・ウェスタ太陽系ボォス ナン大陸ニブル山 星団歴5039・ ニブルヘイムは、ニブル山の中腹にある小さな村である。その村の広場にある給水塔の上で、約束した通り、ティファはクラウドを待っていてくれた。 空には満天の星が輝き、濃密な夏の大気の中を心地よい風が渡る。深夜を過ぎている為、辺りに人の気配は一切無く、広場から見える家々の窓にも灯りがともるものは無かった。 「ティファ」 辺りを憚るように小さな声で呼ぶ。 「あ、クラウド!来てくれたんだね」 うれしそうに微笑んだティファは、先日六〇歳の誕生日を迎えたばかりの愛らしい少女だ。青いサマードレスが良く似合う彼女は、村長の一人娘であり、この村が数百年振りに輩出した騎士でもある。 「う…ん」 一方クラウドは、村から少し登った山中に母と二人で暮らす、村の厄介者であった。 「良かった。実は来てくれないかもって、ちょっと心配してたんだよ」 「約束、したから…」 もっとも、ティファの方から一方的に押し付けられたものではあったのだが。 「ね、上がって来て」 利発そうな瞳を輝かせて、ティファが自分の隣を軽く叩く。促されるまま、クラウドは梯子を上ってそこへ腰掛けた。 「話…って?」 気弱そうな青い瞳、癖が強過ぎて四方へ跳ね飛んだ金髪、小柄で貧弱な身体。ティファとはどこまでも対照的なクラウドが、俯いたまま問い掛けた。 「あのね、あたしが来週から遠くの学校に行っちゃうのは知ってるよね?」 「うん…」 村には初等教育の施設しかない。それ以上の教育を求めるのであれば、山を降り、下の街へ行く必要がある。酪農を主体とするニブルヘイムでは、大抵の子供はそのまま村に残り、親の手伝い等をして働き始めるのが普通であったが、ティファは騎士だから、更に遠くの都会の学校へ行く事となっていたのだ。 「だから、心配なんだ、クラウドの事。あたしがいなくても大丈夫かなって」 クラウドの母は村の娘であった。しかし、父は魔晄炉の開発にやって来た巨大企業『神羅カンパニー』の社員であるという。現在は閉鎖されている魔晄炉は、当初、村に恩恵を与えるものとして歓迎されたのだが、今となっては大いなる災厄として忌み嫌われていた。元々が閉鎖的な村であった事、周りの反対を押し切って余所者である男と関係をもった事、その男が母子を捨てて去っていった事などから、クラウドとその母親は村に居辛くなり、山中に移り住んでいた。 当然、子供たちの間でもクラウドの微妙な立場は影響を及ぼし、事ある毎に苛められ、爪弾きにされていた。そんなクラウドを庇い構ってくれたのがティファなのである。村長の娘であり騎士であるという事を差し置いても、明るく愛らしい彼女は村の子供たちのアイドルであり、彼女が望めば否やを唱える者はいなかった。 「う…ん…」 頼りなげに肯いたクラウドに、ティファは大きな溜息を吐いた。 「あ〜あ、やっぱりダメかな〜」 濃いこげ茶の髪が打ち振られ、優し気な茶色の瞳がクラウドの顔を覗き込む。 「そ、そんな事は…ないよ…」 戸惑いつつも否定するが、その実、クラウド自身不安は尽きなかった。ティファが居なくなれば、村の学校に通わなくなったクラウドが、今以上に孤立する事は確実なのである。それに、もっと心配な事も胸の内に秘めていた。 「ほんと?」 疑わしそうな、しかし、どこか揶揄うような含みを持った表情で問う。 「うん…。僕だって母さんを助けて働かなくちゃいけないし…」 俯いていた顔を上げ、クラウドはティファを見つめ返した。 「いつまでも守って貰うばかりじゃいけないだろ」 精一杯の虚勢だった。ティファもそれを解ってはいただろう。だが、彼女は微笑んでくれた。 「そっか。クラウドがそう思ってくれてるならいいかな。それだけが、あたしの心残りだったんだ」 「…ティファ、もうこの村には戻らないの?」 騎士であるからには、それなりの希望もあるだろう。しかし、それはこの村にいては決して適わぬ事。 「……たぶんね」 「そう…」 「でも、会いに来るよ。あたしが一人前の騎士になって、どこかの騎士団に入ったら必ずクラウドに会いに帰って来る」 気落ちするクラウドに、ティファは右手の小指を突き出した。 