、どう」
 「そうね、ちょうど一段落付いた所だし、一杯やりましょうか」
 「じゃあ、例の赤坂のホテルで」
 朝子は全然変わっていなかった。
 都会の息吹を体一杯に呼吸しているという感じで、大きめの目と口、官能的な唇で良く喋った。
 「いそがしかったわ。冬が終わって春から夏への時期って、皆高揚するのね。小泉さんのことなんて考える暇もなくいそがしかったわ」
 「あれから、そうだね。だが、女はさすがに生き強い。俺のことはもうすっかり忘れた、
か? 僕は全て覚えているがね。忘れようにも忘れられないよ、あの日のことは」
 「あの日ってなにさ。勿体ぶって。何か私にいえないことがありそうね」
 会話は交わらない。だが、今までだって、こんな他愛のない会話を何度と無く、してきたのだ。そういう、サラッとしたところが、朝子と小泉の付き合いの基盤だったのではないか。
 だが、それにしても、あの日曜日、あれほどまでに、本性を露にした朝子が、今日はコロッと変身して、何事もなかったような顔をしている。
 「少なからぬ異性と付き合った」との自負もある小泉にとって、最近では最も身近な異性だと思っていた朝子が、全くあの日のことにそ知らぬ態度で居ることは、間違いなく謎だった。久し振りに、ホテルのスカイラウンジで合って、東京の夜景を肴に飲んだのが、頭の混乱に拍車を掛けたのだろうか。益々、女というものは度し難いものだ、との思いが募る。
 (朝子がまだ一度も小泉に体を許したことがないような態度を取るのはなぜなのだろうか)
 疑問が突き上げて、歯止めを失った。
 小泉は、ストレートに踏み込んでみた。 
 「この前、珍しく日曜日の昼間に電話してきたのはなぜだい」
 「えっ 日曜日に?」
 「そうだよ。ほら喫茶店であって、その後…」
 「………」
 朝子は漆黒の瞳を見開いて、小泉を凝視した。
 「君の素晴らしさを、知ったよ」
 スッと血の気を失った朝子の頬の筋肉が一瞬、引き締まり、そしてすぐ緩んだ。
 「お、ほほほほ。ああ、あの日、あの日ね。どうもお世話様でした。せっかくのお休みの日をお邪魔してしまって」
 「お世話様、か。僕には記念すべき日だったんだがね。君にとっては、通り過ぎた一日というわけか」
 「でも、何か誤解していらっしゃるようね」
 朝子は、二杯目のオールド・パーの水割りを一気に干し上げると、
 「今から、その誤解を解いてあげるわ。付いていらっしゃい」
 と突然、席を立った。
 小泉は、酒に酔って体が発散する朝子の甘酸っぱい熟れた女の体臭と、朝子が好んでいるニナ・リッチの薫香とがない混ぜになったような、微妙な香りを鼻にしながら、まるで、従僕のように朝子の後に従ってホテルを出た。
   ×      ×       ×
 タクシーが止まったのは、私鉄のターミナル近く。狭い路地の両側にもその奥にも原色の光が溢れ、毒々しくネオンが輝いていた。朝子は、躊躇することなく、目の前の門を入っていき、小泉はここでも、後に従った。
 「その日、こういう所に来たっていうわけでしょ。小泉さんが言っているのは…」
 「まあ、ここではないようだけど。君が今日と同じように連れてきてくれた」
 「今日と同じように、か。まあ、いいわ。それで、どうなったっていうの」
 「決まっているじゃないか。目的は一つしかない」
 「その目的とやらを果たしたって、いうわけね。そして、あなたは、それが忘れようにも忘れられないっていうわけ。じゃ、その日と同じようにしましょうよ」
 「誤解とか、何とか言っているけど、何を言いたいんだね。君は?」
 「だから、あなたに、分からせてあげるのよ」
 小泉の頭脳は混乱の度を深めた。あの日曜日、朝子が俺を誘い、俺は付いていった。朝子がむしろリードして、俺は男としての務めを果たした。あの時の朝子と同じ朝子がここにいるのに、会話が空を切っている。女というものはこうまでふてぶてしくなれるものか。「分からせてやる」だと。一体、何を分からせようと言うんだ。
 「同じ事をしましょ」
 朝子はきっぱりと、切り出した。一歩も後に引かぬ意思を語調が伝えていた。
 「そんなに構えることはない。心中しようって訳じゃないんだから。この前は、ごく自然に出来たじゃないか。一体、どうしたんだね」
 「そうでしたっけ。とにかく同じにして下さい。全く同じように」
 細かなところまで、詳細に記憶しているほど小泉は若くなかったが、朝子とは絶対ないと思っていたことが、据膳の形で差し出されたのだから、あの日のことは、それでも、かなり良く覚えている。フルコースの後で、満足感のあるものと、不満が残るものとがあることを小泉も良く知っている。ただ、男の体液を放出するだけが目的のものと、夢に描いていた女性を相手に思いを遂げるのとでは、心的満足感が全く違う。空しさの残滓と満たされた後の余韻では質が、百八十度違うのだ。
 あの日の、朝子との後では、嬉しさを越えた幸福感が心を満たした。絶対手に入らない、
というより、手に入れずにおいたほうが良い、と自ら言い聞かせ、納得していたものが、向こうの方から飛び込んできたのだ。しかも、内容が空疎でなかった。打てば響く、触れれば応ずる。指揮者になり、奏者になり、揺れて流れて、めくるめくような協奏曲が奏でられた。「朝子と俺はぴったりだ」との確信が、得られたのがあの日だったのだ。
 それを「同じように」してくれと言う。
 小泉は、もう一度してみる気になった。
 (丁寧に、念入りに、一つ一つをじっくり味わいながら、やってみよう。朝子が、あの日の一度ならず、同じ事を二度までも求めてきている。役者だって、たった一度の演技より二度目はうまくやるはずだ。少なくとも、一度目の失敗は、しなくて済むし、一度目で味わい尽くせなかったものも、二度目には、十分味わうことができる)
 熱い口付け、脱衣、入浴ーー。順を追って小泉は朝子を、あの日と同じに扱い、より以上の気分を込めて反応を確かめ、快感を追究していったーーつもりだった。 だが、朝子はあの日の朝子ではなかった。先ず抱き締めたときの応じ方が違った。あ。あの日は、倒れ掛かるように小泉の胸に飛び込んできたのに、今度は引き寄せなければならなかった。口付けをし、唇を合わせても舌を縺れ合わせようとすることもない、口中に粘液が溢れることなどさらにない。
 着衣を脱がせに掛かっても、ただ人形のように目を閉じて、小泉がするに任せるままである。小泉の男性自身を求めて、目を潤ませていたあの日の朝子とは、姿形はそのままでも、中にあるものが、全く異なっていた。
 「どうも変だ。なにかが違う。朝ちゃん、おかしいよ」
 「えっ」
 「君が違う人みたいだ。一体どうしたんだね。気分でも悪いのかな。嫌だったら、止めてもいいんだよ。もともと、君が誘ったんだから」
 「いいえ、そのまま続けて下さい。同じにして欲しいの」
 同じように風呂に入り、朝子の体の隅々まで、全く同じように洗い、刺激を与えてみたが、外形的には何の変わりもない。勿論、湯の中で最も鋭敏な部分も触ってみた。中の構造も調べたが、指が覚えていたのと違わなかった。
 ただ、同じ一つの動作に対するリアクションが明らかに違っていた。秘めた部分の花びらに触れたとき、あの日の朝子には身を捩らせて、迎え入れようとの意思を感じたが、今日の朝子は、ただされるままに身を委ねているだけである。心と心が通じ合う手応えがなかった。小泉は段々、空しくなってきた。
 ベッドに移った。朝子はされるままにしている。「上になれ」と言えば、素直に従うし、
フェラチオもクニリングスもごく機械的にではあるが、一通りのことはお互いにしてみた。
だが、確かな手応えがない。打って応じるものが全くなかった。
 小泉は、そうしたもやもやとしたものが。胸中に広がっていくのを知覚して、早く終えてしまいたくなった。
 「下になってくれ」
 激しい抽送運動で小泉は果てた。ただ下半身に温もりを感じるだけで、心は冷え切っていた。これでは、単なる射精行為だ。男女の交わりとはほど遠い。
 ぐったりとして、朝子の白く豊かで柔らかな乳房の上に顔を埋めて、小泉は安息を求めたかった。左の頬を下にして、右の乳房に耳を触れた姿勢で、小泉は朝子の熱い血のたぎりを初めて聞いた。
 「ああ、この娘も生きているんだ」
と実感して、ほっとした。
 が、次の瞬間、戦慄が走った。充血し切った血液が下半身から引いていくのとは逆に、その血が一気に頭上に駆け上がった。朝子を跳ね除けるようにして起き上がった小泉は、毛布に足を絡ませて転倒し、意識を失った。
                
 それから一週間ほどして、小泉の会社に朝子が訪ねてきた。髪を無造作に束ね上げて、ポニーテールで後ろに垂らし、洗い晒しのTシャツとGパン。平日なのに、休日のような砕けた装いに、小泉は思わず、
 「どうしたんだね」
と素っとんきょうな声をあげた。
 朝子が昼日中から、会社に訪ねてきたのが初めてなら、いつも会うときは、成熟したOLの寸分の空きも無いファッション姿しか知らなかったから、二重の意外性が、小泉を一瞬、茫然とさせた。
 「どうしたって。ほら、この前、はっきりさせてあげるなんてたんかを切っておいて、尻切れ蜻蛉で終わってしまったでしょ。だから、宿題をして終おうと思ったの」
 「だが、君も酷い人だ。意識を失っている僕を置き去りにしていなくなってしまうなんて。全く、非人情だ」
 「あら、そんなの誤解よ。私はちゃんとホテル代を払って、おばさんに、連れはもう少し休むそうですから、少し経ったら起こしてやって下さいって念入りに頼んでおいたのよ」
 「それは有難う。起きたときは、ちゃんと下着を着けていたし、毛布も掛けてあった。おばさんはするべきことをしてくれたよ。だが、もし死んでしまっていたらどうする。君は少なくとも傷害致死罪だ」
 「その方が良かったかもね。置いてくるんじゃなかった。一思いに首を絞めれば…」
 「そんなに恨まれる覚えは無いな。恩に思われこそすれ、恨まれる筋合いはない」
 「そうかしら。でも、私の秘密を知って驚いて突き飛ばしたんでしょ」
 「そうだ。そのことに就いては、ずっと考えてきたんだが、まだ答えが出ない。ただ分かっていることは、あの日の君と、この前の君とは、外見は全く同じでも、全然違う女だ、ということだけだ」
 「じゃあ、今、ここにいる私はどうなの」
 「分からない。しかし、どちらか、確かめる方法はある」
 そういうと、小泉は朝子の手を引いて部屋を出た。ここは部下が机を並べていて、小泉がそれを窓側を背にして監督する形で配置されているが、隣に小泉が自由に使える小部屋がある。とかく、秘密の多い部署だから、きちんと鍵もかかるようになっている。小泉は管理職の特権として、時折この部屋に閉じ籠もって、「自由な時間」を過ごすことがある。 ここを使うことにした。
 ドアーを閉め鍵を掛けると、そこにある応接ソファに差し向かいで座り、
 「上着を取り給え」 
と命じた。
 「こんな昼間からするの」
 朝子が、媚びた表情をして、上目を使う。
 「いや、今日の君がどっちの君なのか、確かめるだけだ」
 その言葉に、朝子は自分からセーターを脱ぎ、スリップも上半身だけ脱いで乳房を丸出しにした。さらにGパンのチャックに手を掛けようとしたが、小泉は
 「いや、それで良い」
と止めた。
 「いつ見ても良いおっぱいだ。眩しいよ。それじゃあ、失敬して」
 小泉は身を乗り出して、先ず右手で左の乳房を鷲掴みにし、右耳を擦り付けた。
 「そんなに密着されると興奮しちゃうわ」
 「勝手にしたまえ」
 余りの時間の長さに、朝子の本能が解き放たれ、想像力が上昇カーブを描いたのか、吐息が洩れ出した。
 「よし、これで良い」
 序でにと、小泉はみっちり左側の乳房を吸って愛撫を十分に施した。
 「今度はこっちだ」
 次いで、左手で右の乳房を掴み、左の耳を擦り寄せた。更に念入りに愛撫し、乳首を勃起させたあと、乳頭を人指し指と中指で挾み、親指の腹で擦り上げた。
 「ああ、そんなにして……。下の方もして欲しくなっちゃうじゃないの」
 「分かった。これでよし」
 小泉は突然、作業を止めた。
 「答は得られた。しかし、私もこの儘では収まりそうにない。答えを出すのは収まってからにしよう」
 朝子のポニーテールの尻尾を掴んで、両手で頭を引き付け、いきり立ったものを押し付けると、朝子は待っていましたとばかりに、口内一杯に獲物を頬張った。
 ×      ×      ×
 「それは、こう言うことだ」
 放出した後の虚脱感を滲ませながら、小泉は机上のタバコを取り出して火を付け、大きく息を吸い、吐き出した。
 「今日の朝子はあの日の朝子だ。この前のではない」
と言って、おもむろに、
 「なぜなら、今日、君の心臓は左にある」
 「当たり前じゃない。心臓は左にあるに決まってるじゃない」
 「そうだ。そこが不思議なところだ。私はこのなぞが解けずに苦労した。だが答えは簡単だったよ」
 「………」
 「つまりだ。朝子は二人いたのだ。私の知っていた朝子と知らなかった朝子と」
 「二人ねえ」
 「もう、ここまで来て、惚けることはない。君は、私の友人の朝子ではない。これだけは、はっきりしている。先ず、好色な所が違う。私は、その方が、嬉しいがね」
 「好色かあ…。確かにね。好きだものな」
 「それに、もう一つ、決定的な事がある。君の方が、僕には相性が良いらしいということは、あの時から、感じていたが、どうも、君は、朝子の肉体の秘密を知らないようだね」 
 「肉体の秘密? ああ知ってるわよ。不感症ってこと…。そうなんだ。あの人。かわいそうなんだよね。だから、私に……」
 「君に、どうしたっていうわけ」
 「頼んだのよ。あなたを、喜ばせて、くれないかって」
 小泉は、その言葉をきいて、ぐっと詰まった。
 (それほどまでに、俺の事を)
との思いが、込み上げて来て、目が潤みそうになった。それを、堪えて、
 「もう、君も、分かっているだろうが、本物の朝子は、心臓が、右にあった。セックスの余韻を、僕は、君の胸の上でも楽しんだが、朝子の上でも楽しんだ。君の上では、右耳で、朝子の時は、左耳で、心臓の鼓動を聞いたことを、思い出して、分かったのだ」
と、解説した。
 「そして、医学書を調べてみたら、内臓反転といって、臓器の位置が、普通の人と、左右逆になって生まれてくるひとが、極たまにいるらしい。あの朝子は、それではないのかね」
 「まあ、そんなとこかな。よくお分かりになりましたこと。さすがは、緻密で細心な小泉さんね。で、これからどうします」
 「どうしますって。それより、君は、朝子の何なんだね。顔も姿も瓜二つ。あそこの形も構造まで変わりはなかった。性能だけは違ったようだが」
 「もうそこまで言われたら、仕方がないわね。私の名前は、夕子。朝子のカガミなの。現実世界の向こう側に、全く対称の鏡の世界があるの。そこから来たカガミ、すなわち、反転映像よ。朝子が、あんまり、嬉しそうだったから、こっち側の世界に、飛び出してきて、ちょっと、あなたをからかってやったのよ。どう、朝子より良かったでしょ」
 「まあね。でも、君の言葉は、信じられない。あの感触と快感には、しっかりとした手応えがあったもの。やはり、事実だし、現実だよ。映像なんかじゃない」
 「どっちでも良いわ。それで、どうするの。これからも、私と付き合う、それとも、もう止めにする」
 夕子は小泉を問い詰めた。
 「勿論、付き合うさ。君の本性が分かるまで」
 二人は、もう一度、別れの口付けを、息が詰まるまで、念入りに交わして、小部屋を出た。口内の粘液が、全部、吸い取られてしまったような、濃密なキスだった。
                  
