禁無断転載
オバハンからの気まぐれ通信
(2006年02月&03月&04月)
パキスタン大地震にご支援いただき、誠にありがとうございました
日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のHPをご覧ください
■□■2006年04月29日(土)■□■
さらに気温は上がり41℃、早朝5時半でも涼しくはない…。
日本では鯉のぼりが新緑の美しい空を泳ぐ季節、GWの始まりであろうが、イスラマバードは煮えくりかえる季節の始まりだ。イスラマバード市内のアチコチに僅かばかり残っている地震被災者たちには、テント生活が地獄になったろうと思う。
しかし、山間のヌーリー村へ帰った被災者を追跡調査に行ったジョージやりほちゃんたちの報告によると、山の生活も凄じかったという。小さなテントを張るだけの平地もなく、隆起してズタズタになった急斜面に全壊したままの家屋が散らばり、僅か1ヶ月で住民は痩せ、無気力になって座り込んでいたと。トイレに行こうにも、地震で崩壊し流れた斜面では隠れる場所もなく、村住民との1ヶ月ぶりの再会は嬉しかったものの落ち着かなかったと。
前回は車の走れる道路から村への急登を見てびびったオバハン、急斜面を村まで登れる自信がなく、今回は山村行きを遠慮して本当に良かったと思いつつも、そんな中で暮らさなければならない彼らの生活は再建にはほど遠いと暗澹たる気持ちになっている…。
■□■2006年04月28日(金)■□■
ついに気温が41℃を超えた。
例年より40℃になるのは遅かったが、急激に暑くなったのでオバハンだけではなく、この2日くらいは皆なも脱水症状気味なのか頭痛を訴え体調を崩している。そんな中で汗を流しながら八升豆の水遣りは根性が必須。しかし、芽の出るこの時期に手抜きをすれば枯れることも多く、1日おきの水遣りが定番となった。とはいえ身体が暑さについていけないので、とにかく暑く感じる。で、何とか早朝に水遣りをしたいものだが、朝は水が来ないので(どこの家も1日2時間くらいしか給水されないので水槽に溜めている)、たかが水遣りとはいえ高い外気温の中での作業はキツイ。
だが、八升豆に含まれるドーパミンがパーキンソン病の特効薬になり、バイアグラ効果、さらにはボケ防止があると聞いてはオバハンの好奇心は増しに増すというもの。今年はいっぱい採るぞぅ!!
教育基本法改正案が閣議を通過、国会に提出されたという。
改正案では公共の精神や伝統と文化の尊重を求めているという…。そんな当たり前のことを条文として盛り込まなければならない日本とは、いったいどういう国なのであろうか?条文の一文一句を見ていくと、解釈の如何によってどうとでもとれるが、公共の精神や伝統文化の尊重をわざわざ謳わなければならない日本の精神性の貧しさを今さらながらに残念に思う。戦前の「修身」には天皇をまず畏敬するところから始まり、弊害も確かに多々あったろう。天皇を頂点とし家庭内での長幼序列が階級差別に通じるからというのもあったが、目上の者を敬うことが薄くなった敗戦後60余での弊害は、まさに甚大だといえる。
大きく勘違いされた「自由と平等」も大きな弊害となっている。自由とは何をしても許されるという意味での自由ではないし、平等もしかりだと思っている。先般、息子との話で「自由・平等とは、職業を選べる自由、教育を受けるに当たっての機会均等という意味での平等だった筈…」と話したが、いつの間にかそれすらもなくなって来ている…。義務教育費の削減ではさらに手抜きの教育しか受けられない子どもたちが増えようし、その中では格差がますます進み、階級化が進む…。
すでに1億総中流というような錯覚がなくなって久しいが、それにしてもアメリカ様追随の日本政府は我々をどう導くつもりなのか?
たまたまオバハンは、日本とは異なる幾つかの価値観の中から日本を眺めることになり、世界の中の日本として、アメリカ追随の危険をとても危惧している。
■□■2006年04月25日(火)■□■
額賀防衛庁長官は「75%の要求を59%に抑えた、有利な合意にこぎ付けた、してやった!!」とばかり、満面の笑みだったが…。
沖縄駐留の米海兵隊がグアムへ移転するについて、なんで日本側が7000億円もの費用を負担するのか!
オバハンにはさっぱりわからん!
日本政府(我々の税金)が、軍事訓練とは直接関係がないとは言え、なんで米海兵隊員の隊舎、庁舎、学校などの施設に使われるのか??不思議でならない…。
■□■2006年04月24日(月)■□■
4月も下旬、日中は37℃を超えるようになり、晴れれば肌を焼く陽射しに容赦がなくなって来た。
これから6月下旬の気温47℃までは、暑さとの根性比べだ。年々、体力気力が衰えるオバハン、なんの足しにもならないと知りつつも、地球上の資源無駄遣いに今夏も抵抗する。とは言え42℃を超えるとエアコンなしの生活は根性が要る。どこまで耐えられるのか?どうかの(自分との)根性比べで毎夏、自分の体力気力を計っている…。ま、早い話が老化を素直に認めたくないだけ…。そう言いつつも、その舌の根が乾かないのに、ポプラの若木がつくる小さな木陰に身を縮め、流れ落ち目に入る汗に顔をしかめつつ畑の片隅で僅かな涼を取っている。
八升豆の栽培は、この芽出しの時期に水が足りないと枯れることも多く、1日おきの水遣りが定番となった。
アフガニスターンでもそうだったがパーキスターンでも同じく、人を雇ってみても結局は細かく作業を指示し、監督しなければならないことは身に沁みて理解した。で、暑いにもかかわらず畑通いの毎日というわけ。もっとも水遣りの合間には、NWAのテント村からカシミールやバラコットの山村へ帰った被災者たちを追っての日帰り調査は続けている。
■□■2006年04月22日(土)■□■
3〜4日おきに雨空と晴れが交代でやって来た季節が終わり、本格的な夏となったようだ。
今週末は降って欲しいナァ…。
八升豆をいっぱい植え付けしたからなぁ…。
ネパール国王施政に対する抗議活動がネパールで続いている。
大型連休をひかえたこの時期にネパールで外出禁止令が続くなど、旅行を考えている人たちは不安だろう。しかし、王政廃止を求める数十万人ものデモ隊が外出禁止令を犯してまで街頭に出るとは、オバハンには大したものだと思える。
対して日本(それぞれの国情があるので、簡単に比較するのもオカシイが)天皇制廃止の話は微塵も出ていないのかね?女性天皇を容認するかしないかというだけの諮問委員会ではなく、天皇制廃止についても、この際しっかり論議すべきじゃないの!
