禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2004年03月&04月)



■□■2004年04月27日(火)■□■
未明から荒天。
あちこちで賑やかに窓ガラスが割れたり、竹林が轟々と音をたて、直ぐ隣りの空き地にある背の高いユーカリの梢に落雷した…というので犬や猫たちまでが怯えてピーピー鳴いていたらしい。しかし、オバハンは何も知らずに天下泰平でグッスリ眠り込んでいたようだ。最近は2名のガードマンだけに警護を任せず、さらに安全を期すべく夜中だけ犬たちも庭へ放して、オバハンは白河夜船を漕ぐことが多くなった。早い話がオバハンの体力が無くなり、ベッドへ入ったら気絶しているということ。かってのように睡眠時間が4時間で、フルタイム稼動というサドマゾ的な生活が悔しいけれど出来なくなって来た…。

衆院選の補選では、いずれも自民党が当選に悲憤慷慨している。年金などをはじめ、いずれも弱い者に対してしわ寄せがあるこのご時世にいたって、国民の国政への関心が薄れていることを嘆かずにはいられようか!一般民衆である我々が国政に参加できるようにと、選挙権を獲得してくれた先達への思いを我々はスッカリ忘れてしまっている…。
パーキスターンの北方地域は、カシミールとともに、「最終的な帰属は国連の決議による」として、実効支配地域の固定化はなされているものの、未だにインドとの係争地ということで、その地域に住む住民にはパーキスターン国政への参加権利はない。
選挙権がない、国政に参加できない多くの人にとって「選挙権」への渇望は大きい。権利を放棄してしまっている多くの日本人に待つものは、困苦でしかないような気がする。

■□■2004年04月26日(月)■□■
日本も暑かったり寒かったりしているようだが、当地も例年にない長雨が続き思わぬ涼しさにホッとしている。長雨に叩かれ埃を流された緑の鮮やかさは格別で、そのやさしさには目を洗われる思いだ。

オバハンが30年前に考え、着工したものの途中で挫折し、それでも夢を捨てきれず再び5年前から実現にむかって邁進?しているギルギット(パーキスターン北方地域)での母子センター建設起工式には、資金援助を下さるJRU−PAC(子供平和基金)の代表が参列下さるというので、不安定な空模様を案じながら出かけた。長雨に、カラコルム・ハイウエーも地盤が弛んでいる様子だが、春先は何かと予定も立て込んでいるし、何かあったら対処するだけの時間的余裕があるのをいいことにギルギットへ。
母子センター建設起工式用地には『Mother Child Center』の看板をスタッフが立てかけ、オババハンは起工式場の草むしり。おもむろに周辺から集まって来た人々は看板を眺めるとオバハンの近くへ来て、「近所の者です、結構な物を作っていただけるのを感謝します。私たちも草むしりの手伝いをさせてもらいます」と言うので、オバハンは心底驚いた…。
言っては悪いがギルギットはとても特殊な地域で、排他的なうえ他人の足を引っ張ることにしか興味がないような人たちの集まりと表現しても良い。開明的であることによって、世界中からの支援が多いイスマイル派の人たちが暮らす桃源郷フンザとは大違いの、超保守的な地域がギルギットだが、彼らも海外からの支援を受けることによって、自分たちも変わらなくては教育の機会や仕事の機会が減ると考え出したようだ。

起工式は簡素だったが、北方地域の保健大臣や、式終了間際にはギルギットの主席大臣もかけつけて来、直ちに建設工事が開始となった。
JRU-PACのみなさまに深謝!!

