教材観
〇.あらすじ 授業
私とKの生い立ちと、そのクロスする部分。私のポイントは、叔父に裏切られ人間不信に陥るが、奥さんとお嬢さんに接するうちに回復したこと。そして、奥さんやお嬢さんを「策略家」ではないかと疑っていること。Kのポイントは、強い信念の人であること。そして、私はKにも同じように神経衰弱から回復してもらおうとしたが、行き過ぎて嫉妬していること。
1.房州旅行 授業
私は無理やりKを旅に誘い出す。何をするでもなく、二人でゴロゴロしていくだけの旅である。私はKといるだけでイライラして来る。神経衰弱から回復して学問や事業に自信を取り戻した点はよかったが、お嬢さんにも自信を持ち始めているとすれば、許せないと思った。私は発作的にKを海に突き落としたらどうすると聞くと、Kはちょうどいいやってくれと言うぐらい落ち着きはらっている。
Kと私は何でも話し合える仲であった。抽象的な恋愛論も交わしたりした。思い切ってお嬢さんのことを打ち明けて、Kの頭に柔らかい空気を吹き込んでやろうとも思った。しかし、いつもKの固い雰囲気に跳ね返された。それはKが女性に興味のない証拠であり安心する反面、劣等感に苛まれる。容姿も性格も男らしさも学力もKの方が上である。そんなKに敵わないと思うと再び不安になる。
そんなある日、Kは私に「向上心のない者は馬鹿だ」と言う。私はお嬢さんに恋をしていることを指摘されたと思って、「人間らしさ」という言葉を使って弁解する。Kは自分にはまだ難行苦行が不足しているととらえる。
2.私とお嬢さんとK 授業
十一月の寒い雨の降る日、私が下宿に帰って来ると、Kの部屋の火鉢には火が燃えていたが、自分の部屋の火鉢は火種も尽きている。Kの部屋は火の用意がしてありさっきまで誰かがおり、私の部屋はもうすぐ帰ることがわかっていながら火の準備すらない。Kは私より遅く帰る日なのにおかしい。私が散歩に出ると、向こうからKが帰って来る。水たまりの上を互いに身をかわしてすれ違うと、続いてお嬢さんがやって来る。私は水たまりに足を踏み込んで道を譲った。
私はすぐに帰って、Kにお嬢さんと一所に出かけたのかと聞いたが、偶然出会ったという。お嬢さんに同じ質問をすると、嫌な笑い方をして当ててみろという。一所に出かけたのは明白だった。それ以上にお嬢さんの態度に腹が立った。無邪気なのか、ワザとしているのか。無邪気としたら私の嫉妬が感じさせているのであり、ワザととしたらお嬢さんの策略からくる技巧である。明らかなのは、お嬢さんのそうした態度はKが来てから始まったことである。嫉妬は愛の裏面だから、お嬢さんを愛している証拠である。
私は奥さんにお嬢さんをくれと談判しようと思った。しかし、Kが来る前は奥さんの策略かもしれないという疑念から、Kが来た後はお嬢さんはKが好きなのではないかという疑念から断行できなかった。私は相思相愛でなければ結婚の意味がないと考えていた。その意味で、高尚な愛の理論家であり、迂遠な愛の実際家であった。また、直接お嬢さんに打ち明けなかったのは、日本の習慣として許されないし、お嬢さんも断りにくいだろうと思ったからである。
3.Kの告白 授業
正月、奥さんとお嬢さんは年始に出かけ、下宿には私とKしかいない。こんなことは珍しい。Kはいつになくお嬢さんのことを話題にする。私は不思議に思った。そのことをKに聞くと、Kは突然黙り、口元の肉が震え、重い言葉が出る前兆を示していた。
その口から、お嬢さんに対する切ない恋が打ち明けられた。私は魔法棒のために一度に化石にされたよう、恐ろしさの塊、苦しさの塊になった。すぐに、先を越されたという人間らしい気分を取り戻して、しまったと思った。しかし、彼の告白は重くてのろい代わりに、容易なことでは動かせないという感じがあり、相手は自分より強いのだという恐怖の念で一杯で、何も言えなかった。ただ、その苦しさは私の顔に明白に表れていたはずだったが、Kは自分のことに一切を集中していくので、私の表情を気にする暇がなかった。
めいめいの部屋に引き取った時、私の心もKに打ち明けるべきだと思った。しかし、時機が遅れてしまったという気も起こった。さっきは不意打ちだった。今度襖を開けて突進してきたら取り戻そうと思っていた。しかし、襖に永遠に開かなかった。
