ものとことば
 
鈴木孝夫


 私たちはたくさんのものに囲まれて生活している。机の上、引き出しの中、身につけているものなど、人間が作り出し、利用している製品の種類は、数えきれない。また、自然界にも膨大な数の動物や植物の種類があり、すべて固有の名称を持っている。もの(事物や対象)だけでなく、こと(動き、性質、関係など)にもそれぞれ個別の名称かある。しかも、自動車やジェット機のように、ある物を作る膨大な数の部品、その材料にも全部名前がある。このように、ものとことばは、人間を細かい網目の中に押し込んでいる。ものがあれば必ずそれを呼ぶ名としてのことばがある、と私たちは実感している。
 同じように、同じものが国や言語が異なれば違ったことばで呼ばれる、という認識を持っている。
 ところが、言語学では、ものという存在があってことばがつけられるのではなく、ことばがつけられてものが存在すると考える。また、言語が違えば同一のものが異なった名称で呼ばれるのではなく、異なった名称は違ったものを提示していると考える。言語学では、ものは認識に先立って存在するとする実念論ではなく、ことばによって世界が分けられ認知されるとする唯名論で考える。一口で言えば、「初めにことばありき」である。
 もちろん、世界の初めにことばだけあるとか、ことばが事物を一から作り出すということではない。世界の断片を認識できるのはことばによってであり、ことばがなければ世界は区別できない。だから、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も変化する。なぜならば、ことばは認識の焦点を決定するしかけだからである。
 例えば、机は、形態、素材、色彩、大きさ、脚の有無及び数といった外見的具体的な特徴から定義することは不可能である。机とは「人がその上で何かをするために利用できる平面を確保してくれるもの」である。それなら、棚や床も同じである。更に細かく定義すれば、「その前で人がある程度の時間、座るか立ち止まるかして、その上で何かをする、床と離れている平面」となる。
 この定義には、人間側の要素(利用目的や人との相対的位置)が大切で、人間の外側の性質は要因が重視されている。人間に特有な観点であり、ことばの力によるのである。
 ことばは、渾沌とした連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から人間にとって有意義と思われるしかたで、虚構の分節を与え分類するはたらきを担っている。言語は生成し流動している世界を、整然と区別されたものやことの集合であるかのように提示してみせる虚構性を本質的に持っているのである。
 
指導のポイント
1)いろいろゲームをして動機付けする。1段落を読んで、ものに囲まれていることを確か める。あまりしつこくやると飽きてしまう。
 a)周りにある「もの」を挙げさせ、板書していく。教室の中、鞄の中、筆箱の中、弁当 箱の中と範囲を狭めていくのも面白い。古今東西ゲームの要領。
 b)さらに一つのものもいくつかの部分によって成り立ち、それぞれに名前があることを、 自転車の絵を黒板に書いて挙げさせる。
 c)(野菜・果物・お菓子)−(白菜・大根・キャベツ)・(みかん・バナナ・いちご) ・(あめ・ガム・チョコ)−(ドロップ・キャンディー・キャラメル)/(バター・ 牛乳・チーズ)を3つずつのグループにする。
2)「もの」だけでなく「こと」にも名前がついていることを確かめ、例を挙げさせる。
3)ものには名前がある。ものがあって名前(ことば)がある。
4)同じものでも国によって呼び方(ことば)が違う。
5)ことばがあってものがある。異なった名称は違うものを提示する。
6)机の定義を考える。
7)人間側の要素やことばの力が強い。


1.【指】学習プリントを配布し、漢字の読み方と語句の意味を宿題にする。
2.【指】宿題を点検する。
3.【L1】漢字の読み方は。
 画鋲  鋏  眼鏡  十指  多岐  膨大  森羅万象  確たる  詳しく 唯名論  実念論  空々漠々  鶏  唯一  把握  屈折  渾沌  虚構
4.【説】語句の意味を確認する。
 多岐=多方面に分かれていること
 森羅万象=宇宙に存在する一切のもの。
 唯名論=ことばによって世界は分けられ、認知されるのだという立場。
 実念論=ものは認識に先立って存在することを認める立場。
 空々漠々=限りなく広いさま。
 渾沌=すべてが入りまじって区別がつかないさま。
 虚構=事実ではないことを事実らしくつくり上げること。つくりごと。
5.【指】段落番号を付ける。

第一段落(1〜13)

