これまでの学校教育相談

 この章では、学校教育相談のこれまでの到達点と現在提案されている試みについてまとめてみよう。私の意見や展望は第3章以降でまとめて述べ、この章ではできるだけ控えることにする。

第1節 学校教育の中の教育相談の位置づけ

教育の目標
 まず、学校教育相談を大きな観点から考えるために、学校教育全体の中で捉えてみよう。
 教育の目標は、人間を真実の人間にする、現実の生活レベルで言えば本当の幸福を獲得することである。しかし、その具体的な内容は時代や社会によって異なる。特に、学校教育は意図的に計画された教育であり、その時代や社会の要求に大きく影響される。現在の日本の高等学校の目標は学校教育法の42条に3つ示されている。「1)国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと。2)社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき,個性に応じて将来の進路を決定させ,一般的な教養を高め,専門的な技能に習熟させること。3)社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い,個性の確立に努めること」である。

教育の機能
 この目標を達成するために、学校教育の機能には<学習指導>と<生徒指導>の2つがある。
 <学習指導>は、教科の学習を通じて生徒の成長発達を教師が助け導く活動である。かつては<教授>と呼ばれ、教師が中心となって、一定の知識を分けて順序を追って伝達するという方法であったが、<学習指導>と呼ばれるようになって、生徒が中心になって自ら学習するのを、教師が環境や条件を整えて活動の整理や計画を指導するという方法に変わってきた。
 <生徒指導>は、教科の媒介を経ないで、個人の能力や素質を最大限に発達させ人格の形成を図ると同時に、集団生活や社会生活を円滑に進めていけるような資質や態度や能力の発達を図る活動である。生徒指導には<個別指導>と<集団指導>があり、<教育相談>は<個別指導>の一部に位置づけられている。


第2節 生徒指導の流れ

  戦後、生徒指導がどのような流れをたどってきたのか。ここでは戦後教育史を論ずるのではなく、教育相談を念頭に置きながら極めて大雑把にたどってみよう1

1.敗戦直後のガイダンス&カウンセリング
  敗戦によって日本のそれまでの学校教育はすべて否定され、戦後すぐに、アメリカの民主主義とともにガイダンスの理論と方法による生徒指導観が導入された。ガイダンスとは、個々の生徒の能力や素質を見出し最大限に発達させ、個人的にも幸福で社会的にも有用な人間の育成を目的とするものであった。しかし、個人指導の側面が強すぎたために、環境として社会をそのままにして、それに無条件的に順応することを指導するものだとして批判された。日本の実情を考慮せず、アメリカから直輸入したことが原因であろう。
 カウンセリングはガイダンスの一部として日本に入ってきた。最初に紹介されたものは、ウィリアムソンの体系づけたもので、臨床心理学の成果に基づいた診断を中心としたものであった。しかし、専門機関を模倣したり、臨床心理学の技法をそのまま導入したために、学校の中では遊離し批判を浴びた。

2.集団指導の隆盛
  昭和26年頃から、生活綴り方による<学級づくり>の生活指導観が主流となった。学級づくり(生活綴り方)は、一人一人がよくなれば社会全体もよくなると考え、個人の解放から集団化をめざした。児童・生徒の発達に適合した問題をとりあげ、子どもの生活の中に反映している封建的・資本主義的な人間差別のあやまりに子どもを対決させた。個人が自主的に考える力を堅実に伸ばしながら、相互に人間として認め合い尊重し合い、すべての子どもの中にある人間的要求を育てることを目的とした。方法として、作文(生活綴り方)・グループ日誌・文集などを使った。しかし、一人一人がよくなれば社会も自然とよくなるという考え方は楽天主義的な考え方であり、情緒的なものだけでつながっている集団は大事に直面すれば脆く崩れてしまうという批判を浴びた。
 昭和34年頃からは、集団主義教育による<学級集団づくり>の生活指導観が主流となった。学級集団づくり(集団主義)は、“はじめから集団ありき”を前提とし、社会全体がよくならなければ個人の解放も幸福もありえないと考えた。自分らの手によって組織化した共同生活の中で、厳しい相互批判と温かい励ましによって、人格の全面的な発達に向かって高まっていくと考えた。集団を組織していく方法として、班づくり・核づくり・討議づくりが提唱された。しかし、社会主義の色彩が強く、政治的にも心情的にも批判されることが多かった。

3.カウンセリングの巻き返し
  こうした集団指導の生徒指導観が主流を占める中で、カウンセリングも分析と診断を重視するカウンセリングから、治療を重視するロジャースの来談者中心のカウンセリング(当時は「非指示的カウンセリング」と呼ばれていた)が中心になった。一時は非行生徒が立ち直らせたりして特効薬のような目ざましい成果をあげた。
 研究は各地で積極的に進められ、昭和32年には神奈川県でカウンセリング研究会が組織されたり、京都府でも昭和37年に「学校カウンセリング研究会」が発足した。昭和39年から41年にかけて東京都教育委員会から『教育相談』という3冊の手引書が発刊された。また、文部省は昭和40年に『生徒指導の手びき』を発行し、その「まえがき」に「生徒指導は,すべての生徒のそれぞれの人格のよりよき発達をめざすとともに,学校生活が生徒ひとりひとりにとっても,また学級や学年,さらに学校全体にとっても,有意義に,興味深く,そして充実したものになるようにすることを目標にするものであり,従来その機能の重要性がなんとなく意識されながらも,最も弱かったと思われる一面である」2 と明記している。そして、本編に個別指導の一部として教育相談を位置づけている。
 しかし、ロジャースの理論をそのまま導入しようとしたり、治療の成功にカウンセラーが有頂天になって他の教師との連携を軽視したり、万能ではないことが明らかになったりして、教師の猛反発を受けた。
 