■□■2004年04月18日(日)■□■
今年からボケ防止に短歌でも始めようと、短歌入門なる本を2冊ばかりパーキスターンへ持って来た。以来、57577と語呂合わせ?をしてみるのだが、未だ一句も出来ていない。未明まだ暗く、それでも微かに明るくなりつつある中で、カーブル市の岩山に張り付いた小さな家々の東向き窓ガラスが、弱々しい光に反射している様子とか、庭の桑が実を落とし、地面が点々と紫色に染まっている様子とか、「歌」にしてみたいとは思うのだが、思ったよりも難しくて手を拱いている。

さて、イラクでの誘拐事件は、オバハンにとっても正に「対岸の火事」ではなく、いつ自分の身に降りかかるやもしれず、その時のために対応を家族で再確認し合った。アフガニスターンへ行く!と決めた段階で、既に確認はしあっていたが、改めて再確認したというべきだろうか。イラクで誘拐されたのが天下の大新聞社や、TV局の正規スタッフであったり、また民間人であっても大商社の社員であれば、あそこまで叩かれなかったろう考えると、日本政府が故意に流したと言われる「自作自演」の情報や、人質解放にかかった費用を公開、負担させろとの(一部の)対応には賛否両論の立場から凄く考えさせられる。とにかく、日本が軍事国家、警察国家として強権を行使しつつある現実に進んでいることを、国民の大半が気づいていない、60年前に戻りつつあることを私たちはしっかり自覚しなくては。

昨日のTV放映では、イラクの臨時日本国大使が宗教指導者へ、日本の外務大臣からの感謝状なるものを手渡した際の、宗教指導者から臨時大使へのセリフはストレートで凄かった…。
「日本政府は、人質になった彼らが解放されるのを望んでいなかったようだ。解放されても喜んでいるように見えないし、我々の努力に対して感謝しているとも思えない」だと。このセリフの中に、日本政府のイラクへの対応ぶりが見えるようではないか。
彼らを拘束したムジャヒディィンを説得した宗教指導者が、「日本政府より我々の方が、人質のことを心配していた」「日本政府は人質の現況を知ろうともせず、われわれに接触しようともしなかった」と言明しており、そしてその弁が日本の報道では抜け落ちていると。日本政府のご都合主義的な見解や報道とは反対に、アメリカのパウエル長官などは以下のような発言をしている。
http://www.state.gov/secretary/rm/31489.htm
英文要旨:
こういった危険を承知でも、崇高な目的のために行動する勇気ある人々がいるらこそ、我々は前進できるのです。日本人は彼らのような市民を誇りに思うべきです。たとえ彼らが人質となったにせよ、「あなたたちが悪い」などと言うべきではない。われわれは彼らの解放に向け出来る限りのことをする義務があり、彼らを心配すべきです。彼らは我々の友人だし、仲間の市民なのですから。

仮に、これが「建前」の発言であったとしても、日本政府の首脳と比べると天と地くらいの差があるではないか!

■□■2004年04月16日(金)■□■
昨夕、新緑の始まったアフガニスターンから真夏のイスラマバードへの帰着した。
イラクでの3人はどうなったか?とTVをつけたら、今しがた解放されたばかり…というニュースが放映中、「ヤッタ!ヤレヤレ…。」と思ったのも束の間、新たに2人の行方不明が報道され、そのうちの1人は911以降からの知人で、新聞社の枠内での取材に飽き足らず、フリーとなった勇気ある人だった。

今回の誘拐に関しては「アメリカによる謀略説(日本政府に自衛隊を撤退させないと厳明させ、他国への模範とさせ、足並みの崩れそうになるのを防ぐ)」というもの、反対に「自作自演説(自衛隊の撤兵を求める)」というものなど、情報が錯綜した。昨今の報道では、報道規制がかかり過ぎ、真実が何処まで報道されているのか大きな疑問ではある。早々と自衛隊撤兵の意義を問う不思議なアンケートが大新聞社によって出され、「テロに屈しないために自衛隊は撤兵すべきでない」などという、情報操作??がまかり通るような報道が何処まで信じられようか。
与党は人質解放にかかった費用の公開を求めている。一説によると総費用は20億円ともいわれているが、オバハンのように日本政府のお世話になりたくないと意思表示をしている者には、それはどういった扱いとなるのであろうか?確かに危険を承知で「自己責任」としてイラクへ、あるいはアフガニスターンへ行った。今冬の北陸でのワンダーフォーゲル部の山岳事故と共に、「自己責任」の重さを再考するのを問われているのだと思うし、実際にそれを考えるには良い機会なのだと思う。