私はたまらなくなって散歩に出で、Kを姿を咀嚼しながらうろつく。Kはどうして私に打ち明けたのか、どうして恋がつのったのか、強いまじめなKはどこに吹き飛ばされたのか。どう考えてもKを動かすことはできず、Kが一種の魔物のように思えて気味悪かった。
4.Kの迷い 授業
ある日、図書館でKの方から私に話しかける。私は、Kの胸に一物があって談判に来られたような気がして外に出る。
Kは私を図書館から散歩に誘い出し、例の事件(お嬢さんへの恋)について口を切った。まだ、実際的な方面(お嬢さんや奥さんに告白する)には進んでいないようである。Kは「どう思う」と、恋愛の淵に陥った自分を私がどんな目で眺めているのかと私の意見を求めてきた。これは、平生のK(こうと信じたら一人でどんどん進んでいく度胸も勇気もある)とは明らかに違っていた。
私は「この際なんで私の批評が必要なのか」と尋ねた。Kは「自分が弱い人間であるのが恥ずかしい」と悄然とした口調で言った。そして「迷っているから自分が自分でわからなくなってしまったので、君に公平な批評を求めるよりほかしかたがない」と言った。Kは私を公平な立場にいると信じている。私は迷うという意味を聞きただした。Kは進んでいいのか(お嬢さんに告白する)、退いていいか(お嬢さんを諦める)に迷っているのだと説明した。ここで私は一歩出て攻めの態勢に入り、「退こうと思えば退けるのか(お嬢さんを諦められるのか)」と聞いた。Kは言葉に詰まり、ただ「苦しい」とだけ言った。もし、お嬢さんのことでなければ、私はKに都合の良い返事(お嬢さんに告白しろ)を与えたはずであった。それぐらいの美しい同情は持った人間だった。
5.Kの覚悟 授業
私は他流試合をしているようにKを注視していた。Kは無防備で彼の要塞の地図をゆっくた眺めることができた。
私は理想と現実の間を彷徨していたKを一撃で倒す策略だけを考えていた。ここで、現実と理由の組み合わせは、1)お嬢さんに告白する−お嬢さんに告白できていない。2)お嬢さん諦め自分の道を進む−お嬢さんに恋をしてしまい諦められないの2つが考えられる。生徒の多くは1)だろうが、Kの性格を考えると2)が妥当だと思う。
私はすぐにKの虚につけ込んで、策略的に厳粛な態度を示し、「精神的に向上心のないものはばかだ」と言い放った。この言葉は、房州旅行の際に、お嬢さんへの恋に悩む私にKが言った言葉であった。そこには同情というより侮蔑の気持ちが強かった。Kは精進という言葉が好きで、この言葉には、道のためには全てを犠牲にすべきものだという信条が込められていて、禁欲だけでなく、欲を離れた恋そのものも道の妨げになるのである。ここにKの真摯な生き方があった。
同じ言葉を、単なる復讐ではなく、それ以上の、Kの前に横たわる恋の行く手をふさぐために言った。Kの為に言えば、Kがせっかく積み上げた過去を今までどおり積み重ねようとしたのである。ただ、それが道に達しようが私には関係がなかった。ただ、私の利害(お嬢さんへの恋)と衝突さえしなければ良かった。要するに、単なる利己心の発現であった。
Kは「僕はばかだ」と答えた。それは居直ったにしては力に乏しいものであった。
私はKを待ち伏せてだまし討ちにしようとしていた。狼が羊を狙うように、Kの正直で単純で善良な所に付け込んだ。
Kは「その話(お嬢さんの話)はやめよう」と悲痛に言った。次に「やめてくれ」と頼むように言い直した。私は「(お嬢さんへの恋を)やめるだけの覚悟があるのか」と言った。Kが萎縮して小さくなったように感じて、私は安心した。するとKは「覚悟?」「覚悟ならないこともない」と独り言のように夢の中の言葉のように言った。Kは文脈から切り離して「覚悟」と言う言葉を受け取っている。それは悲壮な決意という非常に強い意味のものになっている。Kの覚悟とは、私が思うようにお嬢さんをあきらめる覚悟なのか、逆に、お嬢さんに進む覚悟なのか。ここでKの性格を考える必要がある。平生のKからすると、お嬢さんへの恋にどんどん進んでいくことになる。彼の好きな精進という言葉からすると、道のためにはお嬢さんへの恋も全て犠牲にすることになる。
6.私の疑念 授業
上野から帰った晩、私は考える。Kには投げ出すことのできない尊い過去があった。養家からも実家からも勘当されてまで哲学を学んだ過去である。また、Kには現代人(明治の後期)の持たない強情と我慢もあった。その双方からKが古い自分を投げ出して新しい方角へ走り出さない、Kはお嬢さんを諦めると、私は確信していた。
