十八史略
中国の戦国時代、秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の7つの強国が覇を争っていた。最強国は秦で、他の六国は秦と同盟するか戦うかが国の存亡の大選択であった。蘇秦は遊説家で、
最初秦に他の六国と同盟を結ぶ連衡策を説くが、外国人排斥意識の強かった秦には採用されなかった。そこで、燕へ行き、連衡策とは正反対の合従策を説く。国への忠誠心も、戦いに苦しむ民衆への思いもなく、ただ己の出世のために口先だけで策謀を巡らす。燕王はその策を採用し、趙へ遣わす。趙王も説得に成功し、ついに六国の宰相になる。その時に使ったのが「鶏口牛後」の諺である。小国の国王の自尊心をうまくくすぐった弁舌であった。
ここでは、口先だけで時代を生きる蘇秦の生き方と、その弁舌の巧みさを学習する。
0.学習プリントを配布し、原文の写しを宿題にする。
1.一文ずつ、生徒に音読させ、読みと返り点を確かめる。
2.一文ずつ、黒板に書き下し文を書かせ、添削する。
3.教科書の音読させ、時代背景を確認する。
・戦国時代を教科書の付録の年表で確認する。前四〇三年で、日本では弥生時代である。
・秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の7つの強国があった。地図で確認する。
・その中で、秦が最強で、他の国は秦といかに対処するかが重大事であった。
4.国名、人名に線を引かせ、関係を整理する。
・洛陽=蘇秦
・秦=恵王
・燕=文侯 ─┐
・趙=粛侯(大王)│
・楚 ├─諸侯
・斉 │
・韓 │
・魏 ─┘
5.秦人恐喝、諸侯求割地。有洛陽人蘇秦。游説秦恵王不用。
1)秦人=地名や国名の次の「人」は「〜の国」の意味である。
2)諸侯=秦以外の国の王。
3)割地=土地を割いて譲る。割譲する。
4)游説=意見や政策を各国に説いて回る。「游」は「遊」の本字で、勉学や仕官のために他国へいくこと。
5)用ヒラレ=「られ」は受身の助動詞。
6)蘇秦について説明する。
・遊説家。
・鬼谷先生に学ぶ。
・数年間各国を遊説して回るが、失敗し、故郷に帰り、妻や親戚から嘲笑される。
7)秦の恵王に遊説した内容は。
・他の6国と同盟を結ぶ連衡策を説いた。
8)秦の恵王に採用されなかった理由は。
・外国人の商鞅の政策が失敗した後なので、外国人を極度に警戒していたから。
6.乃往説燕文侯、与趙従親。燕資之、以至趙。
1)乃=順接。そこで
2)従親セシメントス=「しめ」は使役の助動詞、「む」は意志の助動詞。
3)資之=蘇秦
4)至ラシム=「しむ」は使役の助動詞
5)陳舜臣の『小説十八史略』の該当部分を配布して、燕の文侯への説得を解説する。
・土地をほめてから、改革点を指摘する。
・趙が秦の防壁になっている。趙と和睦すべきである。
・秦に遊説したときには連衡策を、燕には合従策を述べている。
・国への忠誠とか民衆への救済という社会的な使命感はなく、自分の利益と保身のために、巧みな弁舌を弄するだけの策謀家で
ある。
・蘇秦は6国の宰相になり、天下を統一して、皇帝になるという野望を持っている。
7.説粛侯曰「諸侯之卒、十倍於秦。并力西向、秦必破矣。為大王計、莫若六国従親以擯秦」粛侯乃資之、以約諸侯。
1)卒=兵士
2)西向=西には秦がある。
3)計=考える。
4)莫シ若クハAニ=比較の句法。Aに越したことはない。
5)以=そこで
6)約セシム=「しむ」は使役の助動詞。
7)陳舜臣の『小説十八史略』の該当部分を配布して、趙の粛侯への説得を解説する。
・燕と趙の2国の同盟では不十分である。
8.蘇秦以鄙諺説諸侯曰「寧為鶏口、無為牛後」於是、六国従合。
1)寧ロAトモ、無カレBスルコト=選択の句法。たとえAしても、Bしてはいけない。
2)於是=そこで
3)従合=「従親」と同じ。
4)鄙諺とは何を指しているか。
・「寧為鶏口、無為牛後」
5)ここでは、「鶏口」「牛後」は何をたとえているか。
・鶏口=小さな国の国王
・牛後=大きな国(秦)の属国
6)蘇秦の説得が成功した理由を考える。
・諺を使って分かりやすかった。
・国王の自尊心に訴えた。
9.「鶏口牛後」を現在の例に当てはめさせる。
・大企業の一社員として働くよりも、企業家として小さな会社を経営する。
10.その後の蘇秦の人生を説明する。
・6国の宰相を兼任する。
・故郷に帰ると、妻や家族が手のひらを返したように金持ちになった蘇秦を手厚くもてなす。
・鬼谷先生の弟子であるライバルの張儀の策謀で、秦が斉と魏を欺き、趙を討たせた。
・蘇秦は趙王に責められ、燕へ逃げる。
・燕の王の母(初老の老女)と密通し、斉に亡命する。
・そこで張儀の差し向けた刺客に暗殺される。
![]() |
![]() ホーム |