さんしきすみれ


 とにかく、私は「かもめ荘」を出た。京都から上京してきた私がかれこれ三年間いるアパートで食堂兼応接間兼書斎兼寝室の六畳一間の簡素な城である。私の時計の短針は七時の少し前、長針は五十二分を指している。土曜日だというのに原稿整理で遅くなってしまった。私の勤めている出版社は、と言っても総勢六人の極めて小企業ではあるが、この激動する弱肉強食の社会に生き残っているのが不思議な程ルーズな会社である。尤も、それだからこそ、私のようなものでも一応編集長としてのさばっていられるのだが。もしかしたら、遅刻しないで済むかもしれない。私は足を速めた。汗が背中にじっとり滲んでくる。この通りを渡れば駅に着くという所で信号が黄色に変わった。東京に来立ての頃なら、そのまま走っただろう。でも最近は慎重を機するようになった。勿論、轢かれないという自信はある。しかし、これも生まれる前から綿密に仕組まれている運命の末端部分でないかと考えるようになってきた。この一分そこそこの遅れが或いは幸運をもたらすかもしれない。縦しんば不運に見舞われようと、それは私の知った所ではなく、必然的的未来であった。と容易に諦めがつく。青になっても、すぐには動き出さずに左右の車を疑ってみた。あのタクシーあたり危険かもしれないと、その方を睨みながら駅の構内へ消えた。電車はちょうど動き始めたところだ。悔しさを笑いでごまかし、次の電車を待った。
 急行の止まる駅で、普通電車降りて、目的の家に到着した。ドアを開けると果たして遅刻だった。真っ赤な絨毯に男が三人、女が二人、朦朧と立て込める煙草の中で盛んに異論を戦わせている。私が、一言詫びを入れて席に着くと、皆温かく迎えてくれ、直ちに討論を再開した。
「竹井、今日のおまえのは意外と不評だったな。思想的にはなかなかいい線いっていたと俺は思うのだが」
 大野が言った。私は二年前から加わったのだが、四年ぐらい前から関西から上京して暮らしている者ばかり集まって発刊している「都会」という季刊の同人雑誌のリーダーをしている、長髪の中に顎鬚を蓄えた男である。彼にはメンバーの誰もが一目置いている。私も、その一人だった。大野は、東大文IIIでロシア文学を専攻した後、実家の大阪に帰らず、そのまま東京に残っている。これといった定職に就かず、その日暮らしをしていた。大学時代、学生運動ではちょっとした顔だったが、運動がセクト化し内部紛争に走り出すと、きっぱりと活動を辞めた。民衆の中に入り込んで民衆の呻きを目の当たりに理解してこそ、民衆に迫った訴え掛けができるという信念を貫くのだ、自分ではいつもそう語っている。大野は確かに人物である。しかし、最近、私も彼の影響で人間ができてきたためか、そんな信念だけでは文学は成立しないのじゃないかなと疑いを抱き始めて、他のメンバーから少々浮いていることを自分でも気が付いている。
「そうね、竹井君の作品は純粋過ぎるのね。余りにも美しく、美し過ぎて、眩しく輝いて、読者は思わず目を閉じてしまうのよ」
 彼女は中村君江といって、高校は京都で、その頃から詩や小説を書いては友人に見せていたという。大学の英文科に在籍している時からこのメンバーであり、卒業後、OLとして勤めながら活動を続けているサブリーダー格である。自分はインテリであると誇示するための赤いフレームで細身の両端が釣り上がった眼鏡をかけ、それを直隠しに隠そうと努めて愛想よく振る舞っている女性である。その後、吉村という男も「俺も今回の竹井の作品には正直言って感動した。やがて認められるよ。このままでいいんじゃないか」と頻りに励ましていたら、大野が自分の感想を述べ、中村が飾り立てた言葉で補うと、その場の意見は結論を得たのも当然だった。他のメンバーはあってなき物、ただ同じ事にいかにポーズをつけるかに全精力を注ぎ込んでいた。不評の原因は簡単、文章を全く蔑視して思想にばかり走っている、つまり、文学じゃない。だが、煩わしさを避けて、口には出さなかった。