4.産業社会と学校
  高度経済成長期に企業は豊かな労働力を必要とし、学校は労働者養成機関としての役割を要求され、学力偏重の傾向を余儀なくされた。しかし、オイルショックが起こり、産業構造が大きく変わった。企業は学力だけでなく人格までも選抜の基準とするようになった。学校教育は生徒指導にも力を入れ、生活管理を強化していった。校則を守りよく勉強する生徒が社会においてよいポストを保証されるようになった(「学校の位置」 2031-2031)。

5.校内暴力の嵐
  昭和50年代の前半は校内暴力の嵐が吹き荒れた。学校現場では、当面の問題を早急に鎮静化するために、教師は一致団結し権力と腕力によって生徒集団を抑圧する管理主義的な生徒指導で対応するしかなかった。こういう問題に対する迅速な対処には、教育相談は微力ないしは無力であった。
 『生徒指導の手びき』の改訂版として昭和56年に発行された『生徒指導の手引』にも、「生徒の人格あるいは精神的健康をより望ましい方向に推し進めようとする」3 <積極的な面>を重視すべきであると提唱しているが、実際には「適応上の問題や心理的な障害などをもつ生徒,いわゆる問題生徒に対する指導」3 である<消極的な面>の指導が主流になった。そして、校内暴力が沈静化しても、再発防止の予防策として<消極的な面>の指導が管理主義的に継続された。


第3節 生徒指導の今日的課題と展望

 生徒指導はこのような流れを経て現在に至っているのであるが、生徒指導の今日的な課題と展望について考察してみよう4

1.生徒の問題傾向の変化
      
 校内暴力や対教師暴力が多発した時、最も強く指摘されたのが学校の指導の不統一であった。その教訓に基づいて生徒指導体制が確立していった。それは理屈抜きの管理や抑制であるという非難を受けているが、もっと大きな問題を内包していた。管理によって生徒を鎮めた後に、生徒が自己を大きく飛躍させる場を準備しておかなかった問題である。その結果、無気力・無関心・無責任などの傾向、学力不振(落ちこぼれ)、社会性の欠如、登校拒否、性非行、女子非行という問題傾向が増加してきた。
 また、家庭や地域の教育力の低下が、子どもの自立心や基本的行動様式、自己管理力などの形成を阻害しているという状況も顕著になっている。

2.従来の生徒指導の問題点

 こうした状況の中で、従来の生徒指導のあり方を見直さなければならなくなった。従来の生徒指導の問題点をまとめてみると次のようになる。
1) <生徒指導=問題行動の防止>と考えて、子どもが問題を起こさないように、取り締まり的な指導を強化してきた。
2) <生徒指導=日常の生活習慣の徹底>と考え、きまりを押しつける形で管理的な指導を強めてきた。
3) <生徒指導≠学習指導>と考え、両者を全く別のものと考えてきた。
4) 生徒指導を一部の係の仕事と考えてきた。
5) 生徒の問題傾向に対して共通の判断ができていないため、教師によって指導の差異がみられ指導が混乱している。

3.新しい生徒指導の視座

 そして、今、生徒指導に必要な視座として、次の4点が考えられる。
1) 授業の意欲や態度を形成するための、生徒指導的アプローチ。
2) 時と場に応じた教師の適切な指導力。
3) 学校と家庭・地域の連携・協力による子どもの健全育成の推進。
4) 新たな傾向の問題生徒の理解のための、教育相談への関心。
 新しい生徒指導の視座として、今再び教育相談が見直されている。「いつでも、どこでも、だれでも」をキャッチフレーズにして、すべての教師が日常の教育活動の中で、教育相談的な考え方や態度で生徒に接していくことが提唱されている。この線に沿って<カウンセリング・マインド>が強調され、「すべての教師をカウンセラーに」というスローガンが掲げられた。


第4節 学校における教育相談の位置

 こうして、教育相談は再び脚光を浴びるようになり、うまく機能している学校の実践も多く発表されている。しかし、全体の傾向からすればうまく機能していない学校の方が多いのが現状である。原野広太郎は、教育相談係や組織がうまく機能していないタイプを、大きく積極型と消極型に分け、さらに積極型を純粋型と利用型、消極型を無知型と無関心型と反発型に分けている5 。原野の意見をまとめてみよう。
1) <積極純粋型>は、カウンセリング理論の学習を積極的にし、理論の教育現場での実践を志し、ときには、真の教育はカウンセリングなくしてはあり得ないとさえ極論する。
2) <積極利用型>は、カウンセリングの一般的知識をもち、教育に果たす役割を認めてはいるが、その実践や発表を通して出世や自己宣伝に利用しようとする。
3) <消極無知型>は、校務分掌の上では教育相談を担当する係があり、人員も配置されているが全く機能していない。
4) <消極無関心型>は、外部の研修会には参加して教育相談について一応の理解はあるが、現場の実践につながらない。
5) <消極反発型>は、教育相談の急進派はいるが、これに対する反発のために教育相談が空転している。
 <積極利用型>は実際には多く存在しているのかもしれないが、行政レベルの問題であり教育相談の問題としては論外である。<積極純粋型>や<消極反発型>はその純粋さのあまり教師社会からは敬遠される。教師社会には、特定の者が新しいものを持ち込むよりは全体がよくまとまって少しずつ進歩していってくれればよいという「地域社会的閉鎖性」が強い。この考え方が従来の生徒指導と結びついてさらに強い抵抗になる。<消極無知型>や<消極無関心型>は、学校の方針や体制として教育相談を推進していこうという姿勢がなかったり、係になった人に教育相談に対する理解や熱意がない。
 このような状況の背景の要因として、教育相談を推進する教師のパーソナリティの問題と管理職の怠慢や指導意識の過剰を指摘できるであろう。


