「きょうむのむ」とは、「教務の夢」なのか?はたまた「教務の無」なのか?それとも「教務の謀」なのか? その心は、回が進むにつれて明らかになるでしょう。これは誰にもわかりません。なぜなら、みなさんで創っていくものなのですから。


評価の問題  勉強のできない子できる子  メランコ人間とジゾフレ人間  宿題の効能  


評価の問題

1.評価・評定の課題
 評価・評定に関する問題点は、次の2点です。
  1)態度点をどのように加味するか。 
  2)単位認定の基準が低すぎて勉強しなくても進級できるという風潮が強まっている。


2.新学力観と観点別評価
 1)については、授業中の居眠りや漫画、授業妨害に対するペナルティーとして問題提起されていますが、新指導要領の「観点別評価」の「関心・意欲・態度」、さらには「新学力観」とも関わってきます。
 「新学力観」という言葉はよく耳にしますが、実際どのようなものなのか。小学校や中学校ではかなり周知しているようですが、高等学校においてはその正体はあまり知られていません。
 新学習指導要領では新学力観について、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力を根底に、基礎的・基本的な内容を身につけ、自らの個性を生かすことのできるものでなければならない」としています。『自己教育力』です。
 新学力観に立脚する場合、次の3つの評価を併用する必要があります。
1)個性を生かすことを重視する絶対評価による「観点別評価」
2)絶対評価を加味した相対評価による「評定」
3)学習の特徴を記録した個人内評価による「所見」

 「観点別学習状況」は、まず、学ぼうとする力としての「関心・意欲・態度」があって、次に、学んでいく過程での「思考・判断」と「技能・表現」の活動があり、そのうえで学んだ結果として「知識・理解」が得られます。そして、その「知識・理解」がさらに知的好奇心を呼びさまし、また「関心・意欲」を高めて学習態度を形成し、思考を深め、学習の次元を高めていく・・・。学力は、多面的、層構造において理解しなければなりません。

            →思考・判断    
関心・意欲・態度            →知識・理解 →関心・意欲・態度 →・・
            →技能・表現  



3.関心・意欲・態度
 今回の改定では、「関心・意欲・態度」が重視されています。「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」は知的領域ですが、「関心・意欲・態度」は情意的領域です。一般的な観点としては、次のようになります。

「関心」とは、興味を持つこと。
「意欲」とは、自分から進んでしようとする気持ち。「態度」とは、実践し応用しようとする心構え。

 少し難しくすると、情意領域の評価は次の5段階で、単純なものから複雑なものへと連続しています。

受け入れ ある現象に注意すること。気づくこと。              
反応   その現象に気づくだけでなく、能動的に何かすること。       
価値づけ その現象に対し一貫した態度で反応し、その現象に対して価値を見つけ出すこと。
組織化  自分の抱いている価値観を体系化し、価値の間の関連に注目し、優先順位をつけること。                        
個性化  いろいろの場面でとる行動に対して影響を与える一つの体系へと体系化すること。新しい価値と一致して一貫した行為をすること。

 評価の観点としては、次のような項目が考えらます。

1) 〜に気づく
2) 〜に疑問を持つ
3) 〜に好奇心を持つ
4) 〜に注意する
5) 〜について観察する
6) 〜について質問する
7) 〜について調べる
8) 〜に好意を持つ
9) 〜の価値を認める
10) 〜を楽しんでやる
11) 〜を自分から進んでする
12) 〜について目標を高く持つ
13) 〜を我慢してでもやる
14) 〜を最後までやる
15) 〜を実践し、応用する   

 態度点を減点の対象としようとする雰囲気でよく論議されていますが、新学力観に基づいて、積極的に検討してみてはどうでしょうか。



4.評価基準の問題
 今回は、評価基準の問題です。大きく分けて、相対評価と絶対評価の2種類になるでしょう。また、それぞれ、絶対基準に基づく評価と、平均点に基づく評価があります。 
 相対評価や平均点に基づく評価の問題点は、平均点が下がれば基準も下がることです。また、平均点に基づく評価は使う換算表によって基準が異なってきます。一方、絶対基準による絶対評価も多くの問題をはらんでいます。


