さくらさくら -葬送-
             一章 再思の道



   身を捨つる人は誠に捨つるかは
         捨てぬ人こそ捨つるなりけれ



      


西行妖────
 生きとし生けるものより命を吸い取る妖怪桜。
 その暴走を止めるためには、私の命、その全てを向けるしかなかった。
 私の、死を操る程度の能力。
 でも最後の瞬間、
 私の護人、妖忌が道を作ってくれた。
 そして彼の娘、ようちゃんが笑って送ってくれた。
 忌んでいたはずのその力で、彼らを守ることができた。
 その如月の望月の頃、
 願い通りに、花の下にて、私は眠ったんだ。


      ◆


「う…ん……」

目を覚ますと、
まず視界に飛び込んできたのは鮮烈な赤。

周囲に群生する花。
彼岸花だ。
その花弁の赤と、そしてその花と私を囲うように立つ木々の緑の対比がひどく鮮明で、まだ寝ぼけている私の頭を程よく刺激する。
まるで、世界が血を流しているような感じ。
そんな連想をするなんて、私は意外と冷たいのだろうか。
でも残酷だとしても、その鮮やかな赤が生命の力強さを具現しているように思えて、色の対比以上に、その生きている命という存在に魅かれてしまう。
日の光を受けて、いよいよその花は燦然と輝いていた
六枚の花弁が放射状に広がり、さらに雌しべが光背の如く伸びていりその花は、まるで後光を受けた仏さまのよう。
全てを捨てた私にとって、その神々しい姿は地獄に差す一条の光に思えた。
 ふと、その花に手を伸ばして────、

「待ってよ」
「えっ?」

 振り返ると、そこに少女が座っていた。
人がいるなんて思っていなかった私は、だからすごく驚いてしまった。
だが何より驚いたのはその少女が、
「よ、ようちゃ──── 」
「うん?」
 いや、違う。
 ついさっきまでようちゃんの夢を見ていたせいか、一瞬見間違えただけだ。
 それはたぶん、この少女の白髪のせい。
たぶん私と同じ年くらいだろう。そのわずかにあどけなさを残す容姿と裏腹に、だが彼女の髪は見事なまでの白髪なのだった。長く伸ばしたその白髪を、頭の後ろで赤い模様の帯を使って括っている。白い着物に、頭の帯と同じような模様の符をところどころ貼り付けている。
 白髪、白い装束、赤い符…と、見事に紅白。
そんないかにもお目出度そうな外見のはずなのに。けれども彼女が纏っている雰囲気は、なんだろう、まるで親しい人の葬式の帰りみたいな、そんな感じだった。
周囲の花に強烈な命を感じていた私には、彼女の特異な色彩をもってしてもなお、漠然と寂寞とした思いを抱かせた。
なんだか生きることに疲れてしまったかのような。そういう意味では彼女の白髪は相応といえるのかもしれないが、そう思ってしまうのが逆に悲しかった。
若くしての白髪は、確かにようちゃんを彷彿させる。
ただ受ける印象は、ようちゃんを陽とすれば、彼女より感じるものは反対の陰。

