1)「自己確認型犯罪とは」
 現代を生きている若者の心理状態はいつも不安定でとても敏感なものである。「ストレス」といったモノや、自分は何をしていけばいいんだろうとかときどき自分は今何のために生きているんだろうかとふと考えることは誰しも有る事だろう。そしてそんな時、若者は自分の「存在アピール」として犯罪を犯し、「自己確認」をするのである。
 けれど、私はそれはおかしいと思った。なぜ「犯罪」でなければ、自分を社会に位置付けできないんだろうか、私はもっと違う方法でもできるのでは無いだろうかと考える。
 例えば、何か一つのことを一生懸命やって、それを認めてもらうとか、友人の間でも心から話せる友人も作り、どんな相談事もお互いにし合い、お互いを高め合える関係になるなど積極的に自分から何かに取り組みそれを「成し遂げた」という証を残せば「自分」という存在をアピールできるのでは無いだろうか。よくよく考えればいい周囲にはいろいろと自己確認する事が出来る機会があふれているかもしれないのに…。
 「犯罪」といった事でしか自己確認をすることが出来ないという人は、もう少し自分でも自分自身の視野を広げもう一度自分の周りを見渡してはどうだろうか。そうすれば、何か小さなことでも「自己確認」をするきっかけが見つかるかもしれないから。
 
2)「必要なもの」

 真の自己と聞いて何を思うだろう。私は、それを本当の自分というふうに考えた。本当の自分と、その逆の偽りの自己は、二つともなければいけないのだろうか。
 毎日、通っている学校。ここで、たくさんの人が生活している。もちろん、ここにいる一人一人にも真の自己と偽りの自己がある。人は、その二つをうまいこと使って生活している。生活に必要なもの、それは仲良くやっていける事だ。
 例えば、一つの友達のグループがあるとする。仲が、とてもよさそうに見える、このグループを。時には、笑いあい、時には、励ましあい。しかし、その中の一人にでも嫌われてしまうともうだめだ。その話がグループ内に広がり、仲間外れにされてしまう。人は、そうならないように、偽りの自己を使って、他人にあわせている。
 では、偽りの自己だけを使っていくとどうなるだろう。すべてを他人の思うとおりにして、他人から扱いやすいとは、思われるだろう。しかし、それををずっと続けていくと、調子がいい奴となって、また嫌われてしまうのではないだろうか。それと同時に、自分というものを無くしてしまう。それじゃいけない。
 真の自己と偽りの自己は、どちらもかけては、いけないものだ。どちらがかけてしまっても、人間として、やっていけないだろう。
 
3)「本当の自己の確立」
 いつでもどこでも、誰しもみんな本当の自分、確立された自分を出している訳ではない。人はみな、それぞれの生活の中で、それ相応の自分、又は自己を十にも百にも使い分けているものである。その中の、ほんの一部分に存在しているもの。つまりここでは、「本当の自分・自己」というものは、それ自体が非道くあいまいで、それが本当に「本当」なのか?という不満さえ出てくる。
 不満が出てくる理由の一つとして、やはり現代におけるさまざまな事件などが挙げられる。
 最近、犯罪を犯した若者の中によく出てくる言葉に「これは正しいことなんだ」とか「自分はこうしなければならなかった」などという「本当の自分」を導くようなセリフを、何度も耳にする。
 これが果たして、その人間の中にある「本当の自分・自己」の、確立されたものの形であるのだろうか?
 もしも、そんな本当に完成されたものであったとしたら、個人的にはいただけない。
 しかし、そう言う人間の「本当の自分・自己」が急増していることは確かである。もはや、不満というよりは、恐れを感じる。
 「本当の自分・自己」の確立は、そういった社会の中で、常に新しく生まれ変わり続けている。
 これはもう、「本当」が「本当」と呼ぶことができなくなっているのかもしれない。
 
4)「(無題)」
 私は、「エンプティセルフ」という論文も読んでみて、『真の自己』『偽りの自己』について考えていこうと思う。
 まず、真の自己や偽りの自己とはどういうものだと作者が言っているのだろうか。
 真の自己とは、万能感に満たされなかったときに母親の代わりとなる対象へ、愛情を注ぎ形成されるものであって、偽りの自己とは、母親の代わりとなる対象を適切に与えられていなかったりした場合に形成され、これは、母親や他人の思う通りに反応するのである。
 私はここで、頭の中に一つの考えが浮かんだ。それは、親の自己=本当の自分であって、偽りの自己=嘘の自分だということである。
 真の自己の場合、本当の自分であるから、イライラしてストレスがたまるということはほとんどないだろう。しかし、偽りの自己の場合、嘘の自分であるから、本当の自分を出すことができないことへのイライラがたまっていき、ストレスとなるのではないだろうか。
 例えば、自分がやりたくないけど断ることができないで、やってしまった時など、少しはイライラするだろう。そして積み重なっていくことによりストレスがたまっていく。これは、本当の自分を出していないのと同じになるのではないだろうか。つまり、偽りの自己である。
 偽りの事故によるストレスがたまり過ぎたとき、爆発するだろう。その時に少年犯罪が起こってしまうにちがいない。
 