「だから約束しよ、クラウド。あたしは一流の騎士になるから、クラウドは強い男になって。誰にも弱虫なんて言わせない強い男に」 正直、荷が重過ぎるとは思ったが、クラウドはティファへの餞別の意味も込めて肯いた。 「うん。約束するよ」 差し出した小指に、ティファの小指が強く絡みつく。 「約束。忘れないでよ」 少々強引な感はあったが逆らえる筈もなく、クラウドは再び肯かされた。 「うん、忘れない」 だが、この夜の約束が果たされる事はなかった。ティファが再びこの村に帰る事はなく、クラウドが彼女と再会するのは、全く別の形となるからである。 ・ウェスタ太陽系ボォス ナン大陸ニブル山 星団歴5100・ かつてニブル山は、山頂まで緑に覆われた美しい山だった。放牧に適した牧草地が広がり、美味い水があちこちに湧き出で、美しい花々が咲き乱れていた。だが、今その面影を残すのは中腹より下の地のみ。ニブルヘイムから五キロも登れば、そこには荒れ果てた山腹が広がるばかりである。それだけではない。山頂付近を中心に出現する魔物の数も激増し、すでにニブルヘイムでも数名の死者を出していた。 それもこれも、全ては神羅の建設した魔晄炉の所為だと村人は信じている。 事実、ニブル山の荒廃は魔晄炉の完成と同時に始まっており、閉鎖された後も山の荒廃は止まらなかった。荒れた地は年々下へ向かって広がっていき、酪農を主体とする村の存続が脅かされるまでになって来ている。 「村では神羅への直訴を考えているそうよ」 質の良い織物を織るクラウドの母は、時折、織り貯めた物を売りにニブルヘイムの店へ出向いた。そんな折にいろんな話を聞いてきては、決して村に下りようとしないクラウドに語って聞かせるのだ。 「今年は西の葡萄棚も不作で、エリックのところでは仕込みも難しいのですって」 小さな醸造所をやっているエリックは、味の良いワインを作ると評判の男。 「マーサのところは、放牧していた羊が何頭も魔物にやられたそうよ」 村でも貧しい部類に入る彼女は村近辺の放牧権利金が払えず、荒地に近い高地の方を利用するしかない。 「おまえも上に行くけど、大丈夫なの?」 当然、クラウド母子も飼っている羊の放牧には高地を利用する。そしてそれは、クラウドの仕事であった。 「僕は大丈夫だよ。魔物の来ない秘密の場所を知ってるんだ」 黙って母の話に肯いていたクラウドは、まだ幼さの残る顔で微笑んだ。 「そうなの?ならいいけど、おまえはまだ子供なんだし、十分気を付けてちょうだいね」 線の細いクラウドの母が、荒れた手を伸ばして、その小さな身体を抱き締める。 「うん、解ってる」 けれど、母の抱擁を受け入れながら微笑んだクラウドの瞳には、どこか後ろめたげな翳りがあった。 ガスト博士の最新作ファティマである三兄弟の長兄セフィロスが、エスタ共和国でのお披露目から逃亡して数ヶ月。彼がこのボォス星に渡って来たのは、ここが無政府地区の多い地であったからだった。 巨大歓楽都市『ゴールドソーサー』を始め、神羅の企業都市『ミッドガル』、忍者の住む『ウータイ自治区』と、ここには星団法を司る委員会の目が届かない街が多く、彼が自由に行動するのにも支障が少ない。 事実、この星では彼が逃亡ファティマであると知りながらも見逃す者が大多数であったし、無謀にも彼を捕らえようとした者、彼の意に反して抱き込もうとした者は、セフィロスの驚異的な能力によって完膚なきまでに叩きのめされた。 そうして現在、僅か数ヶ月の間に星団中の闇社会に知れ渡った彼の名は、畏怖をもって語られるまでになっている。 そのセフィロスが都市を離れ、このニブル山に立ち入ったのは、そこで何かが起こるという予感めいたものを感じたからだ。彼には強大なダイバーパワーが備わっていたが、パラサイマルの能力の方はなんとなく程度にしか持ち合わせていない。しかし、それでも感じた何かが、彼をこの山に向かわせた。 ニブル山は、それほど高度のある山ではない。麓の街から山頂まで人の足でも二日あれば登りきる。