評論
寺田寅彦
鉛をかじる虫は、穀象のような格好をし、鉛のような鼠色の昆虫である。この虫は、本当になまりをかじるのである。その証拠に、鉛の糞をする。普通は、ある物を食って、栄養分を摂取して、残余の不要な、ある物とは異なった糞を排泄する。人間なら、米を食って、米とは異なる残り滓を糞として排泄する。鉛を食って鉛の糞をするのでは、栄養分として何を摂取したの不思議である。
また、動物で金属を金属を主要な栄養品とするものは珍しいし、人間も金属は必要であるがきわめて微量であり、自分の体重の何倍もの金属を食って何十%を排泄するのは不思議としか言いようがない。
また、鉛をかじる目的もわからない。送電線の中身を知っているはずもなく、虫に道楽があるはずもなく、生存に必需な生理的欲求のために本能的にかじるとしか考えられない。 これらの疑問から、作者の妙なことを連想する。
小学校から大学まで長年習得したはずの知識は、身についているのはごく僅かで、何十%はきれいに忘れて意識の圏外に排泄されている。それなら、初めから教わらなくても同じではないかという疑問がわいてくる。しかし、忘れなかった僅かなものがその人にとって最も大切な全てであるかもしれない。
世の中に百%の効率の器械はない。必ず一部は無駄になる。このことから、「無駄を伴わない、滓を出さない有益なものは一つもない」という仮説は使う価値がある。この仮説が真ならば、無駄をしないためには有益なことを一つもしないことになるか、有益なことをするためには無駄なことを多くすることになる。逆に、「無駄のない有益なものが可能であり当然である」という仮説が成立するなら、無駄は罪悪であるから何もしないのが最も良いことになる。そうなれば、排泄物はなくなるが、餓死してしまう。
人間が、莫大な石塊を掘り出して、微量な貴金属を取り出し、ほとんどすべての石塊を放棄しているのは、鉛をかじる虫と同じである。道楽息子でも、学校へ行き僅かでも知識を身につける方がいいし、難しい本を読んで僅かでもわかればいいし、ろくでもない研究でも僅かでも役に立てばいいし、くだらない随筆でも僅かでも読んでもらえればいい。
導入
1.「学習プリント」を配布し、語句調べの宿題にする。
2.教師が全文を音読する。
3.形式段落に番号をつけさせ、黙読させながら全体を4つの段落に分けさせる。
・段落分けの観点は、話題と発想の変わり目である。
・第一 1)〜3) [話題提供]鉛をかじる虫との出会い
第二 4)〜6) [問題提起]鉛をかじる虫の不思議
第三 7)〜10) [話題展開]人間の学校で習得する知識
第四 11)〜13) [結論] 無駄を伴わない有益なものは一つもない
第一段落
1.生徒に音読させる。
2.鉄道大臣官房研究室について
1)どんな所で何をしていたか。
・応用化学研究所。
・有為な学者が有益な研究をしていた。
2)「有為」「有益」の意味と反対語は。
*有為=役に立つこと。反無為
*有益=ためになること。反無益
3)「有為な学者が有益な研究」と対比的に使われている部分。
・事務や手続きや規則の研究
★作者はこれらを無為、無益と考えている。
3.鉛をかじる虫について
1)特徴まとめる。
・穀象のようなかっこうをした鼠色の昆虫。
・被覆鉛管をかじる。
・(人間にとって)不都合な虫。
★誰にとって不都合なのかを明らかにしておくと、第四段落につながる。
2)本当に「かじる」証拠は。
・糞が鉛の糞である。
・鉛を食べなければ鉛の糞は出ない。
・もし鉛を食べなくて鉛の糞をするなら、この虫を大量に飼育すれば鉛が取れる。
4.ユーモア表現に注意する。
・怒ってみたところで相手が虫ではしかたがない。怒るかわりに研究して
第二段落
1.生徒に音読させる。
2.「これらの説明」の指示内容は。
・これが地下電線の〜故障を起こす(のだそうである)
・虫の口からなにか特殊な〜本当に「かじる」(のだそうである)