5)「空虚感とは何か」
 最近の若者は、自分のしたいことがわからない、生きていても楽しくない、将来の夢がないなど自分の真の姿を現代社会に写し出すことができないでいる。しかし、その若者達は特に悩みや不満などの問題を抱えていない人がほとんどである。
 「自己の空虚感」が生まれてくる理由には人それぞれ違う「何か」がある。ではその「何か」が何なのかを考えてみた。
 それは「満足感」である。たとえば、過去に一度満足のできることや挑戦をしてうまくいった、つまり失敗ではなくて成功した経験が関係していると考える。つまり、今現在自分の中にある「空虚感」というのは、「満足感」が原因である。今の自分に足りないものをその「満足感」で埋めているだけなのだ。自分では埋めているつもりでも本当は埋まっていないのである。
 今その若者たちに一番必要なことは、何事にも積極的、前向きにどんどん挑戦することである。そうすれば解決策は自分で見つかるはずだ。
 
6)「『自己』の姿」
 私は、少年犯罪が起こるのは「空虚感」によるものだという意見に賛成である。
真の自己、偽りの自己というものは私にもあると思う。例えば、友達同士でいても「偽りの自己」を形成させて、お互いを傷つけ合わない様にあまり深くは関わりたくない人もいるし、仲良しの人や家族とは時々でも自分の意見を言う。それは「真の自己」を分かってほしいのかもしれない。お互い「真の自己」をさらけだすと喧嘩になる。でもそれは、お互いを認識し合ってあってこそ喧嘩が出来る。だから「真の自己」を出せる相手がいない「空虚感」というものをもった少年達が、「少年犯罪」などをひき起こすのではないかと思う。
 真の自己、偽りの自己。私はきっと「偽りの自己」の方が多いと思う。でも「真の自己」を出せる所があるから、私はその「少年」になったはしない。どれが本当の「真の自己」、「偽りの自己」なのかはあまり分からないけど、それを全部ひっくるめて「自己」自分の姿で、どれも大切な「自分」。その一つ一つをしっかり自分でみつめていくことが出来て成長し、「少年」から「大人」になることができるのである。
 
7)「偽りの実行を持つ自分」
 新聞で「良い子」の重圧に縛られと大きく見出しに書いてあるのを見た。成績優秀で非行歴はむろん遅刻も休みもないクラブ活動も熱心な少年が事件をおこしたのである。その少年の両親は厳格で、成績にこだわってその少年に期待していた。少年はその両親の大きな期待に縛られ続けていたのだと思う。
 今の若者は「真の自己」を形成できずに、両親や他人の思うとおり反応する「偽りの自己」を形成してしまうのである。「良い子」に縛られ本当の自分を見せることができない。そしてしだいに周囲が見えなくなり犯罪行為を行ってしまうといえるだろう。
 私の場合も両親の前では、どうしても「真の自己」本当の自分が出せない。本当に思っていることでも我慢してしまうのである。やはりそれは「良い子」や「理解がある子」など思われているのを知っているからである。私はそうなりきっているかもしれない。「偽りの自己」を形成しているのである。
 それも家庭環境が原因であるともいえる。
 「偽りの自己」をもって「真の自己」を外に出せないで生きている若者が増えているのは家庭環境や現代社会が原因であるといえるだろう。親が子供の「真の自己」を見つけてあげることが必要ではないだろうか。