■□■2006年04月19日(水)■□■
はや4月半ば。
2、3月は季節の進み方が1ヶ月も速かったのに、ここへ来て平年並みになったようだ。薄紫色の小花、ジャカランダの並木が天高く空を蔽うように咲き出した。燃える火を思わせる火炎樹も天を突いている、誰が名づけたのか本当に燃えさかる紅蓮の火のようだ。
さて今週は、カシミールへ戻った被災家族を追ったのに続いて、昨日もバラコットの地震被災地を往復。道中の暑くなったこと…。
地球上に存在するモロモロを少しでも消費しないことに生き甲斐を感じているドケチなオバハン、当然のことながら車の燃料も使いたくはないのだが、そこはシルクロードの時代のように歩くわけにもいかず、もったいないと思いつつも燃料を撒き散らしている。しかし、せめて車のクーラーには抵抗したいと、外気温が熱風に変わる40℃を超えるまでは使用しない。運転手や周囲には迷惑をかけるが、オバハンの我がままをお許し頂きたい。
しかし、そのお陰で?窓を開けて走る車の中へは街路に咲く色々な花の匂いが次々と流れ込んで来る。曲がりくねった山岳道路の両側から、空も見えないくらいに道へかぶさり、垂れ下がっているニセアカシアのまき散らす匂いの優しく素晴らしいこと!食いしん坊のオバハンは香りとともに花をも食べたいという誘惑にかられる。
で、バラコットヘは足利工業大学の先生方とともにソーラークッカーの実演に。オバハンのアイディアは、ブリキの盥の内側に別作りのステンレス反射板をはめ込み、太陽光線を盥の中心に向かって反射(集中)し、ご飯を炊くというもの。いつも合理的なつもりのオバハン、盥の内側にはめ込む反射板を外せば洗濯も出来るとご満悦!!曇り空で飯が炊けずとも、洗濯は確実に出来るというアイディア!
足利工業大学の先生方からの紹介はパラポラアンテナ式、熱箱型などなど。テント暮らしの被災者たちを前にした手品師よろしく、「さぁさぁよく見てね!お米を入れます。水も入れます、お天気が良ければ40分で炊き上がります!」山の中に住んでいるにもかかわらず、燃料に困っているという被災者たちはオバハンたちの実演に目をまん丸!
*21日付け朝日新聞 国際面(特派員メモ)にも、ソーラークッカーの記事が掲載されました。
■□■2006年04月09日(日)■□■
アフガニスターンの首都カーブルは盆地の真ん中にあって、昨日は竜巻状の強風…。それも民家から道路へ直接モロ押し出されて来る、垂れ流しのウンコが乾燥し、粉末になって午後から吹き荒れる…。その黄色い嵐に阻まれイスラマバードからのフライトは来ず。ナニクソ!それなら14時間かかって陸路で帰ってやる〜〜と思い、未明に目を覚ますとドシャ降りの雨ではないか!農民には嬉しい雨でも未舗装の道路は鉄砲水と土砂崩れに違いない!と、賢明なる判断。
電気もなくシャワーも浴びられない陸の孤島なみの、不便で大変なアフガンの何処に惹かれるかと言えば…、実は、こうした判断を常に要求される、緊張した毎日が好きなんだとしか言いようがないな。おまけに雨上がりの夜半に見える綺羅星のすごさ、ピンと張り詰めた高原都市特有の空気と、首都をとりまく山々に降った新雪が夜目にも白く見える…など、電気がないせいで昔の人々が見たのとほぼ変わらない、自然のままの夜景がオバハンには捨てがたい。
タリバーン政権の崩壊から4年半、新政権になってからは北部同盟の英雄マスードの肖像画をどこででも見かけた。しかし最近はそれとなく撤去されたりして、マスードの影は薄くなっている。イラクのように、アメリカ導入の政策失敗が絶対に許されない!との思いか、アメリカが力いっぱい支えているカルザイ大統領の肖像画が増えた。911のテロを、あたかもアフガニスターンのタリバーン政権が主導で起こしたかのように空爆を行ったアメリカ。アフガニスターンでアメリカの言う民主主義政権が根付かなかったら、アメリカの面子はない。今なお、国境付近でのアルカイダ掃討作戦と称する内政干渉の限りをつくしているアメリカへの反動は、何時か必ず起こるに違いない。
■□■2006年04月07日(金)■□■
『アフガン難民を支える会−SORA』の事務所もカーブルで5年目を迎え、5回目の引越しも無事終わった。
オバハンもアフガンで5年連続の誕生日を迎えるようだ。新事務所は今までの南地区から180度方角を変え、北になった。空港からは混雑で渋滞の酷い、緊張する怖い市内を通らずに事務所へ行けることになったし、 今までの事務所から比べると敷地は小さくなったものの使い勝手の良い事務所で大喜びのオバハン。
おまけに…。48時間中12時間くらいは電気にも恵まれ、なんと!!電気の温水器までついているという(オバハンにしては)贅沢さ。もっともシャワーの設備は壊れたままなのでバケツにお湯を溜めての行水方式で身体を洗う。とはいえ、途中で水もお湯もなくなり石鹸を残したままで寒さに震えながら行水終了。ま、アフガンらしいといえばアフガンらしいな。
ついでに、左右横ぶれの大きなアフガンらしく、新事務所の近所の通りではジュースやコーラと並んで輸入物のビールが堂々とフツーに売られている店が何軒も。店の中にもカーテンで簡単な仕切りがあって、ビールはそこで簡単に飲める状態という。無事引越しを終えての祝い?に、近所のジュース(ビール)屋は「今後ともよろしく、ご贔屓に!」と、ビール代金をまけてくれたと。4年半前のタリバーン政権時代には考えられない状況が生まれている。
■□■2006年04月03日(月)■□■
アフガニスターンでの本格的な支援活動開始時期はどこの団体もおなじらしく、この時期には毎年、飛行機の席がとれ難い。おまけに、天候も不安定でフライトのキャンセルも多い。国内便も北方地域へ飛ぶフライトは既に4日間もキャンセルが続いている。
しかし、飛ばないと思われたカーブル行きは出発が遅れたものの、ほぼ満席状態で飛び立ち無事カーブル着。空港からは事務所移転につき、そのまま借家さがしに向かい5軒ばかり見てから事務所へ到着。アフガニスターンの不思議なところは、借家の更新時期になると家賃が必ず5割り増しになること。それが悔しくて、手間暇を惜しまずオバハンは毎年引越しを繰り返す。
久々のカーブルはさらに建築工事が盛ん。しかし、建築基準はありそうもなく物凄い「姉歯建築」状態。細い細い柱の中層ビルはほぼ全面が反射ガラスやスモーク状のガラスで被われたおしゃれな概観だが、地震対策はゼロと見た。そんな「姉歯状ビル」が首都全体に林立。その林立によって多くの家庭が現金入を得ているのだろう、街には購買力の増えた人のために物品があふれている。
車も、どこの誰が儲かるのか、右ハンドルを左ハンドルにせよという法律が定まって丸2年、約半分の車が左ハンドルになっている。日本にもアフガン人の車(部品)輸入業者がたくさんいるが、ハンドルの付け替えを思うと日本からの直接輸入にはメリットが減ったようだ。
また、朝昼夕と学校へ通う女の子たちはフクフク太ってピンク色の頬をし、楽しそうに笑いさざめきながら登下校しているし、中には20年にもおよんだ内戦やアメリカの空爆を忘れたふとっちょのバカな子どももいて、それはそれでオバハンの癇に障る。
■□■2006年04月02日(日)■□■
晴れと雲りの天気が3日ごとに交互にやって来て、本日は超快晴。いきなり34℃にもなった。
冬の間は天窓からの柔らかく暖かな陽光や、屋上まで背を伸ばすブーゲンビリアの華やかな紅色を見て楽しんでいたオバハンだが、きょうは天窓から落ちてくる強烈な陽射しに目も開けられず、麦わら帽子を被りサングラス姿で机に向っている。いつも前向きなオバハン、ちょっとした避暑気分を満喫しながらボチボチと後始末をしている。地震支援に全力投入ボランティアのジョージ、りほちゃん、病気から復活したきむかつをはじめ、支援活動に関わってきた全員が、3月31日をもって中期支援活動を解散した。今ではNWA支援活動の決算など事務的な作業が残っただけ!
