Class "A"


2004/7/3 USARミーティングにて

ここでは、サービス・コート、徽章類、メダル、リボンを紹介します。全てではありませんが、当時、一般的に見ることが出来たスタイルとして紹介します。

クラスAジャケット(サービス・コート)は、野戦装備に比べると着用する機会はなかなかありませんが、リエナクトメント時の自分の設定、すなわち、階級や戦歴、軍歴等のバックストーリーを考慮して、サービスコートを作り上げてゆくと、リエナクトメントに対するモチベーションが向上するのではないでしょうか。これはこれで、とても楽しいものなのです。興味があれば是非揃えて下さい。

徽章類をつける際に、注意しなければならいのは「いつごろの設定にするか」ということです。例えば、戦時中の設定にもかかわらず、WW2戦勝章のリボンを着けていたりすると、考証がおかしいということになります。徽章やリボン類は取り外しが容易ですから、その都度、設定を考慮して着けると良いと思います、このページでは、徽章やリボン類の簡単な説明をしていますので、考証の参考になれば幸いです。

クラスAサービスコート

1 2 

1はWW2時に多くの陸軍GIが着用した1939年制定のM1939サービス・コート(兵・下士官用)です。ODウールのサージ生地のジャケットで、野戦や演習以外の勤務時や、パレード、外出時に着用します。組み合わせるパンツは、大戦初中期であれば、M1937・ODウールパンツ(通称マスタードパンツ)を、大戦後期又は戦後であれば、ダークシェード(暗い色合)ウールパンツでも可です。
2はギャリソンキャップです。キャップのふちに歩兵の兵科色スカイブルーのパイピングが施されています。このパイピングがないものも多く存在します。キャップ前方左サイドに空挺部隊を表すパッチがつきます。画像のキャップについているパッチは後期の図柄(パラシュート/グライダー共通)ですが、初期では、3のようにパラシュート、グライダーの図柄で別途用意されていました。

徽章類のつけ方

ここで紹介する徽章類は陸軍で制定されているもの全てではありません。
当時よく見ることが出来た平均的な徽章の付け方を紹介します。

 ←このジャケットは戦後の設定です。

@ 襟章をつけます。右襟に「US」のディスク、左襟に兵科章「歩兵」のディスクをつけます。
  US章、兵科章の位置は上襟の下端から記章のセンターまで1インチ(2.54cm)離れた位置に取りつけます。
A 左胸ポケットの上に、特技章「パラシュート章」「CIB」「リボン類」を着けます。
B 右胸ポケットの上に、感状受賞を示すリボンを着けます。


                

C 左袖上部に部隊章「101空挺師団」。部隊章は肩から0.5in(約1.3cm)離れた位置に取りつけます。
  左袖口に「海外勤務章」。海外勤務章は袖口より4in(約10cm)離れ位置へ取りつけます。
D 左右の袖に「階級章」。階級章は肩と肘の中央の位置につけます。

襟 章

左から、US章、兵科章(歩兵)、です。現用のUS章、兵科章も形状はほぼ同じなので代用出来ます。

特技章

1 

1:パラシュート章  2:CIB(Combat Infantryman Bar:歩兵戦闘章)です。
パラシュート章は、降下学校にて規定の課程を終了すると、空挺隊員の証として着用の許可を与えられます。
CIBは、連続30日の戦闘の経験をした者へ着用の許可を与えられます。
これらも、現用の物がほぼ同形状なので代用できます。

部隊章

   101空挺師団の師団章です。現用の物で代用できます。


海外勤務章

海外勤務章は、本人が経験した海外勤務期間を表すものです。海外勤務6ヶ月につき一本のストライプで表現します。
画像左はストライプ3本なので、1年半の海外派遣経験となります。
左の様にブラウンのフェルト生地に金糸の刺繍のものが一般的ですが、右のようにブラウンの布地に黄線をプリントしたものもあります。海外勤務章は、現用の物は色合いが違いますので代用することは出来ません。
ちなみに、101空挺師団の多くの隊員は、1943年9月に英国へ派遣されているので、ノルマンディ戦前後(1944年6月頃)の時点では、一般的な隊員は1ないし2本を着けていました。


階級章

1 2 3 4 

画像はPFC(Private 1st Class) です。階級章の作りは色々なバリエーションがあります。
1)黒に近いダークブルーの布地に銀糸の刺繍。2)フェルト地に緑糸の刺繍。3)フェルト地にブラウン糸の刺繍。
4)フェルト地にフェルトのストライプ縫付。5)機械織のもの、等が存在します。どれもサービスコート、シャツに着けても構いません。この他に、カーキ地にカーキ糸の階級章がありますが、これも同様に数々のバリエーションがります。階級章も現用の物は色合いが違いますので代用することは出来ません。



メダル・リボン

ここでは、WW2前中後(1939年〜46年位)に与えられた、メダル、リボン、感状等について紹介します。

メダル類には、定められた戦域に従軍した時や、勤務年数に応じて与えられるサービスメダルと、軍務において殊勲(いわゆる手柄)があった場合に与えられる、デコレーション(勲章)があります。メダルの図柄やリボンの色は、そのメダルが持つ「意味」を連想させるデザインがされており、その根拠などを知ると、芸術的な「奥深さ」があります。本項では、そのメダルやリボンのデザインについて簡単な説明をしています。(基本的にメダルの説明は「おもて面」の説明をしています)