「次に、中村さんの作品について、誰からでも発言してください。
「中村さんの作品には、いつ読んでもロマンチックな、それでもやっぱり訴えかけるものがあって、いいですね。まるで、夢の中へ誘われるように」
 ここぞとばかり、竹井が言った。間を入れず吉村が言った。
「それは、中村さんの精緻で詩的で、それでいて力強い言葉の選択にあるんでしょうね。一つ一つの言葉が或いは柔らかに優しく僕の頬を撫でて、或いは強烈な稲妻のように僕の胸を刺し貫く」
 大野は満足そうに聞いていた。全員肯定の笑いだった。
「藤村さんはどういう感想ですか」
 皆の視線は赤い絨毯の角に向けられた。藤村彩、彼女は神戸の短大を出て上京し、姉さんがやっているブティックを手伝っていた。彼女は、創作の筆を取らず、場所を提供したり、雑誌の発行費用の大半を出資している、我が同人誌のスポンサー的存在だった。しかし、メンバーは陰では彼女を嘲弄している。ブルジョワを鼻にかけたような態度が気に食わないらしい。だから、彼女が金を出していくれることにもあまり感謝していないし、金持ちからはできる限り取ってやれというつもりだった。かなりの美人でもある彩を、新参者の私が手中に収めたのも、こんな雰囲気の中だからこそである。
「さぁ、私には、文学はわからないわ」
 恐らく、彼女はこう言いたいのだろう。中村さんのは、ただ美しい言葉の継ぎ接ぎに過ぎないのよ。中身なんて何もないわ。ほら、失恋したりなんかした少女がセンチメンタルに浸ろうとして書く詩なんかと同じね。小便臭いわね───まさかこんな言葉は使わないだろうが、きっと僕の考えているのと同じことを思っているに違いない。結局、足のないお化けなのだ。いつも民主の中へと主張している大野が中村の作品を誉めるのは、私情を除いては理解できない。尤も、大野の作品とて、自分が民衆に対して抱いているイメージを堅持したままその中に入ろうとしている為、彼は真の民衆、そんなものが存在するかも疑問であるが、捉えられないで自分の思想の無理強いに終わってしまっている。大野は藤村の意見等初めから当てにしていないかったように、笑いを私に移した。
「成田君の作品だが、俺は少しずつではあるが伸びてきたような気がするね。しかし、思想的には、デカダン主義の匂いが強いね。プロテストするものが、希薄で享楽的になっているね。まあ、俗受けするのがね」
「それに文章が複雑ね。長ったらしくって読みにくい。読者を蔑ろにしているわ」
 例の如く中村が後を継いだ。残りの二人も発言したが、同じことを表現を変えて言っているに過ぎない。まず、大野の意見に反論を試みると、私は斜めに構えてもいないし、頽廃を賛美してもいない。現代社会の潮流を何とか食い止めるべきだと焦燥している一人である。でも、正面切ってプロテストする自信もないし、信念もない。暗中模索、謙虚な態度で自らの意識の流れを辿りながら問題に迫っていきたい。意識が流れる過程に於いて、頽廃的にも建設的にも、享楽的にも禁欲的にも変化するのである。中村の文体批判に対しても、意識を追うから文章も渦巻くようになるのである。確かに読みにくいかもしれないが、既成の文体を打ち破る過程として割り切っている。こうして行く内に余分な言葉を取り去り、読み易い、しかし隙のない文章を完成してゆきたい。だが、口に出しては言わない。議論になるのが煩わしいだけでなく、私が臆病だからである。
「藤村さんは」
 そのあと、次の例会のことなど話し合って、十一時頃散会した。皆が出た後、手っ取り早く明日のデートの場所と時間を約束して、私も彩の家を出た。
