教材観
私は、東京オリンピックの一九六四年から三年間下宿していた、新道商店街にある中村畳店を訪れる。中村さんの人柄は、家賃が安かったことから金銭的な欲のない人で、茶筒にいれた煎餅をかじっているように庶民的な人で、「おやつをつきあってやってください」と言う腰の低い人で、針たこが鱈子のようになっているような根っからの職人で、話好きな人である。
話は新道少年野球団が強かった話題になる。根拠は、新宿区の少年野球大会で準優勝したこと、決勝戦を延長十二回まで戦ったこと、新道の投手は自分の息子一人だったこと、午前の準決勝と続けて十九回も一人で投げたこと、真夏のかんかん照りの下であったことなどである。
この商店街もあの頃とすっかり変わってしまった。あの頃は、豆腐屋やガラス屋やお惣菜屋やビリヤード屋など、たいていの日用品が揃い、そこに住む人だけを相手に暮らしが成り立ち、生活があり、自足していて、自信のみなぎる通りだった。しかし今は、東京オリンピックから始まった高度経済成長のおかげで、飲み屋や食べ物屋や喫茶店など、厚化粧で華やかではあるが、客を迎えるだけの、外からやってくる客の懐中をあてにしないとやっていけない、素っ気ない、脆い通りになってしまった。
住んでいた人々は、地価が高くなり、土地を処分して出て行った。少年野球団のナインもばらばらになった。
投手 畳屋 英夫 地元で畳屋
一塁 洋服屋 明彦 大学を出て千葉で会社員
二塁 お惣菜屋 洋一 新宿のホテルのコック
三塁 ガラス屋 忠 コンピュータ技師
遊撃 文房具屋 光二 神奈川の中学校教師
左翼 豆腐屋 常雄 埼玉で自動車学校の経営
右翼 魚屋 誠 文化放送前の小料理屋
しかし、中村さんは、四番打者で捕手で主将の、洗濯屋の正太郎のことだけは口にしたくなかった。しかし、一旦正太郎に話題が及ぶと能弁になった。正太郎に、息子の英夫は畳を八十五万円分だまし取られ、常雄は四百万円余りを盗まれ奥さんも寝取られ自殺未遂を起こした。しかし、英夫が正太郎をかばうのが納得出来なかった。
そこに英夫が入ってくる。「お父さん、畳の仕上がりをみてやってください」と父親を立て、父親はそれがうれしい。そんな姿に私は仕事を息子に任せて隠居する中村さんの姿を想像する。
今度は英夫が正太郎の話をする。正太郎は僕らのためになることをして歩いていると言う。なぜなら、自分は八十五万円だまし取られた穴埋めをするために仕事に精を出すようになった。常雄の奥さんは高慢ちきだったが問題を起こしてからは別人のようになった。こうした信頼感は、野球の決勝戦で、正太郎が疲れていた英夫や常雄の為に自分の体で日陰を作ってくれたことから生まれている。パレードの時泣いていたのもそのことがうれしかったからだった。このナインにはできないことはなにもないんだという気持ちが今もどこかにある。正太郎が洗濯屋であったのは、洗濯屋は汚れた衣類を洗って綺麗にすることが仕事であるように、正太郎はナインの苦しい状況を身をもって洗い清めてくれる、いわばナインの人生の洗濯屋であったからである。
その野球場に大会社のビルのために西日が差なくなり、あのような感動も二度と味わえなくなった。
1.「ナイン」というタイトルから連想する内容を質問する。
・「9」という数字がまず連想されるだろう。
・「9」から連想するものは、やはり野球か。
・たしかに野球は9人でするものだが、あえて「ナイン」とした理由は。
●放送局での仕事〜パレードにぶつかったんです。」
0.語句の確認をする。
・膝を進める=すわったまま相手に近寄る。
・口=物事をいくつかに分けたうちの、同じ種類にはいるものの一つ。たぐい。
1.小説を読む場合は、時、場所、人物の設定を確認することを説明する。
2.小説の時間設定を質問する。
1)現在と少年野球団が準優勝した時と二つの時がある。
2)少年野球団が準優勝した時を考える。
3)下宿していたのが東京オリンピックの年だから一九六四年。
★この年に、新幹線も開通した。
・準優勝は下宿して二度目の夏だから、一九六五年。
★今から三十八年前、僕が十歳の頃。
★名神高速道路全線開通。ベトナム戦争の最中、「サザエさん」「オバケのQ太郎」「青春とは何だ」放映。巨人V9の始まり。
4)現在の年号を考える。
・準優勝が英夫君が小学校六年生で十二才の時。
・現在、英夫君は結婚しているのだから二十五〜三〇才ぐらい。
・一九六四+(二十五〜三十−十二)=一九七七〜一九七二。
