保護者とどう向き合うか


初めての保護者会

 保護者との対応で真っ先に思い出すのが、教師一年目のクラスの保護者会です。生徒を信じ生徒の自主性を育てたいという熱意をもって無我夢中に教育していたつもりでしたが、その実は生徒に翻弄されクラスは悪化の一途をたどっていました。打つ手打つ手が裏目に出て、四面楚歌の状態でした。そんな中での定例保護者会、針の筵を覚悟していたのですが、保護者の方々は私を責めるのではなく、なんとか良い方法はないか話し合ってくださいました。「困った保護者」ではなく、「困った教師」でした。新米の教師を何とか助けてやろうと思ってくださったのでしょう。大きなエネルギーをいただきました。
 思い切って問題の中心になる生徒の家庭訪問をしました。母親と話し暗くなったので帰ろうとした時、母親が私と顔合わせすることを恐れていた父親が帰ってきました。父親は一本気な人で、息子が他人に迷惑をかけていると知ると、徹底的な体罰をしてきました。腹を据えて事実を正確に伝えましたが、子どものことを一方的に悪く言うことだけは避けました。父親は静かに話を聞いてくれ、そのうち酒が出てきました。バイクで来ていたので躊躇しましたが、明朝学校まで送ってやると言われて覚悟を決めました。そして遅くまで話し込み、明朝トラックでバイクもろとも送ってもらいました。
 その後、その生徒が劇的に変化し、クラスも急速に落ち着きを取り戻した、となればドラマになりますが、当時の日記を読み返すと、苦闘の日々は三学期まで続いたようです。でも、最後はクラス会を開き、プレゼントまでもらいました。その生徒は、中学校の教師になり、今でも音信があります。
 大学を出たての若造が、親に体当たりしたからこそ、親も援助してくださったのだと思います。当時の親にはそういう雰囲気がありました。

保護者に「共感」する
 あれから二十数年、今年で五十歳を迎えますが、幸いなことに保護者との大きなトラブルはほとんどありませんでした。それは、私が親の立場になったことも大きな要因ではあります。自分にも同じ年頃の子どもがいることを話せば、保護者の対応も幾分柔らかなものになります。それなら、まだ若手で、結婚もしていなくて、子どもいなければ、保護者と対応できないのかといえば、そうではありません。
 私が加齢を重ねたこと以外に、教育相談を勉強したことも大きな要因だと思います。教育相談では、「共感」が重視されます。あたかも相手の立場になったように感じることです。たとえ理不尽な親であっても、そういう対応をせざるを得ない背景があります。相手の話をよく聞いていると、そうした背景が出てきます。そこに焦点を当ててさらに聞くと、自分の言い分が理不尽なもので、その原因がどこにあるかに気づかれることがよくあります。相手の話を聞き切るまで時間もかかりますし、こちらの言い分を言わずに我慢する忍耐力も必要ですが、急がば回れの諺どおり、じっくり相手の話を聞くことが、解決の近道になることことがあります。

家庭訪問の勧め
 もう一つ、家庭訪問をよくしたこともトラブルを未然に防いでいた要因です。新採で勤務した高校では、一学期の中間試験の成績が出ると、午後から授業をカットして、担任は一週間全戸家庭訪問に走り回ることになっていました。そんな原体験があるので、転任した高校でも、全員の保護者と面談をしますし、来校するか家庭訪問を希望するかを選択してもらいます。小・中学校では当たり前のことですが、高校で生徒指導でもないのに家庭訪問があるなんて驚かれる保護者が多いです。
 保護者が学校に来るということは、大げさに言えば敵の城で話をするようなもので、どうしても余分に鎧を着てしまいます。こちらも学校では教師の鎧を着ているので、スムーズに片づく話もこじれてしまうことがあります。家庭訪問だと保護者はホームグランドで話せるので鎧を着ずにすみます。こちらも他の教師の目を意識しないですむので鎧が軽くなります。すると、少しでも本音に近い話ができ、話がこじれることも少なくなります。
 学校でよく電話で口論している先生を見かけます。電話では相手が見えないので、感情が表れやすくなります。込み入った事実関係などを説明しても十分に伝わりません。面と向かって顔と顔を合わせて話してこそ、多少の行き違いがあってもなんとかその場で修正でき、解決に向かうことができるものです。