 翌日、私は約束の時間を三十分遅れた。彼女はさらに三十分遅れて、結局、遊園地に入ったのは十二時少し前だった。さすがに小春日和の日曜日ともなると、園内は親に連れて来られた子供で満員だ。フランス人形のように着飾ってもらった女の子や、マドモアゼルにダンスの相手を申し込むような衣装の男の子を見ているのはいいのだが、利かん坊がギャーギャー喚き立てるのにはうんざりする。それが女の子なら思わず耳を覆いたくなる。せんど待ちしてジェットコースターに乗っただけで、二人はもう疲れてしまった。私が、コーラの壜を二本下げて戻ってくると、彼女は花壇の中に設けられた石のベンチに腰を下ろしていた。さっきから彼女を見ているのだが、その構図が一層引き立てている。髪は栗色に染め、前髪を真っ直ぐ垂らして、眉毛を隠し、後ろはショートカットでマッシュルームのように頭を覆っている。「世界の歴史」の挿し絵で見たクレオパトラのそれだ。上瞼の縁を薄ら紫色にし、長い睫毛をカールさせている。唇はマニキュアと揃いで葡萄酒の色に塗っている。首にはぴったりと白い真珠を巻き、新緑には似つかわしくないモスグリーンのドレッシーなワンピースで黄緑の小さな葉に囲まれたくすんだピンクの花模様の細かくあしらったのを着ている。黒いストッキングに包まれた格好の良い脚は、ロングスカートから伸び、白いハイヒールに吸い込まれている。凡そ、遊園地にはふさわしくない装いである。京都にいた時は、こんな女を大層毛嫌いしていたし、今でも変わっていない積もりなのだが、彼女に限っては、何の気取りも見られず、嫌らしいどころか、却って自然過ぎるほど自然なのだ。私は、二人の間にコーラを置くと、煙草を銜えた。すかさず彩が火をつけた。彩は煙草を吸わない。それがまた彼女の魅力を倍増させていた。
「ねえ、ジョン。この花みてよ」
 彩はジョン・レノンが好きで、二人きりの時はいつもそう呼ぶ。私もいつか彼の風貌に似せる様になっていた。
「ほら見てよ、とっても綺麗でしょ。ねぇったらジョン、見なさいよ」
 金持ちの我儘娘そのままの気性で躊躇う様子もなく言った。それは、小悪魔のような可愛さで私を刺激した。私は身を乗り出した。
「これ、さんしきすみれ、って言うのよ。知っている」
「ああ、パンジーだろ」
 人を小馬鹿にした彩の質問に軽い気持ちで逆らってみた。すると、彼女は急にムキになって突っかかってきた。
「パンジーじゃないわよ、さ・ん・し・き・す・み・れ・よ」
 怒った顔がまた素敵だと笑いながら眺めていたが、一時の気紛れにしろ、どうやら本気らしい。
「同じじゃないか」
「違うわよ。パンジーじゃ音が強すぎるわ。この花の可愛さ美しさを表現するには、断然、さんしきすみれ、よ」
 高圧的な口調で強情に言い張った。彩に対して以前から私が感じていたのは、これなんだな。三年間に渡って、私を引き付けてきた秘密を垣間見たような気がした。文学を育ててきたのはブルジョワ階級の生活のゆとりなんだな。その片鱗を覗かせた彩に、一瞬の尊敬の念さえ抱いた。彼女が断言する事に決して間違いはないのだろうが、一つだけ引っ掛かることがある。さんしきすみれでは、いや俗にいう花は、本当に美しい、と人の心を捉えるものだろうか。ぼんやりした時ならどうかわからないが、少なくとも、神経が異常に昂っている今は、美しいとは考えられない。私は異常なんだろうか。こんなお花にも美しさを認められない程の冷血漢、或いは、鈍い男なのだろうか。とにかく、この場を離れなくてはならない。わたしが、ゴーカートに誘うと、彼女は花には何の未練もないようにすぐに合意した。
