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「大抵は、邪悪がこの世の支配権を握り愚昧が大きな発言権をもっている。人々にとって運命はむごく、享楽や幸福は外部の諸々の源泉が当てにならない。 (2018年1月16日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」賀詞交歓会 会長挨拶) 一般社団法人くらしのリサーチセンターでは、今年度の研究の基本テーマを、「人と自然を愛し、学び合い、助け合う社会を目指す」とした。その原理についていくつか解説。それらを踏まえて、人類が地球上のすべての生命の生殺与奪の能力を有していること。人間だけが、地球を救い他の生命を保護できる存在であり、その使命の重大さを指摘。 (2015年5月20日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」代表理事会長挨拶) 石川啄木の「テロリストの悲しき心」の詩の紹介から、今日での日本では若者が夢を持てない過酷な状態に置かれていることを、ハーバード大学の政治学者の研究による「日本が世界で一番冷たい格差社会である」との指摘や、非正規社員の拡大、収入の不安定、結婚もできず、その日暮らしで将来に何の展望ももてない状況への危惧を解説。 (2015年1月21日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」会長挨拶) 古来人間の一生の生活はひたすら反復であり、風習が知恵でしたが、18世紀の産業革命からは、進歩史観が優位となりました。 (2014年5月21日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」総会挨拶) 今日世界は、国際的にも国内的にも分裂拡大の様相を呈しています。どこも共通の社会規範が失われていっているのです。日本でもこの数十年の間に社会の靭帯であるさまざまな共同の基盤が損なわれてきました。家族、地域共同体、企業その他の社会団体などの衰退、変容です。これは世界共通の現象でそれをもたらした最大の要因は、国家の変容です。すなわちグローバリゼーションの時代における国際資本の覇権の下で、国民国家の主権が減縮されてきたことにあります。国民の運命が国民国家ではないその外部の強大な権能に振り回わされるようになりました。 (2014年1月21日 「一般社団法人くらしのリサーチセンター」賀詞交歓会会長挨拶) 現代社会は、未来や夢はさておき、当面のことの処理で明け暮れていると、福島氏は語り始めた。 (2013年5月22日 「(一般社団)くらしのリサーチセンター」総会パーティ挨拶 近年、世界の国々はどこも、目先の満足追求に走る自己中心の無縁社会であると、福島氏はメッセージの口火を切った。 (2012年5月23日 「(社)くらしのリサーチセンター」総会パーティ挨拶 福島氏は、昨年の東日本大震災を受けて今年を復興の年とした上で、科学・技術の先端を行く日本での今回の原発事故を踏まえて、科学を叡智としてゆく時代であるという4つの根拠を述べた。
なお、くらしのリサーチセンターは法制度の変更により「一般社団法人」へ移行を進めると報告した。 (2012年1月17日 「賀詞交歓会」あいさつ) 論語の読者が増えていることに続いて、昨年あたりから正義に関する本が多く出版されているが、「正義」とは個人の日常的な幸福追求などとはレベルを異にする社会全体の根本原理となる概念である、と福嶋氏は説いて、今、正義すなわち社会のあり方を問うべき機運が出てきたと語りかけた。 (2011年1月7日 「賀詞交歓会」あいさつ) 日本人の勤勉さは周知の事実だが、この思想は鎌倉時代の新仏教の経典に説かれている。その思想が「一所懸命」という言葉を生んだ、にもかかわらず、他の仏教国には存在しないという。この勤勉勤労精神が明治時代以来、日本の近代化を促してきた。ところが、最近、若者たちの中に、その精神が薄れてきたのではないかと福嶋氏は危惧する。 (2010年5月24日 「総会」あいさつ) 『王仙会(囲碁の会)創立30周年おめでとうございます』 (2010年4月3日 「王仙会創立30周年」 パーティあいさつ) 現代の世界経済破綻は、今から100年ほど前、かの夏目漱石が専門知識人の限界を見抜いたように、歴代ノーベル賞受賞経済学者たちが世の中をよく知らなかったがゆえであり、経済論理の論議の中では人間社会の助け合いの風習や世間の評価を重視する生活態度も考慮されなかったのである。とはいえ、精密かつ明晰な体系を持つ科学である経済学は約半世紀もの間、経済界をリードし、他の学問や法律学や哲学にいたるまで影響を及ぼした。しかし、科学はあくまでも人間にとっての手段に過ぎず、有徳でないものは去るという論理から、今回の金融崩壊は人々にとってありがたい「論より証拠」になった。 (2010年1月14日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ) 社会主義は終焉を見たが資本主義はなくなってはいない。その証拠に私有財産や貨幣経済、資本はなくなってはおらず、金融資本もなくすことはできないと思われる。 (2009年5月25日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会あいさつ) 金銭欲は誰にでもあるとはいえ、金儲けが自己の目的となっている拝金主義が人間の本性だと言ってしまっていいものだろうか。 (2009年1月13日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ) 日本人の「もったいない」「お陰様」という日常使われていた言葉の源を「縄文共同体の自分たちをとりまく世界に対する見事な作法」(遺跡貝塚)の中に福島は見出す。 (2008年6月12日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会あいさつ) 人類皆兄弟というのは、理念や社会的な位置づけにとどまらない、生物学的な事実であり、科学的に解明された事実であることを紹介。 