通常、サービスコートにはメダルつけずに、その代わりにリボン(略綬)つけることになります。(常時メダルをつけると、じゃらじゃら邪魔になりますので)
サービスコートに着けるリボンは、順列に従って1列に3〜4つ(3つが一般的)のリボンを連結して行き、それ以上は下の段に配置して行きます。同じメダルを複数受賞した時は、同じリボンを複数付けるのではなく、そのリボンに「ディバイス」とよばれる金属製の小さな紋章を付けます。
メダル・リボンは、そのメダルが持つランクにより、着ける順序が決まっています。一番高い位のメダルを前(左)に置き、その右隣に次位のメダルを、という具合に連結していきます(下図参照)。

メダル・リボンは次の順序で着用します。
1.合衆国軍のデコレーション(勲章)
2.合衆国軍のサービスメダル
3.合衆国のシビリアン・メダル(民間章)
4.外国のデコレーション
5.外国のサービスメダル

<リボン8連の例>


左(@の位置)から位の高いメダルリボンを着用し、順次連結していきます。
リボンが3連以上になると下段へ移行し同様に連結していきます。したがって、いちばん位の低いメダルはGの位置になります。

【ディバイス】
ディバスは、同じメダルの受章個数や、メダルの受章理由を表すためにつけるものです。(あえてつけない者もいます)
スターやオーク(柏葉)等の形をした5ミリほどの小さな金属製の紋章で、リボンの上に装着します。
ディバイスの種類は、そのメダルにより指定されているので、なんでもつけて良いわけではありません。

スター
    (着用例) :3度のETOの受章を意味します。
左:ブロンズ 右:シルバー
スター・ディバイスは、サービスメダルにつけられます。
メダル2つ目からはブロンズをつけ、シルバー1つでブロンズ5つ分を表します。


オーク
    (着用例) :2度のシルバースター受章を意味します
左:ブロンズ 右:シルバー
オーク・ディバイスは、主にデコレーションにつけられます。
スターの場合と同様に、メダル2つ目からはブロンズをつけ、シルバー1つでブロンズ5つ分を表します。


アローヘッド
    (着用例) :空挺攻撃参加(と6度のETO受章)を意味します。

アローヘッド・デイバスは、上陸作戦、空挺攻撃に参加したことを表します。従軍章につけられます。


 ”V” 
    (着用例) :戦闘においてブロンズ・スターを受章したことを意味します。

”V”デイバスは、戦闘による英雄的行為によってデコレーションを受章したことを表します。

珍しいしい例として、受章回数を示す「オーク」や「スター」の代わりに、下の写真↓のように「アラビア数字」を用いている例があります、しかし、これはごくまれなケースで、ほぼ多くのGIは規定どおりのディバイスを着用しています。他の人と違うことをしてみたい方はオススメ(笑)
 


【サービス・メダル】

American Defense Service Medal
アメリカン・ディフェンス・サービスメダル
     (アメリカ防御章)       
  リボン:

(承認)
アメリカン・ディフェンス・サービスメダルは、1941年6月28日フランクリンD.ルーズヴェルト大統領により署名された大統領令8808によって創設されました。 そして1942年4月20日の陸軍省公報17(1941年)及び、海軍省一般令172番によって実行されました。

(受章基準)
アメリカン・ディフェンス・サービスメダルは、1939年9月8日から1941年12月7日の間に兵役に就いた者に与えられました。

(メダル装着の順列)
アメリカン・ディフェンス・サービスメダルは、アーミー・オブ・オキュパイション・メダルの後に、および、アメリカン・キャンペーン・メダルの前に着用します。

(メダルのデザイン)
4枚の葉の上に立つのは、古代ギリシアの女性で、盾と剣を持っています。そしてメダルの輪郭には「アメリカの防衛」と記しています。 4枚の葉は4軍(陸軍、海軍、海兵隊、沿岸警備隊)を表し、古代ギリシャの女性は防衛を意味します。

(リボンのデザイン)
「絶好の機会」を表すゴールド地に、国家色(青、白、赤)のピンストライプによって表されています。


American Campaign Medal
アメリカン・キャンペーン・メダル
   (アメリカ従軍章)     

  リボン:

(承認)
アメリカン・キャンペーン・メダルは、1942年11月6日フランクリンD.ルーズヴェルト大統領により署名された大統領命令9265によって確立されました。 そして陸軍省公報56(1942年) 及び 海軍省一般命令253(1942年)によって実行されました。

(受章基準)
アメリカン・キャンペーン・メダルは、1941年12月7日から1946年3月2日の間に、アメリカ大陸外のアメリカ軍の作戦領域内で、30日の兵役に就いた者、あるいは、総計一年のアメリカ大陸内で兵役に就いた者へ与えられました。

(メダル装着の順序)
アメリカン・キャンペーン・メダルは、アメリカン・ディフェンス・サービスメダルの後に、及びアジアティック・パシフィック・キャンペーンメダルの前に着用していました。

