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目的なき人生は幻想である

フランスの南東部ドローム県にある小さな村“Hauterives”
ここで33年という年月を費やし、フェルディナン・シュヴァル氏は、夢の宮殿造りに没頭する。彼は、建築についての知識は全くありませんでした。また石工の仕事についていたわけでもありません。まだ、車も自転車もない時代。起状の多い、ぶどう畑や牧草地の田舎道を毎日歩き続ける空想癖の強い郵便配達夫だったのです。

ある日、シュヴァル氏は配達の途中で石につまずき転びそうになる。このあと、土に埋もれていたその石を掘り出してみて、石の不思議な形に魅せられてしまうのでした。その

『つまずきの石』の神話から〜

当時私は、40歳という人生の大きな節目を3年過ぎていた。これは、バカげた企てをはじめたり、空中楼閣を築く年齢ではない。
ところで、私の夢想が少しずつ忘却の霧の中に沈みはじめていたとき、突然、ある出来事がそれを蘇らせた。私の足が石につまずいて、ころびそうになったのだ。私は、その石を間近で見ようと思った。それが、余りにも奇妙な形をしていたので、拾って持って帰った。翌日、同じ場所へ戻ったら、もっと素晴らしい石がいくつも見つかった。その場で集めてみて、みごとに思えたので、私は夢中になってしまった。「自然が彫刻を恵んでくれるのだから、私は、建築家と石工になろう《それに誰だって、いくらかは石工ではないだろうか?》」と、思ったのはその時のことである。私は、道を歩き続けながら、不可能という言葉は存在しない!っと言ったナポレオン1世のことを考えていた。

 

オートリーヴの周辺は太古は海底で、地層が古く、奇岩怪石に富む地域ということですが、シュヴァル氏はこの時から、実に27年間、石探し、し続けたのです。仕事を終えると、手押し車を押し、時には5〜6キロも歩いて、昼間目星をつけておいた石をとりに行った。やがて彼は、その集めた石を使って、長い間、夢に描き続けていた宮殿を建てることを決意するのです。

私の意志は、この岩と同じくらい強かった。

   〜宮殿の内部の壁面に刻まれた銘文より〜

この岩を造ることによって、私は意志がなにをなしうるかを示そうと思った。

 

 


1836年


オートリーブの南。ロマンとオートリーブのほぼ中間に位置する小さな村“シャルム”で生まれる。
父はシュヴァルの母となる女性とは再婚である。死別した前妻との間にシュヴァルの3歳年上の兄がいた。

Ferdinand Cheval

1847年 母ローズ・シベール死去。
1849年 父、2人の子連れの寡婦と3度目の結婚。
1855年 父死去。継母はその1ヶ月後に、別の男と結婚して他の町へ移る。シュヴァル、異母兄ヴィクトルと自作農であった父の土地を相続するが、農業を続ける意志はなかった。
1856年 8年間、ヴァランスでパン屋の従弟として働く。
1858年

オートリーヴの旅籠屋の娘で5歳年下のオザリー・ルヴォルと結婚。すぐに、父の土地を売って、オートリーヴに移る。しかし、定住はせず、リヨンやその近くで、パン職人として働いていた。

1860年 妻は彼の居場が不明と申告。その後、数年間は、彼の痕跡はどこにも見出せない。
シュヴァルについての最初の評伝“郵便配達シュヴァルの秘密”【1977】の著者M・フリードマンは『家庭から逃げ出したのだ』といい、“郵便配達シュヴァルの理想宮”【1981】の著者の一人クロード・プレヴォーは、『貧困がこのような出稼ぎを強いたのであって、家庭不和などではない』と主張。一方、“郵便配達シュヴァル、オートリーヴの歩行者”【1988】の著者クロード・ボンコンパンは、彼の知人から聞いたとして『彼の孤独癖、実際的能力の全くの欠如』を云々している。
また、この時期に、アルジェリアへと放浪したという伝説も残っているらしい。
1864年 長男の誕生を機にシュヴァル、オートリーヴに戻る。
1865年 長男死去。翌年、次男シリル誕生。
1867年 郵便配達の増員が決定、応募が行われる。
オートリーヴの郵便局は、妻の親戚の家にもうけられていて、その方面の推薦が功を奏したのでしょう、8月1日付で、めでたく、オートリーヴから15キロ西に離れたアネイロンの郵便配達員に任命された。そのため、1869年までの2年間は、アネイロンーロマンーイゼール川の対岸の町プール・ド・ペアジュと配属、各地を転々とする。
1873年 妻、ロザリー死去。
シュヴァルは仕事で終日家をあけていたので、7歳の息子を育てることができないと判断、オートリーヴから、西へ16キロ離れたサン・テュズに住む、ロザリーの妹夫婦にあずけることにする。
1876年 ローヌ河左岸の町サン・ラベール・ダルボンに転勤になる。
1878年 6月1日付で、ようやくオートリーヴに帰ってくる。それから死ぬまで、この村を離れることは二度となかった。

9月 仕立屋の夫と死別した子供のない寡婦マリ・フィロメーヌ・リショーと再婚。
シュヴァルは再婚しなければ、宮殿を建てることはできなかったでしょう。彼が翌年、1月23日。のちの宮殿の敷地を買入れたのは、妻の持参金のおかげだったからです。

1879年 シュヴァル、石につまずく。
10月11日 フィロメーヌとのあいだに女の子アリスが生まれる。
これまで、妻子に余り情をかけなかったかに見えたシュヴァルでしたが、この娘を溺愛する。フリードマンなどは、宮殿はこの娘のために建てたといっているほどです。
1891年 前妻との間の息子シリルが仕立屋として生計をたてていたサン・テュズで結婚。翌年には最初の、翌々年には2番目の孫娘が生まれる。
1894年 最愛の娘アリス《15歳》を脳膜炎で失う。
1895年 息子シリル一家、オートリーヴに移り、シヴァル一家と隣合って住む。
1896年 4月19日付で退職。勤続29年だった。
1899年 宮殿の建設から20年後。東の正面が完成する。
1905年 20世紀に入り理想宮は地方新聞や雑誌にちょこちょこと紹介され出すが、4ページにわたり写真入りで宮殿を紹介したパリの著名な日刊紙「ル・マタン」の「一郵便配達の宮殿」と題され「ドーム県の奇妙な建物」という副題を持ったこの記事が、シュヴァルの名を有名にした。
1912年 息子のシリル48歳、結核のため死去。

1914年 2番目の妻、フィロメーヌ死去。
以後、彼は2人の孫娘たちのいるシリルの未亡人の家に行って暮らす。
シュヴァルは、自分だけではなく、妻の遺体も理想宮に埋葬させるつもりでしたが、この計画は、教会と村当局の反対で中止せざるを得なかった。以後8年、残りの余生のほとんどを費やして、村から1キロ離れた村営墓地に一家のための墓を建設する。《右画像》
1924年 春。シュヴァルは古い掛け時計の振り子を直すため、よじのぼっていた椅子からころげ落ちた。この時、彼は生まれてはじめて医者の診断を受けたそうです。
  8月19日午前9時、ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァルはオートリーヴにてその魂を神のみもとに返した。享年88歳。彼の遺骸は、彼自身が作った墓に埋葬された。
 

参考文献 

  「郵便配達夫シュヴァルの理想宮」著者:岡谷公二 

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