なんと恥ずかしいタイトルだ。これは、昭和44年、つまり、僕が高校3年の時に書いた本のタイトルだ。奇しくも3年の担任を持った今年、奇しくも40歳になった今年、人生の後半に旅立った今年、読み返して見て非常に恥ずかしいが、26年間の本棚の片隅の沈黙を破って、公表しようと思う。

−1−

中学校に入ってからも、初めのうちはこれといって思い当たることはない。小学校時代から中学校に入学してはじめのうちまでは勉強も目立ってできる方でもなかったし、運動もどちらかといえば、運痴の方だった。平凡な一中学生として平凡な日々が過ぎていったんだなぁあの頃は。

2年3年となって僕はどんどん頭角を現した。そうなって目立ってくると、人が勝手に「僕が誰々さんを好きや」と噂するようになった。でも、その女の子というのは、みんな勉強のできる女の子ばかりだった。勉強のできる女の子が女の子らしくないというのじゃないけど、女の子らしさにあふれている女の子の名前は出てこなかった。あの頃のみんなの心理は、似た者同士は仲がいいという感じだったんだろう。ところで、そんな噂の当の本人の僕のほうはと言うと、好きな女の子がいなかったわけじゃない。ざっと思い出して5人はい た。修学旅行の時先生が、「太平洋に向かって自分の好きな女の子の名を叫ぼう。」と提案した。みんな思い思いに叫んだ。ぼくは「○○○○(彼女は2000年の同窓会には来ていなかった)───っ」と叫んだ。

また、こんな思い出もある。僕が友達と教室で遊んでいたら、机にぶつかって筆箱がガラガラ。僕がその持主の女の子に謝ろうとしたら、いきなり平手が飛んできてピシャリ。別に痛くもなかったけど、女の子に叩かれるなんてはじめてだった。でも、その女の子は、僕の好みに合わなかった(……)。いや。でも、女のくせにと、相手をはっきり異性として意識していなかったことは確かだ。

こんなふうに、心に思っていた女性はあったんだけど、一度もそんな女の子とまともに喋ったことがなかった。それは恥ずかしいとうい単純なものだけでなく、男と女が好きになる、なんてことは中学生らしくない、一種の罪悪感を抱いていた。あれは、中2の頃だったと思うけど、文化祭の討論会で男女交際について話し合ったんだけど、今から思うとまじめな顔をしてあんなことを言っていた自分がおかしくなる。男女の1対1の交際なんて絶対いけないなんて原稿を必死に思い出して言っていた。

どうして僕はそんなふうに思うようになったのだろう。その一因は家庭にあると思う。両親の本心は知らないけれど、小さい頃からの印象で、きっとそんなことは許してくれないと決め込んでいた。また、僕の性格から来ることもある。僕は今はどうか知らないけれど、あの頃はたいへん内気で恥ずかしがり屋だった。それに口下手ときているから、女の子と喋るなんてとてもとても。そして自分で言うのも何だけど、模範生的だったんだなぁ。

よく勉強して、クラブも真面目にやって、授業中は悪いことはしない、悪い遊びもしない。先生の言うことはよく聞いて、みんなに注意する。まぁ、早い話が、文部省推薦ってやつだ。自分は勉強に打ち込んでいて、女の子とデートするなんて、悪いことをするように思っていた。

でも、最大の原因は、自分に自信が持てない。いつもコンプレックスに追いかけられていたことだ。そのコンプレックスってのが、運動のことである。中学に入ってからだんだんよくなってきたんだけど、まだまだであった。あの 頃、カッコいいやつ、女の子にもてるやつというのは、万能選手って感じのやつだ。勉強のできるやつは隔離されているような感じに思えた。いや、自分でそう思い込んでいたのだ。いくら好きな女の子がいても、自分なんか好きになってくれるものか、と思って片思いに沈んでいたのが常だった。





−2−

そんなぼくでも、1回だけ1人だけ嬉しくさせてくれた女の子がいる。あれは、中2の正月だったかなぁ、ぼくがその子に年賀状を出したんだ。いつもなら、2日か3日頃に「年賀状ありがとう」と来るのだが、その時は元旦に来 た。その文句がまた憎い。「仲良しのしるし」と来たもんだ。仲良し、ってのは気になるが、その一言がとっても嬉しかった。単純かもしれないけれど、あの頃のぼくにとっては画期的なできごとだった。あの年賀状は今も机の中に大事にしまってある。その子は、私立の高校へ行っちゃったけれど、中学時代の清い思い出としていつまでも忘れられない。

高校に入って、急に異性を意識しだした。意識というより、強欲といった方がピッタリコンだ。ただ、席が隣だったりしただけで、その異性を意識する し、ちょっと話しかけてこられようなものなら、嬉しさのあまり飛び上がりそうになった。