(ディバイス)
敵との交戦を経験した者はブロンズの「スター」を装着します。

(メダルのデザイン)
海軍巡洋艦とB24爆撃機により敵の潜水艦が撃沈される様子を表します。そして、メダルの輪郭に「アメリカ軍への従軍(戦闘参加)」と記しています。巡洋艦とB24は軍事力によりアメリカを防衛するという意味をもち、撃沈した敵潜水艦は、海洋での脅威に打ち勝つことを意味します。

(リボンのデザイン)
下地の青は、アメリカ軍の戦域とアメリカを防衛するための海洋を表し、中央の青、白、赤のピンストライプはアメリカの国家色です。両サイドの黒、赤、白のピンストライプは、敵国ドイツと日本の国家色の合成色で、外側の白、黒は東海岸のドイツの脅威を、内側の赤、白は西海岸の日本の脅威を示唆しています。


 European-African-Middle Eastern Campaign Medal
ヨーロピアン・アフリカン・ミドルイースタン・キャンペーンメダル
       ヨーロッパ・アフリカ・中東従軍章           

  リボン:

(承認)
ヨーロピアン・アフリカン・ミドルイースタン・キャンペーンメダルは、1942年11月6日大統領 フランクリンD.ルーズヴェルトにより署名された大統領令9265によって確立されました。 そして、陸軍省公報56(1942年) および 海軍省一般令253(1942年)によって実行されました。

(受章基準)
ヨーロピアン・アフリカン・ミドルイースタン・キャンペーンメダルは次に記すどの条件でも、1941年12月7日から1946年3月2日間にヨーロッパ、アフリカ、中東の戦域内で兵役に就いた者へ与えられました。

1.ヨーロッパ・アフリカ・中東の戦域内で連続30日あるいは通算60日の間、軍務に就いた者
2.ヨーロッパ・アフリカ・中東の戦域で戦闘の結果、勲章を受章した者。あるいは、戦闘の結果、指揮官より感状を受けた者。

受章基準に合致した全ての場合においてメダルは与えられます。例えば、アンツイオとノルマンディ戦に参加した場合は2つ受章することになります。
受章対象となる戦域・期間は下記の通りです。

エジプト・リビア :1942/6/11〜1943/2/12
ヨーロッパの航空攻撃 :1942/7/4〜1944/6/5
アルジェリア・モロッコ :1942/11/8〜/11
チュニジア :1942/11/17〜1943/5/13
シシリー :1943/7/9〜8/17
ナポリ・フォッジア :(航空部隊)1943/8/18〜1944/1/21,(地上部隊)1943/9/9〜1944/1/21
アンツィオ :1944/1/22〜9/9
ローマ・アルノー :1944/1/22〜9/9
ノルマンディー :1944/6/6〜7/24
フランス北部 :1944/7/25〜9/14 (フランス北部=ロアール地方、パリ、リヨン等)
フランス南部 :1944/8/15〜9/14 (フランス南部=ニース、モナコ、マルセイユ、アルル、アビニヨン等)
北アペニン :1944/9/10〜1945/4/4
ライン地方 :1944/9/10〜1945/4/4
アルデンヌ・アルザス :1944/11/16〜1945/1/25
ヨーロッパ中部 :1945/3/22〜5/11(ヨーロッパ中部=オーストリア、スイス)
ポー・ヴァリ :1945/4/5〜5/8

(メダル装着の順序)
ヨーロピアン・アフリカン・ミドルイースタン・キャンペーンメダルは、アジアティック・パシフィック・キャンペーンメダルの後に、および、ワールド・ウォー・トゥー・ヴィクトリー・メダルの前に着用します。

(ディバス)
A.ブロンズのスター
二つ目からの受章からは、ブロンズのスターをつけます

B.ブロンズのアローヘッド
上陸作戦と空挺作戦において戦闘を経験した者に与えられます。

(メダルのデザイン)
空には航空機、LST上陸用舟艇から兵が降りている様子は、ヨーロッパ、アフリカ、中東における主な侵攻作戦を表します。兵は陸軍を、LSTは海軍を、背景の航空機は航空隊を意味し、作戦の三軍協調を意味ます。メダル上部に、「ヨーロッパ、アフリカ、中東の従軍」と記されています。

(リボンのデザイン)
ヨーロピアン・アフリカン・ミドルイースタン・キャンペーンメダルのリボンは、中心にアメリカの国家色(青白赤)を配置し、下地の緑は、美しいヨーロッパの「緑」を表し、最両端の茶はアフリカ大陸を表します。そして、両端に枢機国を示す国家色、左にイタリア(緑白赤)、右にドイツ(白黒白)を配置して、ヨーロッパ・アフリカ・中東における枢機国の「支配・占領」を表しています。

  Asiatic-Pacific Campaign Medal
アジアティック・パシフィック・キャンペーンメダル
      アジア・太平洋従軍章         
  
リボン:

(承認)
アジアティック・パシフィック・キャンペーンメダルは、1942年11月6日に大統領 フランクリンD.ルーズヴェルトにより署名された大統領令9265によって確立されました。そして陸軍省公報56(1942年)および海軍省一般令253(1942年)によって実行されました。

