山椒魚


1) 山椒魚は悲しんだ。なぜなら、二年間で体が発育し、頭が出口につかえて岩屋から出られなくなったからだ。それに気づかなかったことは失策であった。彼にとって永遠のすみかになった。
 今後のことを思案して岩屋の中を動き回ろうとしたがあまりに狭かった。相当な考えがあると決心したが、何一つとしてうまい考えがある道理はなかった。現実を直視することを避け虚勢を張っていたのである。こうした山椒魚は、知識ばかりが肥大した近代人を揶揄している。
2) 岩屋の天井には杉苔や銭苔が密生し、花粉をまき散らした。花粉によって水が汚れるので杉苔や銭苔を好まなかった。岩や天井のくぼみに生えるかびは、繁殖しようという意欲がないので愚かな習性だと思った。それは現在の自分自身の習性でもある。
 彼は、岩屋の出入り口に顔を付けて外の光景を眺めることを好んだ。谷川のよどみを見ることができた。よく見えるが視野は狭くなる。知識が肥大した知識人のようである。
 水底には藻が発育を遂げていた。藻の間をめだかが泳ぎ抜ける。一匹がよろめくと他の多くもよろめいた。一匹だけが仲間から自由に遁走することは困難であった。彼はそんな不自由なめだかを嘲笑した。世論に左右される。民衆のようである。
 渦に巻き込まれる花弁を見ると、運命に弄ばれる自分のようで目がくらみそうになった。
3) ある夜、一匹の小エビが岩屋に紛れ込んだ。小エビは岩壁から山椒魚の横っ腹にすがりついた。彼は振り向いて見たいと思ったが、驚いて逃げるのではないかと思い我慢した。くったくしたり物思いにふけったりしている小エビをばかだと得意気に言った。それを見て彼は岩屋から出なければならないと決心をした。何度も出口に突進するが失敗する。小エビは失笑した。
4) 再び試みたが徒労に終わった。彼の目から涙が出た。神に向かって気が狂いそうだと訴える。しかし、誰でも彼と同じ境遇に置かれれば同じ心境になるだろうから、嘲笑してはいけない。
 彼は二匹のミズスマシと蛙の活発な動作と光景に感動した。しかし、見ていると自分が惨めになるので、目を避けた方がよいことに気づいた。ようやく自分の境遇を自覚した。
 それでいて、目を閉じると悲しかった。彼は自分のことを何の役にも立たないブリキの切りくずだと思った。彼は不幸に心をかきむしられていた。それでいて彼はまぶたを開こうとしなかった。目を開いたり閉じたりする自由だけが与えられていた。まぶたを開ければ自分が惨めになる。まぶたの中では際限もなく深淵が広がっていた。まぶたを開ければ見える世界は狭いのに、目を閉じれば無限の闇が広がっている。それは知識人の精神世界そのものである。彼の常識を軽蔑しないでほしい。彼は「寒いほどひとりぼっちだ」と言った。。
5) 悲嘆にくれているものをその状態に置いておくと、よくない性質を帯びる。彼は同じ状態において痛快を感じるために、感動を与えた蛙を岩屋に閉じ込めた。蛙はくぼみに逃げ込み安全を確保すると、互いに罵り合った。それは知識人の不毛な論争に似ていたが、山椒魚は孤独ではなくなった。
 一年の月日が過ぎた。蛙は山椒魚の頭が肥大して岩屋から出られないことを見抜いていた。両者は対等の立場になった。
6) さらに一年が過ぎた。蛙は不注意にも深い嘆息をもらしてしまった。彼は親近感や連帯感から友情が芽生えてたずねた。蛙は空腹でもうダメだと答えた。山椒魚は罪悪感や自責の念から何を考えているのかと問うと、蛙は山椒魚の孤独感や絶望感を理解したからか、おまえを怒っていないと答えた。


第一段落
 強いて  塞ぐ  狼狽  滑らか  嘆息
 狼狽=あわてること。
 思いぞ屈せし=行き詰まってしまった
 嘆息=ためいき。
第二段落
 繁殖  疎んじる  意外  朗らか  先途  遁走  甚だ  緩慢  嘲笑
 疎んじる=遠ざけて親しまない。
 あまつさえ=おまけに
 遁走=逃げ出すこと
 嘲笑=見下して笑う
 緩慢=動きがゆっくりしていてのろい
第三段落
 了見  巧み
 了見=考え
 身持ち=お腹に卵を持っていること。
 くったく=気がかり
第四段落
 徒労  横暴  嘲笑  幽閉  唐突  拭う  合点  深淵  没頭  牢獄
 徒労=無益な苦労
 横暴=権力に任せて乱暴な行いをすること
 嘲笑=相手を見下して笑う。
 幽閉=閉じ込めて外に出さないこと
 やくざな=役に立たない
 合点がいく=納得がいく
第五・六段落
 羨ましい  効験
 よしわるし=よいか悪いかすぐに判断できない
 効験=効き目。
第七段落
 唆す  鞭撻
 鞭撻=努力するように励ますこと


