
バルカン半島編 (2000.5.29-6.7) |
Albania: [Tirane] (Kosovo): [Prishtina] Bosnia=Herzegobina: [Sarajevo] [Mostar] Croatia: [Dovrobnik] [Split] [Rijeka]
| |||||||||||||||||||||||
(アルバニアを知るに当っての参考文献) 「アルバニアの悲劇 ーねずみ講事件の背景ー」熊坂 静香 | |||||||||||||||||||||||
2000.5.29-31
|
やはり、ここは物価が安い。あと、陽射しのせいか、妙に明るい。経済状況もうまくいってないから、暗くじめじめしてるイメージを持っていたので、びっくりだ。 道路とかのインフラ整備が滞っているが、バー、カフェ、レストランも多い。文化的にはイタリアの影響が強いようだ(日本に帰って来るまで知らなかったが、アルバニアはイタリアの植民地だった)。コーヒーを頼むと、トルコ風ではなく、エスプレッソが出てくる。そこら中に「なんちゃら・イタリアーノ」って看板があるし。良く見かけるのが、USAの旗。やはり、アルバニア系住民をいじめたユーゴを懲らしめたNATOには好意を抱いてるようだ。なんと、「NATO Cafe」も見つけた。でも、ずっと鎖国してたから、どんな珍しいものが見れるのかワクワクしてたのに、普通のバルカンの街だった。マケドニアの首都スコピエよりは都会で、他の首都よりは田舎だ。遺跡とかも珍しいものなし。 今回の宿は、小遣い稼ぎの一般家庭に泊まったのだが、そこの息子がコソボに出征していたらしく、道中のビデオを見せてくれた。さすがに戦闘シーンはなかったけど。彼にこの後、コソボを経由してボスニア=ヘルツェゴビナに向かうと話したら、是非、モスタルに行けと言う。ひとつ、乗ってみようと思う。 歩いていると、よく時間を聞かれる。時計のある人にも。時間を聞くのがひとつのコミュニケーションの手段なのだろうか。 両替えしようと銀行に行った。VISAのシールが貼ってあったのでT/Cで替えようとしたが、2週間かかると言われた。なんじゃそりゃ。 コソボから来たという人とカフェで話した。英語がうまい人だ。妹が死んだから南に下りたい、5000LKくれないかと言う。一度は払ってくれたコーヒー代を払って出る。本当か?わからない。物凄く後味が悪い。 はじめはモンテネグロ(セルビアと供にユーゴスラビア連邦を構成している国)のポドゴリッツァに行く予定だったけど、コソボの問題で、列車、バスともに国境閉鎖で運休。あったのは、コソボのプリシュティナ行きとマケドニアのスコピエ行きとイスタンブール行きと戻ってしまうアテネ行きのみ。吟味の結果、コソボのプリシュティナへ。直線距離200kmくらいしかないのに夜行便しかない。 *Begator Jaupi宅 15ドル/約1,650円(1泊) *チラナ-プリシュティナ(夜行バス)50DM/約2,900円 | ||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
| 2000.6.1 |
ちょっとやばそうなイメージのコソボ。実際も寒々しくて、しけた所って感じ。見かける外国人はUN(United Nation/国連)の人たちばかり。東洋人なんかいない。流通してる通貨はドイツ・マルク。ユーゴ・ディナール、アルバニア・レケは使えません。レケ、余ってるのにどうしよう。国境に闇両替もいなかったし(国連軍が守ってた)。 インターネット・カフェがあった。でも、アクセスのスピードはいまいち。コーヒーもギリシャ・トルコスタイル。 特に見るものもないので、朝に到着してすぐに、今夕出発のサラエボ行きの夜行バスのチケットをゲット。サラエボへの途中の道は、所々に装甲車に乗ったNATO各国軍が守ってる。よく目に付いたのは、イタリア。ドイツやデンマークも見かけたけど、イタリア軍が一番多かった。海を挟んでユーゴに接してるので難民問題なんかあるんだろう。イタリア国内にもアルバニア系住民がいるらしいし。(注・アルバニアの項でも書きましたが、アルバニアがイタリアの植民地だったのを知ったのは、日本に帰ってきてからです) *プリシュティナ-サラエボ(夜行バス)61DM/約3,538円 | ||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
