禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2003年09月&10月)



■□■2003年10月31日(金)■□■
昼間は事務所の者たちが車を使っているので、オバハンは外へ出たくとも遠慮をして、邪魔にならないように気をつけている。その反動か、爽やかさにひかれ夕方になると車での外廻りがここのところ続き、午後5時半の断食明けサイレンが鳴るや、一瞬にしてシーンと静まりかえる街へ出ること、連続5日。
このサイレンとともに、誰も彼もが一斉に、甘くてカロリーの高い乾しナツメヤシの実を齧り、甘ったるい紅茶を「本日も無事断食を成し終えた満足とともに」飲み下しているのかと思うと、断食をしていないオバハンは後ろめたい。そもそも、断食明けのサイレンとともに、外へ走り出るという行為そのものが、断食明けの大切な時間を、心待ちにしていないという現れだ。
街には車の物音もしなくなり、道路から人影も消え、見事としかいいようがない。

ここのところイラク側の反米活動に勢がついている…。それで、国連関係者と赤十字の一部もイラクから撤退するという。
プライドの高いアフガンの人々(タリバーン)も、どれほど反撃したかっただろう。しかし、長年の内戦や経済制裁、オイルを初めとする産物にも恵まれず、さらには内陸部に位置する山岳地帯で疲弊に疲弊を重ねた彼らには、アメリカの横暴に対する反撃の爪さえも残っていなかったと言うべきだろうか?

■□■2003年10月28日(火)■□■
サウジアラビアをはじめとするイスラーム国では、昨日からラマダーン(断食月)が始まった。
オバハンは、例によって真っ暗な朝5時にはカーブルの事務所を出て、イスラマバードへと戻って来た。しかし、未明のアフガニスターン、で360℃見える土漠平原に首をめぐらすが、新月はまったく見られなかった。どこに新月が見られるのか?とにかく、周囲が断食をしているものと思い込み、車の外にいる人たちとも目を合わさないように気遣いながら、イスラマバードまで飲み食いを遠慮しながら来たが、インダス河から東側は本日からが断食と。

高く澄んだ空に蒼い色が残る夕刻、西の方角に細く輝く新月。こんな程度の表現しか出来ないことが恥かしいが、本日はくっきりシャープな新月をしっかり認めた。きょうから徐々に月がふくらみを増し、まぁるくなって再び新月に戻ると断食が終わり、この世で一番幸せな断食明けの大祭を迎える。ただし、これは1ヶ月間の断食を体験した者でないと味わえない、神からの贈り物だ。自分自身に何の枷も持たない、自由を謳歌していると大きな勘違いの日本人には、残念ながら一生味わえない喜びだろう。
何でもが自由に出来るようになった代わりに、日本人は多くの喜びから縁遠くなっているのを、知っているのだろうか?

断食月間中は、他人と争ったりせず心穏やかに、そして日の出前から日没後までは飲食と、すべての快楽も遠ざけて心身を清らかに保つので、本来は戦いなどがあるわけもなかった。しかし、アメリカが断食月を敬わずイスラームへの攻撃をした結果、イラクでも有りえない自爆テロが続き、大きな被害が出ている。アメリカのパウエル国務長官は、「この程度の自爆テロに、撤退していたらテロリストたちの勝利を認めたことになるから、撤退しない」と、力強く宣言していたが、テロリストたちを生み出すことになったのは、何が原因だったのか?
アルカイダ掃討作戦では、先週末に20人のアルカイダ兵士がパーキスターンに近い国境山岳地帯で殺されたとあるが、殺せば殺しただけの揺り返しが必ず来ると、オバハンは考えている。

24日は日本政府主導による、アフガン兵士からのDDR(武器解除)がクンドゥースで行われた。日本政府は既に4億$(約440億円)を供出したそうだが、現地での噂では、それらの支援金は再び軍閥に流れ、新しい武器が購入され、軍閥の下に新たな兵士が集まるだけだ!と。TVで武器解除の様子を見た、事務所スタッフたちも「古い使えないような武器しか差し出していない。日本は4億$??お人ヨシだねぇ…」と、鼻先で笑われてしまった。

