1.日野小学校の事件が身近にありました。結果は中学生や高校生ではなかったけど、「エイジ」のように報道陣やたくさんの警察の人たちが近所でをうろうろしていました。小学生か誰かの証言で、犯人は中学生くらいのということでした。それから、私の中学校の人が疑われました。私の友達とかが報道陣の人たちに「誰がその日学校に来ていなかった」とか「そういうことをしそうな人は誰か」とか聞いて回っていました。みんなも、「あの人がやりそうだなぁ」とか話していました。でも、学校の先生が犯人はいないと言ってくれたときはうれしかったです。「エイジ」で関係のない人を殴るたりするときの心理、私は普通じゃないと思います。でもそうさせているのは回りの環境だと思います。常日頃から気をつけていれば中高生の犯罪は減っていくと思います。

2.この話は、妙にリアリティーがあって、話に入り込んだような気になります。クラスの人と一緒にしゃべっているような感じで面白いです。

3.いやな言葉がどんどん「中学生」に引き寄せられているみたいだと書いてありました。現実にも、「中学生」や「17歳」にいやな言葉は引き寄せられていると思う。でも、「中学生」や「17歳」の人たち全員が少年犯罪で悪いことをするわけじゃないのにどうしてそうなるんだろうと思いました。

4.犯人の子はどういう気持ちでエイジたちの会話を聞いていたのでしょう。そこら中で自分の噂が出るから、ヒヤヒヤして聞いていたのか、逆にゾクゾクして聞いていたのか。何回も反抗しているところを見れば、おそらく後者だろうと思いました。やっぱり犯行がばれてショックだったのは本人よりも周りの人だったと思います。

5.私はこの話に出てくる人達は世間でいう普通の人だと思います。今の世の中は「明日知らぬ世」なのにほとんどの人が「当たった者の分の悪さ」になってしまっていると思います。

6.中学生はすぐ「切れる」とか「荒れる」とか書いてあって犯人をすぐ中学生にする。私はそういうのがすごく嫌だ。

7.そういえば、「通り魔」なんていう単語は、最近では私の中で、怖いものという感覚がなくなってしまったなぁと思いました。実際に被害に遭った人々は、言葉にいい表せないほどの恐怖を体験したかもしれないけど、そうでない私には、ちょっとも怖くないものになってしまいました。でもそうなってしまったことには、恐怖を感じました。もしかして、これから「誘拐」「殺人」とかいったことが単語化してしまっただとしたら、きっと、生きていくのが怖くなりそうです。特に私たち子供は、どんなことにも影響を受けるから、新聞、テレビなどで大袈裟に、そして表面的にとらえて評価するじゃなくて、私たちがこれからそういうことを起こさないようにどうするべきだとか、私たちにとって強い刺激を与えすぎないようなないようにしてほしいなぁと思いました。

8.「少年」というだけで、ストレスや歪んだ性欲、現代社会の〜、といった型にはめようとする社会をおかしいと思う。ゆがんだせい浮く社会は少年を自分たちの望むような形に変えて、学校や家庭を非難すのかなと思った。

9.ぼくもこういうふうな体験をしたことがあるが、本当にいっぱいの報道陣が来て、全然違ったことをテレビで流れたりした。この物語も同じような光景だった。

10.僕らにも以前同じようなことがあったのをよく覚えている。僕はB中学だったので、あまり真実味がなかったけれど、A中の人は大変だったと思う。エイジの学校みたいに、この中に犯人がいるかもしれないと思ったはずです。実際エイジでは自分の学校のしかも同じクラスの中に犯人と思われる人がいたわけで。それで、最近いつもこういう事件がある度に思うことは、ほとんどごく普通の少年の犯行。と書くことである。確かに知らない人が見れば「普通」かもしれない。でも、普通の人はそんなことはしないと思う。そうなると「普通」と言う言葉の意味もわからなくなってくる。しかも、中学生の犯行ということで、話題にもなるし、スポーツ新聞としては、この上ないネタである。ほんとうに犯人に興味があるのではなく、「中学生」の方に気が向いていると思った。