5.さまざまな評定の求め方
A 絶対基準による相対評価
 得点の高いほうから順に並べ、ある分配率に照らして評価する。
  1    2    3    4    5 
下の10% 次の20% 次の40% 次の20% 上の10%

B 正規分布曲線に基づく相対評価(学力偏差値)
 分布が正規分布曲線の各段階における%に応じて各評定の人数を割り当てる。しかし、
しかし、少人数の集団では正規分布にはなりにくい。

  1    2    3    4    5 
 7%   24%   38%   24%   7% 

C 学校の換算表による平均点に基づく絶対評価
 平均点に基づく絶対評価。本校のものは下位者に甘く、上位者に厳しくなっている。
D 私の換算表による平均点に基づく絶対評価
 国語の得点分布は平均点付近に集中することが多く「5」が出にくい。そこで、上位者の範囲を工夫した。また、「1」のラインも学校の換算表よりは厳しく設定した。

  1    2     3       4         5    
 0〜  AV×0.5〜 AV×0.8〜 AV+(100-AV)*0.2〜 AV+(100-AV)*0.5〜

E 絶対基準による絶対評価
 あらかじめ評価基準を決めておく。


6.評定シュミレーション
 さまざまな評定の求め方で、さまざまな得点分布の評定をシュミレーションしてみた。
 正規分布になるのが理想の型であろうが、類・類型別クラスになっている現状では、平均点集中型が多いだろう。また、II類で易しい試験をした場合は上位集中型になるであろうし、全体的に学習意欲の低いクラスでは下位集中型になるだろう。
 相対評価は、AでもBでも、正規分布型や平均点集中型の場合は、ほぼ妥当なラインであろうが、上位あるいは下位集中型の場合は、特に評定「1」のラインに問題がある。もっともなんらかの是正は行われるであろうが、高等学校の評価基準として相対評価が使われることは少ない。
 Cの学校の換算表は、正確にいえば相対評価ではなく絶対評価である。問題は、評定「1」のラインが平均点の4割未満と低いこと。また、平均点集中型の場合は、「5」の人数も少なくなる。この型が最も多いとすると、問題は大きい。その点を是正したのがDの換算表である。「1」のラインは平均点の半分にした。また、「5」の人数も出るように工夫したが、点数から見て妥当といえるかどうか問題は残る。
 Eの絶対基準による絶対評価は、どのような絶対基準を決めるかが問題になる。シュミレーションでは平均点50点の正規分布を想定した基準にした。点数の分布によって基準を変えてもよかったが、あえて同じ基準にした。上位者にも下位者にも 厳しい評定になった。
 平均点が下がれば基準も下がり、単位認定の基準が低すぎて勉強しなくても進級できるという風潮が強まっていることであるとするならば、学校の換算表の見直しが必要である。その場合、新たな換算表を作るのか、絶対基準による絶対評価を用いるのかが問題になるだろう。  


7.個性を生かす教育と評価
 評定の基準をどうするかという問題以前に、ますます拡大する個人差に応ずる教育の方法をどうするのかという問題があります。
 1つの方法として、プログラム学習があります。