まして騎士の能力があれば、半日と掛からないだろう。ダイバーであるセフィロスに至っては一瞬である。 だが、彼はその能力を一切使わなかった。入山から一貫して人の足と同程度のスピードで歩いている。それもまた、彼が感じた何かの為であった。 そのセフィロスが、街道を逸れて中腹まで登ってきたところで、人の気配に足を止めた。 自身の容姿が良くも悪くも人の目を惹きつけるものだと、この数ヶ月で十分に認識させられたセフィロスは、逃亡者だからという理由ではなく、煩わしいからという理由のみで、なるべく人目を避けるように行動している。 この時も、意図的に人の通らぬであろう処を選んで歩いていた。それなのに、己の知覚範囲に人の気配を感じたのだ。 (こんな外れに家が?) 遠目に、突き出した岩陰の下にひっそりと建つ小さな家屋が見えた。傍らには粗末な羊小屋と小さな畑まである。 (女と、…子供?) 中を透視したセフィロスは、僅かに眉根を寄せた。 (気色の悪い事をする…) だが、嫌悪めいたものを感じつつ、興味も掻き立てられる。セフィロスはその家屋を見つめたまま、しばらくその場を動こうとはしなかった。 クラウド母子が飼っている羊は、雌三頭、雄二頭の計五頭である。滑らかな光沢の長毛を持つ種であり、飼育環境が限られる為、その毛から作られる織物は高級品として珍重された。この羊を失う事になれば、母子の生活が今以上に苦しくなる事は目に見えている。 それ故に、魔物のいる高地へ放牧しに行かなければならないクラウドには、毎日が緊張の連続であった。魔物の来ない秘密の場所を知っていると、そう母親には語ったが、実際にはそんな場所など有りはしない。既に何度か襲われてもいる。 魔物を撃退する事は可能なのだ。ただ、羊を屠られる前に撃退せねばならず、その為に、常に周りに気を張っていなければならないのが、神経を消耗させられてきついのである。 (嫌な感じがする…) 草を食む羊たちに目を配りながら、クラウドは眉を顰めた。 先程から、知覚の端っこを掠めていく不穏な気配が複数ある。魔物としては小物の部類だろうが、こちらの様子を窺っているような感じがあった。 (降りた方がいいかな) だが、羊たちはまだ十分な量の草を食んではいない。痩せた羊では毛の質も悪くなる。 暫し躊躇し、クラウドはもう少し様子を見る事に決めた。 (大丈夫だ。僕は強いんだから) 自分に言い聞かせるように鼓舞する。 それは、あの夏の日に給水塔の上でティファと約束した事。あれからずっと、クラウドは何かある毎にその約束を思い出しては、自身を勇気づけて来た。 だが、約束が果たされる事を望んではいない。 ただ一人の理解者であったティファ、その彼女にも打ち明ける事の出来なかった秘密を、クラウドが今も抱え込んでいるからだ。 いつかは破綻するかもしれないと、恐れてきた事。 (まだ、まだ大丈夫だ…) 綻びの糸口は見えない。 (ティファ…、会いたいよ) ほんの少しだけ年下だった少女は、立派な騎士に成長しているだろう。 (けど、会えないんだ…) クラウドの小さな手が、苦しげに歪んだ顔を覆った。 その一瞬に隙が出来たのだろう。 張り巡らした気の綻びをついて、数匹のニブルウルフが凄い勢いでクラウドの羊を狙って飛び込んで来た。 (しまった!!) 恐怖に怯え悲鳴を上げる雌羊に飛び掛かろうとした一匹に向かって手を差し出し、力の限りの雷激を放つ。 ギャンッ! その一撃で、ニブルウルフは幻光を霧散させながら消滅した。 続いて襲い来る魔物たちにも、クラウドは容赦ない雷撃を浴びせて行く。 逃げ惑う羊を守りつつ、全ての魔物を倒した時、クラウドの息は上がり切っていた。肩が大きく上下し、その場に立っている事も出来無い程に疲れ果て、崩れるように膝をつく。 難を逃れた事を察した羊たちが、それでもまだ辺りを警戒しながらクラウドの側に寄り集まってきた。 年長の雌羊が、クラウドを案じるように顔をすり寄せる。 「だ、大丈夫…だよ。…ごめん…な、怖かった…ろ?」 荒い息の下から声を出し、安心させるようにその長く滑らかな毛を撫でた。 「力の配分がなってない。