「毒があるんだよ」
「毒って…?」
 突然何のことかと思い、ふとそれはこの花のことだと気付く。
 先ほどから、どうも思考が散漫になっていけない。
「この花って、彼岸花でしょう?」
「ええ」
「毒なんかないでしょう」
「僅かにだけどあるんだよ。普通は触ったくらいじゃなんとも無いけど、でも今の貴方にはきついと思う」
 今の、私。
 そういえば私、どうなったのだろう。
 今の今までその考えに至らなかったなんて、さすがに寝ぼけすぎではないだろうか。
 この周囲に咲き誇る彼岸花は、そういえば初秋に咲く花のはずだ。お彼岸はお彼岸でも私は春のお彼岸、春の桜の下で眠ったはずで……。
 赤く煌く周囲の花は、何よりも存在感を感じられた。
 何もかもが不安定な今の私から見れば、確かにその強さは毒であっても不思議ではないかもしれない。
 ふと横を見ると、やれやれといった感じのなんだか憮然とした表情を浮かべ、少女が私を見ていた。
「道の真ん中で倒れてたから親切にわざわざ面倒を見ていたっていうのに、目が覚めたら花に見とれて浮かれてるし…。あーあ、なんてお気楽……」
「え? 倒れていた? 私が?」
 何のことだか、やはり状況がわからなかった。思わず周囲を見回してみる。
どうやらここは森の淵のようだった。
森はかなり深いらしく、奥のほうは木々に隠れて暗くなっている。森の隙間を縫うように抜け出た畦道がまっすぐ延びていて、そしてその細い道を覆うように彼岸花が群生していた。
もうしばらくすれば日が傾き、夕暮れに空が赤く染まることだろう。
そんな日中、静かな場所だが、自然に囲まれているにも関わらず鳥や虫などの生き物の気配は希薄で、その静か過ぎる情景はやはりどこか物寂しい感じがする。
いずれにせよ全く見覚えの無い場所だった。
 なぜこんな所に倒れていたのか思い出そうとして、こめかみの辺りがズキリと痛んだ。頭に靄がかかっているというか、まだ覚醒しきれていない。
「私、どうしてこんなところにいたのかしら……」
「まだ寝ぼけているのか」
 少女は仕方ないなと言いながら嘆息する。
「私がこの道を歩いてたら、目の前に人が倒れてるじゃない。驚いて駆け寄って見てみると、どうやら怪我も無く無事らしい。で、とりあえず木陰に引っ張って寝かしといたんだよ」
「それは、どうもご迷惑をおかけしました」
「い、いえいえ、おかまいなく…っ」
 三つ指をついて礼を言う私に、あわてて彼女も姿勢を正す。
 うん。ぶっきらぼうだけど、意外と良い人みたいだ。なんだかんだ言って、私にこうして付き添ってくれていたわけだし。
 私が思わず微笑むと、ばつが悪そうに彼女はそっぽを向いてしまった。ふふっ。
「ま、まぁ、怪我も無いみたいだから良いけどね。この辺は妖怪も多いし、道端で寝込んでて襲われなかっただけでも重畳だよ」
 妖怪……。
 それはまたとても非現実的な単語なのだけれど、でも私にはそれ以上に引っかかる言葉だった。
非現実的と言いつつ、私は眠るちょうど数日前、それが夢や空想ではなく現実に存在するのだと知ってしまったのだから。
「妖怪が出るの?」
「ん? ああ、出るよ」
「それは九尾の狐だったり、変わった傘を持った女の子だったりするのかしら?」
「さぁ、そんな奴らは知らないけれど……」
 頭大丈夫かよ…と、わずかに怪訝な顔になる彼女。
 よくよく考えてみると、こんな人気の無い場所に女が一人で倒れているなんて、元より縁起の良い話であるはずも無い。
育て親に酷い目に合わされて捨てられたとでも思っているのかもしれない。いや、話の流れから言って、捨てられてから妖怪に酷い目に合わされたとか。衝撃のあまり、記憶を無くしてしまった…とか考えているのかしら。
 もっとも私が思い出せないだけで、実は本当にそんな境遇なのかもしれないけれど。
 仮に今が秋だとすれば、春から今までの半年間、私は何処で何をしていたというのかしら。自分のことながら少々呆れてしまう。
 またしても一人物思いに耽ってしまった私を見て、目の前の彼女も「どうでもいいけどね」とため息をつく。自分どころか彼女にも呆れられてしまったみたい。
 さすがに助けてくれた恩人に失礼だったかもしれない。
 謝ろうと思って、改めて彼女に向き直ると、
「いや、どーでもよくねぇーっ!」
「あうっ!」
 突然起き上がってきた彼女の頭突きを食らった。目がちかちかする。
ううぅ…、なんなのよ一体…。
謝ろうと思っていたことも棚に上げて睨んでみたが、だが彼女は私なんかに気付かずに、なにやら独り言を呟いている。
「九尾って…、そんな化け物がいるっていうの…? それに傘の…って。心当たりは二人いるけど、どちらも最凶最悪……」
 しばらく一人でぶつぶつと呟いたあと、そして突然私のほうに振り返った。
「私、貴方は外の世界から来たと思ったんだけど?」
「外の世界?」
「外の世界って表現がわからないってことは、やはりそうなんだよな…。よし、詳しいことはあとで説明してあげるから、とりあえず質問に答えてね」
と言って、少し姿勢を正す彼女。
「貴方、さっき言った二匹の妖怪に襲われて、それで此処に来たのかしら?」
「いいえ。会ったことは会ったけど、別に襲われてはいないわ」
「そんな奴らと対峙して、それで何とも無かったの?」
「本当よ〜。もっとも狐さんのほうは私の護衛さんが守ってくれていたんだけどね。でももう一人の女の子のほうは、いっしょに飲み明かしたほどの親友ですわ」
「へ?」
そこで彼女は、豆をぶつけられた鳩のような顔になった。口が見事な菱形になっている。
あ、ちょっと面白い顔。でも言ったら怒るだろうな。斜に構えて振舞っているみたいだし。でもこのころころと変わる表情は見ていて飽きないわ〜。
 私がそんな脱線をしているなど露とも思ってないのだろう。しばらく放心したあと、また彼女はどんどん深刻になっていく。
「変なのに関わっちゃったのかも…」
 変な子に変って言われた。まさか反撃を食らうとは。
 白髪をわしゃわしゃと掻き毟って「どこから言えばいいのよー」などと一人唸っている。毛、抜けるよ?
 しばらく待った後、ようやく考えが纏まったらしい。また最初の鬱々とした静かな顔に戻った。
「ええっと、ではまずこの世界のことから──── 」