11.先生に読んでもらえて楽チンで初めは思っていた。だけどだんだん話が面白くなっていくにつれて、本を読むのが嫌な私も自分から本を読んでいた。自分でもびっくりした。先生が読み出すのが待ちきれなかった。この方は生徒の性格がよく出ていて、「ああいるいうこんな奴」と言ったように共感できるところもあった。でも犯人がタカやんだったって分かりづらかった。こんな最初から犯人がわかっていいあろうか?この後はどんな展開になるのか楽しみだ。

12.これはある事件をもとにして書かれたものだが、私も読んでいて一緒に緊張感を感じた。すごくハラハラした。初め同じクラスでこの友達の中に犯人がいたら面白いやろうなと思ってた。実際犯人はこの友達の中にいてびっくりした。まして中学生なんて。それ最近、中学高校生の犯罪が増えていて、何かあればすぐ中学生、高校生といわれて自分もすごく嫌な気分になる。きっと友達もどうしたらいいか分からないと思う。私も友達の中に犯人なんかいたら、自然的に無視してしまうだろう。また犯人も学校に行きづらいと思う。続きが気になる。

13.いろんなことがいやになったり、家庭内の事情とかもあるんだったら、そこはそれでちゃんと考えた方がいいと思う。私だっていいろんなことにイライラするときもあるけど、いつの間にかおさまっているから、この通り魔をした人は自分の居場所を見つけていたら、通り魔なんてしなかったと思う。

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まじめ・おとなしい・普通


▼マジメとは大人の思うがままに動くモノである。フツウとは平均的な大人の都合のいい定度のモノである。オトナシイとは大人に刃向かわず従順な羊のようなものである。大人の人たちはこんなモノたちが犯罪を犯すわけが絶対にするわけがない、モノたちは私たちに従順なはずなのにとでも思っているのであろう。まるで一昔前のSFものみたいに思えてしまう。人間のために働いていたロボットたちが反乱を起こしてしまったみたいだと思います。私も他の人から見ると、そんな中の1人らしい。私はのんびりとしていただけなのに。けれどみんなは「個性を出す」とか「他の人のまねなどはしない」とか言いながら流行にはまっている時点で集団の内のひとりになっているんじゃないかなと思います。みんな個性とか言いながら、1人になるのが恐いみたい。昔の人が言ってた「人が1番恐れているのは孤独だ」みたいだな。
▼まじめ、おとなしい、普通について、これもよくテレビや新聞で言っている。でも、どういう人が普通なんだろうって思う。私は誰だって普通だと思う。中学生とかがちょっと何かしただけで「普通の子が」とか「おとなしい子が」とかすぐ新聞とかTVで言っている。普通の人じゃないみたいに書いてある。テレビや新聞は「普通」とか「真面目」とか「おとなしい」という言葉が流行しているからすぐに使いたがる。使われている方は、犯人で悪いことをした人かもしれないけど、そんなことを言われたら、やり直そうと思っても、やり直せないと思う。普通、まじめ、おとなしい、そんな言葉を簡単に使ってほしくないと思いました。
▼私たちがいつもいう「普通」と、大人たちがいう「普通」は少し基準が変わっている気がする。大人たちは、普通やまじめの型にはめ方があって、子供たちは、大人の所有物でといった感じがする。子供は、かわいらしく、おとなしく、なんて思って、子供の変化に気づかない親が増えているから、何かが起こったときに、学校に責任を押しつけたり、夫婦間で押し付き合ったりするだと思う。子供は親のものではないし、親も子供のものでもない。親も子供も違う人間なのだから、最低限度「常識」はあっても、「普通」なんかないと思う。私たちが使う「普通」は、個性を食いつぶしてしまって、そのうちに自分の意見ひとつ言えない人間をつくってしまう気がする。私には「普通」の意味はわからないけど、もう一度「普通」いや「まじめ」の意味を考え直さないといけないと思う。
▼普通の子供とか真面目な子と言うのはどっちにしても見た目とかで言っているだけだと思う。でも見た目でも、そういう判断をしてはいけないと思う。普通の子、まじめな子の基準がわからない?。でも親は自分の子をほめず、よその子をほめるようなことが多いと思う。それは見たとき、おとなしかったりしたら、その印象が強くて、「まじめでおとなしい子」と言うんだと思う。


