雑誌作り

 長くて短い夏休みが終わりました。いよいよ二学期の始まりです。九月は暦の上では秋の月に入ります。でも、今年の九月は七月の初め涼しかった分が残っていて、八月の暑さに負けない日が続きます。教室では、白い半袖のカッターシャツの中学生たちが、飽きる事も忘れて、夏休みの思い出を話しています。表か裏か分からないぐらい真っ黒に焼けた生徒に混じって、先生も楽しそうな話の輪に入っています。夏休みに海や山へ行ったのとはまた違った楽しさが、そこにあります。まず、四国へ行った子が得意そうに話します。すると、「そんなのなんだい」と言って日本アルプスに登った子が口をはさみます。さらに、九州へ泳ぎに行った子が話の中心になります。次に、北海道を旅行した子がその座を奪います。ついで沖縄で海洋博を見てきた子が自慢話を始めます。さすが、私立の中学校だけあって、どの生徒も、どこへ連れて行ってもらっています。距離で負けた生徒も、他の子の話を熱心に聞いています。いろいろな質問が飛び交います。うまく答えられないと「お前、本当に行ってきたのか」という声が、あちこちから出ます。そこで、皆は、笑い出します。ある生徒が「先生は」と聞きます。先生は、照れたようなしぐさをして「僕はハワイだ」と言います。すぐに「本当」という声が上がって、先生は「ウソ」と答えます。また、爆笑が起こります。
 この教室には、もう一つ、小さなグループがあります。自ら『高踏派』と称している、文学の好きな子供達です。彼らも、それぞれどこかへ連れて行ってもらっているのですが、そんな話をするよりも、夏休みに読んだ本の話をしている方が、ごきげんなグループです。漱石や川端康成や太宰の日本の名前も出てきますが、ほとんどは、ゲーテとかスタンダールとかジードとかトルストイと言った外国の作家の話です。みんな、専門家ぶって、感想というより批評を述べ合っています。先生も、この話を聞いていますが、「こりゃかなわぬ」と閉口しています。他の生徒は出ていないようです。
 高踏派の森田くんが、取って置きのごちそうを出すように話し始めます。
「僕、夏休み中かかって小説を書いたんだ。みんなに読んでもらおうと思って持ってきたんだ」
 森田くんが鞄の中を探していると、菊村さんも、
「私も、詩を作ってみたの。見てくれる」
 というと、残りの三人も何か書いたものを出します。
「なんだ、みんなもかい」
 やっと探し出した森田くんがいます。「
「やっぱし、僕たちは、同じ穴のムジナってところかな」
 少し気取った調子で石田君がそう言うと、
「ムジナって何よ。麗しきレディもいるのよ。ねぇ、岡部さん」
 菊村さんが混ぜ返します。みんなは、しばらく笑います。
「ねぇ、これだけ集まったんだから、回覧かなんかで、同人誌作らない」
 岡部さんの提案に、みんなは、色めき立ちます。なんせ好きな連中だけに、こんな話になると、トントン拍子でまとまって行きます。
「それじゃ、名前を決めよう」
 いつも、まとめ役の森田くんが早速手腕を振るいます。
「ロマンスはどうかしら」「
「ちえっ、少女趣味だな」
「じゃ郷愁ってのは」
「センチメンタルだな」
「田園、英雄、月光、運命」
「馬鹿」
「じゃ、何がいいのよ」
 石田くんと菊村さんの取り止めもないやりとりを、いつものように森田くんが仲裁します。
「中野君、何かないかい」
「青空」
「ちぇっ、平凡すぎて面白くないよ」
「そんなこともないわ」
 岡部さんが意見を言います。
「素朴でいいと思う。それに、何か夢がありそう」
「じゃ、多数決を取ろう」
「いや、僕は依存はないよ。青空、なかなかいいじゃないか」
「それじゃ、青空にしよう。形式はどうしよう。回覧という意見も出ているんだが」
「でも、お金もかかることだし、私達中学らしいと思うの」
「でもちょっと抵抗感じるわね。回覧じゃ本の気分でないわよ」
 菊村さんがいかにも厭そうな顔で反対します。
「ガリ版じゃどうだろ」
 珍しく中野くんも言います。中野くんは、滅多に自分から発言しない内向性の強い性格でした。そんな中野くんの意見には妙に意義があります。話が決まりそうになった時、石田くんが反対します。
「どうせやるなら、活字にしよう」
「ええ、それならまるで本物の本みたい」
 菊村さん達が直ちに賛同の意を表します。
「いいのはいいんだけど、お金どうするんだい」
 森田くんはすかさず現実主義者だけあります。
「そりゃ、僕らで出しやってもいいし、寄付を集めてもいいし。それに、中野の家は印刷屋だから、印刷はタダになるんじゃないか」