さて、先頃のアフガニスターンではイスラーム教からキリスト教に改宗した人の海外亡命が認められたと。
世界の多くの国では信教の自由が認められているが、イスラーム教から他宗教への改宗は認められていない…。カルザイ大統領は、欧米へ「いい顔」をしてみせたが…本来なら、これはカルザイ大統領の命取りにもなりかねない決断だ。ま、欧米が護ってくれるからいいのかも。カルザイ大統領の周囲にはアフガン人のセキュリティ・ガードはなく、ゴリラのようにごついアメリカ人が護っているのだし…。
この亡命を認める大統領の決定に対し、カヌニ下院議長は政府に対して「亡命させないよう」と求めたという。国内では釈放反対の抗議行動も起きたというし、下手をすれば世界のイスラーム社会からも反発をくらうだろう。ムハンマドの諷刺画も3ヶ月以上たってから、世界的な抗議行動になったからな…。
■□■2006年04月01日(土)■□■
地震被災者への中期支援プロジェクト、テント村が終わってみると、今度はアフガニスターン支援活動の開始時期だ。例年なら3月半ばには活動準備を終え、今頃はカーブルでバタバタしていることが多い。今春は地震のせいで若干遅れ気味だが、そこはお許し願いたい。
ただ、オバハンの夢である『バイアグラ効果のあるという八升豆プロジェクト』は既に開始で、豆はスクスクと育ち大きいものは15cmにも伸びている。昨年は栽培の要領がわからず失敗したが今年こそは何トン!と、欲はかかない。しかし、せめて「いっぱい」と思えるほどは収穫したい。
さて、アフガニスターンだが相変わらず治安は悪い。タリバーン崩壊後の1年くらいが一番マシだったかもしれない。けれども、アフガニスターンでも待っていてくれる有難いスタッフや未亡人たちがいるし、多収穫のじゃがいも、大粒の美味しいサクランボを根付かせたいとも思うので、今年も諦めずにトライする。
ただ、ハッキリ言って農業試験場の役人やスタッフたちには期待は持てない。農業省をアテにしたオバハンの間違いだった昨年に反省をし、今年は新たな策を展開する。サクランボの苗もフンザから遠路はるばる到着しているし、4月3日には出かける予定。
■□■2006年03月31日(金)■□■
毎日が日曜日のようなオバハンだが、きょうは久々の完全オフ!
テント村に住む村人たちの移動撤収は予定より3日、後片付けなど等も1日早く終わったし、日・パ旅行社の事務所もきょうは金曜日とあって静かな半日となりそう…。
そう思って眺める窓の外はのどかそのもの。ついこの間、花をつけていたと思う桑の樹の下には、早や紫色の実が点々と落ち、コマドリやムクドリがかしましく実をついばみに来ている。インコも早朝と夕方には姿を見せるし、初夏らしい趣になった。気温は32℃。
大統領令による地震被災者テント村の撤収も、本日を切りに強引に執り行われると聞く。一昨日、イスラマバード最大のテント村(被災者約6000人8団体の運営)へ、足利工業大学の方々とソーラークッカーの実演に出かけたら、「まだ1ヶ月はこのテント村にいられると思う」「予定はない」「帰村の費用を誰かがくれたら…」などと言う村人ばっかりだったのに、政府は思い切ったことをするようだ。
復興のためには、ダラダラ温情をかけるよりは…とする政府の意向はわかるが、帰村した被災者へのケアはどうなるのか?
■□■2006年03月30日(木)■□■
地震被災者支援で始めた日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のテント村は、本日をもって完全に終了した。
被災者からの聞き取りをキチンとし、完全登録を目指したにもかかわらず、何時の間にか狭いテントの中には親戚や兄弟姉妹夫婦が同居して暮らしていたりして、最終的には60世帯近くがいたみたい。他のテント村では、小さなテントを布や莚で3つに区切って3世帯のも家族が暮らしているのだから、それらから比較するとマシだったかもしれないが、言えば追い出されるとでも思ったのか。それが村までの帰り費用がもらえることもあって、未登録者が何組か出て来た。
とにかく12月初めからスタートしたテント村は、事故もなく幸いのうちに終了できてホッとしている。
ボランティアのジョージなどは4ヶ月間近く、1日の休みもなく頑張ったので終わった途端、力尽き倒れ寝込んでしまった…。きむかつも病気で3月初めからから抜けてしまったし、元気なのはりほちゃんとオバハンだけ。
地震から約半年間の支援活動には、日本からたくさんの人が来て下さったのだが、中には現地やテント村で子どもや女性と仲良くなって遊ぶことを支援だと勘違いしている人が何人か…。支援には医療支援、いろいろな技術指導、現地の文化や習慣に根ざした教育支援、物品をばら撒くだけの支援など等とあるわけだが、継続の意志もなく単発だけの「お友達関係感覚お遊び支援」が一番弊害をもたらすと、オバハンには不快でならない…。
そんな、こんなで不快な思いもあったが、カウントダウン・ゼロの日を迎え、テント村は終了した。
明日からは3日間休暇、来月3日からはアフガニスターンへ出かける。
■□■2006年03月26日(日)■□■
またしても、シトシト雨。まったく天気の変わりやすい毎日だ…。
夏場の蔬菜不足を解消しようと、実は乾燥野菜作りに精を出している。45℃にもなる夏場に出回る野菜は極少なく、この季節は大根や蕪、そしてその葉っぱまでを乾燥させて夏場に使うのだが、こう雨の日が多くてはスッキリ乾ききらない。
栃木県の足利工業大学から、燃料不足の解消を太陽エネルギーを使ってのソーラークッカーで…と煮炊きの実演に来ていただいたのに、肝心の陽射しがのぞめない。地震の被災者だけではなく、アフガニスターンではパーキスターン以上に燃料不足に悩まされているから…と、指導に来ていただいたのに、なんたる空模様!