第5節 教育相談を阻むもの
 
 こうして教育相談が再び脚光を浴びることになったのであるが、多くの批判がある。その傾向や原因について、中野武房の分析6 をまとめてみよう。
1) 今更教育相談などと今更もっともらしく述べるまでもなく、日常、生徒のために精一杯努力することが教育相談であるという、<教育相談=教育そのもの>とする考え方。
2) 学校で行う教育相談は、訓練を積んだ特別な人が相談室で反社会的・非社 会的な問題を有する特定の生徒への援助のための治療的な専門技術を行うという<教育相談=治療>とみる考え方。
3) 教育相談は生徒を甘やかし、言いなりになって、校内規律や秩序を乱すことになるという<教育相談=放任>とみる考え方。
4) 教師と生徒は社会的・経済的・文化的な生育環境が全く違うのだから、<共感的理解>は不可能であるというの考え方。
5) 生徒の感情をそのまま受け入れ、終始親和的で肯定的態度を保って応答すれば、生徒を甘やかし教師の威厳を保つことができないので、<受容>はできないとする考え方。
6) 管理・訓育の任にもある教師として、教育相談の言う相談上での<秘密保持>はできないという考え方。
7) 子どもは隙があれば楽をし自由気ままに生きようとするものであるから、常に監督、管理していなくては問題を起こすという生徒観。
 中野の分析を私なりに整理し直してみると、1)教育相談の基礎になっているロジャース流のカウンセリングの理論や技法の理解の問題、2)教育相談の導入の仕方の理解の問題、3)教育相談の領域や役割の理解の問題、4)教育相談と従来の生徒指導の発想の違いの理解の問題に分けられる。

1.ロジャース理論の理解の問題

 小泉英二はロジャースの来談者中心療法に対する一般的な疑問を次のようにまとめている7
1) 指示的な立場と非指示的な立場とどちらがよいのか。
2) 非指示的な立場だけで学校の中で果たしてやっていけるのか。
3) 非指示的な立場では、こちらがいいたいことがあってもいってはいけないのか。
4) 相手のいうことをただ「フンフン」「ハアハア」ときいているだけで、本当に相手がよくなっていくのか。
そして、個々の疑問に次のような見解を示している。
1) ロジャースの理論は、理論的に純粋であるがゆえにこれを知った人を感嘆させ二者択一の発想が出てくるが、理論だけで現実を判定できるものではない。要はその人がどのくらいその立場に熟練しているかによる。本当に相手を無条件で受け入れて、共感するのは簡単なことではない。
2) <カウンセリング=教育>であるかのような印象を与え、学校教育の他の機能を否定するような広め方に問題がある。中途半端な知識でその立場を強く主張すると、非指示という名の強烈な指示に拒絶反応を起こされる。
3)4) 理論や技法に関する誤解から生じている部分が多い。自分自身を深めることをせず、教師であるという立場を度外視して、理論や技法をそのまま取り入れようとするところに問題がある。
 このように考えてくると、ロジャースの理論に問題があるのではなく、それを学校現場に取り入れようとする教師の態度や資質の問題であることがはっきりしてくる(「学校の位置」 2038-2039)。ロジャースの理論は単純で特殊な技術もなく簡単そうに思えるが、実際にその通り実践しようとするとその奥深さに行き当たるはずである。

2.教育相談の導入の仕方の問題

 教育相談を導入するに際して、「いつでも、どこでも、だれでも」をキャッチフレーズに、「すべての教師をカウンセラーに」というスローガンが掲げられた。教育相談をあまり難しく考えると定着しにくいという危惧があって、<カウンセリング・マインド>という言葉で、<教育相談=教育の本質>という観点から共通点を強調しようとした。
 その結果、逆に、その程度のことならこと新しく<教育相談>などと言わなくても、熱心な教師や子どもの好きな教師であったら、昔からやっていたことである。従来の生徒指導とどこも違っていないではないか、という意見が出てくるのである。

3.教育相談の領域や仕事の問題

 教育相談をすべての教師に理解してもらおうという目標はあるが、実際には、<教育相談=治療>という考え方が根強い。それは、学校の体制や教育相談を担当する教師にも問題がある。その理由として小泉は次のように指摘している8
1) 学校の中で次々と起こる問題行動(登校拒否・非行・暴力・いじめ・自殺など)への対応は、一般の教師の理解や指導力をこえた難しさがある。
2) カウンセラーとしても、問題生徒にかかわることが周囲の期待に応えることであるし、カウンセラーとしての自分の存在理由を明確にすることにもなる。
3) マイペースでやれるので、考えようによってはやりやすい。
4) 学校での集団的、予防的、開発的な活動については、実際的、技術的なレ ベルでの指導を受けていないことが多い。
5) 日本では、専門機関の数や体制にしても、すぐに応じられるほど整っているわけではない。