■□■2003年10月24日(金)■□■
久しぶりにカーブル市内を、車で走ってみた。
相変わらずの建設ラッシュ、それもエ〜ッ?!と驚くような、豪邸が建ち並び出した。破壊跡が一番ひどかった場所でさえも、以前のイメージと全く異なってしまい、キツネにつままれたような、夢を見ていたような気までがするから、人間の記憶などというのは実にいい加減だ。
街の露店では、冬物を試着する人で溢れ、明後日からのラマダーン(断食月)に備えて、金曜休日に買いだめをする人がたくさん見受けられた。買いだめ出来る余裕が出来たということだろう。
それにしても、オバハンが不思議だと思うのは、このアフガンで過ごした400日近い滞在期間中、金曜日の集団礼拝を一度も見かけたことがないこと。個人的にモスクや川縁、砂漠や道路脇で礼拝している人は見かける。しかし、モスクでの集団礼拝というのには、現在までのところ、お目にかかっていない。
タリバーン時代にモスクへ強制的に集められて、集団礼拝をさせられた反発なのか、どうか知らないが、アザーン(礼拝への呼びかけ)が聞こえるだけで、何とも理解に苦しむ国民だ。まったく、何事にも右ぶれ、左ぶれが大きすぎる。

■□■2003年10月23日(木)■□■
アッというまに10月も下旬になって、標高1800mのカーブルは寒い!!…と思ってやって来たのに、朝晩も思ったほどには冷え込まず、毎日が快適な日和。乾燥が激しく、脱水症状気味で若干アタマが痛むけれど、ジッとしていれば余計に気分が悪くなりそうなので、思い切って台所の大掃除に半日あてた。オバハンがこの世で一番嫌いなのが実は掃除と洗濯。にもかかわらず、誰もいない本日は、大掃除日和?と思いたい。そうでも思わなければ、土埃や油で汚れ放題の台所をきれいにする気分にはなれない。

一昨日も、昨日も早朝から夕方まで、スタッフや村人が次々に事務所を訪れ、気分がせわしい。
後、一ヶ月ばかりで山には根雪が積もり、今年度の支援活動は終了となる。年内に学校の屋根を!と、村人もオバハンたちも願っていたが、予定通りに物事が進むわけもなく、今年は3教室分の屋根が上がれば上等らしい。オバハンたちが山から下りてから、村人とスタッフのコミニュケーションがうまく行かず、それらも学校作りが順調に進まない原因の一つではあるが、アメとムチの使い方が出来ないと何事もうまくは行かないと思う。
カーブルでの縫製教室では、新たに25名が中級コースを修了するので、その認定書を渡すべく準備中。ダシュトバッチの教室は先生が替り、午前と午後の2部制に変更。
カーペットの方も、新たに70枚ほどがペシャーワルへ送り出され、完成品となれば日本での販売にまわされる。

■□■2003年10月21日(火)■□■
18日に、アル・カーイダの首領であるウサマ・ビン・ラーディンと見られる者の録音テープが、アル・ジャジーラ(カタールを本拠地とする衛星テレビ)により放送されたとかで、翌日からはいろいろな方から、心配を頂いている。それによると、ウサマ・ビン・ラーディンによると見られる、テロ攻撃の声明が出たとか、そして、今回は、日本が攻撃対象として言及されたことで、今後の注意はさらに必要だと。
小泉総理は、日本の権益を最優先で、アメリカべったりの政策をとっているのだろうが、海外で日本の権益のために立ち働いている日本人も多い。今回はそうした、日本人や日本権益に対するテロの脅威だという、認識があるのか?といいたい。特にアフガンやイラクなどで、日本政府を代表するような形で援助に携わっている、NGO以外の人たちに何かがあれば、どうするつもりなのか。
彼ら日本政府を代表して援助に関わっている人たちも、自衛隊でイラクやティモールなどで支援に関わる人も、テロの対象としては、同じような立場ではないか?
「自衛隊を戦闘地域でないところで、支援にあたらせる」と、自衛隊のことばかりが報道されるが、テロは無差別の攻撃だということを再認識するべきだろう。ビン・ラーディンによると見られる今回の声明の中で、イラクに対する不当な戦争に参加する全ての国々、特に英国、スペイン、オーストラリア、ポーランド、日本、イタリアと、ハッキリ明言されたのだから、オバハンもうかうかしていられない!と、いったところ。
ブッシュは、文字通り、「地獄の蓋を開けた」と、思う。