教授目標の明確化 教授目標を明確にする。子どもに期待される学習結果(何ができるようになるか)を外から観察できる行動的な言葉(動詞)で述べることが強調されている。          
事前診断     子どもが、教授開始前に、すでにその目標をどの程度達成しているか、子どもの学習の特徴(適性、学習スタイル、認知型など)を評価する。これによって、目標を達成するのに最善の手段を決めることができる。この段階での評価を診断的評価という。                     
授業計画の作成  1・2の資料を用いて、それぞれの子どもに適した計画(教授の形態・方法)を立てる。              
教授・学習活動  その計画に基づいて授業を行う。その際、与えた教材に対して子どもがどんな反応をしたかを調べ、目標に近づいているかどうか、その達成状況を評価する。これは、授業の途中で行われる評価で、形成的評価ともいわれる。そして、その結果をみて、指導の仕方、授業の進め方を調整し、さらには習熟度別指導や補充指導を行ったりする。ここでは特に指導と評価の一体化が重要になる。              
達成度の点検   学習結果を評価する。予定した単元の授業が終わったら、学習の進歩を調べる。これは、それぞれの子どもが、教授目標をどの程度達成したかをみるための成就テストである。
1)子どもが教授目標を達成したかどうかを知って、指導に役 立てる。達成が十分でない場合には、補充指導を行うこと になる。
2)教授の目的及び指導計画にそって、望ましい結果が得られ たかどうかを調べることによって、目標・計画・方法など の改善に役立てる。
3)次の単元の学習に対して準備ができているかどうかを決め るのに役立てる。
総括的評価    学習後の評価では、一定期間後に、どの程度その学習が定着しているか、新しい学習へどの程度応用がきくかなどを調 べ、不十分なところがあれば、さらに復習させ、学力の定着・発展をはかることになる。単元の学習後とか、学期、学年の終わりとかに行う評価は、総括的評価ともいわれる。

 これは、個別学習だけでなく、私たちが日常的に行っている集団的な授業でも十分に使えるでしょう。

教授目標 事前診断 授業計画 教授・学習 点検 総括評価
|↓
← → 補充授業



8.各種の成績資料
 また、どんな評定基準を作るにしても、その前にあるのは、何を評価の対象にするかという問題です。具体的な成績資料としては、次のようなものが考えられます。
  1)定期試験 2)小テスト 3)授業中の到達度や理解度 4)技能(作品を含む)  5)授業態度 6)提出物の提出状況 7)提出物の内容 8)家庭


9.学習の有無と内容
 各資料どの観点の評価に役立つか、評定に占める割合をどうするか、あらかじめ決めておく必要がある。これらのうち、「関心・意欲・態度」の資料としてよく使われるものは、5)授業態度、6)提出物の提出状況、8)家庭学習の有無である。さらに、4つの観点の割合をどうするかも事前に決めておく。
(1)目標準拠測定の意味
 目標準拠測定は、儒大の得点を指導目標あるいは到達目標と比較し、個人がその目標を達成したか、あるいは、それにどの程度近づいたかを調べるやり方である。目標基準あるいは絶対基準に基づいて個人の得点を解釈することは、目標準拠評価であり、わが国では絶対評価といわれる。
(2)目標準拠測定使用の根拠
 近年、目標準拠の立場に立つ評価が再び強調されるようになったが、その根拠としては、次のことがあげられている。
 (ア)行動的目標の明確化 重要な指導目標が行動的な言葉(動詞)で明確になされると、個々の子どもがその目標を達成したかどうかを確かめることが必要になるし、また、それが可能である。達成度テストは、この役割を果たすことになる。
 (イ)教授の順序化と個別化の強調
 教授の際、順序を追って教授することと、個別化された教授を用いることが強調されると、個々人の目標への到達度を測定することが必要になる。
 (ウ) プログラム教材の発展
 教材が順序立てられ、階層的に構成されるようになると、それぞれの段階において達成度を測定し、次の目標に進むべきかどうかを決定しなければならない。この評価は、形成的評価といわれる。
 (エ)完全習得学習理論の発展
「十分な時間と適切な援助が与えられれば、大多数の子ども(95%)は、その教科の内容をかなり完全に習得する」という完全習得学習理論の考えに立てば、評価は目標達成の有無、程度を調べることになる。基礎的・基本的内容の完全習碍を目指す立場からすれば、この評価が重視されることになる。
 (オ)集団準拠測定に対する批判 集団準拠により他の子どもと比較することは、不当に競争心をあおり、得点が低いと、自己概念を傷つけると批判されている。この批判を避けるためには、目標準拠のほうがよいと「十分な時間と適切な援助が与えられれば、大多数の子ども(95%)は、その教科の内容をかなり完全に習得する」といういうのである。


