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科学・技術の現段階と新自由主義テロリストの悲しき心人と自然を愛し、学び合い、助け合う社会を目指す講演・授業 他 競争と格差の社会から、調和の世界へ 新自由主義に打ち勝つ 現代の幸福感を超えて遠くに夢を 勇気の湧くところ 科学から叡智の時代へ 拝金思想と人間の本性 貨幣の功用と影 ノーベル賞経済学は間違っていた 囲碁と老人 若者の意欲減退雑感 これからの正義の土台 日本的自然観の効能 「御陰様」 道徳力喚起の道を探る 可能性に富むグローバリゼーションへの対応 和魂漢才から和魂洋才をふりかえって 諸生命一体感の涵養 日本人とAmbition 社会の自浄力 ―モーツァルト生誕250年に― 自然の叡知 ―愛知博の決断のテーマ― プロフィール書評エッセー新着情報
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New 御挨拶 (科学・技術の現段階と新自由主義)

「大抵は、邪悪がこの世の支配権を握り愚昧が大きな発言権をもっている。人々にとって運命はむごく、享楽や幸福は外部の諸々の源泉が当てにならない。
ただ久しきに耐えられるのは、個人の本来有する豊かな心と確たる精神のみである。」(1851年 ショーペンハウエル)を引用後、今年度テーマ「科学・技術の現段階と新自由主義」について4つを語った。
最後に「ホモ・エコノミクスから、悠久の歴史と文化と知恵をもつホモ・サピエンスの手に世界が取り戻されたとき、科学・技術は人類の発展に真に資するものとなるでしょう。
希望をもって新しいヴィジョンを求め、長い道程を断固として着実に進んで行きたいと考えます。」と結んだ。

(2018年1月16日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」賀詞交歓会 会長挨拶)

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人と自然を愛し、学び合い、助け合う社会を目指す

 一般社団法人くらしのリサーチセンターでは、今年度の研究の基本テーマを、「人と自然を愛し、学び合い、助け合う社会を目指す」とした。その原理についていくつか解説。それらを踏まえて、人類が地球上のすべての生命の生殺与奪の能力を有していること。人間だけが、地球を救い他の生命を保護できる存在であり、その使命の重大さを指摘。
 専門家や知識人、社会の各分野の指導層が未来志向をもって長期の展望を切り開くことが大事であると結んだ。

(2015年5月20日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」代表理事会長挨拶)

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テロリストの悲しき心

 石川啄木の「テロリストの悲しき心」の詩の紹介から、今日での日本では若者が夢を持てない過酷な状態に置かれていることを、ハーバード大学の政治学者の研究による「日本が世界で一番冷たい格差社会である」との指摘や、非正規社員の拡大、収入の不安定、結婚もできず、その日暮らしで将来に何の展望ももてない状況への危惧を解説。
 世界の格差拡大、富裕層・貧困層による世界の二極化、急速失われつつある社会の紐帯を憂う。
 若者の絶望はテロの温床で、「民衆とともに」という希望のあるところにテロの出番はないと、未然に防止するための方策が急務であると結ぶ。

(2015年1月21日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」会長挨拶)

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競争と格差の社会から、調和の世界へ

 古来人間の一生の生活はひたすら反復であり、風習が知恵でしたが、18世紀の産業革命からは、進歩史観が優位となりました。
 進歩史観は、経済が主導の時代に入り、20世紀後半には産業経済の発展が社会の屋台骨とみなしましたが、過剰な経済成長がとどのつまり社会不安増大に至っています。経済成長は豊かさを得るためのものですが、『幸福は、「快楽や富や名誉には存在しない」』とアリストテレスは言いきりました。
 近代市民革命の時代の啓蒙の思想家たちは、『人間が学び、自己を向上させ、創意ある目的達成の共同プロジェクトに参加することが幸福である』と強調されたのです。
 競争と格差の文明から、調和と平和の文明へ舵を切り換えるときにきていると、語りました。

(2014年5月21日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」総会挨拶)

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新自由主義に打ち勝つ

 今日世界は、国際的にも国内的にも分裂拡大の様相を呈しています。どこも共通の社会規範が失われていっているのです。日本でもこの数十年の間に社会の靭帯であるさまざまな共同の基盤が損なわれてきました。家族、地域共同体、企業その他の社会団体などの衰退、変容です。これは世界共通の現象でそれをもたらした最大の要因は、国家の変容です。すなわちグローバリゼーションの時代における国際資本の覇権の下で、国民国家の主権が減縮されてきたことにあります。国民の運命が国民国家ではないその外部の強大な権能に振り回わされるようになりました。

