ネットが崩す公私の境


 ニーチェは、「誰もが読者になる時代は、書くことだけでなく考えることを腐敗させる」と述べ、少数の著者が多数の読者を啓蒙し教化する活字書物文化の特質を揶揄した。ニーチェは、全身全霊で書かれたものだけを評価した。
 活版印刷というメディアが「著者性」を発生させ、権威者の一方的な情報発信と受動的に教授する多数の読者という上下構造を作り上げた。それに対して、インターネットを中心とする電子メディアは、誰でもが簡単に「著者」になりうる構造を作った。
 それによって、不正を正すという良い面もある一方で、個人やコミュニティーや企業を崩壊させるという悪い面もあり、混乱を生じさせている。いずれにせよ、その力は圧倒的である。
 情報発信の総量から見ると、マス・メディアは、技術的制約があり、構造上情報量の過度な増加は情報の有用性の減少につながる。
 しかし、インターネットは情報発信者が多数であろうとも、デジタル情報の特徴である検索能力によって必要な情報が瞬時に取り出せる。
 したがって、情報の総量の制限や内容や質の淘汰は働かない。
 従来のメディアは、個人が公に情報を発信する時は、さまざまな困難や編集者によるチェックが伴い、良くも悪くも、この距離が、思いを思考に、一面的な思考を十分に吟味された意見へと練り上げられた。
 しかし、インターネットでは、「発想」と「発表」との間の落差はほとんど存在しない。
「自我境界」があいまい化、拡大化し、自己と世界が「短絡」してしまい、プライベートとパブリックの境が溶け落ちる。
 ニーチェは誰もが読者であることが書くことや考えることを腐敗させると批判したが、誰もが著者になる時代になると、何を腐敗させることになるのだろうか。


0.学習プリントを配布し、1、2を宿題にする。
1.インターネットをどれだけ利用しているか、どのように利用しているかを聞く。
2.読み方の確認をする。
 72 悪臭 腐敗 啓蒙 揶揄 全身全霊 権威 73 発生 被って 享受 匿名
 誹謗中傷 74 検索 瞬時 集積 関与 抽出 淘汰 伴って 吟味 練り上げる
 75 短絡
3.形式段落に1〜15まで番号を打たせる。
4.全文を小段落ごとに音読させる。
 ・段落分けと、重要部分に線を引かせる。
5.段落分けをさせる。
 第一 1〜3 ニーチェの言葉
 第二 4〜8 著者性
 第三 9〜14 情報の総量
 第四 15   今後の問題点

第一段落  板書
 
1.音読させる。
2.語句の意味を確認する。
72啓蒙 人々に新しい知識を与え、教え導くこと。
 教化 人を教え導き、また、道徳的、思想的な影響を与えて望ましい方向に進ませること。   
 揶揄 からかうこと。
 全身全霊 その人のもっている心身の力のすべて。
3.ニーチェについて説明する。
・ドイツの哲学者。ギリシア古典学、東洋思想に深い関心を示して近代文明の批判と克服を図り、キリスト教の神の死を宣言。善悪を超越した永遠回帰のニヒリズムに至った。さらにその体現者としての超人の出現を求めた。生の哲学、実存主義の先駆とされる。著「悲劇の誕生」「ツァラトゥストラはかく語りき」「権力への意志」など。
・「ツァラトゥストラはかく語りき」は、「神は死んだ」の言葉で表されるニヒリズムの確認に始まり、キリスト教に基づく西洋文化の価値の転換を図り、超人ツァラトゥストラの言動を比喩や逸話によって描いたもの。
4.「読書する暇つぶし屋を私は憎む」について
 1)「読書する暇つぶし屋」とは誰か。
  ・読者。
  ★読書は、真剣な思考の追及ではなく、暇つぶし、遊びである。
 2)「屋」という言い方を考える。
  ・軽蔑的な意味を含んだ表現。
  ・政治屋、技術屋、便利屋、わからず屋。
 3)「私は憎む」理由を確認する。
  ・精神が悪臭を放つようになるから
  ・書くことばかりか、考えることまで腐敗させる。
 4)「誰でも読むことができる事態が、書くことや考えることの腐敗につながる」理由を  考える。
  ・ここでは問題提起するだけで、答えを出す必要はない。
  ・これが今後の評論点である。
 5)ニーチェの言葉の意図を確認する。
  ・少数の著者が多くの読者を啓蒙し教化するという、活字書物文化の特質を揶揄する。
  ・活字書物文化の特質は、少数の著者による多くの読者の啓蒙・教化である。
  ・少数と多数の対比に注意する。
 6)ニーチェが評価するものを確認する。
  ・全身全霊で書かれたもの。
  ・全身全霊で読み解く読者。
  ・両者とも少数で、多数存在することはあり得ない。
 7)「誰でも読むことができる事態が、書くことや考えることの腐敗につながる」理由を  考える。
  ・読者が増えると、多くの書いたものが必要になる。
  ・多くのものを書くには、著者は全身全霊を傾けられない。
  ・読者が暇つぶしで読むものに、著者は全身全霊を傾けなくなる。
  ・著者は、全身全霊で書かなくなると、あまり深く考えなくなる。
 8)実際の例を考える。
  ・ベストセラー作家や多作の筆者の書物は、同じことの繰り返しであったり、矛盾が   あったり、陳腐である。
  ・専門書の価値を考える。
  ・答案を書くことを考える。