3ヶ月ぶりのカーブル市内は、生活全般に落ち着きが見られ、以前の沸騰するような(他人を押しのけ、掻き分け)利あるものに押し寄せるといった風潮が静まっていた。たぶんに生活のメドもつき、実際問題として個人のポケットに流れ込むお金も増え、生活が向上していることの表れだろう。
市内を走る車が全般にきれいになっており(古い物は田舎へ売られて行った様子)、カーブル大学の駐車場には学生たちが使っているらしい車が列をなして停められている。まったく昨年とは大きな違い、情景だ。また、市内の至るところで大型の建物が立ち並び始め(海外にいる個人のビジネスマンによるマンション、商店)、宗教関係の建物(イラン・マネー)などなど、建築全般に携わる人間は、市内の半分近くにも上るのではないだろうか?
市内の高級レストランでは、ショウウィンドウの中に外国製のアルコール類が堂々と陳列されており、「飲む」「飲める」のが開明的、あるいは金持ちである証明のような有様。オバハンが、普段は遠慮しながら食べる??(高いので)カバブは1人前が90円。でも、高級官僚が行くアフガン料理店では、カバーブが700円もするのだというから仰天ものだ。

■□■2004年04月11日(日)■□■
『パーキスターンの山岳地帯で落石事故、数人が死傷』のニュースに、小心者のオバハンの心臓は、口から飛び出すのではないかと思うほどドキドキした。幸いにもオバハンの事務所の車が落石を受けたのではなかったが、こうした天災とも思える事故の陰には、旅行約款なるものの存在もあるような気がする。旅行会社による募集ツアーなどでは、決められた旅行日程をキチンと消化しないと罰則があるというので、天候などの条件が悪くても、何が何でもスケジュール通りにしないといけないという重圧がアルと聞く。
一雨あったら必ず崩壊するようなカラコルムハイウエーを、オバハンならお客に「危険である」説明をして、予定の変更を申し出でる。かってのバス転落の事故で、そうしたことを学習した…。そして事故を二度と起こすまいと決心し、旅行会社の約款に縛られるような怖い旅行は引き受けられないようになってしまった。

近頃の桃源郷フンザには電気もあるし、電話もある。かってとは大きく様相が変わったとは言え、道中はまだまだ安全とは言い難い。確かに天災とも言うべき事故もあるが、旅行は決められた日程を消化するだけのものではなく、日程に余裕を持たせ、花がきれいなら、それをゆっくり愛でる時間や、素晴らしい景色や村人に出会ったら、お茶の一杯も飲める余裕が欲しいと思うものだ。亡くなられた方や、負傷された方へのお見舞いやお悔やみとともに、改めて自戒するオバハンだ。

■□■2004年04月11日(日)■□■
3ヶ月間も、カーブルの居住区や台所などを締め切っていたから、土埃が厚く積もり、その上、ネズミまでが繁殖して事務所は大掃除を強いられたというが、2週間ほどかかって徐々に事務所の機能が元へ戻りつつある。そして漸く、本日からTVでニュースが見られるようになった。

野外での支援活動が出来ない冬の間は、現地のスタッフに市内での活動と事務所を任せていたが、春になって植林や学校建設、カレーズ掘り、巡回医療が再開するので、カーブルへ戻ってきたと思ったら、イラクでの3日本人の誘拐で、気分の落ち着かないことは甚だしい。「対岸の火事」などではなく、いつオバハンたちにもふりかかるか判らない問題だ。
しかし、誰に頼まれたのでもない、オバハンは好き好んで、自分の意志でアフガニスターンへ来ている。家族も納得づくでオバハンをアフガニスターンへ出してくれている。だが、万が一、事が起こればオバハンの意志に関係なく周囲に迷惑をかけることになるのは確かだ。が、もしオバハンが誘拐され、それで「自衛隊派兵」の意味を国民が問い直してくれることになるのなら、それはそれで「意義」ありと考える。オバハンに関しては「解放交渉を!」と、日本政府などに掛け合い、騒いで欲しくないと思う…。などと書いたら、今、誘拐されている人たちの家族の身にもなってみよ!と、お叱りを受けそうだが。
しかし、3人の家族は立派だと思う。3人の家族へは嫌がらせメールや不快なFAXなどがいっぱい送信されて来ているというのに、そうしたことを態度にも出さず、「皆さん、日本政府に対して、自衛隊撤兵を強く呼びかけて下さい」と。

