社会・家族・子どもの現在


 教育の目標は社会や時代の要求によって変化する。学校を考える場合、どうしても社会や時代について考える必要がでてくる。そこで、学校を取りまく環境としての現代の社会と家族(親)について考えてみよう。しかし、現代の社会や家族についてまとめるといっても、それは膨大な量の仕事になるだろうし、視点によって様々な見方、時には正反対の見方もできる。またそれが、現代の社会を象徴しているとも言える。
 ここでは、最近書かれたもので、教育というフィールドからは遠い人の考え方をもとにして概観を浮かび上がらせてみよう。そういう人を選んだのは、教育評論家や教育に詳しいジャーナリストの書いたものは了見が狭く、全体を見渡していないものが多いからである。

第1節 戦後の社会

1.戦後民主主義

戦後民主主義の理想
 戦後の日本は、戦前の絶対的・封建的な(ように思われる)価値観を全て否定し、自由で平等な戦後民主主義を目指して再出発をした。
 戦後民主主義の基本理念である自由と平等は、『日本国憲法』の中で、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」(第12条)、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(第14条)と保障されている。こうした戦後民主主義の理想は、高度経済成長に支えられ実現していくかに見えた。しかし、経済の成長に陰りが見えてくると、理想と現実の矛盾やズレが露出してきた。
平等神話
 第14条を素直に読めば、法の下の平等は、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」について保障されているのである。ところが実態は、小浜逸郎が指摘するように「個体の自然的差異までも存在としてあってはならないかのような観念的錯覚」1 まで生み出した。自然的な差異と考えられるものまでも平等であるべきだと考えるようになった。その根底には、諏訪哲二(1990)が指摘するように「『自分だけは損したくない』『誰かが自分よりえらいなんて認めたくない』『誰かが自分より得するなんて耐えられない』というように、すべての『差』を否定する大衆の居直り論理」2 があるのだろう。
 平等が唯一至上の価値観となり、なんでもかんでも平等であるべきだと考えることが民主的であるとされた。戦前はたしかに支配者によって意図的に作られた差異が存在した。しかし、戦後はそれらだけでなく、一人一人違って当然な自然的な差異までが平等であるべきだと考えられた。そして、平等観は理念としてでなく、具体的な損得感情として表れるようになると、平等化の勢いは加速度がつく。平等であるべきものが平等な状態に戻るのはいいことであるが、本来差のあるものが平等であるべきだと考えると、その差を埋めるために本来なら無用な努力がなされる。しかし、そこには当然無理があり、劣等感コンプレックスや僻みが生じるという悲惨な結末を迎えることが多い。
わがままな自由
 自由についても同じことが言えるだろう。第12条の前半だけを自分の都合のよいように解釈してしまい、後半の「これを濫用してはならない」「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」の部分はすっぽり抜け落ちているのである。歯止めのなくなった自由は、自由というよりも<わがまま>と言えるだろう。自分の自由を保障するためには他人の自由は蹂躪しても仕方がない。自分の自由を妨げるものは封建的、権威的であるとして排除する。個人主義の確立した西洋の自由の理念が、個人主義の全く未成立な日本に入ってくれば、それは利己主義になってしまうのである。
ゴールのなき競争
 人間というのは不思議なもので、平等を求めながら平等な状態に近づくと、今度は差をつけたくなってくる。戦前は封建的な考え方から<分>というものがあったが、戦後はそれがなくなって<分>を越えて自由に発展していくことが許されている。
 みんなが平等に同じスタートラインに立って、自由に競争できるのならば問題はないが、現実には自然的な差異や経済的にも貧富の差が存在する。一部の例外を除いて勝負の大勢はスタートの時点で決しているのである。にもかかわらず平等幻想を抱いて競争しようとすれば、その競争は過剰なものにならざるをえない。しかも、<自由に競争できる>といいながら、平等であらねばならないと考えれば、<競争しない自由>は選択しにくい状況が強い。
戦後民主主義の廃墟
 このように、自由と平等の戦後民主主義の理念を振りかざして、理性ではなくヒステリックな感情や利己的な欲望によって、個々の問題を細かく吟味せずに、戦前の絶対的・封建的な(ように思われる)価値観を一律に徹底的に否定してきた。否定さえすれば自由で平等な素晴らしい世界が自然と実現すると信じていた。その結果、価値観は限りなく相対化され絶対的なものは殆どなくなった。気がつくと国民共通の価値観、日本人として依って立つところの基盤さえも失っていたのである。
 そして、戦前には考えもしなかった新たな社会問題や個人の問題が多く発生した。しかもそれを解決する方法は見出せず、希望よりは不安の強い未知の世界へ素手で走り続けなければならないのが現在の日本社会である。