・その証拠にはその虫の〜やはり「鉛の糞」(だという)
★指示語以前の部分全体をさすが、伝聞表現の部分に注目する。
3.作者が不思議に思ったことについて
1)何を不思議に思ったのか。
・鉛を食って鉛の糞をしたのでは、それが何の足しになるのか。
2)「それ」の指示内容は。
・鉛。
3)不思議に思うとはどういうことか、不思議に思った体験を聞く。
・常識に反すること。
4)筆者の常識(不思議の根拠になる考え方)を抜き出す。
・米を食って(米の中から)栄養分を摂取して残余の不要なものを「米とは異なる糞」にして排泄する。
5)それを一般化した言い方に換えると。
・ある物を食べて、栄養分を摂取して、残余の不要なものを、食べたものとは異なる糞にして排泄する。
*摂取=取り入れること。反排泄
*不要=いらないこと。反必要
★一般化した表現に直す。
6)「米とは異なる糞」に「」がついている理由は。
・米+異=糞
・作者のユーモアである。
7)他に不思議に思ったことは。
・動物が金属を主要な栄養品として摂取すること。
8)筆者の論法について考える。
・A(断定)。もっともB(譲歩)。しかしC(確認)。
9)この論法を使った例を考えさせる。
4.虫が鉛をかじる目的について。
1)筆者の疑問点を確認する。
・何のために鉛をかじるのか。
・鉛をかじる目的。
2)虫の目的が鉛自身にあることを確認し、その根拠は。
・被覆鉛管の内部に何が入っているか知っていると思われないから。
3)それではどんな仮説を立てているか。
×道楽である。
4)それを否定する根拠は。
・虫が道楽するというのも受け取りにくいから。
5)次に出てきた仮説は。
○生存に必需な生理的欲求のため本能的にかじる。
*仮説=ある事実や現象を、合理的に説明するために、仮に立てる説。関連検証
*必需=必ず必要なこと。
*生理的=生物が生活する原理に関すること。反心理
*本能的=生まれながらに持っている性質や行動力。
第三段落
1.生徒に音読させる。
2.「こんな疑問を起こしているうちに、妙なことを連想した。」について
1)「こんな疑問」の内容を確認する。
・鉛を食って鉛の糞をしたのでは、それが何の足しになるのか。
2)「妙なこと」とは何か。
・学校で長い年月に修得したはずの知識を、何十%きれいに忘れてしまっていること。
3)「きれいに忘れてしまっている」の言い換えは。
・意識の圏外に排泄している。
4)小学校で習ったことを質問してみる。
5)そこから起こる疑問は。
・きれいに忘れてしまうくらいなら、初めから教わらなくても同じではないか。
6)このことと鉛をかじる虫の似たところとは何か。
・鉛の糞をするくらいなら、初めから鉛を食べなくても同じではないか。
7)両者に共通する考え方は。
・無駄になるから、初めからしなくても同じである。
★無為なものに焦点を当てた、マイナス思考である。
3.「知らない」と「忘れた」の違いは。
・知らない=初めから知識がないこと。
・忘れた=いったん覚えた知識を思い出せなくなること。
★「知らない」は0であるが、「忘れた」0ではない。
4.先の疑問に対する答えは。
・忘れなかった僅少な部分が、その人にとって最も必要な全部である。
★発想の転換。有為なものに焦点を当てたプラス思考へ。
6.記憶力テストをする。
1)いくつかの数字を言って、終わった後に、それをそのままプリントに書かせる。
2)答えを確認し、何人が正解したか挙手させる。
3)平均7前後になる。
4)これを短期記憶といい、今頭の中に意識としてあること。短期記憶は余り多く入らず、すぐに忘れてしまう。
9 8 2
6 1 8 3
0 4 2 7 1
3 6 0 9 7 4
2 9 6 3 1 0 8
6 1 0 9 2 5 8 1
3 2 7 0 9 4 2 1 6
8 3 0 9 2 1 5 7 3 4
4 1 8 6 5 3 9 2 0 1 7