日本から遠いイスラーム圏というところに20数年住んでいるオバハンの経験から言うと、こうした事態になった時の日本政府の無策ぶりというのが手に取るように判る。川口外務大臣が、あたかも幾つもの情報を知っているかのように、そして独自の交渉をしているかのように言おうとも、中味が何もないことを。
TVのニュースなどでは、早々と、「日本政府の対応は正しかった。テロリストに対して毅然とした態度を取ることは国際標準であり、テロリストに譲歩することは世界中どこもやっていない」などという論調が流れているが、何というバカなことを…と、オバハンの怒りは怒髪天を衝く!という感じだ。思ってもみよ!犯人たちの立場になれば判る!解放しようと考えた矢先に、犯人たちの神経を逆撫でするような発言があったら、誰だって解放しようという意志を無くすと思うが。
自民党の阿部幹事長が、「かつてダッカやクアラランプールのように犯人グループの要求を受け入れて、国際社会から大変な避難を受け、そして、こうした事件が多発した苦い経験がある。今回は、しっかりと国の意思を示すということで、いち早く自衛隊の撤退は行わないということを宣言した。その決断によって、テロリストは釈放するという判断をしたようであります」だと。大馬鹿としか言えない発言だ。犯人たちの心情を理解していないとしか言いようがない。オバハンが誘拐犯なら、この発言に対して、さらに日本政府を窮地に陥らせてやろうと思うかもしれない。

とにかく、今は誘拐された3人が無事解放されることを心から祈念している。

■□■2004年04月08日(木)■□■
37℃のイスラマバードからカーブルへ来ると、さすがに涼しい。おまけに乾燥しているから快適この上なし。ただし、まだ4月の上旬だというのに、当地も日本と同じく花は2週間以上も早く、その上カーブル市内を取り巻く山々にも残雪が少なく、今年も旱魃で暑い夏を迎えそうな予感がある。
イラクでの占領軍に対するような過剰反応は、当地にはまだ見られない。タリバーン政権の崩壊から2年半、街を行く人々には落ち着きが見られるようになり、顔つきもおだやかで服装もきれいになっている。今年で3度目の春をカーブルで迎えるオバハンは、2年前、1年前を思い浮かべながら頭の中で比較を繰り返す。敗戦後の日本を直接知らないものの、日本の敗戦後に想いを馳せたり、敗戦3年後を想ったり…。とにかく、ここ2年間ばかりに感じた、沸騰するような人間の熱気が失せ、人々の顔つきが人間らしくなったことに、戦闘状態ではない普通の市民生活に、「平和」という私たち日本人にとっては当たり前の日常生活がもたらすものの大きさ、その価値をここカーブルで再確認をしている。

過日ドイツで、アフガン復興支援会議があり、またまた日本を初めとする支援大国が3年間で82億$だったかの大金を出すことが決まった。この会議にアフガン側が出して来た復興支援計画というのは、現実離れし過ぎた、文字通り「絵に描いた餅」的な計画だったという。アフガン側は2年間で275億$の支援金を要請したが、44億円の支援が確定したと。
タリバーンによる政権が崩壊して、この2年半につぎ込まれた世界中からの支援金の80億$が有効に使われていなかった結果を見れば、さらに3年間で82億$もの支援金を良く出す気になったなぁと、他人事のように感心してしまうオバハンだ。
アフガニスターンに対する主な支援国家は以下のようだったと思うが、大金をつぎ込んでいる割にはどれも大した成果が出ていない。特に目立つのが麻薬の撲滅。タリバーン政権崩壊直後の春から比べると(パシュトーン地域での)栽培は、確実に100倍には増えたと思う。昨年生産された阿片は3500トンというから、今年のそれは想像するだに恐ろしい…。生産が多い年はマーケットでたたき売りされ、それらは欧米の市場、あるいは日本へまで流れて行くに違いない。
アメリカ 国軍の創設
イギリス 麻薬対策
イタリア 司法改革
日本 武装解除、動員解除、社会復帰事業
ドイツ 警察の再建