あんな小物にまで全力を出してどうする?」 「!!!」 目の前に銀色の天使が立っていた。 いつ、どこから現われたのか、気配すら感じなかった。唐突に現われたとしか思えない状態で、悠然とクラウドを見下ろしている。 すらりとした長身を覆うブラックメタルスーツが良く似合う、この世の者とは思えない程に美しい人だった。 「力を使う時は相手の力量を見極めろ。常に全力を出し切るなど阿呆のする事だ」 強い意志を放つ清冽な青い瞳が、クラウドの心を虜にした。 ただただ呆然と見蕩れるクラウドに、それを当然の事と認識しているらしい天使が、傲然と言い放つ。 「いつまで惚けている。そろそろ正気に戻ったらどうだ?」 「……だ…れ?」 間抜けた事を言っているという自覚はあったが、それ以外に発する言葉が見つからなかった。 「相手を誰何する時は、まず自分が名乗ったらどうだ?」 腕組みをした天使が呆れたように応える。 「あ…、え…と、ク、クラウド。クラウド・ストライフ…」 先程までとは違う意味で、心臓がばくばくと音を立て始めた。 「セフィロスだ」 姿だけでなく、名前までもが美しい人なんだと思う。 「おまえが何を怖れているか知らんが、そのままでは死ぬ事になるぞ」 「え…?」 何を言われているのか、咄嗟には理解出来なかった。 「生き残りたくば、茶番は終いにする事だ」 突き放すような瞳で一瞥すると、セフィロスはクラウドに背を向けた。膝上まで届く長い銀髪が風に揺れたと思った瞬間、その姿が空中に掻き消える。 (ダイバー!?) 生まれて始めて見る、クラウドと同じ能力を持つ者だった。 ニブル山周辺では騎士ですら滅多に生まれる事がない。ましてダイバーともなれば、ここ数千年は皆無であるという。 だが、クラウドにはダイバーとしての能力が発現した。 皮肉な事に、ティファとの別れを意識した事が、クラウドの能力の発現の切っ掛けとなってしまった。独り取り残される事への不安と寂寥、それがクラウドの内の眠れる力を呼び覚ましたのだ。 その時の絶望感が解るだろうか。 ただでさえ村から疎外されているクラウド母子の立場が、その事によってもっと酷いものになるのは確実だったからだ。 クラウドに発現したダイバーの能力、それは余所者である父の血筋から来たものに違いなく、この閉鎖的な村にあってそれは唾棄されるべき事柄なのだ。 クラウド自身はまだいい。この村を出ていけば済む事なのだから。 しかし、母は違う。 この村で生まれ、この村で育ち、この村を離れる事が出来無い。疎外されてなお、村の近くにしがみついている事が何よりの証である。 だから、クラウドは己の能力を隠して生きるしかなかった。 そして、その力で感じた予兆に、己の成長も止めるしかなかったのだ。 ティファと約束したあの夜から六十年余り。 けれどクラウドの姿は変わらない。 あの夜のまま、小柄で幼い気弱なクラウドのままで時を止めている。 (あの人には、解ってしまった?) そして、セフィロスの放った意味深な言葉。 あれはただの忠告なのだろうか?それとも、彼の未来視なのだろうか? そうだとしても、今のクラウドに現状を変える勇気は無かった。 神羅カンパニーの一行が村に現われたのは、クラウドがセフィロスと出会ってから二日後の事だったという。 百年前の魔晄炉建設時に建てられ、村に残されたままになっていた通称『神羅屋敷』に、突然十数人の人間がやって来たのだと。 神羅への直訴を考えていた村人の訴えに、その魔晄炉の調査に来たのだと答えた彼等は、一応歓迎されるべき客として村に受け入れられたそうだ。 その日から彼等が頻繁にニブル山頂上の魔晄炉に立ち入っている事、村人には調査の間、決して魔晄炉に近づかないように要請があった事などを、クラウドが母親から聞いたのは、それから更に七日後の事だった。 「言われなくたって誰もあんな処に近づきやしないのに、変にピリピリしてるって言ってたわ」 母は笑ってそう話したが、クラウドはひそかに眉を寄せた。 あれからセフィロスとは出会えない。魔物を警戒する傍ら、彼の気配も探してはいたが、クラウドに知覚する事は出来なかった。 (彼も神羅の人間なんだろうか?) もう一度、会いたいと思う。会って、あの言葉の真意を確かめたいと。 だが、クラウドの思惑に反して、彼の姿は山の何処にも見当たらなかった。 日々が無為に過ぎて行く中、焦りにも似た思いがクラウドの心を占め始め、ある晩ついに思い切ったクラウドは、夕食を終えて後片付けを始めた母に声を掛けた。 「母さん」 「なあに?」 「今から出掛けるから」 洗い物の手を止めずに答えた母親が、驚いて振り向く。 「何を言ってるの、クラウド。こんな遅くに子供が出掛けるなんて…」 いづこの母親も同じ事を言うであろう台詞を放った母に、クラウドは己の手の平を翳した。 『僕は出掛けるけど、ほら、ここにも僕は居る』 ダイバーパワーを使った暗示だった。 『だから何も心配いらないんだよ』 「ああ…、そうね。クラウドはここにも居るものね。なら心配いらないわね」 あっさりと微笑んで肯いた母は、暗示に掛かり易くなっている。この六十年もの間、成長しない息子に疑問を持たないようにと、暗示を掛け続けられてきた所為だ。 その事を心苦しく感じていない訳ではない。けれど、今更元に戻す事も出来ないクラウドだった。 魔晄炉に向かう為に跳躍(テレポート)を試みたクラウドは、山頂を覆うように張られたダイバー避けの干渉波に阻止されて、その手前に降りるしかなかった。 深く切れ込んだ谷の向こうに魔晄炉の尖塔がわずかに見える。 そこから少し東に進んだところには吊り橋があり、徒歩で向かう者はそこからしか魔晄炉に辿り着けないようになっていた。 (見張りがいるのかな) これだけ厳重な警戒がなされているなら、それも当然の事と思われる。 (ああ、やっぱり) 気配を殺し、そっと近づいたクラウドの視界に、武装した一人の兵士が入った。 吊り橋の手前で、神経を過敏に張り詰めさせながら立っている。いくら完全武装とはいえ、魔物の出るこの山頂に一人で残されるというのは、過度の緊張を強いるものに違いない。 だが、それであればこそ、クラウドが付け入る隙もあろうかというものだ。 (暗示は大得意なんだよ…) 自嘲して露悪的に微笑んだクラウドは、その兵士の前に跳躍した。 「うわっっ!!」 いきなり現われたクラウドの姿に、兵士の身が飛び上がる。 『止まれ!』 慌てて、手にしたマシンガンを構えようとした男の動きが、その鋭い一声で凍りついた。 『危害は加えないよ。質問に答えて欲しいだけだ』 「は…い…」 見上げる子供に、男は従順に肯いた。 『神羅の中に、セフィロスという人はいる?長い銀髪の、とても綺麗な人だよ』 「セフィロス?いいえ、そんな人はいません」 期待した答えを得られず、クラウドはあからさまに落胆した。 『そう…。じゃあ訊くけど、この上の魔晄炉で一体何をしてるんだ?』 彼等が村に現われてから既に一月近くが過ぎようとしていた。ただの調査にしては時間が掛かり過ぎているし、何よりこの警戒の仕方が尋常ではない。 「わかりません。宝条博士が何かされているようですが…」 (宝条博士?) 魔晄炉に関係する科学者なのだろうか。だが、如何せんクラウドには知識がなさ過ぎた。クラウドに限った事ではなく、ニブルヘイムの者たちは魔晄炉が画期的なエネルギープラントだとは知っていても、その原理がどういうものであるかという事に関しては、まるで理解していなかった。 『わかった。もういいから、今の事は忘れて』 言うなりその場から消えたクラウドの事を、その言葉通りに忘れ去った兵士は、何事もなかったかのように再び辺りを警戒し始めた。 (セフィロスは、もうこの山にいないのかな…) 家に戻り、母の暗示を解いてベッドへ潜ったクラウドは、ティファと別れた時と同じような寂寥感に苛まれて身を丸めた。 (もう一度、会いたかった…) そう思いながら眠りに落ちたクラウドを、遠くから視ている瞳がある事にまるで気づく事もなく…。 「私を捜しているのか、クラウド?」 尾根に穿たれた岩屋の奥深く、あの日からずっとクラウドを遠視している銀の天使が、人の悪い笑みをその秀麗な顔に浮かべていた。 