(受章基準)
アジアティック・パシフィック・キャンペーンメダルは、次に記すどの条件でも、1941年12月7日から1946年3月2日の間のアジア太平洋戦域で兵役に就いた者へ与えられました。受章基準に合致した全ての場合においてメダルは与えられます。
1.アジア太平洋戦域内で連続30日あるいは通算60日の間、軍務に就いた者
2.アジア太平洋戦域内で戦闘の結果、勲章を受章した者。あるいは戦闘の結果、指揮官より感状を受けた者。

受章対象となる戦域・期間は下記の通りです。

フィリピン島 :1941/12/7〜1942/5/10
1942年ビルマ :1941/12/7〜1942/5/26
太平洋中部 :1941/12/7〜1943/12/6
東インド諸国 :1942/1/1〜7/22
インド・ビルマ :1942/4/2〜1945/1/28
日本への航空攻撃 :1942/5/17〜1945/9/2
アリューシャン列島 :1942/6/4〜1943/8/24
中国の防衛 :1942/7/4〜1945/5/4
パプア島 :1942/7/23〜1943/1/23
ガダルカナル :1942/8/7〜1943/2/21
ニューギニア :1943/1/24〜1944/12/31
北ソロモン : 1943/2/22〜1944/11/21
東マンデーツ :1944/1/31〜6/14
ビスマーク諸島 :1943/12/15〜1945/9/2
西太平洋 :1944/6/15〜1945/9/2
レイテ島 :1944/10/18〜1945/7/1
ルソン :1944/12/15〜1945/7/4
中部ビルマ :1945/1/29〜7/15
南フィリピン :1945/2/27〜7/4
沖縄 :1945/3/26〜8/2
中国攻撃 :1945/5/5〜9/2

(メダル装着の順序)
アジアティック・パシフィック・キャンペーンメダルは、アメリカン・キャンペーン・メダルの後に、及び、ヨーロピアン・アフリカン・ミドルイースタン・キャンペーンメダルの前に着用します。

(ディバイス)
A.ブロンズのスター
二つ目からの受章からは、ブロンズのスターをつけます

B.ブロンズのアローヘッド
上陸作戦と空挺作戦において戦闘を経験した者に与えられます。

(メダルのデザイン)
戦艦、空母、潜水艦、航空機をバックに、やしの木を背景に上陸をする兵を描く事にことにより、熱帯地域の上陸作戦を意味しています。メダルの輪郭には「アジア太平洋の従軍」と記しています。上陸場面をモチーフにすることにより、太平洋の多数の島での作戦を表しており、兵は陸軍・海兵隊を、バックの艦船は海軍を、航空機は航空隊と示し、作戦の四軍協調を表しています。

(リボンのデザイン)
アジアティック・パシフィック・キャンペーンメダルのリボンは、中央にアメリカを表す国家色(青白赤)を配置し、白と赤のピンストライプによって二分された黄色の背景から成り立っています。鮮やかな黄色の背景は、多くの兵が戦った太平洋の島の「砂」を表し、両サイドは日本を意味する国家色(白赤白)を配置し、アジア太平洋での日本の支配・占領を意味します。


   Army of Occupation Medal
アーミー・オブ・オキュパイション・メダル
        陸軍占領章         

 左:メダル表面 右:メダル裏面  リボン:

(承認)
アーミー・オブ・オキュパイション・メダルは、陸軍省一般令32(1946年)によって実行されました。

(受章基準)
陸軍占領章は、下記に示された期間の国々で兵役に就いた者へ与えられました。
*ドイツ(1945年5月9日〜1955年5月5日)
*オーストリア(1945年5月9日〜1955年7月7日)
*イタリア(1945年5月9日〜1947年9月15日)
*日本(1945年9月3日〜1952年4月27日)
*朝鮮(1945年9月3日〜1949年6月29日)
*ベルリン(1945年5月9日〜1990年10月3日)

(メダル装着の順序)
アーミー・オブ・オキュパイション・メダルは、ワールド・ウォー・トゥー・ヴィクトリー・メダルの後に着用します。

(ディバイス)
第二次世界大戦の敗戦国であるドイツあるいは日本で勤務したものは、「Germany」「Japan」と記したバーをつけます。
ベルリン封鎖による物資空輸作戦(1948年6月〜1949年9月30日)において、90日従軍した者は、C54をかたどったベルリン・エアプレンをつけます。

 :「GERMANY」バー     :ベルリン・エアプレン

(メダルのデザイン)
<表>
表面の橋は、ドイツ・レマーゲン地方のライン川に架かるルーデンドルフ鉄橋です。このルーデンドルフ橋は、1945年3月に連合軍が、橋の破壊の前に渡り、初めてドイツ国内への橋頭堡を築いた記念すべき橋です。この橋がドイツ占領への「出発地点」であるという意味から「占領」を表すために用いられました。橋の図柄の上には「占領」の文字が記るされています。
<裏>
裏面は、日本で一番高い山「富士山」を描き、2隻の帆船が海を走っています。この風情ある情景は日本を表し、そしてアジア太平洋おける占領軍の象徴でもあります。日付は、連合軍による占領活動開始年を記しています