(2014年1月21日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」賀詞交歓会会長挨拶)

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 現代の幸福感を超えて遠くに夢を

 現代社会は、未来や夢はさておき、当面のことの処理で明け暮れていると、福島氏は語り始めた。
 その理由の1つには、現代では眼に見える物質的充実が幸せであるという観念で覆いつくされており、目先のみを課題としていること。
 2つ目には、現代の経済活動においては、物質的成果が無条件で成功と讃えられている。そこには道徳訓などの介入する余地もなく、物質欲の実現が目標であること 。
 3つ目は現代共有されている幸福感を、古今の先哲の見解を引用しながら批判。 
 福島氏は、幸福とは、苦難に満ちた人生に打ち勝って初めてひたれるものではないかと提言。
 その上で、東日本大震災被災地の子どもたちが「1,000年後の命を守る」をスローガンに、津波で破壊された建物を教訓として残すことを町に決断させたという事実を紹介しながら、 日本の未来に希望をもたらしてくれるこれらの子どもたちと共に、社会的役割を自覚した会員たちが、21世紀の倫理の道を 歩み続けられるよう望んだ。

(2013年5月22日 「(一般社団)くらしのリサーチセンター」総会パーティ挨拶

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 勇気の湧くところ

 近年、世界の国々はどこも、目先の満足追求に走る自己中心の無縁社会であると、福島氏はメッセージの口火を切った。
 しかし、日本においては、3.11の東日本大震災を期に、そういう生き方を根本から転換せざるを得なくなった。つまり大乗仏教でいう「空」=「縁起」、互いに助け合う、他に依存して成り立つのだという思想を思い起こし、縁を出来るだけ広げるのがよいのだという。また、人間の憧憬の的である自然・宇宙に向かい合い、大いなる存在に気づくことにより、目前の欲望に拘泥することなく、人はより自由になり、最善を尽くす勇気が湧くのだと続ける。
 さらに、当センターが多くの人々に支えられて存在していることを痛感していると述べ、今後さらに、各方面への関係や縁起をできるだけ広げ、正しい視野を持てるようにしたいものであると結んだ。

(2012年5月23日 「(社)くらしのリサーチセンター」総会パーティ挨拶

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科学から叡智の時代へ

 福島氏は、昨年の東日本大震災を受けて今年を復興の年とした上で、科学・技術の先端を行く日本での今回の原発事故を踏まえて、科学を叡智としてゆく時代であるという4つの根拠を述べた。

  1. 人間社会のあらゆる事象は科学で解明できるとされ、哲学や宗教よりも優位に立つ時期があった。しかし後にではあるが、法律学においては、手法は叡智でよいとなった。
  2. 科学は奥を探れば探るほど不可能な奥が出てくることから、生命活動と相反する核反応は、現代技術では統御できないものであることが分かる。自然への畏敬を取り戻し、人知の限界を自覚した今、日本がその新しい道をどのように開くかが注目されるのは言うまでもない。
  3. 科学とは、客観性、普遍妥当性を持ち、目的のための手段として利用されるべきものであるが、科学を正しく使用するための倫理の確立は容易でない上に功利主義と結びつきやすい。人類が構築した社会は、根底にある秩序、倫理によって存続するべきものであるが、モラルが追いつかないのが現実である。
  4. くらしのリサーチセンターの今後の課題をエネルギー問題とし、政府が推進する「総合エネルギー政策」を長期的視点に立って応援したい、と結んだ。

 なお、くらしのリサーチセンターは法制度の変更により「一般社団法人」へ移行を進めると報告した。

(2012年1月17日 「賀詞交歓会」あいさつ)

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これからの正義の土台

 論語の読者が増えていることに続いて、昨年あたりから正義に関する本が多く出版されているが、「正義」とは個人の日常的な幸福追求などとはレベルを異にする社会全体の根本原理となる概念である、と福嶋氏は説いて、今、正義すなわち社会のあり方を問うべき機運が出てきたと語りかけた。
 古代都市時代に普遍思想が樹立され、近代革命で社会変革のたびに理念が付加されて今日に至ったが、今、日本では目前の利益追求の価値観にあふれ、世界もその傾向にある。長期展望が困難となり、視野が短期的になって利益追求が目先であればあるほど争奪戦は過激になり、正義とはかけ離れていくのは言うまでもない。
 昨年(2010年)、ノ―ベル科学賞を受賞した鈴木、根岸両先生は、その発明について特許権を取得しなかった、言うならば、その対価を求めなかったのである。その高潔な姿を頂門の一針とすれば、「これから正義の話をしよう!」と言い出せる時期ではないか。さらに、昨年末の児童養護施設へのプレゼント連鎖を見れば、人々は隣人愛を保持しており、頼るべき土壌はいまだ健在と言えよう。
 今年こそ、社会の閉塞感に風穴を開ける年となるような活躍を期待するとともに、センター自体も環境や企業の社会的責任問題に引き続き取り組むと福嶋氏は述べた。

