とんだばやし混声合唱団
                                    
 

2006   もぐら もぐら 笑ってやれよ 人間を  11

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★文化の日はどうすごされましたか?

文化の秋 そして 食欲の秋

 【動静】ご自身の勉強も忙しい中、発声練習に駆けつけてくれていた元団員でもある 福井雅志 君が、毎日新聞社主催 第60回全日本学生音楽コンクール大阪大会本選(1030日)において、
9月6日の予選に引き続き本選も入賞(2位)されました。

12月5日に東京文化会館で開催される全国大会声楽の部での入賞を目指されます。

【行楽】食欲(含:ビール)も満たす企画、リムジンバスで三重県へ。

1125日(土)なばなの里 伊賀忍者博物館 参加費:大人2,000

(なばなの里のベゴニアガーデンは老若男女誰もがびっくり。
美しい花をバックに写真撮影にぴったり。昼食は敷地内に点在するレストランで。)

【新入団】テノール : 半田 (たすく) (文句なしの男声陣最年少。
合唱は、小学生の時に貞松先生の指導で歌って以来久々とのことです。)

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「昨年10月に入団、丁度一年になりました。」  Bass  高木 文三

たまたま練習を見せてもらいに行きましたら、コーラス・フェスティバルを前に皆さんがフォスターの名曲や「ふるさとの四季」を練習されているところ、聞いているうちに楽しさ懐かしさが込み上げてきて、お誘いをいただき入団させていただきました。

 指揮者が貞松先生であることもご縁でした。貞松先生がまだ中学生の頃、私はPL学園の教師をしていましたので授業でよく会いましたが、廊下ですれちがっても、いつも明るい楽しい笑顔。当時はブラスバンド部に入っておられたでしょうか。高校でも教えさせてもらいましたが、その貞松君(失礼)が今では立派な音楽の指導者になっておられるのを見ると、嬉しい限りです。余談になりますが、同期にソフトバンクや巨人のピッチングコーチをしていた尾花高夫君がいました。

 とは申せ、私はコーラスについては全く無知。皆さんが楽譜を見ながらすらすら歌ってゆかれるのは、私にとっては驚異(脅威)。定期演奏会を前に合宿があると聞いて、「へーっ」と驚く始末。(しかし、高校野球でも甲子園を前に強化合宿をするのですから、当然ですよね。)こんな私ですから、家で録音を聞き、楽譜を見ながらキーボードで音を確かめ、覚えるのに必死です。

 でも合唱団に入って、まさか私がナレーションをすることになるとは、思ってもいませんでした。
「阪神大震災鎮魂組曲」。びっくりしました。今まで二千人ほどの学生や生徒、保護者が集まる合同の入学式、卒業式の司会進行をしたことはありますが、それはマイクやミキサーが有ってのこと。舞台から客席に向かって肉声で言うのは初めて。「すばるホール」でどれほど自分の声が届くのか、また曲に合わせてどんな調子で言ったらいいのか、見当がつきません。家内が買物で出かけた留守に、家で大きな声を出して「死者、六千四百人。」とやってみたり、また道路で車が少ない時、ハンドルを握りながら「三百万人の運命を変えた
‥‥」とつぶやきながら、口調を考えてみたり、(運転しながらで危ないですね)、いろいろやってみました。前日のリハーサルの時はナレーションのことが気になって集中出来ません。しかし、最後に腹を決めました。「落ちついて、ゆっくりと、はっきりと、」この三っを心掛けて言おうと。

 本番、自分がどんな調子で言ったのか、本人にはさっぱり分かりません。無事に済んでやれやれ、何とかしゃべれたか。皆さんから、また聞きに来ていた友人から「よく聞こえたよ。」と言われてほっとしました。団員の皆さんがきっと心のどこかで応援してくださっていたのではないかと思います。

 最近、やっと合唱する楽しさが分かってきました。「土の歌」は素晴らしいですね。

皆さんのように豊かな声は出せませんが、邪魔にならぬよう頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。

  「落ちついて、ゆっくりと、はっきりと」 本番の成果の裏にはこんな努力が!!

また機会がありましたら、「暴露、SM君の中高生時代」のテーマで投稿していただきたいものです。<匿名で。

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★これからの練習  1月21日迄は変則練習となります

前半は、ファンタジ-合唱団として大地讃頌、アヴェベルムコルプス。
後半は、とんだばやし混声合唱団の通常練習

129日(土)、1216日(土)、16日(土)、113日(土) すばるホール リハーサル室

★「土の歌」作詞者 大木惇夫(おおき あつお)について。

大木惇夫という詩人、あまり聞いたことのない方なので調べてみたら興味深い経歴が……。

組曲「土の歌」を歌う際の、詩の解釈の参考になると思いますので紹介します。

出典: フリー百科事典 ウィキペディア

1895年(明治28年)418-1977年(昭和52年)719日)詩人、翻訳者。作詞家。本名は軍一。

広島市天満町出身。太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦争詩で有名。歌謡曲の作詞や児童文学作品も多い。

生家は裕福な呉服商であったが、彼が物心付く頃には没落しており、貧しい暮らしの中で育った。少年時代に『アラビアン・ナイト』や巌谷小波の『世界お伽噺』を読み、文学者を志す。広島商業学校の学生時代に世界の文学に親しむと共に、与謝野晶子、吉井勇や若山牧水の影響を受けて短歌を創作する。その後、三木露風や北原白秋の詩を知り、特に白秋に深い感銘を受ける。

学校卒業後、三十四銀行広島支店に就職するが、文学に対する志望が強く、二十歳の年に上京する。
博文館で働きながら、文学活動を行う。この時期に書いた小説が大阪朝日新聞の懸賞に当選している

また、キリスト教の受洗をしている。

その後、同棲している女性の肺結核の療養のため、博文館を辞めて小田原に引っ越し、文筆活動に専念する。これがきっかけで、当時小田原に在住していた憧れの人である北原白秋の知遇を得る。1922年(大正11年)白秋と山田耕作が編集する『詩と音楽』創刊号に初めて詩を発表した。1924年(大正14年)にはジョバンニ・パピーニ『基督の生涯』の翻訳をアルスから出版し、ベストセラーになると共に、処女詩集『風・光・木の葉』を白秋の序文付で同じくアルスから出版した。その後も、一貫して詩人として北原白秋と行動を共にした。

1930年代後半は歌謡曲の作詞も手がけ東海林太郎の『国境の町』は一世を風靡した。

ほかに『八丈舟唄』、『港の恋唄』、『俺は船のり』、『雪のふるさと』など、

スコットランド民謡、『麦畑(誰かが誰かと)』他の訳詞も手がけている.      シャンテ12月号につづく。