 夕子に謎を掛けられた小泉は、朝子と夕子の関係を考え続けたが、明確な答えは得られなかった。日曜日に、電話をして来たのが、夕子であるのには、違いない。
 では、「けんかをした同居人というのが、朝子というわけか」
 「そう言えば、あいつが浮気しているから、わたしも…とも言っていたな」
 「二人は、レズビアンなんだろうか」
 色々と思いは、巡るが、
 (こういうことは、いくら、考えても仕方がない。まず。行動すること)
と思い付いて、朝子の家を訪ねてみることに決めた。
 住所は分かっていたから、朝子のマンションは、すぐに訪ね当てられた。
 エレベーターで上がり、部屋のインターホンを押したが、反応がない。初めは遠慮勝ちに、間を置いて押していたのが、焦れったくなって、押し続けていたら、やっと、中から応答があった。
 「うるさいわね。いま、入浴中なんだから、だれが来たって、部屋には入れないわよ。終わりまで、待ってなさい」
と、突き放すような音調で朝子の声がした。
 「あの、小泉ですが」
 「あっそう。どちらの、こいずみさん」
 「大学の先輩の小泉ですよ」
 「知らないわね。そんな人。部屋を間違ってんじゃない」
 「いえ、OOO号ですよね。山田朝子さんのお宅ではないんですか」
 「違いますよ。うちは、朝田昼子です。山田さんなんて、知りませんよ。ここへ来て、もうかなりになりますけどね。前に住んでいた人も、違う名前でしたよ」
 (一体、どういうことなのだ。朝子はどこに、行ってしまったんだ)
 小泉は、何がなんだか、分からなくなった。
 夕子の家は、もともと知らない。これで、全く手掛かりが無くなった。
 
 朝子から連絡もないままに、二か月が過ぎた。
 朝子の出版社に電話を入れてみたが、「ふた月程前に、退社致しました」と、女性が告げた。
 小泉に、なんの変哲もない、普通のサラリーマンの日常が、戻った。
 そんな時、独身の憂さ晴らしに、千葉県U市に所要があった帰りの夕方、ふらっと、ストリップ小屋に、入ってみた。
 入り口に「双子の姉妹の本物レズ」の看板があったのには、気が付かなかった。
 舞台の踊り子は、お客を上げての、生板ショウの真っ最中で、禿げた中年のおやじと工員らしい青年が、じゃんけんをして青年が勝った。おやじは実に残念そうな素振りで引き下がった。ところが、青年の物が、お客の視線や明るいライトで物の役に立たず、ヤジれれて、引っ込むと「それ見ろ」とばかりに、おやじが、ニヤっとしたのには、笑った。
 出し物は、段々過激になり、アダルト・ビデオ女優が出たときが最高調。若いファンが、
プレゼントを贈ったりして、盛り上がる。アイドル顔の女優も女の全てを見せて、オナニーショーを演じ、小泉の下半身も硬くなった。
 だが、この後の出し物が、もっと小泉を興奮させた。
 レズショーの女役のネコが、夕子、これを責めまくる男役のタチが、どう見ても、朝子に違いなかった。瓜二つの双子が、女同士の性の饗宴を演じ、周りを囲んだ男達は固唾を飲んでシーンとなった。
 小泉は我が目を疑った。
 朝子が腰の前に、長い鼻のテングの面を括りつけ、回り舞台に横たわった裕子の最も敏感な部分にさし込み引き抜くと、夕子は、“あの日”のように、徐々に、絞り上げ糸をひくような、よがり声を上げ、小泉の指が今でもはっきりと記憶している締まりの良い構造の内部から、液体を溢れさせると、それをライトがここぞとばかりにテカリと照らし出した。
 次には、朝子も、金糸銀糸が縫い込まれたはんてんのような上着を脱いで、全裸になり、
激しい女体と女体のぶつかり会いが始まった。レズ特有の細かい指づかいでお互いの秘部をまさぐり合い、電動コケシを駆使しての責め合いが続いた。
 互いの息使いのリズムが徐々に速度を速め、「あああ、あー」「はあああ、あー」の声が、聴覚を経由して観客の股間を刺激した。
 延々と続く二人のショウは、舞台での演技ではなく本物だ、と小泉は思っていた。
 しかし、どの踊り子にも持ち時間は決まっている。
 最後は、両側にかなり大きいペニス状の張り型が突き出た小道具を、陰部に食わえこみ、
腰を密着させてのグラインド。そして、二人の脚を松葉を絡ませるように、差し合わせ会い、陰毛の覆った部分を、必死に擦り合わせ、愛液でネットリとした性器を存分に刺激し会うと、遂に、カタルシスが訪れた。
 全てが演技だとは、小泉には、とても、信じ難かった。
 自分が客席に居ることに、二人が気付かなかったとは、思えない。
 いや、小泉を、見付けたからこそ、演技に「気」が入っていたのでは、とさえ、思われた。
 どうであれ、とにかく、小泉は、大いに満足した気分だった。
 (三千五百円は、高くはなかった。あの二人が、俺の付き合った朝子や夕子だったにしろ、そうで、なかったにしろ)
 表が朝子か、裏が夕子か、それとも、その反対か。
 「人生、表も裏も、いろいろあって、面白いんじゃないかい。そこの兄さんよ)
 道をはさんだ対面の、トタン葺の映画館のスピーカーから、あの「寅さん」節の口上が、
流れてきて、ストリップの呼び込みの声と混じり合い、空に消えていった。
                                  
 それから、十八年が過ぎた。
 小泉は、同期入社の者と比較しても、順調に、階段を登り、人事部長に出世していた。 食品産業の中でも、ビール業界は、物が嗜好品だけに、新製品競争が激しく、圧倒的シェアを誇っていた小泉の会社は、「ドライ」で攻勢をかけた下位メーカーに、急迫され、一時的に、苦境にたたされた。
 これを挽回しようと、技術陣が腕によりを掛けて、開発したのが、「生搾り」という製品で、一気に、ガリバー型と言われた寡占状態を取り戻す戦略にでた。
 シーズンの夏に入る前の、春先、新製品売り込みの先陣を務める営業サイドから、「生搾り」に相応しいキャンペーン・ガールを募集し、セールスのイメージ・キャラクターにしよう、とのアイデアが出され、小泉もその選考委員に駆り出された。
 あれから、長い独身生活に終止符を打ち、上司の取り持ちで、見合い結婚した小泉は、男の子と女の子の二児の父となり、典型的なマイホームを築いていた。妻は名門女子大でお嬢さん育ちだったが、家事も育児もそつなくこなし、二人の子供もスクスクと成長、まずは恵まれたサラリーマン生活を送っていた。 若い女性は、部下にはいたが、はやりの不倫関係になるような機会もなく、ストリップ小屋を覗くような事もほとんどなかった。 だから、送られてきた応募書類や写真を、審査と称して眺めるのは、密かな楽しみを小泉に与えてくれた。ピチピチとした若い女が、惜しげもなく、超ミニやハイレグの水着やレオタード姿で写っている全身写真が、山を成していた。
 履歴書も付いていたが、基本は何と言っても、顔の美しさと容姿。写真の善し悪しで、第一次の審査は決まる。さすがに、一流広告会社と組んで、大キャンペーンを、展開しただけに、どこかで見たことのあるようなモデル、タレントの卵たちや、思わず見惚れてしまうほど美人の素人の女子大生から高校生まで、いずれも自信たっぷりの、女性たちから、主催側が驚くほどの応募があった。
 小泉もそれらを丁寧に、一人ずつチェックしていった。
 作業に取り掛かって、三日目。手にした顔写真に何気なく見覚えがあった小泉は、全身写真を見てみると、そこには、見飽きた水着姿ではなく、修道女姿で微笑む若い女性が写っていた。
 記憶の糸を手繰った小泉が、突き当たったのは、紛れもなく朝子の顔だった。
 急いで、履歴書をみると、本籍・長崎県、現住所・長崎市大浦町OOOーーとあり、年齢十七歳の女子高校生だった。
 小泉は、直ちに、その書類を、第二次の面接進出者の方の籠に入れた。
 小泉の心に疑念が生じた。
 (この娘は、一体、誰なんだ。朝子=夕子に瓜ふたつ。だが、若し、朝子=夕子だとしても、年齢が合わない。すると、どちらかの子供か、それとも、親類か)
 (とにかく、東京に上京してくるのだから、会うことは出来る。会えば解るだろう)
と、自ら、二次予選出場者確定への根回しを、して回った。人事部長には、その位の権限はあったから、美人度は人並み以上の修道女姿の女子高生の書類審査合格はすんなり決まった。
 小泉は、その日が、待ち遠しくなった。
 桜の蕾が膨らみ始めた頃の週末に、その二次審査は行われた。
 (審査が開始される前に、その娘を捜して、終了後に会うことにしよう)
と思いついた小泉は、早めに会場にいって、娘を探したが、見付からなかった。そこで、案内役をしていた若手の部下に、
 「×××番の子に渡してくれ」
と、メモを託し、審査室に入った。
 流れ作業のようになった面接も、終わりに近づいた頃、その娘の番になった。
 黒っぽいコーデュロイのワンピース姿で入ってきたその娘は、思っていたより小柄で、写真の印象とは違った。写真では身長がわからなかったが、履歴書に身長162センチとあったのを確認し、納得した。
 (なにしろ、今時の、モデル達は、皆、大女ばかりだから)
 デカ女に食傷気味だった他の審査員も、何かホッと一息付けた、という表情をした。
 こういう審査には、決まり切った質問がされ、最後に、上着を脱がせ、下に来ていた水着姿を採点して、手順は終わる。素っ気ないほど普通の競泳用のスイム・スーツのようなシンプルな水着姿に、小泉は、10点満点の10点を付けた。
    ×    ×    ×
 その娘は、メモで、小泉が指定した一階のパーラーで、待っていた。小泉が、入っていくと、立ち上がって、可愛らしく丁寧に頭を下げた。
 「どうも、突然でびっくりなさったでしょう。時間は宜しいですか」
 「はい。別に、何も、用事はありませんから」
 「わざわざ、残っていただいたのは」
と、小泉は、説明しかけたが、娘が、
 「はい。分かっております」
と遮った。
 「と言いますと」
との小泉の怪訝な顔に、娘は、
 「私の素性を、お知りになりたいんでしょう」
と、追い討ちをかけた。
 「そうです。あなたが、私の知り合いに余りにも似ているものだから」
 「その通りですの。御想像なさった通り。私は、母の言葉を頼りにして、こういう機会をずっと待っていました」
 「母上は、やはり……」
 「ええ、昔、あなたと……」
 「そうでしたか。朝子さんですか」
 「いいえ。それは、分かりません」
 「というと…」
 狐に抓まれたような顔をした小泉に、娘が語ったのはーーーー。
 
 ーー応募書類に書きましたように、私は長崎で生まれ、育ちました。生まれたのは、修道院の助産所です。母は妊娠してから、その修道院に入って修道尼になろうと、決意し、私を生み落とした後、神に仕える身になりました。こんなことは、カソリックでは許されませんが、母の窮状を見た院長様の特別の計らいで、神の許しを請い、私を私生児として、生み落としたのです。
 時折、面会にきた母の問わず語りの話を私なりにまとめてみますと、母には双子の妹がいて、瓜二つだったそうです。他人がみても区別が付かないほど似ていて、よく間違えられたと言っていました。
 この二人の生涯忘れられない思い出は、学生時代の真面目な先輩を、二人で、取り合った事だった、と聞きました。この事は、私には伯母さんに当る母の妹にも、人生の最大の出来事として、記憶されているのだ、とも言いました。
 私の、出生の疑問は、父がだれなのかというのはもち論ですが、今では、母も果たしてその人なのか、あるいは、伯母なのかという所にまで、いっています。伯母を見たことも、会ったこともありまっせん。母の話によれば、母が、修道院に入った頃、スペインに渡り、そこでやはり、尼僧院に入ったといいます。 母は、昨年、修道院で、亡くなりました。私はそこにお世話になりながら、母と同じ道に入るため、高校に通いながら、神の心を学んでいます。
 でも、母が、いつも語ってくれた先輩が、私の父ではないのか、という思いが、いつも離れず、母の形見となった日記を繰ってみて、あなたの名前を見付け、雑誌で見たキャンペー・ガールに応募すれば、お会いできるのではないか、と微かな期待を抱いて、思い切って、応募の手紙を出してみたのです。
 
 小泉は混乱した。
 (確かに、朝子とも夕子ともそういう関係を持ったが、まさか、あれで妊娠したとは……。しかし、一体どちらの子供なんだ)
 「でも。証拠はないよね」
とつい、口走ってしまった。
 「母もそう言っていました。でも、私にはどうでも良いことです。母が私の本当の母でも、そうでなくても。伯母が本当の母であっても。私は私なのですから。それより私は、父がだれなのかを知りたいのです。あなたなのか、それとも、他の男のなのか。母の言葉の端々で、母も伯母もかなり、乱れた男性関係があったらしい事は、分かっています。ですから、先ず、あなたを、調べたい」
 「調べる? どういうことです」
 「今晩、一緒に、付き合って下さい。母の時と同じように。あの赤坂のホテルで待っています」
 その晩、小泉は、娘とホテルのツイン・ルームにいた。
 「私のことは、えみと呼び捨てにしてください。その方が、安心できるから」
 と言った後、小泉に意気なり抱き着いてきた。小泉は驚きながらも、それに応じ、縺れあって、ベッドに倒れた。
 いつのまにか、互いの着ているものも脱ぎ捨て、五十男と甘酸っぱい十代の娘の裸体が、
ベッドに並んでいた。
 「私、こういうことは、初めて。男の人と一緒の部屋に二人でいるのも、寝たのも、勿論、裸になっているのも。でも、やっと、ここまで来たんだっていう感じね」
 「ということは、当然、バージンだって言うこと? 申し訳ないね。ひょっとすると、僕が、お父さんかもしれないのに」
 「なにを誤解しているの。私は母のように淫乱じゃないわよ。するのは、ここまで。さあ、早く」
というと、小泉の下半身に頭を向け、まだ、萎えているままのそこを握ってしごき始めた。
だが、小泉も。若くはない。思いどおりに、屹立しないと知った、えみは、ツンとした形のいい唇をそこにもっていき、くわえると、前後運動を始めた。
 だが、自分の後ろは、決して、小泉の口のほうには近付けないで、体を横にしたままだ。
処女の草息れのような匂いを嗅がされ、下半身を、可愛い唇で嘗められて、小泉は、久し振りの、身震いするような、快感に見舞われ、一気に放出した。
 すると、えみは、出された物を、口中に含みながら、バッグから、小形の試験管様のガラス器を取り出し、中へ吐き出した。
 「君、何してるんだ」
と、小泉が問い詰めると、
 「これ、私の一番生搾りよ。友達が検査センターにいるから、調べてもらうんだ」
 「何を?」
 「決まってるでしょ。血液型よ。詳しくね。あんたが、私の父親かどうか。それで、分かるでしょ。ええと、次は」
 「次はって」
 えみは、手帳を見せた。五人の男の名前が書いてあった。
 「ほら、試験管もあと、五本。予備の一本も入れてね。結果は、後で知らせるわ。該当したら、あとは、よろしく、面倒みてくださいね。じゃあ、帰って」
 
 小泉は、不安な日々を送った。
 えみは、キャンペーン・ガールに選ばれなかった。
 それから、七年、えみから連絡はなかった。
 ただ、山田詠美という若い女性が、黒人男性との奔放な性を描いた小説で、旋風を巻き起こし、最近では、いろいろな文学賞の選考委員までしているのを、週刊誌で読んで、あのえみと、似ているなと、ぼんやり、考えたりしている。
 (あの日は、バージンよ、なんて言っていたのに、まったく、女は解ったもんじゃない)
 白いもののチラホラ混じった髮の毛を梳しながら、小泉は、
 (人生、いろいろ、表もあれば、裏もあるから、面白い、か)
と、こころのなかで、呟いた。
 
