安部公房


 設定は、私が、ある雨上がりの六月の日曜日、駅前のデパートの屋上で、二人の子供を子守りをしながら、街を見下ろしている。私の気持ちは、うっとりと、少々後ろめたい楽しみを感じてあるが、ただぼんやりしている。ただ、湿っぽさのせいか、子供たちに妙にいらだたしく腹を立てていた。事件は、上の子の「父ちゃん」という声から逃げるように上半身を乗り出すと、ふわりと体が宙に浮き、墜落し始め、一メートルほどの真っ直ぐな太からず細からず一本の棒になって、道に突き刺さった。私はどんな気持ちで街を見下ろしていたのか。私は繰り返される平凡な日常に虚しさを感じていた。私はなぜ墜落したのか。無意識の内に逃亡したいという失踪願望があった。なぜ「父ちゃん」と言う声から逃げたかったのか。家族や社会など自分を便利に使うために必要としているものを象徴している。この言葉は最後にも出てくる。
 先生と双子のような二人の学生が私に気づいた。先生は、白い鼻髭を蓄え、度の強い眼鏡をかけ、もの静かな長身の紳士だった。しかし、髭は付け髭だった。彼らは、死者を裁く役割を担っていた。なぜ学生は双子なのか。同じことを裏表から言う存在としては設定されている。なぜ先生は付け髭なのか。どこか胡散臭さを表している。
 先生は「思ったより軽い。この棒から、どんなことが想像できるか、分析し、判断し、処罰の方法を決めてごらん」と質問する。右側の学生が、「上下の区別があり、上は手垢がしみ込み下はすり減っているので、一定の目的のために使われていた。しかし、乱暴な扱いを受けていたらしく傷だらけである。捨てられずに使い続けられたのは、生前の誠実で単純な心を持っていたためである」と答える。先生は「感傷的すぎる」と評する。左側の学生が厳しい調子で「単純すぎるので無能だった」と言うと、右側の学生が「棒はあらゆる道具の根本で、用途も広い」と言う。先生は笑いだし「二人が同じことを違った表現で言っているに過ぎず、つまりこの男は棒だった」と言う。右側の学生は「棒であり得た特徴は認めるべきで、単純な誠実さは珍しい」と評価する。先生は「あまりありふれているので研究する必要もない。質的な意味で新しい発見は何もない」と言う。棒は単純で、あらゆるものに使われ続けることは生前の私の何を象徴しているのか。自主性も主体性もなく、平凡なだけが取り柄で、文句も言わず便利に酷使され続けているだけの存在。それを誠実と評価するのか、無能と否定するのか。先生は価値がないと断ずる。なぜ単純さはダメなのか。人間性や主体性を考える場合は否定される要素である。
 そして、先生は罰を求める。左側の学生が「死者を罰することで、ぼくらの存在理由が成り立っているので、罰しないわけにはいかない」と言う。先生は地面に抽象的な図形から怪獣の姿をいたずら書きして消し、「裁かないことによって裁く」と言う。二人の学生が「我々は死者をすべて裁かなければならないので、好都合だ」と同調する。先生は「置き去りにするのが一番の罰である。誰かが拾って生前と同じように使ってくれる」と言う。学生は私の気持ちを察してくれたが、先生は慈しむように見つめ、何も言わずに歩き始める。彼らの死者を裁くという仕事は軽減されるが、なぜ置き去りにして裁かないことが罰になるのか。死後も生前と同じように何の取り柄もない存在として扱われることは、人間疎外である。
 「父ちゃん」と声が聞こえたが、私の子供の声かわからない。父親の名前を呼ばなければならない子供が他に何人いても不思議ではない。父を呼ぶ声が多いとはどう言うことか。子供にとって自分の面倒を見てくれる存在を「父ちゃん」と呼ぶならば、それは私でなくても誰でもいい。代替可能な存在である。