 そのとき、
 彼女が語り始めたそのとき、急に視界に影が射した。
何事かと思ってふと見上げると、あろうことか、なんとそこには女の子が浮いているではないか!
「晩御飯、見っけ〜」
「えええっ?」
 爛々と赤く光る瞳、縦に細まる瞳孔、鋭い爪、牙、そして角…。
 少女の外観だろうがなんだろうが、何よりもこの猛獣と対峙したかのように凍る背筋の感覚。
以前会った九尾の狐・藍のときも、また傘の少女・紫のときも、恐怖などはまるで感じなかった。それはたんに、私自身に向かって敵意を向けられていなかったからだけだったのか。いざ自分が襲われる段になって、初めて感じるこの戦慄。
あまりにも突然飛来した災厄に、心よりもまず身体が反応する。背筋が凍る。足が震える。
 ほ、本物の妖怪……っ!

「この世界は幻想郷と呼ばれていて──── 」
「無視かよっ!」
「無視なのっ?」
 …と、思わず初対面の妖怪と一緒になって突っ込んでしまった。
 これまでどこまでも生真面目な二人組と暮らしていたせいか、まさか自分のほうに誰かを正す役目がくるなんて思っても見なかった。いやいや、さすがにそんなことに感慨を覚えるほどの余裕は無いけど。
 だがこの目の前の白髪少女は、先ほどまでの動揺っぷりが嘘であったかのように落ち着いたものなのだった。
「ああ」などと頷いて、一瞬だけ妖怪少女を見た。けれども何も無かったかのように、また私のほうに向き直るのだ。
 ……いや、何も無かったのとは違うのかもしれない。
再び振り向いた彼女の瞳に宿っていたのは、どこまでも底が見えない、昏き炎。


「幻想郷、ここはその名の通り幻想の集まる場所」

 突如飛来した闖入者など日常の一環であると意に介さず、

「この手の妖怪跋扈こそがまさに典型な、」

 それに負けない確固たる自己を世界に示すかのように、

「かの世で忘れられた遺棄物の果て」

そんな世界を見下すかのように、

「ここで生きるもの達は、」

 大いなる翼を広げ、

「それでも失われない、誰より強い我を持つ者たち」

 その世界を赤く蹂躙する。


 最初に連想したのは、この周囲に咲き乱れた彼岸花だった。
 彼女の背後に突如巨大な彼岸花が咲いたかと思ったら、もう全ての視界が赤く染まっていた。その文字通り爆発的な赤は彼女を包み込み、そして一瞬の後、そばにいた妖怪少女をも飲み込んでしまった。
 ふいに全身を襲う熱風に、それが花弁ではなく、じつは紅蓮の炎だと知る。
 まるで地獄の蓋が吹き飛んだかのような、そんなあまりに突然の、絶対的な不可避の暴力。
 実を言うと、最初に目を覚ましたとき、私は此処が天国か何かだと思っていた。
 だがこの炎は、私みたいな忌み人がそんな極楽浄土などに行けるわけがないと、そういう現実を突きつけてくるかのように、私の心をも熱く飲み込んでいく。
 けれども、それこそ私の望むところ。
 多くの死を誘ってきた私など、多くの人を悲しませてきた私などに、死後の安寧を求める資格など無い。未来永劫、地獄の底で苦しめばいい。