10.相対評価と絶対評価の歴史

 時 代        評  価            表 し 方     
明治 5年 試験による絶対評価        100点法の点数制。優劣の比較に傾斜すると批判された。
明治33年 平素の成績による絶対評価。競争心に駆られた過度の試験勉強を避けるため。実際には試験が重視された。 100点法・10点法の点数制。上中下・甲乙丙・優良可などの5段階法。           
昭和16年 「平素の状況を通じ、その習得、考察、処理、応用、技能、鑑賞、実践及び学習態度等の各方面より総合評定とする」絶対評価。       点数制を廃止し、優良可。「当該学年相応の程度を修め得たりと認められたもの」を「良」とする。
昭和23年 平素の考査に基づき数個の観点ごとに分析的に5段階評価の相対評価。教師の主観を排し客観的に評価を行うことが強調される。       正規分布曲線の比率(7、24、3 8、24、7の%)により各段階に 人数が割り振られる。     
昭和36年 絶対評価を加味した5段階の相対評価。               教科目標および学年目標に照らした5段階。          
昭和46年 絶対評価を加味した5段階の相対評価。
あらかじめ各段階ごとに一定の比率を定め児童を機械的に割り振ることのないように留意すること。
昭和55年 絶対評価を加味した5段階の相対評価。「観点別学習状況」を設置し、観点ごとに3段階の絶対評価。絶対評価の考え方を一層重視。     小学校1・2年が3段階、3年以上が5段階の評定。      
平成 3年 個性を生かす評価の立場から「観点別学習状況」の評価を一層重視   小学校1・2年では評定を廃止、3年以上では3段階。中学校で は、必修教科は従来の5段階、外国語以外の選択教科は絶対評価による3段階である。      

 歴史的に見ると、初めは絶対評価であったが、すべての教師が同じ基準を持たないことが問題になり、相対評価に移った。つまり、子どもの評価は、他の子どもがどれだけ成就するかにかかっていた。しかし、相対評価にも多くの問題点が指摘されるようになり、「十分な時間と適切な援助が与えられれば、大多数の子どもは、その教科の内容をかなり完全に習得する」という完全習得学習の考え方が現れると、再びそれぞれの子どもに基礎的・基本的な内容を十分に習得させることを目指した絶対評価が重視されるようになった。


11.相対評価と絶対評価の比較

相対評価    絶対評価
長所 ・教師の主観的判断が入らない。
・集団内の位置を知ることによって外的動機づけの効果をもつ。
・決まった定員に対して選択ができる
・基礎的基本的内容や個人の目標への到達度を測定できる。
・各段階の達成度を測定し、次の目標に進むべきかどうかを決定できる。
短所 ・グループが小さいと、正規分布にはならない。
・子供の進歩のあとが現れにくく、学習意欲がおこらない。
・子供が次の教材に進むための前提になる知識や技能を習得しているか分からなぃ。             
・絶対基準が明らかでなく、教師の主観的判断が強い。
・指導目標の分類と具体化、それに基づく評価基準の具体的設定が難しい。・思考、創造、情操、鑑賞、関心、意欲、態度等の領域については困難である。





        
勉強のできない子できる子

 三浦香苗の「勉強ができない子」(岩波書店)を取り上げて、「なぜ勉強ができないのか?」という教育者永遠の謎について考えてみましょう。この本は、小学校5年生の算数を対象にしていますが、高校生にも大いに共通する部分があります。


