水のない泳ぎ
 
前田英樹


 人間がものの役に立つことは大事であるとはどういうことか。
 例えば、釘を打つことは、成長力を養う。釘を打つことは思いどおりにならないが、そのことが意味を生じさせる。
 水のない泳ぎは抵抗物がないのでやりたい放題だが、互いの称賛と罵倒の中で成り立ち、架空のものとすぐにわかる。しかし、言葉を操る仕事は、言葉まみれの共同体の中で思いどおりに書けるが、架空のものだとわからず、殺し合いまで発展する。
 釘を打つことで、外部の抵抗物と向き合う知恵は、やり方次第で深くなる。知性は身体の外に道具を作り続けるが、道具を使用する技術は抵抗物の性質に従わなければならない。この均衡の中で、知恵とものの性質が共生し、身体の知覚を超えて互いに入り込んでいく。この知恵の進展が〈物の学習〉であり、生きている喜びをわき上がらせる。
 生活の中で役に立つことは大事なことである。役に立つとはどういうことか。物の性質が分かり、さまざまな性質の差異を見分けることである。これは後半の「物の学習」という言葉で表される。
 生活の役に立つ例として、棚を直すのに釘を打つことが挙げられる。釘が打てない人間は困り者だが、子どもの頃から、棚を直すより勉強の方が大事だと育てられ、どうでもいいことだと思っている。しかし、このことは子どもから重要な成長力を奪う。
 大事なのは、棚に釘を打つこと自体ではなく、棚の材料の朴、釘、金槌という厄介な抵抗物を乗り越える行為である。これらは思い通りにならない物があるからこそ、釘を打つ意味が生じる。結果よりも困難を乗り越える過程が重要なのである。抵抗がなければ、棚に釘を打つ意味がなくなり、つまり棚は使い物にならない。
 しかし、原稿を書く場合は、自分の思い通りに書きたがる。それは板や釘などに当たる抵抗物がないからである。しかし、それでは楽しくない。なぜ楽しくないのか。
 それは畳の上の水練と同じである。畳の上の水練は、水の抵抗やそれに応じる体の反応もないので、自由自在、やりたい放題に泳いで見せることができる。それ自体は面白くないのだが、拍手喝采する人がいると本当に泳いでいる気になる。これは楽しくないという本心を隠しているので苦しい。
 それでは、なぜ拍手喝采する人が生まれるのか。それはその人も架空の泳ぎに一生懸命になっているからである。水のない泳ぎしている人に、水のない泳ぎをしている人が反応している。そこには全く抵抗物はなく、完全な虚構の上に成り立っている。泳ぎの巧拙を決めるのは、根拠のない互いの称賛や罵倒である。称賛や罵倒する方は支配や憎悪や嫉妬を感じ、される方は服従を余儀なくされる一方、偽りの楽しみや架空の快楽を生じる。本来苦しいはずなのに、自分で自分がわからない危険極まりないことである。まさに人々を強く圧するやりきれない機構である。ただ、水のない泳ぎは架空のものだとすぐわかる。
 このような人間という異常な知性動物が、思考によって言語や記号で成立させる原稿を書くという行為は、観念の上で言葉を操ることである。そこには外部の抵抗物はなく、人間同士の共同体の中での言葉による拍手喝采によって、競い合い殺し合いまでする危険極まりない状態に発展する。
 子どもに釘を打たせることは大事である。釘を打つには木や釘や金槌の性質を見極めなければならない。こうしてできあがった棚は、生活の中でいろいろ試され、成功と失敗が明らかになる。このように外部の抵抗物に向き合っている知性や知恵は、誤ることなく、やり方次第で伸びて深くなる。
 問題は、釘を打つ智恵の存在を深くしていく方法を考えることである。本能は種や群れの能力であり、身体という精度の高い道具を作る。知性は個体の能力であり、身体の外に道具を作る。やがて身体自身も、群れの道具であることをやめ、道具を作り、それを操ろうとする。
 人間は手を使って道具を作り、その道具がまた新たな道具を作る。この道具が外部の抵抗物に向かって直接使用されている限り、道具を使用する技術は抵抗物の性質に従わなくてはならない。知性は、抵抗物の性質に従うという優れた受動性からくる均衡の中で、これらの性質と共生し、深く入り込む。深くとは、身体による感覚をはるかに超えているという意味である。
 このように道具の使用によってだけ可能なものが、〈物の学習〉である。これは人間だけがすることができる〈物の学習〉である。〈物の学習〉は、木の性質の中に入り込み、共生し、生きている喜びをわき上がらせる。これが、知恵の進展であり、物の役に立つことであり、子どもの重要な成長力になる。


