なめとこ山の熊 初発感想文


a)最初、小十郎が熊を殺したくて取っているんじゃないと言った時、まじめすぎると思った。普通だったらそんなことは考えずに、ただスリルを感じるためだけに熊を殺すのに、小十郎はそんなことも考えず、生活のためだけに殺していた。と、これは読んですぐの感想なのだが、時間がたって考えてみると、小十郎をまじめだと思ってしまう都会の人へ何かを訴えていいのではないか。小十郎だって罠などを使えばもっと楽に取れるわけだし、旦那にヘコヘコするのもつらいだろう。都会の人なら生きるためなら仕方がないと思い、たくさんの熊を殺す。しかし小十郎は、そこまで自分が偉いと思えずに、木の実でも食べて死んでいったらそれでいいと言っていた。そこが小十郎が熊に好かれる理由だと思う。小十郎は都会の人にない、本来の人間の生き方をしていると思う。

b)「淵沢小十郎の気持ち」 私がこの話聞いて思ったこと、考えたことは、小十郎が熊を誤って殺してしまってよかったなぁということです。死に顔からも察するに、家族のことが心配だが、すべてのしがらみから解放されて、うれしさがあふれている感じがするのです。生活がかかっているために、したくもない猟をやり、熊のことが好きなくせに殺さなければならない。しかも、たった米6キログラムもことのために無情にも熊2頭もの命が失われるなんて。安すぎると思いませんか。そしてもの凄く嫌な荒物屋の旦那にペコペコしてたとえどんなに安くされようが、売らないわけにはいかない。熊のことが好きな小十郎に耐えられると思いますか。だから「水に入るのがいやになった」という日に、大好きな熊に誤って殺されたこ小十郎はたぶん幸せだったろうと思う。家族のこれからの生活は大変だけれど、小十郎にはよく生きたたとほめてあげたいです。

c)「生かし合い」 なめとこ山の熊のことなら面白い、というか見出しとは裏腹に、この話は冷たくて哀しい話だと思う。小十郎と熊たちき「生かし合い」は、はたから見て面白いと言えるような生温かいものではない。両者とも、それぞれを信頼している。熊の方など、自分たちを殺すため、山にやってくる小十郎を好いてさえいるのである。それを考えるとき、私は小十郎の死骸が浮かべる、さえざえとした微笑みは、やはりあのクマたちに対してではないのだろうかと思う。そんな彼の笑っているような顔を見て、クマたちは一体何を思ったのだろうか。少なくとも、もう殺されることがないのでうれしい、という思い以外の気持ちもあったように思う。そしてそれは、クマに殺された小十郎も同じで、うらめしいという感情よりも強い他の思いがあったのではないだろうか。

d)「本音はこんな感じでは」 小十郎は、自分が生きるために熊を殺してきたが、最後は自分が熊が生きるために殺された。みんな生きるのに必死で気づかっているように見えて結局を自分のことしか考えていないということがよく分かった。死んだ小十郎が最後笑ったように見えたのは、自分のしてきた悪事がチャラになったと思ってすっきりしたじゃないかと思った。宮沢賢治の話にはいつも星が出てくると思った。星が好きな私は、今回はどんな星が出てくるのか楽しみにしていました。小十郎は猟師しかする仕事がなかったように言っているが、実際のところ頑張れば他に仕事があったと思う。熊ももしかしたら小十郎を信頼していたのじゃなくってバカにしていたのかもしれないとさえ思いました。

e)「2つの生き方」 この話では現実ではあり得ない熊が言葉をしゃべってで、なんかすごく「あー、熊の気持ちってこんなもんかなぁ」と思うところがいくつもありました。この話の中で1番考えされたのは熊が小十郎に撃たれそうになっているとき,熊が「お前は何が欲しくておれを殺すんだ」と叫んだとき、小十郎が「毛皮と胆の他あって何もいらない」ということは自分にとって結構ショックだった。熊は確かに凶暴な生き物たとイメージが強い。今でも熊の毛皮売れている。売るにも何頭もの熊が殺されてしまう。だからといって殺すなというと猟師が食べていけなくなる。でも私は熊の毛皮など必要もないし、殺すなんて最悪だと思う。何か本の話とかなり逸れてしまったけれど、1番思ったことは、人間と動物との世界今難しいなあと思いました。

f)熊と小十郎の関係は、たぶん取るか取られるかの本当にお互いの生死がかかっているし生活の共存があったと思う。小十郎が熊を殺すのも生活のためなので仕方ないという視点で話を読んでいたけれど、最後はやはり、人間だけの生活ではなく生き物の掟が出てきたと思います。人間だってその世界で例外ではないし。殺されて行った熊や小十郎も、分かっていたことだと思います。

g)僕はこの話を聞いて、とてもいい話だと思った。なぜなら小十郎のカッコよさと優しいところが見れたからだ。小十郎は,熊を取るのがうまいし、熊を恐れない。ただ単に殺すだけじゃなく、殺した熊に対して少し罪悪感みたいなものをいた言っているし、そこが小十郎の正しいところだと思う。熊を殺して取ることが、いいことだと思わないけれど、小十郎の家族が生きるためには仕方がないと思う。しかしそんな小十郎も荒物屋の旦那さんにはかなわないところが面白い。山の中と町とでのギャップの激しさがすごいからだ。そのようなところも踏まえて、僕は小十郎が好きだ。しかし最後には小十郎は熊に殺されてしまう。小十郎が死んだときに回りに熊が集まった時に、やっぱり小十郎は熊たちに好かれていたんだと思うと、とても良い話だと思った。

h)「なめとこ山の熊」 少し疑問な点もあったけど、いいお話でした。疑問というのは、母熊と小熊の2匹の熊が話していたところで、「小十郎はもう胸がいっぱいになって」という文が、何で胸がいっぱいだったんだろうと思ったし、荒物屋では安すぎる値段で売っていて、こんなの熊にかわいそうと思うし、何でそんな安くて売るのかなぁと不思議に思う。日本では狐拳いうものがあるらしいけれど、その説明を見ていると「〜負けるに決まっている」と書いてある。何でそんなふうに決定されるんだろう。あと「1月のある日、小十郎が今までに行ったことがないことを言った」と書いてある文のあたりを見ていると、小十郎はもう少ししたら死ぬんじゃないかと考えていた。予想通り、最後には熊に頭を殴られて死んでいった。この後もまた不思議なことで、「小十郎を殺すつもりはなかった」という声や黒い影がずっと雪に、ひれふしていたりと、奇妙なことが起こった。声の主はだれかとか、黒い影はやっぱり熊かなと、いろいろ考えさせられた。小十郎の最後の言葉、「熊ども、許せよ」というのは今までに殺した熊たちに対するものなのだろうか。これも考えさせられた