椎名麟三論


動機

 二回生の秋頃、第一社会学科の友達に勧められて岩波新書の『実存主義』を読んだ。それが僕の考えていたことにぴったりしていて、その本の中に幾人か挙げられている哲学者の中からサルトルを読んだ。『存在と無』などを読んでいるうちにますます夢中になって、今度は日本の小説家で、実存的な傾向の作家を探し始めた。文学史などを読んで、戦後という時代自体が実存的状況にあったことを知り、戦後の中でも最も実存的と言われている第一次戦後派を卒論に取上げた。数人いる第一次戦後派の中から何故椎名麟三を選んだのか、今考えてみてもはっきりした理由は思い当たらない。どうやら、消去法でやっていくうちに彼が残ったらしい。というのは、この作家は誰々の影響を受けている、と書いてあると、その誰々についてもかなり深く研究しなければならないように思え、面倒と言うより、どこまで深くできるか自信がなくなり、それで体系的な影響の少ないと思った椎名が残ったのである。しかし、勿論それだけの理由ではない。誰々からの影響が少ないと言うことは、裏を返せばそれだけ時代状況を根底から掴み取っていたのではないかと考えたからだ。つまり、椎名麟三こそもっとも戦後的実存的な作家であると思ったからである。

僕が椎名麟三の名を知ったのは、高校三年の時だった。題名や内容は忘れたが、彼のエッセイが教科書に載っていた。その後、新聞で彼の死を見た時、ああ習った人だなと思ったのを覚えている。だが、当時は、なぜかしら政治家の椎名悦三郎氏と混同していた程の認識しかなかった。国文学科の学生となって、少しは国文らしくあろうと思って、古本屋で日本文学全集を買い込んで、今までほとんど読んだことのなかった小説というものを読んだ。全集も終盤近く、作者も題名も粗筋さえ覚えていないが、なぜか印象的な作品があった。それが『永遠なる序章』だった。

 以上のようなきっかけで椎名麟三を選んだのであって、初めから好きだったという感じではなかった。研究始めの頃は、むしろなんて下手くそなやつだろうと思っていた。しかし、今では次第に解決できそうもない大きな問題に全存在を賭けて真正面からぶつかっていく彼の姿勢が好きになってきた。


目的

研究というものは、現在という時間と場所に結びつくのがなければ価値がないと思う。しかも、個人的な満足感だけでなく、ある程度社会に通じるものが必要だと思う。僕が椎名麟三を第一次戦後派を選んだのは、現時点における文学をとらえ直すことに究極の目的がある。現在の文学は方向性を失い四方八方に分散し、それでありながら本質的な問題を避け、閉塞的な状況にある。こうした現代の文学に到る出発点、ルーツは、第一次戦後派の文学の中に内包をされていたと思う。戦後文学は幻影だった−−その出発においては、敗戦、天皇制封建主義崩壊などによって、既成的な物が一挙に排除された状況下にあり、人間を含むものの存在を自分自身の肉眼で見極めようとした第一次戦後派は、時代の変化に流されてそれぞれ変節を遂げて行った。−−と言われている。もしそれが本当なら、現在の文学の荒涼は彼らの変節に端を発していることになる。そして、現在の文学を矯正するためには、彼の変節の過程を分析し、その弱点を明らかにし、克服しなければならない。

 それでは椎名麟三について述べてみよう。彼の場合の変節は、キリスト教に入信して、文学上人生上の問題の解決を宗教に求めたことである。ところが彼の戦前の習作を見てみると、やはり宗教へ救いを求めるように変節している。そして、その変節は軍国主義への屈伏を意味しているのである。僕の研究の第一の目的は、端的に言えば、戦前の宗教への変節が挫折であったことから、戦後における宗教への変節も挫折であった事を証明する事である。もちろん、それには社会的状況も加味して考察せねばならない.第二の目的は、彼の問題意識が戦前の習作から戦後の作品まで一貫していることから、彼の問題意識が戦前及び戦後の実存状況から形成されたものでなく、戦前の文学的出発に於いて既に確立されていたこと、それが、転向によって形成されたことをについて考察することである。さらに、それと関連して第三の目的は、問題を解決していく過程を追うことによって、彼の転向について考察することである。


方法

まず、彼の問題意識の解明から始める。実際に作品を追って読めば自ずとわかることであるが、作品ごとに問題意識を抽出して解明していくという方法はここでは取らない。問題意識の解明が目的ではないからだ。ここでは、僕が椎名の問題意識であろうと思う内容を端的に述べた『二重に理不尽なもの』という昭和二十五年十月に書かれた評論から引用することによって提示する。そしてその問題意識に沿って作品を分析してことによって、逆にその妥当性を証明していく。彼の問題意識の根底には「死」がある。「死」がある限り、人間には一切が不可能である。如何にして「死」を克服し、不可能を可能に変えていかという「不可能の可能」が椎名麟三の追究する問題である。「不可能の可能」を実現するために、彼は三本の柱を想定する。「共産主義」と「宗教」乃至は「キリスト教」と「主体性」である。以上が椎名の問題意識である。

 次に、彼の問題意識の中にある、「死」「共産主義」「宗教」「主体性」がどのようにして意識がされてきたかを、年譜及びエッセーから考察する。ここでは「死」「主体性」が転向及び獄中体験によって引き出されたことを述べる。

 そして、三本の柱のうちのどの柱によって「不可能の可能」を実現しようとしているかによって、戦前の習作から戦後の『邂逅』までの作品を、四つの期に分ける。第一期第二期は戦前、第三期第四期は戦後になる。

 そこでやっと作品分析に入るわけだが、作品から引用する場合、その部分だけの意味を解釈するではなく、全体の流れの中で解釈し、また、評論等の資料を参考にしたりすることによって、客観性を保つことに心掛けねばならない。分析の結果だけを簡単に述べると、第一期は「主体性」に、第二期は「宗教」に、第三期は「主体性」に、第四期は「宗教」に、それぞれ「不可能の可能」の実現を見ており、さらに「主体性」と「宗教」は相反するものである。また、各期間の変化は「死」の捉え方の変化に原因している。

 最後に結論として、彼の問題意識の根底にある「死」が転向体験によって意識化されたこと、問題意識が戦前戦後を通して一貫していること、第一期と第三期の類似性から椎名麟三の第一次戦後派としての出発点が戦前の転向によってなされていたこと、第二期と第四期の類似性をとらえ、第一期から第二期への戦前の変節が帝国主義の時代に対する挫折であったことから、第三期から第四期の戦後の変節も時代に対する挫折であった事を証明する。