友達がガールフレンドの話をしたり、ガールフレンドと一緒にいるのを見ると、ものすごくうらやましくなってくる。ガールフレンドのいない自分を見つめて、なさけなくなる。僕だって男だもん、カールフレンドがほしくないわけではない。いや、ものすごくほしいんだ。でもね、どうしてもいけないんだ。あの子はいい子だなぁと思っても、中学校からボーイフレンドがいるなんて噂を聞くと、アーアなんて簡単に諦めちゃう。自分なんてそうきわだって男前じゃないし、カッコもあんましよくないし、なんて調子だ。そして、自分にはあの子は無理だなぁと思っちゃう。でも、いま考えると、あの時押してたら案外うまくいっていたのでは・・・なんて夢を見ることがある。

そんなふうにいつも悩んでいる僕だったけど、こんな迷信みたいなことを信じて慰めていた。それは、この世の中で生まれてくるとき、一枚の紙を半分にちぎって、その半分を僕が、他の半分を誰か女性が持っている。そしてその半ぺらを持っていいる人同士が結ばれる。まるで、おとぎ話のようだけど、よく考えてみると、相当に真実味のある話ではないだろうか。

そんなフラフラしていた僕にも、ついにガールフレンドができた。これは歴史上重大な事件である。





−3−

あれは、11月頃だったかなぁ。学校祭の前夜祭にアベックで行く友達を見て全く当てられていた僕は、それこそ血眼になってガールフレンドを探していた。そんな時、学校の行きしな、彼女が僕に話しかけてきてくれたんだ。その彼女っていうのは、同じクラブの子で、前々からいいなぁと思っていた。正直言うけど、前夜祭の時、運良く彼女と一緒に・・・と思っていたんだ。そんなわけで、彼女と並んで歩く道。何となくロマンチックで、僕が今まで知らなかった雰囲気、楽しくて甘くて。 人間って不思議なもので、その日の彼女の一挙一動が何か自分に好意をもっているように思えてきて。

でも、こんな状態は今までに何度もあった。しかし、今度の場合は不思議な力が働いていたようだ。それからしばらくは、彼女以外の女性に関心を示さないようになった。どうして彼女に気を引かれたのだろう。ここでのろける積もりはないけれど、僕の理想に一番近かったのだろう。顔は美人じゃないけれ ど、カワイラシクて、気立てがやさしくて、適当にユーモアがある。いつだったか、食堂で彼女が立っているのを見てしびれちゃった。ついに、のろけてしまった、堪忍してください。

ここで僕は大いに悩んだのだ。男としてどうするべきか、なんてカッコをつけなくてもいいんだが、このまま片思いに終わるべきか、それとも堂々と交際を申し込むべきか。どちらがいいか、これから1ケ月余り迷い続ける。

ここで出てきたのが、僕の最も得意とする「石橋を叩いて渡る」やり方だ。彼女が僕を思っているのか、慎重に観察することだ。これなら確実だ。しか し、男らしくないといえばいえる。でも、彼女を傷つけない方がどれほど男らしいか。これがさっき言った思いやりじゃないだろうか。

そうして、やっと彼女が僕に好感を持っているんじゃないかと、僕なりに確信した。(彼女はどうだったか知らないが。)こうなったら、さっそく交際を・・・となるんだけど、ここでまた迷ってしまう僕なんだ。学校の行き帰りで一緒になったとき、今こそ今日こそ言おうと思うんだがいつも言えない。言おうと思うと、そんなムードでなかったり、99%まで確信した残りの1%の不安が何億倍にも膨らんでくる。そんなやってまたまた決断のつかない僕だけど、一緒に行き帰りする時は楽しくてしようがない。いつか、最後に「さよなら」とだけ言われたその一言で、パァーッと幸せが広がっていくのを感じた。

こんなやって、ついに期末試験が近づいた。今、言っては彼女の試験に響くのではないかと、試験が終わるまで言うのをあきらめた。これは男の思いやりだ。なんてうぬぼれちゃってさか。この期末の終わるまでの間、また新しい疑問が生じた。僕から交際を申し込むべきか、彼女から言ってくるのを待つか。今となっては、なんとばかなことを真剣に考えていたんだと思う。





−4−

そうこう考えているうちに、案じだされた秘策がクリスマス作戦だ。クリスマス作戦というのは、クリスマスカードに僕の気持ちを書いて彼女に送るん だ。口ベタな僕が考えた最良の方法だっただろう。

しかし、そこで一つ問題があった。郵送する以上、彼女の親が見るということだ。見られてはまずいというのではないけれど、あの時としては、そんな大々的なつもりじゃなかったんだ。ただ話し友達としてと書いておいたんだ。親に知ってもらってた方が交際しやすいのは確かなんだけど、はたして彼女の親がどう思うかという不安があって、結局、自分の名前を書かないで送った。これはちょっとまずかったかもしれないと後で悔やんだ。別に名を画す必要もないし、いずれわかるんだから。