(2011年1月7日 「賀詞交歓会」あいさつ)

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若者の意欲減退雑感

 日本人の勤勉さは周知の事実だが、この思想は鎌倉時代の新仏教の経典に説かれている。その思想が「一所懸命」という言葉を生んだ、にもかかわらず、他の仏教国には存在しないという。この勤勉勤労精神が明治時代以来、日本の近代化を促してきた。ところが、最近、若者たちの中に、その精神が薄れてきたのではないかと福嶋氏は危惧する。
 それを裏付ける価値観調査(2005年実施)によると、『人生で成功を決めるのは、勤勉かそれとも幸運かコネか』という質問に、20〜30歳代で44%以上の人がコネだといっているという。これは現代の若者たちが勤勉の成果に期待していないことを意味し、この勤勉に基づかない非合理な生活態度では将来が危ぶまれる。
 「万物は闘争から生まれる」といわれているように、人間も含め、社会はすべて競争があって存在する。そこには優勝劣敗は必然で、そこに生じる不平等が動乱を起こして歴史が繰り返され、近代革命において、自由と平等の理念が掲げられた。このことを踏まえ、これからを担う若者たちに、希望と意欲に燃えた競争に果敢に挑戦し、かつ社会的体制を築いてほしいと望み、そのためには、各界の指導的立場の人々に競争と公平の指導や調整を期待すると福嶋氏は語った。

(2010年5月24日 「総会」あいさつ)

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囲碁と老人

 『王仙会(囲碁の会)創立30周年おめでとうございます』
 遊びが、学問上はじめて明らかになったホイジンガ「ホモ・ルーデンス」(1939)以来、克明な調査によって遊びは人間の本能であり、文化の源であることがわかり、さらにその遊びの精神が科学的にも効能があると解明された。また遊びの重要な要素はルールで、このことは法律の根幹ともなっている。
 年齢を重ねると肉体は衰えるが、その長い経験と共に考え深さ、見識に恵まれてくる。目先の損得を超越し、世界の永遠の相に思いを致すこともできる。いうなれば、静かに悠然と遊ぶ囲碁こそは年をとった者にふさわしく、神の下された最良の遊びと思える。
 王仙会会員と衛星諸兄が、今後も碁に勤しみ、刺激を受けながらもくつろぎ、目に光を宿して長く命の灯をともし続けるように。さらに、この会が長く存続するようにと、福島は祝いの言葉を結んだ。

(2010年4月3日 「王仙会創立30周年」 パーティあいさつ)

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ノーベル賞経済学は間違っていた

 現代の世界経済破綻は、今から100年ほど前、かの夏目漱石が専門知識人の限界を見抜いたように、歴代ノーベル賞受賞経済学者たちが世の中をよく知らなかったがゆえであり、経済論理の論議の中では人間社会の助け合いの風習や世間の評価を重視する生活態度も考慮されなかったのである。とはいえ、精密かつ明晰な体系を持つ科学である経済学は約半世紀もの間、経済界をリードし、他の学問や法律学や哲学にいたるまで影響を及ぼした。しかし、科学はあくまでも人間にとっての手段に過ぎず、有徳でないものは去るという論理から、今回の金融崩壊は人々にとってありがたい「論より証拠」になった。
 アメリカ・オバマ大統領のマニフェストにある教育における芸術重視が、ウオール街の論理増長の反省をする文芸復興の兆しであってほしい、と望むと同時に、人倫の風土にある日本社会の中に歩む“くらしのリサーチセンター”を今年もよろしくお願いしたいと、福島は語った。

(2010年1月14日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ)

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貨幣の功用と影

 社会主義は終焉を見たが資本主義はなくなってはいない。その証拠に私有財産や貨幣経済、資本はなくなってはおらず、金融資本もなくすことはできないと思われる。
 人間が他との交流や物的・精神的交換によって存在しているのなら、言語同様、貨幣という媒介形式は必要である。しかし、問題なのはその貨幣が現代社会において他の媒介形式と共に全生活を覆い尽し、さらに貨幣への狂奔が人間の人格を喪失させることにある。
 それは貨幣自体が悪いのではなく、その用い方が悪を生むのである。資本の暴走を許した結果、諸個人の貧困を招き社会の靱帯に大ダメージを与えた今、その使用方法を変えることは必須である。かつて、修正資本主義、社会民主主義が提唱されていたことを思い出したい。と福島は語った。

