男である作者が女性に偽装して書いた理由は、細やかな私的な感情をひらがなで書きたかったからである。当時、男の書く日記は記録的なものであり、公の資料になるので、私的な感情を表現できなかった。政治家であると同時に歌人でもある作者にとっては、任地である土佐で亡くした愛児の思い出もあり、この帰路の旅は感慨深いものであった。また、当時の地方官が私腹を肥やしているなどの批判的があり、従来の日記では表現できなかったのであろう。
門出の時刻まで書きながら、年を「それの年」と曖昧にしているのも、単なる記録ではなく、普遍性を持たせ文学化するための手法であろう。
また、作者が国守と同一人物でないという設定によって、自画自賛する場面もある。それは当時の国守への皮肉でもある。
表現面で、「船路なれど馬のはなむけす」「塩海のほとりにてあざれあへり」などユーモア表現を交えているのは読者に読ませるためでもあろう。ただ、このユーモアの程度は高いとはいえないオヤジギャグであるが。
これから2カ月足らずかかる船旅で、安全も保障されていない。大きな不安があることを大前提にしなければならない。
0.学習のプリントを配布し、本文写し、語句調べを 宿題にする。
1.宿題の点検をする。
2.教師が音読する。
3.生徒と一緒に音読する。
★単語に区切らせ、助動詞を説明し(指摘させ)、難解語句説明し、訳させ、補足説明や質問をする。
4.男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。
1)「すなる」「するなり」の識別をする。
・断定「なり」=体言・連体形に接続
・伝聞・推定「なり」=終止形に接続
2)作者の性別を考える。
・紀貫之は男であるが、女を仮装して書いている。
3)作者が女を仮装して日記を書く理由を考える。
男の日記 | 女の日記 |
・漢字で書く。 ・公的な事実の記録。 ・政治を批判できない。 |
・ひらがなで書く。 ・私的な出来事や感情。 ・政治の批判もできる。 |
・作者は、ひらがなで、私的な心情や政治への批判を書きたかった。
・しかし、紀貫之は有名人で、作者は直ぐにばれてしまう。
5.それの年の十二月の二十日余り一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかに、 ものに書きつく。
1)「それの年」の朧化表現を説明する。
・作者が国司自身ではないことになっているのでぼかしてある。
・都に帰った年だから明確になっているはずであるが、曖昧にすることによって単なる記録でなく一般性を持たせ、文学的にする。
2)昔の月の異名を確認する。
3)日にちの表現の仕方を確認する。
4)十二支を問い、時間の表し方を説明する。
5)「門出」の意味を説明する。
・旅立ちに先立って、吉日吉方を選んで、いったん仮の場所に移ること。
方違へ=陰陽道に基づく風習。外出する時、天一神・大白神・金神などの巡行する方角に行くと災いを受けるとし、それを避け、前夜に他の方角の場所で一泊し、翌日、そこから別の方角に当たる目的地へ行くこと。
6.ある人、県の四年五年果てて、例のことどもみなし終へて、解由などとりて、住む館より出でて、船に乗るべき所へわたる。かれこれ、知る知らぬ、送りす。
1)「ある人」の表現に注意する。
・作者は女性に仮装しているのだから、自分のことを「ある人」と書いた。
・女性にしては、国司の交替について詳しく知っているのは不自然である。どういう立場の女性に仮託しているのか。
2)「県」「例のこと」「解由」「住む館」について説明する。
3)普通、国司の任期は四年であったが、代わり人が見つからない場合は、任期が延びる こともあった。土佐の国司は、都から遠く、人気がなかった。
7.年ごろ、よくくらべつる人々なむ、別れがたく思ひて、日しきりに、とかくしつつ、ののしるうちに、夜更けぬ。
1)「年ごろ」「日しきりに」「ののしる」の意味を確認する。
・特に「ののしる」は現代語と大きく意味が異なる。
8.二十二日に、和泉の国までと、平らかに願たつ。藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけす。