少年法の是非

▼僕は少年法はあってもよいと思います。それは幼いとき、未成年で罪を犯しても形に課せられない。僕は幼いときのことで心に深い傷をその少年に与えたくないと思う。けれど人を傷つけるのはよくない。たとえ少年法が自分を守ってくれるとはいってもそれを利用して悪いことや犯罪をしてはいけないと思う。僕はもうすでに16歳だから罪を犯したら裁かれるけど、悪いことをしなければ大丈夫。最近は未成年者の事件が多発しているけれど、みんながみんな悪いわけではない。僕は今まで生きてきて少年法というのが、いまマスコミや新聞で法を破るようなことをしている、僕はそんなことをするのが許せないに。その犯行を犯した少年の未来のために。
▼私も今の少年法には少し疑問に思うことがあります。神戸の事件にしてもその他の事件にしても、子供だからという一言で簡単に済ましてほしくなかったし、自分的にもそれでは許せない感じでした。その子の将来を考えているという点では日本はしっかりしていると思います。しかしその優しさはその事件の被害者や被害者の遺族にとってものすごく酷だと思います。これから少年犯罪はいまよりも一層増えていくと思います。そう思うと一刻も早く少年法を変えるべきです。こういう犯罪がなくなることが1番良いのですが、私たちのような精神的にも不安定な時代に平和はきません。
▼私は今の少年法はすごく甘いと思う。精神的に少しおかしいとかなら、バスジャックと化してもしょうがなくはないけど、少年法とかで守れるのはよくわかる。でもただむかつくとかイライラしているっていう理由だけで人を殺したり、通り魔になったりしているから、そういう人が少年法で守られるっていうのはおかしいと思う。10歳とか11歳と子供でも人を殺したらアカンなんて分かりきっているのに、人を殺したりして少年法っていうやつで守られるって、殺された人の家族とかすごくやりきれない思いがあると思う。そんな何カ月とか何年でそんな罪が消えるなんて、おかしすぎると思う。私の家族とかがそんな理由とかで殺されたでしたら、許せないと思う。
▼この法律は、大人よりも、今の私たちがより考えないといけないことだと思うし、私たちがどうするべきかをきっと話し合うのが1番なんだろうと思う。でも、そうすればきっと甘ったるいものになってしまうのは、予想がつく。だって、もしも自分が犯罪を犯してしまったときに、罪は軽くなるから。今少年法は変わろうとしているけど、私は変えるべきだと思う。罪の重さに年齢は関係ないと思うからです。被害者に年齢制限も何もないのに、何で加害者には罪の度合いに関係なく年齢制限があるのか不思議です。
▼エイジがこの場面では事件の犯人への「同情」と「許せない」という感情が交差して話でした。被害者の父は「許せない」と言った。エイジの母は「かわいそうだ」と言った。そしてエイジは「かわいそうだ」というところと「許さない」という心が揺れ動き、すごく複雑な気持ちを持っています。私はというと、やっぱりエイジと一緒で複雑です。どうしてかというと、私はこの子の家庭を知らないし、責めることができないからです。

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母親の言葉 −−まじめ、普通、おとなしい−−

 今日、朝の私が見たニュースは、「17歳の少年が母親を銃殺」というものでした。別にこれという衝撃を受けることはなくただ見ていました。少年は典型的な「普通の子」だと報じられていました。でも私は、それがよくわかりません。「普通」というのはだれが決めることなのかと思います。手・足があれば普通、たばこを吸っていなければ普通。大人は、そんな風に思っているのかな?どこに「普通」「普通じゃない」のボーダーラインは、人によって引かれているのかな?本当はそんなものないのに。きっと私は子供の思う「普通」と大人思う「普通」は違うんだろうと思います。私たちの思う普通は、自分と共感できる人が「普通」で、自分がそうでありたいからで、大人が子供を分けてしまうからだと思います。大人の思う普通は、「よい子」なんだと思います。でも本当は、だれもが普通じゃないと思うし、普通というのはあったなアカンのやなと思いました。