■□■2003年10月19日(日)■□■
日中の気温はあいかわらず30℃、しかし、最低気温は10℃になった。庭師が芝生に刈り込みの機械を入れているが、夏場に比べると芝の伸びも遅くなった。それを眺めながら、ノンビリと日陰で飲む一杯のコヒーが美味しい。
明日からはまた、しばらくアフガニスターン、標高1800mのカーブルでは更に気温が低いだろう。コーヒ・ババの山々は冠雪にちがいない。
アフガンの治安は、日毎に不安定要素を増やし含んでいく。パシュトーン地区でのタリバーンの活動、元首相・へクマティヤールの反政府活動も阻止できていないし、日本政府が割り当てを食った、武器解除も今のところは、まったく進んでいない。それにしても、日本政府の交渉下手は、今に始まったことではないが、支援活動のうち、道路工事にしても割り当てられるのは、治安がイマイチの分の悪いところ。武器解除にしても、一番微妙な難しいことを押しつけられ、出来ないのなら手伝ってやる代わりに、支援金の供出をもっと!!何から何まで歯がゆくてならない。

それで、今度はイラクへ支援だと??国際社会の一員である限り、担わなければならない責任というのは解かる。しかし、余りにも主体性のなさ過ぎる外交に、オバハンにはイライラがつのる。
言って悪いが、戦争の何たるやを知らない、平和な日本人(自衛隊や政府)に、戦闘が続いているイラクでの活動が本当に出来るのか?毎日毎日アメリカ人をはじめとする、国際治安支援部隊(というのか?)の兵士が殺されている。新聞をよく見るといい、彼らが殺されていない日などはないくらいだ。

当地では、多くの家々が武装したガードマンを雇っている。狙われ、襲われたら成す術もないが、それでも抑止力としての武装の大切さは誰もが理解しているから、武装のガードマンを置いている。日本の平和は自衛隊を持たないことではない…と、パーキスターンやアフガニスターンに住む、オバハンには感じるものがある。単に憲法九条を死守するだけでは平和を守れないことも、もっとアタマを柔らかくして理解すべきだ。
自分が戦争(ケンカ)を仕掛けなければ、相手は仕掛けてこないなど、それは夢物語でしかない。車だって、自分が事故を起こさなければ安全というわけではない。向こうからの追突もありうるのだから。

■□■2003年10月11(土)■□■
日本政府はイラクに対して来年1年間で1650億円の支援金、4年間で5500億円を出すと。そして、それが「国力に対して相応しい」とアメリカが言うのだから笑止というしかない。国民の年金が現在の半分になるかもしれないという現状の中で、何をかいわんや…。
オバハンは日本からパキスタンへの移住に際して、20年前に年金を掛けることを辞めた。もちろん、国民の義務として支払わなければならなかったろう。しかし、「1999年7の月に空から大魔王が降ってくる!」との、ノストラダムスの大予言が流行っていたころで、それを思えば、オバハンはその時55歳、アカ〜ン!年金は受け取れない!と、諦めた。
今でも彦根に帰れば、市役所の年金課で言われる。「払って下さい、国民の義務ですから。それに10年以上もかけた分があるので、もったいないから続けて」と。しかし、貰う気がないのに掛け金を納めるのも、おかしな話しだと思う。

イラクは、TVのニュースなどで見る限り、アフガンより圧倒的に金持だ。国民の大切な税金が、支援金として本当に正しく有意義に使われることを、心底願う。何故なら余りにも「使われなさ過ぎている」のを、アフガニスターンで見ているから。

■□■2003年10月10日(金)■□■
満月。深夜になっても空には一点の曇りもなく、月の光で蒼くさえ見える空。
蒼い空を漆黒のマルガラ丘陵が分けているのもクッキリ見えるし、冷たい夜風の中で凄い満月だ。きょうから満月は徐々に細くなり、新月になれば今年の断食月−ラマダーンが始まる。イスラーム教徒の義務である断食。