「甘えるんじゃないよ」

 ふと少女の声が聞こえた。
 周囲に吹き荒れる炎の中、目も開けられないでただ身を流されていた私にも、その声は確かにはっきりと届いていた。


     ◆


 ────、
どれだけの時間が経っていたのだろう。
いつの間にか太陽は傾き、世界が茜色に染まろうとしていた。
 少しの間、放心していたらしい。
気が付くとあれだけ激しかったはずの炎はすっかり消え去っていた。白髪の少女が、傾いた陽の光を背負い、虚空を見つめ、ただ立っていた。あの突如現れた妖怪少女は、見回してももう見当たらない。
辺り一面を覆うほどの炎だと思っていたが、周囲の木々や花はほとんど焼けていない。
幻だったのかとも思ったが、だがこの僅かに漂う焦げた匂いは、あれが現実であったという何よりの証拠だろう。
ふと、少女が振り向く。
「驚いた?」
 夕日の逆光で、その表情は窺えない。
「これがこの世界、幻想郷だよ。怪異すらもそのまま受け入れちゃう世界」
 めまぐるしく展開した状況に、頭どころか身体までついていけてなかった。私はただぼうっと突っ立っていることしかできない。
「火炎を操るのは私の特技。まぁ能力の付随みたいなもんなんだけど…」
 そう言って、彼女は胸の前に差し出した手のひらの上に小さな火の玉を出現させた。
 ゆらゆらと揺れる炎が照らす彼女の表情は、無。
「私は自分の命を燃やして炎を作る。燃やしても、燃やしても、燃え尽きることはない。私は死ぬことができない身体なんだ」
「死ぬことができない……?」
 彼女は微かに頷き。そしてじっと私を見る。
「私は自分がこんな身体だからわかるんだけど、貴方はさ、」
 何の感情も表していない彼女の瞳には私が写っている。
「貴方、どうして死んだのに此処にいるのかな?」
「──── 」
 彼女の瞳に映った私は、
あろうことか、真っ白い死装束を纏っていた。



ふと、自己紹介がまだだったよねと言い、少女はここで始めて微笑みを見せた。
「私の名前は妹紅。藤原妹紅」
 混乱する私に、少女は優しく微笑んでくれる。
 それはやや自嘲を含んだ、寂しい笑顔。
だが先ほどまでの炎の激しさとは対照的に、今の私の緊張を優しく温かく溶かしてくれる、そんな慈しみを併せ持った心からの笑顔だった。
 本当に緊張が崩れたのか、そこで私のお腹がくぅと鳴った。
 彼女が目を丸くする。亡霊でも腹が減るのかよ…などと本気で驚いていた。
 その表情がやはり面白くて、
「私、ゆゆ。ゆゆという名前なの」
 だから私も、ようやくいつもみたいに笑うことができたのだった。
「よろしくね、妹紅」


      