 この名案によって話は急速度で展開します。みんな希望に満ちた顔で意見を言い合います。その中で、一人中野くんだけが、そわそわ落ち着かない様子で黙っています。中野くんは、誰がが反対意見を出してくれるの待っていました。仲間との対面上を、自分からはどうしても反対できません。しかし、中野くんが待っている意見は、ついに出ないまま話し合いは終わりました。決まったことは、題名を「青空」とすること、原稿の締め切りを九月三十日にすること、十月九日に発行すること、紙代その他は、各自が出す分と先生から調達する分で賄うこと、印刷は中野くんに任せること、以上です。
 次の日から、早速、分担作業に取り掛かります。まず、菊村さんと岡部さんが文房具へ、紙の値段を聞きに行きます。店の親父さんは、三五〇〇円だといいます。でも、菊村さんはさんざん粘って値切り始めます。
「おじさん、ちょっと高いわよ。少しまけて」
「まけてって、わしの方も商売ですからね」
「そう言わずにさ。私達中学生なのよ。今度ね、同人誌出すの。これからもここで買うから、ねぇ、お願い」
 岡部さんは何も言わずに、真っ赤になっています。先から菊村さんの袖を引っ張っているのですが、菊村さんは、その手を払って喋り続けています。とうとう、おやじさんは根負けして、二〇〇円負けてくれました。この報告を受けて、翌日、森田くんと石田くんは、昼休みに職員室を訪れました。先生は、弁当を食べている最中です。
「あのぉ、先生。今度、僕たち同人雑誌を出すんですが」
 まず、森田くんが切り出します。先生は箸を置いて、森田くんの方を向きます。
「ほぉ、そりゃいいことだね。それで詳しい所まで決まっているのか」
 森田くんが、自分たちで決定したことを報告します。
「なかなか、しっかりしているね。君たちは。僕にできることがあれば言ってくれよ。及ばずながら力になるよ」
「はい、そのつもりでお伺いしたのですが、少々経済的援助をお願いしたいのですが」
「幾らぐらいだ」
 先生は気持ちよく言ってくれます。
「幾らでも結構なんです」
 森田くんが恐縮して答えるのを焦れたくって堪らなくなった石田くんが口を挟みます。
「ええっとですね、先生。紙代やあれやこれやで一万円近くはかかるんですが、先生には三三〇〇円出してもらいたいんですが。
「半端な金額だね。後は君たちで出せるのか。親からねだるんだろう」
「いいえ。みんな小遣いをはたいて出すつもりです。それに、できた本は売る予定なんですから、もし、儲かったら先生の分をお返しします」
 先生は、呆れたと言った顔して、三五〇〇円を出してくれました。石田くんは頭を深々と下げて職員室を出ます。森田くんも軽く会釈をすると、慌てて出て行きます。二人だけになると何か言いたそうな森田くんを制して、石田くんは、人差し指で頭を軽く叩きました。
 教室に帰って、石田くんが、交渉の成果を得意そうに発表します。みんなは歓声を上げて二人を迎えます。
「これで、私達の負担がなくなったってわけね」
 菊村さんが手を叩きながら言います。
「さすが石田くんね。でも、先生に悪いみたいね」
 岡部さんが言います。中野くんは、黙っています。でも、とても嬉しそうな顔しています。
「さぁ、後は原稿を書くだけだ」
「僕、何書こうかな」
 石田くんが、とぼけた顔をして独り言のようにつぶやきます。菊村さんが、間を入れずに反応します。
「まだ決まってないの。だめね。私なんか、もう考えてるわよ。悲しい悲しい恋の詩」
「おあいにくさま。とっくに決まっ決めてあるよ。SF小説」
「そんなのわかってるわよ。知ってて聞いてあげたのよ。わかる。ねぇ、森田くんは何書くの」
「うん僕は、心理小説を書きたいと思っているよ」
「岡部さんは」
「私、推理小説が好きだから、一度やってみようかな。でも、恋愛小説も書きたいわ。今、とっても迷っているの」
「中野くんは」
 少し間をおいて、小さな声で答えます。
「まだわからない」
「早く決めないと書けなくなるわよ。締め切りは厳守なんだから」
 午後の授業のベルが鳴りました。九月の中頃、一日中、雨が降り続く日がありました。その次の日から、急に涼しく、めっきり秋らしくなりました。高踏派の連中は、顔を合わすと原稿の進み具合を話題に、作家気取りで言葉を交わします。クラスの人達にも「今度、同人雑誌出すんだ」と得意そうに話すので、このことは、彼らだけの楽しみでなく、クラス全体の楽しみに広がっていきました。先生もこの活動を高く評価していて、学活の時間にも取り上げてくれました。職員室でも話題にしていました。そんな中で、一人中野くんだけが沈んでいます。仲間とはできるだけ話をしないように努めています。それでも、締め切りまで後五日という日の昼休みに、森田くんに捕まりました。
「おい、中野。原稿は書けたか」
 中野くんは曖昧な返事をします。
「本当は、うまくいっていないんだろう。どうも最近、様子がおかしいぜ。悩みがあるなら話してみろよ」
「ない」
 中野くんはきっぱりと答えるです。