4.従来の生徒指導と教育相談の発想の違いの問題

 本来、教育相談は生徒指導の一部であり、両者を対等に対立させて考えるのはおかしい。しかし、学校教育の流れの中で、生徒指導が偏ってきた。その軌道修正のために教育相談が注目されている。それでは、従来の生徒指導の発想と今期待されている教育相談的な発想はどのように違うのかを見てみよう。
 小泉英二は、次の表のように両者を対比させている9

   従来の生徒指導の発想        教育相談的な発想
1)教師中心(教え、リード、考え方 をかえさせる)
2)外側からの規制(枠にはめる、訓育する)
3)形から入る(外形から学習をとと のえることによって心をととのえる)
4)管理訓育的(はみださないようしつけや訓練をする)
5)現象指導(問題となる行動を早くなくそうとする)      6)集団へのはたらきかけ(一斉指導)
7)客観的事実に目をうばわれる(問題行動の記録)
8)権威、服従関係を大切にする  
1)生徒中心(主体性を尊重し、自分で解決するよう援助する)
2)内側からの規制(考えさせ、自己統制できるようにする)
3)心から入る(心を安定させることによって行動が安定する)
4)相談的(どうしたらいいかを一緒に考える)
5)原因除去(事例研究により原因除去につとめる)
6)個別的なはたらきかけ(1対1や小グループの面接)
7)心理的事実を重視する(本人はどう思っているのか、内面を理解する。
8)心のつながりを大切にする(共感、受容)
 また、対象生徒や生徒観や指導観の違いについて、西村州衛男の分析10をまとめると次のようになる。
 従来の生徒指導は、非行の防止や非行生徒の事後指導を主な任務にしてきた。非行生徒に対してあまり受容的な態度で接していると、非行的な行動を見逃してしまうことになり、安易に信用するとだまされたり信頼を裏切られたりする。非行生徒に対しては、厳しさや人間的な信頼が大切であり、教師は疑う心や信頼を試す厳しさをもって指導しなければならない。
 それに対して教育相談は、自我が未熟で、自分の感情を適切に表現できない、表現することにもひどくためらっている情緒的に障害のある生徒を対象にしている。情緒障害の生徒には、思いやりの心と自由な表現を保証する態度をもって接することが必要になってくるのである。


第6節 従来の生徒指導と教育相談の統合

1.生徒理解の仕方

 従来の生徒指導と教育相談を統合するには、まず生徒理解の方法が問題になる。日常的に教師が生徒を理解する方法について、小泉英二の分類と説明11をまとめてみよう。
1) 経験的な理解
 自分の過去の経験と照らし合わせてみる理解するやり方で、教師がよく行う素朴な理解の仕方である。経験の裏づけがあって理解するので、ある程度実感をもって推察できる。しかし、教師の経験と実感が相手にそのまま通用するかどうかはわからない。
2) 一般的・概念的理解
 児童、青年心理学や発達心理学などの理論や一般原則などに基づいて、相手を理解したり、助言したりする態度。基本的な間違いや食い違いはないが、目の前にいる一人の子どもの理解にピタリと当てはまるかどうか保証できない。3) 客観的理解
 テストや調査の資料をもとにした理解。主観的にも概括的にもならず、極めて客観的、具体的である。細かい数値の差にこだわりすぎるなどの危険性はあるとしても、数値を正しく理解する限りにおいては、客観的な理解ができるという長所がある。
4) 共感的理解
 目の前にいる相手の気持ちを、まるでその人であるかのように実感を持ってそのまま感じとるということである。それだけでなく、こちらが感じとったものを言葉や態度で相手に伝える。それによって、相手は、自分のありのままをそのまま理解してもらえた喜びと安心感を感じ、積極的に自己表現するようになる。
5) 総合的理解(事例研究)
 子どもの問題行動と原因との因果関係を理解するために、考えられるあらゆる資料をあらゆる角度から収集し、総合的に解釈する。その手順は次のようになる。a)問題点の確認、b)資料の収集、c)総合的解釈(仮説)、d)指導方針、e)経過観察、f)指導方針の修正。
 以上の5つの理解の仕方を示した上で、小泉は、1)〜3)は従来の生徒指導の理解の仕方であると考えている。その共通性は、教師の側からの一方的な理解の仕方であって、理解される生徒にとってはあまり関係がないということであり、教師の理解した結果を、子どものよい点を認めたり褒めたりするような良い意味で利用する場合はプラスになるが、一般的には、教師が指導上の必要から一方的に理解することが多いと考えている。そして、4)は自己洞察、自己決定できるような自己指導が促進され、相手の内面がわかると同時に、内面にかかわり内面の変化につながる理解であり、5)と合わせて教育相談の理解の仕方であるとしている。