8)「少年犯罪について」
 少年犯罪はこの後の将来になくなるものではない。それは何となしに人生を過ごしている少年が多いからである。何の目標もなく楽しむという事さえ知らない少年は何らかの快楽や興奮を求めて犯罪を犯してしまう。
 神戸の通り魔事件を思い出すとあの事件の犯人は、まるで殺人をゲームをしているかのように言っていた。「てるくはのる」という意味不明な言葉で私達を迷わせそしてそれが自分の本命だと言っている。でもその犯人は自分という存在が私達の空想の中だけでも実在の人間として認めてほしいと言っているがそれは私達人間の誰もが持っているものである。自分の存在があやふやでされたり、忘れられたりすること程みじめで孤独なものはない。いっそ自分の存在が忘れられるぐらいなら地球上の人間共に一生忘れられることのできないくらい衝撃を与え人々を混乱のうずに落とし入れたくなるのは人間としておかしくはない。私がもしこの少年であったとしても殺人ゲームを繰り返す自分にもしかしたら存在感を感じているかもしれない。そういう形でしか自分を感じられないなら───。
 自分をつくり上げるものは自分である。一歩間違えばただの細胞の塊になってしまう自分をどう作っていくかが今後の少年犯罪における自分自身の課題である。
 
9)「『偽りの自己』の真実」
 今の若い人たちは、親の言いつけに従うとか、人の思い通りの人間になっていく人が多くなっている。
 その原因としてあげられるのが「親から愛情をもらっていない」だ。
 最近は、子供を虐待し、最後には殺してしまうという親が増えてきている。そういう人達は、子供の頃に、虐待されていたり、強制的なしつけをされていたというのが多いのではないだろうか。そこで、子供達は、親の言いつけを守らなければ、怒られるとか、殴られると思い、親の理想の「子供」というのが作られてゆく。つまり、偽りの自己だ。
 少年犯罪でも、「まじめでおとなしい、ごくふつうの少年が犯した」というケースが多い。これもまた、親にちゃんと自分が見てもらえなかったり、自分の思いがとげられなく、もっと自分を見てもらいたいという表れなのであろう。
 これらを直していくのは親であり
 
10)「『空虚感』による少年犯罪の実態と解決策」
 少年犯罪の影には、やはり、「空虚感」に満たされてしまっているケースが多い。そこで、どう解決していくかが重大な課題である。
 今、日本で起こっている犯罪の中で、少年による犯罪が目立ってきているんように思う。その影には「自我の形成」の不十分さや「空虚感」といったものに満たされてしまっている少年が増加しているからである。つまり、その「空虚感」に満たされてしまっている少年を減らすことによって、少年による犯罪もそれに比例して減少していくと思うのである。
 では、どのようにして「空虚感」に満たされてしまっている少年を減らしていくのか。
 まず、第一に「空虚感」となる原因をなくすことが良いと思われる。その原因の例して、親が夜遅くになっても家にいないなどといった家庭環境の寂しさから犯罪を起こしてしまうといったケースなどがある。つまり、そういった家庭環境の改善をすることによって、少年による犯罪も減少していくのではないかと思うのである。そのためには、親も良い家庭環境をを作る努力が必要である。
 このように、現在の解決策をあげてみると、少年による犯罪は少年自身が改善するように努力することも必要だが、少年の身のまわりにいる親や友人の手助けなどにもよって少年による犯罪を減らすことができるのである。
 
11)「『偽りの自己』の誕生と進化」
 最近、父も母も共働きしていて、帰宅する時間が異なり、家族そろって食事をしたり話をする機会が減っている家庭が多くなっている。そうした生活を続けていくと、おたがい関係を持とうとしなくなり、気持ちのすれ違いから最終的に「離婚」という選択もそう少なくはない。
 家族というのは「夫婦」とは違い、親同士が勝手に決めるのではなく、まず子供にとってどうすることが一番良いのかを考えるべきである。しかし、実際のところ親は自分達の都合を第一に考え、幼い時から子供にさみしい思いをさせている。あるいは、「子供が豊かな生活を過ごせるように」とか「進学させてやりたい」など、子供のためにお金に困りたくないと思って、仕事に熱中してしまっている親もいる。でも、それは本当に子供にとって豊かな生活なのだろうか。確かに人生にとってお金は必要なものだけど、子供たちはそんなことより、愛情を求めているのだ。そんな子供達が少しでも自分に振り向いてほしくて、見てほしくて、「真の自己」を押さえてでも良い子「偽りの自己」を持とうと必死にもがき苦しみ、本来の自分を見失ってしまう。
 偽りの自己をもって生きているということは、自分の気持ちが縛られていると共に、犯罪を生み出す鍵となりかねないのである。
 