2.消費社会

農村から都市へ、生産から消費へ
 戦後の日本は、現在の東南アジアの開発途上国同様、農業を犠牲にした工業化を図った。収入を失った農民は職を求めて都会へ移住してきた。生産の場が農村から都市へ移った。
 日本は工業化に成功し、世界でも類を見ない高度経済成長を遂げた。しかし、1973年のオイル・ショックによって高度経済成長は翳りを見せる。企業は市場を海外から国内、家庭や個人の生活に求めるようになっていく。こうして、生産社会から消費社会へと変貌していく。
農耕的生活リズム
 農村型社会から都市型社会へ、生産社会から消費社会へ移行する中で、生活意識から失われていったものとは何か。小浜逸郎はそれを「農耕的生活リズム」と呼び、「法則的な変化を通じて対象と恒常的に交渉し合うということがその特徴となっている。(中略)未来の成功のために現在の欲望やエネルギーの暴発をできるだけ抑制し、窮乏に耐えるといった倫理的な意識様式を作り上げるのに大きく与する。『いつかきっと』『みんなじ力を合わせて』という2つの見えないスローガンが、永い間私たちの社会の精神的気風をかたちづくるタテ軸とヨコ軸であった」3 と説明している。「農耕的生活リズム」とは、人間の意の儘にならない自然の法則に身を委ねながら、収穫という未来の成功のために、現在の欲望をできるだけ抑制することによって、窮乏に耐えるという倫理意識を作り上げることである。そこには「いつかきっと」「みんなで力を合わせて」という2つのスローガンがあって、精神的気風のタテ軸とヨコ軸を形成していた。
地域社会の崩壊
 消費社会になると、欲しいものは「みんなで力を合わせて」作り出さなくてもまわりに溢れ、「いつかきっと」と我慢しなくても何でもいつでもお金さえ出せば手に入るようになった。経済的に貧しい者がより集まって、みんなで力を合わせて、豊かな生活を手に入れようとする意識が薄れていき、その意識によって成立していた生活共同体としての地域社会も失われていった。
管理される欲望
 しかし、よく見てみると、芹沢俊介が指摘するように「私たちの欲望はいちはやく資本のシステムによって物の形に変えられてしまう。欲望する以前にすでに欲望は過剰な物の形で外化」4 されてしまっている。欲望すら管理されているのである。欲望が管理されている以上、社会は表面上いかにも多様化しているように見えながら、その根底にあるものは極めて均質化していることは明らかであろう。
人間性の解体
 また、山崎哲(1989)は、消費化とは「人間をいったん個々に解体し、貨幣と資本によってそれらを再構成する」5 であり、そこでは「私たちのエロス的な領域、つまり男であったり女であったりすることは排除され解体される。もちろん、子どもであることも解体される。つまり生の『実存的』な営みの領域は排除され、私たちはただ社会的な役割として生きることだけが要請される」5 と書いている。消費社会では、「みんなで力を合わせる」必要がなく、生身の他人と直接かかわることもなくなる。人間的なものがすべて剥奪され、人間はただ社会のシステムの中で一つの歯車の役割を担うだけの存在になる。
 人間は自然の法則の制約に耐える必要がなくなれば、自由で人間らしい生き方ができると思っていたが、気がつくと資本社会のシステム化によって欲望まで管理され、今まで以上に自由は制約され、人間性まで解体されていたのである。
 
