概要

 母子家庭でありながら英才教育を受けて大きくなった豊太郎が、ドイツに留学して、自我に目覚め、反抗をしているうちに免官の危機に陥る。そんな時に出会ったエリスと深い仲になり、貧しいながらも楽しい刹那的な生活をおくる。しかし、エリスが妊娠し、豊太郎は慌てる。そんな時に、友人の相沢が大臣を紹介してくれる。優柔不断は豊太郎は相沢にはエリスと別れると約束しながら再びエリートへの道が開けた自分の立場に気がついていない。そして、大臣に付いて日本に返ることを約束した豊太郎は、そのことをエリスに説明できずに病に倒れる。その間に相沢が処理をしてくれて、エリスは発狂するが、豊太郎は日本に返ることになる。豊太郎には一点の相沢を憎む心があって、帰途の船中で日記の筆が進まない。


第一段(はじめ〜文につづりてみん。)

 小説の枠組みの部分である。五年前の往路ではいくらでも文章が書けたのに、復路では全く書けない。その理由は、ドイツで無感動の習性がついてしまったからでもあり、自分自身を信じられなくなったからでもあるが、最も大きな理由は「人知らぬ恨み」である。
 そのため、せっかくの景色や遺跡にも心が動かず、他の客とも会話を交わすことができず、非常に激しい苦痛を感じていた。
 船はサイゴンの港で石炭を補給するために停泊していて、他の船客は陸のホテルに宿泊していている。幸い、中等室にはわたし一人しかいない。その正体について書いてみる。それが、「舞姫」である。

 擬古文になれることと、この小説のテーマが「人知らぬ恨み」の正体を考えることを確認する。サラッといこう。


第二段(余は幼きころより〜行きて聴きつ。)

 豊太郎は幼くして母子家庭になる。現在でも母子家庭はたいへんであるが、家父長制の確立しつつあった明治期において父親がいないことは非常なハンデキャップであっただろう。また、豊太郎は三十前後の子どもで一人っ子である。当時は早婚で二十過ぎで出産するのが普通で、また多産であったので一人っ子は珍しい。さらに、藩校に通っていたというから武士の家、士族である。それだけに豊太郎にかかる期待は大きい。高齢の母親は太田家の名誉を守るために一人っ子である豊太郎を必死で育てるという使命を負わされる。経済的にも苦しいだろうが身体的にも精神的にも苦しかったはずである。
 それでも豊太郎は、東京大学を首席で卒業するぐらいの優秀な青年になった。幼い頃に父親の厳しい躾けが身に沁みており、父親の遺志を継ぐ母の言いつけを守り、太田家の家名を汚さないように、母の苦労を無にしないために一生懸命に勉強に励んできた。逆境に耐えて、出世競争に打ち勝ってきたのである。自分自身のためよりも家のため母親のために努力してきたのである。子どもとしての楽しみも甘えも犠牲にして頑張ってきたのである。当然無理をしてきた部分が多く、人格に偏りが生じるであろう。現在の東京大学に入学することだけをゴールに勉強している子どもと通じるものがある。そして、当時の憧れの職業である国家公務員になる。国家公務員は今以上に明日の日本を担う職業である。
3年間の母との生活は、女手一つで育ててくれた母への恩返しである。この3年間は母への感謝の気持ちで楽しく暮らしていたのだろう。しかし、母子密着という点から見ると異常な関係である。親孝行というよりも、完全なマザコン青年である。
 しかし、洋行の官命を受けて、洋行中に母が死んでしまう可能性があるにもかかわらず、我が名と太田家のために洋行を決意する。母親の安否を気づかうより、豊太郎の人生の目標である家の再興のためである。この決意については、母が積極的に勧めたのであろう。母親にとっても豊太郎の出世は亡き夫の遺志であったから。しかし、横浜港を出るときに涙が止まらなかったが、この時はその理由はわからなかったが、後で思えば、これこそ豊太郎の本性だったのである。
 洋行して3年間は豊太郎も順調に仕事をこなしてきた。母も満足し何度も手紙を出し、その度に返事を出していただろう。その原動力は功名心と勉強力であるが、功名心にしても曖昧なもので自分は何がしたいという目標が明確ではなく、勉強力にしても自発的なものでなく強制に馴れたものであった。豊太郎の目標は政治学を学びたいというのであるから政治家になることだったのか。

