さくらさくら
             一章 いくたびの春の思い出



   願はくは花の下にて春死なむ
         そのきさらぎの望月のころ



      


「ようちゃん、私の父はね、鬼といっしょに歌を詠んでいたのよ」

 こちらに引っ越してきて間もない頃、ゆゆ様がご自身のお父上様について話してくれたことがあった。直接お仕えしていた私の父・妖忌と違って、私自身は一度も面識が無いお方。ゆゆ様が私にお館様について話されたのは、後にも先にもこのときだけだ。

「鬼、ですか…?」
「そう鬼。あらあらようちゃん、なんだか信じてないみたいね」
「鬼って、あの角があって、虎の腰巻を巻いていて、金棒を持っているアレですか…?」
 いくらゆゆ様の言葉でも、さすがに信じられない
 ああ、何かの比喩だろう。鬼みたいな大男とか、ものすごく怖い顔の人とか。でもゆゆ様は、いやいやようちゃん…などと首を振り、
「正真正銘、本物の鬼よ」
と微笑んだ。もっとも私もそれを見たわけではないけどね…と付け足したが。

 ゆゆ様のお父上は今でこそ都でも歌人として名高いお方だが、けれどもゆゆ様が物心つくかつかないかのうちに、官位を捨て、家族との縁を切っている。今は出家して諸国を行脚している…と聞いたことがある。
 豊富な財産は残していったとはいえ、ゆゆ様のご家族や私の父をはじめとする家人達はいわば捨てられた形になったわけである。でも、それについてゆゆ様や父がそのことを責める様子はなく、むしろお館様に対する尊敬は変わっていないようにみえる。
 どんなお方だったのだろう。

「どこぞの寺の三門に住みついたとか、何某の貴族の屋敷に現れてお酒を飲んでいったとか、橋を通る武士を掴まえて力比べをするとか…、都では鬼の風聞は事欠かないわよね」
「はい、でもどこまでが本当かはわかりません。たしかその橋の鬼…五条大橋だったかと思いますが、実際は大きな僧兵が刀狩をしていただけだったと聞いています」
「ようちゃんは鬼って信じない?」
「う…、陰陽師の方々が使う式神なんかはわりと信じられるのですが…」
 ゆゆ様は普段ぽやぽやと掴み所がないくせに、たまにこうじっとまっすぐに見つめてくるときがある。うう…っ、この瞳に私は弱いんだ。
 私が返答に窮していると、ゆゆ様はくすくすと袖を口元に当て笑われる。
 …この人は、まったく。

 それはともかくね…と、茶を一口すすってゆゆ様は話を続ける。
「鬼なんて私も見たことはない。鬼と歌を詠んだって話も、父は妖忌にしか話してなかったみたいだし。本当かどうかなんて、それこそ当人でないとわからないわよ」
「え? 父様?」
 ここで父の名前が出てくるとは意外だった。
 たしかに私の父はお館様の近衛として身近ではあったのだろうけど、この手の眉唾(?)な話とはあまり縁が無いような気がする。娘である私が実の父について評するのも気がひけるが、良くも悪くも真面目で堅い人だし。まして、歌などとはもっと接点が無いはずなのに。
 私の反応を見て、ゆゆ様も、
「そうなのよねぇ。共通項があまり無さそうな二人なのだけど、なんでか父は妖忌と気が合っていたみたい。でも、妖忌は妖忌であまり語らないし」
 寡黙な人だし…。
 おまけにいつも難しい顔をしているから、知らない人は大抵怖がる。
「何を考えているのかわからないって点では、二人は似ているけどね〜」
 なんか酷いことを言ってるし…。
 いや、それはゆゆ様も同類…なんて思ったなんて、さすがに口には出さなかったけど。
 コホン。

