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| 東京の高尾山の西北6Km | |
| にある明王峠には、武田信玄 | |
| が武運を祈願したと伝えられ | |
| る不動明王があり、すぐ近く | |
| には武田一族の姫の悲しい伝 | |
| 説があります。 | |
| (白百合姫伝説) | |
| 明王峠から相模湖へと下山 | |
| を急ぐ私が石投げ地蔵の石積 | |
| みを見たのは、ある秋の夕暮 | |
| れでした。 | |
| 観光案内板に書かれた由来 | |
| を読み、胸を熱くしながら山 | |
| 道を下ったことを忘れること | |
| ができません。 | |
| 麦わら帽子 | |
| 一、石投げ地蔵の伝説を追って | ||
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民話や類似した伝説がないか?、この伝説について書かれた文献は ないものかと調査しました。 八王子市〜相模湖、藤野、上野原の各地で資料を 探しましたが直接 関係はないものの多くの民話や伝説に接することが出来たのも思わぬ 収穫でした。 |
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二、石投げ地蔵を訪ねて |
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同地に建てたと伝えられる《小さな地蔵尊》を探して・・・ JR相模湖から明王峠へ向かいました。 明王下の茶屋のご主人に矢の音にお地蔵様があるよとの お話を伺いこのお地蔵様に出会いました。 これは2度目の調査行の記録です。 お顔の半分しか残っていませんが清楚なお姿に心打たれます 白百合姫というのは白百合のように清楚で美しかったので そう呼ばれたのかもしれませんね。 |
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三、松姫資料 |
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松姫は同時代実在の人物であり、松姫の逃避行の末たどり着いたのが 伝説の地から東北へ6Kmの地であることから、伝説と実話の接点があ るのではないかという仮説から松姫資料を掲載します。 女性の幸せを願った松姫の眠る信松院には今も多くの方が訪れます。 |
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四、戦国の歴史からの検証 |
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戦国の歴史にこの伝説を当てはめてみました。 白百合姫の短い生涯を戦国の歴史的な背景に重ねると 伝説を裏づけるヒントにはならないだろうか。 |
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五、相模國風土記を調べる |
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いくつか疑問を確認するために風土記を調べてみました。 明王峠あたりは天正年間武田勝頼の時代に武田の所領であったか? 古地図で明王峠あたりは記載されているのだろうか? |
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| 六、現在の明王峠について |
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藤野・相模湖の古い地図を探した、 峠らしからぬ峠だとは思っていたが、昭和8年発行の地図 にも昭和22年発行の地図でも現在の明王峠ではないことが 分かった。 現在の明王峠下にあった旧明王峠への古道が確認できた、 2010 1 11 |
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七 石仏に刻まれた”施主 平八”について |
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宝暦9年(1759年)7月、名倉村 正念寺本堂 建立奉加帳に《平八》という名前を発見した 新発見か?? 速報 (笑) |
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八 謎の檜原村の文書について (松姫逃避行に関係があるのか?) |
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檜原村の某旧宅に伝えられる古文書の写し 江戸時代に作製あるいは加筆されたと思われるが その内容とは・・・・・・・・・ 現在準備中 |
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| このページの姫のイラストは、『ぴくしぃ』さんの作品を お借りしています。 厚くお礼申し上げます。 |
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| 相模原の歴史シリーズ | 相模原の郷土歴史研究会 詳細な調査、分析力、秀逸のサイトです |
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高尾山春夏秋冬 |
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