 「美佐子」
 
 渋谷109の目の前で待ち合わせて、その地下にある喫茶店に入ったのは、午後五時を過ぎていた。
 唯夫は、もう五年も付き合って、身も心も知り尽くしている美佐子から
 「話がある」
 と呼び出されたとき、
 (いよいよ、その時が来たか)
 と覚悟した。この五年間、二人は、結婚を考えながら、何方からとも言いだせずに、ずるずると、交際を続けてきた。付き合いはじめたときは、高校生だったから、唯夫は美佐子のセーラー服姿を知っている、美佐子も唯夫がにきび面の高校生だったころを知っていた。
 大学は違ったが、家から電車で通学する時は、いつも一緒だった。唯夫は私立共学の大学に進んだが、美佐子は、国立の二期校に行った。二人とも、国立の一期校を第一志望にしていたが、付き合い初めてから、成績が落ちはじめ、仕方なく、合格した第二志望の大学に進学したのだった。それでも、二人に悔いはなかった。
 「親たちは失望しているかも入れないけど、僕は何とも思っていないさ、大事な十代の終わりの時期を、勉強ばかりで過ごすなんて、地獄だよ。僕は君と付き合ってよかった」
 卒業式のあと、一緒に行った河原で、唯夫が言うと、美佐子は、じっと眼を見て、瞳を濡らしながら、
 「私も」
 と頷いたのだった。
 「ずっと、こうしていたのな。でも、無理だから、必ず、別れてしまうけど、また、明日になったら、こうしていたいな」
 唯夫の方に頭を載せながら、落ちていく夕日の斜めの光と横顔に受けて、美佐子はそういった。
 「大丈夫さ。僕たちが、大学生になれば、もっと、自由に会えるじゃないか」
 そうして、入った大学だったが、二人は、殆ど講義に出なかった。大学紛争が吹き荒れて、キャンパスが封鎖され、まともな講義がなかことを良いことに、二人はいつも横浜で、遊んでいた。最初は山下公園でベンチに座って一日中、船と海を眺めていたが、それに飽きると、歩いて岡を上り、港の見える丘公園から、外人墓地、山手地区の西洋館を当たりを歩き回って、一日を過ごした。二年生の夏には、湘南海岸で一日中、体を焼いていた。殆どを二人きりで過ごし、毎日のようにセックスをしたが、避妊には十分な注意をしたので、妊娠はしなかった。
 そうして、学生時代をずっと、恋人のように過ごしてきたふたりだったが、唯夫が四年生のときに、卒業の単位を取れずに、留年したのに、美佐子は、すんなりと、卒業して、念願の小学校教師になってから、関係に微妙な影が差しはじめた。美佐子は社会人になり、年齢も二十四歳になっていたから、適齢期だった。だが、唯夫はまだ、大学生で、就職も決まっていない頼りない状態だったから、美佐子の心に、何かが生じて始めていることを、唯夫はうすうす感じはじめていた。
 美佐子は関係を確認したがっていた。唯夫は、触れたくなかった。だから、美佐子に呼び出しを受けたとき、唯夫は、
 (いよいよ、そのときが来た)
 と直観したのだ。
 
 「ねえ、どうするつもり」
 「なにを」
 「惚けないでよ。私達のこれからのこと」
 「ああ、変わらないんじゃないの」
 「このままなの」
 美佐子は、そう呟いて、テーブルの上のカフェオレのカップを口許に持っていった。
 唯夫もそれに合わせて、キリマンジャロのコーヒーを一口、啜った。短い沈黙のあと、美佐子は意を決したように、
 「もう、私達、会えないわ」
 とポツリと言った。それは、唯夫の予想していたことだった。
 「そうだな。そうしたいなら、そうするさ」
 「いいわね。私達が、合うのは今日が最後ってこと]
 唯夫は黙って、頷いた。そして、黙ったまま、外に出て、丸山町への坂を上っていった。
 それが、一昨年の夏だった。
 
 唯夫は翌年の春には、無事、大学を卒業できたが、就職はできなかった。留年して、歳が食っていたうえに、不況で就職は氷河期を迎えていた。卒業後も夏までは積極的に会社回りもしたが、希望する会社は、不採用だったり、募集がなかったりで、まったく、成果がなかった。沈んだ気持ちで、毎日、二階の自室から、空を見ていた。そんなとき、美佐子が暑中見舞いの手紙を寄越したのだ。
 ーー 暑さ厳しき折ですが、元気にお過ごしのことと存じます。ところで、報告が後れましたが、私、昨年春に結婚しました。新しい住所をお知らせしますーー。
 そういう文の後に、住所と電話番号が書いてあった。姓は変わっていなかった。唯夫と同じで、美佐子の姓でもある吉田というままだった。
 (そうか、結婚したのか)
 という感慨が強かったが、そのあとすぐに、
 (新しい亭主と美佐子は、上手くいっているのだろうか)
 と言う疑問とともに、あるイメージが湧いてきた。それは、あまりの暑さのせいかもしれなかったが、隅々まで知りつくした美佐子の裸身が、脳裏に浮かんできたのだ。
 (おれが、知り尽くしている美佐子の体を、新しい夫はどこまで知っているのだろうか)
 と唯夫は考えていた。「新しい夫」という言葉は、おかしかった。美佐子は初婚なのだから、夫を持つのは初めてなのだ。だが、唯夫は自分がそう考えたことで、その見も知らぬ夫に、密かな優越感を感じていたのかもしれない。
 (美佐子の体は、俺が知り尽くしている)
 という卑猥な思いが過ったのは、敗者の逆立ちした優越感のためである。
 唯夫は美佐子の手紙を、手に持ったまま考えていた。
 (こういう手紙を寄越したのは、時節の挨拶にかこつけて、この家を訪ねて来てくれという誘いではないのか。少なくとも、電話をくれという思いがあるのではないか)
 と推測を巡らしていた。
 だが、決断は付かない。うじうじと、考えているままに、寝てしまった。むしろ、美佐子のことを忘れようとして、眠りに落ちたのかもしれない。
 そうして、夏が過ぎ、秋風が吹き出したころ、また、美佐子から手紙が来た。
 ーー 御無沙汰しています。お元気ですか。私のほうには、小さな喜びがありました。子供が生まれました。男の子です。名前は唯と名付けました。貴方に似ていますーー。そういう文があり、赤ん坊の写真が載っていた。まるまると太った愛らしい顔が、笑って、こちらを見ていた。
 (そうか、もう、子供が出来たのか。月日は着実に過ぎていくな)
 手紙を手にしたまま、唯夫は感慨に耽っていた。依然、就職は決まらず、無為徒食日々を過ごしていた自分の身が、哀れになった。
 そう考えると、唯夫は無性に、美佐子に会ってみたくなった。人妻になった昔の恋人に会いに行くのは、男として、すべきことではない、とは分かっていたが、体の奥から湧いて来る寂しさが、癒しと温もりを求めていた。
 それには、先ず最初に、電話して見ることだ。そう唯夫は気が付いて、電話器の前に行ったが、受話器を取り上げることは出来なかった。
 (もし、電話に夫が出たら、何と言えばいいのか)
 そう考えると、当意即妙の答えを出来る自信はなかった。だが、会ってみたい気持ちは、すこしも、おさまらない。
 (そうか、夫がいない時間なら、大丈夫だ)
 と思い至って、そうしようとも思った。
 (だが、家人はほかにいるかもしれない[
 たいかに、美佐子は夫と二人暮らしではないかもしれないのだ。手紙だけでは、その点は分からない。もし、姑か姑女がいたら、ことはもっと、面倒になる。
 丸一日、思い悩んで、その日も寝てしまった。難問の解決には、眠りが一番だと、唯夫は信じていた。嫌なことは、全て忘れられるし、難問は先送りできる。そして、また、明日、考えればいいのだ。
 そして、その翌日になった。唯夫は、思い切って、十一時ごろに、手紙にあった電話番号に電話した。受話器に出てきたのは、聞き覚えのある美佐子の甘ったるい鼻声だった。
 「あら、お久し振り、元気ですか」
 「結婚して子供が出来たんだって、おめでとう」
 「有り難う。お変わりないですか」
 差し障りのない会話が続いた。
 「お祝いをしたいんですが」
 「そう、有り難う。ご心配頂いて」
 「何がいいですか」
 「そうね、赤ちゃんのおもちゃがいいわね。メリーゴーラウンドがいいわ」
 美佐子は、唯夫の申し出に、ハッキリと希望を言った。
 (そういう、ちゃっかりしたところは、変わっていない。だから、はやばやと、俺を捨てて、結婚したりしたんだ)
 唯夫は無念さと悔しさを初めて感じた。
 「じゃあ、そのうち、持って伺いますが、いいですか」
 「喜んで、お待ちしています」
 それだけの会話で、電話は切れた。思い悩んだ割には、あっさりした会話だった。
 だが、それで、胸の支えが降りた感じがした唯夫は、その日のうちに、おもちゃ屋に行き、お祝いの品の用意を整えた。
 翌日、唯夫は、美佐子の新居を訪れた。
 産休に入っている美佐子は、赤子を抱いて玄関に現れ、奥の座敷に招き入れた。室内の様子では、他に家族がいるような感じはしなかった。だが、美佐子が、
 「主人は会社に行っていますので」
 と挨拶したので、唯夫は納得した。
 抱いている赤ん坊の顔を見ると、確かに唯夫に良く似ていた。アルバムに這ってある唯夫の赤ん坊のころの写真と瓜二つだった。
 「本当に、あなたに似ているでしょう。主人が、本当におれの子かって、疑うんですよ。全く似てないから」
 美佐子は、貞淑な人妻の丁寧さを見せながら、そう言った。
 
 その日は、遅くまで、昔話に話が弾んで、夕食まで御馳走になり、そろそろ帰ろうかと唯夫が席を立ちかかると、美佐子が、
 「今夜は主人は、宿直なんです。だから、気を使わずに、ゆっくりしていって下さい」
と懇願するように、引き止めた。
 赤ん坊は二階のベビーベッドですやすやと寝息を立てていた。
 唯夫は進められるままに、その夜、美佐子の家に泊まった。久し振りに体を合わせた美佐子は、すっかり、成熟した大人の女になっていた。
 「わたし、こうなることを望んでいたんだわ」
 終えたあとの布団上で、美佐子は唯夫の髪を撫でながら、呟いた。
 「おれも、こうなるべきだと思っていた」
 美佐子は、生まれた男の子を、唯夫の子だ、と言った。密かに、血液検査をしてみたら、夫の血液型では、生まれる分けがない関係だと分かった。唯夫なら可能だという。
 「わたしは、あなたとしか、していないしね」
 「だって、結婚したんだろう」
 「そう、あなたとよ」
 
 唯夫は、美佐子が結婚したという夫の姿を知らない。それで、いいのだと思っている。
 「ねえ、パパ、今日はママはお出かけよ。おめかしをして、出ていったわ。遅くなるんだって。もしかして,デートかもよ」
 日曜だったので、ゆっくり寝ていた唯夫を起こす、娘の声がした。
 (たしか、俺の赤ん坊は、男だったはずだが)
 唯夫は眠い頭で考えた。
 青春の夢を見たのだ。
                     
 「真知子」
 
 山形県のY市の郊外に、鄙びた温泉旅館が密集した里がある。近年は、列島リゾート化に乗って、スキー場所などのリゾート施設が開発され、洒落た別荘やリゾート・マンションも建つようになったが、その頃は、木造の古い旅館が、狭い道沿いに数軒、並んでいるだけだった。それでも、町の中心部にある老舗の旅館は、江戸時代に藩主が逗留したという格式を誇っており、門構えも、部屋も、「さすがに」と宿泊した人たちを驚かせるに十分だった。鄙びた温泉の旅館とは、思えないくらいの、建物だったのだ。
 その頃は、まだ、レジャーが、人々の間に浸透していなかったから、その旅館が、観光用の目玉にされるようなこともなく、一部の事情通と旅行好きな人たちだけが、知っていた。山形県の観光案内書にも、名前は載っていた。だが、客室数と一泊二食付きの宿泊料金が、そっけなく記載されていただけで、そういう立派な旅館とは、分からないのだ。
 小坂広は、その旅館のことを、県の役人から聞いた。秋の旅行特集の取材で会った経済部の課長が、
 「小坂さん。いい宿があるんですよ。一度、行ってみませんか」
 と水を向け、その宿の話をしたのである。
 休みを取る予定のなかった小坂は、その時は、そう関心もなく、
 「そうですか。いいですね。そん鄙びた宿でゆっくりしたいな」
 と応じて、連絡先の電話番号などを書いたメモを貰っていた。
 そのことは、その後、すっかり忘れていたが、その年の冬になって、小坂の身辺にある事情が生じた。それは、付き合っていた真知子との仲が、急速に進展し、親密さが増してきて、
 「一緒にどこかに、小旅行にいこう」
 という話になったのである。その話は、真知子の方から、言いだした。夏が終わるころには、毎日のように仕事が終わってからのデートを重ね、休日の前の日には、一緒に食事をしたあと、夜遅くまで、小坂の家にいて、体を求め会う仲になっていたが、泊まっていくことはなかった。どんなに遅くなっても、小坂は真知子を、たった一人の母が待つアパートに送っていった。女手一つで一人娘を育て上げた老いた母親は、娘の所業に厳格だった。どんなに遅くなっても、娘に、家に帰ってくるように言い、外泊は理由がなければ認めなかった。その真知子が、自分から、
 「旅行に行きたい」
 と言いだしたのは、愛する男と一緒に朝を迎えたいという気持ちからのことだった、いつも、激しく愛し合ったあと、僅かな余韻だけを感じながら、帰りの身繕いをするのは、真知子の方だったから、燃えきれない残り火を抱えて、ほてったままの体で、独り寝の床に着くのが、苦しくなっていたのかもしれない。
 「そういう夜は、もういいわ」
 真知子は、秋風が吹きはじめた頃の行為のあとで、耳元で小坂に囁いたことがある。 「僕も、帰したくないよ。朝まで、こうして、一緒になっていたい」
 繋がったままの下半身を、真知子の尻と引き寄せながら、小坂は、そう答えた。真知子は、両手で強くしがみついてきて、体を上に返して、小坂の唇を貪った。
 そんなことがあってから、小坂の心のなかで、真知子と一緒に、旅行にいこう、という思いが、徐々に大きくなっていった。そして、冬休みの日程が決まったのを機に、真知子も同じ日に公休を取った。一月も前から、老母には
 「労働組合の役員会で、一泊旅行に行く」
 と話しておいた。老母は何の疑いも持たずに、外泊を許可した。実際、真知子は、組合の婦人部の副部長だったし、そういう会合で、遅くなったり、泊まってくることも、一度はあったのだ。着々と、手は打たれた。あとは、その旅館に連絡して、宿泊の予約をとる作業だけが残っていた。
 「もしもし、実は県庁の知り合いから、紹介されたんですが」
 電話口で、小坂がそういうと、相手は、恐縮して、
 「そうですか。そういうことなら、よろこんでお待ちしております。家で一番の部屋を用意しておきますよ」
 初老の年頃らしい宿の番頭は、そう言って、電話を切った。
 