1.回りにあるものについて
 1)【W】教室の中にある「もの」を挙げさせる。
  ・ワークシートを配布する。
  ・たくさんの「もの」に囲まれていることを実感する。
 2)【W】みかん、ガム、ドロップ、野菜、白菜、バター、キャンディー、あめ、バナナ、果物、牛乳、大根、お菓子、キャベツ、いちご、チョコ、キャラメル、チーズを3つずつのグループにわける。
  ・(野菜・果物・お菓子)−(白菜・大根・キャベツ)(みかん・バナナ・いちご) (あめ・ガム・チョコ)−(ドロップ・キャンディー・キャラメル)/(バター・ 牛乳・チーズ)
  ・上位語、下位語の体系に気づかせる。
 3)【W】自転車の絵を黒板に書いて挙げさせる。
  ・一つの製品も複数の部品から構成されていることを確認する。
2.【指】1〜13を、一文交代で音読させる。

3.「もの」について(1〜10)
 1)【説】机の上、引き出しの中、身につけているものの例を確認する
  ・机の上は、学者らしい。煙草も吸う。タイプライターは年代を感じる。
  ・ホチキスは商標名。商品名はステープラー。クレパスも商標名。
  ・「十指で数えきれない」とは多数あること。
 2)【L4】生徒の家の机の上、引き出しの中を思い起こさせる。
 3)【L2】これらをまとめて何と言うか。
  ・製品
 4)【L1】その特徴は。
  ・人間が作り出し、利用している。
 5)【説】製品も多くの部品からできている。その部品もいろいろな材料からできていて、それらに名前が付いている。
 6)【W】自転車の部品の名称を考える。
 7)【説】製品以外に、自然界にも、鳥類・動物・昆虫・植物が数多くあり、それぞれ名前が付いている。
 8)【L4】知っている鳥、昆虫を挙げさせる。
  ・図鑑などを見せる。
 9)【L2】製品や自然界のものをまとめて何と言うか。
  ・もの
 10)【W】物体の動き、人間の動作、心の動き、事物の性質、事物と事物の関係を表現する言葉を挙げさせる。
 11)【L2】物体の動きなどをまとめて何と言うか。
  ・こと
 12)【L3】「もの」と「こと」の違いは。
  ・もの=目に見えて固定しているもの。
  ・こと=目に見えないか、見えても固定していないもの。
 13)【説】「もの」にも「こと」にも名前(ことば)がある。

4.ものとことばの関係について(11〜13)
 1)【L3】「ものとことばは、互いに対応しながら人間を、その細かい網目の中に押し込んでいる」とは。
  ・人間の回りには多くのものがあり、そのものには必ずことばが付いていて、人間を隙間なく囲んでいる。
 2)【L1】言い換えると。
  ・森羅万象には、すべてそれを表すことばがある。
 3)【説】常識1)ものがあって、ことばがある。
  ・もの→ことば。
 4)【L1】常識2)は。
  ・言語が違えば、同じものが、違ったことばで呼ばれる。
 5)【説】「犬」の例を確かめる。
  ・日本は「イヌ」、中国は「コウ」、アメリカは「ドッグ」、フランスは「シアン」、  ドイツは「フント」、ロシアは「サパーカ」、トルコはケペク。
  ・「もの」は同じでことばが違うだけである。
 6)【L4】ネコ、ウサギ、トラは。
 7)【説】犬の鳴き声は。
  ・日本は「わんわん」、英語は「バウワウ」、フランス語は「ウアウア」、ドイツはヴァウヴァウ」、ロシアは「ガフガフ」、スペインは「グァウグァウ」。 
  ・聞こえ方の違いである。
 8)【L3】「牛」は英語で何と言うか。
  ・総称は「キャトル」、雌牛は「カウ」、雄牛は「ブル」、労役用の去勢雄牛は「オ   ックス」、子を産んだことのない若い雌牛は「ヘイファ」、子牛は「カーフ」。
  ・犬は1対1なのに牛は英語では名称が細分化されている。
  【注】この問題は後で考える。

第二段落(14〜21)

1.【指】14〜を一文交代で音読させる。

2.言語学の立場から(1)(14〜19)
 1)【L1】常識1)2)について、筆者は言語学の立場からどう考えているか。
  A常識1)「もの」があって「ことば」がある。
   →「ことば」が「もの」をあらしめている。
    「ことば」があって「もの」がある。
  B常識2)言語が違えば、同一の「もの」が、異なった「ことば」で呼ばれる。
   →異なった「ことば」は、違った「もの」を提示する。
 2)【L1】ABは哲学ではそれぞれ何と言うか。
  A 実念論
  B 唯名論
 3)【L1】筆者の立場は。
  ・唯名論。
 4)【L1】一言で言えば。
  ・初めにことばありき
  ・聖書の言葉。
 5)【L3】「初めにことばありき」とは。
  ×ことばだけが存在するのではない。
  ×ことばがものを作り出すのではない。
  ○ことばによって世界の断片を認識できる。
  【注】これはAについてである。