3.情報化社会

欲望を操る情報
 戦後民主主義と消費社会を加速度的に発展させたのが高度に発達した情報化社会である。高度情報化社会の特質は、その場に居ながらにして世界中の情報を手に入れられることである。人間は自分の欲しいものは何でも情報という形で手に入れることができるようになる。それが極めて高度になると、逆に情報が人間の欲望をコントロールするようになる。自分では欲しくもないのに、情報に接すると欲しくなるような、欲しなければならないような錯覚に陥るのである。
現実を作り上げる情報
 さらに、小浜逸郎が「現にある社会を超えて存在するあり得べき社会像に向かわず、むしろこの社会の先端的なイメージに向かう」6 と指摘するように、情報化社会は現実を伝えるだけでなく、現実を作り上げるようになる。情報によるイメージが先行して現実が後からついていく。やがて現実がついていけなると、イメージだけが肥大し実際に存在しないものが存在するかのような錯覚に陥る。情報がイメージするような現実は自分の周りにはない。情報に踊られれているのかもしれないと疑いながらも、それを確かめる術はない。もしそれが実像ならば自分だけ社会から取り残されてしまうような気持ちになり、それを現実であると思い込むようになる。
 しかも、情報の発信者の顔が見えないことがこの現象に拍車をかけている。発信者は情報メディアを利用する不特定多数であり、特定できない以上現実に対する責任も負わない。戦後民主主義と消費社会の寵児である無責任な連中が、メディアを通じて垂れ流している情報が現実を作り上げているのである。

第2節 戦後の家族

1.家族と戦後民主主義

大人中心から子ども中心へ
 戦前は、伝承されてきた社会規範と<父権>という父親の権威によって子どもを躾けた。それは氏原寛が言うように「おとなの困ることをしたがること自体がいけないと決めつけ、子どもの内なる自然を抑えこんでしまう傾向が強かった」7 ものであったのだろう。大人の価値観を中心とした躾であった。
 戦後、社会規範や<父権>は消滅し、子どもは家族の中で自由に伸び伸びと育つことができるようになった。自由思想は、子どもの自由な意志を尊重すべきだとした。平等思想は、親子がタテの関係でなく、ヨコの関係、友達のような関係であるべきだとした。安易に戦前と逆のやり方で子どもを育てればいいと親は考えた。
 その結果、氏原寛が指摘するように「子どもの気持ちを理解し受け入れるのはよいのだが、それがゆきすぎて、思い通りにさせてしまう傾向が強くなった」7 のである。こういう人間に育ってほしいという漠然としたイメージはあっても、具体的なプロセスがない。現実に個々の問題に突き当たった時にどうすればいいのかわからない。子どもの自由を尊重する、親と子は平等であるという理念にしたがって、子ども中心に育てた。それが民主的な育て方である、そうすれば子どもは理想的に育っていくと信じようとしていた。
躾の力を失った家族
 しかし、親は、理念だけでは子どもは育たないことに気づき出した。このままではますます複雑化する社会に適応していけないのではないかと不安になってきた。やはり一方的に躾けなければならない部分があると考えるようになった。
 個人主義の確立していない日本では、躾の基準は戦後も<人さまから見て恥ずかしくない>である。戦前あった社会的規範は破壊してしまったので、それに代わるものをそれぞれの家族で独自に築き上げていかなければならない。しかし、躾の基準が社会的なものである以上、一つの家族だけで築き上げてもしかたがない。多くの人々の共通認識が必要である。しかし、それはすべての価値観を相対化してきた戦後民主主義の流れに逆行する。
 また、自明性や一貫性のない基準によって躾けようとすれば、どうしても問答無用の権威的な力が必要になってくる。しかし、親子はヨコの友達関係になってしまっているので、いまさらタテの関係に戻すことは不可能である。このように家庭は子どもを躾ける場としての力を失ってしまった。