クリスマスカードを出してから、毎日毎日楽しさと不安の日々だった。ついにやったという満足感が一番大きかった。彼女はあれを見てどう思っているだろうなんて考えちゃったりして。一番無邪気で楽しい時期だった。でも、それは、ものすごく軽々しくて中身の薄い楽しさだったのかもしれない。

元旦に彼女から、年賀状が来た。何回も何回も読みなおしては、彼女を想像していた。その正月は、今までにない正月だった。そして、彼女が返事をくれる1月4日がとても待ち遠しかった。(完)

いかがでしたか。今読み返しても恥ずかしい限りです。この続きが知りたいでしょう。
結局、彼女はOKをくれて1年半ほどつき合うことになる。しかし、自然消滅の形で終焉を迎える。2、3年と同じクラスだっただけに、気まずい半年間を過ごした。
で、僕は現役で大学に合格し、彼女は浪人する。ところが、次の年、彼女は僕と同じ大学に入学してきて、同じ剣道部に入部する。大学の4年間、高校時代のことを聞こう聞こうと思いながら果たせずに卒業した。その後、彼女は野球部の男性と結婚したらしい。
そして、今年の夏、23年ぶりに同窓会があった。彼女は来ておらず、名簿には「物故」となっていた。ご冥福をお祈りします。

番外編

男性本能の芽生え
ぼくが、まだ幼くてたいへんかわいらしかったころ、近所の近所の子供とよく遊んだものだ。つかまえ、かくれんぼう、ぼうさんがへをこいた、いろいろやった。でも、その中でぼくが特に覚えているのは、ゴム飛びだ。ぼくの遊び仲間には、ぼくより2つ年上の女の子と、同い年の男の子二人と、一つ年下の女の子がいた。あの頃は、女のこの方が跳躍力に優れているのか、「丸飛び」というので相当の高さを飛んでいた。ぼくは正面から飛ぶのだが、同い年の二人の男の子より高く飛ぼうという意識がかなり高かったようだ。今から考えてみると、表に出てはいないけど、異性に自分の優れているところ、カッコイイところを見せたかったんだなぁと思う。でもその時は、異性だの女の子だの意識しなかった。その証拠に、例の「丸飛びで」女の子が、パァーと飛ぶと、スカートが翻えって、白いものがチラリと見えても、今だったらよだれが、ダラリと出るだろうけど、あの頃は何も思わなかった。でも、カッコイイところを見せようとするのは、男の子の本能というものの芽生えだったかもしれない。

羞恥心
今から思うと、たいへん残念なのだが小学校の着替えは、たしか男女いっしょだったと思う。そして、中学校になって男子は教室で女子は更衣室で着替えるようになった。あのころは、別に疑問にも思っていなかったし、ごく自然に受けとめていた。いっしょに着替えていた小学校時代でも、五、六年になると、さすがに女の子といっしょに着替えなかった。男の子が先に着替えていたと思う。それは、誰言うとなく、自然とそうなってきた。人間ってものは、年をとるにつれてだんだんと異性を意識していくように、うまくできているものだなぁと、今さらながら驚いている。
 もし、今、男女いっしょに着替えてもよい、と言われてもできない。ほんとうは、いっしょに着替えたいんだけれど、羞恥心の方が、はるかに強くてとうていできないだろう。アダムとイブが禁断の木の実を食べさえしなかったら、いっしょに着替えられるのに。ちくしょう。

小学校時代の女の子歴
 僕の小学校時代の女性歴? 今、思い出しても、いっこうに思い出せない。たぶん、ほとんど皆無に等しかったと思う。小学校時代のぼくは、たいへんおとなしい児童でありまして、女友だちは、もちろん、男の友だちでさえそう多くはなかった。そんな乏しい記憶の中で思いあたることが一つだけある。小学校に入学してすこしたって、ぼくは、近所のよく知っていた女の子(この人も2000年の同窓会には来ていない)と同じクラスになった。よく知っていたといっても、親同士よく知っていて、なんとなくぼくも知っているような気がしていただけだった。それで、遊び時間になると、よくその女の子と追いかけあいをやったものだった。でも、二年生にまったくしなくなった。このことは、女性歴とはいえないようだ。なぜなら、その子を女性として思っていなかったから。今、その子を見ても、そんなこともあったんだなぁ、と懐かしい思い出となってしまった。やっぱり、ぼくの小学校時代の女性歴は皆無だった。 


2000年の8月5日の同窓会の日に番外編を打ってみたが、自分の誤解がよくわかった。
ただ、一つ証拠に今もあるのは、その子からもらった年賀状だ。



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