しかし、深夜に間の襖が二尺程開いてKが黒い影のように立っていた。Kは「もう寝たのか」と普段より落ち着いた声で言って、襖をぴたりと立てきった。
翌朝、Kに確かめると、確かに襖を開けて名前を呼んだと言う。そして「近頃は熟睡できるのか」と尋ねた。学校へ行く道で私がさらに念を押すと、Kは「その話はもうやめよう」と注意するような口調で言った。
ここで問題になるのは、なぜ襖を開けたのか。1)自殺するつもりだったのか、2)自殺する準備なのか、3)私にお嬢さんに進む決意を述べるためか。4)私に謝罪したかったのか。
4)の場合はKが私もお嬢さんに恋していたことを気づいていたことになる。
私の頭には、もう一度「覚悟」の2文字が抑え始めた。Kの性格は一般的に果断に富んでおり、この事件(お嬢さんへの恋)においてだけ例外的に優柔になったのだと私は解釈していた。しかし、果断に富んだ性格をお嬢さんへの恋にも発揮するというのが「覚悟」の意味ではなかったかと考え直す。それが正しかったのかはわからない。
7.私の告白 授業
私は最後の決断(奥さんにお嬢さんをくれと談判すること)をした。Kより先にKの知らない間に事を運ばなければならない。一週間後、仮病を使ってその機会を作った。
私はKが先手を打ってないか確認したが、ない事がわかった。Kの打ち明け話は奥さんに内緒にした。そして突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と談判する。奥さんよく考えたのかと念を押した後、「よござんす。差し上げましょう」と男のようにはきはきと言った。父親のない子を宜しく頼むと、他に何の条件も出さなかった。
そして本人の意向すら確かめる必要はないと明言した。本人も承知しているとのことであった。つまり、奥さんとお嬢さんの間では話はできていたのである。と言う目で見ると、お嬢さんのKに対する親切な態度も私の気を引く策略であったかもしれない。
とにかくこの時、私の未来の運命は定められた。私はできるだけ早くお嬢さん伝えてほしいと頼む。
8.私の良心 授業
私はさっきの奥さんの記憶と、お嬢さんのうちへ帰ってからの想像で一杯で、散歩をしていた。その間、Kのことは全く考えなかった。そしてKの部屋を抜ける瞬間にKに対する良心が復活した。もしKと二人きりなら謝っただろうが、奥に人がいる。体面を気にする私にとってそれはできなかった。
私とKと奥さんの3人で鉛のような夕食をとった。さすがにお嬢さんは同席しない。私はKの前で奥さんの口から私とお嬢さんのことを話されてはたまらないとヒヤヒヤしていた。部屋に帰ってKへの弁解を考えたが、どれも不十分であった。
私にKになんとか事態を告げようと考えたが、倫理的に否を自認している私には至難の業であった。
奥さんに頼んで私のいない間にありのままを告げてもらっても、面目がないのは変わりない。こしらえごとを話してもらおうとすれば、理由を話さねばならず自分の弱点をさらすことになる。結婚する前から恋人の信用を失うことは耐えられない。
私は、正しい道(Kに謝罪する)を歩くつもりで、足を滑らせた(自分の体面のためにその機会を逸した)馬鹿者、狡猾な男であった。その事に気づいているのは、天と私の心だけである。私は滑ったことを隠したがる(Kに真実を告げて謝る)と同時に、前に出ずにはいられなかった(お嬢さんとの結婚話を進める)。
五、六日後、奥さんがKに私とお嬢さんの結婚を告げたことがわかった。その時Kは最も落ち着いた驚きで迎えたらしい。「そうですか」と一言だけ言い、席を立つ時に「結婚はいつですか」「何かお祝いをあげたいが、私には金がないからあげることができません」と言った。Kは落ち着いていたのは、1)動揺したが平静を装ったのか、2)お嬢さんのことはあきらめていたのでどうでもよかったのか。
私はそれを聞いて胸がふさがるような苦しさを覚えた。Kは話を聞いてから二日立つが、私には以前と異なる様子を見せなかった。その超然とした態度と私の態度を比べて、「策略では勝っても人間として負けたのだ」という感じが胸に渦巻いて起こった。それでも、今さらKの前に出て恥をかかされるのは、私の自尊心には苦痛だった。
9.Kの自殺 授業