2.教師と生徒の人間関係
 
 また、生徒理解の仕方によって教師と生徒の人間関係も変わってくる。『生徒指導の手引』に挙げられている教師と生徒の3つの人間関係12をまとめてみよう。
1) 権力−支配−盲従の関係
 外からの強圧的な力に頼るもので、指導されるものが指導者に対して恐怖心を感じ、その恐怖心を免れるために服従する。きまりに従う行動をさせるためには効果的である。しかし、内面化が起こりにくく、絶えず権力を生徒の眼前に提示し続けなければ成果は達成できない。
2) 権威−尊敬−心服の関係
 外からの力によって与えられた権威としての権力ではなく、内的に充実した真の権威であって、そこには生徒との間の相互尊敬が存在し、生徒が自発的に心服するようになることを求めているものである。生徒は指導者の人格に感化されることになる。幼児期には有効であるが、青年期は教師に反抗的になるので持続が難しい。それでも、教師が筋道の通った助言を与えるならば少し時間をおいて取り入れることもある。人生の目標の確立や専心追求の態度を育成するためには大切である。また、この関係においては、指示や激励が効果を発揮することが多い。
3) 出会いの関係
 一方が指導し、他方が指導されるというような構造の分化は見られず、相互の無条件の尊重という背景に基づいて、人間的に全く対等な出会いをし、自然のままに生き生きと自己を語り合い、共感的に理解し合うことである。相手に変化をもたらすということは全く考えてはいないが、自然の結果として変化が起こる。
 以上の3つの関係を説明した上で、さらに『生徒指導の手引』は、生徒指導においては、生徒自身が自己の現実をありのままに認め、自己に対する洞察を深めることによって、自己の目標に向かって自主的な人格の形成を持続することができるとし、教育相談などの個別指導においては3)の出会いの関係が効果的であると書いている。また、1)は従来の生徒指導のパターンであると言えるだろう。

3.従来の生徒指導と教育相談の統合

 生徒理解の仕方や教師と生徒の人間関係の在り方を考えることによって、従来の生徒指導と教育相談を統合する視点が少し見えてきただろう。さらに、従来の生徒指導と教育相談を統合する模索について、今井五郎が整理している1)両輪説、2)役割分担説、3)統合説、4)教育相談中核説の4つの説13を見ていこう。
1) 両輪説
 教師主導で管理的な訓育的指導(従来の生徒指導)と生徒主導で援助的な相談的指導(教育相談)は、車の両輪のように生徒指導に欠くことのできないものである。にもかかわらず、これまでの指導は訓育的指導を重視し過ぎてきた。そのために生徒は枠づけされ、主体性を失っている。これからの指導は相談的指導をいっそう重視しなければならないという考え方である。
 しかし、訓育的指導と相談的指導を2つに分け、異質なものとしているところに根本的な問題があると今井は指摘している。
2) 役割分担説
 教師の変容の難しさを前提としている。訓育的姿勢を持つ教師が相談的姿勢を身につけること、またその逆も難しい。したがって、それぞれの教師が自分の持ち味を生かして、いずれか一方を分担し、指導に当たるのが望ましいという考え方である。
 しかし、現実の学校の教師の数から考えて分担は不可能で、またできたとしても全教師の足並が乱れてしまう。
3) 統合説
 教師の変容を前提としている。1人の教師が訓育的姿勢と相談的姿勢の両方を身につけ、自分自身の中で統合を図り、両方の指導を調和的に進めるという考え方である。
 しかし、両輪説を前提としているので、訓育的指導と相談的指導は対比的で異質な指導であり、両者の間には共通性がない。それを1人の教師の中に統合することは本来不可能なことである。統合しようと努力すると、児童・生徒にかえって不信感を与え、教師自身の教育観が混乱し体調も崩してしまう。
4) 教育相談中核説
 訓育的指導は「他に迷惑をかけない」を信条のよりどころとして、「他の生徒のための指導」という姿勢で臨むことが一般的である。また、相談的指導は「無条件の肯定的受容」という姿勢で臨むことが一般的である。しかし、これからの訓育的指導は「その生徒のための指導」でなければならず、この姿勢は「生徒に添う姿勢」に他ならない。これからの相談的指導は「気持ちは受容するが行為は認めない」というものでなければならない。これは「無条件の肯定的受容」に比べて生徒に添ったものと言える。両者には「生徒に添う」ことによって、生徒が変容することを迫るという共通点がある。したがって両者は延長線上で重なり、比較的容易に統合することができる。教師が2つの指導のこれからのあるべき姿勢をとらえ、両姿勢の統合を図れば、1つの指導として融合する。相談的な姿勢によって生徒との信頼関係を築き、相互に信頼関係が深められると、その深さだけ訓育的指導が実を上げることができるという考え方である。
 そして、今井は教育相談中核説がこれからの生徒指導であり、それを推進するための統合された姿勢が学校教育相談の目指す姿勢であると結論している。 今井の主張は、<教育相談中核説>と他の説の対立点を、訓育的指導と相談的指導の統合の可否であると考えている。<中核説>は、「生徒に添う姿勢」を接点にして訓育的指導と相談的指導を統合することが可能であるとしている。しかし、結論から言えば今井の<教育相談中核説>はまやかしである。「生徒に添う姿勢」は<カウンセリング・マインド>と同義語である。<カウンセリング・マインド>批判は第3章で徹底的に行うが、「生徒に添う姿勢」というのは具体的なものでなく単なるムードであり、そんなもので統合できるなら誰も長い間苦しまなかったはずである。それに、統合されたものなら五分五分のはずであるのに、なぜ教育相談が中核になるのか理解できない。<教育相談中核説>は、教育相談に我田引水した絵に書いた餅である。それだけなら罪がなかったが、統合したくてもできなかった教育相談がどうしても譲れない部分を蔑ろにした罪は大きい。
 それでは、従来の生徒指導と教育相談の関係をどのように考えればいいのか。私の考えは第3章で述べるが、今井の分類で言えば、理想的には<統合説>であるが、現実的には互いの立場をよく理解した<役割分担説>である。