第二段落  板書
 
1.音読させる。
2.語句の意味を確認する。
 権威 他の者を服従させる威力。
73メディア 媒体。手段。特に、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体。    
 享受 受け入れて自分のものとすること。 
 匿名 自分の名前を隠して知らせないこと。  
 誹謗 他人を悪く言うこと。 
 中傷 根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること。
 コミュニティー 居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。    
3.著者の権威性について語源から確認する。
4.グーデンベルグの活版印刷技術について
 1)「著者という権威」がグーデンベルグの活版印刷技術から成立したことを確認する。
 2)グーデンベルグの活版印刷技術はルネッサンスの三大発明の一つだが、あとの二つは。
  ・火薬、羅針盤。
 3)活版印刷技術が「著者という権威」を成立させた理由を考える。
  ・権威とは、多くの人に認められなければならない。
  ・活版印刷技術によって、書物は大量生産され、多くの人に読まれるようになった。
  ・その結果、著者が権威となった。
  ・活版印刷が発明されるまで、「著者性」は存在しなかった。
 4)「著者」と「著者性」の違いを考える。
  ・著者は、ものを書く人。
  ・著者性は、著者のもつ権威。
5.活字メディアと電子メディアの違いについて
 1)活版印刷などを「活字メディア」、インターネットなどを「電子メディア」と呼ぶこ  とにする。
 2)活字メディアの具体例を考える。
  ・書物、雑誌、新聞、教科書。
 3)電子メディアの具体例を考える。
  ・インターネット、メール、携帯電話、電子手帳、DVD、CD。
 4)ここでの電子メディアは、インターネットを使った文字情報のやりとりであることを  確認する。
 5)従来の活字メディアの構造を確認する。
  ・権威者である著者の一方的な情報発信と、受動的に享受する多数の読者という上下   構造。
  ・一方通行。
 6)電子メディアの構造を確認する。
  ・だれでもが簡単に「著者」になり得る構造。
  ・双方通行。
 7)「大きな変容」とは一言で言うと。
  ・著者の権威性の崩壊。
 8)大きな変容によって、「著者の権威性」が崩壊する理由を考える。
  ・活字メディアは、少数の著者と多数の読者という、一対多のピラミッドのような上   下構造によって成立していた。
  ・電子メディアが、著者を多数にしたため、ピラミッド構造が崩壊した。
6.このことによって、どんな混乱が生じているかを考える。
 1)良い面を確認する。
  ・不正を告発できる。
  ・今までは新聞に投書するぐらいであったが、それも掲載されるかわからない。
 2)悪い面を確認する。
  ・証拠や根拠のない一方的な意見
  ・匿名の誹謗中傷
  ・個人やコミュニティーや企業を崩壊させる。
 3)良い面も悪い面もあるが、圧倒的な力を持つようになったことを確認する。
7.イメージマップで、インターネットの功罪について考える。
 1)用紙の真ん中に「インターネット」と書き、○で囲む。
 2)用紙を3分割し、左を「功」、右を「罪」、下を「対策」とする。
 3)思い浮かぶ「功罪」を書き込んでいく。関連するものは枝分かれさせる。
 4)グループで交流し、大きな用紙に書かせる。
 5)全体で発表させる。

第三段落  板書
 
1.音読させる。
2.語句の意味を確認する。
74関与 ある物事に関係すること。
 抽出 多くの中からある特定のものを抜き出すこと。
 淘汰 不必要なもの、不適当なものを除き去ること。
 思念 思い考えること。常に心に深く思っていること。
 吟味 物事を念入りに調べること。
75短絡 事柄の本質を考えず、またとるべき手順を踏まえずに、原因と結果、問いと答えなどを性急に結びつけてしまうこと。
 プライベート 個人的な物事であるさま。  
 パブリック 公衆。大衆。また、公であるさま。公的。
3.学習プリントの3の10)〜20)をさせる。
4.情報発信の総量について
 1)「活字メディア」の言い換えを確認する。
  ・「マス・メディア」「紙メディア」
 2)活字メディアと電子メディアの情報量の違いは。
  ・活字=情報量が少ない。
  ・電子=情報量が多い。
 3)活字メディアの情報量が少ない理由は。
  ・技術的制約によって制限されているから。
 4)技術的制約とは。
  ・目的の情報を探し当てることができない。
  ・様々な困難や編集者によるチェックがある。
 5)「さまざまな困難」とは何かを考える。
  ・著作権。
  ・売れるか売れないか。
  ・販売ルート。
 6)雑誌や書籍の例で説明する。
 7)電子メディアの情報量が多い理由は。
  ・高速の検索能力で必要な情報を瞬時に取り出せるから。
  ・ネット上に簡単に公開できるから。
 8)具体例を考える。
  ・インターネットの検索。
  ・本文からの文字検索。
5.電子メディアのチェック機能の問題点について
 1)活字メディアがさまざまな困難や編集者によるチェックを伴うことのメリットは。
  ・思いを思考に、一面的な思念を十分吟味された意見へと練り上げる。
 2)電子メディアのチェック機能がないデメリットは。
  ・情報の総量を制限したり、内容や質を淘汰する力が働かない。
  ・「発想」と「発表」の間の落差がない。
   ・あまり確認しないで発表してしまう。
  ・「自我境界」があいまい化、拡大化する。
   ・自分と自分以外の世界の境が明確でなくなり、自我が拡大する。
  ・自己と世界が「短絡」する。
  ・プライベートとパブリックの境が溶け落ちる。