 日も暮れて、辺りはすっかり暗くなっていた。
 先ほどの道沿いの場所から少し森の中へ入った場所で、私と彼女…妹紅は、焚き木の炎を挟んで座っていた。
この火も当然、彼女が点けたものだ。
 妹紅が採った魚が木枝に刺さり、じゅうじゅうと音を立てている。妹紅は魚を採りに行く道すがらに木の実や香草なんかも摘んできていて、それもそのまま火にくべていた。
「いい匂い…、美味しそう…」
 思わずそのまま齧り付きそうな私に、妹紅はまた蔑んだような視線を向けている。
「まだ焼けてないってば…。…ったく、良いとこのお嬢様かと思ったから臭み消しとか入れたけど、そんな心配いらなかったみたいね」
「ん、美味しいものに貴賎の境界なんか無いわよ」
 晩年…という言葉が適切なのかわからないけど、私は死ぬ数ヶ月前に、京の都から弘川という山奥に、妖忌とようちゃんの二人だけを連れて引っ越していた。たしかに都の暮らしと比べると不便さでは比べようも無いものの、それも慣れればどうと言うこともなかった。もっとも私の場合、それは家事全般を任せられる二人がいてくれたからかもしれないけれど。
 食文化は、貴族とそれ以外の人たちでは全く違う。
 貴族は基本的に見かけの体裁を整えることに重点を置いたものを食べる。獣や魚など食べないのだ。新しく台頭してきた坂東武者などはそういったものも食べているらしいが、京では未だ「雅」と言ったものを崇拝している。それはお金の無い没落貴族さえも。
 日々を必死に生きている一般人から見れば、それは無駄以外の何物でもないだろう。私は弘川でそういった人々に触れ、ようやくそのことをわかったのだ。
「そういえば……そっか、これからは料理なんかもできないといけないのね」
 死後の世界がどういうところかわからないけれど。
 確かに死んでいて、でもこうして実在して、生者である妹紅と会話までして、ひょっとするとこのままこの世界で暮らしていくのかしら。
 なまじ身体なんかがあるから、いまいち自分が死んだっていう気になれない。
「これくらい死ぬ気になればなんだって出来るようになるよ。…って、すでに死んでいる人に言う言葉じゃないけどさ」
「そうかな」
「そうだよ、私も初めは何もできなかった。でも一人で生きていくには、覚えるしかなかったんだ」
 私は逆に死なないから色々と無茶もできたんだけどね…などと、笑っていいのか自虐なのかわからないことを言う。
死なない……ねぇ。
私には死を操る程度の能力があるので、彼女の言うことが真実であることは感覚でわかる。若い容姿だけれど、おそらく彼女はその見た目以上に「生きて」きているはず。
能力ゆえに、私の周りには常に「死」が付きまとっていた。いや生きとし生けるものにとって、死とは切っては切れない関係のもの。
能力的には私と対極だけれど、藤原妹紅、この子の孤独は私なんかよりずっと深いのかもしれない。
藤原の…、そういえば、
「良いとこのお嬢さんって、そういえば妹紅もそうだったんじゃないの?」
 そうなのだ。
 妹紅は難しい単語も普通に使っている。それに何より藤原姓。その名は私がいたあの国では最高貴族の特別なものだったのだ。
 そんな妹紅は片眉だけを上げて、まぁそうなんだけどね、となんだか煮え切らない感じ。
「いや、私もね。奥州のほうの親戚筋に藤原姓がいるのよ。嘘か真か、ご先祖様には物語の素材になった人もいるって──── 」
「その話は聞きたくない」
 それまで黙って聞いていた妹紅は、急に鋭い目つきになった。
「過去、確かに私もそっちの世界にいた。話を聞く限り、たぶん貴方と私は遠い親戚なのかもしれない」
 焚き木がパキッと割れる。
「けれども私は家を捨てたんだ。それが貴方の家を出たというのと同じかどうかはわからなけれど、私はもう長いこと一人で生きてきたんだ」
 強く拒絶された。
 この話はこれで終わりだとでも言うように、焼けたよと彼女は魚を差し出してくれた。
香草の香りがほんのりと漂っている。とてもいい香りだ。熱くて、柔らかくて、美味しい。
とても美味しい。
けれどもこの外で食べる味はやはり初めてで、違う世界に着たんだという気持ちが改めてこみ上げてきた。一人で生きてきたという彼女の言葉、それがとても重く感じられてきた。
ふと見上げると、空には月が浮かんでいた。
満月…いや、僅かだが欠けている。
私のあの最後の夜、あのときは見事な満月だった。満開の桜がもっとも映えると言われ夜。だから覚えている。
「十六夜月だね」
私の視線に気付いてか、妹紅が教えてくれた。
「満月のことを望月、月が望ちるというけれど、それが少しだけ欠けた十六夜の月は、だから迷いを司っているんだって」
「そうなんだ」
 知らない地に来て、生死すらもよくわからない。これまでのこともこれからのことも何も見当がつかない私には、とてもお似合いなのかもしれない。
この周囲にもあの赤い彼岸花は咲いていて、月明かりを反射していた。
昼間に見た彼岸花は赤く鮮烈だったけど、夜光に映る今は紫にひっそりと咲いていた。他の草木と変わらない、同じ色。見る視点と時間が異なれば、対象が同じものでも全く違うことを感じてしまう。
「もう秋なんだね」
 私がそう言うと、妹紅は「うん?」と一瞬疑問符を浮かべたような顔になった。そして「ああ」と一人納得し、
「今は春だよ。この場所だけは特別で、彼岸花がいつでも咲いてるんだよ」
「へぇ〜、素敵」
 思わず花に手を伸ばそうとすると、駄目だってばとまた止められた。なんでよ〜と食い下がる私に、妹紅はやれやれとため息をついた。
「彼岸花を手にすれば、その先には彼岸…つまり死しかないんだよ」
「いや、私、もう死んでいますし」
「ああ、まぁそうなんだけど……」
 上手く言葉が見つからないみたいで、うんうんと唸る。
 そして、
「なんで貴方があんなところに倒れていたか、なんとなくだけどわかった気がする」
と、よくわからないことを言ってきた。
「え? 理由なんかあるのかしら?」
 なぜあの場に倒れていたのか、確かに原因はあるのだろう。
 でもなんであの会話でそこまでわかったのだろうか。
 妹紅は少し姿勢を正した。
「あの貴方が倒れていた道。あの道は再思の道というのよ」
「さいし…?」
「そう。自ら命を絶とうと思っている者が訪れ、これまでの道程を振り返り、思い直す道」
 自ら命を絶とうとする者。
自ら妖怪桜に身を捧げた私は、まさにそうだ。
「その花には毒があると言ったけれど、毒は不快で、だけれど逆にそれが此処から逃げ帰る…つまり生きていく気力にもなるのよ」
 なるほど、だから再思。
でも私の場合は、
「けれども亡霊である貴方の場合、もう帰ることはできない。辛くなっても先に進むしかない。だからやめとけって言ったのよ」
 そうだったのか。
そういうことだったのか。
 帰る場所が無い、拠り所が無いというのが、とても心細く感じられた。
妖忌がいて、ようちゃんがいて、三人で暮らしたあの貧しくも楽しい数ヶ月の生活は、もう二度と帰ってこないのだ。彼らを守るためとはいえ、私は自分でそれを捨てたのだ。仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。でも理屈と感情はやはり別物で、悲しくないなんて嘘になる。
悲しいし、寂しい。
…けれども、
「…ん、妹紅は私が悲しまないように止めてくれていたんだね」
 ありがとうと頭を下げると、別にそんなんじゃ…と、照れたように顔を反らされた。横顔から覗く耳がなんだか赤くなっている。
 ふふふっ。