子育てを早期退職する親
 二十数年前の話やカウンセリング・マインドで接することの有効性を書きましたが、今の親は昔の親とはかなり変わってきています。一言で言えば、幼くなりました。子ども同様、自己中心的で、道理が通じなくなってきました。自分の非は棚上げしておいて、教師の非には厳しい。カウンセリング・マインドは相手に大人の部分があればこそ通用するのです。この傾向は、若い親だけでなく、そこそこの年配の親にも当てはまります。
 子どもに過干渉で、子どもが高校生になっているのに、自分の中ではいつまでも幼稚園か小学校低学年の頃の子どものイメージしかない親もいます。何でも子どもとフランクに話し合う「友だち親子」の関係の親は、子どもの言い分を一〇〇%信じることで子どもに迎合し、人生の先達としての厳しい指導ができません。こうした親は学校に文句を言いに来る可能性が高くなり、教師は対応に苦慮します。
 逆に、高校生になったのだからと言って、すべてを子どもに「丸投げ」してしまう親も増えています。「この子の人生なんだから」と、高校生になってわずかの時間しかたっていないのに、一切の責任を子ども押しつけて、子育てにピリオドを打とうとします。子育ての放棄、早期退職です。学校に文句を言いに来るなら、まだ子どもの教育に熱心だとも評価できる部分はありますが、放棄されてしまえばどうすることもできません。本当に困った保護者とは、このタイプかもしれません。入学式や保護者会で、高校生になっても、付かず離れずの距離で子どもを見守ってほしいとお願いすることにしています。

奔走する母親の事例
 最後に、最近出会った「困った保護者」について書きます。
 その生徒は部活動のために他府県から少しルールを破った形で入学しました。そして、二年の途中に怪我をし、部員や顧問とのトラブルが原因で辞めてしまいました。母親の奔走で地元の高校に転学をしようとしましたが実現せず、三年に進級することになりました。顧問に聞くと少し事情が違うようでしたが、母親と会って、要望どおりに同じ部の部員と同じクラスにならないように、親しい友だちと一緒になるように最大限の配慮をして、学年部長の私が担任を持つことを伝えました。
 その後順調に行っているかに思えたのですが、文化祭の最終日、後片付けで忙しい時に、突然、学校を辞めたいので今すぐ退学届をくれと言ってきました。理由は部員がいまだに自分をいじめるということでした。あまり急かすのでとりあえず退学届を渡して後で話をしようと言っておいたのですが、そのまま帰ってしまい、二度と来ませんでした。
 しばらくすると母親から電話がかかってきて、担任がいじめを放置した、話も聞かずに退学届を渡した、とひどい剣幕でした。事情を説明したのですが、聞く耳は持っていませんでした。そういえば、部のお金を建て替えているので先生から返すように言ってほしいと頼まれたことがありましたが、断ったことがありました。夏休みにも三者面談をしたのですが、子どもが口止めしたので言わなかったらしいのです。後で考えれば、あの時直ぐに退学届を渡さず、話を聞いていればよかったという後悔はあります。
 ご多分に漏れず、母親は教育委員会まで電話をしました。通信制の学校への転学の期日が迫っているので、退学届を出してもらうように依頼すると、事由の欄に学校や担任の落ち度が書き連ねてありました。これでは受理できないので、こちらから会いに行ってもいいので話をしたいと言うと、父親が学校に来ることになりました。
 約束の日、父親は一時間ほど遅れて来ました。相手の失点ですが、そこを直ぐに責めたてずに、遠方から来られた労をねぎらいました。父親は遅れたことへの謝罪の一言もなく話を始めました。教育相談のある講演会で、デパートの苦情処理係は、まず冷房のきいた部屋に案内し、冷たいお茶を出すという話を聞いたことがあります。カッカしている相手をクールダウンして落ち着かせるためです。この時は、冷房の部屋も冷たいお茶もありませんでしたが、遅れて来られたことについては一切触れず、とにかく父親の話を聞き、事実を正確に伝えました。すると、父親も落ち着いてきて、ようやく遅れてきたことへの謝罪の言葉が出ました。父親が母娘と学校との板挟みになっている様子を感じたので、それとなくねぎらいの言葉を伝えると、一瞬表情が和らいだ気がしました。最後は穏やかに退学届を書き直して帰っていただきました。