ここ数年もの間に、シーア派に対して多くのテロを指揮してきた、といわれている、過激な原理主義政党の党首が暗殺された。首都の昼日中、高速道路の料金所の直ぐ近く、警備の警察官や軍人もいたところで起こった暗殺だけに、何人もの警察高官が左遷されたという。そうでもしなければ、国民を押さえきれないという事情もあったろうが、本当に政府はノド元に短刀でも付きつけられた気分であったろう。幾つもの宗教団体が、一日も早い犯人逮捕と、抗議のためにと政府に対し日にちを区切っているという。出来なければ全国的なストライキにも発展しかねない。
しかし、いろいろ聞くところによると、暗殺された党首というのも、この数年間に4000人からの人を暗殺、いわゆる殺人教唆をしていたとか。それで刑務所に入っていたのに、昨秋の選挙には刑務所の中から出馬、当選して出てきたという。それなら恨みをいっぱい買っているもの、殺されても当然か?
ただ、国民は、治安を守るべき警察や、政府に対して、怒りの矛先をむけていると。

■□■2003年10月09日(木)■□■
またもや月がまぁるくなって来た。それとともに遠ざかりつつある赤い火星が色を薄めて月の近くに見えるようになった近頃だ。今夜は快晴、雨あがりの空に月だけではなく、マルガラの丘までが蒼黒い稜線をくっきりと見せている。
本当に、一気に秋が深まった。

本日の英字新聞によると、イスラーム原理主義派に近い党首の暗殺者を見つけた者、あるいは通知した者に対して25ラーク(約500万円)の報奨金が政府から支払われると。パーキスターンで500万円といえば郊外なら200坪もある土地に大きな家が買える値段だし、田舎へ行けば一家族が一生贅沢に生活できる金額だ。暗殺実行犯逮捕へかける政府の意気込みが解かるというものだ。
明日は金曜礼拝の日、どんな追悼礼拝(集会)になるのか、緊張している。というのも、きょうの夕方から近くのモスクでもテンションの高まりが感じられるからだ。
息子の事務所でも、3軒隣りが焼き討ちにあったというので、緊張しているし、「何があっても抵抗するな!」「事務所のもの全部がなくなったとしても、損害は***くらいか…」などと、損害計算までしているありさまだ。

■□■2003年10月08日(水)■□■
物見高いオバハンは、早朝の安全な時間を狙って市内巡回に出る。まったくもって好奇心の強さには自分でも呆れるが、これだけはなんともいたし難し…。ハッキリ言って病気に近いものがある。楯を持ちヘルメット姿の警官50人づつくらいが、市内の各交差点で警戒を強めている。トラックに満載の警察官はどこへ運ばれるのか?
現政権がボヤボヤしていれば、これでイスラーム原理主義派だけではなく、多くのイスラーム政党が力を強めるのではないか?ムシャラフ大統領に続いて、10日後にはジャマリ首相も訪米、ブッシュとの話し合いはどうだったのか?親米化を望んでいない多くの国民からすれば、原理主義に近い政党々首の暗殺は、最優先で解決すべきことに思える。

■□■2003年10月07日(火)■□■
朝のしっとり静かな涼風に吹かれ、真紅に咲き誇るブーゲンビリアの花の下に椅子を持ち出し、新聞をパラリと見るのがオバハンの楽しみの一つ。しかし、今朝はスタッフの顔が暗く、差し出す新聞も重苦しかった。
見出しのトップは、スンニー派でイスラーム原理主義に近い政党の党首と、護衛の3人が暗殺されたとある。治安が保たれている首都の中で、それも夕方のまだ充分に明るい時間帯、多くの人が見守る中で暗殺者たちが行動を起こしたことに、何か大きな意味が含まれているのではないかと、オバハンの鋭いアンテナが警報をかき鳴らす。
それから2時間もしない間に、怒り狂った民衆が「早く犯人を逮捕せよ!」との抗議集会を始め、たちまち近所の商店街やバザールはシャッターを下してしまった。追悼集会とデモ隊はすぐ近くのラール・マスジッド(赤いモスク)から行進、行く手の信号機の電燈は幾つもが叩き割られ、ガソリンスタンド2軒は焼き討ち。バスもひっくり返され、映画館も焼かれてしまった。息子の事務所はアッパラという商店街にあるのだが、そこでも多くの店がショウウィンドウを叩き割られ散々だったと。
きょうは比較的静かだが、早く犯人を捕まえねば、次の金曜礼拝には、さらなる抗議デモとなるのではないかと案じている。