1.調査項目
 調査は千葉市内の小学校5年生を対象に、児童自身と担任教師の判断で「できる子」と「できない子」に分け、次の表に示した具体的内容を提示し、自分に関係のあるものを5つ選ぶという方法で実施されました。
項目番号・質問内容           具体的項目内容         
学習活動 授業への集中
算数の時間、先生の話をよくきいている
学習への入りやすさ 算数の時間が始まったら、授業のことだけを考える
積極的な授業参加 算数の時間中、わからないところがあったら質問したりしてわかるようにする
授業中の自主的学習 算数の時間にだされた問題は、自分でとこうとする
宿題
算数の宿題をやっていく
予習と復習
算数の予習・復習をする
個人的要因 知的能力
自分は算数の才能がある
理解力
算数の教科書に書いてあることや、先生の話がわかる
処理速度
計算がはやい
発想の柔軟さ
算数の問題を、自分でくふうしてとける
安定した学習意欲
算数の勉強はいつもやる気になる
解答時の注意力
算数の問題を注意して読むので、まちがえない
学習計画の実行力
算数の勉強計画をたてたら、そのとおりやろうとする
要求水準 算数のテストの点がわるかったら、次のときがんばろうと思う
問題解決への積極性
算数でまだならっていない問題をいろいろ考えて.とこうとする
興味・関心
算数の勉強はおもしろい
基礎学力の蓄積
算数で4年生までにならったことはだいたいわかっている
学習法の理解
算数の勉強のやりかたがわかる
自己学習状態の認知 自分は算数のどこがわからないか、わかつている
外的要因 親の学力
おかあさんは算数がとくいだった
親の成績への関心
おかあさんは算数の成績を気にする
親の直接援助 おかあさんに算数のわからないところをきけばおしえてくれる
授業のわかりやすさ 算数の授業はわかりやすい
塾や家庭教師
先生以外の人(塾や家庭教師)から教わっている
教育資材:参考書
算数の参考書をもっている
教育資材:問題集
算数の問題集やドリルをもっている
教育資材:事典
算数の事典をもっている               



2.調査結果

順位 できない子の考えるできないわけ 教師の考えるできない子のできないわけ できる子の考えるできるわけ    教師の考えるできる子のできるわけ
積極的な授業参加 理解力      基礎学力の蓄積  理解力     
処理速度     授業への集中   授業への集中   基礎学力の蓄積 
安定した学習意欲 基礎学力の蓄積  授業中の自主性
授業中の自主性
基礎学力の蓄積
学習への入りやすさ   要求水準     授業への集中  
予習と復習    授業中の自主性
宿題       学習への入りやすさ       
授業への集中   宿題       予習と復習    安定した学習意欲
解答時の注意力
処理速度       要求水準    
学習への入りやすさ             

3.理由
(1)できない子の考えるできないわけ

 わからない所があっても放っておき、計算も遅く、やる気をなくしていくので勉強ができなくなる。

(2)できる子の考えるできるわけ
 今まで習ったことはだいたいわかっているので先生の話を良く聞くことができ、もっといい点数を取ろうと思って自分で問題を解いたり宿題もしたりするので勉強ができる。

(3)教師の考えるできないわけ
 教科書に書いてあることや先生の話がわからず、授業が始まっても切り替えができず、教えたことが定着せず、自分から問題を解決したり宿題をしたりせず、やる気が長続きせず、次のテストも頑張ろうとしない。(この逆ができる子のできるわけになります)

  この他にも様々な分析ができるでしょうが、面白いことは、できない子もできる子も挙げていない「理解力」を教師が第1位に挙げていることです。これは、教師は教育的配慮から子どもの能力より努力を強調しておきながら、実際は子どもの能力に原因を求めているという現実が表れているように思われます。


