坂口安吾
作者は、桂離宮も玉泉も大雅堂も竹田も鉄斎も秦蔵や竹源斎も祖国の町や村も風俗も山河も茶の湯も床の間も、日本の古代文化についてほとんど知識を持っていない。
しかし、そんな生活が「古代文化の伝統」を見失ったという理由で貧困だとは考えていない。もっとも金銭的には貧困である。
日本の富豪はタウトに掛け物を見せたり茶の湯と食膳を供したというが、こういう生活が「古代文化の伝統」を見失わない「内面的」に豊富だとすれば、「内面」の目安が安直である。
コクトーは日本人が着物を着ないことを、古代文化の伝統を忘れ欧米化に汲々としていると批判した。フランスは奇妙な国で、戦争の時にまず芸術品を避難させた。彼らは伝統は受け継いでいるが、伝統を生むのが彼ら自身であることを知らない。
伝統とは何か、国民性とは何か。日本人には和服を発明して着なければならない要因があったのか。
江戸時代の講談では、日本人の祖先は復讐心が強い。しかし、七、八十年しかたっていないのに、今日の日本人は最も憎悪心の少ない国民になった。作者の学生時代、ニヒリストのコット先生のテーブルスピーチが感傷的だったので作者が笑ってしまった時、コット先生は激しい憎悪の目で作者を見た。
このような憎悪は日本人にはない。昨日の敵は今日の友という甘さが日本人共有の感情である。
伝統や国民性には、このような欺瞞が隠されている。自分の性情に裏腹な習慣や伝統を生来の希願のように背負わなければならない。昔日本で行われていたから日本本来のものであるということは成立しない。外国にあって日本になかった習慣が日本人にふさわしいこともある。他者の優れた点を無条件に取り入れる模倣ではなく、自己の独自性として結実させる発見である。インスピレーションも模倣から発見へと結実する。
キモノとは、洋服との交流が千年ばかり遅かっただけである。限られた手法以外に、新たな発見を暗示する別の手段が与えられなかっただけである。日本人の伝統や国民性がキモノを生み出したのでも、日本人にはキモノのみが美しいのではない。
小学校の頃、万代橋という木橋が取り壊されて鉄橋になった時、誇りがなくなるとか身を切られるとか不思議な悲しみがあったが、今では鉄橋になったことが当然のように思える。日本本来の姿より便利な生活、「生活の必要」が大切である。京都や奈良の寺より、交通機関やエレベーターや電車の方が必要である。生活が滅びない限り独自性は健康である。なぜなら、われわれ自体の必要と、必要に応じた欲求を失わないからである。
外国人が日本の伝統の美を発見したことと、日本人が古代文化を見失いながら日本人であることとの間には、大きな隔たりがある。すなわち、外国人は日本を発見しなければならないが、日本人は現に日本人で日本を見失うはずはない。日本精神とは何かと言う問題は必要ないのである。説明された精神から日本は生まれず、日本精神は説明できるはずもない。日本人の生活が健康なら日本そのものが健康である。欧米化した日本人を欧米人が哀れんで笑う立場と、日本人がその便利さに満足して生活している立場との間にはつながりはなく、根底的に相違がある。欧米人の評価にこだわらず、日本人が生活の中で正当な要求をしていけばよい。
作者は日本の古代文化を知らないが、作者自身の「日本文化私観」を語ってみる。少なくとも作者には日本を「発見」する必要はないので、語るのに有利である。
1一顧 | ちょっと振り返って見ること。ちょっと心にとめてみること。一考。 |
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2内省 | 自分の考えや行動などを深くかえりみること。 | |||
3安直 | 簡単で手軽なさま。また、いい加減なさま。 |
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無論 | 論じる必要のないほどはっきりしているさま。言うまでもなく。もちろん。 | |||
4汲々 | あくせくしてゆとりのないさま。 | |||
5素因 | おおもとの原因。 |
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6草の根 | 隠れて見えない草の根もと。 |
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追悼 | 死者の生前をしのんで、悲しみにひたること。 |
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ニヒリスト | 虚無主義者 |
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8欺瞞 | あざむくこと。だますこと。 |
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生来 | 生まれたときからの性質や能力。生まれつき。 | |||
希願 | ||||
9体躯 | からだ。また、からだつき。体格。 |
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かっぷく | 肉づきや押し出しから見た、からだの格好や姿。からだつき。 |
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11湾曲 | 弓なりに曲がること。 |
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千万 | さまざま。いろいろ。 |
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憫笑 | 哀れみ笑うこと。 |
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浅薄 | 考えや知識が浅く行き届いていないこと。また、そのさま。あさはか。 |
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12先刻 | さきほど。さっき。 |
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点検日 月 日
組 番 氏名学習の準備 1.読み方を書きなさい。 1 絶賛 家居 一顧 2 内省 3 富豪 披露 食膳 安直 無論 4 汲々 5 素因 6 復讐 憎悪 献立 追悼 凝らす 8 欺瞞 生来 模倣 9 体躯 10 架かる 11 隔たり 湾曲 滑稽 千万 憫笑 浅薄 12 先刻 2.語句の意味を調べなさい。
3.次の問題の答えにあたる部分に線を引き、番号をつけなさい。 11)日本の古代文化の例として挙がっているもの。 22)作者はどういう理由で自分の生活が貧困でないと考えているか。 33)こういう生活とは。 4)こういう生活は一般にどのように評価されているか。 45)コクトーは和服を着ない日本人をどのように評価しているか。 6)フランス人は何を知らないのか。 57)問題提起は。 68)講談の中に描かれている日本人は。 9)今日の日本人の特徴は。 810)日本人の伝統や国民性には何が隠されているか。 11)模倣と発見の関係は。 1012)様々な例を挙げながら、何より何の方が必要と考えているか。 1113)タウトと日本人の隔たりとは。 14)何と何との間に全然つながりがないのか。 15)どんな立場はどんな立場に根底的に相違があるのか。 学習のポイント 1.作者の持っていない日本の古代文化の知識の例を理解する。 2.作者の考える貧困を理解する。 3.日本の富豪の生活を古代日本文化の伝統のために内面的に豊富な生活であると考える ことが安直である理由を理解する。 4.フランス人に対する批判を理解する。 5.講談に描かれる江戸時代の日本人の特徴を理解する。 6.今日の日本人の特徴を理解する。 7.コット先生の例で述べようとしていることを理解する。 8.日本の伝統や国民性の欺瞞な内容を理解する。 9.模倣と発見の関係を理解する。 10.キモノの例で述べようとしていることを理解する。 11.小学生の頃の万代橋の例で述べようとしていることを理解する。 12.伝統と生活の価値と、そう考える理由を理解する。 13.日本の伝統に対する外国人と日本人の見方や立場の違いを理解する。 14.作者の考える日本人のあり方を理解する。 |
第四段落
・日本文化私観 ×伝統を知らない。 ○日本を発見する必要がない。 |