「父はね、普通の人には見えない世界を見ていたのよ」
「見えない…世界」
「ええ、そしてそれをそのまま歌として表していた。みんなはその歌を聴いて褒めたりするけど、でも父にとっては、目に映る当たり前のことをそのまま詠んでいただけなの」
「それは…、それこそが歌の才能っていうのではないですか?」
 ちょっと違うのだけどとゆゆ様は小首を傾げる。
「たぶん、私も、ようちゃんも、そして他の誰もが、子供の頃にはみんな見ていた世界だと思うのよ」
 ええっ?
「で、でも私は歌なんか詠めませんよ?」
「見たものを言の葉に変換する程度は、それこそ父の才能なのでしょう。私も歌は苦手だし」
 そうじゃなくてねと、ゆゆ様は庭の桜に視線を送り、
「一番星を見つけるのはいつだって子供のほう。光と影を見て、風の音を聴いて、花の香りを嗅いで、走って笑って泣いて。理屈ではなく感情で、子供は世界を見ることができるのよ」
「あ…」
「世界はいつだって変わらずに光り輝いているのに。大人は“綺麗だ”って云葉にしないと実感できないのよ」
 大人は誰しも初めは子供だった。けれどもそのことを覚えている大人はいくらもいない。
 いつか私も忘れちゃうのかしらねなどと、どこか哀愁を帯びた瞳でひとりごちるゆゆ様。
 庭を見ながらそんなことを言われてしまうと、庭師としては奮起せざるおえない。それにしても…。
「妖怪や妖精も、ひょっとしたら普通にそのへんにいるのかもしれない。私たちが見過ごしているだけで。だとしたら、少し勿体無いわね」
「でも鬼ですか…。たしかに私も幼い頃なんかは物陰とか怖かったですけど、でも鬼っていうのはさすがに飛躍しすぎている気がします」
 さすがに妖怪…鬼が実際に存在するなんて、ちょっと考えられない。
 自然を美しいと思う気持ちと、妖怪を信じる心というのは、やっぱりなんか違う気がする。
その鬼と歌詠みをしていた。
 …う、うーん。
「鬼云々は置いておいて、私の父は、そうね、“自然の言葉を聞ける程度の能力”でも持っていたってことじゃないかしらね」
 なるほど、ならば“あるがままを詠んでいた”というのもわかる。
 鬼は別として、だけど。

 「もっとも
──────、」
 ゆゆ様はつぶやく。
 「他人に見えないモノが見えるということが、幸せなのだとは限らないのだけどね」

「…」
 その述懐は、けれどお館様に対する恨みやあるいは嫉妬とか言うものではなく、どこか哀れんでいるようにも見えた。
 なんだろう…? 気のせいかもしれないけれど。
 他人に出来ないことが出来るというのは、単純に凄いと思う。私は。
 ゆゆ様はたまに抽象的な例えを使う。あとから考えると確かに真実を突いているのだとわかるのだけれど、その場ではなかなか理解できないことが多い。というか、たいていわからない。
 結局、ゆゆ様はお館様の話を通じて、何が言いたかったのだろうか。
 何か言いたかったのだろうか。
 
 私は幻想する。
 望ちた月、満開の桜の花のその下で、杯を酌み交わし、歌を詠みあう鬼神とお館様
──────
 私には見えない世界、
 そこで二人は、いったい何を見ていたのだろう。


 ふと見ると、
妄想している私を置いて、ゆゆ様はお団子を頬張っている。
 先ほどの哀愁などどこ拭く風、それはもうとてもとても幸せそうに。
 というか、何かを口にしているときのゆゆ様はいつも幸せそうなのだが。
「…って、ああっ! 私のお皿も空になってる!」
「駄目よ、ようちゃん、油断しちゃ。なんのために貴方の父上は剣術をやっていると思っているの?」
「ゆゆ様からお菓子を守るためじゃないです」
 なんだかまた聞き返す雰囲気でもなくなってしまった。
…まぁ、いいか。
 いつか時期が来ればわかるだろう。


     ◇


 もしも、このときゆゆ様が桜の向こうに見ていた世界について、私がもう少し深く考えていたなら、後々の結果は変わっていただろうか。
 過ぎてしまったことは覆せないのだけれど。
 いや、
 たぶん、わかっていたとて、結末は変わらなかったと思うけど。
 それでも私は、ゆゆ様と同じ世界を見たかった。

 だって、
 私がその世界を見れるようになったときには、もう
──────




     



