ろめんでんしゃ


 ろめんでんしゃは、さすがによく揺れる。今にも脱線しそうで、歩いている人が、期待の目で見ているぐらいだ。夜のとばりが落ちて、外は真っ暗でも、電車の中は、黄色い電燈が、壊れそうな窓や、突き抜けそうな床や、いかにも古めかしい紅色の座席を、あざやかに映している。外の世界から隔離された、間の抜けた世界に、僕と、三組のアベックが、座っていた。
 停留所でもないのに、でんしゃが、急に止まった。三組のアベックは、重なり合って倒れた。僕だけ、一人で倒れた。扉が開いて、また、一組の男と女が乗ってきた。二人は、僕の方に近づいてきた。かと思うと、女の方は、急に止まって、僕の左側に座った。男は、も少し歩いたが、すぐに止まって、僕の右側に座った。僕は、恋人同士だと思ったのに、違うのかしら。
 僕は、女の方を先に見た。女は、真っ赤に染めた長い髪に、パーマネントをかけている。まつ毛は、とても長い。でも、つけまつ毛ではない。まぶたは、整形をしたように、二重になっている。目の色は、茶色でとても澄んでいる。おそらく、強い近眼だろう。まゆ毛は、三日月に描いてある。唇は、特に下唇が厚く、それを、真っ赤な口紅で、くっきり見せている。いやらしさ等、みじんもなく、濡れているようで、艶かしい。黒いスウェーターに、黒いスリムのジーパン。胸には、葉の形をした白いプローチ。少しも飾り気はないのだが、とても、きらびやかな感じがして、まぶしい。手の爪は、紫色に塗られ、きっと、足の爪も紫色だろうと思う。
 これだけ観察するのに、そう時間はかからなかった。わずか、五秒ぐらいだろう。急に、女の人が、僕のを見た。僕は、あわてて、男の方へ目を移した。
 男は、髪をリーゼントに決めていて、生え際は、見事に刈り込んである。まゆ毛も、剃っているのだろう。かなり薄い。黄色いサングラスをかけていて、その下の目つきは鋭い。真っ赤なウィンドブレーカーを着て、だぶだぶのズボンをはいている。
 これだけ観察には、三十秒はかかったと思う。僕が観察し終わると同時に、男は、顔を僕の方に向けて、にらみつけた。僕は、反射的に、顔を正面に向けた。
 とても決まりが悪くて、鼻を掻くのも、ためらっていた。でも、しばらくして、左の方をそっと見てみた。依然として、人を見透かすような女の目があった。はね返されるように、右を見た。男は、まだ僕をにらみつけている。もはや、息をするのも、あたりをはばかるほどである。
 女は、何を怒っているのかな。男も、何を怒っているのかな。僕は、そんな怒られるようなことした覚えがないのに。
 とうとう、我慢しきれなくなって、僕は、降りる駅でもないのに、席を立った。その時、でんしゃが、急に止まった。三組のアベックは、先刻と同じように、重なって倒れている。僕は、また、だらしなく、床に倒れた。そして、あの二人は、と見ると、どうなったのか、胸を合わせて倒れている。重ねられているのは、唇も同様だった。
 僕は、照れ笑いをしながら、立ち上がった。でも、誰も、僕の方を見ていない。いつまでも抱き合ったまま、動かなかった。僕は、急に、馬鹿馬鹿しくなって出口の方へ歩いていた。
 でも、も一度、見たいと思って、振り返った。が、そこには、運転手も、三組のアベックも、あの二人もいなかった。扉が、風のように開いた。
 あたりは、夜というには、暗すぎた。
「宿酔」二月号 一九七五年
京都教育大学一回生