鴨川の怪獣

 三条の河原も、怪獣が出るようになってからは、寄りつくアベックもなくなった。夜中、二人肩を寄せ合い、足を河に出して座っている男女がいたとすれば、不倫の恋の末路を求めてやってきたと判断して間違いなかろう。尤も、河原には、昔、乞食の寝倉とならないように橋の下に鉄条網を張り巡らしたのと同じように、二重、三重の鉄柵が設けられ、侵入するまでに高圧電流にやられてしまうだろうが。
 それでも、怪獣が出現した当初は、噂が噂を呼び、万国博覧会さながら、黒山の人だかりで賑わったものだ。
 怪獣が現れるのは十時頃で、その頃になると、若いカップルが寝そべって、愛を語らうも手につかず、気も漫ろに登場を待ち受けた。熱気と体臭の漲る中、怪獣はこの浅い流れのどこに潜んでいたのかと思われる程の巨体を大きくうねらせながら、七色の水飛沫を舞上げ、夜空に競り上がる。同時に、絹を裂く女の悲鳴が大合唱となって沸き起こり、女は男の胸に飛び込む。怪獣は、動物園のライオンよろしく、肩を興らせ河の中を伸し歩いては岸に近づき、迫力のある声で唸り凄んで見せるが、決して人間には手を出さなかった。怪獣が近づくたびに、若い二人の結合度は増し、ついには、怪獣の猛り声も耳に入らなくなる。ここに集う人々は、二つのタイプに分かれる。一つは、日頃、肉体的な欲望に燃えながらも、道徳に縛られたり小心者であったりするため、無理やり自己を抑圧して専ら精神的なラブに妥協挫折しているタイプ。もう一つのタイプは、当世流行のシラケ族で、様々な愛の形態でもすぐ飽き、強烈な刺戟を求める連中。いずれにせよ、この河原に集まるアベックは、怪獣を「失われた英雄」と呼んで崇めていた。しかし、平和な日々がそう長く続かないのが世の常である。このニュースを日本のマスコミ界が黙って見ているわけはなかった。マスコミは盛んに怪獣のことを報道し、日本全国に大東亜戦争以来の大ブームを巻き起こした。テレビ局はゴールデンタイムに怪獣特集を組み、週刊誌は怪獣のスキャンダルを書き立て、怪獣の玩具やお菓子が出回り、怪獣のカラーポスターが売れ、怪獣の唸り声がレコード化され、怪獣が書いたというエッセイがベストセラーになった。国会では怪獣保護法が審議され、政府は次期総選挙に怪獣を出馬させる旨を表明し、人気挽回を図った。心理学者は、この現象の原因について、単なる一時の好奇心でなく、作られたスターでなく、真のウルトラスーパースターの出現を待ち望んでいた国民の欲求が、一挙に爆発したのだと分析した。
 人は京都へ京都へと集まり、河原の周りに旅館や民宿、飲食店が軒を並べた。こうして、見物人が増えてくると、怪獣の方も気を効かしてか、時間帯を繰り上げ六時台が顔を出すようになった。老若男女、時の流れに取り残されのため、一目だけでもと堤に下りられない人は橋の上、沿道にまでも詰めかけ、京都府はやむを得ず、この周辺一帯を歩行者天国にした。それでもなお混乱は解消せず、ついには「十八歳未満は見物を禁ず」という条例まで作った。連日連夜、何万人という人が集まれば、スリや痴漢が続出するのは普通であるが、警官は一人も立っていない。スリや痴漢も怪獣の前では手が竦むというより、悪事を働く気が一向に起こらなかった。正しく、神様のような存在だった。マスコミは、この怪獣に「ゴッドファーザー」と名前を与え、毎夕六時ちょうどに、方向に土下座するキャンペーンを始めた。