「そうか、それならいいんだが、後五日、締め切りは厳守だぜ。ああ、それから、印刷の方、頼むぜ」
 森田くんは励まそうと、軽く一つ肩を叩くと、教室を出て行きました。
 放課後、中野くんは、誰もいなくなった教室に一人で座っています。頭を両手で抱えて、机の上にうずくまっています。そこに岡部さんが、忘れ物を取り入ってきました。中野くんの姿を見ると、静かに近寄ってきます。
「どうしたの、頭でも痛むの」
 中野くんはびっくりして頭を上げます。
「なんでもない。早く帰れよ」
 中野くんの言葉には、怒気が含まれています。岡部さんは、驚きましたが、それでも、立ち去ろうとはしないで、もう一度尋ねます。
「帰ってくれよ。一人にしてくれよ」
 岡部さんは動きません。二人は、黙ったまま、しばらく見つめ合っていましたが、中野くんの方が、まだ頭を埋めます。岡部さんはじっと見守っています。そこに、先生が入ってきました。
「おい、お前たち、まだ残っていたのか」
 岡部さんだけが、振り向きます。岡部さんは、目で中野くんを差します。
「どうしたんだ。中野、気分が悪いのか」
 中野くんは、やっと顔を上げましたが、口を開こうとしません。
「さっきから幾ら聞いても答えてくれないんです」
 岡部さんが、悲しそうな声で訴えます。先生はしばらく考えました。
「中野、同人雑誌の事か」
 中野くんは、一旦きっぱりと首を振りましたが、しばらくして、頷きました。
「原稿できていないのか」
「いいえ」
 消え入れそうな声です。
「じゃ、なんだ」
 先生は畳みかけないで、少し間をおいて、優しく問いかけます。中野くんは、黙ったまま、上目使いに、先生と岡部さんを交互に見ていましたが、決心したように口を開きました。
「印刷のことなんです」
「印刷」
「そうなんです。雑誌の印刷は、僕の家で、タダでやる事になっているんです。でも、家の人には、まだ頼んでいません」
「もっと詳しく話してくれるか」
「はい。僕の家は、印刷屋をやっているんですが、とても小さな店に機械が一台あるだけで、人も雇わず、父と母が二人で、コツコツと切り回しています。幸い、仕事は忙しく、僕なんかも、時々、活字拾いをして手伝います。でも、仕事の割には儲かっていないみたいです。子供の僕が、余計な心配かもしれないけど、月末になると、あちこち集金して回るんですが、機械の借金とか、僕の学費とかで、いつも、苦しい苦しいと連発してのが、耳入ってくるんです。父に話せば、快く引き受けてくれると思うのですが、僕には、とても言えません」
 岡部さんは、心配そうに中野くんの顔を覗いています。
「じゃ、なぜそんなこと、請負ったんだ」
「僕にだって、男のメンツってものはある。できないなんて言えないし。まして、金を出してくれって何で言えるもんか」
 中野くんの声は、いつしか涙声に変わっています。岡田さんの足元にも、涙の跡がついています。
「ごめんなさいね。私、そんな事情、知らなかったもんだから」
「知らなかったもあるもんか。常識考えりゃわかるだろ」
 中野くんは、いつもになく興奮しています。岡部さんは、何も言えず、落ちる涙の間隔が短くなります。
「先生も悪かった。もう少し、深くまで考えるべきだった。さあ、二人共、もう泣くなよ。まるで、僕が叱りつけたみたいじゃないか。明日、君たちの仲間を集めて、僕から話してみよう」
 しばらくして、中野くんが、出て行きました。岡部さんは、中野くんの後ろ姿を見送った後で、先生の胸に顔を埋めて、激しく泣きました。
 次の日の放課後、先生は、五人を呼んで、昨日のこと話ました。一通り事情を説明した後で
「というわけだ。それで、今後どうするのか、君たちで決めて欲しい」
 みんなは、神妙な顔つきで聞いているだけで、誰も沈黙しています。
「ちぇっ、僕なら、無理してでも引き受けてやるのに」
 石田くんが一人事を言います。菊村さんも呟きます。
「あーあ、せっかく書いたのに」
 岡部さんは、ヒヤリとして、中野くんを見ます。でも、中野くんの耳には届いていないようです。岡部さんは、激しい怒りを込めて、二人をにらみます。二人は、訳がわからないといった表情で、視線を外します。
「それじゃ、ガリ版にするか」
 森田くんが言います。石田くんと菊村さんが難色を示した他は、何の反応もありません。そこで、今度は、先生が提案します。
「どうだろ。印刷代を、僕が一時、立て替えるというのは。中野くんの所で印刷してもらって、もし、売り上げがあったら、その中から僕に返してくれればいい」
 そんな事件を乗り越え、ついに、同人雑誌出ました。クラスの中でも、職員室でも、大評判です。そして、高踏派の五人は、次の作品の制作に励んでいます。                                            

「二十歳」 一九七五年一〇月
京都教育大学 二回生