(2009年5月25日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会あいさつ)

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拝金思想と人間の本性

 金銭欲は誰にでもあるとはいえ、金儲けが自己の目的となっている拝金主義が人間の本性だと言ってしまっていいものだろうか。
 金融発展のために作り上げられた金融工学という完璧と思われたテクノジーも、後に自滅したことを見れば、限られた範囲での原理追求であるテクノジーにも限界があることを知っておかなければならない。つまり、人間は合理的思考力だけで成り立っているのではなく、そこに常識や感性といったものが兼ね備わっている。そこが人間としての希望の拠りどころである。
 我々日本人の倫理意識が非常に高いところにあることは歴史からみてもわかるとおりであり、勢力や権力がどんなに絶大でも社会がそれを打ち負かしてきたという事実を日本では教訓として民衆道徳という形で根づかせている。
 日本は、高い技術や資本力に加え、こうした倫理的精神が広まって社会的な力となるとき世界の指導的な立場になれるであろう。と福島は語っている。

(2009年1月13日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ)

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「御陰様」

 日本人の「もったいない」「お陰様」という日常使われていた言葉の源を「縄文共同体の自分たちをとりまく世界に対する見事な作法」(遺跡貝塚)の中に福島は見出す。
 現代産業社会での人間個体の幸福追求が最も重要な権利とされ、欲望実現に向かって暴発していることを戒め、人間は本来、「万物に連なっておりそのお陰で存在している」という根底の意識を覚醒、助長されれば正しい道を歩めると紹介する。
 「財団法人 くらしのリサーチセンター」は、国全体の精神構造が危機水域にあるなかで、それぞれの持ち場で公共の福祉増進のためにたたかい、公共の福祉確立を求め、ともに活動していくと話す。

(2008年6月12日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会あいさつ)

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諸生命一体感の涵養

 人類皆兄弟というのは、理念や社会的な位置づけにとどまらない、生物学的な事実であり、科学的に解明された事実であることを紹介。
  それは、私たちが、生態系の一員であり、また社会の一員であることによって存続しているというのが、本当の姿であり、高い道徳性はこの立脚点から生れるものであると説く。
  『財団法人 くらしのリサーチセンター』は、行政、企業、生活者の相互理解を深めることによって社会の発展に寄与することを目的として平成元年7月に設立。以来161回に及ぶ、くらしと産業に関するシンポジューム、講演会をはじめ、海外調査を含む調査研究、出版事業等を展開。
  20周年を迎える2008年は、「生活者:消費者の信頼獲得をめざす企業活動の推進」をメインテーマとして掲げたいと語る。

(2008年1月29日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ)

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可能性に富むグローバリゼーションへの対応

 地球はボーダレスとなり、フラット化し、世界史はグローバリゼーションの段階に突入した。グローバリゼーションは、社会設計もなく野放図な展開だが、効能と可能性に富んでいる。ただし、金融資本による富と産業の略奪、格差拡大と固定化などを防がなければ、社会は荒廃し、動乱の時代を迎えることになる。福島は、自由と規制に関する法律の普遍的規準から、自由の権利の中でも、最高度に尊重されるべきもの、それは言論の自由などの精神活動だと語る。しかしそのように本来完全に自由な行動でも、それが社会に対して「明白かつ重大な危険」を及ぼすときには、待ったなしの手段でこれを取り除くという原則を紹介し、「発展の芽は自由な領域からのみ出てくる。そのためにも自由の舞台は、障害を取り除いて整えられていなければならない」と語った。

(2007年5月28日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会パーティあいさつ)

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道徳力喚起の道を探る

 自己愛を超える正義、善、慈悲、愛という理念を生み出してきた宗教・哲学は、今や、宗教の力は小さく、哲学の領域は諸科学にとって代わってきた。物質生活の知識が増大し、より良く生きる全体的知恵は低下し続けている。近代に入って、本来手段であった科学が万能となり、人間の自然支配力も拡大している。

 人類が生き残るために必要であったタブーや掟が揺らぎつつある今、社会の道徳力を喚起するためには、環境問題へのとりくみが不可欠であり、その蓄積のうえで新しい道標が逐次見えてくると福島は語る。

(2007年1月22日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ)