■□■2006年03月23日(木)■□■
残月の淡い光が残る未明から、お腹に応えるような祝砲が鳴り響き始めた。
「あぁ、独立宣言記念日だ…」と、ベッドの中でパーキスターン建国を祝って「1、2、3」と祝砲を数え始め、好天に恵まれた昨年の華やかな記念パレードを思い出したりしている間に、再び眠ってしまったみたい。
例年なら2月末から首都の空を賑やかし、木立のカラスたちを驚かす低空飛行の編隊のよる航空訓練もなく、全国から集まる精鋭たちの足音も響かず、お国柄を披露する各民族による出し物もなく、春の終わりを告げるような建国記念の行事のない今年は、なんとも淋しい。
テント村の子どもたちを、このお祭りに参加させて喜ばそうとの計画は、国家予算の1年分にも達する復興支援金で、航空ショーや軍事パレードにかける予算がなくなったためにチャラ。パーキスターンの持つ軍事力を内外に見せる良い機会よりは、復興にかけたいとするパ政府の取り組みは正しいとオバハンも思う。
結局は、その代わりに昨年のパレードをTVで見ることになった子どもたちは愛国心を募らせ大喜び。日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のテント村へ来て、初めて明るい電気に接して驚いた子どもたちだったが、TVにも水洗トイレにも、シャワーにも今は慣れた。
オバハンは、今日は愛するパーキスターンの独立宣言記念日を、いただき物の赤飯で祝おうと思う!
「パーキスターン、ジンダバード(パキスタン万歳!)」
■□■2006年03月22日(水)■□■
パーキスターン政府は偉い!立派!!
地震被災者へ救援物資(食料)を配布するだけのNGO活動は、これ以上認めない、NGOへのビザを出さない、ビザの延長も認めないとする大統領命令が出た!この大統領命令のどこが偉いのか、立派なのか、分からない人もあろう。しかし、常々オバハンが感じ、思い続けていることを即、実現するパ政府にますますの敬愛念を抱いた…。パ政府曰く、支援NGO(国際機関の多くも)が物品や食料品の配布しかしないがために、村人たちはそこへ寄りかかり帰村もせず、復旧が進まないと。支援物資を配るだけの支援が被災者たちをダメにする、「物を配る優しさ、配らない優しさ」を、20年もの前から言い続けているオバハンの主張が通ったかのようで、何だかとっても嬉しい。
テント村の被災者たちとの間に出来上がった人間関係を考えると、テント村閉鎖に伴うお別れは淋しい。しかし、それでは村人が何時までたっても生活再建に向かえないと、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のテント村は、開始時より撤収を3月31日と決めて来た。
インドも、インドネシア沖の津波で大被害を受けたが、世界からの支援を辞退した。被災した人々は困窮したに違いないが、自力更生ともいうべき姿勢は高く評価されると思う。印パ両国のプライドの高さは、こんな所にも現れているというべきか。対してアフガニスターンでの支援のあり方、政府や人々の支援の受け取り方をついつい考え、比較してしまうオバハン。彼らの寄りかかり体質、略奪の姿勢?とも言うべき態度、それをどう表現するのが適切かと悩むが…。アフガニスターンは世界各国からの支援で人間性を喪失してしまった人が多い…。
パーキスターン北部大地震で被災した400万人は、これから困窮の極みになるのだろうが、なんとか出来る範囲で復興への支援を続けたい。
■□■2006年03月19日(日)■□■
晴れた天気が続くと思ったのに、当地イスラマバードでも菜種梅雨を想わせる、静かなシトシト雨になった。
首都イスラマバードは街の中心から東西南北どちらへも、僅か10分あまり走るだけで緑の広がる郊外になり、大地は雨を含み農作物には最良の状態になっている。郊外の農家では水牛が濡れた背中に駒鳥やカラスを乗せたままで寝そべり、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のテント村近くにいる移動しながら季節労働にたずさわる遊牧民たちも濡れたテント内で手持ち無沙汰に転がっている。
さて、地震被災者のための中期支援テント村の運営も、3月31日をもって終了するのでカウントダウンが始まった。
テント村内では彼らの帰村計画相談にのったり、今後の支援(奨学金制度など)についての聞き取りを個別にしたり、予備調査の計画を考えたり…と忙しくなっている。また、同時に被災者たちとの「お別れ会」開催や、皆さまからお預かりした支援物資の最終配布を考えたり、テント村は何時も以上に活気づいている。
きょうの「お別れ会」では、ビックリするほど美味しいパキスタン料理をご馳走して驚かせたい!と思うボランティア全員の意向で本職コック3名が腕をふるい、前日から丸一日かかって準備を済ませた。テント村の中で盛大に煙を上げて焼かれる、肉汁したたる熱々スパイスの香りいっぱいの炭焼きテッカはご近所にまで良い匂いを運び、大きな塊肉が入った香り高い炊き込みご飯、貴重な卵を彩りよく飾った野菜サラダなどなどは、外食の機会がない女性陣をことの他よろこばせた。4回もお替りを貰いに来た人もあるし、中には今夜のためにと隠匿した人もあったが、凄いのは食べ過ぎて鼻血を出した人。しかし皆の喜びようは半端ではなく「ありがとう!」「ごちそうさま!」の声に(当地の人はアリガトウなど感謝を表すことは、あまりない)、ご馳走をした甲斐のあった「お別れ会」だったとボランティア一同も満足だった…。
■□■2006年03月08日(水)■□■
3月に入り、首都のイスラマバードでは街路や空き地を花がうずめるように咲きはじめた。
オバハンは色鮮やかで派手な風合いの花よりも、清楚な白い梨の花と艶々しい緑葉のコンビネーションについつい心惹かれる。
その晴れた日の30℃を越す、夏を思わせる強い陽射しの下で、一部の地震被災者たちは山村への帰宅準備を始め、何時帰宅するかが話題になり始めた。
第一陣の帰村者は、地震で被災し、脊椎損傷で4ヶ月以上も入院していた車椅子の母親をかかえた8人家族。
テント村で支給された生活用具一式(テント2張りを含む)をワゴン車に山積みし、村までの車代をNWAから(皆さまからのご支援金を)受け取り、涙で目を真っ赤にしながらボランティアの手を握り締め、感謝の言葉とともに村へ帰って行った。
母親は舗装もされていない、坂の多い山道の村でどうして暮らすのか…。
彼らには必ず村へ訪ねて行くから!と言葉を交わしながらも、今後の生活再建を思い重苦しい気持ちになったのは確かだ。今から歯が抜けるようにして被災した家族たちが村へ戻り、再建に取り組んで行くわけだが、ハッキリ言って先の見通しなどはないに等しいありさま。なにはともあれ、テント村は少しづつ淋しくなって行く。
5ヶ月前までは見も知らなかった被災者たちとの間に出来た人間関係を大切にし、パーキスターンに住まわせて頂いている以上は、出来ることをする。3月31日を目処に、中期支援(テント村の運営など)は一旦打ち切り、支援者の皆さま方への会計報告を済ませてから、今後の長期支援に取り組みます。
皆さま方からのご支援を、彼ら等に代わって心から御礼を申し上げます。
日パ・ウェルフェアー・アソシエーションのHPはこちらから↓
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htm
■□■2006年03月05日(日)■□■
何度も言う(書く)が、たまらんなぁ…。
ブッシュはインドの核兵器保有を正式に容認した。
ブッシュのインド訪問に関心をよせる多くのパーキスターン人たちは、CNNから流れて来るニュースに憤懣やるかたなし!!IAEA(国際原子力機関)の査察たるは、なんという不合理なものであろうか?!!イランや北朝鮮、その他、もろもろの国が言う「平和的核の利用(建て前は)」は認めないで、インドの核兵器保有は認めるという、その不整合さをブッシュ(アメリカ)は世界にどう説明するのか?