無題
 私が一番心に残った場面は、エイジが「その気」の境界線を越えて前の席の海老沢君を幻のコンパスで突き刺してしまったところです。そこにたどりつくまでのエイジの大きくて深い心の動きが、なんかやけにこっちで読んでいる自分にもビリビリ伝わってきて、息がつまりそうでした。エイジはタカやんを一生懸命理解しようとして、自分とタカやんの「その気」の境界線を越した気持ちだけを理解してしまったのだと思いました。幻のコンパスまで取り出して通り魔になってしまったエイジは、一見回りから見れば、このすごく危ないやつだと思います。でも私はそうだと思いません。タカやんの気持ちになっていいろいろ考えられる。普通の人なら「どうしてあんなことしたのかな?」と客観的に見るだけで恐怖心も手伝って、それ以上を踏み込もうとしないでしょう。エイジはタカやんになったのだから、通り魔になりません。だれよりもタカやんを深く考えられたから。少年Aはごく普通の目立たない子だった。よくニュースでも耳に言葉です。だれでも少年A少女Aになれるのです。タモツ君の言うとおり、だれもがこんな気持ちを持っているのだろうと思います。どんな拍子でその境界線を越すかの問題です。明日、新聞やテレビでトップニュースを飾るのはもしかしたら……。

少年法について
 私は早く少年法を変えるべきだだと思います。中学生だからといって、罪を軽くするのはやっぱりだめだと思う。将来がまだあるかなとかじゃなくて、悪いことをしたらちゃんとそれを償うべきだと思う。中学生の犯罪といっても、みんな同じ気持ちでじゃないと思います。タカやんみたいに普通とか、おとなしいとか、真面目とか言われている子が、ストレスとかがでキレたりして罪を犯す子もいれば、学校にもいかないで毎日ぶらぶら遊んでいて、暇だからとかお金がないから誰かを襲う、それでももし捕まっても中学生だから罪が軽いと思って罪を犯す子もいると思う。両方ともやっていることは悪いと思うけど、同じ気持ちでみんなを襲ったりしているじゃないと思う。はじめに少年法を早く変えるべきだと書いたけど、やっぱり少年法を変えるのは、難しいのかなと思いました。みんな同じ気持ちで罪を犯していたら、少年法は変えられると思う。もし少年法が変わらず今のままでもちゃんと自分自身で罪を償えれば今のままでもいいのかなと思う。でも自分自身で罪を償うのは、警察の人に捕まるより大変なことだと思う。少年法が変わるか変わらないかわからないけど、もし変わるんなら、一人でも多くの中学生や高校生が救えるような法律にしてほしいです。

まじめについて
 私は真面目というのが嫌いです。なぜかそれは型にはめられているのが嫌いだからという理由が初めに出て来てしまう。大々部分の「大人と呼ばれている方々」は、まじめ=勉学が素晴らしくプラス従うところはすべて従うみたいなことを考えているらしい。エイジでも、少しぐらいだけど、そんなことを私は感じてしまう。他の人は私が真面目だという。見かけだけを見て真面目と言われても少し困ってしまう。深く付き合ってみてから言われるのなら大袈裟に言ったとしても嬉しい。でも少しも話もしたことのない人に言われてもピンとこない、分かろうっていう気持ちも起こりもしない。だけど、その人が本気でほめてくれているのだとしたら、私はとても素晴らしくてアホな奴になってしまう。そんな奴が他人のことを比較したりしていいのだろうかと思って「自己嫌悪」に陥ってしまいそうだ。だから、私は真面目でない、大人の定義でいうとまじめというと人間もできている人も指すらしいから、私は真面目ではないようです。私なんかに比べたら、まだ、本気で真面目だねえといってくれた人の方がまた素晴らしい。私はまだまだ「大海を耳掻きではかっている」うちの一人なのでかもしれない。