第7節 これまでの学校教育相談体制の研究

 教育相談の学校に定着させるために、これまで様々な研究や実践がなされてきた。その成果を、領域・仕事・組織の面からまとめてみよう。

1.学校教育相談の領域
 
 日野宜千は学校教育相談の領域について、開発的教育相談を念頭に置いた試論14として次のような表を作っている。
領域  名 称       機   能      態勢 人間 対象
第1領域 教育カウンセリング〔指導機能〕学校経営学級経営  ・カウンセリング・マインドと呼ばれるような人間関係を重視し理解と受容を根底とした教育活動
・教育活動へのカウンセリング理論(理念)の浸透
集団指導↓↑個人治療 教師非専門家↓↑専門家相談員  全員↓↑問題児 
第2領域 開発カウンセリング〔ガイダンス機能〕学習指導進路指導  ・発達課題への援助をもとにしたカウンセリング
(誰にもある悩み・将来の自己 表現への援助)
・グループ相談等集団を対象とするカウンセリング
第3領域 予防カウンセリング〔メンタルヘルス機能〕心理検査  ・心理検査・チェックリスト等の活用
・問題行動の早期発見(保健室等の利用)
・啓蒙活動(精神保健思想の普及)            
第4領域 治療カウセリング〔治療機能〕事例研究外部機関との連携  ・事例研究会等の実施
・校内体制の確立
・相談室の整備
・外部機関への委託・連携
・相談員の研修
 学校内における教育相談を、集団か個人か、指導か治療か、生徒全員を対象にするのか問題を抱えている生徒だけを対象にするのか、教師が対応するのか相談員が対応するのか、専門性の程度などによって分類している。

2.学校教育相談の仕事

 それぞれの領域の仕事の内容と、学校における比重の大きさについて、埼玉県立南教育センターの調査資料15から考えてみよう。この調査は、高等学校で相談係が現在行っている、または将来的に行いたい仕事の順位を調べたものである。
1)問題を持つ子供の担任からの相談に応じる。
2)事例研究会などの研究会を計画実施する。
3)担任の依頼により問題を持つ子供を指導する。
4)教育相談に関する資料の収集と情報の提供をする。
5)養護教諭と協力して相談活動を進める。
6)係として父母の相談に応じる。
7)担任と協力して父母の面接指導をする。
8)心理検査を実施する。
9)他の相談機関に紹介する。
10)教育相談活動のPRをする。
11)年間活動計画を立てる。
12)教育相談に関する実施調査をする。
 これらの項目が現在行われている教育相談仕事のすべてであると思われる。順位については学校や地域によって多少の変動はあるだろうが、だいたいこのような順位になるのではなかろうか。
 この結果を領域別に分類すると、1)3)6)7)は専門のカウンセラーが行うようなかなり高度な<治療カウンセリング>、2)5)9)11)12)は連絡や調整を中心とした<治療カウンセリング>、4)8)10)は<予防カウンセリング>となるだろう。 領域別に仕事内容を分類することによって、各領域のイメージもだいたい把握できるだろう。<治療カウンセリング>は、相談員や専門的な技量を持った教師が、問題をもった生徒の個人相談を行うものである。上の結果でもわかるように、従来の学校教育相談の主流を占める領域である。<予防カウンセリング>は、養護教諭ややや専門的な技量を持った教師が、問題を抱えている生徒の早期発見と簡単な治療を目的とした行う領域である。最近注目されているメンタルヘルスである。<教育カウンセリング>は、専門的な技量を持っていない教師が、一般の生徒集団を指導する教育相談的な教育活動である。現在盛んに推進されている<カウンセリング・マインド>を生かした教育である。<開発教育相談>はあまり専門的な知識を持っていない教師が、生徒全体や小集団や個人の能力を開発する領域である。具体的な内容として、国分康孝16が「育てるカウンセリング」という呼び方で次のようなことを提言している。
a) 進路相談
 これからの人生をどう過ごすかという人生設計のために、自分の興味・能力・価値観・現実状況などについて自己理解・自己分析の機会を提供する。b) 学級経営
 教師と生徒集団の信頼関係を作り、生徒相互のふれあいを促進し、教師が柔軟にリーダーシップの取り方を変え、しかも生徒一人一人のケアーを忘れない。
 対話のある授業
 管理職への提言
 啓発(サイコエデュケーション)
 職業選択の原理・職場の人間関係・異性交友・心理的離乳・精神衛生・友人関係・性格などの問題への対処法のプログラムを開発し、講義方式・討論方式・視聴覚教育方式・体験学習(グループエンカウンター・ロールプレイ・現場見学など)を通して学習させる。こうなると傾聴能力の他に話す能力が必要になる。