奥さんがKに私とお嬢さんの婚約をK話してから二日後、私が進もうか(Kにお嬢さんとの婚約を話そうか)よそうかと考え、とりあえず明日で待とうとしたその夜、Kが自殺する。たまたま襖の方を枕にして寝ていたので開いた襖から吹く風に気がついた。それはこの前の晩と同じであった。
Kの部屋を見るとKは自殺していた。第一の感じは、Kに恋を告白された時と同じであった。私の目はガラスで作った義眼のように動く能力を失い、棒立ちになった。次に、私がKを殺してしまったことが世間に明白になり、私の未来は取り返しのつかない黒い光に照らされてしまうことになると、「しまった」と思う。このあたりの心境は『Kの告白』で改めて考える。
それでも私は冷静に、Kの遺書を見つける。それは予期したように私宛になっていたが、予期したような私を責める内容が書いてあれば奥さんやお嬢さんに軽蔑されると思い恐れる。しかし、遺書を読んで助かったと思った。それは世間体の上だけだが、体面や恥を気にする私にとっては最大の関心事であった。
遺書の内容は、1)Kが薄志弱行で行く先の望みがないから自殺するだけで、最後に2)もっと早く死ぬべきだった、なぜ今まで生きていたのだろうと、書き添えてあった。しかし、3)お嬢さんの名前はなく、私はKがわざと回避したのだと思った。
ここで、Kの自殺の原因を考えるポイントは、1)薄志弱行とは何に対する意志の弱さか、
2)もっと早く死ぬべきだったとは何時か、3)お嬢さんの名前を回避したのはなぜか、そして4)襖か開いていたのはなぜかである。
この部分だけを先に読めばわからないが、以前の部分から読み進んで来ると、
1)は、a)道を捨てて恋をしてしまったことなのか、b)お嬢さんを失ったことなのか、c)信頼していた私に裏切られて一人で生きていけないことなのか。
2)は、a)お嬢さんに恋をした時なのか、b)私に恋を告白した時なのか、c)「覚悟ならある」と言った時なのか、d)私とお嬢さんの結婚を知った時なのか。e)あるいは、実家から勘当された時なのか。死ぬ時期が遅れたのは、a)お嬢さんを諦められなかったからか、b)私の謝罪を待っていたのか、c)私もお嬢さんが好きなのに告白してしまって私を追い詰めたことを謝罪したかったからか、d)なんとか一人で生きていこうとしていたからか。
3)は、a)未練たらしく思われたくなかったからか、b)お嬢さんに迷惑が掛かると思ったからか、c)お嬢さんのことはきっぱり諦めていて書く必要もなかったからか。
4)は、a)私への当てつけか、b)お嬢さんや奥さんに発見されて恐怖心をあおりたくないので私に発見させるようにしたのか、c)私に謝罪しようとしたができなったのか。
先にこの部分だけを読み、Kの自殺を考えるポイントを提起し、絶えずKの自殺を念頭に起きながら、Kの態度に変化が現れる図書館での『Kの迷い』から読み進んでいく。そして、この部分にたどり着いた時、もう一度Kの遺書を読み、Kの自殺の原因を考える。しかし、正解は、『私の自殺』と重ねることによって明らかになる。
10.私の結婚 授業
Kの葬式で、私はKの自殺の原因について質問される。第一発見者であり、唯一の親友であったのだから当然の人選だが、私はその質問の裏に、お前が殺したのだろうという声を聞く。それはそういう自覚があったからである。遺書のおかげで、私の罪はばれず、Kはきちがい扱いまでされる。しかし、ばれなかったことが却って真綿で首を絞めるように私を苦しめる。ただ、お嬢さんの名前が出なかったことは幸いだった。
引っ越し、卒業、結婚。私は外面上は幸福の連続であった。しかし、この結婚が自殺への導火線に火をつけたことになっていたのであった。ある日、妻が私をKの墓参りに誘う。妻はKに結婚を報告して喜んでもらうつもりだっただろうか、私は心の中で済まないと繰り返すだけだった。早くも二人の間に亀裂が走る。穿った見方をすれば、妻は私の所業を知っていて、私を誘ったとしたら、じわじわと私を苦しめ、死にいたらしめる序章であったとも考えられるが、考えすぎだろう。