 低い石垣の上に、まるで童話の挿し絵から切り取ったような真っ白な家が見える。昔は敵の根城。今は自由と夢と文学の住む所。もう五時になっている。彼女は玄関ドアに手をかけだが、鍵がかかっているらしい。財布の中から鍵を取り出すと慣れた手付きでドアを開けた。
「お姉さん、今夜も帰ってこないらしいわ」
 そう言った後で、私の方を振り返って誘惑の眼差しで見た。私は、別に拒絶反応は示さなかった。
「じゃ、ちょっと待っててね」
 と言ってドアの陰に姿を消した。残像を追うこともなく、ふと目線を移すと、そこに花壇があった。薄暗くはなっているが、その中にさっきの花が咲いているの発見した。色の組み合わせこそ違うが確かに、さんしきすみれだ。私は、忌ま忌ましいこの花に近寄った。濃い紫・黄・白という順で中心に向け迫っている五枚の花弁。私は目をこらしてこの花を睨み付けた。どう考えたところで美しさは伝わってこない。見れば見つめる程、奇妙な物体に思えてくる。グロテスクでさえある。小学校の時に、漢字を覚えようとして画数の少ない字をそればかり書き並べているうちに襲われた、あの何ともいえない恐ろしい気持ちにそっくりだ。ますます、わからなってきて、その花の上に四つん這いになり、手で触れてみた。今日、彩が身にまとっていたビロードの感触だ。これが、花の美しさの正体か。いや、まだわからないと。さらに深い秘密が隠されているはずだ。花弁を一枚剥ぎ取ってみる。さらに一枚、もう一枚。めしべとおしべしか残らない。注意深く五本のおしべを除いてみる。そして、めしべに触ってみる。柔らかな短毛に覆われていて気持ちがいい。しかし、もはやどう見ても美しいと呼べる代物ではない。
 その時、不意にドアが開いた。私は、酷い興奮状態に陥った。こんなになったさんしきすみれを見てさえ、彩は「まあ綺麗」と言うだろうか。彩が近づいてくる。私は自分の実験の成果を披露しようと手で示した。彼女の発した最初の言葉は、当然悲鳴である。
「なんてことするの。気でも狂ったの。この野蛮人。あんたには、花の美しさを感じる、そんな簡単なことさえできないの」
 そうか、ただ単に感じればよかったのか。この時、考えてしまったのが間違いの発端だった。私は、彩に「帰れ」と命令されたわけではないが、負け犬の様に、その場を立ち去った。今夜、彩の裸を抱くよりもずっと意義のあることのように思った。
 急行列車を見送り、普通電車に乗って次第に彩の磁界から遠ざかるにしたがって、また、彼女を疑る気持ちが強くなってくる。ただ単に感じる。一体、どうすることだ。本当に簡単にできることなんだろうか。もし、本人の心を使ってただ感じるのなら、確認が百人が百人花を見て美しいと判断できるはずじゃないか。それで花を見ると誰もが決まったように美しいという。不思議だ。仮定に問題があるとすれば、人は心を使って美しさを感じないのか。それなら、何によって感じ、或いは、感じているという錯覚に囚われているのか。心でないとするなら身体、そうか。いつの間にか法律のように決定された「花は美しい」という概念だ。そうだ。絶対にそうだ。人はそれに気づかないで花を見れば短絡的に美しいと思うのだ。長い長い歴史のうち立てた恐ろしい力だ。それは彼女をしてさえ逃れることはできなかった程の怪物だ。純粋に感じるということは、それほど難しく、許されないことなのだ。万が一、人間が純粋に感じようと行動に出たらば、価値観は勿論、社会も崩壊してしまう。私は思わず身震いした。
 気が付くと、私は、駅前の信号に立っている。私に関係のある信号は赤色。反対側は青色に灯っている。私は、咄嗟に、大丈夫死ぬこともあるまいと感じた。歩道から車道へ、足を踏み入れた。私と反対の立場で同じことを感じている二つのヘッドライトが、けたたましい音と共に物凄い勢いで接近して、私の視界と思考力を奪った。
「浪曼」第二号 一九七五年九月
京都教育大学二回生