全体
1【指】第一〜七段落まで番号を打つ。
2【指】漢字・語句プリントを配布する。
3【指】各段落でどんな動物や植物が登場するか○で囲むことを指示する。
4【指】音読する。
第一段落
1)【L3】「山椒魚は悲しんだ」という冒頭文の効果は。
  ・山椒魚が悲しむという擬人法を使って山椒魚を人間としてみる視点を提示する。
  ・主人公を明確にする。
  ・なぜ悲しんで生きるのかと読者を引きつける。
2)【L1】なぜ「山椒魚は悲しんだ」のか。
  ・頭が出口につかえて外に出ることができなかったから。
3)【L2】「失策」とは何か。
  ・二年間の発育することに気づかず、岩屋の中で過ごし、気がつけば岩屋の出口に    がつかえて出られなくなっていたこと。
4)【L3】山椒魚はどんな人間にたとえているか。
  ・知識や自意識の肥大化した人間。
  ・考えるだけで行動しない。
5)【L3】なぜ山椒魚は岩屋の中を「泳ぎまわった」のか。人間の行動と比較して考えよ。
  ・行き詰まってしまった時に、解決策を考えるため。
6)【L3】なぜ「何一つとしてうまい考えがある道理がなかった」にもかかわらず、「相  な考えがある」と言ったのか。
  ・現実を直視することを避け、虚勢を張った。

板書
第一段落
・山椒魚は悲しんだ
  ↑
 頭が肥大して岩屋から出られない
 知識・自意識の肥大した人間
  ↑
 二年間の成長に気づかない=失策
・岩屋の中を泳ぎ回る=解決策を考える
  ↓
 相当な考えがある=現実無視・虚勢
  ↓↑
 うまい考えがない


第二段落
1)【L1】なぜ山椒魚は「杉苔や銭苔を眺めることを好まなかった」のか。
  ・花粉が散って水が汚れてしまうと信じたから。
2)【L2】なぜ山椒魚はかびを「愚かな習性」を持っていると思ったのか。
  ・常に消えたり生えたりして、絶対に繁殖していこうとする意志がないから。
  ・行動的でない点で、山椒魚と似ている。
3)【L1】なぜ山椒魚は「岩屋の外の光景を眺めることを好んだ」のか。
  ・ほの暗い場所から明るい場所をのぞき見するのは興味深いから。
  ・しかし、多くのものを見ることができず視野が狭くなる。
  ・狭い見解によって世界を批判する知識人を例えている。
4)【L3】なぜ山椒魚は藻の間を泳ぐめだかたちを「嘲笑」したか。めだかはどんな人間   たとえられているか。
  ・先頭がよろめくと自分もよろめいてしまうメダカは、主体性がなく人に従うだけ    不自由な行動しかできないと見下しているから。
  ・世論(人の意見)に左右される民衆。
  ・しかし、自分も同じ立場であることを棚に上げている。
5)【L3】なぜ山椒魚は「花弁が水の渦に吸い込まれる」のを見て「目がくらみそうだ」   思ったのか。
  ・その動きがあまりに激しく、運命の渦に巻き込まれていく自分を想像したから。

板書
第二段落
 ・杉苔や銭苔→好まなかった
  ・花粉が水を汚すから
 ・かび→愚かな習性=山椒魚
  ・常に消えたり生えたりして、繁殖する意志がない
 ・岩屋の外の光景→好んだ=知識人
  ・興味深い見える
    ↓↑
  ・多くのものが見えない   
 ・メダカ→嘲笑してしまった=民衆=山椒魚
  ・主体性がなく不自由な行動しかできない
 ・花弁→水の渦に吸い込まれる=山椒魚
  ・激しい運命の渦に巻き込まれる


第三段落
 【L3】小エビに対して「彼」は適切か。
  ・産卵期で腹にいっぱい卵を抱えているので「彼女」が適切。
1)【L3】なぜ山椒魚は横っ腹にすがりついた小えびを「振り向いて見てやりたい衝動を我  慢した」のか。
  ・体を動かせば小エビが驚いて逃げ去ると思ったから。
  ・逃げ去ると再び孤独になる。
2)【L1】山椒魚は小えびを見てどう思ったか。
  ・くったくしたり物思いにふけったりするやつはばかだよ。
  ・考えているだけで行動に移さないものは愚かである。
3)【L3】なぜ「得意げ」に言ったのか。
  ・自分は行動力があると思っているから。
4)【L3】なぜ山椒魚は「どうしても岩屋の外に出なくてはならないと決心した」のか。
  ・小えびを見て、物思いにふけっているだけでは何も解決しないことに気づいたから。
  ・山椒魚の転機である。
5)【L3】なぜ小えびは「失笑してしまった」のか。
  ・岩だと思ってものが突然動き出し、無駄な努力をくり返しているから。