4.教師と校長の考える勉強のできない原因
           質  問  内  容            教師 校長
悪い環境
4.00 4.03
教える内容が子どもにとって多すぎる
3.99 3.33
教える内容が子どもにとって難しすぎる
3.90 3.62
本人の努力不足
3.83 3.90
本人の能力の低さ
3.77 3.71
一斉授業のため子どもの学力に応じた指導ができない
3.61 3.42
先生の教え方のまずさ
3.59 4.10
本人の性格上の欠陥
3.58 3.69
両親の教育に対する無関心さ
3.44 3.70
本人と両親の間の悪い人間関係
3.38 3.61
本人の勉強方法のまずさ
3.30 3.46
両親の子どもに対する指導のまずさ
3.27 3.37
本人と先生の間の悪い人間関係
3.13 3.55
よい友人がいないこと
2.83 3.03
めぐりあわせの悪さ
2.24 2.47



5.クラスの特徴と学力

第1尺度:学級の秩序
席を離れてみんなはよく教室の中をふらついている(−)
先生のその日の気分で、みんなはさぼることができる(−)
どういうことがきまりを破ることであるのかよくわからない(−)
守らなくてはならないきまりはほとんどない(−)
授業はほとんど時間どおりに始まらない(−)
第2尺度:教師の指導性
守らなくてはならないきまりがはっきりしている
なにを勉強しなくてはならないかを先生ははっきりといってくれる
きまりを破ると かならず叱られる
授業の始まる前に席についていないと、先生に叱られる
先生はきまりについてわかりやすく説明してくれる
第3尺度:指導への信頼感
このクラスはまとまりがとれている
先生の授業の計画はよくできている
みんなはだいたいいつも静かです
先生ほえらい人というよりも友だちのような人です
先生はそれほど厳しくない



6. 学習活動の質と量に影響を与える要因

(1)個人的要因
 1)能力(知能・学力・判断力など)
 2)性格(対人的積極性・不安・劣等感など)
 3)興味・関心
 4)学習知識(学習内容についての知識・勉強の仕方についての知識など)
(2)外的直接要因(子どもの外側にあって直接に影響を与えるもの)
 1)親
 2)教師・学校
 3)学習内容
 4)友人の特徴
(3)外的間接要因(学習者を取り巻く心理社会的環境)
 1)対人関係
 2)学校への適応


メランコ人間とジゾフレ人間

最近の子どもはわからないという声は昔からあります。それに対して、いろいろな人がいろいろなことを言っています。そのいろいろなことのいくつかを紹介したいと思います。今回は、精神科医でもあり、『受験は要領』で受験の神様でもある自称している和田秀樹の『ジゾフレ日本人』を紹介します。


1.メランコ人間とジゾフレ人間の特徴
 人間は躁鬱病型と分裂病型に分けられる。躁鬱病型の人間を「メランコ人間」、分裂病型の人間を「ジゾフレ人間」と名付ける。主な特徴を比較するとこうなる。
メ ラ ン コ 人 間 ジ ゾ フ レ 人 間
自分のことばかりが心の主役。自分が あり過ぎる。
他人なり集団なりが心の主役。自分がない
自分にこだわり、失敗も成功も自分のせいだと考えて、自分が頑張ることで局面を打開しようとする。          周りの世界が怖いくせに、依存的で魔術的な他力本願の傾向が強い。     
情に絡んだ深い関わりを求め、その人なりの所属社会への強い一体化幻想を持つが、そういう対象を失うと脆い。    深い関わりは避けようとするが、表面的な 同調はうまく、その場その場で変わ れるので環境の変化に強く、転職や恋愛対象を変えるのにさしたる抵抗がない。
几帳面で、自分が作った秩序にこだわ る。経験則の方が強い。        当たり前のことが分からず、過去の経験が利用できず、自立できず、当たり前のものや、マニュアルを求める。
頑張りすぎ、なりふり構わぬ競争本位  覇気がない、夢がない、頼りない。
人目がどうということより客観的に性能の良いものを求める。 みんなと同じ馬鹿にされないものを求める。
言い訳でごまかす。
自分の攻撃性、不安欲動と逆の方向の態度をとる。
同じ人間に良い点も悪い点もあることを認めない。良いと思っていた対象に悪い点が見つかると、たちどころに幻滅して徹底的に悪い対象と見なす。
現実にあることや、昨日までやっていたことと矛盾することが平気でできる。
自分が頑張って人に誇れる最高のものを欲しがる「ラブアタック型」。 適当にやってみて女の子が気に入ってくれるかという他者優位の「ねるとん」型
自分が頑張り、責任感を感じ、「俺は人とは違う」「この仕事は俺にしかできない」と思い、自分の出世に血道をあげる。 みんなと同じでいいという横並び志向が強く、落ちこぼれにならない程度に適当に会社でやっていればいい。
自分にこだわり、人目を気にしない、ガリ勉や、スポ根の連中や、正義感にこだわり情に脆いガキ大将がいた。 みんなと一緒にいられなくなる、仲間外れになる、いじめられっ子になる、落ちこぼれになるのは大変な恐怖である。
目上の人目や、大切な人の人目を気にする。 人が怖いので脅しに弱いが、いやになると簡単に逃げ出す。