板書



1.学習プリントを配布し、宿題にする。
2.形式段落に1〜10の番号を付けさせる。

◆1を音読する。
3.「生活の中で、人間がものの役に立つ」について
 1)「人間がものの役に立つ」の「人間」と「もの」の関係を考える。
  ・普通、「もの」が人間」の役に立つと言う。
  ・「ものが人間の役に立つ」とはよく言うが、立場が逆転している。
  ・「AがBの役に立つ」と言う場合、Bが主で、Aは従である。
 2)これからの授業で、「人間がものの役に立つとはどういうことか」を考えていくことを提示する。

4.棚を直すことについて
 1)「ものの役に立つ」の例として取り上げられている行為は何か読み取る。
  ・釘を打って棚を直すこと。
 2)棚を直すこと、釘を打つことができるか質問する。
 3)釘を打てない人は、そういうことをどうでもいいと思っていることを確認する。
 4)「思っている」を「思わされている」と言い換えていることを確認する。
 5)「その考え」(05)の指示内容を読み取る。
  ・そういうことはどうでもよいと思っている。
  ★指示内容の中の指示語の内容を明らかにする。
  ・そういうこと=釘を打つこと。
 6)釘を打つことをどうでもいいと思っている理由を読み取る。
  ・親が、棚を直すより、勉強の方が大切だと言ったから。
 7)「思わされている」の理由を確認する。
 8)「勉強」が「棚を直すこと」より大切な理由を考える。
  ・「勉強」は自分の役に立つが、「棚」は自分の役に立たないから。
  ★「そんなことしている間があったら勉強しなさい」の「そんなこと」に当たる。
 9)しかし、このことが子供の成長力を奪っていることを確認する。
 10)これからの授業で、「なぜ釘を打つことが子供の成長に重要なのか」を考えていくことを提示する。

◆2を音読する。
5.棚に釘を打つことについて
 1)「棚を直す」ことより、「釘を打つ」行為に論点がある事を確認する。
 2)板に釘を打つ実演をさせる。
 3)難しさの理由を読み取る。
  ・木や釘や金槌の性質をわきまえなければならないから。
 4)それらの性質が「抵抗物」であることを確認する。
 5)「抵抗物」は「思いどおりにならないもの」であることを確認する。
 6)それが生じさせる釘を打つ意味とは何かを考える。
  ・思いどおりにならないものを克服すること。
 7)言い換えている部分を抜き出す。
  ・抵抗物のおかげで、釘を打つことができる。
  ・抵抗がなかったら、棚は使い物にならない。
  ・抵抗が大きいほど、丈夫な精巧な棚ができる。
 8)「棚」が実際の棚ではなく、何かを象徴していることを確認する。

◆3を音読する。
6.原稿を書くことについて
 1)抵抗が大きいほど丈夫な棚ができることを確認する。
 2)原稿を書く場合、そのことを忘れて、自分の思いどおりに書きたがる理由を読み取る。
  ・実際の板も釘もないから。
 3)「板」や「釘」の比喩を考える。
  ・抵抗物がないから。
 4)思いどおりに書く実例を挙げる。
  ・希望がすべて実現するような話をする。
  ・金持ちで、頭がよくて、顔がよくて、性格がよくて、思ったことはすべて実現し、何不自由ない挫折のない人生を考えてみる。
 5)原稿を書く場合の抵抗物とは何かを考える。
  ・現実。
  ・そんなうまくいくはずがない。
 6)思いどおりに書くことが楽しくないことを確認する。
  ・思いどおりになれば楽しいはずなのに、なぜか。
 7)これからの授業で、「思いどおりになることがなぜ楽しくないのか」を考えていくことを提示する。