家族の人間関係
 この対応では、父親が遅刻したをとがめず誠実に対応することで、相手の罪悪感をかえって大きくしたことがポイントの一つです。しかし最大のポイントは、交渉の相手が代わったことでした。母親はここは父親の出番と思ったのでしょう。父親は母親に言われてあまり気乗りしないが来られたようです。そこに共感する言葉が効いたのではないかと思っています。
 これは家族の問題でもあります。その家族の力関係を把握していると、解決の糸口が見えてくることがあります。両親ともヒートアップしている時は難しいですが、普通は温度差があるものです。すこし冷静な方の親と話をするといいでしょう。両親が揃って来られて苦情を言われる時でも、どちらがよく喋るかを観察していると温度差が見えてきます。片方の親だけが来られた時も、もう一人の親はどう思っているのかを訊ねてみるといいでしょう。
 また、こちらの体制としては、一人で会わないで上役に当たる立場の人に同席してもらう方がいいとよく言われます。しかし、その場合、当然のことですが、よく事情を説明し、スタンスを合わせておかなければなりません。急に頼んだり、話してもよく理解してもらえない場合は一人で会った方が良いこともあります。また、同席してもらうのは教頭止まりで、校長は同席してもらってはいけません。校長は最後の切り札で、もしその面談が不調和に終わった時に、次の交渉がしにくくなりますし、校長の一言は学校の意思になってしまいます。

最後に
 これからは訴訟社会になり、ますます保護者の苦情が増えてくるでしょう。法律が絡んでくると、今までの信頼関係は吹っ飛んでしまい、感情が噴出します。また、マスコミの影響で保護者が学校を敵視したり、コミュニケーション能力が低下していたり、入り口の段階からもめるケースも増えてくるでしょう。
 それは教師の側にも言えます。教師のコミュニケーション能力も低くなっているように思います。学校としての組織的な対応が言われますが、これもマニュアル化すると硬直してしまい使い物にならなくなります。気がついた先生がそれとなくアドバイスできるような学校の雰囲気が必要ですが、これが最も難しいかもしれません。


初めての保護者会
 保護者との対応で真っ先に思い出すのが、教師一年目のクラスの保護者会です。生徒を信じ生徒の自主性を育てたいという熱意をもって無我夢中に教育していたつもりでしたが、その実は生徒に翻弄されクラスは悪化の一途をたどっていました。打つ手打つ手が裏目に出て、四面楚歌の状態でした。そんな中での定例保護者会、針の筵を覚悟していたのですが、保護者の方々は私を責めるのではなく、なんとか良い方法はないか話し合ってくださいました。「困った保護者」ではなく、「困った教師」でした。新米の教師を何とか助けてやろうと思ってくださったのでしょう。大きなエネルギーをいただきました。
 思い切って問題の中心になる生徒の家庭訪問をしました。母親と話し暗くなったので帰ろうとした時、母親が私と顔合わせすることを恐れていた父親が帰ってきました。父親は一本気な人で、息子が他人に迷惑をかけていると知ると、徹底的な体罰をしてきました。腹を据えて事実を正確に伝えましたが、子どものことを一方的に悪く言うことだけは避けました。父親は静かに話を聞いてくれ、そのうち酒が出てきました。バイクで来ていたので躊躇しましたが、明朝学校まで送ってやると言われて覚悟を決めました。そして遅くまで話し込み、明朝トラックでバイクもろとも送ってもらいました。
 その後、その生徒が劇的に変化し、クラスも急速に落ち着きを取り戻した、となればドラマになりますが、当時の日記を読み返すと、苦闘の日々は三学期まで続いたようです。でも、最後はクラス会を開き、プレゼントまでもらいました。その生徒は、中学校の教師になり、今でも音信があります。
 大学を出たての若造が、親に体当たりしたからこそ、親も援助してくださったのだと思います。当時の親にはそういう雰囲気がありました。