キレるについて
 私はこの文章を読んで思ったことはありきたりな話だなと思いました。通り魔の話が出てきて、その犯人が自分の身近な所だった。ありきたりだなぁと思って飽き飽きしていたけど読んでいって、エイジがタカやんが犯人だってわかってエイジもタカやんと同じようにキレ始めて行くっていうところが、なんか私にもこうやってもムカムカしていてタカやんみたいに怒りが爆発してしまったらどうしようか、エイジと同感と思える部分がたくさんあって焦った。でも私はエイジみたいにキレて学校も飛び出してどっかに行ってしまうとかは絶対にありえないと思う。それはどこかでまたそういう怒りとかを抑えられるものがあるからだと思う。その抑えられるものがなくなったとき人はキレるんだと思う。そうなると怖いなと思う。でもなんで普通の家庭で育って愛情のあるお父さんお母さんに育てられているのにそうやってキレるんだと思う。でも、エイジが言ってた、悪い親やったらどうやこうのって書いてあったけど、それもなんかわかる気がする。悪い親やったら裏切っても別にいいかなと思うけど、いい親やったらかわいそうに思えて裏切らないと思う。今この文章書いていて思った、かわいそうに思えて裏切れへんかったら、それがストレスになってキレてしまうんだと思った。何だかこの文章を読んでキレるっていうことがどういうことなのか、考えられた。

人の善意と悪意
 人間の心は比率はどうあれ善意とは悪意に分かれるのが大体である。仮にひとりの人間が善意だけで人に接していたとする。この人間が人に自然に善意を出していたならおそらく問題ないが、この人間が人に故意に善意だけを出していたとする。そうするとこの人間は相手に善意だけを見せようとしてあせってしまい、自分の認識だけでそれを善意とみなしてしまう。たとえそれが相手にとって悪意がとしても。しかし相手が嫌がっていることをその時点で反省すればたいしたことはないと思うが、嫌がるのを知りつつそれを繰り返したとすると、それは偽りの善意から悪意に変わる。善意と悪意は人の認識によっては逆になる可能性もあると思う。だから犯罪者の中には悪意を何らかの要因によって善意もしくは正義の認識をしてしまい過ちを起こしてしまうかもしれない。こうしてタカやんも何らかの要因によって通り魔を悪いと思いつつどこかでやってもいいと認識をしたのかもしれない。

大衆が求める普通について
 子供ゆえの思い込みかもしれない。大衆、もとい、大人が私たちに求める「普通」には抑えつける圧倒的な力と育ちつつある、意志、個性を殺させてしまうような力があるように思う。例えば、少年犯罪。この犯人に求められているのは何の変哲もないそれこそ「普通」の少年、ということ。それと、思春期特有のこの話でいうところの、ゆがんだ性欲と、複雑な、ワイドショーで派手で取り上げられる家庭環境ぐらいのもので、有名な、心理学者も、コメンテーターも本当に見ようとしない。大衆が少年を間接的に消してしまうだけでなく、自らが決めた「普通」のラインから外れた人まで消してしまう。表現の自由などといっても思う言葉をすべて口にしている人は限りなく少ない。だれもが、どこからか抑えられて、思うとことの半分も口にしていないのではないかと思う。よく同じような意味で使ってしまう「普通」と「常識」。その両方には個人差があり、言葉自体に悪意はない。けれど、使う時と場合によって、恐ろしい刃を持つのだと思う。日本だけでも、一億以上の人間がいて、みんな違っている。性格も生活環境も違うのだから当たり前なのだ。むしろ私には、違うことよりも、普通で縛られた「同じ」のほうが恐ろしいと思っている。

同級生が通り魔になった
 私はエイジを読んでもしかしたら本当に私のクラスで通り魔がいたら、エイジのように考えるだろうか。タカやんは、本当に家族や友達のせいで、通り魔になったんだろうか。私には、まだ理解ができていないです。でも、同級生が通り魔だったら、私はその人になんて声をかけるか。タカやんは人ひとりを殺している。それは生まれてくるはずだった子供。今、私の姉は妊娠をしています。このエイジを読んで、みんなは通り魔のことばっかりだけど、私はその話が一番気になります。名前まで決められるということは、男が女か分かっていることは、6カ月ぐらいと思います。その間はとっても苦しくて、あまり動いてはいけない時期です。それを乗り越えてもうすぐ生まれて来るってときに、通り魔に殺されたら。私は夫の気持ちがとてもよくわかります。少年だから、許されていいのだろうか。タカやんは子供を殺してどう思っているのか。それがもし、私の同級生なら、私はその人に対してどうしているだろうか。その人になんて声をかけるのか今でも分からない。