 雪が降っていた。もう毎日のように降り続いている雪は、その温泉に車が近付くに連れて激しくなった。Y市の市街地から、山の中に入って行き、暗い森を抜けて突き当たった所に、山肌にへばりつくようにして、宿が建っていた。その旅館街に入っていく最後の坂が急坂だった。地元の車はスノータイヤやチェーンを付けていて、軽々と、凍りついた坂を上っていったが、小坂の車はノーマルタイヤを付けたまま、強行軍でここまで辿り付いたが流石に、もう限界だった。坂道の途中でタイヤは空転しはじめ、ついに進まなくなった。すでに日はどっぷりと暮れ、辺りは漆黒の闇だった。出掛けたのが遅かったから、その位の時刻になることは、予想していた。宿にも、到着が少し遅くなる、とは言ってあった。だから、焦ることはないのだが、折角、眼の前まで来ていて、ここでチェーンを付けるのは、面倒でしかなかった。だが、仕方がない、小坂は、車を出て、トランクからジャッキとチェーンを取り出して、後輪を持ち上げ、装着した。
 その間、真知子は、助手席で、待っていた。そして、手早く、チェーンを取り付けおわった小坂が、道具をトランクに放り込んで、運転席に戻ると、いきなり、しがみついてきて、
 「あなたって、やっぱり頼もしい」
 と、濡れた目で見つめたのだった。
 その宿では、老番頭が待っていて、雪に濡れた持ち物の雪を払うと、それを手にして、廊下を先導していった。途中に橋があったりする長い廊下をかなり歩いて、よく磨きこまれて、黒光りしている急な階段を登ると、すぐの部屋の襖を開いて、
 「どうぞ、こちらです」
 と招き入れた。
 素晴らしい部屋だった。広さは、二十畳ほども、あろうか。途中に欄間がある二部屋の襖を開いて、一つにしてあり、大きな床の間には、武将の鎧兜が鎮座していた。向こうの部屋は書院作りで、二段棚の上に一輪挿しの花が生けてあり、暗い空間に明るい点景を作っていた。こちらの部屋の机の上には、来客をもてなす、茶菓が乗っていた。暖房は聞いていたが、そう強くしていないためか、ひんやりとした空気が、入っていった二人の肌に感じられた。
 「いま、暖房を強くしますから、暫く待っていて下さい。それから、お風呂にしますか、それとも、食事になさいますか」
 番頭は、用件を切りだした。
 小坂は真知子を見たが、真知子は何も言わなかった。
 「お風呂は、大浴場が地下にあります。その奥に家族風呂もありますよ」
 番頭は風呂を進めているようだった。風呂に入っているあいだに、食事の用意をしたほうが、段取りがいいのだろう。小坂は、
 「じゃあ、風呂に入ります。家族風呂は、いま入れますか」
 「ええ、大丈夫です。本当は順番なんですが、この時間は、あいていますから」
 「では、そうします」
 「いま、鍵を持ってきます、ちょっと、待っていてください。その間に、宿帳を書いておいて下さい」
 番頭は、書類を鉛筆を置いて、部屋を出ていった。
 宿泊者名簿と印刷されたその書類には、住所、氏名、年齢、職業、続柄、電話番号、このあと行く場所などを書く欄があった。小坂はできるだけ正しく書いたが、真知子の前の続柄の欄だけは、考えた。まさか愛人と書けるわけがない。婚約者とも書けない。まだ、そうではないのだし、やはり、正直にいえば、恋人なのだ。だが、世間に恋人という続柄があるわけはない。
 「ねえ、続柄は、妻にしておくよ」
 小坂が、真知子にそういうと、真知子は、
 「妻なの。私、広さんの妻なのね。なら、妻らしくしなくちゃね」
 小坂が書き入れた「妻」の字をしみじみと眺めながら、真知子は、眼を潤ませていた。
 あの役人には、小坂が独身か、妻帯者かを言っていない。宿を予約したときは、大人二人としか、言っていなかった。なにも、嘘はないと、小坂は自分に言い聞かせた。真知子を妻と偽った以外は、公明正大に、振る舞っていいはずだった。
 番頭が家族風呂の鍵を持ってきた。小坂と真知子は、浴衣に着替えて、手拭いを手に、家族風呂に向かった。真知子と一緒に、二人だけで風呂に入るのは、初めてではない。小坂の家に来たとき、何度か、真知子は小坂と一緒に風呂に入った。そのとき、それは布団に行く前の、前技の一部にもなっていた。十分に肌を合わせて、気持ちを昂らせたあと、二人は一体になった。また、終えたあとの安らぎを入浴で求めたこともある。そういうとき、真知子は、満たされる気持ちで、送っていった小坂の車から、降りていく。糸を引かれる思いとは、そのことなのだと、小坂は、実感していた。
 だが、今日は、そういう思いをしないですむ。夜が開けるまで、心置きなく、真知子と布団の中にいることができる。互いの熱りが失せるまで、あるいは、熱りを宿したままで、燃え尽きることができるかもしれない。それは、めくるめく、不眠の夜を予感させた。
 家族風呂とはいえ、石組の湯口から豊富に湯が溢れだしている、その風呂に、小坂は先に入って、真知子を待った。女性が、生まれたままの姿になって、風呂の扉を開けて、入ってくる瞬間を、視姦するように見ているのが、小坂は好きだった。前を隠さずに入ってくる人は少ないのだ。どのようにして、前を隠し、どういう仕種で、足を踏み入れるのか。その瞬間に、その女性の異性に対する意識が凝縮されている感じがした。
 真知子のそのときの仕種は、いつも小坂に感動を与えた。あるときは、下だけを隠し、胸は露にして、ピンク色の乳首を尖らせて入ってきた。多分、小坂を待たせているあいだ、真知子は、乳房を刺激して、勃起させてのだ。また、ある時は、胸だけを画して、下半身の女性の部分を露出させて入ってきた。小坂がその部分を見つめると、その黒い部分は、綺麗に刈り整えられていた。真知子は、そうして、小坂の心を捕らえたのだった。
 (この子は、娼婦の素質を持っている)
 小坂は、そう思いながら、真知子の戦略に翻弄されていった。
 この日、真知子は、長い髪を頭上に巻き上げて、日本髪のように束ね、薄く眉墨を掃いて、顔に化粧をしたまま、入ってきた。全裸だった。体に一糸も纏わず、ゆっくりと、荒い場に腰を降ろして、横になって、盥に湯をとって、体にかけた。二、三度、方から湯をかけたあと、
 「入っていいですか」
 と聞いて、湯船に入ってきた。右足からゆっくりと体を湯船に入れるとき、下半身の黒い部分が開いて、割れ目が見えた。風呂から湯が溢れ、そのとき、檜の香りが浴室を満たしはじめた。湯船は大人二人が、ゆったりと浸かることが出来るほど広かった。真知子は、小坂の横に並んで、湯に浸かった。
 「見ていたよ。綺麗だった」
 「あら、恥ずかしいわ。そんなに、見られると恥ずかしい」
 「見てほしいくせに」
 「いやよ、そんな言い方は」
 「綺麗な体だ」
 小坂は、耐えきれずに、真知子の乳房に手を伸ばして、握った。乳首が立っていた。その乳首を指で刺激すると、真知子は、身を引いて、必至で耐える表情をした。小坂は、両手で乳房を掴むと、ゆっくりともみしだいた。真知子は、さらに、身を引いて、檜風呂の角に頭を載せて、のけ反った。その行為が続くうちに、束ねてあった髪が解けて、はらりと湯に落ちた。髪の先が濡れて、表に広がった。小坂は、次に、右手で真知子の、秘所をまさぐった。内部まで探りを入れると、その部分は、もうすっかり、濡れていた。その粘り具合いが、それが、お湯のせいではなく、内部からの液体であることをん物語っていた。真知子は体を痙攣させながらも、右手で小坂の下半身を探っていた。その硬いもの探り当てて、握った。握りながら、頭を湯の中に入れると、その部分に口を持っていった。湯面に黒い髪が、広がった。小坂は、腰を上げて、真知子の頭を湯のなかから、外の持ち上げた。そして、立ち上がって、真知子の口の運動を上から見ていた。
 そうして、始まった二人の饗宴は、最後に、風呂から出て、互いの体を石鹸で包み込み、洗いあうことで、フィナーレを迎えた。そのころは、体は真っ赤に紅潮し、逆上せそうになっていたが、次々に訪れる快感が、互いを虜にしていた。考ええる限りの痴態を二人は共演した。ただ、最後の行為は、取っておいた。真知子の秘部は、十分に小坂の物を受け入れられる状態になっていたし、小坂も、十分な硬度を維持していた。だが、最後の突入は取っておいた。最後の最後にむさぶり尽くせばいいのだし、今日は、いつもと違って、十分な時間があるのだ。
 (朝まで、寝ないでいても、いいんだ)
 一晩中、繋がったままでいられたら、どんなに、幸せなことか。二人はそのことを、言葉には出さなかったが、宿に来ることで、暗黙の了解をしていた。
 
 風呂から出ると、部屋には、食べきれないほどの食事が用意してあった。この地方で取れると山菜なのの山の幸、川魚、それに山の中というのに、刺身まであった。メインは特産の牛肉の味噌焼きだった。大切に肥育されたこの地方の牛肉は、東京では偽って、松坂牛のラベルを付けて売られることもあった。それでも、問題は起きなかった。品質が松坂牛に匹敵していたからだ。むしろ、凌駕しているという声さえあった。
 風呂のなかでの艶技ですっかり、体力を消耗していたし、血流も活発になっていたから、この大量の料理を、二人は残さずにぺろりと平らげた。食事が終わると、中居が食卓を下げにきて、番頭が、布団を敷いた。敷布団が二枚。ひ色のはぶたえの高級品だった。そして、純白のカバーに包まれた薄い賭布団も二枚。それが、一つの床となったとき、小坂は、布団のある場所だけが、照明を浴びて、浮かびあがっているように感じた。後で、部屋の照明を消してみると、確かに、一灯だけになった白熱灯の照明はその部分にしか、当たらなかった。それは、点照明に照らされた舞台の上の装置に見えた。
 真知子は、独り分しかない寝具を眼にして、顔を赤らめていた。番頭は、
 「では、ごゆっくり。明日は、お起きになったら、知らせてください」
 と新婚客に対するような気配りを見せて、下がっていった。
 「寝ようか」
 小坂が誘うと、真知子は、頷いた。
 布団の右側に小坂がもぐり込むと、すぐに、真知子も、どてらを脱いで、左側に滑り込んできた。窓の外に、夜雪が降る、しんしんとした音が聞こえていた。残っていた最後の部屋の照明を消すと、小さな枕元のスタンド光だけが、二人を見るよすになった。小坂は、寄ってきた真知子の顔を左の腕に載せながら、天井の下に下がっている欄間を見た。猿が三匹、掘ってあった。大きな葉を付けた木の間に、猿が三匹こちらを向いて、眼と口と耳を覆っていた。日光東照宮の左甚五郎の「三猿」を真似た欄間の彫刻だった。
 (猿だけが見ている。これから始まる、男と女のめくるめく行為を。だが、猿たちは、秘密を漏らさない)
 小坂は、漠然と考えながら、真知子の唇と吸い、浴衣を脱がしはじめた。真知子は、下着を付けていなかった。そのことに気が付いたのは、そのときだったので、
 「下着を付けていないのか」
 と思わず口走った。
 「そう、お風呂から出てから、ずっとよ。そのほうが、うっとおしくないもの」
 真知子は当たり前のように、答えた。
 下着を付けない理由はすぐに分かった。陰部は熱く熱り、愛液がしたたり、溢れ出ていたのだ。それが、太股を伝って、流れそうだった。これでは、下着を付けても、何度も履き変えないといけない。小坂の物はすぐに、硬度を取り戻した。わすかな愛撫のあと、すぐに、小坂は上になって真知子の中に挿入した。その瞬間、真知子は、「ああっ」と吐息を漏らしたが、すぐに、うっとりとした表情になり、「強く、ね、強く」と鼻声で訴えた。小坂は、全力を絞って、坂を上りはじめた。
 その夜は眠らなかった。長い一戦を戦いおえたあと、すぐに、臨戦体制が整い、真知子も、待っていた。戦いは繰り返された。何度坂を上り、何度下ったかを、小坂は覚えていない。ただ、真知子が、戦いの旅に上げる声と最後に内部が波うつリズムが強くなったのだけは、下半身が体で覚えていた。果てたあとの、内部の収縮の度合いも、徐々に激しくなった。そして、愛液は洪水となった溢れだし、小坂の乾いた喉を潤すだけでは、足らず、外部に溢れて、シーツを丸く濡らした。だが、それも、あっというまに乾いて、染みは残さなかった。小坂はその時初めて、女性の秘部が出す液が、ねばっこい手触りとは違い、蒸発しやすい成分で出来ているのを知った。
 窓に光が差し、朝がやって来たのを、小坂は、眼の前に見えるもの全てが、黄色く変色して見えることで、理解した。周囲が黄色く変色して見えたのは、これまでの何回かの徹夜明けでは、なかったことだ。何時もは暗い闇の中を、光が切り裂いて朝になったのに、この朝は、柔らかく朝がやって来た。黄色い光が、段々と明るくなり、さらに白くなったころ、やっと、小坂は、真知子から離れて、布団から起き上がった。時計を見ると、午前十一時を回ったときだった。
 「遅くなってしまった。はやく起きないと、迷惑を掛ける」
 小坂が、呟くと、真知子は、
 「まず、お風呂に入りましょうよ。でも洗わないわ。あなたの残り香を流したくないから。さっと、入ってきましょうね」
 と言いだした。そうだ、そうすれば、気分はまた、リフレッシュされるだろう。だが、一緒に入ったら、またしたくなる。ここは、別々に、なってもいいだろう。食べたかったものを腹一杯食べて、満腹したら、少し休んだほうがいい。小坂はそう考えて、男の大浴槽に行くと真知子に言った。真知子も女風呂に行く、積もりだったから、だまった頷いた。
 小坂が、風呂に入って、自分の逸物を見ていると、真っ赤になっているのが分かった。なんども、真知子の中に入り、暴れまわって、すっかり、疲れ切っていた。小坂は、息子の健闘を讃えたかった。湯船に浸かったまま、袋と一緒にして、両手で柔らかく包み込み、慈しむように握っていた。石鹸で洗ってみようとは考えなかった。真知子の液を吸いつくし、しみ込んだ、その部分を今日は一日、そのままにしておこう。そう思ういと快感が脳髄を貫いた。真知子も、今頃、こいつに、翻弄されたあの部分を、洗おうかどうか、迷っているかもしれない。そのままにして、小坂の匂いを付けたまま、家に帰ろうとしているかもしれない。そうに違いないと深く信じて、小坂は、烏の行水をしただけで、風呂を出た。それだけで、十分、気力は回復していた。
 部屋に帰ると、既に、真知子は、着替えを済ませていた。朝食が運ばれ、番頭が顔を出した。
 「昨夜は、良く眠れましたか」
 紋切り型の朝の挨拶をして、番頭は笑ってみせた。その顔は、
 「寝ないで、楽しめましたか」
 と言いたいのを、堪えているように小坂には見えた。
 干物と半熟の温泉卵に山菜の味噌汁、焼き海苔と漬物の朝食は、うまかった。真知子も全てを平らげた。それは、二人がまったく健康なのを証明していた。健康な体が、十分な運動をしたあとでは、食事はうまい。
 帳場で支払いを済まして、宿を出ようとしたときに、番頭がやって来て、
 「また、お出で下さい。こんどは、ご家族で。今日は天気が良いようです。この辺では、春は素晴らしい新緑、秋には全山の見事な紅葉が楽しめます。いつでもいいですから、お出でください」
 と言った。
 「素晴らしい部屋で、感激しました。さすがに、藩主の隠れ宿のことはありますね。食事もうまかった」
 小坂が、感謝の気持ちを言った。
 「あの部屋は、その藩主が泊まられた部屋ですからね。家で一番の部屋です。欄間に猿が掘られていたでしょう、あの猿は、部屋に泊まられた方を絶対に忘れません。私達の心と同じですよ」
 と番頭は、説明した。
 猿は、一匹ずつでは、見も、聞きも、話しもしないが、一匹ずつは、聞き、話し、見ているのだ。それも三匹が協力して。だから、忘れないのだろう。小坂は、三猿の裏を考えて、暗然いとなった、昨夜、小坂が真知子を繰り広げた愛の演技は、あの猿たちが覚えていて、見るたびに思い出させる。いつか、この宿を裁訪する機会があったら、あの猿たちは、あそこに居るかぎり、小坂に、この夜のことを思い出すように迫るだろう。小坂には、快楽を極める歓喜の夜になったが、それは、裏返せば、真知子を巻き込んで、ある負い目を負わせる結果になった。
 