1)二十二日の読み方に注意する。
2)「和泉の国」の場所を説明する。
3)「うまのはなむけ」の意味を説明する。
・陸の旅行の出発に当たって、旅の安全を祈って、旅立つ人の乗る馬の鼻面をその方向に向けてやるというのが語源である。餞別の社交儀礼の意味で使われている。
4)「船路なれど、馬のはなむけす」のユーモアを考える。
・海の旅であるのに、陸の旅の呪いであるうまのはなむけをしているから。
9.上中下、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれあへり。
1)「上・中・下」の意味を確認する。
・身分の高い人、中位の人・低い人
2)「あやし」の意味を確認する。
1)神秘的な 2)珍しい 3)不思議な 4)不都合な 5)見苦しい 6)身分が低い
3)「塩海のほとりにてあざれあへり」のユーモアを考える。
1)「あざる」の意味を説明する。
・あざる=ふざける。腐る。
2)どこがおもしろいのか。
・塩があるのだから腐らないはずなのに、腐ると書いている。
10.二十三日、八木やすのりといふ人あり。この人、国にかならずしもいひつかふものに あらざなり。これぞ、たたはしきやうにて、むまのはなむけしたる。
1)二十三日の読み方に注意する。
2)「ざなり」の助動詞について説明する。
・「ざ」は「ざる」の略であるが、打消の助動詞の連体形である。
・接続を考えると、断定の助動詞になるが、伝聞の助動詞は接続する単語の終止形がウ段で終わらない場合、連体形に接続する。
・したがって、この場合判断が着かなくなる。
・断定にすると、作者が国司になるので、伝聞にする。
3)八木やすのりが来たことを意味を考える。
・出入りしていない者まで見送りに来てくれたことは、それだけ人望があった。
11.守からにやあらむ、国人の心の常として、「いまは。」とてみえざなるを、心あるものは、恥ぢずになむ来ける。これは、ものによりてほむるにしもあらず。
1)「国人の心の常」とはどんなことか。
・地方では、国司とその土地の豪族が癒着して、膨大な利益を得ていた。
・地方の国司は都から遠くて人気がないが、その分、地方の豪族とうまくつきあって一財産を築いて帰国する。
・国人は国司の帰国を見送ると、国司との癒着があからさまになるので、見送らない。
・また、任期を終えた国司からは利益を得られないので、新しい国司の心証を気にして見送りに来ない。
・土着の人と、純粋ではなく、生活のために打算的である。
2)「いまは。」の後の省略について考える。
・用はない。
3)それにもかかわらず、人が集まった理由は。
・前の国守の行いが立派で、人間的に尊敬され、人望があった。
4)「守からにやあらむ」は、どんな国司で、どこに続くか。
・素晴らしい国司。国人と癒着して利益を得るような国司ではない。
・「心あるものは」に続く。「国人の常〜みえざなるを」は挿入句。
・素晴らしい国司だから、心あるひとが人目も気にしないで見送りに来るのである。
5)「ものによりて」とはどういうことか。
・餞別でもらった品物が立派だったのでほめるのではない。
・女の立場に仮託しているとはいえ、自分自身をこれだけほめるのは、自分の政治に自信があったのだろう。
・自慢するのでなく、当時の国司の実態を告発したかった。
・それは、女性が書いたことにすることによって可能になった。
12.二十四日、講師、むまのはなむけしに出でませり。ありとある上・下、童まで酔ひしれて、一文字をだに知らぬ者しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。
1)訳させる。
2)「一文字をだに知らぬ者しが、足は十文字に踏みてぞ」のユーモア表現を考える。
@訳させる。
A「一文字をだに知らぬ者」とは。
・手では「一」という文字さえ書けない、童や身分の低い人。
B「足は十文字に踏みて」の様子は。
・酔っぱらって足元がふらついて、足跡が交差して「十」という文字になっている。
13.もう一度、意味を確かめながら音読する。
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