国力(人口、経済、軍事力などなど)を単純計算するなら、インドとパーキスターンの国力比はおおよそ5:1になるといわれている。弱小国パーキスターンは、1947年のインドからの分離独立後からの60年間に3度戦い、そのたびに大敗を期して来た。パーキスターンにとっての国家存亡の折に、どこからも助けが得られなかったことから、自己防衛力を高める意味で核開発が進められた。核を持つということは他国に対して抑止力を持つこともあるが、ある意味では滅びることとも背中合わせの選択だ…。
ま、国際テロ組織アルカイダなどの掃討には協力せよ!例え平和的利用であってもパーキスターンの核の開発には協力しない…では、パーキスターンの世論も許すまいだろうなぁ…。
■□■2006年03月04日(土)■□■
信じられなぁぁぁい!!
ブッシュはアフガニスターンへの電撃訪問(僅か4時間)の後、インドへ向かった。
そのインドで、なんと、なんと!!!「アンタとこは核を持ってヨロシイ!必要ならば開発に協力します」とのたまわったらしい。世界中で核拡散防止だ、なんだと大騒ぎをやらかし、核開発を止めなければ軍事制裁も辞さないと言いながら、インドに対しては何て寛容なの?なんたること!!
おまけに「必要ならば戦闘機も売ります」と、セールスマンよろしく売り込みなどまでしっかりして来たというではないか。インドに核開発を許せば、当然のことながらパーキスターンも!と言い出すに違いない。オバハンの事務所でスタッフたちはその件で侃々諤々。そして、それが許されなかった時の反応も、核保持国になった時のことも恐ろしい。
さらには、そのうちに「インドに許して、どうして他の国にはダメなのか」との反応も出るに違いない。
日本での報道は知らない、しかし、アメリカの行動はあからさま過ぎる。いつものことながら自国のメリットのみしか考えていない。インドに核開発を許すことの裏には、中国へのけん制の意味があるのも確かだが、もう一方には12億からの人口を持つインドがアメリカの市場となる存在であることも見逃せない。インドの人口は毎年1500万人も増えているという…。
さて、パーキスターンにやって来たブッシュ。
ミサイルによる攻撃を回避するため、真夜中、イスラマバードに近い軍事基地へ密かに舞い降りたンだって…。ミサイルで撃墜されないために、あるいはテロをそこまで恐れるのなら、世界の弱者からも愛される存在になればいいのに…って、凡人であるオバハンなどはついついアホなことを考えてしまう。
イスラマバードでは朝から上空を舞い舞いする何機ものヘリコプターがウルサイ。各国大使館が立ち並ぶ外交特区の厳戒振りはかってないものらしく、日本大使館員でさえも自国の大使館へ入れないんだって!!!!!
そんな、バカなことって、あるぅぅぅ??
■□■2006年03月03日(金)■□■
パーキスターンでも鳥インフルエンザの注意が言われるようになった。
いわく70℃以上で加熱せよなど等。
笑えん話は、パーキスターンからの鶏は鳥インフルエンザにかかって怖いからと、アフガ二スターンでは鶏肉とともに卵の輸入も禁止に。北西辺境州の州都ペシャーワルでは鶏肉が大暴落、普段の3分の1以下になった。イスラマバードでの鶏肉値段はまだ半分以下でしかないが、さてさて養鶏業者には痛い話だ。イスラマバードから2時間ばかり北の高原地帯では養鶏が盛ん。こんなことでは倒産する業者も出ることだろう…。
欧米諸国をはじめ、日本でもアフガン人を怖い!と勘違いしている人が多いかもしれないというのに、彼らは臆病者の代表ともいわれそうなチキンを恐れている。
で、アフガニスターンを電撃訪問したブッシュは何を食べたのかナァ?
アフガニスターン全土には、アメリカ軍を中心とした多国籍軍が任務を展開しているのだが…。多国籍軍用にはそれぞれのお国から海の幸、山の幸、ありとあらゆるアルコールもアフガニスターンへ運び込まれている。先般は海のない国アフガニスターンから立派なタラバ蟹がお土産です…と、届いた。
タラバ蟹ですよ、タラバ蟹!!!
■□■2006年03月03日(金)■□■
ブッシュが来るというので反米感情がさらに?盛り上がっているみたい。
カラチの米領事館裏では自爆テロらしく、4人が死亡40人あまりが負傷したと報じられている。しかしイスラマバードは厳戒態勢のせいか、静かそのもの。
昨日は街中の塀に「死ね!ブッシュ」「ブッシュは人殺し!」などの大文字がペンキで書きなぐられていたというが、早々ときょうはペンキで上塗りがされ、文字は隠されていた。ウルドゥ文字での垂れ幕スローガンも撤去になっていると文字の読める娘が言う。パ政府、けっこうやるじゃん!やる気になれば手早く処理が出来るということか!?
本日の金曜日はブッシュに抗議してゼネスト、公共機関の車もすべてストップ。従業員たちも足の確保が出来ないとみえて欠勤者が多い。オバハンたちはNWAテント村の食料ばかりに気をとられ、家の分は「あるもの」と信じ込んでいたから、ないない尽くしの本日は有り合わせの物で簡単メシとなった。明日はブッシュ(反米)抗議デモになるというが、街は静かで落ち着いている。
こんな厳戒態勢では街の外から市内に入れまいと案じたが、昨晩はマンセーラの町からNWAテント村へ花嫁さんが到着した。
もっとも予定時間より大幅に遅れて到着したたため、結婚式は夜中の1時に執り行われたらしい。ボランティアのりほちゃんを初め、スタッフ全員が結婚式に呼ばれたが厳戒態勢の中で万が一があれば…と、昨夕はテント村から日本人は全員が早々と撤収。結婚式に参列してもらえないのなら…と、新郎のテントからは果物などがボランティア全員に山盛り届いた。お返しに、お祝いのミタイ(甘いお菓子)を5kgも届けたけれど…。出産2例に続き、今回は結婚式。テント村には、妊娠している人がまだ3人もいるし明るい話題につつまれている。というか、アッラーの神の御心のままに生きるイスラーム教徒は、現在の辛さを「仮の世の生き方、死んで天国へ行って本当の生き方が出来る」と、被災したことを余り苦にしていないかに見える。
NWAのテント村も3月末には閉める予定。
3月に入って暑くなった(30℃を超えてきた)せいもあり、ボチボチと村へ帰る希望者が出てきた。ブッシュのせいで本日は、村へ帰るための車が見つからなかったが、テントをはじめ一切合財の生活用品を受け取った家族からは、テント村での生活を本当に感謝された。これも、ひとえに皆さま方からのご支援の賜物だとオバハン自身もありがたく思っている。
荷物を車に満載にして村へ帰る家族に、幸あれ!