◆456を音読する。
7.水のない泳ぎについて
 1)教卓の上で水練を実演する。
 2)それが面白くないことを確認する。
  ・面白くないだけでなく、恥ずかしい。
 3)水のない泳ぎ特徴を読み取る。
  ・自由自在、やりたい放題に泳いで見せられること。
 4)自由自在である理由を考える。
  ・水の抵抗や体の反応がないから。
  ・抵抗物がないから。
 5)しかし、拍手喝采してくれる人がいるとどうなるかを読み取る。
  ・泳いでいる気になる。
  ・自分に注目して、励ましてくれる人がいるから、頑張ろうとする。
 6)その時の気持ちを読み取る。
  ・苦しい。
 7)苦しい理由を読み取る。
  ・おもしろくもない本心を隠して、泳ぎ続けるから。
  ・拍手喝采されているので、面白くなくても、やめるにもやめられない。
 8)拍手喝采する人が生まれる理由を読み取る。
  ・拍手喝采している人も、架空の泳ぎに一生懸命だから。
  ・つまり、水のないおよぎを泳ぎをしている人が、水のない泳ぎをしている人を拍手喝采している。
 9)この構造を何と言うか読み取る。
  ・抵抗物のない虚構。
 10)「抵抗物のない」とはどういうことかを読み取る。
  ・泳ぎの巧拙を決めるのは、水の抵抗やそれに応じる体ではない。
 11)泳ぎの巧拙を決める物は何かを読み取る。
  ・互いの称賛や罵倒。
 12)「虚構」である理由を考える。
  ・実際の物が抵抗物になっていないから。
  ・互いの主観の上に成り立っているから。
  ・相互依存の構造、共同体であることを確認する。
 13)抵抗物のない虚構がやりきれない機構になる理由を考える。
  1)互いの称賛や罵倒から生じるものを読み取る。
   ・支配や服従や憎悪や嫉妬。
   ・拍手喝采によって支配されて、泳ぎ続けるという服従を余儀なくされる。
   ・うまいものに対しては、憎悪や嫉妬を感じる。
   ・支配されていることに対しても、憎悪や嫉妬を感じる。
  2)さらに、複雑な状況を読み取る。
   ・偽りの楽しみや、架空の快楽さえ生まれている。
   ・憎悪や嫉妬が快感に変わるきいうマゾヒステックな心理状態。
  3)すると、どんな心理状態になるか。
   ・苦しんでいるのか喜んでいるのか、自分でもわからなくなる。
   ・拍手喝采されるので、泳ぎ続けなければならない苦しみ。
   ・憎悪や嫉妬から生じる、偽りや架空の喜びや快楽。
  4)この状態はどうなのかを読み取る。
   ・危険極まりない。
  5)危険である理由を考える。
   ・自分で自分がわからなくなるから。
  6)だから、やりきれないことを確認する。

8.再び、原稿を書くことについて
 1)言い換えている部分を抜き出す。
  ・言葉を操るだけの仕事。
  ・一般観念の寝床。
  ・言語や記号で成り立たせる群れ。
  ・言葉まみれになった人間の思考。
 2)思考と水のない泳ぎとの共通点を読み取る。
  ・外部に抵抗物がない。
  ・人間同士の共同体の中で行われる。
 3)思考と水のない泳ぎとの相違点を読み取る。
  ・水のない泳ぎは、架空のものだとすぐにわかる。
  ・思考は、架空のものだとすぐにわからない。
       どこまでも競い合い、殺し合いまで行く。
 4)架空のものだとわからない理由を考える。
  ・言語や記号が観念の上に成り立っていて、現実感がないから。
 5)二つの「水のない泳ぎ」(13と15)の違いを考える。
  ・13行目は、畳の上の水練。
  ・15行目は、思考。

9.3つの例をまとめる。
 1)3つの例を確認する。
  1)釘を打つ。
  2)水のない泳ぎ
  3)原稿を書く。
 2)それぞれの違いの基準を考える。
  ・実際の物とどれだけ関わりがあるか。
  ・実際の物と知性の度合い。
 3)実際の「モノ」から離れるほど、危険度が高まることを確認する。

◆789を音読する。
10.釘を打つ知恵について
 1)木の材質や釘の太さや金槌の強さによって、棚の失敗と成功、使用によって便利な所と不便な所が明らかになってくることを確認する。
 2)こうした外部の抵抗物に対応する知恵は、やり方次第で伸びて深くなることを確認する。
  ・これがQ2の答えになる。
 3)本能と知性と身体の違いを読み取る。
  ・本能…種や群れの能力。
      身体を動かし、精度の高い道具にする。
      身体と結びついている。
   知性…個体の能力。
      身体の外に道具を作り出す。
      道具と結びついている。
 4)知性は連鎖的に道具を作り出していくことを確認する。
 5)ただし、その連鎖は無条件でなく、どんな制約を受けるのかを読み取る。
  ・道具を使用する技術は、外部の抵抗物に従わなければならない。
 6)知恵はある優れた受動性からくる均衡の中で、これらの性質と共生し、これらのなかに深く入り込んでいくことについて。
  1)「優れた受動性」とは何かを読み取る。
   ・外部の抵抗物に従うこと。
  2)「均衡」とは何と何のバランスかを考える。
   ・道具を使用する技術と外部の抵抗物の性質のバランス。
   ・外部の物に働きかけることと、その物から受ける抵抗とのバランスの中で、力を加減する
  3)「これらの性質と共生し」は何と何がどうすることかを考える。
   ・知恵と物の性質が互いに高めあう。
   ・知恵が物を最大限に生かし、同時に自らの知性を伸ばし深くしていく。
   ・支配、服従の関係ではなく、互いに役に立ち合うこと。
   ・これがQ1の答え、ものの役に立つことである。
  4)「深く入り込む」とはどういうことか読み取り、考える。
   ・身体による知覚を超える。
   ・身体を支配する本能を超える。