保護者に「共感」する
 あれから二十数年、今年で五十歳を迎えますが、幸いなことに保護者との大きなトラブルはほとんどありませんでした。それは、私が親の立場になったことも大きな要因ではあります。自分にも同じ年頃の子どもがいることを話せば、保護者の対応も幾分柔らかなものになります。それなら、まだ若手で、結婚もしていなくて、子どもいなければ、保護者と対応できないのかといえば、そうではありません。
 私が加齢を重ねたこと以外に、教育相談を勉強したことも大きな要因だと思います。教育相談では、「共感」が重視されます。あたかも相手の立場になったように感じることです。たとえ理不尽な親であっても、そういう対応をせざるを得ない背景があります。相手の話をよく聞いていると、そうした背景が出てきます。そこに焦点を当ててさらに聞くと、自分の言い分が理不尽なもので、その原因がどこにあるかに気づかれることがよくあります。相手の話を聞き切るまで時間もかかりますし、こちらの言い分を言わずに我慢する忍耐力も必要ですが、急がば回れの諺どおり、じっくり相手の話を聞くことが、解決の近道になることことがあります。

家庭訪問の勧め
 もう一つ、家庭訪問をよくしたこともトラブルを未然に防いでいた要因です。新採で勤務した高校では、一学期の中間試験の成績が出ると、午後から授業をカットして、担任は一週間全戸家庭訪問に走り回ることになっていました。そんな原体験があるので、転任した高校でも、全員の保護者と面談をしますし、来校するか家庭訪問を希望するかを選択してもらいます。小・中学校では当たり前のことですが、高校で生徒指導でもないのに家庭訪問があるなんて驚かれる保護者が多いです。
 保護者が学校に来るということは、大げさに言えば敵の城で話をするようなもので、どうしても余分に鎧を着てしまいます。こちらも学校では教師の鎧を着ているので、スムーズに片づく話もこじれてしまうことがあります。家庭訪問だと保護者はホームグランドで話せるので鎧を着ずにすみます。こちらも他の教師の目を意識しないですむので鎧が軽くなります。すると、少しでも本音に近い話ができ、話がこじれることも少なくなります。
 学校でよく電話で口論している先生を見かけます。電話では相手が見えないので、感情が表れやすくなります。込み入った事実関係などを説明しても十分に伝わりません。面と向かって顔と顔を合わせて話してこそ、多少の行き違いがあってもなんとかその場で修正でき、解決に向かうことができるものです。

子育てを早期退職する親
 二十数年前の話やカウンセリング・マインドで接することの有効性を書きましたが、今の親は昔の親とはかなり変わってきています。一言で言えば、幼くなりました。子ども同様、自己中心的で、道理が通じなくなってきました。自分の非は棚上げしておいて、教師の非には厳しい。カウンセリング・マインドは相手に大人の部分があればこそ通用するのです。この傾向は、若い親だけでなく、そこそこの年配の親にも当てはまります。
 子どもに過干渉で、子どもが高校生になっているのに、自分の中ではいつまでも幼稚園か小学校低学年の頃の子どものイメージしかない親もいます。何でも子どもとフランクに話し合う「友だち親子」の関係の親は、子どもの言い分を一〇〇%信じることで子どもに迎合し、人生の先達としての厳しい指導ができません。こうした親は学校に文句を言いに来る可能性が高くなり、教師は対応に苦慮します。
 逆に、高校生になったのだからと言って、すべてを子どもに「丸投げ」してしまう親も増えています。「この子の人生なんだから」と、高校生になってわずかの時間しかたっていないのに、一切の責任を子ども押しつけて、子育てにピリオドを打とうとします。子育ての放棄、早期退職です。学校に文句を言いに来るなら、まだ子どもの教育に熱心だとも評価できる部分はありますが、放棄されてしまえばどうすることもできません。本当に困った保護者とは、このタイプかもしれません。入学式や保護者会で、高校生になっても、付かず離れずの距離で子どもを見守ってほしいとお願いすることにしています。