■□■2004年04月06日(火)■□■
イラクの国内が酷いことになって来た。
欧米人や日本人はイスラームの「大義」を知らなさ過ぎると、ますます強く思う近頃だ。欧米式の民主主義なるものは、イスラーム国ではどんな意味を持つのかと、彼らは考えたこともないのだろう。
多くのイスラーム国では国民の教育も行き届かず、生活水準も欧米に比べると圧倒的に低いが、それでも「神」を信じて平安のうちに暮らしている人々も多い。争い事のない平和という状況と、心の平安は異なる。彼らは争いの中にあっても「平安」という状況を保つことが可能な人々なのだ。
おまけに幼少の頃より「殉教の美学」を刷り込まれている、イスラーム教シーア派の人々に、欧米の思想が交わるのは至難だ。我々は第二次世界大戦での敗戦後、アメリカから民主主義や平等なる思想を学び、現在の日本の指導者もその思想にドップリ浸かり、民主主義と平等が一番と信じて生きて来たと思う。共産主義や社会主義の衰退から、我々はますます民主主義こそ最良の選択と信じて来たが、その思想は「神」を唯一絶対のものとしているイスラームとは何処までいっても合い入れない。

シンガポール軍も今日明日中に全員が撤兵、スペインも6月だったかに撤兵というが、このイラク情勢の中ではスペインの撤兵はもう少し早まるのでは??石破長官は「情勢は常に変わるので…」と。福田長官は「国連主導の復興支援を1日も早く…」といったような意味合いのことを、まるで他人事かのようにスピーチしていたが、そもそも国連の決議を無視してアメリカに追随したことをスッカリ忘れたふうの発言に、日本政府のまやかしを強く感じる。
イラクでの騒乱に巻き込まれぬうちに、1日も早い自衛隊の撤兵を求める。とにかく、欧米や日本の常識とは異なる人々が存在することを認識しなくては。
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アフガニスターンでも治安情勢はますます悪化の一路を辿り、タリバーンの指導者であるオマル師は「2000人の自爆テロ候補者を有している」と、昨年末から意気軒昂だ。前にも書いたが、狭いカーブルの街で、朝夕の通勤時間帯に自転車の「自爆テロリスト」が意志を持って行動に出てきたら、それはもう避け難い。アフガンの場合は欧米人だけではなく、NGOで働いている現地アフガンの人々もテロの対象とするとの明確な「宣言」を出しているから今後はますますの注意が必要だ。
そうしたアフガニスターンへ、新たに82億$だったかの復興支援金が欧米や日本などから更に落される。これまでの3年間に使われた金額とほぼ同じなのだが、それらはどこでどういった形で有効に使われているのかとの、疑問がますます強くなる。
日本政府がアフガンの復興支援で引当、大枚の金をつぎ込んで、日本が主導で行って来た『DDR−武装解除、動員解除、社会復帰事業』などにも一定の成果が見られた、との見解らしいが、一時的に成果が見られたとしても、奥深い民族主義につつまれている彼らから「武器解除、武装解除をして職業訓練」に付かせることは、これから先100年の計になるのでは?