・実際は、中村さんの読んでいるスポーツ紙の見出しが「王政権の発足」だから一九八三年十一月九日。
3.場所を質問する。
・四ツ谷駅の新道の中村さんの店。
・次を読めばわかるが、新道は商店街になっている。
4.この部分での登場人物を質問する。
・私と中村さん。
5.私についてわかることを質問する。
・放送関係の仕事をしている。
・東京五輪から三年間、中村さんの二階に下宿していた。
6.中村さんについてわかることを質問する。
・畳屋の主人。
・店は大きい。
・家賃が相場の二割方安い→金銭には執着しない。
・おやつをつき合ってやってくださいよ→謙譲表現で相手に負担を感じさせない。穏やかで謙虚な人柄。
★普通は「つきあって下さい」「食べませんか」
・針だこでたらこみたいに膨れあがった指→長年職人一筋でやってきた。
・スポーツ紙の見出しに誘われて話題は自然に野球になった→話好き。
7.中村さんが「新道少年野球団は強かったねぇ」と言う根拠を質問する。
・新宿区の少年野球大会で準優勝した。
・決勝戦を延長十二回まで戦った。
・新道の投手は自分の息子一人だった。
・午前の準決勝と続けて十九回も一人で投げた。(少年野球は七回戦である)
・真夏のかんかん照りの下であった。
★これだけ見ると、中村さんが言うほど並外れて強くはない。
8.中村さんが新道少年野球団の昔話をし始めた理由を質問する。
・自分の息子が十九回まで投げ抜いたことを自慢したかった。
★それもあるかもしれないが、他にもあることを予告して読み進める。
9.「ナイン」から少年野球の話になったが、今後の展開を予想させる。
・「9」という数字にこだわれば、メンバーにまつわる話になる。
●上智大学の学生が増え〜気がしてしかたがない。
0.語句の意味の確認をする。
・懐=懐の中に入れて持つお金。所持金。
1.新道商店街の場所を地図を書いて説明する。
・JR四ツ谷駅、新道商店街、上智大学、外堀公園野球場を確認する。
2.現在の新道商店街の写真を見せる。
3.東京五輪大会が開催された六〇年代は、高度成長時代で、池田内閣により所得倍増計画が進められたことを説明する。
4.当時の新道商店街にあった店や家を質問する。
・豆腐屋、ガラス店、お惣菜屋、ビリヤード屋、主人が会社勤めの普通の家、歌舞伎役者の住まい
・大和屋とは岩井半四郎で、娘は女優の岩井友見と仁科明子である。
3.その様子を表現している部分を抜き出させる。
・生活があった。
・自足していた。
・自信のようなものがみなぎっていた。
4.それらを分かりやすく具体的に説明するとどうなるか質問する。
・たいていの日用品は新道のなかにある店屋で間に合っている。
・住む人だけを相手にして暮らしが立っていた。
・自分たちだけでやっていける。生活力がある。
★スーパーやコンビニとの違いを説明する。近くにある商店街をイメージさせる。
★どんな店があれば自給自足出来るか考える。
6.現在の新道商店街にある店を質問する。
・飲み屋、食べ物屋、喫茶店
7.その様子を表現している部分を抜き出させる。
・厚化粧。
・素っ気ない。
・華やか。
・脆い。
8.それらを分かりやすく具体的に説明するとどうなるか質問する。
・派手で華やかな外装の店が並んでいる。
・外からの客相手に商売をしている。
・店だけがあって人が住んでいない。
・客が来なくなれば寂れてしまう。
●「主将の洗濯屋の正太郎くんが〜若葉町の方へ引っ越して行ったよ」
1.もう一度中村さんが「新道少年野球団は強かった」と繰り返している理由を質問する。
・新道少年野球団と昔の新道商店街のの繁栄を重ねて思い出している。
2.パレードでナインが一斉に泣きだした理由を質問する。
・よほど口惜しかった
★後で本当の気持ちが書かれているが、ここはこの答で留めておく。
3.中村さんが目を伏せた理由を質問する。
・ナインがこの街を出てばらばらになってしまったので寂しい。
4.ナインのその後をまとめさせる。
投手 英夫 畳屋 商店街で畳屋
一塁 明彦 洋服屋 千葉へ引っ越し丸の内で会社員
二塁 洋一 お惣菜屋 新宿のホテルのコック
三塁 忠 ガラス屋 コンピュータ技師
遊撃 光二 文房具屋 神奈川の中学校教師
左翼 常雄 豆腐屋 埼玉で自動車学校の経営
右翼 誠 魚屋 文化放送前の小料理屋
5.おかしなことに気づかないか質問する。
・捕手と中堅が抜けている。
・捕手 正太郎 洗濯屋 詐欺師?