2.家族と消費社会

愛情原理の場としての家族
 従来の家族の役割について、村瀬学は<治め>と<戯れ>であると述べている8 。<治め>の世界とは、社会という形の共同性の世界であり、<戯れ>の世界とは、男女の性の世界である。
 子どもは家族の中で育つことによって、基本的な信頼感というエネルギーを充電しながら、社会へ出ていく道筋を学んでいくのである。家族とは、「経済原理ではなく、愛情の原理によって人と人がつながりあう場所」9 と山崎哲が指摘するように、愛情原理の場であり、経済原理を必要としない、いや、経済原理を排除すべき場であったはずである。
経済原理の場としての家族へ
 ところが、戦後、農民家族から労働者家族へ、世代家族から一代家族へと核家族化してしまった。さらに、消費社会は、生活の商品化、生活の情報化、商品のブランド化を家族の深部までひろげていくことによって、家族ひとりひとりを消費単位に解体してしまった。愛情原理の場であった家族を経済原理の場へと変貌させた。
 家族は消費社会に同調していく。父(夫)は一億総中流階級の幻想からはみ出ないように家族の経済を支える。働く場も家庭から会社になり、子どもが父親の働く姿を見られる家庭は少なくなった。母(妻)も、電化製品などの消費財によって家事労働が軽減され、社会的自立への欲求とよりよい生活への欲求が相まって、家事労働だけでなく育児や躾まで外注して、働きに出るようになった。親の性別役割機能まで変わってしまった。竹内常一の言う「ファミリーのないホームの時代のはじまり」10なのである。
子どもにかける家族
 また、親は自分の子どもにも、消費社会のシステムに順応させ、よい位置を占めさせることが幸福であると信じている。そのために、持っている資力の最大限を子どもの教育に注ぎ込み学業成績を上げる「業績家族」へと変化していった。親は子どもの意志や個性を尊重するとはいいながら、消費社会のシステムから大きく外れた意志や個性は認めない。子どもを意志をもった人間としてではなく、<モノ>としてシステムの中に送り出そうとするのである。その意味では、芹沢俊介の「いまくらい親や大人が積極的に子どもを規律(きちんとさせること)に従わせたがっている時代はないのではないか」11という指摘は正鵠をいているかもしれない。
孤立化する家族
 一方、地域社会は野田正彰が言うように「『私』と『公』をつなぐ中間の領域」12、家族と社会の間にあるあいまいな領域であった。その地域社会が解体してしまって、家族は社会のきしみや歪みと直接向かい合わなくてはならなくなった。まさに、「『私』の一歩外は、自分たちで変更することができない『公』が迫っている」12という状況を呈しているのである。
 家族自体が解体の危機に瀕し、今まで家族の力では足りない部分をカバーしてくれていた地域社会がなくなれば、様々な矛盾が噴出してくるのは当然である。しかし、地域社会の解体後は、岸田秀が指摘するように「家族だけで子どもを育てることができるという幻想」13出来上がってしまっていて、すべて家族の責任にされてしまうのである。家族を社会から守るために、家族はどんどん閉鎖的になっていくのである。