 それから、一年して、小坂が、東京に転勤した。去るもの、日々にうとしという諺の通り、真知子とは疎遠になり、親戚の勧めをあって、お見合いをして、結婚した。一男一女の二人の子供も生まれた。平凡なサラリーマン生活を送りながらも、小坂は、真知子のことを忘れられずに、何度か、その町に行って、消息を探したが、真知子は、前の住所にはいなかった。噂では、老母が死んだあと、この町を出ていって、帰ってこないという。真知子は何処かに、行ってしまったのだ。
 
 小坂は、定年を迎えた。人生を六十歳を過不足無く生き抜いて、一線から身を引く時期になったのだ。
 「定年になったら、二人で温泉巡りでもしよう」
 と妻の圭子と話していたから、小坂は、妻との約束を果たそうと、小旅行のプランを作り始めた。適当な宿をガイドブックを手に探していると、あの温泉宿の名前を見つけた。そのページを開けて見ると、建物の写真が載っていた。それは、小坂が知っているあの日の宿とは、全く違う外観をしていた。鉄筋コンクリートの堂々として建物が写っていた。だが、名前は同じだった。小坂は、懐かしさを感じて、ぜひ行ってみたくなった。あの大きな部屋はどうなたったのだろう。建て替えてもそのまま残してあるのだろうか。あの愛想の言い番頭は元気だろうか。小坂の頭に色々な疑問が湧いてきた。そして、行ってみようと決心した。妻の圭子も、きっと喜ぶに違いない。なんといっても、二人で旅行をするのは、新婚旅行以来なのだから。
 小坂が、電話をすると、四十年位前と同じ声が帰ってきた。あの番頭の声に違いなかった。
 「そういうご事情なら、喜んでお待ちしていますよ。大した持てなしはできないかも知れませんが、建物も変わったことだし、ぜひ来てください」
 番頭はそういって、予約の電話を切った。
 そうして、小坂は、圭子と二人で、あの宿にやって来た。
 玄関で迎えた番頭はあの時の番頭だった。
 「あの大きな部屋は残っていますか」
 「ええ、もちろん、家の売り物ですから。いまから、すぐに、御案内します」
 番頭は、手荷物を持って、先を行った。長い廊下に赤い橋が掛かっているのも、変わらなかった。ただ、階段はコンクリートの広いものに変わっていた。その階段を上がっていくと、前と同じ場所にその部屋は残されていた。
 昔の作りの広い畳の部屋に入ると、圭子は、無邪気に
 「素敵なお部屋ね。昔の家老の屋敷みたい」
 と感動の声を上げていた。
 もちろん、圭子は、小坂の過去の忘れえぬ思い出など知らない。それは、結婚する以前の小坂の物語なのだから、話したことはなかった。
 小坂は、欄間の猿を見た。猿は、変わらない姿で、部屋を見下ろしていった。
 (あの猿が、すべてを覚えているのか)
 小坂の脳裏に、あの若き日の記念すべき、ねくるめく夜の出来事が、鮮明に浮かんできた。その畳の上に敷かれた夫婦布団の上で、真知子の白い裸身が身をくねらせていた。小坂の体の心から熱いものがこみ上げて来た。小坂は、圭子に知られないように、ハンカチで目頭を拭った。
 そして、番頭に向いて、
 「昔と変わらないですね」
 と声を掛けた。
 「ええ、私達は、この部屋を宝物にして大事にしています。ですから、部屋は変わったいません。でも、」
 「でも、何ですか」
 「人は年を取りまうから、変わってしまいます。肉体はそう変わらなくても、心はすぐに変わる。人の心ほど、うつろい易く、信頼できないものはありません。ですから、わたしたちは、その点も抜かりないように、真心でお客さんに接するように心がけているんです」
 「素晴らしい。最近はそういう旅館は少ないですからね」
 小坂は、座って、客を迎える茶菓を取り、圭子にも、勧めた。
 「では、お風呂に致しますか。それともお食事からにしますか」
 小坂は、暫く考えた後、
 「風呂に入ります」
 と答えた。
 「家族風呂もありますよ。予約制ですが、今日は空いていますから、すぐに入れます」
 「いや、結構です。大浴場に入りますから、御心配なく」
 小坂は、真知子と入った家族風呂を思い出していた。だが、圭子とあのような入浴が出来るはずがない。旅の疲れを、大きな湯船で落としたかった。
 番頭が置いていった宿帳に記入してから、小坂は、浴衣に着替え、手拭いを持って、風呂に向かった。その宿帳にも、甘酸っぱい思い出がある。真知子を、躊躇しながら、「妻」と書いたのは、この場所だった。真知子は恥じらいで、それを見ていた。風呂にいこうとした小坂は、途中で髭橇を忘れてきたのに気が付いた。部屋に戻ろうとして帰り道を間違った。曲がり角を間違えて、入り込んでしまったのは、裏の調理場だった。
 奥で、男女が話をしているのが聞こえた。
 「二階の大部屋の老夫婦には、前に会ったことがあるな。小坂という名前だが、真知子、知らないか」
 「えっつ。小坂さん」
 女がびっくりして、大声を上げた。
 調理場を走りでる足音が聞こえた、と思ったのも束の間、女は廊下に出てきて、そこに立っていた小坂と、鉢合わせしそうになった。
 小坂は、咄嗟によけようとしたが、狭い廊下で避け切れず、女の体を真正面から受け止めた。
 その体には、思い出の感触があった。小坂は、まじまじと、女の顔を見つめた。女は、眼を細めて、小坂の顔を見返した。
 窓の外で、赤茶色の枯れ葉が一枚、舞っていた。秋が深まって、あの時と同じ白い雪の季節へと向かいはじめていた。 
               
 
  「洋子」
 
 
 洋子は踊り子である。いまでは、ダンサーという呼び名の方が通りがいいが、洋子は、自分がダンサーだと、思ったことはない。あくまで、踊り子だと思っている。
 それは、何故かというと、洋子は、場末のストリップ劇場で、毎日、「踊り」を、見せているからだ。
 その「踊り」は、ダンサーと呼ばれるような、踊り子が、するものではない。ぎらぎらとした、男たちの視線に、生まれたままの姿を晒すが仕事の踊り子に「ダンサー」などという言葉は似合わない、と彼女は思っている。
 一日に、五回のステージが、彼女の「踊り」のすべてである。そして、その「踊り」は、和服姿で現れて、日舞を真似たような踊りが、一つ。そして、その着物を、徐々に脱いでいき、裸になる過程が、一つ。そして次ぎに、「オープン・ステージ」と呼ばれる特出しの舞台がある。これに、もう一回の、「本生板・ステージ」を加えると、四回のステージが、一回の出番の出し物だ。
 それを、朝十時開場から、夜十時半の終幕まで、五回、繰り返す。だから、ほとんど休む暇がない。他の踊り子が、出番の間が、休憩時間だ。だが、遠出は出来ない。すぐに、次の出番が回ってくるからだ。
 洋子は、最初の「踊り」のステージに、彼女の芸の全てを掛ける。そして、二番目の脱ぐステージでは、これまでに得た、男の視線をじらす技を、惜しみなく披露する。ここで、洋子は官能の昂りを覚えたことも、昔は、あった。だが、いまは。次ぎに控えた「オープン・ステージ」の「一つ前」としか、感じなくなった。
 「オープン・ステージ」では、女の一番恥ずかしい部分を、丸いステージを取り囲んだ観客の視線に晒さなければならない。腰を突き出して、右手の人指し指と中指で、茂みのなかの割れ目を、開いて、視線の前に突き出す。それを満遍なくステージを回り、同じ客に、三回は見えるようにするのが、この世界の「ルール」だ。
 洋子も、踊り子に成り立てのころ、二十代には、このステージだけで、下半身が熱くなり、訳が分からなくなって、さらに、過剰なサービスをするという、悪循環を繰り返していたが、慣れた後は、要領を覚えて、楽をするようになった。
 それでも、そのステージの時に、彼女の秘密の部分は、熱くなって、濡れることがある。それを、馴染みの客は、知っていて、客の前に行くと、
 「あんた、感じているの」
 そう聞くお客がいる。
 そういう客には、洋子は、
 「感じるわけないじゃないの」
 そう答えることにしているが、実は、意識しないでも、濡れてしまうことがあるのを、彼女は知っていた。
 (あんなに、ぎらぎらした男たちの視線に晒されるのだもの、感じないわけがないじゃない)
 心でそうは、思っても、口に出し。
 「そう」
 とは言わないのが、
 (せめてもの、踊り子の嗜みだ)
と、洋子は、考えていた。
 しかし、体は反応する。そういう、反応した体が、求めることもあって、最後の「本生板」は、そういう流れで、こなしてしまうのが、彼女のこつでもある。
 愛してもいない、見ず知らずの男と、他の男たちが見つめているステージで、セックスするのだから、感情を込めないようにするのが、一番だ。あくまで、
 (これが、仕事なのだ)
 そう、割り切ることが、こういう商売を続けていく、こつでもある。
 だが、初めの頃は、そう割り切っているためか、感情を左右せずに、終えることが出来たが、最近は、違ってきた。心が、否定しても、体が言うことを聞かないときがあることが分かってから、彼女は、全てを流れに任すことにした。
 そうするようになってから、相手によっては、
 (感じてしまう)
 そういう、ステージになることがあった。そのときは、本当に、感じて、細く長い、喜びの声を上げた。それが、評判になって、ファンが増え、入場者増となって、劇場主に喜ばれ、特別の賞与を貰ったこともあった。
 それは、三十代初めの、盛りの頃だった。
 だが、五回のステージで、そういう状態になるのは、せいぜい一回で、あとは、なべて事務的に終える。客の男が、放出してしまうまで、「感じている振り」をして、早く「行かせてしまう」のが手なのは、ソープ嬢と変わらない。
 だが、最近は、
 (客の男の物を受け入れて、感じてしまうのも、悪くない)
と、思い出した。いつも、思うのは、
 (男たちが、みな、純朴で、可愛い)
ということだ。
 (そういう男というもの全体を、私は愛している)
と考えると、ステージで、見知らぬ男と交合す自分の姿に、自身が持てる。
 (私は悪いことをしているわけでない。哀れな男たちを救っているのだ)
 そう考えて、女神のような気分になったこともあった。
 だが、そういう高揚した気分は、いまはない。ただ、淡々と、「仕事」をこなしている。「ひも」とよばれる義雄と、たったひとりの息子の健一の生活を支えるために。  (それは、わたしはステージが、嫌いではないけれど)
 そもそも、踊るのが嫌いだったら、この仕事は続けられない。
 (嫌いではないけれど、毎日、違う見ず知らずの男を、あそこに受け入れるのは、虚しい気分だ)
 そう思うようになってから、もう半年にもなるが、かといって、この稼業から、足を洗う手立てもない。
 そうして、いつものように、生板をこなすつもりで、ラスト・ステージに上がった洋子は、その日、舞台へ上がるジャンケンに勝って、上がってきた男を見て、思わず、舞台の袖に引き返そうかと、思った。
 その男は、洋子が、まだ、幼かったころの思い出のなかに生きていた。
 
 ステージに上がってきたその男は、
 「あんた、本名は、木村かおるではないかい」
 乳房を触らせるお触りの段階で、そう囁いた。
 「そうよ、良く知っているわね」
 洋子は、良くいる情報通のファンの一人だと思って、そう答えた。
 「おれは、岩瀬だよ。小学校で同級生の」
 「え。ああ。あの太一ちゃんか」
 洋子は気が付いた。「太一ちゃん」は、皆の憧れの君だった。勉強は学年でいつもトップだたし、足も速く、運動会では、いつでもクラスの代表選手だった。
 女子生徒は、みんな、憧れていた。だが、それほど目立つほうではなく、勉強も下から数えたほうが早く、スポーツの苦手だった、かおるには、高嶺の花と諦めていた。だが、太一に対する思いは、人一倍だった。
 ある時、かおるは、思い切って、ラブ・レターを書いた。一晩中、文面を考えて、宿題も手に付かないほど、じっくり考え、綺麗な模様が透かし彫りになった便箋に、一字一字丁寧に、思いを書いて、翌日、太一郎の下駄箱に入れた。
 だが、期待した太一郎からの返事は来なかった。それでも、体の芯から思いが募り、かおるは、学校での勉強にも手に付かなくなった。それほど、良くなかった成績は、またくの最低線まで、真っ逆様に落ち込んだ。
 結果は、洋子一人だけが、
 「公立高校への進学は諦めたほうがいい」
と言われ、泣く泣く、遠くの私女子校に、進んだのだった。
 (それが、わたしの、人生の躓きはじめ)
 洋子は、今でもそう思っている。
 その相手が、いま、このステージに上がっている。
 洋子は、そう思うと、われが分からなくなった。
 そして、太一郎のズボン脱がせ、ステージに横たえると、男の象徴を右手で掴み、しごいていた。洋子は太一郎の右手を、時分の秘所にも、導いた。右手で扱いても太一郎のものは、反応しなかった。洋子は、太一郎の顔の上に、両足を跨いで、下半身を沈めた。そして、右手で太一郎にものを握りながら、顔を埋め、口で頬張った。
 洋子は、頭を上下に激しく振りながら、太一郎のものの上に、唇を滑らせ、喉に呑み込み、下を絡ませた。
 太一郎のものは、徐々に硬度を増し、容量を増やして、直立した。
 洋子は、体を入替え、太一郎の上に馬乗りになって、自らの下半身の別れ目の部分に固い太一郎の下半身を迎え入れた。
 洋子は、腰を上下させて、刺激した。洋子も、久し振りに快感が、脳天まで突き抜けた来た。
 (商売で毎日、四回ずつ、やっいるのに、まだ、わたしは、こういう風に、感じることが出来る)
 洋子の官能が、全身を性器にしたようだった。身体中が、感じていた。長い時間が、経ったように感じた。観客の目は、もう、意識になかった。ただ、ぎらぎらとした多くの目がかおるとその初恋の相手との交合を、食い入るように、見つめていたが、洋子は (こういう形でも、太一ちゃんと、できた)
という、実感だけで、満足だった。
 太一郎は、放出した、洋子は、何時ものように、避妊具を付けるのを、忘れていたから、放射の感覚を、体内に感じた。それは、スレテージでは、初めての感触だった。それは、最高の心地良さだった。洋子も、こうこうした。
 「あああー。あああー。最高よ」
 思わず声を出していた。最後に、洋子は、太一郎の体を両手で抱え上げて、対面して抱き合い、下半身を接合したまま、太一郎が、放出したものが流れだすのを、感じていた。
 そして、ゆっくりと身を離し、太一郎の下半身を、ウエットティッシュで、拭った。そして、そのティッシュを自分の下半身にも、持っていて、流れだしたものを綺麗にした。
 太一郎は、ステージを降りていくとき、
 「あとで、電話していいかな」
と聞いた。
 「いいわよ。電話番号は」
 洋子は、番号教えた。そして、太一郎は、客席戻り、洋子は、最後のオープン・ステージのため、観客に、深々と頭を下げて、舞台裏に消えた。
 洋子が、最後のオープン・ステージに入ったとき、太一郎の姿は、客席から消えていた。洋子は、すこし、寂しい気がした。
 (わたしの、年季が入ったオープンの姿を見てほしたかったのに)
 洋子は、何時もより、丁寧に、最後のステージを務めた。右手で、大きく花びらを開く動作も、丁寧にした。その奥の花びらは、太一郎との刺激で、赤みを増し、濡れていた。
 (それをあの人に見てもらいたかったの)
 すこし、残念な気がしたが、
 「電話をする」
 そう言った太一郎の言葉を信じて、中学時代からの思いの成就を掛けることにした。
 太一郎からの電話は、翌日、午前中に、洋子が楽屋に入ると同時に、掛かってきた。 「昨日は、どうも」
 太一郎は、恥ずかしげに、そう切りだした。
 「いえいえ、あんなことしか、わたしにはできないの」
 「いやあ。素晴らしかった。ありがとう」
 「わたし、毎日、あんなことしているの。軽蔑するでしょ」
 「そんなことはない。寂しい男たちに、夢を与えているんだからね」
 「そんなに大それたことじゃないわ。紐の男と子供を養うためにしかたがないのよ」 「世の中の仕事に、貴賤はないよ。一生懸命頑張っているのだから、素晴らしいころだよ」
 「そんなにまで、言われるなんて」
 洋子の瞳が、濡れはじめた。
 「ところで、電話したのは、少し、時間がないかと思って」
 「時間って、休みはないのよ。劇場は、年中無休だし。でも、ワンクール終われば、一週間はお休みだわ」
 「それは、いつからなの」
 「来週ね」
 「では、来週でいいよ。いつか、暇なとき、会いたいんだ」
 「では、来週の月曜日は」
 「それでいい。桜木町駅裏の喫茶店で、昼頃に」
 「何時がいいかな」
 「午後一時ころでは」
 「いいわよ」
 「じゃあ、決まった。待っているよ」
 (太一郎がわたしを誘ってきた。夢ではないだろうか)
 洋子は、ほっぺたをつねってみた。痛かった。
 (それに、太一ちゃんは、わたしに夫や子供がいるのを気にしていない)
 洋子は、天に登る心地がした。
 (あの憧れの君の、太一ちゃんが、わたしに会いたいという)
 洋子は、来週の月曜には、最高のお洒落をしていこう、と誓った。
 (はやく、休みになればいいのに)
 その週、洋子の踊りは、弾んでいた。
 