 生い立ちをまとめる。その後で、カード式BS法を使って生い立ちから豊太郎や母についてわかることを推測させる。事実を元した推論の学習である。超のつくエリートだったこと、親の言う通りに育ったいい子チャンだったこと、高齢出産の一人っ子を女手一つで育てなければならなかった士族の家の嫁としての母の恩に報いるという形で作られた母子密着の強さと弊害、豊太郎の出世に対する欲求の強さや動機などについて考える。現代の青年の問題と重なることに注目する。


第三段(かくて三年〜媒なりける。)

 留学して3年後、豊太郎は二十五歳にしてはじめて「まことの我」、自我に目覚めていく。これまでの自分は、母や官長など人からの評価をエネルギーにして努力してきた所動的器械的な人物であったことに気づく。それは「我ならぬ我」であった。それに気づかせてくれたのが自由な大学の雰囲気である。ドイツの大学は東京大学とは違い、管理的でなく自由であり、学問は国家のためではなく個人のためにするものであった。ようやく母親に対しても反抗の気持ちが生じてくる。遅い反抗期である。豊太郎は自分のために学問をしようと思い、法律学が政治学から歴史や文学などの人間的な学問に惹かれていく。
 しかし、反抗は母親に向かずに官長に向かう。国費留学生でありながら上司に反抗することがどういう結果を生むのか、豊太郎は考えなかったのだろう。自分の優秀さを自惚れていたのと、官僚組織の厳しさを知らなかったのだろう。
 さらに、私費で遊びに来ている留学生仲間との反りが合わなかった。それは幼い頃から勉強一筋で育ってきた豊太郎にとって、金持ちの遊び上手な青年と付き合うのは無理なことであっただろう。豊太郎に心の隅で彼らを軽蔑する気持ちもあっただろう。彼らと付き合う方法を知らなかったこともあるだろう。一旦遊びに目覚めたらその方面にのめり込むのではないかという危惧もあっただろう。自分は臆病な人間であったと、この時初めて気づくのである。そういえば日本を出港するときに涙が出たのも、未知の外国へ行くことに対する不安からであったのだろう。自分の臆病さは、父親を亡くし母親に育てられたからではないかと、母親を恨めしく思う気持ちが生じている。それは甘え、責任転嫁である。留学生仲間が自分の臆病さを嘲ることは納得できても、自分の勤勉さを嫉妬するのはお門違いである。こうした豊太郎の生育歴が、彼をエリートにしてくれたが、一人立ちしようとする時の致命的な弱点になっているのである。

自我の目覚めの前後の豊太郎の変化についてまとめる。所動的器械的人間から自由人間へ、法学から歴史文学へ、官長への反抗、そして母への疑問。この段落はサラッと済ませる。


第四段(ある日の夕暮れ〜背につつぎつ。)