第3節 戦後の子ども

1 子どもと戦後民主主義

感受性の強いわがままな子どもたち
 戦前は、子どもが大人になるコースが決められていた。子どもはそのコースに従わなければ大人になることができなかった。そこには子どもの自由意志は認められなかった。
 戦後は、大人になるコースを設定することは自由の精神に反するという大人の主張によって、子どもは大人の社会や文化による抑圧をほとんど受けずに自由に育った。家族の中では、親子はタテの大人と子供の関係ではなく、ヨコの友達の関係であった。また、家族の中だけで育てる家族が増え、自然的な子ども集団を体験することが少なくなった。中野収の言葉を借りれば、「一昔前の基準からすれば、手抜きと過剰干渉の奇妙な混合」14の中で育ってきたのである。
 こういう環境で育ってきた子どもは、よく言えば生まれたままの純粋な感性によって、悪く言えば理性に抑圧されることのない動物的な欲求によって行動する。個人のレベルで言えば<感受性の強い>と言えるが、集団のレベルで言えば<わがままな>子どもたちである。
自己から逃走する子どもたち
 しかし、子どもは家族や社会の中で自由に成長できるようになった反面、どうすれば大人になれるのか、どうなれば社会が大人であると認めてくれるのか、その基準がわからなくなってしまった。同じことをしても、ある場合は大人扱いされ、ある場合は子ども扱いされるという事態が生じるようになった。大人になるとはどういうことなのか、大人とは何なのかという基準が曖昧になってしまい、漠然とした不安感に囚われている。
 また、無制限の平等観の蔓延によって、子どもは元来あるはずの能力差を認められず、何でも他の子どもと同じでなければならないという大人の要求を突きつけられ、<自由で平等な競争>に駆り立てられている。努力しても同じレベルまで達しない場合は自分は他の子どもと同じではないという劣等コンプレックスに苛まれる。
 こうした状況で子どもたちがよく使う<自分なりに>という言葉は、千石保が指摘するように、「画一的な人間からの脱皮の意味もあるが、一般的な理想や目標からの逃避であるとともに、自己の生き方を問い、在るべき自己を追及することから逃避している」15という意味で捉えることができるだろう。
保守化する子どもたち
  戦後民主主義の中で、子どもは自由と平等の理念を追及しながら自然に大人になっていくと期待されていた。しかし、社会が安定し現在の生活にほぼ満足感を抱くようになると、子どもはその時その場を刹那的に自分の思い通りに生きようとするようになり、理想や目標から逃避的になり、大人よりも現状肯定的な保守的な人間になっていった。ただ、この現象は、子どもが大人の社会の影響をもろに受けた結果であると言えるだろう。

2.子どもと消費社会

基本的信頼感の希薄化
  消費社会は、家族を解体し、家庭を愛情原理の場から経済原理の場へと変えてしまった。愛情の豊かさはは経済効率によって計量される。子どもはシステム化された消費社会に順応するため、一刻も早くシステムの中に投げ込まれ、一日も早い自立を求められる。それと反比例して親子の情愛的な関係を体験する時間が短くなる。人間関係の厳しさや悲しさを味わい逆境に耐えて生きるという精神的な成長は停滞し、人間関係の希薄さを感じるようになる。極端に早い社会的自立は、人間が生きていく上で絶対に必要な基本的信頼感の獲得を妨げ、一度獲得された基本的信頼感さえも解体してしまう。
演戯と没個性化
 システム化された消費社会に順応するには、用意されたシナリオ通りの役割を演技する役者に徹すればいい。そこには遊びの要素が強く入っているので、中野が言うように「演戯」と言った方がいいかもしれない。こうした生き方をいていると、山崎哲が指摘するように、何かまずいことがあっても「システムの側が当然自分の行動の責任をとってくれるものだ」16という自分の責任を回避する無責任な考え方になってくる。
 しかし、システム通りに責任も持たずに生きることができるのは、芹沢俊介が指摘するように「個が個であることができるのは、かれがいつ誰とでも交換可能な交換価値として自己を立てている時だけ」11であり、そのためには「個人であるということは、個性によって個人であるのでなく、無個性、非個性によって個人である」11という代償を払わなければならない。個性的な役作りをされると、シナリオが変わってしまうので、消費社会にとっては都合が悪いのである。どうしても個性的に振る舞いたいならば、それはシステム化した社会においては自殺行為であるということを十分自覚したうえで、シナリオから下りなければならない。
差異化と均質化
 したがって、子どもたちは、意識的にしろ無意識的にしろ、本物の個性に対する欲求を抑えながら毎日の生活をやり過ごさざるをえないのである。一方、消費社会はあらゆる物が商品化し、いかに多くそれらを消費するかが自由であるという幻想を作り上げているので、子どもたちは消費によって自分の個性を発揮しようとする。しかし、システム化された社会では消費は管理されているのであるから、差異化の追求はいずれは画一化、均質化に行き着く。それでもなお、それだからこそ、ますます差異化を追求するという悪循環に陥っていく。いずれにせよ、消費による差異化が本物の個性でないことは明らかである。子どもたちはそういう虚しさに薄々気づきながら生きているのである。