12.〈物の学習〉について
 1)〈物の学習〉とは何かをまとめる。
  ・道具が、ものと接触する。
  ・知恵が、ものの性質に従い、均衡を保つ。
  ・知恵とものの性質が共生する。
  ・知恵が、ものの中に身体による知覚を超えて進展していく。
 2)〈物の学習〉の特徴を読み取る。
  ・道具の使用によってだけ可能になる。
  ・人間のみがする。
 3)〈物の学習〉によってもたらされる物を読み取る。
  ・生きていることの喜び。
  ・これがQ3の答えになる。



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1.人間がものの役に立つ
  AがBの役に立つ。
  Bの方がAより価値がある。
 Q1人間がものの役に立つとはどういうことか
 例1釘を打つ
   その考え
   そういうことはどうでもいいと思っている。
   釘を打つ          思わされている。
    ↓
   勉強の方が大切だと親が子供に教えている。
    ↓
   子供から重要な成長力を奪う
 Q2棚を直すことが子供の成長に重要な理由は何か。

2.釘を打つ
   木・釘・金槌=抵抗物
          思いどおりにならない
           ↓
          釘を打つ意味=思いどおりにならないものを克服すること。

3.原稿を書く
 自分の思いどおりに書きたがる
  実際の板も釘もないから。
  抵抗物=現実
  ↓
 楽しくない
 Q3思いどおりに書くことがなぜ楽しくないのか。

4.水のない泳ぎ
 自由自在、やりたい放題
  ‖
 面白くない
  水の抵抗や体の反応がないから。
  抵抗物
   ↓拍手喝采←水のない泳ぎをしている人
 泳いでいる気になる。
  ↓
 苦しい。
  おもしろくもない本心を隠して、泳ぎ続けるから。
  ↓
 抵抗物のない虚構。
  泳ぎの巧拙
   ×水の抵抗やそれに応じる体
   ○互いの称賛や罵倒=相互依存・共同体
     ↓
    支配や服従や憎悪や嫉妬。
    偽りの楽しみや架空の快楽
     ↓
    苦しんでいるのか喜んでいるのか=自分でもわからなくなる
                     ↓
                    危険極まりない。
釘を打つ        水のない泳ぎ    原稿を書く          
畳の上の水練   架空の泳ぎ
言葉を操るだけの仕事。
一般観念の寝床。
言語や記号で成り立たせる群れ 言葉まみれになった人間の思考 
外部に抵抗物がある。 ものと人間の間     外部に抵抗物がない。  
人間同士の共同体
現実の中        架空とわかる
架空とわからない
危険極まりない   殺し合いまでいく
        実際の物←           →知性
                        →危険度

5.釘を打つ知恵
 木の材質や釘の太さや金槌の強さ
 抵抗物
   ↓知恵
 棚の失敗と成功
 便利な所と不便な所
   ↓
 知恵が伸び深くなる=成長(A2)
























水のない泳ぎ
  学習プリント
                              点検   月   日
1.次の漢字の読み方を書きなさい。
 釘 厄介 桁外れ 丈夫な 精巧な 操る 寝床 喝采 架空 虚構 巧拙 称賛 罵倒 滑稽 憎悪 嫉妬 偽り 極まり 次第 鋸 均衡
2.次の語句の意味を国語辞典で調べて書きなさい。
精巧
往々
喝采
虚構
巧拙
称賛
罵倒
均衡

学習のポイント
1.人間がものの役に立つことが大事である理由を理解する。
2.釘を打って棚を直さないことが、子供から重要な成長力を奪う理由を理解する。
3.釘を打つ意味とは何かを理解する。
4.原稿を書く時に自分の思いどおりに書きたがる理由を理解する。
5.自分の思いどおりに原稿を書くことが楽しくない理由を理解する。
6.畳の上の水練をしてしまう理由を理解する。
7.架空の泳ぎが虚構で成り立っている仕組みを理解する。
8.架空の泳ぎが危険極まりないものである理由を理解する。
9.水のない泳ぎは架空のものであることが分かるのに、思考は分からない理由を理解す る。
10.子供に釘を打たせることが大事である理由を理解する。
11.釘を打つ知恵の存在をどこまでも深くしていくやり方を理解する。
12.〈物の学習〉とは何かを理解する。
13.指示語の指示内容を正しく理解する。