 約束の月曜日に、洋子は、いつになく早起きした。予約していた美容院に、八時には行かなくてはならない。七時半には、家を出て、美容院には定時に着いた。
 「どういたしますか」
 美容師の問い掛けに、洋子は、
 「天地真理のような髪形にして」
 それは、洋子が中学時代に、人気だった女性タレントだったが、太一郎が、彼女のファンだったというのを洋子は、忘れていなかった。女の友達が、
 「太一ちゃんがブロマイドを持っている」
 そういう噂を聞き込んできて、洋子に話したのだった。
 美容院から帰ると、洋子は、超ミニのスカートにベージュ色のセーターに着替えた。そして、ロングストッキングに、ヒールの低い女学生が履くような靴を履いて、家を出た。義雄は、前夜のマージャンの疲れで、まだ寝ていた。だいたい、普通の日でも、正午前に起きたことのない男だった。五歳の息子、健一は起きていたが、こちらは、母親が家に居ないのには慣れている。プラスチックのおもちゃで一人遊びを始めたのを見計らって家を出た。
 駅前の喫茶店に、太一郎は、まだ来ていなかった。まだ、一時には三十分の時間があったから、洋子は、待つことにした。
 「コーヒーをお願いします」
 注文を取りにきた店員に、そういって、洋子は、窓の外を見た。電車が到着するたびに、多くの人が吐きだされ、跨線橋を渡って、降りてくる。その群れのなかに、太一郎が、いないか、目で追っていたが、姿はなかなか見えなかった。
 そのうちにポツポツ、降り始めた。
 テーブルに届いたアメリカン・コーヒーを一口啜ろうとして、また、目を外の街に向けると、傘も差さないで走ってくる男の姿が、真っ先に目に飛び込んできた。
 注意しながらその男の後ろ姿を追っていくと、男はくるりとこちら向きになり、今行こうとした道をそのまま、戻り始めた。
 降り始めた雨が徐々に激しくなり、雨滴がガラスを伝い始めたせいで、洋子が座った窓際の席からも、外の風景は崩れ掛かって、見づらくなっていた。
 だから、顔は見えない。しかし、やや大柄のきりっと引き締まった肉体をカーキ色のコートに包んでいる男が、灰色の塊となって、こちらへ近寄り始めたことは、意識の外にあっても、感覚で分かる。確かに意識しての知覚だったから、その男が店に到着して圏内に入ってきた後、洋子の視線は男に釘付けになった。
 この店に洋子が来た目的は、太一郎と会うことなのだ。洋子は改めて、気持ちの昂りを感じた。
 太一郎は、真っ直ぐ、洋子のいるテーブルやって来て、向かい側の席に座った。
 「どうも、お待たせ。でも時間は、ぴったりだろう」
 太一郎が話しかけた。
 「そのとおりよ。時間には遅れていないわ。わたしが、早く、来すぎたの」
 店員がやって来て、太一郎に注文を聞いた。
 「エスプレッソを」
 太一郎は、メニューを見ずに、すばやく、そう言った。
 洋子は、それが、何だか、知らなかった。
 (この人は、私とは、違う世界に住んでいた)
 洋子は、心が萎縮するのを感じた。
 (わたしなんか、コーヒーとしか、言えないのに)
 「本当に、久し振りだね。こうして、二人だけで話すなんて」
 太一郎が、話しかけた、それは、肩に力が入らない、寛いだ話しかただった。洋子は少し、気が楽になった。
 「そうね、中学のころだって、二人で会うことなんかなかったものね。あなたは、皆の憧れの君だったから」
 「そんなことはないよ。みんな、忙しかったんだろう。あの頃は」
 「でも、あたしは、あなたのお陰で、公立高校に行けなくなったのよ。毎日、あなたのことを考えて、勉強が手に付かなくなってしまったのだから」
 「それは、知らなかった。そんなことがあったなんて」
 「そういう人なんだわ。太一ちゃんは。わたしが、下駄箱に付け文したの、知っている」
 「そんなことがあったかな。忘れてしまったよ」
 「何度もしたのに、一度も返事をくれなかったじゃない」
 「おれは、返事なんて誰にも書かなかったよ。だから、皆、平等だ」
 「でも、いいんだ、こうして、二人きりで会えたんだから。こんなことが起きるなんて、想像も出来なかった」
 会話はそれで途切れた。
 「ところで、今日は何しようか」
 「何も、予定はないの」
 「なんでもいい。何でも好きなことをしよう」
 「わたし、一緒に食事をしたい。それから・・・・・・」
 「それから・・・・・・」
 「何でもいいわ」
 太一郎は、歩くことにした。
 喫茶店を出て、横浜に向かった。京浜東北線の関内駅で降りて、中華街を通り、山下公園に出。長い道のりだ。
 その長い散歩の最中、洋子は、太一郎に身を寄せ、腕を絡ませることが出来たことに満足していた。山下公園では、海を見ながら、体が熱くなった。遠くの海を見ていると (ずっとこのままの時間が続けばいいのに)
 そんな気持ちが、強くなってきた。
 太一郎は、洋子の体の暖かさを感じながらも、遠くを見ていた。
 洋子は、
 「ここは、寒いから、元町に行こうよ。それから、坂を上がって、外人墓地の脇にあるレストランで食事をしようよ」
 すっかり、饒舌になっていた。
 元町を歩いて、坂道を登り、レストランに着いたころは、もう午後の二時ころになっていた。レストランでは、フランスパンにはさまれた生ハムのサンドイッチとカフェオレのセットを頼んだ。二人とも同じメニューの食事を、こういう場所ですることも、洋子には夢のようだった。
 満腹をして、近くの「港の見える丘公園」に歩いていった。時間は、もう午後三時過ぎになり、そろそろ、日が傾きはじめていた。
 洋子は、すっかり舞い上がっていた。太一郎の肩に寄せる頭の傾きが増し、体は歩とんだ尾、密着していた。洋子は、太一郎の血管の脈動も感じられる程近くにいて、二十年以上も、心中に隠してきた恋情が、これほどのものだったのかと、自分でも驚愕していた。
 公園に人は疎らだった。鉄柵に凭れながら、港を見た。遠くに鴎が三羽飛んでいた。 (わたしも、あの鳥のように、自由に空を飛べたら、こんな生活はしなくても良かったかもしれない)
 洋子は、こういう幸せな瞬間と、日常とを考え合わせて、とても、自分が虚しくなった。太一郎が、妻帯しているのか、いま、どういう仕事をしているのか、どこに、住んでいるのか。そんなことは、なにも聞かなかった。ただ、
 (初恋の人と、会える)
 それだけで、十分だった。
 洋子は、太一郎の方に体を向け、じっとその顔を覗き込んだ、瞳を穴のあくほど見つめた。太一郎は、そんな洋子を、知っていて、無視した。
 「太一ちゃん、こっちを向いてよ」
 洋子はせがんでみた。
 太一郎が、こちらを見た。
 「ねえ、キスして」
 太一郎は、聞かぬふりを装った。
 「ねえ、キスしてよ、わたしに」
 洋子は、背伸びして、長身の太一郎の顔に、自分の顔を近ずけ、口を持っていった。そうなると、太一郎も男だけに、それに応じざるを得なかった。
 洋子は、太一郎の唇を貪るように吸った。太一郎は、必死にそれに応えた。
 唾液が、糸を引いて、洋子の口に流れていった、洋子は、むせながらも、それを全て吸いつくした。
 そうなると、太一郎の性的衝動に火が着いた。太一郎は、洋子のセーターの下に手を入れ、直接、胸をもみしだいた。洋子は、突然のその動きに、思わず身を引きそうになったが、持ちこたえて、太一郎の要求に応じた。乳首に触れられて、快感が走ったのはもう、十年間も忘れていた感覚だった。
 鉄柵に凭れていた他のカップルが、二人の様子を見て、刺激されたのか、キスを始めた。それを見て、さらに、二人は燃え上がった。太一郎は、大胆にも、洋子のスカートをまくり上げ、中のパンティーに手を掛けた。洋子は、それも拒まなかった。太一郎はパンティーを引きずり降ろして、洋子の茂みをかき分け、敏感な部分に触れた。唇は重ねたままだった。
 (この人は、テクニシャンだわ)
 洋子は、感じていた。ステージには、いろんな男が上がってくるけど、こんなにテクニックが、ある人はいない。
 (それとも、わたしが、経験不足なのかしら)
 たしかに、義雄は、寝てばかりいて、ろくに、構ってくれないし、ただ、金を取って行くだけの男になりはてた。
 (だから、こういう風にされるのは、わたしは、慣れていない)
 ステージで、本番までやっているのに、女達はそんな状態なのかもしれない。そういう意味で、彼女らは、不感症だったし、欲求不満だった。
 洋子は、はっきりと、その部分が、ひどく濡れてきたのを、股の感覚で感じていた。すぐにでも、漏れてしまいそうだった。
 「ねえ、わたし、もう我慢できない、しにいこうよ」
 洋子は、太一郎の耳もとでせがんだ。
 「そうか、では、そうしよう」
 太一郎は体を離した。洋子は降ろされたパンティーを引き上げ、乱れたセーターを繕ってから、再び、右腕を太一郎の左腕に絡ませ、体を右に傾けて、太一郎の肩に預け、坂道を降りていった。
 二人は、そのまま、坂の下の温泉マークの連れ込み旅館に直行した。
町外れにあるその連れ込み旅館は、ひっそりと、狭い道路の角に建っていた。入口は人一人が通れるだけの狭さで、入口の両側は長い塀が囲んでおり、塀の上には、笹が生い茂っていた。それでも、玄関は、綺麗に清掃され、水が打ってあった。
 太一郎が、先に立って、入っていき、洋子は彼に従った。
 受付で、キーを受け取り、二回に上がった。その部屋は、六畳ほどの和室で、他に風呂場が付いていた。
 洋子は、部屋に入ると、慣れた感じで、椅子に腰掛け、持っていたポッシェットから煙草とライターを取りだし、一本、口に加えて、日を点けた。洋子は、ゆっくりと紫煙を燻らせ、吸い込んだ、煙を、大きく吐きだした。
 それを見ていた太一郎の方が、落ちつかなくなった。
 「さっそく、風呂に入ろうか」
 「どうぞ、先に入ってきていいわよ」
 「あんたが、先に入れよ、しばらくしたら、行くから」
 「わたし、風呂は嫌いなのよ。入りたかったら、どうぞ」
 「でも、体を洗っておいた方がいいんじゃないの」
 「面倒だわ」
 これには、太一郎は、面食らった。男と女が二人で、こういう旅館に入ったのは、目的ははっきりしている。そのために、ことを行う前に、風呂に入って、体を綺麗にすることは、お互いへのエチケットでもある。
 (汚れた身体のまま、抱き合うことなんて、出来ない)
 太一郎ほそう思っていたが、洋子は、拒んだ。
 (これは、どう言うことなのか)
 太一郎は、考え込んだ。
 「面度と言ったって、綺麗にしたほうが、いいだろう。お互いに」
 そう一言って見たが、
 「いいんです。わたしは、綺麗なんだから。このままで」
 洋子は譲らない。そんなあことで争ってもしかたがない。仕方なく、太一郎は、一人で、風呂に入ることにし、脱衣を始めた。
 洋子は、煙草を吸いおえて、太一郎の様子を眺めている。
 太一郎は、風呂に入った。洋子は、来なかった。
 (これで、狙っていた風呂場での、プレーは出来なくなった)
 ほぞを噛む思いだったが、
 (そんなこともあるさ)
 諦めは早い。
 身体を洗って、湯船に浸かっていると、ガラス扉を開いて、洋子が、入ってきた。
 「なんだ、やはり、入るじゃないか」
 「中には入らない、逆上せてしまうから。洗い場で、お湯を被って、洗っておくわ」 太一郎は、湯船に入りながら、洋子が、身体を洗うのを見ていた。
 全裸の洋子は、流石に踊り子らしく、要所が引き締まり、良い体型をしていた。一児を持つ人妻とは思えないほど、形の良い乳房と、その下でゆるやかな凹みを見せる腰への線と、黒々とした逆三角形の陰毛と、そこから、二本に別れている股や脛、どれをとっけも、ステージの照明で見たときと同じように、美しかったが、こうして、薄く、生活感のある、照明のもとでは、血の通った艶めかしさがあった。
 洋子は、鰻から洗いはじめ、胸や背中を流したあと、両腕と手、さらに両足をスポンジデ洗い、最後に、腹の下の秘所を取り分け、丁寧に洗い上げた。
 太一郎は、それを見ながら、
 「洗ってあげようか」
 聞いてみたが、
 「結構よ、ここで、その気になった、もったいないから」
 洋子は、断った。それが、じらしの作戦なのは、明らかだった。
 洋子は、
 「お先に」
 そう言って、先に、風呂場を出ていった。
 太一郎は、洋子に、手本のような「入浴ショー」を見せられ、興奮していた。すでに股間の逸物は、いきり立っていた。
 太一郎は、すぐに、風呂から上がり、タオルで身体を拭くのも、もどかしく、洋子の後を追った。
 洋子は、既に、布団に入っていた。それは、洗いたてのシーツに包まれた、二人用の敷布団と掛け布団のセットで、二人が入るには、十分な大きさがあった。
 太一郎は、布団に滑り込んだ。洋子は、生まれたままの姿で、太一郎を迎えた。
 太一郎は、洋子の頭を抱え込んで、こちらに向かせ、まず、唇に接吻した。洋子は、待ったいましたとばかりに、応じてきた。激しい接吻で、唾液が、枕に零れたほどだった。次いで、太一郎は、洋子の胸から下へと唇を這わせ、洋子の股間に降りていった。股間にいきなり、口付けしたのは、待っていられないほど気分が高揚していたからだ。洋子のそこは、すでに、ぬれそぼっていた。口を近づけると、割れ目の中から、液体がほとばしり出た。太一郎は、それを、啜った。洋子は、その行為に、われを忘れた。
 「ああー。ああー」
 あの日のステージの時のように、洋子は、糸を引くような歓喜の声を出しはじめた。 太一郎の両手は、洋子の乳房をもみしだいた。そして、唇は、洋子の秘所をまんべんなく辿り、激しい動きで、一番敏感な部分を、刺激した。
 洋子は、太一郎の頭を抱えて、悩ましげに、自分の頭も振り扱き、激しくかぶりを振っていた。それを見て、太一郎は、秘所への攻撃をやめ、身体を入れ換えて、洋子の口に、自らのいきり立ったものを押しつけた。洋子は、右手でそれを掴んで、頬張り、頭を前後に動かして、刺激した。
 今度は、太一郎が声を上げる番だった。あまりの、快感に、太一郎は、天を仰いで、うめき声を上げた。
 太一郎も洋子の秘所に右手の指を差し入れ、中をまさぐった。内部には、期待していた襞がなかった。
 (これは、使いすぎている証拠だ)
 そんな考えが浮かんだが、洋子の口が伝えてくる快感の刺激で、すぐに、忘れた。
 太一郎は、また、身体を入れ替え、洋子の背面に回り、後ろから、手を回して、両の乳房を掴み、揉み上げた。そして、耳元に囁いた。
 「さあ。次はどうしてほしい」
 「もう、早く、入れて」
 「何を、どこにだ」
 「そんな。そんな」
 「早く言ってご覧」
 洋子は、それを言えなかった。
 (毎日、観衆に全てを晒した上に、見ず知らずの男に、何回も身体を許しているのにこのはにかみはなんだ)
 太一郎は、洋子の恥じらいをみて、女の性の不思議さを、感じていた。
 「あなたに、そんなことは言えないわ」
 「そうか、あそこに、入れて欲しいのだろう」
 洋子は、静かに、頷いた。
 太一郎は、洋子を仰向けにした。そして、いきり立ったものを、その下半身に当てがうと、思い切って差し入れた。
 洋子は、
 「ああっ。うっつ」
 声を漏らした。太一郎は、腰を前後に動かして、激しく洋子の内部を突いた。洋子も足を真横に広げ、なるべく、深く受け入れるような体勢を取った。
 そうした行為が、果てしなく続き、二人は、急坂を一緒に登り、頂上を究めた。太一郎は、最後に、洋子の体内から、差し入れていたものを抜いて、洋子の胸に放出した。洋子は、それを、右手で救って、口に運んだ。
 「あなたの精のかたまり。一滴も無駄に出来ない」
 そういって、おいしそうに、飲み下した。
 あとは、ぐったりとなった太一郎が、ゆっくりと洋子の、胸や腹を撫でて、余韻を楽しんだ。洋子も満足していた。顔も身体も紅潮していたが、その肌を太一郎が柔らかく撫でてくれることで、落ちついた、心地よい気分を味わっていた。
 そういうくつろぎの時間に入って、少し経ったとき、洋子が、突然、聞いてきた。
 「ねえ、太一ちゃん。わたしたちの育ってきた時代って、何だったの」
 太一郎は、不意を打った質問に、咄嗟の答えができなかったが、数分、冥目して、考えが、纏まった、そして、洋子に、寝物語で、語ったのだった。
 
