木曽の最期チェックテスト
組 番 氏名
1.イ音便は△、ウ音便は◎、促音便(つ)は○、撥音便(ん)は□で囲みなさい。
1)極めて太う逞しいに、金覆輪の鞍置いてぞ乗つたりける。鐙踏んばり立ち上がり、
2)互ひによい敵ぞ。義仲討つて、兵衛佐に見せよや。」とて、をめいて駆く。
3)日ごろは、何ともおぼえぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。
4)三浦の石田次郎為久、追つかかつて、よつ引いて、
2.尊敬語は一重線、謙譲語は二重線、丁寧語は波線を引け。
1)のたまひけれども、なほ落ちも行かざりけるが、あまりに言はれたてまつりて、
2)御身も、いまだ疲れさせたまはず。御馬も、弱りさうらはず。
3)それは、御方に御勢が候はねば、臆病でこそ、さは思しめしさうらへ。
4)矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕まつらん。
5)さる者ありとは、鎌倉殿までも知ろしめされたるらんぞ。兼平討つて、見参に入れよ。
6)日本国に聞こえさせたまひつる木曾殿を、三浦の石田次郎為久が討ちたてまつりたる。
3.空欄に教科書の言葉を入れよ。
- 木曾義仲は立派な鎧を着、立派な武器を持ち、立派な馬に乗り、名乗りながら( )と戦った。義仲の軍勢は( )騎、敵の( )騎の軍勢と様々な陣形で戦い、最後には( )騎になっていた。続いて( )の軍勢( )騎と戦い、さらに( )騎、( )騎、( )騎、( )騎の敵の中を駆け抜けた後、義仲の軍勢は( )騎になっていた。その中に( )がいたが、義仲の説得によって( )の軍勢( )騎と戦い、その首を取って( )へ落ちのびて行った。さらに残った義仲の部下の内( )は討ち死にをし( )は落ちのびて行った。
- 木曾義仲は( )と2人になった。義仲が弱音を吐くと今井は義仲を励まし( )で( )することを勧める。その時、新しい敵が( )騎現れ、今井は義仲を急がすが義仲は聞かない。しかし、今井がさらに執拗に説得するので、とうとう義仲は( )へ駆けていった。
- 今井四郎兼平は一騎で( )騎の敵の中に入った。今井の木曾義仲との関係は( )で年令は( )だった。今井は( )騎の敵を射落とした。一方、義仲は一騎で( )へ行った。時は( )の( )ごろだったので、( )に( )が張っていたのに気がつかずはまってしまった。( )がその義仲の( )を射て、( )に首を取らせて名乗りを上げた。今井はそれを聞いて自害した。
4.次の設問に答えよ。
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- 五騎がうちまで、巴は討たれざりけり。木曾殿、「1)おのれは、疾う疾う、女なれば、いづちへも行け。我は、討ち死にせんと思ふなり。もし人手にかからば、自害をせんずれば、『木曾殿の最後の戦に、女を具せられたりけり。』なんど言はれんことも、しかるべからず。」とのたまひけれども、(以下略)今井四郎、木曾殿、ただ主従二騎になつてのたまひけるは、「2)日ごろは、何ともおぼえぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。」今井四郎申しけるは、「3)御身も、いまだ疲れさせたまはず。御馬も、弱りさうらはず。何によつてか、一領の御着背長を重うは思しめしさうらふべき。それは、御方に御勢が候はねば、臆病でこそ、さは思しめしさうらへ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎と思しめせ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕まつらん。あれに見えさうらふ、粟津の松原と申す。4)あの松の中で御自害候へ。」とて、打つて行くほどに、また、新手の武者五十騎ばかり出で来たり。「君は、あの松原へ入らせたまへ。兼平は、この敵防きさうらはん。」と申しければ、木曾殿のたまひけるは、「義仲、都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れ来るは、汝と一所で死なんと思ふためなり。所々で討たれんよりも、一所でこそ討ち死にをもせめ。」とて、馬の鼻を並べて駆けんとしたまへば、今井四郎、馬より飛び下り、主の馬の口に取りついて申しけるは、「弓矢取りは、年ごろ、日ごろ、いかなる高名候へども、最期の時不覚しつれば、長き疵にてさうらふなり。5)御身は、疲れさせたまひてさうらふ。続く勢は候はず。敵に押し隔てられ、言ふかひなき人の郎等に組み落とされさせたまひて、討たれさせたまひなば、『さばかり日本国に聞こえさせたまひつる木曾殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつつたる。』なんど申さんことこそ、くちをしうさうらへ。ただ、あの松原へ入らせたまへ。」と申しければ、木曾、「さらば。」とて、粟津の松原へぞ駆けたまふ。
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- 1)木曽殿が1)と言った表の理由と裏の理由を説明せよ。
- 2)木曽殿が2)と言った理由を説明せよ。
- 3)今井が3)5)と矛盾したことを言っている理由を説明せよ。
- 4)今井が4)のように木曽殿に自害を勧めている理由を説明せよ。