 人生の危機が迫ったある日の夕暮れ、エリスと運命的な出会いをする。真っ直ぐに家に帰らず三百年前のロマンに浸ろうとクロステル巷の教会の前に来る。豊太郎はいつもここで恍惚としてたたずむ。この日もこの所を恍惚気分で過ぎようとする時、すすり泣きをする超美少女に出会う。彼女は父親の葬式の金が工面できず途方に暮れて、家の向かいの教会の前で泣いていたのである。その魅惑的な目で一顧された豊太郎は彼女の魔性の虜になってしまう。ただでさえ恍惚としていたので、臆病な心は憐憫の情に打ち勝たれてしまう。商売女を買うことさえ出来ない豊太郎が見ず知らずの少女に声をかけるなど、あり得ないことである。憐憫という冷静な気持ちではなかったであろう。エリスも初対面の外国人にペラペラと身の上を打ち明ける。豊太郎は事情を聞いて、とにかく家に送って行こうとする。もしかしたら、父を亡くしたという共通点に惹かれたのかもしれない。困っている人があれば助けてあげなさいと言う躾けを受けてきたからだろうか。彼女が若くも美しくもなければどうであったか。彼女の魔法というしかない。彼女は人目をいとわしく思っているが、彼女の家は教会の筋向かいである。送っていくもなにもない。
彼女が母親に「エリス帰りぬ」という声で彼女の名前を知る。また表札からユダヤ人らしいことも知る。家に入って言い争う声するが、母が慇懃にわびたことから、「どこの馬の骨か」と母親に言われて、エリスは「金を貸してくれる」とでも言ったのだろう。そしてエリスは、豊太郎が知りもしない座頭の名前を出して「自分が愛人にならなければならないので、金を貸してくれ」とはっきり申し出る。例の、人には否とは言わせぬセクシービームで豊太郎を見るのである。それは意識的か無意識かと書いているが、意識的かと疑っていること自体、十分意図的であったと豊太郎が回想している可能性がある。有体に言えば、豊太郎はエリスに引っかけられたのである。金にうるさい母の影響を受けて、エリスも金勘定に長けていたのかもしれない。豊太郎が時計を質草に貸すのだが、その時必然的に自分の住所を告げる。その時計は豊太郎にとっても手放せないものであったからであろうが、二人の関係が始まるきっかけになる。ウブな豊太郎はそこまで考えていないだろうが。エリスも、当座の葬式代さえ調達できればよく、その後の豊太郎との関係までは考えていなかっただろう。

エリスに声をかけた豊太郎の気持ち、豊太郎に声をかけられた(させた)エリスの気持ち、エリスの目の魅力、金の無心、豊太郎の思惑について考える。書いてないことを大問で質問する。


第五段(ああ、なんらの悪因〜読まぬがあるに。)