■□■2003年10月06日(月)■□■
先月、カラコルムの山で遭難した友人を見送ったばかりなのに、今度はネパールの山で家族のように親しかった友人を無くした…。山は過酷だ、真剣に登っている仲間たちには悪いが、山から早々と足を洗ってしまったオバハンには、彼らの死がまったくの無駄としか思えない…。

30年前、初めてカラコルムの山に来た時、自分はなんという傲慢で贅沢な遊びをしているのか!という罪悪感を持って以来、オバハンは登山をやめた。なんとしても頂上に立ちたいという執着心にも欠けたが、カラコルムの山麓に住む貧しい人々を目にした時には、どんなに大義名分をつけても遊びでしかない自己満足の行為に冷めたというべきか。
「人間、どこかで誰かのお役に立って一人前」と、亡くなった父親は言い続けてきた。その言葉に押されてカラコルムの山麓でオバハンに出来ることを模索して移住までしてしまった結果が現在のオバハンなのだが、ここで毎年のように起きる山岳遭難を見て、人間のありようを改めて考えさせられる。
人間はなんのために生まれて来たのかと…。

■□■2003年10月02日(木)■□■
昼間は30℃以上もあるイスラマバードも、朝晩は最低気温が13℃。木々の先端から黄葉が始まり、毎朝、陽射しが落ち着く10時くらいまでは肌寒い。オバハンもついにフワフワ、パフパフ、軽くて風通しの良い夏物パーキスターン服の下に肌着を付けるようになった。近所にある野外大バザールでも中古の冬物が並び始め、相変わらずの安さで人を引き付ける。中古の品物しか愛用しないオバハンの影響を受け、日本へ帰る前にジーンズや靴、上着を買う人が最近では多くなった。ジーンズが100〜200円、毛布が200〜400円、新品に近い立派な毛布も600円出せば買える。
「ワッ!!これ、見覚えがある!!」
JR労組員の奥様方が手作りしている、一度見たら絶対に忘れられないというパッチワークの敷物までが軒下に吊り下げられていた。何という偶然!奇遇!ちょっとばかり笑える話だ…と、喜び騒ぐJR労組のオジさんを前に、オバハンは考え込んでしまった。

JR労組がアフガン難民への支援物資として出した「敷物」が、どうして野外大バザールの中古品店で売られているの?それもJRのコンテナで何本も、直接アフガンへ運び込んだ筈のものの一部が??どこで横流しされたの?誰がその横流しで儲けたの?
ミカン箱より小さな箱には500円の送料を、ミカン箱より大きいものには1000円もの送料をつけて…と、中古品を送る人に注文がつく不思議さ。ミカン箱には毛布は入り切らないから1000円をつけたとして…。しかし、きれいな毛布が500円で買える…などなど、考えていたらオバハンの腹が煮えくり返って来た。他人の善意につけこむ悪徳商法のうちではないかと。

アフガニスターンでは日々、何時決まったの??というような規則が生まれ、アレレレ??と、いろいろなことで混乱が起こる傾向にある。昨年暮れに訪れた国立孤児院2ヶ所では、「民間の孤児院経営、孤児院ビジネスが政府の方針で禁止になった」と、孤児院の校長先生が話しておられたというのに、相も変わらず「可哀相な孤児」を食い物にする輩は減らないようだ。
また、ア政府が「古着なんぞは要らない!」と言っているのに、「可哀相なアフガン人」へ暖かな古着や毛布を募る団体もある。

可哀相!可哀相!飢餓に苦しむ人々のために!という言葉が世の中には溢れているが、オバハンが過ごしたアフガニスターンでの350日間で、飢餓に苦しむ人には出会っていない。確かに、彼らは日本人から比べると圧倒的に貧しい。自立のための支援は絶対に必要だと思う。しかし、どんなに貧しい山村へ行っても、人々は食べられている。日本人のように主食の他にオカズが3品、4品とつくような生活はしていない、大概がナーンと緑茶、あるいはヨーグルトが付くだけの食事で偏ってはいるが、とにかく食べている。何時も書いているように山村でも肥満児・婦人もいるくらいだ。どういう状態を飢餓というのか?オバハンと、それを言いたて悪徳商法をする輩との間には、日本語の解釈が大きく異なるとしかいいようがない。
オバハンの支援活動地域は、他のNGOが活動しないような辺地だし、時々は本職のTV取材コーディネイターとして、なかなか外国人も行けないようなところへまで入って行く。それでも飢餓状態というような人にはお目にかからない。