 六時に姿を見せた怪獣は一旦十一時に消え、見物客も報道関係者も去った三時頃再度登場をした。辺りは静まり返って、河の流れだけが聞こえている。といっても、誰もいないわけではない。堤にぎっしり一杯の若い男女が愛を交わしている。あれ程大げさに振る舞った怪獣も、今度は物事を立てないよう、アベックの気を削がぬように堤に近づくと、頭を乗り出し、女の顔と肉付きを検分する。そして、好みの女性を毎夜五人ずつ連れ去り、片割れの男は口に入れ夜食とした。何百組というカップルののわずか五つだけ、生き残ったアベックも目覚めると何もなかったように立ち去っていくのだった。浚われた女がどこに運ばれ、どんな仕打ちを受け、いかに処分されるか、今もなお判明していない。毎日毎日、家族から捜索願が出されるが、アベックは、そんな道徳上を有るまじきことの遂行のため、場所を告げる者もなし、縦しんば告げたにしても、怪獣を疑うものをは一人とていない。ついに被害者は、百人を越え、世間ではいうUFOとか神隠しとかロマンチックな推測をした。
 真実が発覚したのは、それから間もない日のことだった。その夜は某テレビ局のスタッフが怪獣特集を撮ろうと徹夜でカメラを据えていた。レンズはついに怪獣の正体を捉えた。スタッフは思わず洩らしてしまった。信じる信じないの問題でなく、ただ生理的に戦慄したのだ。放心状態で朝を迎えたスタッフは、太陽のきらめきに目を覚ました。すでに怪獣の姿はなく、ただ恐怖の面影だけが残っている。テレビ局は直ぐにでも放映したかったが、今までこの問題について絶えず連絡をとり共謀してきた政府を裏切れば後の仕打ちが怖いので、ひとまず、政府に持ち込んだ。狼狽したのは政府である。マスコミを抱き込んで怪獣を神格化し、ゆくゆくは、戦前の天皇と同じ地位に据え元首制を敷き、これを利用して独裁政権を確立しようと企てていたのである。いかに多くの犠牲者を出しても、自分たちの利益を守るために断じて放映を禁じ、フィルム同様関係者も闇に葬り去った。しかし、政府の転覆のみを目指す野党は、どこから情報を入手したのか、自ら制作を作り、怪獣の正体を暴露してしまった。
 ところが、狼狽てたのは怪獣産業に携わる企業だけで、一般の国民は却って好奇心を煽られ、以前にも増して盛況が続いた。そして、目撃者が続出し、怪獣が人間を食べるという事実が動かしがたくなればなる程、見物者は後を絶たないどころか増加の一途を辿った。確かに好奇心であろうが、その根底には、自分の命だけは大丈夫だという根拠のない自信、運命の無条件な信頼感があった。怪獣は正体がバレてもお構いなしにマイペースを崩さず、毎夜毎夜、五組のアベックを襲う。河原に集まった人々は、一つのショーを見るように、逃してはならじと目を見張る。犠牲者の悲鳴にも砕ける骨の音にも怪獣の口から毀れるどす黒い血にも、騒ぐだけで、しっかり目を開けて見ている。ローマ時代のライオンと奴隷の死闘を鑑賞する人間の残虐嗜好がここに甦った。
 いくら人間が残酷でも、こう次々と犠牲者が積もり、自分の身にも火の粉がふりかかるかも知れないという危惧に囚われ始めると、次第に遠退いて行った。河原を去った人間はコペルニクス的転換を成し遂げ、人食い獣と批判し、自衛隊に征伐を命ずるのであった。しかし、怪獣は正に神のごとく不死身で、幾多のロケット弾を受けても屈しなかった。人々の間に危機感が広がり、パニック状態に陥った。といっても、決して怪獣は河の外に出たわけではない。今まで通り夜に姿を見せ、夜中に消えていく規律正しい生活を繰り返した。怪獣が丘に上がらないことはわかると、攻撃は一層激しさを増し、怪獣は悪魔のように呪われ、人類最大の敵となり、それは戦時中の米蓄を凌ぐものであった。やがて、攻撃の無駄をさとると、今度は河原を高圧電流の流れる鉄柵で二重三重に囲った。
 現在でも怪獣は毎晩十一時に姿を現し、悲しい声で鳴いているが、人々にとっては、それも習慣化され、気にとめる人もいない。

「二十歳」 一九七五年十月
京都教育大学 二回生