■□■2006年02月27日(月)■□■
賞味期限の切れた、G社のビスコにはトコトン泣かされた。
4週間近くかかって10人が朝からの作業、袋から出して別ダンボール箱への詰め替えを終え、ようやく2ヶ月かかって各地のテント村への配布も終わった。
黙って賞味期限切れをそのまま配ったなら、政府からは大目玉をくらったことだろう…。また、一時に大量のビスコを大規模テント村などへ配布したら、横流しをされ、アッと言う間にバザールの店頭へ並んだことと思う…。10人が4週間の作業の結果、元の袋やビスコの箱を売ったら合計330Rs(約660円)にもなった。売れた、売れた!!テント村で出たゴミが売れた!
必要とあらば経費を惜しまないが、普段はケチケチ大始末屋のオバハン。そしてカエルの子はカエルで、督永 強も捨ててしまえば単なるゴミを売りさばいて(貴重な時間は勘案ナシにして)、無駄にならなかったこと喜んでいる。夕食時、「あの腹の立つビスコの袋が330Rsになりました!」との発表に4週間の作業に没頭したジョージなどは特別の感慨があったのではなかろうか?
皆様からの地震支援金を1円でも無駄にしないのは当然のことながら、ゴミも売って支援金に組み入れたいと情熱を燃やした督永 強にもオバハンは脱帽!
■□■2006年02月26日(日)■□■
金曜夜からの雨は降り止むこともなく土曜日も、きょうも降り続き、雷とともに大きな雹混じりの雨で久々に寒い思いがしている。
そんなドシャ降りに近い、寒い雨の中で被災地のテント学校めぐり。皆さまからのご支援金を少しでも有効に使おうと色々考え、リサーチの一環というわけで、昨日は6校のコミニュティ・スクールを廻って来た。いずれもが月約400円の学費が払えず、公立学校へさえも行けない貧しい子どもを対象に開かれている寺子屋式の学校で、揃いも揃って壊れた家の1-2間、あるいは壊れた学校のベランダで寒そうに勉強中だった…。そして、その10-15%くらいの子どもが親を地震で亡くしていた。震源地からは50-70km離れている地区だったが、地震後4ヶ月にもなろうというのに瓦礫の始末もほとんど済んでいず、不便な生活をそのまま続けいる。
子どもたちは、初めて見る外国人に大騒ぎ、オバハンたちも人懐っこく礼儀正しい子たちに感動…。そして子どもたちへとエンピツを…と持って行ったのだが、ノートどころか教科書もないような学校が半分。誰一人としてノートを持っていないところへエンピツを持って行った自分のバカさ加減というか感覚麻痺を久々に思い知って反省した。
日本では、何かというと「子どもたちに文房具を!!」ということになるのだが、アフガにスターンでも「文房具では腹がふくれない!」と、何度言われたことか。衣食住足りて礼節を知る、勉強も大切だが、まだ家もなく充分に食べられない子どもたちがイッパイいることをフト忘れてた…。
■□■2006年02月22日(水)■□■
インターネットのスピードが超遅く、なんともかんとも待ち疲れる…。
プロバイダーからの連絡によると、カラチでの回線が壊れているらしい…。
さて、ついにキリスト教徒の精神的な拠り所の大元、ローマ法王までがイスラーム教の預言者ムハンマドの風刺漫画問題に、「人類の平和と相互理解のためには、宗教とその象徴を尊重することが必要だ」とか言ったらしい。欧米では「言論の自由を犯す」などと騒ぐメディアもあるが、それとても結局のところ、「預言者ムハンマドを侮辱したから許せない!」と騒いでいる次元と同一だと思う…。
なお、法王は返す刀で群衆の暴徒化を批判しているが、世界中で吹き荒れる嵐は当分収まらないのかも。キリスト教徒とイスラーム教徒の相互理解はそれほどまでに難しいものなのか?
911の時に、いみじくもキリスト教世界とイスラーム教世界の衝突のように言われたが、他国の持つ「違う価値観」を絶対に認めようとしないのはアメリカではないのか?民主主義、平等社会、独裁者からの解放、豊かで文化的な生活こそ人類の目指すところ…。
本当にそうなんだろうか?