 今はもう「その頃」ということが、私にもできるようになった。
 通り過ぎた時は、遠ざかるにつれて、次第にその輪郭をはっきりさせてくる。
「あの頃」
は、その渦中にいて、流れていく状況の中で、その意味が良く掴めなかったが、今はあたかも、ランドサット衛星がこのゴミゴミとした東京の町を、明瞭に赤と青と緑とで色分けしてしまうように、
「あの頃」
のことを、遠くから眺め渡すことができるようになった。 
“時”は過ぎ去れば、過ぎるほどに、地上数千メートルからの俯瞰(ふかん)のように、時代の様相を浮き彫りにしていくようである。
 ダイナミックな時代だった、と思う。
 空気がジェット気流のように流れていた。その流れに抗らうのは難しかった。胸が騒ぎ、部屋にじっとしていられなかった。外へ飛び出してみたい、と誰もが思った。町へ出て大声で叫びたかった。そして、最後に、血が流れた。
 ーー一九七〇年代。
 ビートルズにフォークソング。ジーンズにミニスカート。大学紛争、全共闘、火炎瓶、催涙弾。機動隊……。七〇年安保。
 私は、その頃、ノンポリ大学生だった。毎日のようにキャンパスで開かれた学生集会に積極的に参加したこともなかったし、ヘルメットにタオルのマスクで、過激なデモに加わることもなっかった。
 だからと言って、紛争の中で相次ぐ休講に大喜びして、テニスコートに駆けつけるような、脳味噌空っぽのお坊っちゃん学生でもなかった。私は、今でも思い出すと不思議なくらい真面目な大学生だった、と今にして思う。
 しかし、講義はなかった。がなり立てるラウドスピーカーの脇に、とびきり大きな四角い文字で書かれた立看が立てられていたが、その乱れた文字の大きさと独特な書体に目が向いただけで、中味にまでは関心がなかった。
 ただ、私は今から語ろうとするある一つのことには熱中した。講義よりもゼミよりも、「その事」のために、大学に通っていた、と言っても良いほどだ。
 だが、「その事」を語り始める前に、先ず「この事」から述べねばなるまい思う。
 
 横浜から横浜新道を車で西へ行くと保土ケ谷というところがある。今では、すっかり東京のベッドタウンとなって、高級住宅やマンションが立ち並んでいる。ここにはゴルフ場もあって、そのゴルフ場の南に当る方角に、小さい白塗りの住宅街が並んでいる地域があった。
 もう、かなり遠い微かな記憶だから、はっきりとは、その場所を覚えてはいない。だが、
とにかく白い家だった。二、三段、階段を登ったところに、やはり白く塗られたドアがあった。横文字で何か書かれていた。多分この家の主人の姓名だったと思うが、すべて記憶の彼方のことである。
 私はその家に、私が当時住んでいた地区にあった孤児収容施設の子供達と一緒に行った。
その頃は駐留軍といった米軍が占領していた厚木基地に、私達地元の子供達を招待し、クリスマスパーティーを催してくれた御礼を、司令官かなにかに伝えるためだった。
 基地の食堂で開かれたそのパーティーは、今から思うと随分、粗末なものだったが、敗戦後の貧しい日本人の幼い子供達にとっては、全てが驚きだった。米兵たちはいかにも楽しそうに子供達を接待し、ステージでは基地の子供達による劇も上演された。多分、キリスト誕生の物語を演じたのだと思う。大きなクリスマスツリーが美しかった。クラッカーが割られ、弾ける音が今でも耳に残っている。子供達の頭にはトンガリ帽子が載っていた。 テーブルには、ケーキ、アイスクリーム、チョコレート。そう、チョコレートは山ほどあって、ガム、キャンデーも取りたい放題だった。
 私は、チョコレートを、その数日前に米兵から貰って、その不思議な味の魅力を覚えたばかりだった。米兵に貰ったのは、板状でほろ苦かったが、テーブルに載っていたのは、銀紙で包まれた甘い丸い玉だった。
 私と友人のA君はこの世のものとは思われぬ、その華やかなパーティーへの招待の返礼特使として、この将校宅へ遣わされたというわけだった。
 ドアをノックした私達を迎え入れたのは、金髪の婦人だった。
 [ I'm glad to see you again.Thank you 
for coming to our home」
 細くしなやかな手を差し延べてきた。私達は、身を堅くしてその真っ白な(と当時は思った)手を握り、何と思ったのか、その手に私は口づけをした記憶がある。
 婦人は包み込むような優雅な笑みを見せ、家の中に招き入れてくれた。その時気付いたのだが、彼女の後ろに、ミッキーマウスの縫いぐみを抱えた私達と同じ年頃の少女がいて、私ににっこり微笑みかけ、私ははにかみながら、素直に笑い返したようだ。
 体が沈むようなソファに座り、婦人が入れてくれた紅茶を飲んだ。ケーキとクッキーがニス塗りのテーブルの上にあったと思う。私達が何をどう喋り、婦人や小さい女の子が何を言ったかは、全て忘れてしまった。何一つ思い出すものはない。ただ、私たちのために、熱くもなし、決して温かすぎもせずに入れられ、その味に異国を感じた飲み物と舌を溶かした甘美なチョコレート・ケーキ、その後で抓んだ手づくりのクッキーの味だけが、遠い時間を突き抜けて、私の味覚の原体験になったことだけが、はっきりしていることなのである。
 少女は婦人にねだって、レコードをかけた。落とせば割れるSP盤で、それでも、手回しでないモーター式の再生機が、英語の童謡を歌っていたようだ。「メリーさんの羊」だったかもしれない。
 小一時間、私達は別世界の中で、今でいうカルチャーショックを、小さな魂に刻み付けてしまったのだった。
 昭和二十七年、太平洋戦争終結から七年、私が四歳のときである。
 この年、皇居前広場でデモ隊と警官隊が衝突するメーデー事件があり、破壊活動防止法(破防法)が公布された。
 
 その頃から、日本は年ごとに豊かになっていった。昭和二十八年にはテレビ放送が始まり、私の家ではその六年後の皇太子御成婚のテレビ中継を機にテレビを買った。私の家に入った家庭電化製品の順序は、電気釜、電気洗濯機、冷蔵庫の順だったと思う。その前に、カマドが無くなり石油コンロに、井戸のつるべや手動ポンプがなくなり電動ポンプに、薪、その後では石炭を炊いた風呂が石油、そしてガス釜へと変わっていった。水もポンプから水道へ。電話(最初は農協の有線)が入り、車も買った。家を新築し、車を買い替えて……。
 両親はよく働いた。私の両親は、今でこそ共働きをする女性も多いが、当時は「共稼ぎ」
と言った夫婦とも給料収入のある家庭だったから、経済的には恵まれいた。だから、そういう日本の豊かさへの道程の中では、先頭近くを進んでいたのではないかと思う。とにかく、よく働く両親のもとで、私も良くではないかもしれないが、真面目に勉強し、時にはテレビを見過ぎて叱られながら、まともに成長していった。
 ただ私達の世代は、戦後のいわゆるベビーブーム世代だったから、あらゆる点で競争はが激しかった。中学へ入学すると教室が足りないと言うので、薄暗い理科実験室などの特特別教室を使い、黒板の字が読みずらくて近視になった者がかなりいた。高校ではプレハブ校舎で、それこそ基地から発信する飛行機の騒音に悩まされた。今の子供たちが、特別に騒音対策が施された教室が使えるのとは大違いだった。時折りドカーンと爆弾が落ちるような大音響が轟いたが、これは後になって、ジェット機が音速を超えるときの「衝撃波」と言うのだと後で知った。これで民家のガラス戸が破壊された例が幾つもあった。
 皆が、何かおかしいと感じながらも、何も言い出さずに、只黙々と働いていた。そんな時代だったのかもしれない。そういう中で、私は小学校最上級生になり、一九六〇年の第一次安保闘争をテレビで見た。新聞には、日本がどうにかなってしまいそうな見出しが踊っていた。東大の女子学生が国会デモの中で死んだと言うニュースをラジオが絶叫していたのを覚えている。「安保」って何だろうと言う疑問は沸いたが、それ以上知ろうとは思わなかった。この国にとって大切なことが、米国との間で話し合われていて、岸という総理大臣が、反対派の目の敵にされているということぐらいは朧気ながらも分かった。何か、米国が悪いことを日本にしようとしているらしい。それで大学生が騒いでいるのだろう。 それにしても、米国ってそんなに酷い国なんだろうか。小さい頃訪ねたあのアメリカ人の奥さんも少女も本当に良くしてくれたのにーー。そんな思いがふと過ぎっては消えた。ただそれだけだった。所詮、あの騒動は少年の日常生活からは遠すぎた。直接的な影響といえば、樺美智子さんが倒されて死んだショッキングな事件のその翌日に、私達は学校で、「アンポ反対ごっこ」をして遊び、哀れな鬼になった女の子が地面に倒され、死んだ振りをさせられただけだった。
 
 それが、われわれの「青春」だった。
 
 太一郎は、語りおえた。
 「そういうことなんだよ」
 「そういうことって」
 「だから、俺たち時代が、そういうことだって」
 「わからないわ」
 洋子は、つまらなそうに、タバコに火を点けた。
 それをみて、太一郎は、
 (こうタバコを吸うから、舌が荒れるのだ)
 先程の接吻のときに感じた洋子の口のなかの、荒れた粘膜とタバコ臭い匂いを思い出して、太一郎は、吐き気を感じた。
 洋子は、太一郎の「時代」説明を、全く理解しなかった。
 (この女にそんなことを理解させようとするのが、もともと、無理なのだ)
 そう思い至って、自分のしたことの虚しさが、こみ上げてきた。
 と同時に、そういうことを、理解しない女に対する、敵意も感じた。自分が生きた時代を、無視して、生きていくことが、出来るのが、不思議だった。
 そしてまた、太一郎は、こうも感じた。
 (そういうことを考えている余裕なんか、なかったということかもしれない。それだけ、洋子は必死に生きてきたのか。自分が生きることが、精一杯で、外の世界に目を向けているような余裕はなかったのだ)
 だが、それにしても、これほど、世間に無頓着で生きていけるのが、依然、不思議だった。
 (おれには、洋子は異星人だ。かみ合う部分がない)
 そう思ったが、そうではないとすぐに分かった。
 (男と女に共通の人類全ての欲望の根源、セックスを除いては)
 まったく、そのことだけは、知性も教養も、生い立ちも関係なく、皆が、やり方を知っていて、しかも、そうしたいと思っている、人類共通の関心事だ。
 (だから、俺たちは、こうしている。洋子とはそれでいいではないか)
 そういう考えに至って、太一郎は、気が軽くなったいた。
 
 その日は、この後、中華街で、夕食を取り、太一郎は、洋子を駅まで送っていた。
 「また会いたいわ」
 洋子は、再会をせがんだ。
 それは、太一郎にも願ったりだった。
 「それでは、その気になったら、電話するよ。貴方が電話してくれてもいい」
 そういって、一人住まいの太一郎のアパートの電話番号を教えた。
 洋子は、
 「お別れの挨拶よ」
 そう言って、背伸びして、太一郎の顔に尖った口を押しつけ、無理やりキスをした。太一郎も、それを喜んで受け止めた。洋子は、それから、くるりと向き直ると、一目散で、駆けだし、信号が青になった横断歩道を渡っていった、そして、向こう側で、振り替えって、右手を振った、太一郎もそれを見て、手を振り返した。
 (これでは、まるで、若い恋人たちの別れのようだ)
 そう感じて、はにかみながら、太一郎は、駅の階段を登っていった。
 