その日、クラウドは、朝からざわざわとした奇妙な感覚に苛まれていた。 頭骸骨の内側を何かざらりとしたもので撫で上げられて行くような、かなりの不快感だった。 いつもは鋭く研ぎ澄まされている神経も、ねっとりとした膜が掛かったように鈍く重い。思うように気を張る事も出来ず、熱に浮かされたような茫洋感が付き纏った。 だから、朝食の席で告げられた『今日は神羅屋敷に頼まれてた仕立物を届けに行って来るわね』という母親の台詞にも、ただ聞き流すように肯く事しか出来なかった。 それが、後にどんな事態に繋がるか、欠片も思い及ばずに…。 そうして、出会ってしまった。 ひとりの美しい女に…。 鈍い頭を抱えつつも、クラウドはいつものように羊をつれて山を登ると、いつものように放牧していた。 快晴の空に浮かぶ幾つかの雲が、のんびりと流れて行く。そんな夏の昼下がりに、彼女はクラウドの前に現れた。 少し癖のある金色の髪、知的に整った顔立ち、白い肌に纏った何の飾り気もない白いワンピース。 だが、ほのかに発光しているかのように輝く、その両の青眼だけが異様に人間離れしていた。 (似た輝きを知ってる…?) 昔、まだ本当に子供だった頃、ティファの提案で山頂の魔晄炉を村の子供だけで見に行った事がある。その時見た魔晄の光が、まさにそのようなものだったと思う。 そして女は、その魔晄炉のある山頂から降りて来たのだ。 魔物が跋扈する中を一人で、なんの武器も持たずに裸足で。 どくん、とクラウドの鼓動が跳ねた。 言葉無く見つめてくる女の無表情な顔に、言いようのない恐怖を掻き立てられる。 (やばいっ) 鈍くなっていた神経が、危険を感じて悲鳴を上げた。 そして、致命的な間違いを犯したのだ。 クラウドはまともな思考のないまま、彼女に対して全霊を掛けた雷撃を放ってしまった。 バリバリと地面ごと切り裂く衝撃に、彼女の全身から血飛沫が上がる。 しかし、悲鳴は無かった。 かすかによろめいただけで、血塗れのまま立ち尽くす。 『……敵…』 機械のような思考波が、クラウドに届いた。 『反撃…開始…』 流れる血が蒸気を発したかと思うと、彼女の全身が炎に包まれた。 「え………!?」 何が起こったのか、クラウドには解らなかった。 気づいた時には炎が目の前にあり、焼けつく痛みが腹を貫いていたからだ。 炎に炙られながら見た己の腹に、白い手が潜り込んでいる。ゆっくりと上げた視線の先には、あの青い光があった。 (殺…され…る!!) 一瞬の後に襲われた凄まじい恐怖に、クラウドの思考はスパークした。 焼け爛れていく手で腹を貫く女の腕を掴み、満身の力を込めて引き抜くと、後先考えずに跳躍する。 ただ逃げる事だけを考えて移動したクラウドが現れたのは、より山頂に近い位置にある谷間の底だった。 貫かれた傷口から大量に溢れ出す血をどうする事も出来ず、クラウドはその場に倒れ込んだ。 (死ぬ…のか…な?) 「だから茶番は終いにしろと忠告しただろうが」 霞む目の先に、望んでも会う事の適わなかったセフィロスが立っていた。 「ご…めん…」 どうして謝るのか自分でも解らずにそう呟いて、クラウドは意識を手放した。 目を覚ました時、最初に飛び込んで来たのは、岩の切れ目から見える朱色の空だった。 「気づいたか?」 横を見ると、銀色の天使と見紛うセフィロスが片膝を立てて座っている。 まだ夢の中にいるような不思議な感覚のまま身を起こし、自分が身に着けた大きなシャツに目をやった。 「おまえの服は焼けてしまったからな」 身体のどこにも痛みはなく、爛れたはずの手にも痕跡すらない。 「あなたが…?」 だとするなら、彼は凄まじい能力のダイバーである。 「まだ聞いてない事があったからな」 よく解らない事ばかり言う人だが、クラウドを助けてくれた事には変わりが無い。 「ありがとうごさいます」 「礼を言うのは早いぞ」 厳しい声と共に、彼の手が何処かを指差すように上がった。 つられて顔を向けた先には岩壁のみ。だが、その方角の遥か先にはニブルヘイムが在り…。 瞬時にクラウドの顔が青褪めた。 (あの女はどうなった!?