 うん、大丈夫。
どんな世界だってどんな場所だって、楽しいことはあるだろう。私が知らない美味しいものだって、まだまだたくさんあるに違いない。
月が満ちては欠けるように、迷うときもあるかもしれない。
でも、月の光はあの時と同じく優しいし、そしてそれはこれからも何も変わらないだろう。
そのことを忘れなければ、きっと大丈夫。
変わらないものと、変わるもの。
後ろにはもう下がれないかもしれないけれど、今を、そしてこれからを楽しもう。
あの三人で過ごした時を、本当の黄金にするために。



      



「この道をまっすぐ進むと河に出るんだ。そこに水先案内人がいる」

 翌朝である。
 朝日を浴びた彼岸花はやはり赤く煌いていて、昨夜感じた寂しさなど微塵も感じさせなかった。心の移り気なんて、たぶんその程度のもの。
 これからどうしようかと迷ったあげく、私は死人らしく、ちゃんと死のうと思った。自分で言ってそれがどういうことなのかわからないが、ともかくこのまま亡霊としてここに留まるのは、なんだか違うって気がする。
 妹紅は昨夜、「辛くても進むしかない」と言っていた。
 こんな私でも進める道があるなら、とりあえずそれを進んでみようと思ったのだ。後のことはまたそのときに考えれば……、たぶん大丈夫、きっと。
 そう妹紅に話したら、なら死神に会えばいいと言ってくれたのだ。
何でも妹紅は、その死神と会った帰り道で私が倒れているのを発見したらしい。
不死身でいることに飽いた末の自殺志願。だがその死神に説教されたあげく、追い返されたのだとか。
いつかあんたにも大切な人が現れる、だから生きろ、と。
 死神、
冥府への案内人、三途の川の渡し守。
どれも御伽噺に出てくるような言葉ばかりだけど、だからこそ最初の冒険としては悪くないのかもしれない。
そしてその妹紅を追い返したという死神に、私も会ってみたくなったのだ。