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日本的自然観の効能

 (西洋型)合理主義は自然を支配の対象とみなし、その収奪はとどまるところをしらない。福島は、1922年に訪日したアインシュタイン博士が、「日本人が生活における芸術的姿、謙虚さ、精神の純粋さ、穏やかさという世界に優れた資質をもっている」ことに驚いたことを引きながら、日本人は自然と解け合って暮らしてきたこと、加えて現代最先端の科学技術を有していること−つまり私たち日本人が、「心根においても、力量においても、地球を守るために世界で指導的役割を果たすべき地位におかれている」と語り、「自然が消滅し尽くす前に、お互いに競い合って一層の奮闘を」と呼びかけた。

(2006年5月26日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会パーティあいさつ)

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社会の自浄力 ―モーツァルト生誕250年に―

 モーツァルトが残した音楽の素晴らしさを、私たちはあらためて認識している。モーツァルトのような天才だけでなく、およそ人間というものは、ただ生きるだけでは満足できず、自己の業績や足跡を長く残したい、と願い、行動してきたはずだ。

 しかし、どうだろう。現代人は、目前の消費生活に没頭し、次々とつくり出される欲望を追い求めている。金ですべてをまかない、忙しく物を消費するだけで、後の世代に何も残さない。「負け組」はこの欲望が満たされないまま世界から疎外されているが、「勝ち組」もまた、動物的欲望は充たしているけれども、世界を失っているということにおいては変わりはない。

 モーツァルト生誕250周年に当たる2006年。福島は、激しくなるばかりの消費“文化”への警鐘と、正論が通りづらい時代背景、そして社会の根底にある自浄力への期待を語る。

(2006年2月6日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交歓会あいさつ)

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自然の叡知 ―愛知博の決断のテーマ―

 2005年の「愛・地球博」開催中に開かれた、「社団法人 くらしのリサーチセンター」の総会でのあいさつ。「自然も人間同等の叡知があるとみなすことは、自然を最高度に尊重するという姿勢をとることに他なりません。この決断は素晴らしい」と、博覧会テーマである「自然」と「叡智」の意味するところを、ヨーロッパ・ルネサンスや古代中国「易経」から説き起こして、今日の課題「人間と自然の共生」につないだ後、福島らしい以下のような一文で締めくくる。

 「法律学の叡知には『疑わしきは被告人の利益に』という原則があります。自然の叡知という理念が掲げられたいま、環境問題においては『疑わしきはあるがままの自然の利益に』という原則に立つべきではなかろうか−」

(2005年5月 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会あいさつ)

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和魂漢才から和魂洋才をふりかえって

 平安初期、日本人のアイデンティティーが自覚されるようになったとき、菅原道真は「和魂漢才」という言葉を残した。以来、明治維新まで1000年以上もの間、日本にとって中国が唯一の先進国だった。「漢才」は単なる先進の知識にとどまらず、場所を超え時代を超えた普遍性があった。

 明治維新もまた儒教道徳を学んだ志士たちによって遂行されたが、森鴎外らは「和魂漢才」のアナロジーとして「和魂洋才」を提唱した。この「洋才」によって日本は近代化をなし遂げ、先進国になったが、昨今の日中関係はどうか。中国の第一級の青年たちは、日本ではなく欧米を目指し、そして両国の政治の間には靖国問題が横たわる。福島は言う。「伝統と宗教は大事なものですが、それらが権力を伴わず、開かれたシステムであることが先進国の流儀」

 津本陽の小説『不況もまた良し』を引き、田中里子地婦連事務局長(現・当センター理事)は厳しい注文をし、松下幸之助はそれを受け入れた、その度量が結局良い結果を生んだことを紹介。「このような女魂女才に学んでいけば立派な先進国になれそうな気がします」と結んだ。

(2005年1月 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ)

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日本人とAmbition

 新幹線の車体に大きく書かれた「AMBITIOUS JAPAN」から展開した「Boy’s be ambitious.」論。

 「よい結果を出す」ために肝心なことはambitiousであると、自身が教えられてきたこと、ヨハン・セバスチャン・バッハが楽譜の最後に「S・D・G(Soli Deo Gloria.)神の栄光」と記して、すべての作曲に全霊をこめていること、新渡戸稲造が100年以上前にアメリカで「BUSHIDO,The Soul of Japan」の書物を著したことなどambitiousの意味について触れながら、武士道が普遍的理念となることは難しい現代、「日本人は理想や構想力の大きさによってではなく、素朴な勤勉によって意外に大事な事業を行っているということがあるように思えます」と語った。

(2004年1月 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交歓会あいさつ)

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