暖かな服、毛布もアフガン政府が「中古品の受け取りを拒んでいる」としたら、それらは何処の誰の手に渡るのだろうか?日本からアフガニスターンは凄く遠い。アフガニスターンの実態など、知ろうと思ってもなかなか知れるものではない。それを良いことに、次々に巻き起こる不思議な「お誘い」。
アフガニスターンの人々は乞食ではない、彼らに施しは要らない、彼らを人間として扱って欲しい。

■□■2003年09月30日(火)■□■
ヒヤ〜ッ!9月も終わりだァ…。
相変わらずのアフガン通い、もう何度、あのガタガタ道を通ったのか解からなくなった今年。バタバタしている間に、もう明日から10月で今年の支援活動期間が少なくなってしまった。
よく人から「よく体力が続くものと感心しています。やはり精神力とアフガニスターンの人たちを助けようという信念が、超人的な体力を支えているのでしょうか?」なんて質問を頂くのだが、オバハンは人を助けようという信念や、見返りを求めない行為などとはやや遠いところにいる。むしろ、アフガニスターンでの支援活動を通して彼らから頂くものの方が大きいと感じている。大人も子どもも彼らのすべてに共通する逞しさ、ガッツ、生きるための執着心、神にすべてを委ねた潔さ、物を持たない(持てない)シンプルな生き方などを通して、私たちの方こそが彼らから学ぶべきものがある。
パーキスターンやアフガニスターンなど、開発途上の国々に共通する、そのエネルギーがオバハンにとっての大きな見返りだと思う。そんなオバハンの生活を綴った「民宿のオバハン……(仮題)」が一冊になり11月下旬頃に出版される。

今年になって(たぶん)8回目のアフガニスターンだと思うのだが、両国の国境アフガニスターン側が急速に整備されて来た。埃まみれであることには変わらない、しかし今までは税関らしきものがあっただけなのに、小さいながらも出入国管理事務所がようやく完成。出入国の審査にあちらこちらと今年だけで、少なくとも5回は場所が変わったが、それも落ち着いた。国旗掲揚の場所も出来たし、VIP用のお立ち台?らしきもの、国家行事用にか芝生の張られた観覧席?も出来た。少しずつ少しずつ国としての概容が整いつつあるアフガニスターンだ。

『アフガン難民を支える会−SORA』の識字教室に通って来る女の子たちも、公立学校の黒い素敵なユニホームをちゃんと着ているし、カーブルだけではなく田舎の学校でもユニホームを来た生徒たちが圧倒的に増えた。田舎道や山道でスレ違う子どもたちは、少年だけでなく少女たちもがオバハンたち外国人の乗る車に向かってヒッチハイクしようと手を上げる。1年前には硬い表情だった大人も子どもも、なんという変わり方かと、こちらの方がとまどい対応に苦しむくらいだ。

■□■2003年09月18日(木)■□■
頭が痛い。きのうは終日あたまの痛みが治まらず、ついに痛み止めを飲んだ。
きょうもまだ治まらないので薬の世話になろう…、と考えていたら、朝日を遮り北東の空が俄かに真っ暗。グルグル…ゴロンゴロン…ドロドロドロという遠雷の音に続いて、早々と大粒の雨が落ちてきた。庭の竹やぶは大揺れに揺れ、雨を受けて大きく垂れ下がって重々しい。大きな窓の全面が垂れ下がる竹の葉と、その上に光る雨滴で日本画をおいたように素晴らしい。地面といえば黒く濡れた砂利の上に枯れた竹の葉が散り、寂びたベージュ色と黒の濃淡のコントラストがシックな着物柄のように見える。画家とかデザイナーといわれる人たちは、こんな風な情景の中から色々な作品を生み出すのだろうと、羨やましくなる。
雨が上がるとともに頭痛も軽くなった、熱いほうじ茶が美味しい朝だ。