1.【指】学習プリントを配布して宿題にする。
2.【確】学習プリントの漢字の読みを確認する。
 04 腫れぼったい 隙間 顎 05 湿っぽい 墜落 雑踏 乾いた 跳ね返り 血の気 06 背丈 透かす 07 顧みて 手垢 生前 08 瓜二つ 09 裁く 09 慈しむ 促す
3.【確】学習プリントの語句の意味を確認する。
 後ろめたい=自分に悪い点があって、気がとがめる。やましい。
 雑踏=多数の人で込み合うこと。人込み。
 おあつらえ向き=自分の思いどおりの様子。
 生前=その人が生きていたとき。
 瓜二つ=顔かたちがよく似ていることのたとえ。

4.段落番号を付ける。
 ・1〜16

5.【指】教師が範読する。
6.【指】感想を書かせる。


第一段落(はじめ〜0601刺さったままでいた。)

1.【指】ペアリーディングさせる。
2.場面設定について
 1)【L1】いつ、どこで、誰が、何をしたのか。
  ・六月の日曜日。
  ・駅前のデパートの屋上
  ・私
  ・街を見下ろしている。
 2)【L2】六月の様子は。
  ・湿っぽい
  ・雨上がり
  ・腫れぼったくむくんだ
 3)【L3】日曜日とはどんな日か。
  ・休日。
  ・日常が、一時、中断する。
 4)【L1】私の立場は。
  ・二人の子供の父親。
 5)【L2】街を見下ろしている私の様子は。
  ・うっとり。
  ・後ろめたい楽しみ。
  ・ぼんやりしている。
  ・後になって思い出す必要に迫られるようなことは考えていない。
  ・妙にいらだたしい。
  ・子供たちに腹を立てていた。
 6)【L2】「後になって思い出す必要に迫られるようなこと」とは何か。
  ・あまり重要でないこと。
 7)【L3】私の気持ちは。
  ・疲れている。
  ・休みたい。
  ・何も考えたくない。
  ・邪魔されたくない。
 8)【説】私だけでなく、多くの大人たちがしている特別なことでない。

3.私が墜落したことについて
 1)【L1】墜落する時の様子は。
  ・子供が怒ったように「父ちゃん」と叫ぶ。
  ・子供の声から逃げる。
  ・ぐっと身を乗りだす。気分上。
  ・ふわりと体が宙に浮く。
  ・墜落し始めていた。
 2)【L2】なぜ子供は怒っているのか。
  ・早く帰りたいから。
 3)【L3】なぜ墜落したのか。
  ・子供から逃げたい。
  ・仕事から逃げたい。
  ・日常から逃げたい。
 4)【L3】一言で言うと。
  ・失踪願望。

4.私が棒になったことについて
 1)【L1】棒の様子は。
  ・太からず、細からず。
  ・手ごろな。
  ・一メートルぐらい
  ・真っ直ぐな

第二段落(0602やっと一人の学生〜0810敵を打つこともできる)

1.【指】ペアリーディングさせる。
2.先生と学生について
 1)【L1】先生の特徴は。
  ・白い髭。付け髭。
  ・度の強い眼鏡。
  ・もの静かな長身の紳士。
 2)【L3】どんな感じがするか。
  ・うさんくさい。
 3)【L1】二人の学生の特徴は。
  ・背丈や顔つきや帽子のかぶり方まで双子のように似ていた。
 4)【L3】どんな感じがするか。
  ・現実離れした。機械的。

3.先生が学生に与えた課題について
 1)【L1】先生は棒をどのような対象と考えていたか。
  ・研究材料。
 2)【L1】先生が学生に与えた課題は。
  ・分析し判断する。
  ・処罰の方法を決める。