 「なんらの悪因ぞ」という言葉で、豊太郎はエリスとの出会いが不幸の始まりであると考えたことがわかる。ただし、これは2年後の船中でである。当時はそうは思っていなかっただろう。また、「不幸」とは何を指しているのか。エリスが発狂したエリスを残して帰国しなければならなかったことか、エリスのおかげで出世の道を踏み外したことか。
 ドイツの狭い日本人社会では、男女の関係はすぐに広まる。ましてや、エリート留学生と場末の舞姫の恋である、しかも、豊太郎は留学生仲間に妬まれていた。その噂はすぐに官長の耳にはいる。豊太郎をよく思っていない官長は豊太郎を切る絶好の機会だと思ってすぐに公使館に連絡する。あとは、事務的に流れてクビになる。これは、上司に逆らうことが社会的にどういう意味を持つかを知らずに反抗した豊太郎の責任である。また、危険な状況で舞姫とのスキャンダルがどういう結果をもたらすかを考えずに交際を始めた豊太郎の責任である。幼い関係ならいいと思っていたかもしれないが、豊太郎は状況をあまりにも甘く見過ぎていた。
 即刻帰国すれば帰国の旅費を出すというのは国の温情である。当然残留すれば援助は打ち切られる。豊太郎は、帰国すれば学問が成就せずに汚名のみ残ることになり、出世の道はない。残留するにしても学問を続ける学費を得る手だてがない。いずれにしても、学問を続けたいというのが豊太郎の夢である。それで、身を立てたいという贅沢な願いである。今の状況ではどちらも成り立たない。また、母親の期待もある。女手一つで育ててくれた母の恩に報いるために、出世して帰国しなければならないという宿命がある。
 そんな中、2通の手紙が来る。母の手紙と母の死を知らせる親族の手紙である。母の手紙はこれが最初ではないだろう。また、豊太郎も留学後まめに母に手紙を出していたのだろう。最近の手紙には、自我に目覚めて、歴史や文学に興味を持ったこと、官長に自分の意見を主張するようになったこと、もしかしたらエリスとの交際も書いたかもしれない。マザコン豊太郎はそれぐらいのことは書きそうである。だから、母の最近の手紙には、最近の豊太郎の体たらくを叱咤する内容も書いてあったのだろう。
 そして、母の最後の手紙の内容は、母の死の原因は何か。母の死は豊太郎への諫死で、それを告げる手紙だという説がある。豊太郎の解雇を知って、夫や先祖に申し訳ない、また豊太郎を死を以て諫めるために自殺するのである。
 しかし、手紙は船便だから早くても1か月かかる。とすれば、それ以前に豊太郎の解雇を知らなければならない。ところが、豊太郎が解雇を言い渡されて1週間の猶予を得て思案している内に母の手紙を受け取る。とすれば、母の手紙は、豊太郎の解雇を知る前に書いたことにならざるを得ない。
 とすれば、母の最後の手紙には、ことさら新しいことが書かれているわけではなく、いつも来る手紙が母の死によってたまたま最後の手紙になったということになるだろう。そして、母の死は病死である。しいて内容を推察すれば、最近の自分の健康状態や豊太郎の変化を憂う内容が書かれてあったのであろう。
 母の死を豊太郎がどのように受け止めたのか。自我に目覚めていい気になっていた自分を反省しもう一度やり直そうと考えたのか、母の期待や母のために帰国しなければならないという重荷がとれて解放的になったのか。
エリスとの関係は、エリスが免官を知った時、それが自分のせいであると知り、母には免官を内緒にするように言った。エリスの母は豊太郎の官費が目当てであって、解雇された豊太郎とエリスの交際を許さないであろう。同時に、エリスが学資目当てでなかった証拠である。エリスは豊太郎との愛情生活を望んでいたのである。豊太郎もエリスとの愛欲生活に入る。帰国か残留かの人生最大の岐路にありながら、豊太郎の思考はエリスへの愛欲の前に停止してしまった。この時も、エリスとの出会いの時と同様に、恍惚状態になっていた。この時、豊太郎が母の死を知っていたのかどうかの時間的な順序は分からない。母の死を知ってのことなら不謹慎となるのだろうか。また、肉体関係後に母の死を知ったなら、エリスが母代わりになったのかもしれない。
 そうした豊太郎のモラトリアムを助けたのは、エリスが同居できるように計らってくれたことと、後に豊太郎の運命を再転換させる相沢が職を紹介してくれたことである。これからしばらく辛いけれども楽しい生活が始まる。
 しかし、辛いと言っても恋人同士の甘い生活である。多少貧乏していても食べていくには困らない。現代の若者のその日暮らしの安穏な生活と同じ程度である。自分たちだけのことを考えていればいい、責任のない気楽な生活である。この愛情が壊れることは夢にも考えておらず、このままの生活が永遠に続くと考えているから将来の不安はあるにしても見えないのである。見えたとしても愛情がそれを打ち消してくれるのである。

人生の岐路に立った豊太郎が悩んでいるのは学問の成就であることを確認する。その大きな要因であった母親の死の意味を考える。にもかかわらず続くモラトリアムについても考える。また、現実には母親は死んでいないのに小説の中では死んだことにした理由も考える。


第六段(明治二十一年の冬〜車を見送りぬ。)