(リボンのデザイン)
リボンは、大きい赤と黒のストライプ、そして両端に白を配しています。左側の白と黒は、被占領国であるドイツを国家色で表し、右側の赤と白は、同じく被占領国である日本を表しています。


 Army Good Conduct Medal
アーミー・グッド・コンタクト・メダル
        陸軍善行章      

  リボン:

(承認)
アーミー・グッド・コンタクト・メダルは、1941年6月28日に大統領 フランクリンD.ルーズヴェルトにより署名された、大統領令8809によって確立されました。

(受章基準)
アーミー・グッド・コンタクト・メダルは、指定された期間内(平時では3年)において、規律厳守のもと、効率的かつ模範的な勤務を行った、下士官・兵に対して与えられました。

(メダル装着の順序)
アーミー・グッド・コンタクト・メダルは、各キャンペーンメダルの後に着用されます。

(ディバイス)
追加の受章は、幅3ミリ長さ28ミリの締め金によって示されます。それらは、受章回数により、締め金のループ(結び目)の数、さらに締め金が、ブロンズ、シルバー、ゴールドとステップアップしてゆきます。
*2回目の受章:2つのループを備えたブロンズ締め金
*3回目の受章:3つのループを備えたブロンズ締め金
*4回目の受章:4つのループを備えたブロンズ締め金
*5回目の受章:5つのループを備えたブロンズ締め金
*6回目の受章:1つのループを備えたシルバーの締め金
*7回目の受章:2つのループを備えたシルバーの締め金
*8回目の受章:3つのループを備えたシルバーの締め金
*9回目の受章:4つのループを備えたシルバーの締め金
*10回目の受章:5つのループを備えたシルバーの締め金
*11回目の受章:1つのループを備えたゴールドの締め金


 :ブロンズで4つのループ=4つの受章を表す。 

(メダルのデザイン)
閉じた本の上に、ローマ式の剣、そこへ白頭鷲がのっています。そしてメダルの淵には「効率・名誉・厳守」と刻まれています。
白頭鷲はアメリカの象徴です。本およびローマの剣は、トレーニングと知識を通じて軍事力を示唆します。銘は、このメダルが報酬に求める美徳について記述します。

(リボンのデザイン)
リボンの赤色は海軍の善行章の色に基づきました。(海軍の善行章は、深赤一色です)


    World War II Victory Medal
ワールド・ウォー・トゥー・ヴィクトリー・メダル
    第二次世界大戦戦勝記念章      

 リボン:

(承認)
ワールド・ウォー・トゥー・ヴィクトリー・メダルは、1945年7月6日に議会(公法135(議会番号79))が制定し確立されました。

(受章資格)
ワールド・ウォー・トゥー・ヴィクトリー・メダルは第二次世界大戦中に兵役に就いた者へ与えられました。

(メダル装着の順序)
ワールド・ウォー・トゥー・ヴィクトリー・メダルは、各キャンペーンメダルの後に、および、アーミー・オブ・オキュパイション・メダルの前に着用します。

(デバイス)
ディバスは、このメダルのために認可されませんでした。

(メダルのデザイン)
女性の図は、古代ローマ軍のヘルメットに右足を載せさせて示されます。女性の右手には折れた剣の握手を持ち、左手には、その折れた剣の刀身を持っています。ヘルメットの後ろからは、地平線から日の出の太陽光が放射されています。バックに「第二次世界大戦」と記されています。
女性の図は勝利、あるいは戦争の終了を示唆しています。ヘルメットに足を載せているのは「解放」を、昇る太陽は「平和と自由の新しい日の夜明け」を示唆します。また、折れた剣は、敵および戦争の両方を打破したということを表しています。

(リボンのデザイン)
ワールド・ウォー・トゥー・ヴィクトリー・メダルへのリボンは、細い白ストライプを境に、中央は赤、両サイドは虹色で構成されます。
中心の赤は「火星」すなわち「戦争の神」を表し、赤の両端にある細い白ストライプは「平和と自由の新しい日の夜明け」「戦争の終了」を表わします。両端の虹色はワールド・ウォー・ワン・ヴィクトリー・メダルの色(下図参照)で、この大戦で連合国を包含し、嵐の終りを示唆しています。 (私は、このメダルが一番気に入っています。シンプルですが、なんとも奥深い意味が込められていますね)

 ←これが、ワールド・ウォー・ワン・ヴィクトリー・メダルのリボンです。リボンの虹色は、嵐(第一次世界大戦を示唆して)の後に「新時代」および平静を表わすために選択されました。さらに、それは、共通の目的でともに結束された連合国の結合した色を表わします。中心から外へ広がる2つの虹は、二つの国家(米・英)の同盟を表し、また、イギリスの”1917スターメダル”のリボンと近似しているため、二つの虹色を中心から広がるようにデザインされています。


【デコレーション(勲章)】

デコレーションは、ご存知のように軍務において他のものよりも優れた勲功のあった者へ叙勲されます。サービスメダルのように、規定を満たした全ての者へ与えられるものではありません。映画やドラマでは簡単に(?)叙勲しているようにみえますが、実際はそうではなかったようです。WW2時では、終戦時において、たとえブロンズ・スターでも、中隊(約150名)で3〜4名程度といったところだったようです。

