第一海堡,第二海堡の旅

そのうち画像を載せます。

2000年7月20日、海の日ならではの?良い天気

富津岬から第一海に向けて漕ぎ出した。

 

東京湾を横断しよう、、などとだいそれた事を考えていたが、湾内の交通事情と私たちの実力を考えて、とりあえず第一海堡までを目指すことにした。

富津岬から見る第一海は、目の前にそそり立っている感じだった。

 

この海域を漕ぐための事前情報は。

1,東京湾は時計回りに海流が発生している。

2,富津近辺は海流の変化が激しい。

3,湾内は、大型船の通り道(航路)が決まっていて、一方通行になっている。

4,横断禁止の区域が決まっていて、そのエリアは航路を横切ることはできない。

5,この海域は24時間監視されていて、不審なことをすると海上保安庁の船がすっ飛んでくる。

6,大型船がひっきりなしに航行しているので、非常に危険で難しい、諦めた方がよい。

などで、予めボードセイリング協会の秋葉氏から、海図を見せて戴き、指導してもらった。

 

それまで海を漕いだことがなかったので、前の週に稲毛海岸で練習をした。

練習日は潮の満ち引きが激しく、しかも午後から海がかなり荒れてきて、絶好の?練習日和だった。

波も頭からかぶるほどで、沖で沈したときの復活法も練習した。

 

そろそろと、漕ぎ出すと、何の苦労もなく、簡単に第一海に着いてしまった。

森に覆われた丘をバックに砂浜が広がり、たくさんの自家用クルーザーが停泊していて、多くの人たちがバーベキュウを楽しんでいる。ブルジョア達の秘密の楽園といった感じだ。

遠浅の砂浜に着岸し、島の探検に出かけた。

コンクリートでできた廃墟(地下壕)と、密林の組み合わせは正にショッカーの秘密基地という雰囲気。

展望の利く砲台跡から、西の方角を眺めれば、第二海は直ぐそこだった。その先に第三海堡も見える。

「よし、行こう」二人は目があった瞬間、そう言った。

 

第一海から第二海まで漕ぎ始めた。天気は崩れる様子もない。

遥か前方を通過した船の波に翻弄される。チリ地震の津波の仕組みがよくわかる。

 

第2海が近づいてきた。こちらは島というイメージではなく、建造物に近い。

煉瓦づくりの壁がいい味を出している。

砂浜の上陸地点がないので、タイミングを伺いテトラポットから上陸した。

砲台の跡や、弾薬庫などが残っているが、森は無い、日陰もほとんどない。

クルーザーで現れるブルジョア達はいないが、釣り人がちらほらいて、テントを張っている人もいる。

定期船がやってきて、桟橋から釣り人を降ろしていった。

ここは水がないから、水を大量に持ってきてるんだろうなぁ、、と思う。

 

神奈川の方を眺めると、大型船がひっきりなしに通過している。第三海の残骸も見える。

 

と、突然「そこのシーカヤック止まりなさい」「ここは航路です。直ぐに引き返しなさい!」の放送が聞こえた。

よく見れば海上保安庁の船が出動していて、その行く先に鼻くそぐらいの大きさの点が見えると思ったら、それはカヤックだった。あれでは大型船はその存在に気づくのは難しいだろう。

どうやら、神奈川側を出発して東京湾を横断しようたところを注意されていたようで、

海上保安庁の船に付き添われるように、こっちへ向かって来る。

 

カヤックは第二海を通過して、千葉方面に向かって行った。

海上保安庁の船は、第二海に接岸し、保安官らしき人たちが上陸してきた。

今のカヤッカーを探しているようだ?

 

のんびりとした庶民の無人島を満喫して、帰路に就く。

海面に浮いている挺に直接乗り込む。まずはバウ側の私が乗り込み、準備ができたらスターンの東山が乗り込むのだが、彼が乗り込む際にバランスを崩してしまい、あえなく沈してしまった。

 

とりあえず艇を起こして、散らばった荷物をかき集める。陸揚げしてから水を抜きたいところだが、簡単に持ち上げられる陸がないので、ナベを使って水をかき出した。

乗船しても静まないぐらいになったら、慎重に再乗船する。一人がこいでいる間に、もう一人が水をかき出す作業をしながら、第一海まで戻ってきた。その作業で東山は船酔いしてしまったようだ。

 

第一海で一休みしてから、富津へ向けて最後の漕ぎを始めた。

2000年の海の日は一日いい天気だった。