当地の新聞では、「タリバーン」という単語の載らない日はない。
何人を逮捕した、あるいは殺した、殺された、どこ何処に潜入している模様…。タリバーンというのは、前にも書いたが「神学生たち」という意味であり、イスラームがある限り、毎日毎日数限りもなく生まれていく存在だ。イスラーム圏の国々に数限りなくあるマドラッサでクルアーン(コーラン)を勉強する若者たちはすべてタリバーンだし、彼らのすべてが過激ではないにしても、多くのタリバーン(神学生たち)が、アメリカに対する反発を強めているのは確かだ。
ムシャラフ大統領は訪米、24日にブッシュと会談予定。

■□■2003年09月15日(月)■□■
9月5日からアメリカとインドの合同演習(戦争ゲーム)が3週間もの間、印パ国境に近いインドの山岳地帯で続いている。その一方でアメリカはパーキスターンがアルカイダを匿まっているとのレポートを作成、パーキスターン(イスラーム国)へ圧力をかけて来ている。アフガニスターンがオサマ・ビンを匿ったとして空爆に及んだアメリカだし、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているとして攻撃したアメリカなので、敵国インドへの肩入れを思うだけでオバハンですら不安になる。

それにしても、イラク国内で大量破壊兵器が見つからずに困るブッシュとブレイアーは、イラク攻撃終了からの4ヶ月間に、なんぞ自分たちにとって有利な破壊兵器を運び込んでいないか??今にそれ見たか!!「大量の破壊兵器が見つかった!」と大声を上げるような茶番にならないかと憂いているオバハンだ。

■□■2003年09月13日(土)■□■
昨夜は朧雲の中に月が見え隠れ、ほの赤く光る火星は月との距離を毎晩少しづつ離してきている。快晴の夜にくっきり青白い月が煌々と輝くのも捨て難いが、朧雲の陰影や見え隠れする月もなかなか風情があると、改めて感心した。ここでオバハンに歌心でもあれば、短歌の一つも…と残念でならない。日本は厳しい残暑というのに、当地では確実に秋が深まっていくようだ。とはいえ、それは日本から比べたらの話しで、まだまだ日中は酷暑だ。

長年、芥子(けし)の花は春だけのものだと思っていたが、芥子は年2回作付けできると今年初めて知った。タリバーンによるコントロールがなくなった今年は、例年にない作付け面積の多さで、パシュトーン・ベルトと称される地域では、幹線道路脇でも結構な花が咲き乱れて「絵」になっていた。アフガニスターンでは芥子坊主から採った、推定4500トンのアヘンがヘロインの原材料になり欧米へ流れて行くと。対してパーキスターン側では1997年にアメリカとの間で結ばれた「芥子撲滅」会議によってコントロールができており?大きな成果を上げているらしい。
病院や医者に縁のない山間部の人々にとっては、アヘンは薬の代わりとして使われるのが常識になっている。しかし、他に収入の道がないからと、例え止むに止まれぬ生活のためであったとしても、また、人間の尊厳を根底からを破壊するドラッグ・ビジネスに携わり、莫大な利益を上げている輩を心から憎み、軽蔑する。さらには、好奇心でドラッグの魔力を垣間見たいと手を出す人間にも軽蔑を感じる。とにかく、そんな輩はサウジアラビアに倣って縛り首にするべきだ!!

911同時多発テロの首謀者とされている、オサマ・ビン・ラーディンを称え英雄視する大きなポスターが幾種類ものデザインで発売されている。特にペシャーワルを中心とした北西辺境州はタリバーンへの支持が強い。ブッシュ大統領のゴリ押しのせいで、アメリカは本当に多くのイスラーム教徒から反発をくらってしまった。強大な力を持つアメリカとしては、そんな反発など痛くも痒くもないと言いたいのかもしれない。しかし、徐々にボディーブロウとして効いて来ることを忘れてはならないような気がする。欧米諸国や日本は、目には目を!歯には歯を!のイスラーム精神を何と見るか!!