第四段落  板書
 
1)ニーチェの時代と現在とを対比的に確認する。
 ・ニーチェは、誰もが読者になれた時代。
 ・現代は、誰もが著者になる時代。
2)ニーチェの懸念したことを確認する。
 ・書くことや、考えることを腐敗させる。
3)現代、何を腐敗させるかを考える。第一段落の板書
・ニーチェの言葉



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ネットが崩す公私の境  学習プリント

組  番 氏名         点検日  月  日
学習の準備
1.読み方を書きなさい。
 72 悪臭 腐敗 啓蒙 揶揄 全身全霊 権威 73 発生 被って 享受 匿名 誹謗中傷 74 検索 瞬時 集積 関与 抽出 淘汰 伴って 吟味 練り上げる 75 短絡
2.語句の意味を調べなさい。
72啓蒙
 教化
 揶揄
 全身全霊
 権威
73メディア
 享受
 匿名
 誹謗
 中傷
 コミュニティー
74関与
 抽出
 淘汰
 思念
 吟味
75短絡
 プライベート
 パブリック
3.次の問題の答えにあたる部分に線を引き、番号をつけなさい。
 21)ニーチェの言葉で最も言いたかった一文は。
 32)ニーチェは何を揶揄したか。
 43)「著者という権威」が成立したのは何ができてからか。
 54)活版印刷というメディアはどんな構造を作っていたか。
  5)電子メディアはどんな構造を作り出したか。
 66)インターネットにおける著者と読者の関係はどうなっているか。
 77)インターネットの良い面は。
  8)インターネットの悪い面は。
 89)インターネットの力は今までの発言手段に比べてどうか。
 910)情報発信の総量は何によって決定されているか。
 1011)インターネットの情報発信の総量の特徴は。
  12)紙メディアの情報発信の総量の特徴は。
 1113)インターネットではどんな力が働かないか。
 1214)従来のメディアで個人が公に発信する時に伴っていたものは。
  15)その効果は。
 1316)インターネットでは何が存在しなくなるのか。
  17)その結果、どんなことが起こるか。
 1418)ネット上にあふれるものは。
 1519)今後、どんな時代になるか。
  20)その時どんな心配が生じるか。

学習のポイント
1.ニーチェが警告したことを理解する。
2.著者性について、活字メディアと電子メディアの構造の違いを理解する。
3.インターネットの良い面と悪い面を理解する。
4.情報発信の総量について、活字メディアと電子メディアの特徴の違いを理解する。
5.活字メディアの情報量が制限される利点を理解する。
6.電子メディアの情報量が制限されない問題点を理解する。
7.ニーチェの警告から、筆者が心配していることを理解する。





第一段落
「読書する暇つぶし屋を私は憎む」
 読者          精神が悪臭を放つ
               ↓
 書くことや考えることを腐敗させる
  ‖
・活字書物文化の特質───揶揄
  少数の著者が多くの読者を啓蒙し教化する
  ↓↑
・全身全霊で書かれたもの───評価
  ↓
・読者が増える
  ↓
 多くの書いたものが必要になる
  ↓
 著者は全身全霊で書けなくなる
  ↓
 著者は、あまり深く考えなくなる。  
・少数の著者が少数の読者と対決する。

第二段落 
活字
メディア
権威者である著者の一方的な情報発信  
受動的に享受する多数の読者
上下構造
電子
メディア
だれでもが簡単に「著者」になり得る構造=著者性の崩壊
不正を告発できる
証拠や根拠のない一方的な意見
匿名の誹謗中傷

第三段落
・情報発信の総量←メディア形態の技術
活字メディア             電子メディア             
・著者や情報量は少数
 ↑
・目的の情報を探し当てることが難しくなる。
・さまざまな困難や編集者によるチェックを伴う。
 ↓
○思いを思考に、一面的な思念を十分吟味された意見へと練り上げる。
○著者や情報量は多数
 ↑
・必要な情報を瞬時に取り出せる
・簡単にネット上に公開できる。
 ↓
×情報の総量を制限したり、内容や質を淘汰する力が働かない。  ×「発想」と「発表」の間の落差がない。
×「自我境界」があいまい化、拡大化。
×自己と世界が「短絡」する。
×プライベートとパブリックの境が溶け落ちる。

第四段落
ニーチェの時代
現代
・誰もが読者になれた時代
 ↓                
・書くことや考えることを腐敗させる。
・誰もが著者になる時代
 ↓
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