3.学校教育相談の組織

 学校教育相談の組織について、今井五郎は調査資料から1)独立型、2)生徒指導部型、3)進路・保健部型に分類している17。さらに、私の試案として4)教務部型、5)学年部型、6)委員会型を加えて考えてみよう。
1) 独立型
 管理職直属のように他の部から全く独立しているか、あるいは教育相談部のように他の部と同じ位置づけに置かれているタイプ。
 学校の管理的、訓育的、集団的指導体制とのかかわりを避け、専門機関の手法を用い、生徒との深いかかわりを持つことができる。相談室中心の教育相談に偏りがちであるが、重い問題行動を持った生徒の治療に適している。また、秘密保持も比較的容易な点が長所である。
 この型の教育相談を定着させるためには、次のような条件や配慮が必要である。a)相談係はたえず研修を積み高い技量を身につけ、それを他の教師が認めている。b)後継者を育てておく。c)相談ケースが少なくても、教育相談の意義に対する一般教師の理解が必要である。d)開発的相談に目を向ける。e)他の教師との連携を大事にする。
2) 生徒指導部型
 生徒指導部内またはその下層に置かれているタイプ。
 「教育相談は生徒指導の下位概念である」という生徒指導重視の姿勢を基盤にしている。教育相談を校務分掌組織に位置づける際に多くの教師の同意が得やすく、相談係が他の教師と連携をはかることも比較的容易である。
 しかし、生徒指導と教育相談の境を見失いがちになり、相談室が取り調べや説諭の部屋に使われたり、相談係に部員全員を当てるなど、相談係の存在が薄れ形骸化する危険性もある。生徒もイメージ的に相談しにくいという欠点がある。
 この型の教育相談を充実させるためには、次のような点に留意する必要がある。a)相談室は教育相談以外の目的に使用しない。b)相談係は兼務をせず、その仕事内容を明確にしておく。c)部内で教育相談に関する資料配付、話題提供、提案などを積極的に行い、他の生徒部員にも教育相談を理解してもらいながら協調していく。d)生徒指導研修会などを利用して教育相談に対する理解を拡げる。
3) 進路・保健部型
 進路部・保健部内またはその下層に置かれているタイプ。
 進路や健康のことならば教師に相談しやすいので、生徒は抵抗なく自主的に来談でき、自然なかかわりが教育相談の糸口になる。相談室が開店休業になり組織が形骸化する傾向もなく、他の教師との連携も図りやすい。
 しかし、進路部の場合は、意識が進路上の相談や助言にに偏り、本来の教育相談の意義が誤解されやすい。保健部の場合は、治療的な要素が強くなり、生徒指導部との連携が難しくなることがある。
4) 教務部型
 教務部内またはその下層に置かれているタイプ。
 教務部は生徒の欠席や成績を把握しやすく、学習面の変化から生徒の問題に気づきやすい。客観的な資料や情報を提供できるので他の教師の認識や協力も得やすい。先を見通した開発的な教育相談もしやすい。
 しかし、教師は学習指導から生徒を見ることが多くなり、内面的な問題を見落としがちになる。教務部は校内規定を守る立場から管理的になることもある。また、従来の教務部の仕事内容からすれば意識の変革が必要にある。生徒の相談も学業的な面に偏る可能性がある。
5) 学年部型
 特定の部に相談係を置くのではなく、学年部に相談担当者を置くタイプ。担当者は学年部長でもよいが、教育相談に理解のある担任の方がよい。
 生徒の自主的な相談に応じるのでなく、担当者が中心になって学年会などで教育相談の必要な生徒を挙げてもらい、その生徒に適した教師チームを検討して指導援助に当たっていく。最も教師の協力が得やすく、機能的に動くことができる。
 しかし、教師集団に教育相談的な姿勢がなければ訓育的な指導になる危険性も強い。校内に教育相談の力量のある教師がいるか、外部の専門機関との連携がなければ、適切な指導ができないこともある。
6) 委員会型
 校務分掌としては置かずに、各部から担当教師を選出したり、希望者が集まって委員会組織を作るタイプ。
 各部から選出した場合は、校内の連携がスムーズにいき、さまざまな角度から援助や指導ができる。希望者の場合は、教育相談に理解のある教師が集まるので質的に高い活動ができる。
 しかし、各部からの選出の場合は、教育相談に理解のない教師が選出されることも考えられ、形式的になり形骸化する危険性がある。希望者の場合は、一部有志の集まりという印象が強く、組織として多くの教師の承認を受けにくい。また、兼務になるので負担が重くなる。
 どの組織にも一長一短がある。学校の事情に合わせて決めるのがいいだろう。その際に考えなければならないことは、学校の教育相談に対する理解がどの程度なのか、どういう領域や仕事が主となるのか、中心になる教師がどの程度の力量をもっているのかということである。実態については「私立高校の教育相談」( 2138-2160)を参考にしてもらい、私の構想は第3章以降で詳しく述べる。


第8節 現在模索されている教育相談ビジョン

1.学校カウンセラー制度

 最近、学校に専門カウンセラーの配置が模索されている。原野広太郎(1980,1987,1991)は、教師と学校カウンセラーの共通点を、児童生徒の人間性の完成という目標をめざしてその仕事を遂行することであるとしながら、専門カウンセラー制度導入の前提として、教師とカウンセラーの目標の違い18を次のように考えている。
学校教育の目標
   1)人格の完成   カウンセラーの役割
       1)性格の形成、行動の適応、望ましい人間関係
       2)問題の解決、障害の矯正・治療・変容、援助・助言
   2)資質の完成・向上   教師の役割
       1)物や事、事実、論理を生徒に伝える、教える
       2)技能、芸能、運動能力などの訓練、習練
 また、仕事や態度の違いについては、教師は、「論理・心理を子どもたちに伝える役割」を担っており、「伝える対象はマス(多数)」になるので、「相手は個としての児童生徒であることを忘れがち」になる。そして、社会通念に従って論理・理屈を教示する。それに対してカウンセラーは、論理を振りかざしたり説教したりせず、「感情・情緒のコミュニケーション」を行う。このように、教師とカウンセラーは相いれないものであるので、教師が学校カウンセラーの役割を同時に担いえないと考えるのである。
 日本相談学会や十数年前に出した学校カウンセラー制度の一試案によると、学校カウンセラーの位置づけ、機能、役割については、「学校教育における教育職員の一員で、校長、教頭、教諭、養護教諭らとともに教育職員組織を構成する。学校内においては、専門的立場に位置し、職階的位置づけではない。学校カウンセラーは主に専門的知識および技術を要するガイダンス、カウンセリングを担当する」19と提言している。そして具体的仕事として次の8項目を挙げている19
1)児童・生徒への個別・集団カウンセリング
2)各種の専門的援助
3)心理検査等に関する仕事
4)学級担任教師、教科担任教師等への助言
5)校長への助言・指導
6)親への助言・指導
7)児童・生徒に関する資料の整備
8)関係諸機関との連絡に関する仕事
 また、学校カウンセラー設置に対して予想される反対論として「特別の制度がなくても、児童・生徒の指導は十分やれる」「特別にカウンセラーなどおくと、理論だけで、頭でっかち、膚の触れ合いによる教育ができない」「学校カウンセラーには、特別の心理学的資質が要求されるが、そのような人は得られない」20を想定し、それに対して養護教諭制度が学校で十分機能していることや、制度ができればそれに応じて教育が現れるであろうと反論している。

