転勤一年目、相談教師として何をするか
〜パフォーマンス・タイプでなくメンテナンス・タイプで調整していく〜


 手探りの一年でした。いきなり三年生の担任で戸惑うこともありましたが、生徒に教えてもらいながら無事一年を終えました。

公立高校の教育相談体制
 私が勤務する地域では、教育相談部が独立して設置されている公立高校はなく、多くは保健部内の係の一つとして位置づけられています。また、各分掌の代表者による会議はありますが、不登校傾向の生徒の進級判定の原案を作成するのが主な仕事になっていて、相談活動はほとんどなされていないのが現状です。教育委員会が補助金を出している公認の教育相談研究会はあり、四十年の歴史もありますが、そこで教育相談を勉強し経験してきた教師が、教育相談の公務に就いているとは限りません。
 私もその研究会で二〇年あまり研修してきましたが、教育相談に関する分掌や係になったことは一度もありませんでした。もっとも、前任校には一二年間勤務していましたので、私が教育相談に関心があることは管理職にも他の先生方にも認知されていました。いろいろ相談されたり部外からかかわる機会も多くあり、残留すれば保健部長として教育相談活動を充実させていくという構想もありました。しかし、転勤に際してそういった引き継ぎはなかったようでした。

転任校の様子
 転任校(以下本校)は、地域性の強い高校が多い中で、一時間以上も電車に乗って登校する生徒もいる高校です。成績で言えば中位から上の生徒の層が厚く、女子が四分の三以上在籍している、落ち着いた雰囲気の学校です。
 地元の高校へ行く生徒が多い中で敢えて本校を選択する理由には、学習面や進路面の希望だけでなく、中学校での人間関係がうまくいかなかったことも少なからずあります。気持ちが優しいと同時に弱い生徒が多いようです。不登校などの形で顕在化することは少なく、落ち着いた雰囲気の中で安定感を取り戻しつつ学校生活を送っていますが、潜在的に心理的な問題を抱えた生徒が多いように感じました。
 先生も熱心な方が多く、教科指導だけでなく学校行事や特別活動にも力を入れていますが、教育相談に関しては問題が顕在化していないせいか、反発や反感はないものの、強い関心を持ったり必要性を感じたりしている先生は少ないようです。職員会議でもあまり発言はありません。

相談教師としての地盤づくり
 こうした平穏な環境の中で、相談教師として活動するのはかえって難しいことが多くありました。教育相談を推進するには、パフォーマンス・タイプで引っ張っていくのでなく、メンテナンス・タイプで調整していくことが必要です。理想的な方法は、さりげなく振る舞いながら、その匂いに気づいてもらうことです。
 まず、学校という組織の中で活動するには管理職の理解が必要です。そのためには、私が教育相談にかかわっていることを知っておいてもらう必要があります。しかし、わざわざそのことだけを伝えるのはかえって変な印象を与えます。たまたま研究大会の事務局をすることになっていたので、その件を報告がてら話をしました。校長はそれなら保健部に入ってもらうべきだったと言いながら、本校での教育相談の必要性はあまり感じていないようでした。
 生徒には、自己紹介のときに、心理学のようなものを勉強していると話しました。授業では国語の教師なので、「なんでや」としつこく追究し質問を多くして対話のある授業を心がけました。ときどき心理テストやグループワークをしたりして、温厚でちょっと変わった先生だと実感してもらえたようです。クラスには不登校や大きな問題が顕在化する生徒もなく、幸いにして教育相談の手腕を発揮することもありませんでした。個人面談を数多くし、こちらからアドバイスをするのでなく、できるだけ生徒の考えや気持ちを聞くようにしました。卒業文集では、私の風貌もあって、黒魔術師のようだと評していました。

先生方との良好な人間関係を築くために
 最も難しかったのが、一般の先生方との関係でした。今までの経験や実績ではアピールできません。「私は教育相談ができます」と公言すれば、かえって胡散臭い目で見られます。教育相談は生徒を甘やかすとか、一部の教師のマニアックな世界であるという認識が少なからず残っている上に、教師社会には「出る杭は打つ」という雰囲気もあります。
 まず、良好な人間関係をつくることが必要です。朝は声を出して挨拶をする、いつも笑顔で接する、受け答えは丁寧にする、気がついたことは進んでする。本校の気になる問題はあっても、肯定的な面を強調し、問題点は「こういうところが気になります」とソフトに伝える。決して「前任校ではこうだった」と主張することはしない。これらは相談教師でなくとも当たり前のことですが、生徒とのラポールや「聞く」ことが求められる相談教師がその力を認めてもらうには必須条件です。
 幸いなことに、研究会の研修に参加してくれたことのある先生が口コミで広げてくれたり、放課後研究会の仕事をわざと机一杯に広げてすることによって、教育相談の活動をしている教師だということを少しずつ認知してもらいました。また、学年に入ったことで、他のクラスの不登校生徒の話のときに意見を述べたり、LHRで進路学習に役立つグループワークを紹介して全クラスで実施してもらうなど、実際的な場面を通じて自然に存在をアピールする機会を多く持つことができました。その甲斐があって、他の学年の先生からも相談を受けることも増えてきました。
 一番気を使ったのは保健部との関係でした。特に部長の先生に対して越権行為になるようなことは避けなければなりません。そこで、挨拶を兼ねて研究会の総会の案内などを持って行き、簡単に紹介しました。その後も研修会の案内などを紹介すると、スクールカウンセラーが配置されたこともあって熱心に参加してくださいました。研修会の後は、お礼がてら感想を聞きに保健室を訪問したりしました。養護教諭の先生とは実際的な面でいろいろと話をするようにしました。
 また、研究会で知り合った地元の教育委員会の先生にお願いして、中学校と小学校の教育相談部長の会議にオブザーバーとして参加させていただきました。本校にもその小中学校出身の生徒も多く来ており、高校との連携も強化していく必要性を強く感じました。ただ、学校の代表としてでなく、研究会の役員として参加することにして、保健部長の立場に配慮しました。

これからの一〇年の夢
 このように、転任一年目は、出過ぎず、かといって息を潜めず、全体の空気の流れを読みながら、チャンスを見つけては、さりげなく働きかけるように心がけました。
 しかし、三月の成績会議で、一年生の軽度発達障害の疑いのある生徒の判定について、ここで発言しなければ、相談教師としてのアイデンティティが崩れてしまうと思い、指導の経過を質問し、特別支援の必要性を主張しました。すると、普段あまり発言のない先生方も意見を述べてくれました。言うべき時は言う、この気構えも必要だと思います。
 振り返ってみると、前任校までの公務としての実績はなかったけれども、研究会活動を継続してきたことが大きな財産になっていたことに気づきました。学校という組織で活動するには、前任校での公務の実績よりも個人の能力や資格もさることながら、研究会などの組織の一員であることのほうが大きな力になると思います。
 来年度以降、どの分掌になるかわかりませんが、やりたいことはいくつかあります。前任校で二回、心理教育のプログラムを一年間通じて実施しましたが、本校でもの特色の一つである福祉の授業の一貫として、カウンセリングやグループワークの手法を取り入れたプログラムを実施する構想も密かに練っています。また、自分自身の問題を抱えた心優しい生徒が多いので、生徒同士が支え合うピア・サポートの体制をつくりたいという希望もあります。さらに、研究会で築いた人間関係を使って小中高の連携体制をつくることも模索しています。
 あと一〇年、一つ一つ実現して、悔いのない教師生活を全うしたいと思っています。
 手探りの一年でした。いきなり三年生の担任で戸惑うこともありましたが、生徒に教えてもらいながら無事一年を終えました。



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