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人生の弁証法 ―古い友人たちへのメッセージ―

 「会社が倒産し、敗軍の将となってしまった」「長らくやってきた事業部門が廃止され、業績が無になった」……。そんな友人たちの嘆きを受け止めた福島の檄文。

 「確かに順風の人々には、いまのところ不満をおぼえる事情はない。若い時からの職域がずっと安泰であった人もたくさんいる。しかし一体、その分野だっていつまで存続するものなのだろうか。…問題は、遅かれ早かれその消滅していく事象のなかに身をおきながら、しかしなお人生を有意義たらしめ、他からも当然評価されてしかるべきことは何かということ」「勝者のみが評価されるとすれば、表層は照射されても深部は闇に消え、真相は分らなくなってしまわないか」歴史をひもときながら独自の人生観をつづる。そして檄は、唯一最大の成功を謳歌するアメリカ近代主義へ続く。

「最終目標が不明で、したがってそれに向って前進し続けることが不可能になったとすれば、とりあえずその都度の生を懸命に生きるほかはない。…個人は誰しも、かけがえのない一回限りのそのつどの生を、魂をもって生きる。肝心なことはこの自分の魂が感動し納得することだ」

(2001年3月・北鹿新聞)

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スイスアルプス登攀

長年の夢だったスイスアルプス登攀が、62歳(1996年)のときに実現した。

きっかけは、登山家・加藤滝男氏との出会い。スイス・アイガー北壁の初登攀者である加藤氏が、ガイドをかって出てくれるというのである。景色を見ながらゆっくり登る日本の登山と違い、ヨーロッパの山歩きはとても速い。文字通りスポーツなのである。「体力は大丈夫か」「体を鍛えなければ」。以降、少しばかり緊張の日常生活が始まる。前年夏のことだった。

山登りを始めたのは中年を過ぎてからだったが、本格的トレーニングは初めてだった。水泳は好きだったから、週1回、苦もなくできた。地獄のような腕立て伏せは、何とか40回までできるようになった。そして時間を見つけては近郊の山へ。ゴールデンウイークには穂高にも出かけた。どれも、周りからは年寄りの冷水に見えたに違いない。

そして、6月9日。東京を発ち、いよいよスイスアルプスへ向かう。果たして登攀は成功したのだろうか。

(1996年8月「東京弁護士会期成会誌」)

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弁護士「福島 等」種高岳にて撮影(1995年5月)


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