母さんは!?) 慌てて立ち上がり、セフィロスの存在も忘れてクラウドは跳んだ。 「母さん!」 だが、家に母の姿は無い。 「母さん…?」 不安げに呟いたクラウドの背後に、追って来たらしいセフィロスが現れた。 「村へ行け」 「村…?」 振り向いたクラウドに、セフィロスが肯く。 「そうだ。その目で確かめるがいい。おまえには為す術の無かった現実を」 艶のあるその声が、死の天使の鳴らす審判のラッパのようにクラウドには感じられた。 白くなった頭でよろめくように一歩を踏み出し、クラウドは村を目指して再び跳躍した。 村中に炎が舞い踊っていた。 朱の空を更に朱く染め上げて、紅蓮の炎がすべてを呑み込み狂乱していた。 石畳の上は血に染まり、広場の其処彼処に倒れ伏す村人の苦悶の果てに死した姿が、そこで起こった惨劇の凄まじさを物語っていた。 ただ呆然と立ち尽くすクラウドの目に映る光景は現実なのか、悪夢なのか。 其処に生きている者はひとりもいなかった。 「…母さん?」 いくら気を巡らしても、母の気配はない。 「母さん!!」 捜し歩く必要はなかった。そんな事をしなくても、クラウドのダイバーとしての能力が母の死を確固たるものとして認識してしまったから。 絶望のままに呻いて、クラウドはその場にくず折れた。 「僕…が、これ…を…」 山頂から降りて来たあの女の仕業なのは一目で解る。そして、あの女を挑発したのはクラウドだ。 「否、これは誰にも阻止出来ぬ事」 足音が、後ろからクラウドを追い抜いて行った。 顔を上げた先に、セフィロスの優美な後ろ姿がある。 「おまえが何をどうしようと、あの女はこの村を殲滅した」 辺りを舐め尽くす炎の中にあって、どこまでも美しい人だった。 「これは始めから予定調和だった。この村はあの女の為に用意された贄。その運命(さだめ)から逃れる事は適わぬ」 振り返ったその瞳には憐憫の情など一切無い。 「だが、おまえだけは異質だったな」 セフィロスがクラウドと視線を合わせるように膝をついた。 「何故、成長を止めた?母親に暗示を掛け、子供のまま時を止めたのはどうしてだ?」 やはり彼には解っていたのだ。 「…怖かったんだ。僕の所為で、母さんは村から追い出されたのに…。それなのに僕がダイバーだと解ったら、山にも居られなくなるかもしれない」 流れる涙もそのままに、クラウドは首を振り、そして叫んだ。 「その上、騎士だと解ったら、もっと酷い事になるじゃないか!!」 ティファは特別なのだ。村長の娘だから。だれも妬まないし、疎まない。 だが、クラウドは違う。ましてや騎士とダイバーの能力を合わせ持つバイアともなれば、石持て追われるのは目に見えていた。 「母さんを守りたかった…。僕の所為で辛い思いをする母さんを守りたかったんだ!」 たとえそれが無謀な事だとしても。 「なるほど。騎士の能力が発現しそうだったから、時を止めていたという訳か」 うっすらと微笑んで、セフィロスは立ち上がった。 「死すべきおまえを生かしたのは私の小さな好奇心ゆえだ。それを満たしてくれたおまえには贖いが必要だろう。だから選べ」 「え…?」 「私の手を要らぬと言うのなら、今ここで殺してやる」 睥睨するセフィロスの瞳が剣呑な光を発した。 「だが、生きていたいと言うのなら、私の手を取れ」 そうして、端正な口の端がわずかに持ち上がった。 「私は何にも支配されぬファティマ・セフィロス。だが、おまえが望むなら、おまえにだけは傅いてやろう」 なんて理不尽な選択だと、クラウドは思った。 己の我侭でクラウドを生かし、今また、その我侭のままにクラウドを追い詰める。 この胸の内に巣食った昏い絶望を生み出したのは誰だと思っているのか。それとも、それを承知の上で、生か死かを選べと言っているのだろうか。 無慈悲な死の天使。 それでも、クラウドにはたったひとつ残された希望の光のように思えた。 この手を取れば、いつかこの胸の絶望が癒される日が来るかもしれないと。 ゆっくりと差し出した手に、セフィロスが嫣然と微笑んだ。 「今この時より、おまえが私のマスターだ」 |