奔走する母親の事例
 最後に、最近出会った「困った保護者」について書きます。
 その生徒は部活動のために他府県から少しルールを破った形で入学しました。そして、二年の途中に怪我をし、部員や顧問とのトラブルが原因で辞めてしまいました。母親の奔走で地元の高校に転学をしようとしましたが実現せず、三年に進級することになりました。顧問に聞くと少し事情が違うようでしたが、母親と会って、要望どおりに同じ部の部員と同じクラスにならないように、親しい友だちと一緒になるように最大限の配慮をして、学年部長の私が担任を持つことを伝えました。
 その後順調に行っているかに思えたのですが、文化祭の最終日、後片付けで忙しい時に、突然、学校を辞めたいので今すぐ退学届をくれと言ってきました。理由は部員がいまだに自分をいじめるということでした。あまり急かすのでとりあえず退学届を渡して後で話をしようと言っておいたのですが、そのまま帰ってしまい、二度と来ませんでした。
 しばらくすると母親から電話がかかってきて、担任がいじめを放置した、話も聞かずに退学届を渡した、とひどい剣幕でした。事情を説明したのですが、聞く耳は持っていませんでした。そういえば、部のお金を建て替えているので先生から返すように言ってほしいと頼まれたことがありましたが、断ったことがありました。夏休みにも三者面談をしたのですが、子どもが口止めしたので言わなかったらしいのです。後で考えれば、あの時直ぐに退学届を渡さず、話を聞いていればよかったという後悔はあります。
 ご多分に漏れず、母親は教育委員会まで電話をしました。通信制の学校への転学の期日が迫っているので、退学届を出してもらうように依頼すると、事由の欄に学校や担任の落ち度が書き連ねてありました。これでは受理できないので、こちらから会いに行ってもいいので話をしたいと言うと、父親が学校に来ることになりました。
 約束の日、父親は一時間ほど遅れて来ました。相手の失点ですが、そこを直ぐに責めたてずに、遠方から来られた労をねぎらいました。父親は遅れたことへの謝罪の一言もなく話を始めました。教育相談のある講演会で、デパートの苦情処理係は、まず冷房のきいた部屋に案内し、冷たいお茶を出すという話を聞いたことがあります。カッカしている相手をクールダウンして落ち着かせるためです。この時は、冷房の部屋も冷たいお茶もありませんでしたが、遅れて来られたことについては一切触れず、とにかく父親の話を聞き、事実を正確に伝えました。すると、父親も落ち着いてきて、ようやく遅れてきたことへの謝罪の言葉が出ました。父親が母娘と学校との板挟みになっている様子を感じたので、それとなくねぎらいの言葉を伝えると、一瞬表情が和らいだ気がしました。最後は穏やかに退学届を書き直して帰っていただきました。

家族の人間関係
 この対応では、父親が遅刻したをとがめず誠実に対応することで、相手の罪悪感をかえって大きくしたことがポイントの一つです。しかし最大のポイントは、交渉の相手が代わったことでした。母親はここは父親の出番と思ったのでしょう。父親は母親に言われてあまり気乗りしないが来られたようです。そこに共感する言葉が効いたのではないかと思っています。
 これは家族の問題でもあります。その家族の力関係を把握していると、解決の糸口が見えてくることがあります。両親ともヒートアップしている時は難しいですが、普通は温度差があるものです。すこし冷静な方の親と話をするといいでしょう。両親が揃って来られて苦情を言われる時でも、どちらがよく喋るかを観察していると温度差が見えてきます。片方の親だけが来られた時も、もう一人の親はどう思っているのかを訊ねてみるといいでしょう。
 また、こちらの体制としては、一人で会わないで上役に当たる立場の人に同席してもらう方がいいとよく言われます。しかし、その場合、当然のことですが、よく事情を説明し、スタンスを合わせておかなければなりません。急に頼んだり、話してもよく理解してもらえない場合は一人で会った方が良いこともあります。また、同席してもらうのは教頭止まりで、校長は同席してもらってはいけません。校長は最後の切り札で、もしその面談が不調和に終わった時に、次の交渉がしにくくなりますし、校長の一言は学校の意思になってしまいます。

最後に
 これからは訴訟社会になり、ますます保護者の苦情が増えてくるでしょう。法律が絡んでくると、今までの信頼関係は吹っ飛んでしまい、感情が噴出します。また、マスコミの影響で保護者が学校を敵視したり、コミュニケーション能力が低下していたり、入り口の段階からもめるケースも増えてくるでしょう。
 それは教師の側にも言えます。教師のコミュニケーション能力も低くなっているように思います。学校としての組織的な対応が言われますが、これもマニュアル化すると硬直してしまい使い物にならなくなります。気がついた先生がそれとなくアドバイスできるような学校の雰囲気が必要ですが、これが最も難しいかもしれません。



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