明日からカーブルへ出かける。この4ヶ月の変わりようが楽しみ??だ。

■□■2004年03月31日(水)■□■
22日の深夜に日本から帰パ、翌日からスカルドゥやギルギットへ行く予定や、アフガニスターンへの予定でバタバタしていたら、珍しく体調を壊したようだ。発端は川崎市での報告会へ行った日からではなかろうか?
川崎市は従来の工業都市から抜け出し、新しく生まれ変わろうとしているが、これまで住んでいた人たちの生活に対し、初めて真剣に想いを馳せた。文字では知っていた「公害」や「川崎市の大気汚染」なるものへ。最近の川崎市はこれでも空気がきれいになったというが、煤煙などに対して免疫のないオバハンは気管支を痛め、喘息らしきものを引きずって帰パしたようだ。それがだんだんと酷くなり、喘息状の発作が出たら呼吸困難と、血圧の上昇で頭の血管がブチ切れるのではないかと思うほどの頭痛、そのたびに体中のエネルギーを消耗して、ここ何日かは何も出来ない状態が続いている。
日本の空気汚染とパキスタンやアフガニスターンの空気汚染は根本的に異なると実感した。汚れや埃には強いオバハンも、川崎の空気汚染??にはやられれたみたい。住んでおられる方々は本当に大変だと思う。
報告会や講演会など、今回の日本滞在でも各地では大歓待して頂いた。30年もの昔に日本を離れたオバハンには、日本各地が珍しくてならない。前述の川崎市のように、通過するだけでも見えてくるものがあるし、その街に対する興味や認識が新たになる。

TVや週刊誌で大きく報道されていた、自衛隊の基地−北海道・旭川に舞う、自衛官の無事安全を願うという「黄色いハンカチ」なるものも、自分の目で見ない限り理解が出来ないとばかり、我がままを言ってJRUの方にお願いして旭川まで連れて行って頂いた。
しかし、「やっぱり…なぁ…」というのが実感だった。
自衛官の無事帰国を願うという「黄色いハンカチ」、旭川の中心部と自衛官が立ち寄りそうなスナックや焼肉屋、自衛官の家にピラっと見えただけで、町全体からは探さないと見つからない程度のハンカチだった。それをあたかも街全体にハンカチが舞っているように報道するTV局や週刊誌など、など。石破長官の発案によるとか言われているが、安全と無事帰国を願うなら、初めから自衛隊を派兵するな!!といいたいし、報道と現実の違いを自分で確認して、オバハンはオバハンなりに「やっぱり…なぁ…」と、ますますの不信感を報道に対して増幅させている。

20日は東京で、自衛隊派兵反対などのピースウォークに娘とともに雨を押して参加。時あたかも桜開花の季節で、天気さえ良ければ、もっと多くの人が参加したことと思う。日本全国120箇所で計13万人の人が参加したというピースウォーク。こうした力を全国的に結集、一つにまとめて議会に強く働きかけたいものだと、この遠いパキスタンからも切に願っている。目的のためには利害を超えてまとまらなければ!

■□■2004年03月23日(火)■□■
30℃もあるパーキスターンから雪の舞う仙台や、黄色のハンカチがピラっと舞う旭川、冷たい雨の中に集まった3万人の平和を願う人々の集まり「ピースウォーク」参加など、慌しい日本での17日間を終え、昨夜遅くにパーキスターンへ帰って来た。身体は正直なもので、早春の日本から夏のパーキスターンに順応するべく、そして時差を解消すべくオバハンの意志に関係なく「フル回転」のようだが、オバハンも負けず劣らずフル回転。溜まっていたメールを見たりお礼を書いたりしていたので結局、眠りについたのは未明近かったが、時差のせいでアザーン(礼拝への呼びかけ声)には目が覚めてしまい、またまたPCに向かっている。
そして6時半、朝靄の中を(難民キャンプといわれている)アフガン人の住む地域へ行ってみると、1年前にブルトーザーで壊された家々は僅かな隙間を残して建て直され、人々が通常の生活に戻っていた。逞しい彼らを喜こばしいと思いつつも、国連の難民帰還プロジェクトなるものには、ますますの疑問を持ってしまう。毎春のように、自国へ帰る彼らに対して費やされる莫大な「帰還費用」と称されるモノ。今までにいったい幾らくらい費やされたのか?その殆どが無駄になっていることを認めない国連関係者たち。

明日からはオバハンの現地活動が再開、とりあえず花満開のスカルドゥと、フンザやギルギットへ行って来ます。