人と人の間


木村敏の『人と人の間』を参考にして、日本人の、倫理観や人間関係について考える。

1.自己とは

「自己」は、「自己ならざるもの」に対する存在である。つまり、「自己ならざるもの」が存在して、初めて「自己」が存在する。
そして、「自己」と「自己ならざるもの」とは、同時に存在する。

2.人と人の間

日本人は、「自己ならざるもの」=「他人」と想定する。
そして、「自分」と「他人」は、同時に存在している。
とすればこういうことになる。
Aにとっての「自己ならざるもの」はBであり、
Bにとっての「自己ならざるもの」はAである。
つまり、AはBが存在して初めて存在するのであるが、そのBもAが存在して初めて存在する。
そうしたAとBの中のAの重なり、「自己」と「自己」の重なりの部分が、<人と人の間>である。
しかも、それは「自分」と「他人」がそれぞれ独立して存在する根拠になる場所である。
時間的な軸から言えば<御先祖様>、空間的な軸で言えば<世の中><世間>と呼ばれているものがそさに当たる。

3.義理と人情

こういった日本人の特質は、<義理>や<人情>という言葉で表される。
<義理>や<人情>は他人に対する水平な倫理観である。
対人関係の中で<義理>や<人情>をうまくするには2つある。
1つは、相手の気持ちを敏感に感じとって、それに臨機応変に対応していくことである。そのためには他人に対して絶えず神経を使っていなければならない。

もう1つは、相手の支配下に入ってしまい、相手の好意に甘えてしまうことである。しかし、甘えすぎて相手を怒らせてしまわないように、自分が満足するだけでなく、相手にとっても快感を誘うような甘え方が要求される。また、自分が甘えようとする、甘えることを受け入れてくれる存在の選択も要求される。

4.身内意識

しかし、日本人の気持ちは、非合理的・断続的な風土の影響を受けて、突発的な激変の可能性を含んだ予測不可能なものである。
相手に自分を預けることは非常に危険なことである。少しでも安全を確保するために、互いに自己を相手に委ね合う<身内意識>が強固になってくる。
親しいものに対しては<人と人の間>の距離は無限大にまで縮まるが、そうでないものに対しては無関心、冷淡、時には敵対したりする。


参考文献

木村敏 『人と人との間』 1972 弘文堂


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