 明治二十一年と、この小説で初めて具体的な年号が出てくる。エリスの妊娠を知った豊太郎は将来に不安を覚える。子供ができることも考えずにセックスをしているのは、いかにも世間知らずの豊太郎らしい。その程度の知識もないのである。エリスの方は仕事柄知っていたはずである。とすれば、これもエリスの罠であるのか。子どもでつなぎ止めようとする計算か。
 しかし、豊太郎は妊娠を知ってから憂鬱な毎日を送るようになる。豊太郎はエリスとの二人だけの愛の生活が永遠に続く信じていたのである。子どもは愛の結晶ではなく、学問を続ける上で邪魔である。この時点で豊太郎の心はエリスから離れ始める。
そんな時に相沢から大臣に紹介してやるという手紙が来る。第二の手紙である。この時の豊太郎の気持ちは、大臣に会いに行くのではなく旧友に会いに行くのだという言葉通りだっただろう。大臣を紹介してもらって出世の道が開けるなどとは夢にも考えていなかった。しかしエリスの女の直観は鋭い。実の母親以上に豊太郎の身支度を整えてやりながら、たとえ金持ちになっても見捨てないでほしいと自分の行く末を予感して、第一の楔を打っている。

 エリスの妊娠で愛が冷め始めた豊太郎と、新たな展開の予感を確認する。


第七段(余が車を降りしは〜寒さを覚えき。)

 久しぶりに相沢に会うのだが、日本にいたころと境遇が逆転しているのに少しためらう。しかし、会ってみるとすぐに学生時代の2人に戻る。相沢は別後の情を交わすまもなく、すぐに大臣に紹介する。豊太郎のために余程会わせたかったのだろう。
 大臣の部屋からでるとすぐに昼食に誘う。終始、相沢ペースである。
 相沢は豊太郎を全く責めない。親友は豊太郎の臆病な心を見抜いていた。豊太郎自身でさえ気づいていなかった本性を、日本にいて豊太郎の不遇を報ずる官報を呼んだだけで看破するとはまさしく真の友である。
 そして、真の友として豊太郎に忠告する。語学の才能を示して大臣の信用を得ることが復権への第一歩であると。そのためには、女性関係を絶たねばならないとも忠告する。相沢は豊太郎のことを本当に心配していたのだ。立身出世以外には価値はなく、女性も出世の道具であると考えている。これは現代の生徒の考え方とは全く違うが、当時としては当然の考え方であった。
 この忠告に豊太郎の心は動く。重霧の彼方に一点の明かりが見える。しかし、それは実現するにはほど遠いものである。一方、エリスとの情愛も捨て難い。かといって、せっかくの相沢の友情も無にはできない。とすれば、どうせ出世などあり得ないのであるから、ここは相沢の言葉に従っておけばこの場はうまく収まる。そこまで綿密には計算していないだろうが、とりあえず目の前の親友の顔を立てるために約束をしてしまうのである。そうしながら、エリスには一種の罪悪感を感じている。

 相沢の友情、そして豊太郎の優柔に見えながら無意識の内にも計算された対応を考える。


第八段(翻訳は一夜に〜涙満ちたり。)

 その後は豊太郎も気づかないに大臣の信用を得ていく。豊太郎は語学の才能を活かした仕事ができることに喜びを感じていただけで、これで大臣の信用を得られるなどとは考えてもいなかった。しかし、相沢は計算通りであると見ていただろう。豊太郎の約束を取り付けて直ぐに大臣に報告し、大臣が唯一障害にしていた女性関係を取り払っていたのであろう。そしてロシア同行も承知してしまう。以前の豊太郎ならこれは出世コースであることは直ぐに分かったであろう。しかし、一旦奈落の底に落ちた豊太郎は復活できるなどとは思ってもいなかったのだろう。大臣の依頼を引き受ける時も、自分の才能を認めてくれた大臣の顔を立てるためだったのだろう。
 そしてロシアで受け取ったエリスの手紙、これが第三の手紙になるが、によって自分が再び出世コースに乗っていることを知る。さすがにエリスは計算高い。豊太郎が出世した場合のことをしっかりと考えて、自分の身の振り方を考えて母親まで説得している。豊太郎への愛の成せる業であろうが、状況を的確に把握している。ただ、日本の封建社会が自分のような女性を受け入れないことや、豊太郎の優柔不断な性格が自分への愛だけでなく、相沢は大臣に対しても発揮されているということまでは計算できていなかった。そして、出世の事実を知った豊太郎の反応も予想していなかった。豊太郎は初めて自分の優柔不断さと状況判断の甘さを自覚する。そして、自由を勝ち得たと思っていたものが偽物であったことも知った。そして、望郷と栄達を願う心とエリスへの愛情が激しく葛藤する。
 ロシアにいる時は望郷と栄達が勝っていたが、エリスに会うと直ぐに逆転してしまう。またしても優柔不断さが露出している。そんな豊太郎にエリスは、生まれてくる子の認知を強く迫る。エリスも豊太郎の心の揺れを敏感に察知し、必死で攻勢をかける。豊太郎にとってこの言葉はまた重荷になってエリスから心が離れていくのだろう。