12)「少年犯罪ついて」
 最近では少年犯罪がとても増えている。その理由は、作者によってこう書かれている。
 「他人を通して、自己の真の姿を映し出すことができないばかりか、それに脅える若者たち。それに芽生える空虚感は、時として、われわれの想像を越えた方向へと向けられる。それが、冒頭に述べたごくふつうの少年たちによる犯罪なのである」と。
 確かに、人間は弱い生き物であるから何らかの理由で脅えている時、その時、誰かに傍に居てほしいのである。その時に、自分の傍に誰も居てくれず、一人で脅えていると空虚感が芽生えあふれそうになり、それが、ストレスみたいなものに変わり、万引、ドラッグ、シンナー等の犯罪に変わっていくのである。
 では、彼らの犯罪の目的は何か。それは自己の姿を社会に映し、「本当の自分」を確認するためだと言われているが、彼らは犯罪になる前に誰かに自分の存在に気づいてくれ、そして、自分がしようとしている犯罪を止めてほしいに違いない。私たちはそれに気付くのは大変難しいのかもしれない。
 しかし、それでは彼らの犯罪を止める事はできないのか。私は彼らの犯罪を止めることは誰にでもできるものだと思う。それは、この地球上であたりまえのように行われているが大変重要な、人と人とのコミュニケーションであると私は思う。
 
13)「自己の空虚感」
 最近、若者を中心に空虚感を持っている人が増えているという。だが、本当に空虚感を持った人ばかりなのだろうか。私は、なかには空虚感を持っていない人もいると考える。
 作者は『生きていて楽しいと思うことなんて何もない』自らについて問われた時、このような答えをする若者が増えている。と書いているが、私はそうは思わない。人間、生きていて楽しいと思わなくなったら終わりだと思う。生きている意味がわからなくなる。
 こんな私だって、将来の夢があるし、毎日が楽しいとさえ思える。将来の夢は、早くみつけたらいいってもんじゃないけど、あるのはイイ事だから。
 結局は、若者がマイナス思考なだけだ。分からないじゃなくって、分かろうと努力すれば楽しいことも見つかるし、日々の生活も無駄にしなから。マイナスじゃなくプラス思考で何でもすれば、人生バラ色だと考えています。私はその一人だから。
 
14)「偽りの自分と真の自分」
 偽りの自己について考えてみた時、「偽」というものの役割は何なのか考えることにした。
 「偽」というものは、なぜ存在するのかというと、自分自身を守る「よろい」なのではないかと考えた。自分が傷つかないように、一生懸命の抵抗しているのである。
 しかし、自分を「よろい」で自分の姿を隠してしまうと、本当に理解してほしい人が現れた時、自分というものが固い「よろい」によって、真の自分の姿がその人の心に映されない状態になってしまう。本当の自分を、その人に伝えられないことは、とてもつらくて、悲しいのではないかと思う。
 私は、伝えられなかった気持ちがあるが、そのとき本当に後悔したことがある。なぜ「真」の自分をその人の心に映すことができなかったのか。
 だから私は、今を一生懸命生きて、「真」の自分を、これが私だと強く言えるように、いろいろな人に映し出して
 
15)「自己確認型犯罪について」
 自己確認型犯罪を起こらないようにするためには、エンプティセルフのように自己の空虚感をなくすというのも一つの方法である。しかし、自己の空虚感を少なくしたり、なくしたりするのは、とても難しいことだ。
 そこで、自己確認型犯罪を起こらないようにするには、何かひとつ目標を、作ればよい、簡単な目標を、例えば「自分は、絵が好きだ」と思っているなら、絵のコンクールで優勝する、という目標を、「自分は、野球が好きだ」と思っているなら、試合で勝つというのもよいが、ただ試合で勝つというものよりも4番バッターになって試合でヒットを打って勝つというものの方がよいのである。なぜならば、4番バッターになるのにも、たくさんの努力をして監督にも認めてもらわなければならない。さらに試合に出てヒットを打つのもとてもたいへんなことだ。というような同じ勝つでもスケールの大きな目標を作ればよいのである。
 もし、スケールの大きな目標を作れば、その目標が、将来の夢につながるのでは、ないだろうか。絵のコンクールで優勝するというのは、有名な画家になるんという夢に、4番バッターになって試合でヒットを打つというのは、プロ野球の選手となるという夢にもなるのでは、ないだろうか。そして、人の空虚感は、なくなって自己確認型犯罪は減るのでは、ないだろうか。
 