  Army Medal of Honor
アーミー・メダル・オブ・オナー
     陸軍名誉勲章      



メダル画像はありません、すみません。     リボン:

(承認)
アーミー・メダル・オブ・オナーは、議会の両院合同決議、1862年7月12日によって確立されました。

(発行日)
アーミー・メダル・オブ・オナーは1861年4月15日から有効とされています。(議会決議の方が後だったようです)

(受章基準)
アーミー・メダル・オブ・オナーは、敵との戦闘において、他の者よりも明らかに上回る勇気、武勲のあった者へ与えられます。またそれは本人の生命の危険をともなうような自己犠牲的なものでなければなりません。
アーミー・メダル・オブ・オナーは米国では最高位の勲章と位置づけられています。この勲章を叙勲した者は、特典と軍人としての義務を免除を得る事が出来ます。受章者の子息は合衆国各軍のアカデミー(士官学校)の無条件入学を許されます。

(メダル装着の順序)
アーミー・メダル・オブ・オナーは、全てのメダル・デコレーションの前に着用します。

(ディバイス)
二つ目の受章からは、オークをつけます。

(メダルのデザイン)
星はアメリカの各州を代表し、カシの枝は強さを表わします。また、月桂樹は達成を表わします。ミネルウェ(ローマ神話の戦術神)の胸部は知恵を示唆します。また、盾はアメリカの権威を表わします。イーグルはアメリカ連邦政府のイーグルです。また、月桂樹葉が平和のゴールを表わしている一方、それが締める矢は軍事力を表わします。

(リボンのデザイン)
****



  Distinguished Service Cross
ディスティングィシュド・サービス・クロス
         殊勲十字章        
  リボン:

(承認)
ディスティングィシュド・サービス・クロスは大統領の命令で確立されました。1918年1月12日の陸軍省にて発布され、1918年7月9日(公法193(第65の議会))に議会の承認されました。

(受章基準)
ディスティングィシュド・サービス・クロスは、敵との戦闘において、名誉勲章の叙勲までには至らない英雄的行為に対して与えられます。
ディスティングィシュド・サービス・クロスは、陸軍では名誉勲章の次位の勲章になります。

(着用の順序)
ディスティングィシュド・サービス・クロスは、アーミー・メダル・オブ・オナーの後に、および、他のすべての勲章の前に着用しています。

(ディバス)
二つ目の受章からは、オークをつけます。

(メダルのデザイン)
ディスティングィシュド・サービス・クロスは、アンドレ・スミス中尉によってデザインされました。十字架を背後にカシの葉のリングの上に白頭鷲の図柄です。
カシの葉は強さと勇気を表わし、白頭鷲はアメリカ国家の象徴を表しています。

(リボンのデザイン)
中央に大きく青をとり、白、リボンの外側に赤のピンストライプです。
リボンの色は清浄(白)、犠牲(赤)および高い目的(青)を表わしています。


   Distinguished Servise Medal
ディスティングィシュド・サービス・メダル
          殊勲章            
  リボン:

(承認)
ディスティングィシュド・サービス・メダルは、ウッドロー・ウィルソン大統領の大統領令に基づき1918年1月12日の陸軍省令6によって設立されて、1918年7月9日に議会によって確立されました

(受章基準)
ディスティングィシュド・サービス・メダルは、陸軍の兵役に就いている間において、例外的なすばらしい責務を果たした者へ叙勲されます。通常の業務での功績では受章されません。

(着用の順序)
ディスティングィシュド・サービス・メダルは、ディスティングィシュド・サービス・クロスの後に、および、シルバー・スターの前に着用します。

(ディバイス)
二つ目の受章からは、オークをつけます。

(メダルのデザイン)
メダルは直径1.5インチの円形です、中心に「FOR DISTINGUISHED SERVICE MCMXVIII」と書かれた濃紺の円によって囲まれた合衆国の国家紋章で構成されています。 この国家紋章は陸軍士官用の帽章に使用されているものと同じ図柄であり、したがって、合衆国陸軍を意味しています。国家紋章に碑文”FOR DISTINGUISHED SERVICE MCMXVIII”−殊勲のために-1918年− と囲むことにより、その殊勲が合衆国民のためにあること、そして合衆国民が偉大なる結束と民族で構成されていることを示唆しています

(リボンのデザイン)
中央に白をとり、青のピンストライプをはさんで両側に赤を配置しています。赤白青いずれも国家色を用いてアレンジされています。


The Silver Star
ジ・シルバー・スター
    銀星章     
  リボン:

(承認)
シルバースターは、元は、1919年1月12日に、大統領 ウッドロー・ウィルソン により”Citation Star”(サイテーション・スター:表彰星章とでもいうのでしょうか)として制定され、その後わずかに修正されたものが、議会(公法193)が1918年7月9日により確立しました。そして、このシルバー・スターは1932年に作成されました。

(受章基準)
シルバー・スターは、兵役に就いている間、勇敢な活躍をした者、表彰するに値する者へ与えらます。
敵との戦闘において、ディスティングィシュド・サービス・クロスの受章には至らない英雄的行為に対して与えられます
シルバー・スターはディスティングィシュド・サービス・メダルの次位の勲章です。