■□■2006年02月19日(日)■□■
ムハンマドを風刺したことの抗議は全国的な高まりへ。
本日の首都は超厳戒態勢。
商店街も日曜野外大バザールも全部閉鎖。各街角には有刺鉄線のバリケードが張られ車はまったく通れない状態。パーキスターン・イスラーム教の指導者カジ・ムハンマド・フセイン主導の下にきょうの抗議集会には、汽車やバスなどでン万人もの抗議者が集まるらしい。以前にもカジ・M・フセインは30万人にも上る大デモを主導、前々々政権を倒したこともある大指導者だ。首都に入れまいとする政府側と抗議集会に集まっているデモ隊の衝突は免れそうにない。
本日の空港への送迎には万が一を考えねば…。で、笑えるのが(ノー天気に笑ってもいられないが)ウチの運転手たちは徒歩で(タクシーを捜して)空港へ送迎に行くことになった…。
■□■2006年02月17日(金)■□■
10日以上も前から、枝垂れ連翹の黄色い花が満開になって街路を彩っている。
薄緑色の枝垂れ柳の芽吹き、金平糖のような桑の木の新芽、路傍を彩るきんぽうげや梅、桃の花、当地ではカチュナールと呼ばれるリンゴの花びらを一ひねりして華やかにしたような、遠目には桜を思わせるような花が暖かさに誘われ一気に咲き出した。夜明け前の軽い通り雨、雨に洗われ黒々した樹から立ち上るむせかえるような水蒸気の匂い、透明な朝の光に艶々光る常緑樹の多種多様な緑。首都のイスラマバードは1年中で一番美しい季節を迎えている。
オバハンがパーキスターンへ移住をして来た20数年前には、3月10日頃が満開だった枝垂れ連翹。杏の花もその頃が満開だったのに、今や季節は1ヶ月ばかりも駆け足のようだ。
さて、預言者(偉大なる)ムハンマドを風刺したことに対する抗議行動はエスカレートしつつあり、本日は金曜礼拝の後に「抗議特別集会」があると、オバハンの事務所からも何人かが参加したようだ。市内をはじめオバハンの事務所から200m離れたところにあるEUの大使館などは厳戒態勢。さすがにまだ軍隊は出ていないものの、どこにこんなにいたのかと思うほどの警察官たち。ブッシュ来パの3月3日前後には外出禁止にも等しい処置がとられそう。
地震被災者たちが暮らすテント村へは、毎週500kgからの新鮮野菜(大根、カブ、人参、菜の花、ほうれんそう、カリフラワー、トマトなど)が、これ以外にじゃがいもとタマネギや主食の焼きたてナーンは毎食ごとに欲しいだけ、米や油、砂糖、紅茶、粉ミルク、スパイス、豆いろいろ、石鹸各種など等の生活必需品が配布されている。今週は、それらの買い物を早めに済ませ、万が一に備える。来パのブッシュやクリトンのお陰で被災者たちが食い損ねてはならない。
■□■2006年02月15日(水)■□■
パーキスターン政府も、デンマークなど漫画を掲載したメディアがある国からの医薬品輸入を禁止する方針を明らかにしたと。
ムシャラフ大統領はパーキスターン存続のためにアメリカ寄りの態度を強いられているとオバハンなどは思っているのだが、一般国民の多くからはイスラームの弾圧者、反イスラーム的政策を進める者と見られているようで、宗教界からの反発は大きい。下院(国民議会)では、3日に非難決議を採択したというし、さすがのムシャラフ大統領も「我々の感情を著しく損なう」と抗議している。しかし、これは相手国がデンマークだから正式に抗議出来たんだろうなぁ…。小泉と同じでアメリカに対してなら一言も反発出来なかったのでは?
本日は金曜日礼拝の日でもなく、また休日でもないのに首都イスラマバードでも抗議の大集会、デモになったと。日本の報道では約1000人が抗議デモとなっているが、実際の規模は5000人くらいだったらしい。写真で見る限りだがイスラーム原理主義に凝り固まったガチガチというよりは、指導者に左右されやすい純粋な?年齢の学生や生徒が多いように思われる。いずれにせよ外国人であるオバハンたちも、しばらくは要注意のようだ。
学校も明日から1週間休みとなるらしいし、3月3日にブッシュが来パというので、抗議の集会やデモはエスカレートするようだ。
■□■2006年02月11日(土)■□■
デンマークの新聞が9月に掲載した漫画を発端にして、5ヶ月もたった今頃になって各国イスラーム教徒の間に抗議デモが広がっている。アフガニスターンでも国内の各地で一部が暴徒化したりし、4人が死亡19人が負傷したとのニュース。また、パーキスターンでも火の手が上がりつつあり、要注意の様相を呈してきた。
もう10年くらいも前になるだろうか、やはり預言者ムハンマドを風刺?した小説「悪魔の詩」だったか「悪魔の誕生」だったか(サルマンラシュディー著)の本を日本語に翻訳した筑波大学の教授が、半月刀らしきもので喉を掻き切られて殺害された事件があった。筑波大学教授には気の毒だが、イスラーム研究者にしては理解が足りないと思ったものだ。
とかく日本人や欧米人にはイスラーム教に対する理解が足りないが、風刺したり冒涜してはならないことを肝に銘じるべきだろう。宗教や教義に対し信念を持ち純粋な心で行動する彼等を理解するのは難しいのかもしれないが、解らないなら禁忌には触れるべきではない。
■□■2006年02月10日(金)■□■
産まれた、産まれた、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のテント村では先日に続いて、またもや可愛い女の子が産まれた。女の子の名前はセリッシュ(朝の光)というので単細胞なオバハンは余計に嬉しくなった。4−5日前に産まれた女の子の名前はインドの女優の名前だと聞き、女優だとかタレントだとかに偏見を持つオバハンは、それだけで斜視したものだ。
もちろん女優さんやタレントさんの中にも素晴らしい人はいるのだろう。過去25年、オバハンがパーキスターンへの取材を通してお会いした、50人にものぼる多くのタレントさんたちにも人間らしい人はおられるし、中にはAさんのように、今回の地震支援金として100万円もの義捐金をお送り下さった方もある。単にチャラチャラ調子がいいだけでは、女優(タレント)業も人気を保ち続けられないということだろう。インドの女優がどういったものかは知らない、でもオバハンは女優やタレントなる虚飾のような存在が好きではない。
中でも国連親善大使をしている超有名女優(タレント)のように、ご自分を飾り立て、それが難民や下々たちを慰めるると信じている人と、「超飾らないこと」に意義を感じているオバハンとは意見の相違でしかないと認識しつつも違和感を持ってしまうのは、オバハンの心の狭さだろう。そんな訳でインドの女優の名前を付けた家族より、朝の光と名付けた家族の方が奥ゆかしく感じたわけ…という、偏見に満ち満ちたオバハン。
■□■2006年02月08日(水)■□■
秋篠宮妃が懐妊…。そんなことで長々、長々ニュースの時間を潰さないで欲しい。
小泉は「皇室典範改正」に相も変わらず意欲的のようだ。この人、一体に何でも改革(改悪)するのがお好きなようだが、同じ「改正」を言うのなら皇室廃止もしっかり議論して欲しいネ。仏フィガロ紙は平沼赳夫元経産相の「愛子さまが青い目の男性と恋に落ち、そのお子様が天皇になられることは、断じてあってはならない」との発言を紹介していたというが、いや、なかなか面白い。だから、そうなる前に潔く皇室廃止をすればヨシ!愛子さまとやらが誰と恋に落ちようがいいではないか?
敗戦後60年、人間平等や民主主義を言い連ねていながら、いまだに天皇たる自分たちとは異なる尊い(と錯覚する)存在がないと不安という日本人の多くが、オバハンにはわからぁぁぁん!