 ゆゆ様はよく食べる。

 べつにガツガツと行儀悪く食べるのではなくて、ゆっくりと、楚々として、それはもうどこから見ても良家のお嬢様然と食事しているのだけど。
 でも気が付くと、お膳の料理は残り少なくなっていたりする。 不思議…。
 父上曰く、ゆゆ様の箸使いは一流の武芸者に通じるものがあるとかで、その機械的で的確な箸捌きには一部の隙も無いのだとか。
 …よくわからないけど。 確かに普段どちらかというとふわふわしているゆゆ様が、食事中の手元だけは流れるように動いているように見える。
 実際おっとりしているように見えて(本当におっとりしているのだけど)、何をやっても器用にこなしてしまうお方ではあるのだけど。
 問題は、あの小さなお身体のどこにあれだけの食べ物が入るのかってことで。
 私だって庭の手入れや麓への買出しなどで身体を動かしているので、普通の女の子よりはたくさん食べていると思うのだけど、でもゆゆ様はそんな私よりももっと食べる。
 それでいて体型が微塵も変わらないのだから、なんだか、ちょっと、卑怯な気もしなくもない。
 ちなみに私も食べても全然変わらないのだけど…。 でも私はもうちょっと大きくなりたいのに…、色々と…。
 それにしても、食事なさっているときのゆゆ様はとてもとても幸せそうで、そんなゆゆ様を見ているとこっちまで楽しくなってくる。
 父上は何も言わないけど、毎回みょんに料理に熱を入れているのは、そんなゆゆ様の笑顔を見たいからなのじゃないかと思う。
 かくいう私も、ゆゆ様に「わぁ、今日のお味噌汁はとても美味しいわ〜」なんて笑顔で言われたら、つい張り切ってしまって。
 いつしか、こと料理に関しては、父上と私はゆゆ様の笑顔を賭けた宿敵同士になっていたりする。
 庭仕事や力仕事ではまだまだ足元にも及ばないけど、今のところ、料理では私にちょっと分があるかな。

 さて、今晩は私の料理当番の日。
 山で採ってきた独活(うど)と、麓の民家でいただいてきた里芋、煮物を作ります。
 やっぱり旬のものは美味しいよね。


      ◇


 食事はゆゆ様、父上、私の三人で揃って食べる。
 都にいた頃は、やはり身分の違いってこともあって、ゆゆ様はお一人で食事されていた。けれど、いまこの館にはこの三人しかいないから、みんなで食べたほうが美味しいからというゆゆ様の“お願い”で、今はこうして食べている。
 最初は恐れ多かったけれど、でもやっぱり、料理に対して喜んでくださる姿を直接見ることができるのは嬉しい。

「ねぇねぇ、ようちゃん」
「あ、ゆゆ様。 なんでしょうか」
「この独活、しゃきしゃきしていて美味しいわね〜。このちょっとの苦味が芋の甘さと良い感じに合っているし」
「はいっ、ありがとうございますっ」
 ゆゆ様は本当に美味しそうに食べられるので、作る側としてもやりがいがある。
 …あ、なんか父上は難しそうな顔をしている。
 初めの頃はわからなかったけれど、でもこれは不味いっていうわけではないらしい。
「まったく、妖忌は素直じゃないんだから」
「お嬢様…、私は何も言っておりません」
「ようちゃんの料理が美味しくて、ちょっと悔しいんでしょう? 冷淡な振りをして、本当は凄く負けず嫌いなんだから」
「ぐ…、食事中にお喋りするのは行儀が悪いですぞ、お嬢様」
「はいはい、妖忌は頑固ねぇ」
 ふふふ。
 明日は見ていろと、父上が目で言ってくる。
 やれるものならと、目で返す。
 なんでもない日常。
 そのなんでもない日常が、凄く楽しい。
 こうしてみんなで食卓を囲むようになって、ゆゆ様も父上も、すごく身近に感じられるようになった。ゆゆ様はご身分に囚われることなく誰にでも気さくだし、ただ怖いだけの存在だった父上が、実はすごく温かいこともわかった。
「しかし、父上がこんなにも大人気ないとは思っていませんでした」
「ホントよねぇ、どこで間違えちゃったのかしら」
「黙って食べる!」
「はいはい」
 くすくす。

 他愛も無い日常。
 都にいた時みたいに贅沢はできないし、山での生活はなにかと不便だけれど。それでも私はここでの生活が大好きだった。

 本当に
─────
 こんな時間が永遠に続けば良いのに。




      