2.ジゾフレ人間の誕生

 昔は日本は貧乏だった。自分が頑張らないと食べていけなかったし、今より上の生活レベルを求めるには、いい大学、いい会社、いい地位を得なければならなかった。
 しかし、豊かになった現在では、自分が頑張り、人に勝たなくても、みんなと同じであれば、十分食べていけのであれば、頑張りや競争志向は緩んでくるのは当然である。また、子どもの遊びも、ファミコンやビデオなど、友達がいなくても一人でいられる娯楽が急激に増えて、友達の気持ちを考えて遊ぶのが煩わしいことも少なくない。
 産業構造の変化も大きく影響している。昔は第2次産業の時代で、性能のよい、優等生やスポーツ少年が求められていた。しかし現在は、第3次産業の時代になり、勉強やスポーツもそこそこできて、しかもイメージがよくて人に好かれなければならなくなった。


3.ジゾフレ人間と受験
 ジゾフレ人間の誕生は受験戦争までも変えてしまった。東大ピラミッド型頂点指向競争から、みんなと同じ型大学へ入るサバイバルレース化している。他の大学より定員が多く、伝統があって名前だけはみんなが知っているというファクターの大学、日東駒専(日大、東洋大、駒沢大、専修大)や大東亜帝国(大東文化大、東海大、亜細亜大、帝京大、国士館大)の人気が急上昇した。これは、旺文社の代田氏が名付けた「RENTALシンドローム」、Risklessで安全牌の大学、Energy savingで入るのにあまり苦労しない大学、Noveltyで新設大学・新設学部、Togethernessでみんなと同じ大学、Amenityで居心地がよさそうな大学、Look and locationで場所や聞こえのよい大学を狙うという心理が働いている。成績がいいと却って苛められる、仲間外れにされるのが怖いので、わざとたいして勉強しない子も増えている。

 もちろん、完全なメランコ人間もいませんし、完全なジゾフレ人間もいません。また、昔もジゾイド人間もいましたし、今もメランコ人間はいます。ただその割合が大きく変化してきたと言うことです。こんなにきれいに分類できるものではありませんが、生徒理解の一助にでもなれば幸いです。ところで、あなたは?