| 2000.6.2-3 |
到着後、いつものように宿探しなんだけど、降りたバスターミナル、隣接してるサラエボ中央駅に観光案内所なんてない。とりあえず勘で、町の中心に向かって歩いた。途中にあった警察に聞いてやっとこ、観光案内所へ。ホテルリストをもらう。ざっと見て、あまり安いところがない。ひとまず、リスト上の一番安いホテルに向かうが、果たして見つからない。二番目に安いホテルは、さっき居たサラエボ中央駅前。32KM。即決定。 サラエボの復旧は進む。でも(だから?)、ついつい壊れた町並みを探してしまう。なんかそんな自分がいやになった、悲しくなった。だから、壊れたオリンピック会場にはいかなかった。 広い道が、かつての社会主義国を感じさせる。山間の本当にきれいな町だと思う。 * Hotel Nota-racun 32KM/約1,856円(1泊/シングル) *サラエボ-モスタル(バス)12KM/約696円 | ||||||||||||||||||||||
| 2000.6.3-4 |
ホテルが高い。50ドル以上する。そこで、あるホテルで民宿を紹介してもらった。40ドイツ・マルク。やはり高い。うまいこと値切ろうと下心を持ちつつ、そこの親爺と話をした。彼は戦争の後、ずっと仕事がなく、奥さんが朝6時から夜10時まで働いてるらしい。素直に40マルク払った。気持ちとしては、娘さんにおいしいものを食べさせてあげてって感じ。お気楽観光旅行者が値切れません。アジアの貧しい地域とはまた違う、お金への切実さがあった。 *Hadzic Sabir宅 40DM/約2,320円(1泊) *モスタル-プロチェ(列車)6.2KM | ||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
| 2000.6.4-6 |
客引きのおばちゃんに連れられて民宿泊。 ここは、魔女の宅急便のモチーフになった街らしい。旧市街も戦争でかなり壊されたらしい。ボスニアでも、ここクロアチアでも、ユーゴ軍に壊されたこと、人がいっぱい殺されたこと(確かに真新しい墓地がいっぱいある)を強調している。でも、あれは戦争で殺し合いで、だからユーゴでもいっぱい壊され、殺されてると思う。なんか、僕が見ているものは片手落ちな気がする。ユーゴにも行けば良かった。今、ベオグラードに行ってもNATOに壊されたものばかりらしい。 *プロチェ-ドブロブニク(バス)43kn/約580円 *Ruzica Brnada宅 25DM/約1,450円(1泊) *ドブロブニク-スプリト(バス)66kn/約891円 | ||||||||||||||||||||||
2000.6.72000.6.6-7
|
でも、そのままバスでシベニクに向かった。シベニクでは客引きが皆無。なんかがっかりして、しばらく街をうろついて、一気にリエカに行くことにする。きっと夜行バスでテンポ良くイタリアに行けることだろう。 リエカには、午後10時に到着。夜行のミラノ行きやフィレンツェ行きがあると踏んだのだけど、無かった。結局、午前5時のトリエステ行きを待って、朝までバスターミナルで過ごした。街をうろうろしてみたけど、やっぱり一度来たことがあるトコはなんかラクチン。駅に行って、一応夜行列車も当たってみた。でも、あるのはザグレブ行きや、ウィーン、ブダペスト行きばかりでイタリア方面には出ていなかった。 *スプリト-シベニク(バス)35kn/約472円 *シベニク-リエカ(バス)134kn/約1,809円 *リエカ-トリエステ(バス)55kn/約742円 | ||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
ページ別 | |||||||||||||||||||||||
この旅で出会った人たちに感謝感謝! Clich here!!
| あなたの感想を聞かせて下さい ご記入、ありがとうございました。 |

ポストペット用アドレス:earth-born@mte.biglobe.ne.jp