1ヶ月ほど前からテント村の住人姉弟に発疹が出来ていた。彼等の話では村にいる時には発疹はなく、バラコットのテント村で発症したという。発疹は出たり退いたり、麻疹ではなし、アトピーでもなし、?????で、ヤブ医者の娘は「皮膚科はわからん!」とラチがあかず、結局、病院へ行ったところ皮膚科専門医は「疥癬」だと診断。
バラコットでは11月から、イスラマバード市内のあちこちのテント村でも12月から爆発的に発症し、保健省はその駆除に手を焼いていると!そういえばバラコットで殺虫剤を大々的に撒いていた…。
敗戦直後の日本ででも流行ったであろう疥癬、今、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のテント村は『疥癬撲滅プロジェクト』で、先日から文字通り猫の手も借りたい忙しさだ。住民は200名しかいないNWAテント村だが、行き届いたテント村とのお褒めに相応しく、きめ細やかな運営を心がけている。
そして山村の住民なら殆どの人が持っている寄生虫駆除プロジェクトも並行しているので、テント村には雑多な作業が山積みだ。ボランティアのジョージやきむかつなどは休日もなく、オーバーワーク気味。
■□■2006年02月07日(火)■□■
カメラマンの不肖M氏は律儀な方で、毎週のように週刊B春を送って下さる。
お陰で表面的なTVのニュースだけでは知りえない、日本のニュースに触れる事ができ、たいそう有難い。どこの週刊誌もパラパラ眺めるだけで知りえることがあるし、それなりに面白い。
が、A新聞社の「ジャーナリスト宣言」なる広告には、ちょっと興醒めしたなぁ…。『−−前略−−曇りのない目で世界を見つめ、真実を伝えつづけること。A新聞社は、言葉のチカラを、ジャーナリズムを信じて闘いつづけます』…だって。大昔、まぁ何時だったか忘れたけれど、オバハンが知っているのだから、敗戦後には違いない。敗戦後は大本営発表で国民を欺いたことを反省、新聞(TV)報道は「不偏不党」だとする建て前があった…。もしかすると建て前は今もあるのだろう。
「不偏不党」とは言いながら、結局は視聴率の稼げそうな、あるいはその時の空気に感応し受け手の喜びそうなものしか報道していないのだから、そして政府発表しか報道しないのなら、なにが不偏不党か!!とにかく報道に多様性がなく、現政府は国民を都合よく誘導し、弱者切捨ての政治に我々の多くは気がつかないという有様。
大日本国営TV局と並んでA新聞社は、かっては日本の良識だと多くの国民は錯覚していたが、報道ほどクセモノはない。報道(言葉)の裏面を見るべく努力しなくては…。
■□■2006年02月05日(日)■□■
2月に入って急激に日射しの強くなったイスラマバード。本日の最高気温は28℃にもなった。夜になっても空気からは鋭さがとれ、温気がほど良く感じられるほど。明け方には4℃と、まだまだ冷え込むものの一気に過ごしやすくなっている。そんな急激な気温上昇に身体がついて行けなかったのか、珍しく体調を崩したオバハン。
アフガニスターン支援の活動の一環、カーブルで織っているカーペットが完成したとの連絡に、それを受け取りにペシャワールまで行ったものの出先でぶっ倒れてしまった(カーペットのプロジェクトも4年が過ぎ、今年の織りあがりは良く、中々の出来栄え)。前日も地震被災地への行き来では気分が悪くて、往復8時間の行き来は車内で寝たままだったし、気候の激変で持病のメニエール氏病が出たようだ。
それにしても春を飛び越して一気に初夏の気温、これからは日増しに暑くなるばかりだろうが、今月から来月にかけては厄介な菜種梅雨状の長雨に見舞われるのが通年で、テント暮らしは難儀する。
さて、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)へメールを下さった方々へは既にお知らせしたのだが、今朝3時に、テント村では女の子が誕生!HPでは、赤ちゃんを紹介しています。
そして、きょうにも、もう一人生まれそうなのです!!
■□■2006年02月03日(金)■□■
天窓から落ちて来る光線が昨日に倍して眩しい。
光り輝く澄んだ空気の中を朗々たるアザーン(礼拝への呼び声)が流れ、白く丸い礼拝帽を被った年配者たちが背を少し屈め、ヒタヒタとモスクへ向かっている。アザーンの後は抑揚のきれいなお説教が心地よく胸に沁み込んで行く。
金曜礼拝日の午後らしいひと時をオバハンは楽しんでいる。
■□■2006年02月02日(木)■□■
立春、陽射しに力強さが加わり晴れた日の外は汗ばむようになって来た。
黒々とした幹だけの冬木立の下ばえに緑がチラホラ見え隠れし、畑では急速に緑色が濃くなっている。パーキスターンの暦は本当に正直だと毎年この時期になると感心する。日本では厳寒を過ぎたとはいえ、まだまだ冬そのものであろうに、当地イスラマバードは春の濃厚な空気に包まれ出した。
しかし、そんなノンビリした気配・風景とは大違いの市内模様…。実は昨日、きょうとサウジアラビアの王様が御来パ、空港も道路も超厳重警戒。警戒のために走行車線を逆送してくる白バイ、50mおきに立哨、歩哨する警官や兵隊。ビルや高架の上から睥睨し、また200mおきに数人ずつ固まっている警察官たち。そんな道路状況で、昨夕はNWAテント村から帰れなくなったりほちゃんへ、道路解放の僅かな時間を見て弁当の差し入れ。方々、集団ヒステリーになった村人の様子を偵察。
りほちゃんが村人から聞きただしたところによると、バラコットの親戚からの電話で、24時間以内に大地震が起こると…。流言はヒタヒタ波のごとく押し寄せ、バラコットから避難してくる親戚たちがテント村へ入れて欲しいなどなど。それを聞いたテント村住人は恐怖の再現かと大パニックに陥りオイオイ泣く者、ケンカを始める者、抱き合ったままテントの中に蹲ったままの者など、興奮の極みでなだめようがなかったという。深く考えなくとも、目の前で一瞬にして家が瓦解し、何人もが亡くなり大怪我をし、呻く人を助け出すことも出来ず、食べる物もなく、寒さに震えた悪夢を思い出せば集団ヒステリーにもなろうというものだ。ただ、世界に誇れる地震予測研究の進んだ日本でさえも、直前の予測などはできないのが地震だ。24時間以内には有り得ないとは思うものの、いったん流れた誤情報には手足がついて一人歩きを始めてしまった。
各紙一面の報道ではアフガニスターン復興支援のロンドン会議で、アフガニスターンの治安や麻薬対策など、国家開発戦略の後押しということで、今後5年間の支援金総額が1兆2390億円と決まった。アフガニスターンへは日本政府も新規に約500億円からの援助を約束している。オバハンにはアフガン政府にも日本政府にも言いたいことや書きたいことがイッパイある。しかし最近では唇寒しの感つよく実に虚しい…。
それよりも書き出したら長々、長々、長々となって止まりそうにないオバハン自身、恐ろしい。
■□■2006年02月01日(水)■□■
50年以上に及ぶ印パの確執だが、雪解けムードは「欧米に付け入られないために…」という両国間の思惑、利害が絡んでか着々と進んでいるようだ。
中国に次ぐ大国に成長しつつある経済活動・発展が著しいインド、このインドにパーキスターン加わると巨大なマーケットが生まれる。もちろん何年間の後には16億人からの中国人口を抜いて世界一となる…。
そんな印パ間で2本目の鉄道が今月18日から再開と。
物好きなオバハン、カシミールからインドへの道路、そして南部の町を行き来する鉄道を何時の日にか利用してみたいと、また夢が膨らんだ。40年余の後に再開通する、この路線にはどんな人間模様があったのか??と。