16)「極悪化する少年犯罪」
 何年か前までは、「少年犯罪」といっても、万引とかぐらいで、ニュース番組で取り上げられたり、新聞の一面に載ったりするということは全くなかった。しかし、最近は、殺人、通り魔など、中・高生が次々と大事件を起こしている。間違いなく、「少年犯罪」は極悪化しているのである。しかも、それは少数ではなく、かなり多発している。
 なぜ、このような事態が起こってしまったのか。それは、「エンプティセルフ」の作者が書いているように、事件を起こす少年の心理的なものが多くを占めているのは違いない。しかし、原因はそれだけではないはずである。例えば、現在の社会の状況。殺人を犯せるようなものがそこらで売っていたり、落ちていたりする。昔に比べて現代の若者はお金ををたくさん持っているので、ナイフや包丁なんて簡単に買えてしまうのである。
 こういった、現代社会の状況を考えると、「少年犯罪」が多発し、ごく極悪化してしまうのは仕方ないのかもしれない。このままだと、「少年犯罪」はどんどん増加するだろう。
 
17)「犯罪を行う理由」
 エンプティセルフの文中で作者は、少年犯罪は「本当の自分」を確認するため「自己確認型犯罪」と述べているが、それは違うのではないかと思う。
 確かに、少年犯罪の中には自己確認型の犯罪もあると思う。でも、大部分はもっと他の理由があるのだと思う。
 例えば、神戸の連続児童殺傷事件で犯人がマスコミ宛に送ってきた犯行声明文がある。この中に自分を「透明な存在」と呼んでいた。これを、エンプティセルフでは自己確認型犯罪の裏付けとしているが、自己確認型犯罪をしてしまうような空虚感を持っている人が、あのような長くて綿密に組まれた声明文をくるだろうか。この犯人は社会に認めてほしかったのだと思う。「透明な自分」というのは社会という群集の中で認められずに映らない自分ということが言いたかったのではないだろうか。
 もう一つ、殺人という行為を楽しみとしかとれなくなってしまった可能性もある。狩猟を一種のスポーツとして楽しむ人達がいる。彼らは鳥や獣を撃つことに喜びを感じている。もしも、狩猟の対象が自分と同じ人間になってしまったら、人を殺して喜ぶという人間が誕生してしまうのではないだろうか。
 少年達が犯罪を行ってしまう理由。それは「空虚感」などではなく、もっと別の所にあるのだと思う。
 
18)「『自分』が存在するため」
 最近起こっている犯罪は、ある意味で明確な理由が存在しないものが多い。では、少年達はなぜ犯罪を犯すのだろうか。作者が書いているように自己確認するためのだろうか。私はそれに同意する。では、それに同意する理由を説明しよう。
 少年犯罪が起こると、さまざまなメディアは犯人である少年の学友に、少年はどういう人であったかをを尋ねる。すると、どのような事件でも、真面目、おとなしい、友達は多い方だ、などと必ずといって良い程言う。
 真面目、ここではその事を使って説明しよう。真面目な人とはいつも自分も作っていなければならない。つまり、「偽りの自己」である。いつも自分を偽っているということは本当の自分を出せる場所がない。そうなると、ストレスが知らない間にたまり、爆発し、犯罪をおかしてしまう。親に期待されている場合も同様で、期待が重荷になり、親にも「偽りの自己」で接してしまう。
 そうして犯罪の中で本当の自分を、自分の存在を周囲に認めてもらおうとするのである。犯人がマスメディアに犯行声明文を送りつけているのがその理由であるとも言えよう。
 犯人から見て、真面目で普通と言われていた少年たちが犯罪を犯してしまう原因となるものは、自分の存在を周囲に、社会にアピールするためなのである。
 
19)「情報に埋もれる少年達」
 近頃街を歩けば必ずといっていい程、地べたに座り込み、何をするでもなくを呆けている少年達を見る。彼等は「自分は自由に生きているんだから口出しをするな」と主張するが、実は楽な方へ逃げているにすぎないのである。しかし、彼らは膨大な量の情報を詰め込まれる、例えばコンピューターのようなものと言えるだろう。犯罪をしてしまった少年たちは、自分の容量を超える情報にフリーズしまったと言えるのである。
 周りの大人は「こうすれば必ず幸福になれる」という何の脈絡もないことを言い、少年達におしつける。彼らは「何か違う気がする」と感じつつも、「じゃ、自分には何が向いているか」と自問しても答えることが面倒になり大人の言う道を選ぶのである。周りの大人の「子供のために」という一方通行な愛が少年たちをコンピューターにしていくのである。
 確かに、そんな少年たちだけでない。自分の夢を見つけ歩んでいく少年達もいる。しかし、彼等も夢にいきづまれば、コンピューターになる可能性は少なからずあるのだ。
 周りの大人から見て、普通の少年達は情報が入り乱れ、本当に必要なものが見えにくくなり、自分の存在の意味も分からなくなった現代社会の被害者なのかもしれない。