(メダル着用の順序)
シルバースターは、ディスティングィシュド・サービス・メダルの後に、および、レジオン・オブ・メリットあるいはソルジャース・メダルの前に着用します。

(ディバイス)
二つ目の受章からは、オークをつけます。

(メダルのデザイン)
メダルの中心にある小さな銀の星は、元に規定された「Citation Star」です。月桂樹リースは達成を示唆します。また、より大きな金色のブロンズ星は兵役の象徴です。

(リボンのデザイン)
赤を中心に白、青を等配置しています。これらは国旗の色、国家色に由来します。



 Legion of Merit
レジオン・オブ・メリット
     勲功章     
   
  リボン:

(承認)
レジオン・オブ・メリットは1942年7月20日に大統領に承認された議会(公法671(第77の議会))によって制定されました。および1942年10月29日にフランクリンD.ルーズヴェルトに署名された大統領命令9260によって確立されました。 .

(受章基準)
レジオン・オブ・メリットは、敵との戦闘において、功績のあった指揮官・将校に対して叙勲されます。
平時では、極めて困難な業務において功績があった指揮官・将校へ叙勲されます。
レジオン・オブ・メリットはアメリカ合衆国軍、フィリピン国軍、および、合衆国の友好国国軍の指揮官、将校へ受勲されます。

(着用の順序)
レジオン・オブ・メリットは、シルバースターの後に、および、ブロンズ・スターの前につけます。

(ディバス)
二つ目の受章からは、オークをつけます。

(メダルのデザイン)
雲よって囲まれた13の星は、合衆国の元になった居留地の数を表し、ブルーの下地は、アメリカの国旗から得られ、また、星は「新しい星座」すなわち若い共和国の意味も表わします。月桂樹のリースは「達成」を示唆します。また、外へ放射状に指す矢は、国家の武装した保護を表わします。

(リボンのデザイン)
リボンは赤紫をベースに両端に白を配置しています。
紫赤の赤は、「アメリカンビューティー」の赤、それに、名誉負傷章の紫を混合して「赤紫」を使っています。(奥深いですね)


 Soldier's Medal
ソルジャーズ・メダル
   軍人褒章     
   リボン:

(承認)
ソルジャーズ・メダルは、1926年7月2日に議会により承認された、第69-446条例によって確立されました。

(受章基準)
ソルジャーズ・メダルは、敵との戦闘に関わらない、勇気と功績のある行動に対して、叙勲されます。

(着用の順序)
ソルジャーズ・メダルは、シルバー・スターの後、および、ブロンズ・スター・メダルの前に着用します。

(ディバイス)
二つ目の受章からは、オークをつけます。

(メダルのデザイン)
1-3/8インチの幅の八角形のブロンズ製メダルの中心に、翼を広げた白頭鷲を配置しています。 鷲の左右には星(左手に7つ、右手に6つ、計13個)が配置され。 鷲は束桿を握っています。 八角形は、他のすべてのアメリカのデコレーションとソルジャーズ・メダルを区別するために採用されました。 白頭鷲はアメリカの国家紋章です。 束桿(棒を束ねたもの)は、合衆国の各州の権威について示唆し、このメダルが政府から個人までの全ての国民に対する象徴的な賞であるということを表します。 13個の星は合衆国の元になった居留地の数を表し、それから発展したの米国の全て、したがって、偉大なるアメリカ合衆国を示唆します。 右手の月桂樹の葉は、左手の7つの星と対称にするのに使用されて、また、月桂樹は達成ののシンボルとして使っています。

(リボンのデザイン)
両端に青を配置し、中心にで白線7本と赤線6本の13の交互の縞でアレンジされています。 青白赤は合衆国の国家色です。13の縞は上記の13の星と同じ意味合いを示唆します。


The Bronze Star Medal
ジ・ブロンズ・スター・メダル
     青銅星章      
  リボン:

(承認)
ブロンズ・スター・メダルは、1944年2月4日に大統領フランクリンD.ルーズヴェルトによって署名された大統領命令9419によって確立されました。
しかし、発行は、1941年12月7日にさかのぼります。

(受章基準)
ブロンズ・スター・メダルは、戦場において兵役に就いている間、英雄的行動、顕著な任務達成、飛行任務を含まない功績のあった者へ与えられます。

(メダル着用の順序)
ブロンズ・スター・メダルは、レジオン・オブ・メリット又はソルジャーズ・メダル後、および、パープル・ハートの前に着用します。

(ディバス)
二つ目の受章からは、オークをつけます。また、戦闘における英雄的行為による受章は”V”をつけます。

(メダルのデザイン)
デザインはシルバー・スターから示唆されます。

(リボンのデザイン)
シルバー・スターと同様に、国家色を使用しています。

The Purple Heart
ジ・パープル・ハート
  名誉負傷章   

  リボン:

(承認)
始めは、ジョージ・ワシントン 1782年8月7日により軍功績章として制定され、その後、名誉負傷章は1932年2月22日に修正されましたした。

(受章基準)
パープル・ハートは、兵役期間中あるいは軍当局の権限のもとで勤めている間、戦闘行為の結果、負傷、死亡、あるいは、負傷が原因で死亡した者へ与えられました。