私が自殺の導火線になる結婚に不安があったが、もしかしたら新しい生涯へのプロローグになるかもしれないとの一縷の望みをかけたが、無残にうち砕かれる。妻が中間に立ってKと私をどこまでも結びつける。私はこの一点おいて妻を遠ざける。妻からは詰問や怨言を受ける。そのころの私には結婚前のような自尊心はなく自分を飾る必要はなかった。ありのままを話せば妻も許してくれることは分かりながら、妻にKの自殺に関係していることを知らせないために、つまり妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかった、純白なものに一滴のインキも振りかけるのは苦痛であった。とすれば、Kが遺書にお嬢さんの名前を書かなかった理由も自然と納得される。Kも自分の自殺にお嬢さんを巻き込みたくなかったのだ。ただ、穿った見方をすれば、妻はそんなことは先刻承知で私のひとり相撲だったかもしれない。
私は腕組みをして世の中を眺めだした(何もしないで過ごすようになった)。妻は心の弛みだと言うが、実際は叔父に裏切られ人に愛想を尽かしたのに、Kを裏切ってしまい自分にも愛想を尽かしてしまったのだ。
それを妻に説明できない自分が悪いのだが、たった一人親愛する妻にも理解してもらえない寂しさを痛感する。その時、はたと、Kも唯一の親友だと思っていた私に理解されない寂しさのために自殺したのではないかと思い当たる。Kは奥さんから婚約の話を聞かされた時、「覚悟」の意味をお嬢さんに進むと誤解されたことに気づいて、驚いたのだ。自分はそんな人間に見られていたのかというショックである。そして、私は、私もKと同様自殺するのかとこの時初めて自覚して、ぞっとする。
11.私の自殺 授業
私が世の中に意欲を持とうとすると、そんな資格はないと私を押さえつける力が働く。私の内面には常にこうした苦しい戦争があった。そんな繰り返しに私は疲れ果てる。その時、一番楽な努力で遂行できる道として、自殺が手を広げて待っている。Kの遺書にあった「薄志弱行」とはこのことだったのだろう。しかし、私は妻を一人残すことが不憫で、また一緒に死ぬ勇気もなく思い止まる。穿った見方をすれば、妻は一人でも生きていけるし、それを願っていたと考えると、身も蓋もなくなってしまう。
そんな私もついに自殺を決意する日がくる。その引金になったのが、明治天皇の死であり、乃木大将の殉死である。明治の精神は天皇に始まって天皇に終わった。厳格と完全を求める古い部分と、自由と独立を求める新しい部分を表裏一体に併せ持った明治の精神を生きた自分の、そろそろ引き際だと思った。お嬢さんへの恋に代表される新しい精神と、Kに体する罪悪感を担い続けた古い精神。そんな明治の精神を体現している自分が次の時代を生きるのは時代後れだと感じた。
気になる妻も一人で残す決意をした。乃木大将のように妻を道連れにするのは、忍びなかった。たが、妻には残酷な血の色は見せたくないし、自分のおぞましい過去も知らせたくない。妻はいつまでも純白のままでいてほしい。Kが襖を開けたまま自殺したのも、私に発見させることでお嬢さんに血の色を見せたくない思いからだったのだろう。たとえ、きちがい扱いされてもいいとも思ったのだろう。
私は、Kに対する罪悪感で何をするのも許されない人間であったが、最後に長い遺書を書くことによって、こんなふうにして生きてきた自分を、明治の精神を、青年の胸に記憶してもらおうとした。その試みは、成功したのだろう。
授業観
教科書に掲載されている部分は一部なので、教科書までのあらすじを、二人の生い立ちと関係、Kの告白と私の悔恨までの部分を「恋愛か友情か」という身の上相談的なプリントで考えさせておく。
教科書の部分でまず気になるのは、『九.Kの自殺』である。自殺の夜の状況や遺書から自殺の原因を考える。各自初見の段階で理由を書かせ、グループに分かれて話し合わせる。これが今後どのように変化していくかがわかるように、一枚もプリントに以後も書き込めるようにしておく。また、グループの結果は掲示板に張り出して、他のグループも見れるようにしておく。
そして『三.Kの告白』に戻り、Kがお嬢さんへの恋を私に打ち明けた時のことを考える。そして『四.Kの迷い』で、私がKの平生とKの揺れ動く気持ちを対比しながら、Kのやりとりしていく様子を追う。そして、Kの「覚悟」という言葉までを導く。この段階で、二人の会話部分を抜き出して、ロールプレイをさせる。Kの平生からすれば恋を諦めるとタカをくくっていたが、襖事件を境に、Kがお嬢さんへの恋に進むと思い込む。『七.私の疑念』まで進んで、「覚悟」の意味について、2回目の書き込みをさせ、グループで話し合わせる。現代人のように優柔不断ではないKの性格が正確に把握できるかどうかが鍵になる。