 月
─────

 真円に望を極めた月。

 夕食後、晴れた夜はいつも、ゆゆ様は縁側で月明かりを浴びる。
 啓蟄も過ぎて、そろそろ気候も穏やかになってきた。
 特に今日の日中は温かかったので、こうして夕食後に一息つくにはちょうど良かった。ときおり緩やかに流れる風が心地よい。
 そして、今宵は満月だった。
 月の光を受けて、世界は青白く染まっていた。

「桜が見頃になるのは…、あと一月というところかしらね」
 お茶をお持ちしたとき、そんなことを呟かれた。
 庭にある桜の木は、まだ蕾があるかないかといったところである。
「そうですね。この山の桜が満開になったらどれほどのものか…。私も今から待ち遠しいです」
 私たちが新たな居を構えるに当たってこの地を選んだのは、ひとえにこの山の桜にあった。山の一面を埋め尽くす桜の木。
 ゆゆ様は桜がなによりお好きだった。
 視界がすべて薄紅色に覆われる世界を夢見て、ゆゆ様ならずとも高揚する。
 この縁側から見える世界、今日みたいな満月の下で見る桜の乱舞は、どんなに素晴らしいことだろう。

「ねぇ、ようちゃん。なんでこの国の人は桜が好きなんだと思う?」
「え? なんでって、突然言われましても…」
「昔はね、春といえば、桜でなく梅がまず挙げられていたわ。でも今では、皆そろって桜をまず思い浮かべる。どうしてかしら?」
「そういえば…、どうしてでしょうか」
 桜は好きだ。でも改めて考えると、どうして皆が皆、桜を楽しみにするのだろう。
「綺麗だから…だと思います。あ、いえ、上手く言葉で表せませんけど。梅と違って、なんというか…、桜には気取ったところが無くて、それでどこか一生懸命で、なんだか力強くって、へ…変ですよね」
 うぅ…、自分で自分が何を言っているのかわからない。こういうときに僅かでもお館様みたいな歌の才能があれば良いと思うのだけど…。
 馬鹿みたいにしどろもどろになっていると、案の定、ゆゆ様はくすくす笑っていた。むー。
「ふふ、桜を評して力強いだなんて、さすがようちゃんね」
 なんだかよくわからない。これがゆゆ様でなかったら、たんに馬鹿にされているだけな台詞ではあるけど。
どこか琴線に触れたのか、ゆゆ様はまだ笑っている。でも不思議と憎めないのだ、このお方は。
「梅は確かに上品よね。香りも色も、高尚で清楚。よく貴婦人なんかに例えられている。それに比べて桜は…、一度にわっと咲いて、わっと散る。瞬間の勢いはあるわね。力強い…か、言いえて絶妙ね」
 そこまで感心されると、なんだかもぞがゆい。
 しょせん口に出るまま適当に言った言葉なのだから。
「咲いて、散る。刹那の光。梅みたいに襟を正さないと見られないような花より、花火を見るような気楽さで鑑賞できるのが…桜」
 ゆゆ様は視線を遠い彼方へ向けている。
 庭の桜はまだ咲いていない。
 ゆゆ様は、いずれくるであろう満開の季節へと思いを馳せておられるのかもしれない。
「私はね、桜を命に見るの」
「命…ですか?」
「桜は春…それもほんの僅かな期間しか咲かない。でもひとたび咲くときは、その存在を世界に誇るかのようにすべて染めあげる。そして、散る」
「…」
「この山の桜、満開になったらどれほど綺麗なのかしら。そして、吹雪の如く散り逝く風情は、またえもいわぬ美しさなのでしょうね」
「ゆゆ様…」
「この世に永遠など無い。どんな人間もいつかは死ぬ。桜が咲いて、そして散るように」
「ゆゆ様」
 彼女は、未だ見えない満開の桜を幻視している。
 そしてそこに、命、己自身の生命を悟り見ている。
「どうせなら
─────、」
「ゆゆ様!」
 止まらない。