板書
第三段落
 小エビ               │山椒魚
 ・横っ腹にすがりつく        │・振り向いて見たい衝動を我慢する=孤独
  ・卵を産みつけるよ       │ ・体を動かせば、驚いて逃げる    
  ・一生懸命に物思いにふける │・くったくしたり物思いにふけったりするやつはばかだ=自分
                   │ ↓
                   │・岩屋を出る決心
                   │ ↓
 ・ひどく失笑する         │・出口に突進するが頭が出口につかえる
                   │ ・水が濁る


第四段落
1)【L1】なぜ山椒魚は「目から涙か流れた」のか。
  ・いくら岩屋を出ようと試みても失敗し、一生涯穴蔵に閉じ込められると思ったから。
2)【L1】「罰」とは何か。
  ・二年間うっかりしていたために、一生涯岩屋に閉じ込められること。
3)【L3】なぜ読者は山椒魚を嘲笑してはならないのか。
  ・人間も狭い所に一生涯閉じ込められたら、発狂するだろうから。
3)【L2】なぜ山椒魚はみずすましや蛙から「目を避けたほうがいいということに気づい   た」のか。
  ・活発な動物を見ていると、自分の不自由な境遇が惨めになるから。
  ・第二段落で岩屋の外を見ることを好んだのと対照的である。
4)【L3】目を閉じて思った「ブリキの切りくず」とはどんなものか。
  ・自分を好みのままの格好をしているが、何の役にも立たない。
  ・物思いにふけっているだけで、行動しないもの。
5)【L3】なぜそれでも「まぶたを開こうとしなかった」のか。
  ・与えられている自由は、まぶたを開くか閉じるかである。
  ・まぶたを開く自由を選べば、活発な光景が目に入り自分が惨めになる。
  ・だから、まぶたを閉じる自由を選んだ。
6)【L3】「合点がいかないこと」とは何か。
  ・現実的には狭い空間に閉じ込められているのに、目を閉じた世界は際限もなく広が   った深淵であるから。
  ・知識人の精神世界をたとえている。
7)【L2】「かかる常識」とは何か。
  ・目を閉じれば際限なく広がる深淵のような暗闇があること。

板書
第四段落
 ・目から涙が流れた
  ・二年間うっかりしていただけなのに、一生涯穴蔵に閉じ込められる=神の罰
   ↓
  ・気が狂いそうだ
   ↑
  ・諸君は嘲笑してはいけない
 ・岩屋の外のみずすましや蛙を見る→活発な動作に感動する
  ↓
 ・目を避けたほうがいいと気づく←不自由な自分の境遇が惨めになる
  ↓
 ・目を閉じてみる→悲しかった
  ・ブリキの切りくず=好みの格好をするが役に立たない
  ↓
 ・まぶたを開こうとしなかった
  ・まぶたを開く自由と閉じる自由
 ・合点のいかないこと
  ・目を開ける→狭い閉ざされた空間
  ・目を閉じる→際限もなく広がった深淵
   ↑
  ・諸君は軽蔑してはいけない
    ↓
 ・寒いほどひとりぼっち


第五・六段落
1)【L2】山椒魚の「よくない性質」とは何か。
  ・蛙を岩屋に閉じ込めること。
  ・他者を自分と同じ不幸な状態に置くことによって、痛快に感じること。
2)【L3】互いに「おまえはばかだ」と言い合う意味は。
  ・山椒魚は、孤独ではなくなった。
  ・知識人の不毛な論争をたとえる
3)【L2】一年後、「岩屋の囚人たちをして、鉱物から生物によみがえらせた」とは。
  ・山椒魚と蛙が冬眠から覚めて活動を再開した。
4)【L2】1年目との状況の違いは。
  ・山椒魚の頭が大きくて岩屋から出られないことことを蛙が見抜いた。
  ・互いの弱点を知り、対等の立場になった。

板書
第五・六段落
 ・よくない性質
  ・蛙を岩屋に閉じ込める
  ・他者を自分と同じ状態に置き、痛快に思う=相対的な幸福
 ・互いに「おまえはばかだ」と罵り合う=不毛な論争
  ・孤独ではない
   ↓一年後
 ・互いの弱点を知る=対等


第七段落
1)【L2】なぜ「お互いの嘆息が相手に聞こえないように注意していた」のか。
  ・相手に衰弱や弱みを知られたくないから。
2)【L2】なぜ山椒魚は「友情を瞳に込めた」のか。
  ・長い間狭い空間にいて言い合ったので、同じ境遇のもの通しの親近感や連帯感が芽   生えたから。
3)【L3】なぜ山椒魚は「よほどしばらくしてから」たずねたのか。
  ・罪悪感や自責の念があったから。
  ・「どういうことを考えているようなのだろうか」と遠回りの表現。
4)【L3】なぜ蛙は「おまえのことは怒ってはいない」と答えたのか。
  ・山椒魚の孤独感や絶望感を理解したから、責める気持ちはなくなった。

板書
第七段落
 ・三年目
  ・山椒魚=友情を込めた瞳
       親近感や連帯感
       罪悪感や自責の念
  ・蛙=怒ってはいない
     山椒魚の孤独感や絶望感を理解した。