宿題の効能

ちょっと古いですが、1931年に出された岩波書店の『教育学辞典』には、次のように書いてあります。

 宿題は、自学自習の習慣を養成する上からも、また学校の教授時間のみでは学習の効果を挙げる事が出来ないから、家庭に於ける時間、殊に休暇等を有効に用いしむる上からも、有効であるには相違ないが、精神及び身体の薄弱なるものに対しては、その健康に及ぼす影響が甚大であるから、全宿題の分量に関しては、常に深甚の注意を払わなければならぬ。
平凡社の『教育学辞典』(1955年)に、武田一郎が、次のように書いています。
 正規の学校時間以外に果たすべき学習または活動として、教師から生徒に課せられた問題をいう.生徒はこの課題を、おもに家庭において果たすところから、宿題のことを「家庭課業・家庭作業・家庭学習」などとよぶこともある.しかし、邦語の「家庭作業」とか「家庭学習」ということばには、かならずしも教師から課せられたものだけでなく、生徒みずからの興味にもとづいて家庭でおこなわれる作業や学習もふくませることがある.
そして、マーセルという学者の宿題についての賛成論と反対論を紹介しています。
賛成論
1)父母が宿題を希望する。
2)学校だけではじゅうぶんな学習ができない。
3)宿題によって、家庭と学校との協力をつよめることができる。
4)宿題は、生徒の自主独立的作業をさせるのにつごうがよい。
反対論
1)学校でえられるような指導があたえられない。
2)しばしば悪条件のもとで学習しなければならない。
3)子どもの自由時間をうばい、精神的にも衛生的にも有害である。
4)家庭生活をかきみだすおそれがある。
5)学校でなすべき指導をしないで、たんに結果を検査するだけにおわるおそれがあ  る。
 また、宿題が出される目的として、次の6つの場合を挙げています。
1)正規の学校時間における学習の不足をおぎなうため。
2)いわゆる予習・復習をさせ、学校における学習の効果をたかめるため。
3)家庭で学習させることにより、家庭における子どもの非教育的な行動の時間的余裕をなくすため。
4)自分で学習する習慣をつくるため。
5)家庭と学校との協力をうながすため。
6)家庭でなければできない学習をさせるため。
 1)のばあいは、学級生徒数が過剰であるとか、学校行事や教師の不在などのために進度がおくれるところから、相当に多く行われる。しかし、学校教育の本質から考えて、学校で当然なすべき指導を、指導力の不完全な家庭で子どもにさせるということはあやまっている。一日もはやく不備な学校条件をととのえて、このような目的による宿題を解消すべきである。
  2)のばあいについては、まず、ふるい予習→本習→復習という考え方を再検討しなければならない。学習はつねにひとつの連続的発展の過程であり、つねに本習でなければならない。かつ学校のカリキュラムに必要な学習過程であるかぎり当然、学校の時間中に計画されるべき性質のものである。ただし、この一連の学習過程のある時期においては、家庭でも学習することが、当然に必要とされるばあいもありうる。
  3)はなかなかの卓見(?)です。父母の要望として課せられる宿題である。しかしこのような見解は、子どもの家庭における生活の意義をわすれたもので、安定感をそこなう危険がある。学校時間後における子どもの非行防止については、国や社会の責任において、他の観点から積極的に解決すべきである。
  4)のばあいは、いちおうは肯定される目的である。しかし、こんにちの学校教育そのものが子どもの自主的学習を尊重しているのであるから、家庭学習だけにこれをもとめる必要はない。ときとしては、むしろ逆に過重な宿題などのばあい、父母や兄姉の不当な援助をもとめる危険性が多い。
 6)は正論中の正論です。たとえば学習の必要上、夜のラジオ番組をきくとか、日の出、日の入りを観察するというようなことは、家庭でなければできない学習である。この点はホーム・プロジェクトも同様である。また子どもは、とくに学校から課せられないでも、家にかえってから読書したり、図書館へいったり、観察や製作などをすることもある。これらは、いわゆる宿題ではないが、りっぱな家庭学習ないしは家庭作業である。それゆえ学校から課せられる宿題であろうと、生徒の自発的興味にもとづく活動であろうと、この6)の類型こそ、家庭学習あるいは家庭作業の第1義的なものといわなければならない。

 理想を言えば、教師は授業で勝負し、生徒は4)の学習内容をみずからの興味と必要に応じて見つけ出して家庭での学習の習慣をつけることなのでしょうが、現実は厳しいようです。



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