 それから、十日ほどして、太一郎は、電話をして、洋子と再会の約束をした。それは太一郎のアパートからだった。
 洋子は、
 「今度は、あなたの家に行きたいわ」
 そういって、甘い声で、
 「そのほうが、お金を使わないで済むでしょう」
と付け加えた。
 (この子は、どこまでも経済観念がしっかりしている)
 太一郎は、
 (それは、これまでの洋子の生活の歴史がなせる技だ)
とも思った。
 洋子は、翌日、太一郎の狭いアパートにやって来た。
 玄関のドアーを開けて、入るなり、玄関脇の下足夏箱の上に載った、熱帯魚の水槽を見つけて、洋子は、
 「これすごいじゃん。綺麗な色をしてる。あたしも、これくらい派手にやれたらいいのにね」
 そういって、水槽を覗き込んでいた。
 「おう。それは、ピラニアといって、肉食の魚だ。手をいれたりしたら、食われるてしまうぞ」
 太一郎は、警告した。
 洋子は、差し入れようとした指を、びっくりして、引っ込めた。
 「そんな、怖い魚を、何故、飼っているの」
 「それは、寂しいからだよ。いい年をした男のやもめ住まいだ。その位の彩りがあってもいいだろう」
 「でも、手間がかかるでしょう。餌もやらないといけないし」
 「それが、そんなに手は掛からない。餌も、一日一回やれば十分だ」
 「へー」
 洋子は、気が抜けたように、頷いた。
 (そうか、これは、あの劇場へやって来る男たちの気持ちと同じだ。こうやって、寂しさを癒しているんだ。そうすると、私は、この水槽の中の魚の立場ね)
 洋子は、そんなことを、ふと考えた。
 「さあ。こっちへ来て、コーヒーでも飲めよ。おれが、煎れるから」
 太一郎が、水槽の前で、立ち止まっている洋子をリビングの部屋の誘った。
 洋子は、入ってきて、そこのダイニング・テーブルの椅子に座り、持っていたポシェットから、ラークのタバコを一本取りだし、火を付けた。
 太一郎は、煮立ったポットから、紙フィルターの上に入れたコーヒーの粉に湯を注いだ。香ばしい香りが、立ちのぼり、部屋に居る二人の気持ちを落ちつかせた。
 「さあ、入った。ブルーマウンテンの最高級品だぞ」
 ドリップされたコーヒーをカップに注ぎ、洋子の前においた。
 「ありがとうね。太一ちゃんに、コーヒーを入れてもらうなんて、夢みたいだわ」
 洋子は、そう言って、タバコの火を灰皿に擦り付けて消し、コーヒー・カップを手にして、口を付けた。
 「おいしいわ。こんなにコーヒーは、おいしいって、知らなかった。気持ちが、とても落ちつく」
 「そうだろう。喫茶店のコーヒーとは、違うだろう。増してや、カンコーヒーやインスタントとは、全然違う」
 「ほんとに、いい香りと味ね」
 洋子は、さも、おいしそうに、コーヒーを啜った。太一郎は、それが、嬉しかった。
 (洋子は、純粋に喜んでくれる。それが、おの女の良い所だ。無垢で、計算がない。そういう気持ちが、男たちにも通じるのだろう。そういう意味で、洋子の今の仕事は、彼女の天職なのかもしれない)
 コーヒーを飲みおわって、洋子は、すっかり寛いだ表情になった。
 太一郎は、隅の机野上にあったカメラを取ってきて、洋子のコーヒーをのむ姿を撮影した。洋子は、コーヒー・カップを口元に持っていって、レンズの方を向いて、笑顔を造り、ポーズした。太一郎は、続けて、五枚ほどその写真を取った。そして、カメラを戻しにいった、そのとき、机の上のラジカセのスウィチを押したのを、洋子は知らなかった。 
 「なかなか、いい部屋じゃない。綺麗に整頓されているし。だれが、掃除してくれるの」
 洋子が部屋を見回しながら、話しかけた。
 「おれが、やるんだよ。ほかに誰か居るかい」
 「女の人じゃないの」
 「だって、前の女房とは別れたきりだ。女っけなんて、まるでない。そうか、貴方だけだよ。おれの今の女っけは」
 「ふふん。そうかな。まあいいか。今日は今日で、こうして、二人きりなんだものねえ。それで、夜は、一人でどうしてるの。何処に寝てるの」
 
 洋子は、立ち上がって、隣の寝室とリビングを隔てている、扉の方に行こうとした。そのとき、
 「おい。よせよ」
 止めようとした太一郎の手が、テーブル・カバーの端に引っ掛かり、洋子の前のコーヒー・カップが、ひっくり返って、洋子の着ていたブラウスとショート・スカートをびしょびしょにしてしまった。
 「あれ、どうしよう。びしょ濡れになってしまったわ」
 洋子は、半べそをかいた。
 「しかたない。女物の着物は、寝室の洋服ダンスに、前の女房のパジャマがあるだけだ。それでも、よかったら、着るかい」
 「仕方ないわね。それに着替えるか」
 洋子は、太一郎の見ている前で、汚れた衣服を脱ぎすてた。ブラウスの下には、何も付けておらず、ノーブラだった。それを脱いで、下のパンツも脱ぎ捨てて、中のパンティーも外した。そして、その三つを、洗面場に持っていて、洗面器に水を張り、中に漬けた。その時、洋子はスッポンポンで、豊かな胸を揺すりながら、洗剤を振って入れ、水槽に入れた衣類を洗っていた。衣服を全く着ていないのを、まるで気にしないで、自然にそうした一連の動作をしていた。
 (そういうことは、楽屋で慣れているのだろう)
 太一郎は、勝手に解釈した。
 洗面場から戻ってきて、洋子は、太一郎が、洋服ダンスから取り出したパジャマを着た。
 洋服ダンスのある隣の寝室には、敷きっぱなしの太一郎の寝具があった。
 それを、見つけた洋子は、
 「これに、寝てるのか。さぞ、太一ちゃんの匂いが籠もっているんだろうね。わたし、あんたの体臭が大好きなんだ」
 勝手に、寝室に入り込んで、布団の中にもぐり込んだ。
 太一郎は、
 「よせよ。そんな所に入らないで、こっちにおいでよ」
 そう、型通りに言ってみたが、洋子の後を追う素振りをしながら、布団の中にもぐり込んだ。
 前の妻のパジャマを着た洋子と、ラフなティーシャツ姿の太一郎が、並んで、布団に寝るような形になって、枕の上に並んだ二つの頭が、せまい枕を取り合うようなことになった。太一郎に追い出されたそうになった洋子は、必死で抵抗し、頭をそのままにしようとした。その結果、必然的に顔と顔が触れ合った。頬が触れ、耳が触れて、二人の接触感覚が刺激された。
 鼻を触れさせ、額を触れさせて、最後は、唇同士が触れた。
 触れた瞬間に、洋子は、太一郎の頭を両手で掴んで、自分の方に引き寄せ、唇を密着させた。そして、激しく舌を差し入れたと思うと、唾液を思い切り、絡ませながら、舌を吸った。太一郎もその行為に応じて、舌を積極的に絡ませ、唾液を洋子の口内に送った。
 洋子は太一郎の上になって、半分はだけていたパジャマの上着を脱ぎ捨てた。なかからは、あの形のよい乳房か、弾き出た。その乳房を太一郎の顔に押し当てて、鼻を挟んだ。太一郎は、その乳房を両手で挟んで、内側に揉みしだき、右手で洋子の左の乳房を口に導いて、吸った。乳頭は小作りで、つんと尖っており、まるで、二十歳の処女のような乳頸だった。
 (これが、普通の主婦だったらこうはいかない)
 太一郎は、もうそれを吸えるだけで感動した。
 洋子は、乳頸を吸われて、溜め息を漏らした。
 今度は、反対側の左の乳首を持っていって、吸った。そして、両方を交互に口に入れて、激しく摩擦した。
 洋子は、一時、乳房を吸わせたあと、今度は、その乳房を太一郎の胸から腹へと滑らせ、身体を入れ換えて、自分の頭を太一郎の足の方に向け、太一郎のパンツを脱がせようとした。太一郎は腰を上げて脱ぎやすいようにした。洋子の尻が太一郎の顔の上に来た。太一郎は、自分の腰を上げると同時に、洋子のパンティーの紐に両手を掛けて、引き下げた。洋子は、下げやすいように、腰を上げ、その作業を助けた。
 これで、洋子は、丸裸になり、太一郎は、首までたくし上げたティーシャだけになり太一郎は、その最後のティーシャツを、右手で脱ぎ捨てた。
 太一郎が下になり、洋子が上になって、洋子は太一郎の顔のうえに、腰を広げて、その花園を開花した、洋子の右手は、太一郎の男の象徴を掴み、口に含もうとしていた。太一郎も、洋子の花園の蜜を吸おうと口を近付けた。
 それからは、激しい、口技の応酬となった。太一郎が思い切り、洋子の蜜壺の上の敏感なスウィチを刺激すれば、洋子は、太一郎のものの先端の雁首の裏の神経の巣をしゃぶった。二人との快感の狩人になって、奮闘した。
 洋子の花園の蜜は、豊富だった、太一郎が、いくら吸っても、尽きることなく、泉の水は溢れ出た。それは、甘美な味わいの至福の味覚の芳醇な液体だった。太一郎は、それを思い切り、吸いつくし、味わった。身体中に精気が溢れてくる感覚があった。
 一方、洋子は、太一郎の固くなったものを慈しむように、両手で包み、唾液を垂らして、満辺なく濡らし、ぬりたくったうえで、舌を使って、なぞっていった。そのあと、先端から口一杯に含み、上下に頭を動かして、ピストン運動を繰り返した。
 太一郎のものは、ますます硬度を増した。洋子の泉は、一層、水量を増した。
 洋子は、時折、激しいあえぎ声を上げて、ほうこうした、太一郎も激しい息遣いで、洋子の演奏に合わせた、二人のヂュエットは、延々と続き、ようやく、口での刺激しあいに飽きたころ、洋子は、再び、身体を入れ換えて、太一郎の方に顔を向けて、
 「もう、入れて頂戴」
 とねだった。
 「いいよ」
 太一郎がそう答えると、洋子は、自分の開ききった秘所を、太一郎のそびえ立った尖塔の上に持っていって、一気に、腰を降ろした。
 「ああ、入るわ。中まで、深く差し入れて。深くね」
 洋子は、太一郎のものを自分の内部に受け入れると、上下に腰を動かし始めた。
 太一郎もその動きに応じて、腰を突き上げた。熱く暗い洋子の内部からの刺激が、心地よく、その快感を何度も貪りたいという気持ちになって、太一郎は、一気に登り詰めるのは止めた。うまく、調子を整えようと、快感が突き上げるのをセーブし、長引かせた。洋子は、そうした行為が長引いて、髪を振り乱して、快感に耐えた。肌が紅潮し、熱くなった。密着した接点の部分は、血液が集まって、充血した。それが、神経をますます敏感にさせ、快感を増した。
 しばらく、女性上位の行為が続き、それに飽きてからは、太一郎が起き上がり、洋子を正面から抱き抱える体位に、移った。それは、洋子の両の乳房が太一郎の正面に来て接吻をするには、最適の体位だった。太一郎は結合したまま、洋子を抱き抱え、腰で下から突き上げる運動を継続しながら、口では、乳房を吸った。
 洋子は、両手を太一郎の首に巻きつけ、激しい息遣いで、下半身へ刺激を反応を伝えていた。その喘ぎが、太一郎の聴覚を刺激し、ますます、激しい突き上げ運動へと導いた。
 洋子は目を閉じ、天を仰いだ。激しくかぶりを振り、快感の海に沈没していった。
 太一郎は、また、体位を変えた。今度は、洋子を四つん這いにさせ、後ろから、突き入れた。洋子が、敷き布団のうえに、両手と両足を突いて、下になり、太一郎は洋子の腰を両手で掴んで、腰を安定させ、その間から赤く開いた洋子の女の部分に手を入れて位置を確かめて、自らのいきり立った下半身を差し込んだ。
 洋子の内部の感触が、また、変わった。それは、太一郎のものが下へ反り返っていく感じで、さらに深く内部へ入り込んだ感覚が、実感できた。
 洋子は、奥のGスポットを上から刺激されて、悶え狂った。顔が下になっているので表情は分からなかったが、その声の高さから、登りはじめたことは確かだった。
 太一郎は、洋子の腰を抑えて、自分の腰を激しく前後に動かした。
 その行為は、約十分以上の時間にわたり、洋子は、それでも、崩れることなく、太一郎の後ろからの攻撃に耐えた。
 太一郎は、洋子の泉から溢れた愛液で潤ったその上のもう一つの空洞を攻めて見たくなった。太一郎は、一端、挿入したものを引き抜き、もう一つの穴に、差し入れた。洋子はその瞬間、
 「あっ」
 と声を上げたが、それだけで、拒んだ様子はなかった。洋子も、さらに、深い刺激を求めていたのだ、それは、理性でなく、身体が求めていることが、太一郎には、理解できた。洋子は、入りやすいように、尻を突いてきたのだった。
 それは、狭い感覚だった。圧迫感が強く、それだけ、太一郎の脳髄への刺激は強まった。
 太一郎は、腰を使って、洋子の後ろから、激しい前後への運動を繰り返した。洋子の吐息が、さらに深く、長く、細い糸を引いた。
 そして、太一郎は、その圧迫感から、射精しそうになったが、必死で堪えた。暫し、禁断の部所への攻撃が続いて、太一郎は攻撃の手を緩めた。
 「やっぱり、わたしが、下になるわね。最後は、正常位で、フィニッシュしてね」
 洋子が、やさしくいった。
 だが、太一郎はその優しい言葉に、優しく答えるような気持ちではなかった。それは肛門性交という異常な状況が、男として太一郎の心に与えた、微妙な動きだった。
 太一郎は、洋子の上になって、大きく開いた洋子の下半身の下肢の真中に、依然として、大きく膨張したままの、大砲を差し入れた。洋子は、この時も、顔を歪めて、
 「あっ」
 と溜め息を漏らした。
 そして、意外なことに、
 「ねえ、首を締めて」
 と、懇願した。
 太一郎は、どうしたものか、心中、迷った。
 だが、下半身を激しく動かすたびに、洋子は、
 「ねえお願い、わたしの、首を締めて。その方が、気持ちがいいの」
 そう、頼み続けた。
 太一郎は、両手を、洋子の細いうなじに当てた。そして、徐々に、握力を強めていった。
 「そう、段々、良くなってきたわ。もう少し強く、もうすこし」
 洋子は、下半身屁の刺激と、息苦しさとで、全身を痙攣させて、快感を貪った。
 太一郎はさらに、手の力を強めた。洋子の首を締めたままの行為は、そうして三十分も続いた。そして、洋子は、ぐったりとして、意識を失った。最後に、洋子は、
 「素敵、こんなに素敵なことは、初めて。お花畑に来たみたい」
 そういって、ぐったりとなった。
 太一郎は下半身の物を、引き抜いて、意識を失ったままの洋子の、横に眠った。そのまま、一時間、太一郎は、目を覚ました。
 そして、洋子に
 「そろそろ、起きようか」
 と声を掛けた。洋子は、黙っていた。
 太一郎は洋子の顔を見た。そこには、表情が無かった。太一郎は、耳を洋子の口に、持っていって、吐息を聞いた。息は、停まっていた。次に、耳を洋子の左胸にあてがった。鼓動が消えていた。
 洋子は、死んでいた。死に顔は安らかだった。
 子供の頃から、思い焦がれていた男に抱かれて、死んだのだ。太一郎に悔いはなかった。洋子には身寄りがないようだった。弔いは、太一郎がするしかないだろう。太一郎は、医者に電話して、死亡診断を書いてもらい、埋葬の準備をした。葬儀社に一番、簡素な式を頼んで、太一郎の菩提寺で葬儀をした。
 式には太一郎しか、出席しなかった。簡素に、飾りけなく式は執り行われた。
 全く飾り気のない、裸のままの式。これほど、洋子に相応しい式は、ないと思われた。
 (洋子は裸のままに生きて、裸で逝ったんだ。そんな人生が、なぜ、無意味だと言えるんだ。人はだれでも生きてきた意味を持っている。彼女も、寂しい男に、束の間の夢を与え、子供のころから、思い焦がれていた男に抱かれて、死んだ。短いが、心は満たされていただろう)
 太一郎は、自己満足的に、勝手にそう解釈した。そうしなければ、男たちの好色な視線に自らの最も女らしい部分をさらし続けて生きていた洋子の心の奥の屈辱と無念さを、上回る精神の気丈さを持つことは出来ないように思われた。
 そして、洋子は性を売り物にしていたが、性をおとしめることはなかった。女性の権利を主張する女性闘士たちが、ぎすぎすした態度で、男たちを追究する姿とは、対極に生きていた。女性闘士たちは、男を追い詰めながら、現実的な家庭を持って長生きをするだろう。洋子は家庭を持たずに、いや、持てずに短い命を終えた。その安らぎの顔を、思い出すたびに、太一郎は、大声を上げたくなる。
(終わり)