地球はボーダレスとなり、フラット化し、世界史はグローバリゼーションの段階に突入した。グローバリゼーションは、社会設計もなく野放図な展開だが、効能と可能性に富んでいる。ただし、金融資本による富と産業の略奪、格差拡大と固定化などを防がなければ、社会は荒廃し、動乱の時代を迎えることになる。福島は、自由と規制に関する法律の普遍的規準から、自由の権利の中でも、最高度に尊重されるべきもの、それは言論の自由などの精神活動だと語る。しかしそのように本来完全に自由な行動でも、それが社会に対して「明白かつ重大な危険」を及ぼすときには、待ったなしの手段でこれを取り除くという原則を紹介し、「発展の芽は自由な領域からのみ出てくる。そのためにも自由の舞台は、障害を取り除いて整えられていなければならない」と語った。 (2007年5月28日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会パーティあいさつ) 自己愛を超える正義、善、慈悲、愛という理念を生み出してきた宗教・哲学は、今や、宗教の力は小さく、哲学の領域は諸科学にとって代わってきた。物質生活の知識が増大し、より良く生きる全体的知恵は低下し続けている。近代に入って、本来手段であった科学が万能となり、人間の自然支配力も拡大している。 人類が生き残るために必要であったタブーや掟が揺らぎつつある今、社会の道徳力を喚起するためには、環境問題へのとりくみが不可欠であり、その蓄積のうえで新しい道標が逐次見えてくると福島は語る。 (西洋型)合理主義は自然を支配の対象とみなし、その収奪はとどまるところをしらない。福島は、1922年に訪日したアインシュタイン博士が、「日本人が生活における芸術的姿、謙虚さ、精神の純粋さ、穏やかさという世界に優れた資質をもっている」ことに驚いたことを引きながら、日本人は自然と解け合って暮らしてきたこと、加えて現代最先端の科学技術を有していること−つまり私たち日本人が、「心根においても、力量においても、地球を守るために世界で指導的役割を果たすべき地位におかれている」と語り、「自然が消滅し尽くす前に、お互いに競い合って一層の奮闘を」と呼びかけた。 モーツァルトが残した音楽の素晴らしさを、私たちはあらためて認識している。モーツァルトのような天才だけでなく、およそ人間というものは、ただ生きるだけでは満足できず、自己の業績や足跡を長く残したい、と願い、行動してきたはずだ。 しかし、どうだろう。現代人は、目前の消費生活に没頭し、次々とつくり出される欲望を追い求めている。金ですべてをまかない、忙しく物を消費するだけで、後の世代に何も残さない。「負け組」はこの欲望が満たされないまま世界から疎外されているが、「勝ち組」もまた、動物的欲望は充たしているけれども、世界を失っているということにおいては変わりはない。 モーツァルト生誕250周年に当たる2006年。福島は、激しくなるばかりの消費“文化”への警鐘と、正論が通りづらい時代背景、そして社会の根底にある自浄力への期待を語る。 (2006年2月6日 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交歓会あいさつ) 2005年の「愛・地球博」開催中に開かれた、「社団法人 くらしのリサーチセンター」の総会でのあいさつ。「自然も人間同等の叡知があるとみなすことは、自然を最高度に尊重するという姿勢をとることに他なりません。この決断は素晴らしい」と、博覧会テーマである「自然」と「叡智」の意味するところを、ヨーロッパ・ルネサンスや古代中国「易経」から説き起こして、今日の課題「人間と自然の共生」につないだ後、福島らしい以下のような一文で締めくくる。 「法律学の叡知には『疑わしきは被告人の利益に』という原則があります。自然の叡知という理念が掲げられたいま、環境問題においては『疑わしきはあるがままの自然の利益に』という原則に立つべきではなかろうか−」 (2005年5月 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 総会あいさつ) 平安初期、日本人のアイデンティティーが自覚されるようになったとき、菅原道真は「和魂漢才」という言葉を残した。以来、明治維新まで1000年以上もの間、日本にとって中国が唯一の先進国だった。「漢才」は単なる先進の知識にとどまらず、場所を超え時代を超えた普遍性があった。 明治維新もまた儒教道徳を学んだ志士たちによって遂行されたが、森鴎外らは「和魂漢才」のアナロジーとして「和魂洋才」を提唱した。この「洋才」によって日本は近代化をなし遂げ、先進国になったが、昨今の日中関係はどうか。中国の第一級の青年たちは、日本ではなく欧米を目指し、そして両国の政治の間には靖国問題が横たわる。福島は言う。「伝統と宗教は大事なものですが、それらが権力を伴わず、開かれたシステムであることが先進国の流儀」 津本陽の小説『不況もまた良し』を引き、田中里子地婦連事務局長(現・当センター理事)は厳しい注文をし、松下幸之助はそれを受け入れた、その度量が結局良い結果を生んだことを紹介。「このような女魂女才に学んでいけば立派な先進国になれそうな気がします」と結んだ。 (2005年1月 「社団法人 くらしのリサーチセンター」 賀詞交換会あいさつ) 新幹線の車体に大きく書かれた「AMBITIOUS JAPAN」から展開した「Boy’s be ambitious.」論。 「よい結果を出す」ために肝心なことはambitiousであると、自身が教えられてきたこと、ヨハン・セバスチャン・バッハが楽譜の最後に「S・D・G(Soli Deo Gloria.)神の栄光」と記して、すべての作曲に全霊をこめていること、新渡戸稲造が100年以上前にアメリカで「BUSHIDO,The Soul of Japan」の書物を著したことなどambitiousの意味について触れながら、武士道が普遍的理念となることは難しい現代、「日本人は理想や構想力の大きさによってではなく、素朴な勤勉によって意外に大事な事業を行っているということがあるように思えます」と語った。 |
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