イタリア・カッシノ戦リエナクトメント Monte Cassino 1944 2008/1/31-2/1の画像をご紹介します。

今回のテーマは、44年1月のイタリアモンテカッシノ戦。
設定部隊は米軍:第34歩兵師団第133歩兵連隊第100大隊C中隊、独軍:空軍第1降下猟兵師団第1降下猟兵連隊第1中隊です。

1944年1月米英加仏の連合軍は。グスダヴ・ラインを突破すべく行動を開始します。カッシノは交通の要衝であるため、重要拠点のひとつ
でした。しかし、高地に囲まれたカッシノは容易に通過することが出来ませんした。ドイツ軍は地形利用して、要塞を築き頑強に抵抗したのです。
今回は、そのモンテ・カッシノ戦における日系部隊(100大隊)と、ドイツ軍屈指の精強部隊第1降下猟兵連隊との戦いをテーマにしてます。


米軍リエナクター一同。100大隊C中隊の面々
100大隊の隊員は、ハワイ州出身の日系人で構成されていました。後になって、日系部隊は連隊規模(442連隊)となり、100大隊も422連隊に加わります。
先輩の100大隊と、後から編成された422連隊の隊員間では、対立があったそうです。その理由の一つに、兵士達の出身と生い立ちが関係していると言われて
います。ハワイ出身(100大隊)の兵士は陽気で本土に比べ人種差別は受けていませんでした、対して、本土(主に西海岸)出身の兵士は、過酷な人種差別を受け
親族は収容所に送られて、苦労の連続だったのです。このような背景があり、422連隊に100大隊が配属された時にはトラブルが絶えなかったそうです。


カッシノまで、あと1.5km。陽気なハワイ日系人たち、どんな時でも笑顔ありです。
ハワイと日本は、明治維新前から交流、移民があったそうです。(当時は、米ハワイ州ではなく、ハワイ王国)
戦前、ハワイの経済基盤は日本人移民が作り上げたともいわれています。


モンテカッシノへ移動。


モンテ・カッシノ近郊の高地にて。
バックの丘がリアルです。本栖ハイランドは、イタリア戦線向けの地形ですね。


降下猟兵リエナクター一同。またもや、ドイツ軍側の写真が無くてゴメンなさい。独軍側写真募集中!


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