 私たちは森の奥から最初に出会った道まで出てきた。
 そこに咲き乱れる彼岸花に視線を向けつつ、妹紅は言う。
「この花はさ、葉と花は同時には出てこないんだよね」
「え? 本当?」
 言われて見てみると、確かに、花は咲いているけれど葉は全く無かった。逆に花が無いものにのみ葉が生えていた。
「花が散ってから、葉が出てくるんだ」
「へぇ、不思議な花ねぇ」
 感心しつつ花を見ていたが、ふと横を見ると妹紅は神妙な顔つきになっていた。
「…私を待っていてくれる人なんて、現れるわけがないんだ。この彼岸花の花と葉のように、思ったところで永遠に会えないんだよ」
「…妹紅」
「この花の花言葉は、悲しい思い出。いくら大切な友達ができたところで、どうしても私より先に逝ってしまう。私だけが悲しい思いをするってわかっているなら、初めから出会わないほうがいいんだ」
「……」
 涙を流すわけではない。彼女はけっして泣いたりはしないだろう。
 でもそれは、彼女が強いからというわけではなく、もう流す涙が枯れてしまったからなのだろう。永遠を生きるというのがどういうことか、それは彼女にしかわからない。
でも、それでも、
「私、彼岸花のもう一つの花言葉を知っているわ」
だからこそ私は言わなければならない。
「もう一つの花言葉は、また会う日を楽しみに」
「ゆゆ…?」
「死んでもこうして妹紅と話せたのだもの。いつか、いつの日か、またこうして会える日がくるかもしれないわ」
 その言葉に、彼女ははっと顔を上げるが、
「いや、駄目だよ、ゆゆ」
 そう首を振ってまたうなだれてしまった。
「…なぜ?」
「三途の川を渡れば……行き着く先はどんなところかさすがにわからないけど、それは生まれ変わり、転生を意味する。新たな身体を持ち、今のゆゆとは全く別のものになるんだ。記憶は心ではなく身体に宿るから、仮にまた会えたとしても、ゆゆは私を忘れている」
「でも、」
「それに私も忘れている。いくら死なないと言っても、記憶には限界がある。記憶の清算、忘却は私の意志とは関係無いんだ。ごく限られたことを除いて、一定期間で必ず消去されてしまう」
 だからこれでお別れ…と、彼女は優しく微笑む。
 けれども私は、
「貴方に会えて、私は楽しかったわ」
そんな泣きそうな顔で微笑まれたって、私はちっとも楽しくない。
 私は彼女を抱きしめる。
「全く覚えていなくても、たとえ次に会ったときに敵同士になっていたとしても、また会えるかもって思っていたほうが楽しいじゃない」
「……っ!」
「炎の中で甘えるなって言われて、だからこそ私は前を向けたのよ」
「ゆゆぅ〜…」
「長く生きてれば辛いこともあるかもしれない。でも楽しいこともきっとたくさんあるんだわ。私はもう死んでしまったけれど、けれどもきっと、あの世だって華やかで賑やかかもしれないわ」
 そう、信じてさえいれば、ひょっとすると妖忌やようちゃんとも会えるかもしれないのだ。
 だからきっと、
 今も、昔も、これからも、
 素敵な時間を楽しみましょう。

「またね、妹紅」


死んだ私と生きる妹紅。
向かう先はたしかに違うのだけれど、けれどもさよならは言わない。
一陣の風が吹き、彼岸花の赤い花びらを巻き上げた。
それがこの先の吉兆を表す、祝福の風でありますように。

「またな、ゆゆ」

 最後に妹紅は笑顔を見せ、そして二人は互いに違う方向へ歩き出す。

立ち止まらずに、前へ。





                                     (一章 了)




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