「どうせ死ぬのなら、満開の桜が風にはらはらと散る中で、その内で死んでみたいものよね」
─────


      ◇


「春も近いとはいえ、まだ夜は冷えます。そろそろ中へお入りなさい」
 点した灯火を手に持ち、父上が中から現れた。
 どれくらい私たちは静止していたのだろうか。
 実際はほんの僅かな時間なのかもしれないけど、でも何刻も経っていたという気もする。
 月が、世界を白く冷たく染めている。
 少し肩が震えた。
 自分では気付かなかったけれど、父上に言われたようにちょっと冷えたのかもしれない。風邪をひかないうちに中へ入ったほうが良い。
 けれども体が動かなかった。動けばすべてが崩れてしまうような、そんな感覚におちいっていた。
 咲いては散る桜。
 ゆゆ様は永遠など無いと言われた。
 永遠に続けば良いと思っていた日常、
 でもその床板を一枚剥いでみると、その下には何も無かった。こんなにも脆弱な地盤の上に私はいたのだ。
「ふふ、そうね、夜もふけてきたし、そろそろ戻りましょうか」
 ゆゆ様が腰を浮かす。
 ふと、その袖を掴んでいた。この人が、まるで花の中を飛び抜ける蝶のように、どこかに消えてしまうような…、そんな錯覚に陥ったから。
「ようちゃん…?」
「あ…」
 無意識だったので、特にどうしようとしたわけではない。彼女は蝶などではない。今、ちゃんと目の前にいるというのに。
 ゆゆ様は、その袖を放さない私の手をそっと握った。
 そして再び腰を下ろし、私の目をじっと見て、

「ようちゃん、好き」

「…な!」
 は? え?
 と…、とととと、突然何を言い出すんだこのお方はッ? い、今のって愛の告白とかいうのでは、っていうかでも私もゆゆ様も女の子だし、いやいやその前に突然どうしたらそういう話の流れになるのかわからないし、それは私もゆゆ様は好き…なんだけれど、でもだからっていきなりそう真正面からおっしゃられても心の準備があぅあぅあぅ!!
「ようちゃんが好き。そして妖忌が好き」
 …は。
「二人が作るご飯が好き。この家が好き。桜が好き。桜餅が好き。この山が好き。麓の人たちも好き。ここでの暮らしが好き。私はこの世界が大好きなの」
 …ああ、そういうことですか。驚いた。
「二人を置いて、どこかに行ったりしないわ」
 話がくるくる変わる人だから、私はいつも振り回される。
 しどろもどろにうろたえていた私を、ゆゆ様はいつもと変わらない微笑をたたえて見ている。
 ああ、この人は
─────変わらない。

「でもねぇ、あの世がこの世より賑やかで華やかじゃないなんて、そんなのはわからないじゃない?」
「え」
 前言撤回、この人は私で遊んでいるだけだ。
 わかっていましたけどね。わかっていて好きなんですけどね、どうせ。
 なんだか気が抜けてしまった。
 ああ、ゆゆ様だなぁ…などと、どうでもいいことを思いつつ。
そういえば、あれだけ不安定だった足元が固まっていた。不安でガチガチだったのに。
私の手を取っているゆゆ様の手は温かく、まるで春の日差しのように私の不安を溶かしてくださっていた。
敵わない、まったく。

「ようちゃんも妖忌と似て真面目なんだから。親子ねぇ。そんなに悲観することもないのに」
「わかっているなら、あまり不安がらせるようなことを言わないで下さいな」
「だって、困った顔って可愛いのだもの」
「…! もう! ゆゆ様が亡くなったときにはちゃんと供養してあげますから。ご安心なさって下さい」
「うんうん、もしも私の後世を弔ってくれるなら、そのときは桜の花を手向けてくださいな」
「はいはい、桜餅も付けてあげますから」
「ふふふ、約束よ〜」
 …くっ、お可愛らしい。勝てない。
 あの世がどんなところかわからないけれど、とゆゆ様は呟き、
「死んだあとも、こうして三人で暮らせれば良いわね」
と、おっしゃった。
「そうですね、いつまでもお供します」
と、私も返す。

 ゆゆ様のお顔はどこまでも温かく、さきほどまであれほど冷たく感じていた月の光を穏やかに反射していた。
 ふと見ると、父上も優しく笑ってたたずんでいた。
 私がいて、ゆゆ様がいて、父上がいて。
 永遠なんて無いとゆゆ様はおっしゃったけど、この瞬間が永遠でなくてなんであろうか。



                                     (一章 了)




戻ル