この後、私は最後の決断をして、奥さんに談判し、Kを自殺に追い込むことになるのだが、この事態になるまで、さまざまな事柄を確認したくなる。
まず、二人の友情はどのようなものだったのか。Kの告白前、房州を旅した時の『一.房州旅行』に戻る。二人の特殊な友情、Kに対する劣等感、Kの人を寄せつけない態度からお嬢さんに対する安心、Kもお嬢さんが好きなのではないかという根拠のない不安を確認する。
そんなKがなぜお嬢さんに興味を持ったのか。『二.私とお嬢さんとK』で、お嬢さんの思わせぶりな態度を確認する。また、私がもっと早くお嬢さんに告白していれば、こんな問題は起こらなかったはずである。私がお嬢さんに告白しなかった理由を確認する。
こうしたことを確認した上で、『七.私の告白』から『九.Kの自殺』までの、最後の決断、奥さんへの談判、私の罪悪感について考える。『Kの自殺』まで終わった段階で、私とお嬢さんの婚約を知ったKの落ち着いた態度の意味を考えながら、Kの自殺の原因について、3回目の書き込みと話し合いをさせる。
さらに、『十.私の結婚』以降の部分を読み、私の自殺の原因を考えていく内に、私とKは双子のようであることを理解し、私の自殺の理由を考えることによって、Kの自殺の原因について、4度目の書き込みと話し合いをさせる。
0.あらすじ 板書
1.「こころ」の全文、少なくとも教科書部分を読んで感想を書くことを宿題にする。
2.「恋愛か仕事か」と「『こころ』軌跡」の配布し、自分ならどちらを選ぶかとその理由を「『こころ』軌跡1」に書かせる。
3.「こころ」全体の構成を説明する。
上〈先生と私〉は、学生である私と先生の出会い。
中〈両親と私〉は、私の重病の父親の看病。
下〈先生と遺書〉は、先生の遺書。ここでの「私」は「先生」のこと。
4.「下」の教科書までの「あらすじ」を配布して説明する。
●私
・病気のために両親を失う。
・遺産の管理を託していた叔父に裏切られ、極度の人間不信に陥る。
・遺産を整理して上京する。
・下宿の奥さんとお嬢さんの世話になり、人間不信が静まる。
・お嬢さんが好きになる。
●私=K
・幼なじみで大学の同級生。
●K
・寺の子に生まれ、医者の家に養子になる。
・「精進」を好み、偉くなるためにすべてを犠牲にする。
・大学で医学を学ばず、哲学を学んだために勘当される。
・経済的に苦しく、神経衰弱に陥る。
●私→K
・下宿に同居させ、お嬢さんに親切にするように頼む。
●K
・心が打ち解けていく。
・お嬢さんと親しくなる。
●私→K
・Kがお嬢さんと親しくなるにつれて、Kに嫉妬する。
5.教科書に段落番号を付ける。
四 ある日私は久しぶりに〜私は違っていました。
五 私はちょうど他流試合〜〜自分の部屋へ引き取りました。
六 そのころ覚醒とか新しい生活とか〜いちずに思い込んでしまったのです。
七 私は私にも最後の決断が〜水道橋のほうへ曲がってしまいました。
八 私は猿楽町から神保町の通りへ出て〜私の自尊心にとって大いな苦痛でした。
九 私が進もうかよそうかと考えて、〜血潮をはじめてみたのです。
十 Kの葬式の帰り道に〜愛想をつかして動けなくなったのです。
十一 死んだつもりで生きていこうと〜すべてを腹の中にしまっておいてください。
6.Kの遺書の部分を読み、内容を確認する。
1)薄志弱行で行く先の望みがない。
2)お嬢さんの名前だけはない。
3)もっと早く死ぬべきだった。
7.Kの部屋との仕切りの襖が開いていることを確認する。
8.問題点を整理する。
1)何に対する意志が弱かったのか。
2)なぜKはお嬢さんの名前を書かなかったのか。
3)死ぬべき時期とは何時だったか。また、なぜ死ねなかったのか。
4)なぜ襖が開けてあったのか。
9.「『こころ』軌跡2」にKの自殺の原因を書かせる。
10.グループに分かれて意見を交流し、発表する。
11.これらの問題点を頭において、さかのぼって読解していく。
3.Kの告白 板書
1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.読み方を確認する。
3.語句の意味を確認する。
細君 | 親しい人に対し、自分の妻をいう語。 | |
年始 | 新年を祝うこと。また、新年のあいさつ。 | |