8 3 1 7 4 2 9 0 5 8 4 3
第四段落
1.生徒に音読させる。
2.器械について
1)器械の特徴を確認する。
*器械=「機械」に比べて比較的単純な小規模な物。
・注ぎ込まれたエネルギーの一部は必ず無駄になって消費される。
2)言い換えると。
・物質界の原理
*物質=反精神
*原理=基本の法則。反応用
3.作業仮説について。
1)仮説を導く根拠を確認する。
・器械=注ぎ込んだエネルギーの一部は必ず無駄になる。
・鉛を食う虫の生理的現象=鉛を食べて鉛の糞をする。
・人間の精神現象=長い間修得した知識のほとんどをきれいに忘れる。
★仮説を導くには根拠が必要である。
2)これらの根拠から導かれる仮説は。
・「無駄を伴わない有益なものは一つもない」
*言明=はっきり言い切ること。
3)この仮説を許容するかしないかで結果に大きな差が出てくることを確認する。
4)仮説が真ならば、どういう展開になるか。
a)無駄をしないようにするためには、有益なことを一つもしない。
★消極的発想。無為。
b)有益なことをするためには、無駄なことをたくさんする。
★積極的発想。有為。
5)仮説が誤っているならば、どういう仮説になるか。
・無駄のない有益な物が可能であり当然である。
6)この仮説の展開は。
c)何もしないでじっとしている。
★消極的発想。無為。
7)筆者はa)〜c)のどれを肯定しているか。その理由は。
・b)有益なことをするためには、無駄なことをたくさんする。
・a)c)は、安全ではあるが、餓死してしまう。
★消去法
8)筆者の論法の不足部分について1
1)論理図を書く。
有益○ | 有益× | |
無駄○ | b | |
無駄× | ★ | a |
![]() |
![]() ホーム |
第一段落 ●鉄道大臣官房研究室 ‖ 応用化学研究所 ・有為な学者が有益な研究をしていた。 ↑ ↑ ↓ ↓ 無為 無益 ・事務や手続きや規則の研究 ●鉛をかじる虫 ・穀象のようなかっこうをした鼠色の昆虫。 ・被覆鉛管をかじる。 ↑証拠 ・鉛の糞 第二段落 ●作者が不思議に思ったこと ・鉛を食って鉛の糞をしたのでは、それが何の足しになるのか。 ↑ ・ある物を食べて、栄養分を摂取して、残余の不要なものを、食べたものとは異なる糞にして排泄する。 ・動物が金属を主要な栄養品として摂取すること。 ・自分の体重の何倍も金属を摂取して何十%を排泄すること。 ●虫が鉛をかじる目的 ×鉛自身にある(仮説) ↑ ・被覆鉛管の内部に何が入っているか知っていると思われないから。(根拠) ×道楽(仮説) ↑ ・虫が道楽するというのも受け取りにくいから。(根拠) ↓ ○生存に必需な生理的欲求のため本能的にかじる。 第三段落 ●鉛をかじる虫 ↓連想 ●学校で長年修得した知識をきれいに忘れている。 │ 意識の圏外に排泄している │ ・知らない=初めから知識がない │ ・忘れた=いったん覚えた知識を思い出せない ↓ ・人間=きれいに忘れてしまうなら、はじめから教わらなくても同じ。 ‖ ・虫=鉛を食って鉛の糞をしたのでは、何の足しにもならない。 ↓ ・無駄なことははじめからしない方がよい。 ★マイナス思考 ★無為なもの ↑ ↓ ・忘れなかった僅少なものは,その人にとって最も必要な全部である。 ★プラス思考 ★有為なもの 第四段落 ・器械=注ぎ込まれたエネルギーの一部は必ず無駄になって消費される。 物資界に行なわれる原理 ・鉛を食う場合の生理的現象=鉛を食べて鉛の糞をする。 ・人間の精神現象=学校で長年獲得した知識の何十%きれいに忘れてしまっている。 ↓仮説 ・無駄を伴わない有益なものは一つもない ↓真 ↓誤
有益 無駄 ↓ ・道楽息子でも学校へやったほうがいい。 ・難しい本でも読んだほうがいい。 ・ろくでもない研究でもしたほうがいい。 ・くだらない随筆でも書いたほうがいい。 |