4.学生の分析と判断について
 1)【L1】右側の学生の分析と判断は。
  (分)上下の区別がある。
     ・上は手垢がしみ込み
     ・下はすり減っている。
  (判)一定の目的のために使われていた。
     乱暴な扱いを受けていた。
  (分)捨てられずに使い続けられた。
  (判)生前、誠実で単純な心を持っていた。
 2)【L1】先生の評価は。
  ・感傷的。
 3)【L1】左側の学生の態度は。
  ・厳しい調子。
 4)【L1】左側の学生の分析と判断は。
  (分)単純すぎる。
  (判)無能である。
 5)【L1】右側の学生の反論は。
  (判)棒はあらゆる道具の根本である。
  (分)特殊化されていない。
  (判)用途も広い。
 6)【L1】棒と盲人の関係は。
  ・右側の学生
   ・棒が盲人を導く。=主体性
  ・左側の学生
   ・盲人が棒を利用する。
 7)【L3】私は生前どんな人間だったか。その根拠は。
  ・目立った特徴のない、平凡な。
   ・太からず、細からず。
   ・手ごろな。
   ・一メートル程の真っ直ぐな。
  ・専門的な仕事ではなく、誰でもできる仕事に従事していた。
   ・誰だって使える。
   ・一定の目的のために使われていた。
   ・あらゆる道具の根本。
   ・特殊化されておらず、用途が広い。
  ・肉体的にこき使われていた。
   ・上の方は手垢、下の方はすり減っている。
   ・一面に傷だらけで乱暴な扱いを受けていた。
  ・文句も言わず、誠実に働いていた。
   ・捨てられずに使い続けられたので、誠実で単純な心を持っていた。
 8)【L3】まとめるとどんな人間だったか。
  ・柔軟調整型労働者。
  ・フリーターや日雇い派遣。

第三段落(0811ついに先生が笑い出してしまった〜終わり)

1.【指】ペアリーディングさせる。
2.先生の評価について
 1)【L1】なぜ先生は笑い出したのか。
  ・学生が同じことを違う表現で行っているから。
 2)【L3】どういう点で学生が同じことを言っているのか。
  ・単純である。
  ・誰かに使用されていた。
 3)【L2】「この男は棒だった」とは。
  ・平凡すぎる。
  ・あまりにありふれているので、研究する必要もない。
  ・新しい発見は何もあり得ない。
  ・量的な意味でなく、質的な意味。
 4)【L2】量的な意味と質的な意味の違いは。
  ・量的な意味=多くの人が棒になる。
  ・質的な意味=平凡すぎる人が棒になる。

4.私の処罰について
 1)【L2】彼らの正体は。
  ・死者を罰するということで存在理由が成り立っている。
  ・すべての死者を罰しなければならない。
 2)【L3】「裁く」とは。
  ・罰することは悪いことではない。
  ・生前をリセットする。
 3)【L3】「裁かない」とは。
  ・死後も生前と同じ、平凡で人に使われる存在として放置される。
  ・人間性を認められない。
  ・人間疎外。
 4)【L4】どちらが厳しい罰か。
  ・裁かれないこと。
 5)【L2】「裁かないことによって裁く」とは具体的にどうすることか。
  ・置き去りにすること。
  ・誰かが拾って、生前と同じように使われること。
  ・誰に使われても同じである。
5.子供の叫びについて
 1)【L2】なぜ、子供は「父ちゃん」と叫んだのか。
  ・地面には死体にしろ父親の姿をしたものがない。
  ・父親を探し求めている。
 2)【L1】私にはどのように聞こえたか。
  ・私の子供のようでもあったし、違うようでもあった。
  ・他にも父親の名前を叫んで呼ばなければならない子供が多くいる。
 3)【L3】なぜ、そのように思ったのか。
  ・すでに私は自分の子供の父親ではなくなっている。
  ・父親という役割を果たしてくれればいい。
 4)【L3】なぜ、父親の名を叫ばなければならない子供たちが何人いても不思議でないのか。
  ・私のような存在は珍しくない。
 5)【L2】それと同じ部分は。
  ・第一段落で、私と同じように街を見下ろしている大人がいる。



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                    点検日  月  日
                    組  番 氏名
学習の準備
1.読み方を書きなさい。
 04 腫れぼったい 隙間 顎 05 湿っぽい 墜落 雑踏 乾いた 跳ね返り 血の気 06 背丈 透かす 07 顧みて 手垢 生前 08 瓜二つ 09 裁く 09 慈しむ 促す
2.語句の意味を調べなさい。
後ろめたい
雑踏     
おあつらえ向き
生前
瓜二つ
学習のポイント
1.状況設定を理解する。
2.私が街を見下ろしていた気持ちを理解する
3.私が墜落した理由を理解する
4.私が「父ちゃん」という声から逃げた理由を理解する。
5.先生と学生の役割と性格を理解する。
6.棒についてどのように分析し判断したのかを理解する。
7.裁かないことが裁いたことになるとはどういうことか理解する。
8.父親を呼ぶ声が多いとはどういうことか理解する。