・中堅は、単に書き忘れた。
6.新道から出て行った理由を質問する。
・新道の地価が上がり、土地を処分して郊外に家を建てて出ていった。
●中村さんはなぜだか〜家出をしていたからねぇ」
0.語句の意味を確認する。
・性根を据える=あることをしとげようとする元気を出す。
・眉につばを付ける=だまされないように用心する。
・一肌脱ぐ=援助を求めてきた人のために、本腰を入れて自分の力を貸す。
・ねんごろになる=男女の中がむつまじいようす。特に、男女がひそかに情を通じあうようす
1.中村さんが正太郎のことを口にしたくない理由を質問する。
・息子の英夫や常雄が正太郎に詐欺にあったから。
・新道少年野球団の思い出に傷がつくから。
・息子が正太郎をかばう気持ちがわからないから。
2.それなのに、話し始めると能弁になった理由を質問する。
・正太郎への恨みと、理解しがたい息子のことを誰かに聞いてほしいから。
★相反する二つの気持ちがあることに注意する。
3.英夫や常雄が騙された手口を確認する。
4.正太郎が崩れた理由を質問する。
・夫の女出入りで夫婦がしょっちゅう揉めていた。
・正太郎は何度も家でした。
●「お父さん、畳の仕上がり〜やがてこう切り出した。
0.語句の意味を確認する。
・一目おく=(碁を打つとき、腕の弱いほうが石を何目か置いて始めることから)自分より相手の能力が上だとみとめて、一歩をゆずる。
・精を出す=いっしょうけんめいに働く。
・鼻にかける=自慢する。
・気圧される=圧倒される。
1.「畳の仕上がりを見てやってください」という言葉に込められた英夫の気持ちを質問する。
・普通は「見てください」。
・父親を立てている。
2.それに対する中村さんの返事に込められた気持ちを質問する。
・息子が立ててくれるのがうれしい。
★非常によい親子関係ができている。
★僕も畳屋の息子で、よく手伝ったが、家業を継がなかった。
3.それを見て私が感じたこととその理由を質問する。
・中村さんはまもなく隠居する。
・息子を信頼しきっているから。
4.英夫を正太郎に対する評価を質問する。
・悪のように見えるけど、やはりぼくらのキャプテンである。
・ぼくらのためになることをして歩いている。
5.英夫が正太郎に感謝している理由を質問する。
・正太郎に騙されたので、その穴を埋めようとして、仕事に精を出すようになったから。
6.常雄が正太郎に感謝している理由を質問する。
・奥さんが、正太郎と問題を起こしてから、高慢な女から別人のようになったから。
7.私は英夫の気持ちをどう解釈したか質問する。
・決勝戦まで一緒に戦ったから、チームメートを信じるようになった。
★これは、中村さんの考え方と同じで、外部の、大人の、常識的な解釈である。
●口に出すと、〜おわり。
1.写真を見せながら、外堀公園がどんな所か説明する。
・四ツ谷駅を新宿側に出て外堀通りを市ヶ谷の方へ下る。
・三角形の公園がある。
・外堀通りから一段低い堀を埋めつくした。
・当時は金網がなく、土手から球場に立つことができた。
・土手に桜の木が植えてあり、一塁側のベンチに陰があった。
・三塁側のチームは日陰がない。
2.出来事を確認する。
・正太郎が前に立って日陰を作った。
・他のみんなもならって前に立った。
・投手の英夫と、弱虫の八番打者の常雄が日陰で休んだ。
3.パレードで泣いた理由を質問する。
・決勝戦で負けたことが悔しいのではない。
・うれしかったから。
・このナインにできないことは何もないと思ったから。
4.「だから・・・」の後に言おうとしたことを質問する。
・ぼくらのためになることをして歩いている。
・決勝戦の時の気持ちが今でもどこかに残っているから。
5.西日がささなくなってしまったことの意味を質問する。
・あの日を感動を二度と再現することができなくなった。
・新道商店街の繁栄も二度とない。
・いずれも、高度経済成長で環境が変化したからである。
●まとめ
1.この小説の対比を確認する。
イ昔と今の対比
・生活があった昔の新道商店街と、厚化粧の今の新道商店街。
・決勝戦を十二回まで戦ったナインと、高度成長によってバラバラになったナイン
2.その中で変化しないものを質問する。
・ナインのためになることをしてくれる心の中の正太郎。
エ主観(当事者・子ども)と客観(外部の人間・大人)の対比
・パレードで、嬉しくて泣いたナインと、悔しくて泣いたと思った中村さん。
・正太郎の詐欺行為に、感謝している英夫と、許せない中村さん。
・正太郎を許すのは、僕らのためになることをして歩いていると信じている英夫君と、決勝戦まで一緒に戦ったからだと思っている私。
3.この小説の主題を考える。
・深い感動を体験した者同士の信頼感
4.正太郎が洗濯屋である理由を考える。
・洗濯屋は、汚れた衣類を預かって、洗ってきれいにする。
・正太郎は、自分が悪者になって汚れを引き受けて、英夫や常雄の問題をきれいに解決する。
5.この小説の主人公は誰か。
●正太郎か、中村さんか、英夫か、ナインか、新道か。
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