(メダルの着用順序)
パープル・ハートは、ブロンズ・スターの後に、および、防御功績のある勲功章等(サービスメダル、外国のメダル等)の前に着用します。

(ディバイス)
二つ目の受章からは、オークをつけます

(メダルのデザイン)
ハートの中にジョージ・ワシントンの肖像をおいています。ジョージ・ワシントンはこのメダルを設立した本人であるので、メダルでの使用に選ばれました。

(リボンのデザイン)
ジョージ・ワシントンが制定した、軍功績章のリボンのデザインから起用しています。


【サイテーション(感状)】

サイテーション(感状)は、表彰するに値する活躍をした部隊へ「表彰・感謝状」という形で与えられるものです。
受章はリボンで表します。(メダルはありません)

   Presidential Unit Citation
プレズィテンタル・ユニット・サイテーション
      大統領感状            


   リボンは、ゴールドの金属製枠組に取り付けます。

(承認)
大統領感状は、1942年2月26日に大統領フランクリンDルーズベルトにより署名された大統領命令9075により確立されました。
また、授与は1941年12月7日にさかのぼって資格を与えられました。

(受賞基準)
大統領感状は、武装した敵との交戦において英雄的行動を行なった「部隊」へ与えられます。同じ戦線にいる他の部隊と比較し、それらの部隊より優れたはたらきをした、すなわち、きわめて困難な任務を達成した部隊が対象になります。通常、師団単位で受賞資格を得られました。この大統領感状の要求される英雄的行動の程度は、個人への殊勲十字章の受章を保証するのと同じです。
※ちなみに101空挺師団は二度この賞を受賞しています。一つ目はノルマンディ戦での活躍に対して、二つ目は、バルジ戦のバストーニュ防衛戦での戦いに対して贈られています

(着用の順序)
大統領感状は、制服の右側に着用します。

(ディバス)
二度目の受章からは、オークをつけます。



  Army Meritorious Unit Commendation
アーミー・メルィトゥリゥス・ユニット・コメンデーション
     陸軍功績部隊賞状(部隊感状)        

   リボンは、ゴールドの金属製枠組に取り付けます。

(承認)
この賞状は、1944年8月23日の軍事局回覧文章345により確立されました。この賞状の授与は1944年1月1日にさかのぼって資格を与えられました。

(受章基準)
この賞状は、1944年1月1日以降、少なくとも連続6ヶ月の間に武装した敵との交戦において、顕著な任務の実行と達成、敵との格闘努力のあった「部隊」へ与えられます。同じ戦線にいる他の部隊と比較し、それらの部隊より優れたはらきをした部隊が対象になります。まれに大隊より大きな部隊がこの賞の受賞資格を得ますが、もっと小さな部隊単位に受賞資格を得られました(WW2では受章資格の部隊規模を制限していた)。この賞状の要求される英雄的行動の程度は、個人への勲功章の受章を保証するのと同じです。この賞状は元々は、右袖に正方形のOD布地に月桂樹のリースを刺繍した紋章(下図参照)で表していました。
リボンは1947年に承認されました。
  左:受賞1回 右:受賞3回の場合

(着用の順序)
この賞状リボンの着用は、大統領感状の後に着用します。

(ディバス)
二度目の受章からは、オークをつけます。


【外国からのメダル、サイテーション】
第二次世界大戦では、外国政府、軍から、米軍の兵士、部隊へその功績(自国の解放に貢献した等)が認められ、相応のメダル・感状を贈られることがありました。代表的なものを次に紹介します。

Croix de Guerre Republic of France
クロッ・デ・グリー リパブリックオブフランス

    フランス共和国 戦功十字章    

 リボン:

フランス共和国から、フランス解放戦に貢献した功績のあった者へ叙勲されました。


Croix de Guerre Unit Citation Republic of France
クロッ・デ・グリー ユニットサイテーション リパブリックオブフランス
     フランス共和国 戦功十字 部隊感状      
 

フランス戦功十字章に値する部隊感状です。
ランヤード状なので、サービスコートのショルダーフラップに引っ掛けて着用します。

Croix de Guerre Kingdom of Belgium
クロッ・デ・グリー キングダムオブベルギー
    ベルギー王国 戦功十字章      
 リボン:

ベルギー王国から、ベルギー解放戦に貢献した功績のあった者へ叙勲されました。


Croix de Guerre Unit Citation Kingdom of Belgium
クロッ・デ・グリー ユニットサイテーション キングダムオブベルギー
     ベルギー戦功十字 部隊感状           
 
ベルギー王国戦功十字章に値する部隊感状です。

 Kingdom of The Netherlands Unit Citation
キングダムオブノーザランド ユニットサイテーション
        オランダ王国部隊感状          
 
オランダ王国からの部隊感状です。オレンジ単色のランヤードです。

Defense Medal
ディフェンスメダル
フィリピン防衛章

 リボン:

フィリピン共和国から、1941年12月8日から1942年6月15日の間、フィリピン防衛線に従軍した者へ贈られました。

Liberation Medal
リバレーション メダル
  フィリピン解放章  

 リボン:

フィリピン共和国から、1944年10月17日から1945年9月3日の間、フィリピン解放戦に従軍した者へ贈られました。

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