初めて自分の位置を知った豊太郎の心の揺れと、エリスの状況判断の鋭さと盲点について考える。


第九段(二、三日の間は大臣をも〜そのまま地に倒れぬ。)

 そしてついに大臣から帰国の命令が下る。この時初めて相沢にエリスと別れるという約束をしたことが大臣に伝わっていたことを知る。とすれば、エリスのことを理由に帰国をを断ることは相沢の顔を泥を塗ることになるし、それ以上に、もしこのチャンスを逃せば日本に帰ることも出来なくなり、名誉を回復することもできなくなり、このドイツでうだつの上がらぬまま死んでいくのかというかつてのエリート意識が頭のそこから突き上げてきて、帰国を承知してしまう。そして直後から悩むのである。このことをエリスにどのように説明すればよいのか。エリスの顔を浮かぶ。相沢を裏切らないことはエリスを裏切ることになる。だれをも裏切りたくない豊太郎はまた悩んでしまう。こんどはもはや逃げ場はない。優柔不断ではすまされない。帰国をするのか、しないのか。以前にもこの選択はあったが、母親の死というアクシデントと出世の道がないという条件があったので曖昧にすることができた。あの時と変わらないのはエリスの存在である。しかし、エリスは妊娠していてこれまでの楽しい愛の生活はない。現実の厳しい家族生活が待っている。豊太郎の選択は算数的には当然であろう。とはいえ、誰だって愛する女性に別れ話は切り出しにくい。ましてや豊太郎ならなおさらである。絶体絶命の危機のはずが、また運良く家にたどり着くと同時に高熱で倒れてしまう。これで、また無意識うちにの猶予期間、モラトリアムができたのである。

豊太郎の価値判断について考える。これが当時のエリートの価値基準と同じであることを確認する。


第十段(人事を知るほどに〜おわり)

 豊太郎が倒れている数週間の間に、相沢がエリスに真実を伝え、エリスが発狂する。見舞いに来た相沢も豊太郎がエリスと別れていないことを知って驚いただろう。もしこの事実が大臣の耳にはいれば豊太郎の帰国がなくなるだけでなく自分の信用にも傷がつく。何とかしなければならないと思ってエリスに真実を伝えたのであろう。説得をして別れさせようとしたのであろう。しかし、相沢の判断は甘かった。この男は男女の愛については豊太郎同様に無知であったのだ。エリスは発狂してしまう。意識が戻った豊太郎は発狂したエリスを見て事情を聞く。豊太郎はエリスを抱きしめて涙を流す。そして、エリスと子どものことをエリスの母親に頼んで帰国する。発狂したエリスは捨てやすかった。もし正気ならエリスは泣きわめき、豊太郎の決断はまた大きく揺れたであろう。その意味でも豊太郎は相沢に感謝こそすれ恨みなど持てないはずである。すべては、豊太郎の優柔不断さから生じたものであり、相沢は勿論、立身出世を至上主義とする社会体制を責めることは出来ないはずである。

豊太郎とエリスの関係を知った相沢の行動の理由、豊太郎の身勝手な心理について考える。現実にはエリスは発狂していないのに、なぜ小説で発狂させたのかについても考える。