注視 | 注意深くじっと見ること。 | |
平生 | ふだん。いつも。つね日ごろ。 | |
一段落 | 物事が一応かたづくこと。ひとくぎり。 | |
咀嚼 | 言葉や文章などの意味・内容をよく考えて理解すること。 |
所作 | 身のこなし。しぐさ。 | |
胸に一物 | 口には出さないが心の中にたくらみを抱くこと。 | |
談判 | 件やもめごとに決着をつけるために相手方と話し合うこと。交渉。 | |
天性 | 天から授けられた性質。また、生まれつきそのようであること。 | |
悄然 | 元気がなく、うちしおれているさま。しょんぼり。 | |
尻馬 | 人の言動に便乗して事を行うこと。 |
彷徨 | 目的もなくあちこち歩き回る。その辺りを行ったり来たりする。 |
羞恥 | 恥ずかしいと思うこと。 |
精進 | 一つのことに精神を集中して励むこと。一生懸命に努力すること。 |
侮蔑 | 見くだしさげすむこと。 |
刹那 | きわめて短い時間。瞬間。 |
卒然 | 事が急に起こるさま。だしぬけ。突然。 |
1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.読み方を確認する。
3.語句の意味を確認する。
覚醒 | 目を覚ますこと。目が覚めること。 |
一意 | 一つの物事に心を集中すること。 |
熾烈 | 勢いが盛んで激しいこと。 |
果断 | 物事を思いきって行うこと。決断力のあること。 |
煩悶 | いろいろ悩み苦しむこと。 |
懊悩 | なやみもだえること。 |
★私の覚悟の解釈が正しかったのかを確かめるために、Kが告白する以前の二人の関係を考える。
1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.読み方を確認する。
3.語句の意味を確認する。
4.「Kはあまり旅に出ない〜うちへ連れてきたのです」を音読する。
5.私がKを海に突き落とそうとした場面を確認する。
・この頃から、私はKを邪魔者だと感じていた。
・Kの超然とした態度をとる。
6.Kの心理状態を確認する。
1)Kなら女性に興味がないと思って下宿に連れてきた。
2)神経衰弱がだいぶよくなっていた。
3)一種の自信を持っているように見える。
○学問や事業について前途の光明を取り返した。
×お嬢さんへ向けられるなら許せない。
7.「私は思い切って〜不安に立ち返るのです」を音読する。
8.以前に私がKにお嬢さんへの恋を打ち明けようとしていたことについて
1)打ち明けようとした理由は。
・Kに柔らかい空気を吹き込んでやりたい。
・柔らかい空気とは、恋愛。
2)打ち明けられなかった理由は。
・Kの様子が強くて高かったから。
3)私の気持ちは。
・安心していた。
9.私のKに対する劣等感をまとめる。
・容貌は女に好かれる。
・性格はこせこせしていない。
・間が抜けていて,それでいてどこかしっかりした男らしさ。
・学力でも優れている。
★全ての点でKにはかなわないと思っている。
★生徒のKに対する暗いと言うイメージを払拭させる。
10.「たしかに翌くる晩の事〜残念だと明言しました」を音読する。
11.「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」について
1)Kの気持ちは。
・私を軽薄だと侮蔑している。
2)私の気持ちは。
・お嬢さんに恋をしている。
・「人間らしい」と言う言葉で弁解する。
3)Kの返答は。
・自分の修養が足りない。
・難行苦行の人を目指している。
★私はKとお嬢さんの関係に不安を抱いているが、どんなことがあったのかを読んでみる。
1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.読み方を確認する。
3.語句の意味を確認する。
書見 | 書物を読むこと。 |
|
後生大事 | 物事を大切にすること。 | |
分別 | 道理をよくわきまえていること。 |
|
瑣事 | 取るに足らないつまらないこと。 |
|
哲理 | 人生や世界の本質などに関する奥深い道理。 |
|
迂遠 | 実際の用に向かないさま。 |
事を運ぶ | うまく処理する | ||
生返事 | いいかげんな受け答え。はっきりしない返事。 | ||