少年犯罪
今現在この日本は、多くの少年犯罪が起きている。しかも、その犯人はいつも新聞やテレビなどで取り上げられる。「この子はとても静かでまじめな子でした」という少年がほとんどである。それならばとても静かでまじめな人はこの世の中にたくさんいる。じゃこの人たちみんなが犯罪を犯してしまう可能性があるかと聞かれればそうではないとぼくは思う。こういった犯罪を犯してしまう人たちは、大体家族の中で何かあるとかそういった事情があるからだと思う。あと少年が人殺したとき全体といっていいほど新聞やテレビで取り上げられる。これは、普通子供なんて人殺ししたりするようなことは本当はないのに今は何かが違う。すぐ何かあるとものに当たったりする。ひどいときには人を傷つけたりもする。こういったことから少年犯罪が起こるだなと思いました。

▼私がエイジの立場で友達が犯人だったら、やっぱりうちにも「その気」があるんじゃないかなと考えると思う。
▼通り魔になるタイプでいうのも授業で習ったけど、なんか僕にちょっと似ているからなんか怖い。けど、僕はそんなばかなことをするわけがない。
▼被害者の気持ちもわかるけど、自分の友達のことを「許せない」とか「にくい」とかは思わなくて、やっぱりエイジみたいに複雑な気持ちになると思います。
▼もし自分の身内が殺されたら自分は犯人を殺しに行ってくると思う。
▼エイジにつながっている「ボク」を切ってしまったら終わりだと思う
▼通り魔に間違えられたことによって、今まで一緒と思っていたものが壊れて、エイジという自分、タカやんという友達に分かれたから、エイジはタカやんにならないということを確信したんだと思う。
▼外見だけを見て何か言うのってよくないと思います。
▼飽きるほど事件があると、恐いという気がしないのかなと思った。同じ町でたくさん事件が起きているのに、これこそ自分がいつ通り魔に出会うのかと考えてしまわないのかと思った。
▼私はタカやんが何を動機にして反抗したのか分からないけど、みんながその気について話し合っていることはとてもいいことと思いました。
▼きっとエイジは自分がどんなに変わってもどんな人間になっても認めてもらいたいんやろうなと思った。
▼僕はなによりタカやんが帰ってきてくれたことが一番うれしいと思います。
▼「少年」ということがいい意味で使われていなかったのではないかなと思いました。
▼何かひとつ切りたくても切れないものがあるがと思った。きっと切りたいと思うのは本当は自分自身とキレたいのかもしれないと思った。
▼たぶん「その気」はみんなの中にもあって、それが積もり積もった人が通り魔になったりすると思う。
▼私も人から自分の嫌なところ言われてその人を好きなままではいられるものか分からなかったけど、今は大丈夫だし友達の良い所、嫌な所全部含めて友達を好きになっていこうと思いました。
▼エイジはタカやんと同じ気持ちになっていろいろ考えてからタカやんの気持ちを理解し通り魔にならずにすんだと思った。「嫌になってもいいから『少年』になった僕も信じてほしい」この子気持ちは表現できないけど難しいけどすごくわかる気がする。うまく表現できないけど、親はそんなに簡単に子供のことを信じることができるのかと思うし、親は子供のことを理解しているのかなと思ったりした。
▼懐かしいというのは、はるか昔に胎児だったころのおなかの中のことだと思った。
▼むかつく人を殴ればいいと思う。無関係な人を殴るのは、殴られた人がかわいそうだと思う。
▼「キレる」というのは人それぞれによって意味が違うのではないだろうか。周りの「何か」か「キレる」という心を隠しているのだろう。「何か」はきっと誰にもわからないものだと思う。
▼ツカちゃんはいろいろ冗談でしょうもないことを言ったり、やったりするけど本気で人を傷つけたりはしない。
▼このタカやんの快楽のために子供の「未来」と夫婦の未来を奪ったと思う。

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