3.子どもと情報化社会

 子どもは幼い時から氾濫する情報の中で育っている。知識として多くのことを獲得しているが、実体験が不足していることはよく言われている。人間という複雑で非合理な存在が理解できないようになってきたこともよく指摘される。それは自分自身に対しても言えることで、現実に対して漠然とした不安を感じながらも、情報に身を任せることで不安定な現実から遊離し、安定した虚構の世界で安心感を得ることができるのである。

4.子どもの対人関係

やさしさの正体
 大塚文雄は「ある時は、みんなに合わせられなくて自分の“カラ”に閉じこもっているのですが、そのうち今度は、みんなの動きが気になって、無理でもみんなに合わせようとしてしまう」17という自分自身と集団の間を忙しく往復する状態を指摘し、「舞踏現象」と呼んでいる。みんなと共存し連帯したいという気持ちと、自分の世界に過剰に踏み込まれたり、相手を傷つけることを恐れたりする気持ちが同時に存在している。栗原彬は前者を「開かれたやさしさ」、後者を「閉じられたやさしさ」と呼んでいる18。親友と呼べる友達を求めているのだが、自分に過剰に踏み込まれると心配になる。しかし、表立って拒絶すると雰囲気が壊れるので、相手が自然に消えてくれることを願う。また、相手に思いやってもらったりすると借りを作ることになり、平等な立場が保てなくなると考えたりもする。
かけがえのある友達
 集団は気まぐれであり、そのリズムはいつ変わるかわからないので、その中にどっぷりつかっていると、リズムが変わった時にどのような仕打ちを受けるかわからない。だから、集団とは付かず離れずの関係にいるのが最も安全であることを知っているのである。したがって、子どもにとっては、人格間の異常接近のおそれが少なく、個の領域への侵犯が起こりにくく、かかわりの持続を強制されることのない<集まり>を求める。何かの目的に向かって助け合うものではなく、冗談がうまく、一緒にいて疲れない、いつでも交換可能な、<かけがえのある>友達がいいである。


引用・参考文献
 1 小浜逸郎 1991 『症状としての学校言説』 JICC出版局,p208
 2 諏訪哲二 1990 『反動的』 JICC出版局,p114
 3 小浜逸郎 1991 前掲書,pp226-227
 4 芹沢俊介 1989 『現代<子ども>暴力論』 大和書房,p19
 5 山崎哲 1989 『事件ブック』 春秋社,p35
 6 小浜逸郎 1988 『可能性としての家族』 大和書房,p16
 7 氏原寛 1985 『カウンセリングの実践』 誠信書房,p177
 8 村瀬学 1984 『子ども体験』 大和書房,p41
 9 山崎哲 1989 前掲書,p21
10 竹内常一 1987 『子どもの自分くずしと自分つくり』 東大出版会,
11 芹沢俊介 1989 前掲書,p13                  p18612 野田正彰 1988 『漂白される子供たち』 情報センター,p196
13 岸田秀×山崎哲 1990 『浮遊する殺意』 晩成書房,p30
14 中野収 1987 『現代史の中の若者』 三省堂,p212
15 千石保 1985 『現代若者論』 弘文堂,p113
16 岸田秀×山崎哲 1990 前掲書,p35
17 大塚文雄 1990 『帰りたい帰れない』 海越出版社,p89
18 栗原彬 1988 『やさしさの存在証明』 新曜社,p70


大塚英志 1990 『子供流離譚』 新曜社
緒方直子監修 1988 『ストリートチルドレン』 草土文化
詫摩武俊・菅原健介・菅原ますみ 1989 『羊たちの反乱』 福武書店
芹沢俊介×山崎哲 1987 『子どもの犯罪と死』 春秋社
森毅・芹沢俊介・大塚英志 1990 『密室』 春秋社
岸田秀 1987 『嫉妬の時代』 飛鳥新社
佐瀬稔 1984 『金属バット殺人事件』 草思社
佐瀬稔 1990 『うちの子がなぜ 女子高生コンクリート詰め殺人事件』
千石保 1991 『「まじめ」の崩壊』 サイマル出版社       草思社別冊宝島129 1991 『子どもが変だ』 JICC出版社
「ひと」4月号 1991 『追いつめられた子どもたち』 太郎次郎社  



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