給仕 | 食事の席にいて世話をすること。 |
||
頓着 | く気にかけてこだわること。 |
||
拘泥 | こだわること。必要以上に気にすること。 |
1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.読み方を確認する。
3.語句の意味を確認する。
界隈 | そのあたり一帯。付近。 | |||
きまりが悪い | 他に対して面目が立たない。恥ずかしい。 | |||
挙止動作 | 立ち居振る舞い。 | |||
至難 | この上なくむずかしいこと。 |
|||
面目 | 世間や周囲に対する体面・立場・名誉。また、世間からの評価。 |
|||
詰問 | 相手を責めて厳しく問いただすこと。 |
|||
狡猾 | ずるく悪賢いこと。 |
|||
窮境 | 非常に苦しい境遇・立場。 |
|||
なじる | 相手を問いつめて責める。詰問する。 |
|||
どうりで | またそうである道理がわかって納得するさま。なるほど。 |
|||
別段 | (あとに打消しの語を伴って用いる)特にとりたてて言うほどではないさま。 |
1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.読み方を確認する。
3.語句の意味を確認する。
因縁 | 仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。 |
国元 | その人の郷里。故郷。 |
厭世 | 世の中をいやなもの、人生を価値のないものと思うこと。 | |||
引き合い | 証拠・参考として例に引くこと。 | |||
顛末 | 事の最初から最後までの事情。一部始終。 | |||
冷罵 | あざけりののしること。 | |||
年来 | 数年前から続いていること。ここ数年。長年。 | |||
詰問 | 相手を責めて厳しく問いただすこと。 | |||
癇 | ちょっとしたことにも興奮し、いらいらする性質・気持ち。 | |||
怨言 | うらみの言葉。怨語。 |
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懺悔 | 犯した罪悪を告白して許しを請うこと。 | |||
容赦 | ゆるすこと。大目に見ること。手加減すること。控え目にすること。 |
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駆逐 | 追い払うこと。 |
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スポイル | 損なうこと。台なしにすること。特に、甘やかして人の性質などをだめにすること。 |
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愛想をつかす | あきれて好意や親愛の情をなくす。見限る。 |
歯がゆい | 思いどおりにならなくて、いらだたしい。もどかしい。 | |
畢竟 | さまざまな経過を経ても最終的な結論としては。つまるところ。結局。 |
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述懐 | 思いをのべること。過去の出来事や思い出などをのべること。恨み言をのべること。愚痴や不平を言うこと。 |
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崩御 | 天皇・皇后・皇太后・太皇太后を敬ってその死をいう語。 |
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殉死 | 君が死亡したときに、臣下があとを追って自殺すること。 |
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頓死 | 突然死ぬこと。急死。 |
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酔狂 | 好奇心から人と異なる行動をとること。物好きなこと。 |
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