3.Bについて言語学の立場から(20〜21)
 1)【L2】「異なった名称(ことば)は違ったものを提示する」のはなぜか。
  ・ことばが世界認識の手掛かりであるから。
  ・ことばは、素材としての世界の焦点を置くべき部分や性質を決定するから。
 2)【説】窓の比喩を説明する。
  ・窓の大きさ、形、ガラスの色、屈折率によって、範囲や性質が違う。
 3)【説】「牛」の例を思い起こす。
  ・西洋人にとって牛は大切な食料であるから、漠然と捉えるのでなく、ことばによって細分化している。

第三段落(22〜29)

1.【L4】机とは何かを定義させる。
 ・何人かに発表させる。
2.【指】22〜26を一文交代で音読させる。

3.机の定義について
 1)【L1】材質は。
  ・木、鉄、ガラス、コンクリート
 2)【L1】脚の数は。
  ・4本、なし、1本、何本もある
 3)【L1】形は。
  ・四角、円、三角
 4)【L1】高さは。
  ・座って使う低いもの、椅子用の高いもの。
 5)【L1】これらの検討からわかることは。
  ・外見的具体的な特徴から定義することは不可能である。
 6)【L1】筆者の定義は。
  ゙人がその上で何かをするために利用できる平面を確保してくれるもの。
 7)【L4】この定義に当てはまるものは他にないか。
  ・棚、床。
 8)【L1】改めて定義すると。
  ・その前で人がある程度の時間、座るか立つか止まるかして、その上で何かをする、床と離れている平面。
 9)【L4】それでは、棚や床の定義は。
  ・床が座る平面だとすれば、椅子は?。
 10)【L3】机の定義を考えながら何をしたのか。
  ・机と棚と床と椅子の違いを探す。
  ・違いとは他のものと異なる特徴である。
  ・あるものを他のものと切り離す。

4.定義の特徴について(27〜
 1)【L2】机の定義の要因は。
  ○人間側の要素。
  ×ものの持つ性質。
 2)【L1】人間側の要素とは。
  ・利用目的。
  ・人との相対的位置。
 3)【L2】机の利用目的とは。
  ・その上で何かをする。
 4)【L2】机の人との相対的位置とは。
  ・座るか立つか止まるかして、床と離れている。
 5)【L2】机がそこにあるように思うのは何のせいか。
  ・人間特有の観点。
  ・(それを表現する)ことばの力。
 6)【L2】ことばの働きは。
  ・渾沌とした、連続性で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から、人間にとって有意義と思われるしかたで、虚構の分節を与え、分類する。
  ・たえず生成し、常に流動している世界を、整然と区分された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間に提示してみせる虚構性。



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ものとことば  学習プリント

組  番 氏名         点検日  月  日
学習の準備
1.読み方を書きなさい。
 画鋲  鋏  眼鏡  十指  多岐  膨大  森羅万象  確たる  詳しく 唯名論  実念論  空々漠々  鶏  唯一  把握  屈折  渾沌  虚構
2.語句の意味を調べなさい。
多岐
森羅万象
唯名論
実念論
空々漠々
渾沌
虚構

学習のポイント
1.私たちが多くの「もの」や「こと」に囲まれていることを理解する。
2.「もの」があって「ことば」があるという考え方があることを理解する。
3.同じものが,国が違い言語が異なれば、違ったことばで呼ばれるという考え方がある ことを理解する。
4.「ことば」があって「もの」があるという考え方を理解する。
5.異なった名称は違ったものを提示するという考え方を理解する。
6.ことばが認識の焦点を決定することを理解する。
7.机の定義の特徴と難しさを理解する。
8.ことばの働きを理解する。




















ものとことば ワークシート


【WORK1】教室の中にある「もの」を10個以上書きなさい。





【WORK2】「みかん・ガム・ドロップ・野菜・白菜・バター・キャンディー・あめ・ バナナ・果物・牛乳・大根・お菓子・キャベツ・いちご・チョコ・キャラメル・チーズ」を3つずつのグループに分けなさい。














【WORK3】自転車の部品名を書きなさい。













【WORK4】次のことに当てはまる言葉を4個書きなさい。
【WORK5】次の動物の名前を答えなさい。