2.スーパービジョンシステム

 学校の限界内で治療的相談活動をする場合、スーパービジョンのシステムの導入が必要になってくる。スーパービジョンとは、相談教師が自分の抱えている問題生徒の指導について、より高度な力量をもったカウンセラーに相談することである。
 このシステムについては、東山紘久が、和歌山県で実践しているシステマティクアプローチを紹介している21
1) 学校で問題の生徒が出てきた時、校長を通じて、教育委員会に組織されている教育相談センター(相談主事)へ相談を申し込む。相談主事は学校組織とカウンセリングに習熟した人で、スーパーバイザーでもある。
2) 問題生徒に関係のある教師集団(管理職も含めて)に集まってもらい、相談主事であるスーパーバイザー(B)に問題解法にはどのような方法でアプローチするのがいいか、学校カウンセラー・グループ(実働部隊)をどうするのかの方針を立てる。
3) 臨床活動はほとんどすべて学校カウンセラー・グループが行う。
4) 管理職は学校の方針を職員会議に諮り、教師集団の意志統一をしておく。5) 以後定期的に、学校カウンセラー・グループがスーパーバイザー(B)の所へスーパービジョンに通う。
6) スーパーバイザー(B)も定期的研修のため、教育委員会と契約が結ばれているスーパーバイザー(A)の下に通う。
 このシステムの効果については、「問題が早期に発見され早期に適切な対策」が行われる。また、「学校にカウンセリングのできる教師が数多く生まれ、他の教師にカウンセリングの効果をアピールする自然の機会を提供する」等を挙げている。しかし、このシステムを成功させるには、「スーパーバイザーの養成」が不可欠であり、その人が「学校のシステムや教育界の性格に精通している」ことが必要になる。



引用・参考文献

 1 坂本昇一・井坂行男 1965 『カウンセリングと生徒指導』 文教書院,Pp46-80
2 文部省 1965 『生徒指導の手びき』 大蔵省印刷局,まえがき
 3 文部省 1981 『生徒指導の手引』 大蔵省印刷局 ,p101
 4 全国教育研究所連盟 1986 『新しい生徒指導の視座』 ぎょうせい ,Pp26-31
5 原野広太郎 1980 『教育臨床の心理』 金子書房,Pp167-170
 6 中野武房 1986 「学校教育相談における教師のあり方」(全国教育研究所連盟『新しい生徒指導の視座』ぎょうせい,Pp116-121
7 小泉英二 1978 『続学校教育相談』 学事出版,Pp20-29
 8 小泉英二 1987 「学校におけるカウンセリングの実際」(『児童心理6月号』金子書房,Pp19-20 )
9 小泉英二 1991 『学校教育相談・初級講座』 学事出版,p49
10 西村州衛男 1991 「学校カウンセリングと生徒指導」(『青年心理1月号』金子書房,Pp68-73 )
11 小泉英二 1991 前掲書,Pp32-36
12 文部省 1981 前掲書,Pp26-28
13 今井五郎 1989 「学校教育相談のとらえ方」(『学校教育相談のとらえ方・学び方・進め方』ぎょうせい,Pp14-19 )
14 日野宜千 1992 「開発的教育相談のあり方」(『月刊学校教育相談1月号』学事出版,p28 )
15 埼玉県立南教育センター 1988「学校教育相談の実態とそのあり方に関する調査研究」 報告書第 220号
16 国分康孝 1987 『学校カウンセリングの基本問題』 誠信書房
16 国分康孝 1990 「これからの学校カウンセリング」,Pp68-74(『児童心理2月号』金子書房,Pp12-21 )
17
 今井五郎 1986 『学校教育相談の実際』 学事出版,Pp36-41
17 今井五郎 1991 「学校教育相談の組織と運営」(『月刊学校教育相談1月号』学事出版,Pp84-85 )
18 原野広太郎 1991 「教師であること、カウンセラーであること」(『教育と医学5月号』慶應通信,Pp15-21 )
19 原野広太郎 1987 「学校カウンセラーの新しい役割」(『児童心理6月号』金子書房,p13 )
20 原野広太郎 1980 前掲書,p170
21 東山紘久 1991 「これからの学校カウンセリングと学校カウンセリングの問題」(氏原寛ら編『学校カウンセリング』ミネルヴァ書房,Pp200-203) 



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