実は、JLGのインタビューは、ページ数の関係でやむなく途中までしか収録できませんでした。原稿にはその後に少し良い話もありまして、そのまま埋もれさせてしまうのももったいないので、ここに収録することにしました。
実はテープにはまだまだ続きもあるのですが、取りとめのない話になってしまっているので、それはずっとお蔵入りになるでしょう。
月刊ASCIIやMacPower誌でのインタビューでも似たような状況です。

以下の話は、そのままBeBox GuideBookの話につながります。「彼ら」とは、もちろんMS社のことです。

ガセー:

ですから、その分野で彼らに対抗することは「セップク」あるいは「ハラキリ」ですか、つまり自殺行為に等しいのです。

米国では、毎年1万人以上もの優れたC++プログラマが、優秀な大学を卒業しています。彼らには失うものは何もありませんから、まったく保守的ではありません。日本ではどうだか知りませんが、アメリカの大きな会社では下を見るとブレインがいて、上を見ると取るに足らない連中ばかりだという状態です。例えばアドビや、今はアドビの一部となったアルダスのような会社でも、優秀な人たちが上を見上げれば、ここは大きすぎるし、保守的すぎると思うでしょう。しかし、彼らがBeBoxを見れば、これは自分一人でアプリケーションをプログラムでき、それを電子的に流通させることができ、大げさなインフラを必要とせずにビジネスができることに気付くでしょう。ですから彼らのような人の多くが仲間に加わってくれるように努力しています。

ところで、私の日本に対する見方ですが、私はできるだけステレオタイプ的な見方はしないつもりです。日本にも非常に能力の高いソフトウェアプログラマがたくさんいるでしょう。しかし、彼らがもし松下のような会社にいて上を見上げたとすると、何が見えるでしょうか。

いずれにせよ、人間の表現能力は世界的に共通なものだということは否定できないでしょう。日本人は形式的で保守的だというアメリカ人が多くいます。しかし、例えば芸術を見てみましょう。日本の文学、日本の映画、日本のファッション、日本の建築、どれをとっても非常に優れたものがあります。アメリカ人は日本人を単に日本の大企業の一員としてしか見ない傾向があります。たしかに、その範囲では、そういう形式的で保守的な面があるのは事実でしょう。けれども中には非常に創造的な人々がいて、熱心に自己表現を実践しています。私は、Beと、日本のそういった創造的な人々との間に共通点のようなものを見ることもできます。

もちろん、松下を非難しようというのではありません。私は松下が好きですし、尊敬に値すると思っています。そして時に彼らはソニーよりも賢いと思わせる場合もあります。とにかく一般的に日本の大企業は保守的ですが、保守的でない個人もたくさんいます。そして、そのような人々は、革新というものに対してかなりオープンです。我々の日本での市場は、そういった人々のためにあると考えています。一般的なアメリカ人が描く日本人像と私が実際に日本に行ってみる日本人は、ほんとうに同じ日本人なのかと思うほど異なっているのです。

柴田:

日本人ですら自分たち日本人を一種の型にはめて見る傾向にありますから。

ガセー:

そうですね。それはフランスに行っても同じですよ。どの文化にも盲目的な部分というものがあります。そして、そこでは逆にアメリカのことを型にはめて見ています。確かに路上での暴力といった問題はありますが、それが至る所で起きているわけではありません。麻薬の問題も同じです。

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