■□■2003年09月12日(金)■□■
11月24日午後から12月8日午前中まで『アフガン難民を支える会−SORA』の活動報告のため、日本に滞在いたします。
アフガニスターンの現状や活動報告を直接聞きたいという皆さまのご希望に、時間の許す限り添いたいと考えております。希望される方は下記アドレスまでご連絡ください。

メール:nippagrp@isb.comsats.net.pk

■□■2003年09月12日(金)■□■
9月も半ばになるというのに、まだ蒸し暑さが少し残り、澄みきった空とは言い難いものの、中秋の名月が見られそう。
ここのところイスラマバードでオバハンが寝ている場所は(気分によってねぐらが変わる)、南に面した半地下の部屋。夜明けとともに窓際のベッドからは溢れるように花をつけた真紅のブーゲンビリアと、濃淡おり混ぜ盛り上がるように膨れた緑ゆたかなガジュマルの樹が目に鮮やか。夜は花と樹の上空に月と火星が仲良く並ぶ。室灯を消すと、月の明かりでちょっと大き目の文字なら読めそうだ。まぶしい月の光を浴びて眠ると、顔のシワが無くなるという…、そんな魔法にかかりたい…。それにしても、なんという贅沢な明かりと静けさか。

昨年は、春から11月の下旬までの約8ヶ月をアフガニスターンで暮らした。今年はアフガニスターンとパーキスターン半々の生活になったせいか、忙しく往復を重ねるばかりでどちらにも腰が定まらず、両国内情報から遠くなった上、本職の方も中途半端で落ち着きが悪い。
しかし、カーブルでの未亡人を対象にしたカーペット・プロジェクトはそれなりに成果を上げているし、縫製教室の方でも今月から卒業生が先生(アシスタント)を務めるようになった。さらに行きたいと希望する子どもたちは学校にも通えるし、強い陽射しを避けるために華やかな傘をさして通学する女子学生や、勤め人らしい女性を見ると、カーブルが大きく変わったと感嘆せずにはいられない。もちろんブルカを被った女性もまだまだ多い、しかしコスモポリタンな大都市カーブルは確実に往年の姿を取り戻しつつある。

カーブルから8時間のスルハバット郡では、巡回医療や緑化プロジェクトの他に、最近では村人の要請で彼ら自身が労働奉仕をするのなら…という条件で、小学校2校の建設も進めている。1年生から6年生までの教室と職員室、物置。モデル・スクールにもなるようにと、立派な小学校だ。
同じ程度規模の学校としては、大日本国の小学校建設予算の(たぶん)15分の1くらいではないだろうか?大日本国はその国家規模に合わせて、カーブル市内でも公園の整備をしているのだが、オバハンが見積もった予算規模の12倍で仕事をどこぞの団体?に丸投げしたようだ…。もったいない…。

■□■2003年09月11日(木)■□■
昨夜は山から下されて来た友人を、ラワルピンディのヒンズー教寺院で荼毘に付し見送った…。
ご遺族によって薪の山に火が入り、消えそうに細い火がバターの油へゆっくりと燃え移り、細々とした火があちこちに広がり始めるころ、近くのイスラーム寺院からは夕方の礼拝への呼びかけ声が朗々と響き渡り、燃え上がりつつある火を見つめていたオバハンの心に沁みた。
イスラームでは火葬が禁止されているので、仏教徒である日本人の友人はヒンズー教の寺院でお世話になった。しかし、いつもながらに思うのは、昔ながらに火を見つめ燃え盛る中に見送って「お別れ」をする方に人間味を感じる。様々な形に姿を変える火の魔力、その魔力に守られ昇天していく友人の魂が見えるようだった。

■□■2003年09月11日(木)■□■
アルカイダを中心とする、テロの組織から報復を受けるのでは?と、後ろめたい気持ちのある一部の国々では緊張していたのだろうが、とりあえず何事もなく本日は過ぎつつある。…早いもので911同時多発テロより3年目だ。
それを記念してか??世界中に「やはり、あの911はアメリカによって仕組まれていた」とする証拠や、事実が氾濫しているのも面白い。
かつてアメリカのケネディ大統領狙撃テロも、何年かして事実がボロボロと暴露されていたが、アメリカとはそうした国なのだろうか?世界一報道の自由が保証されていると言いながら、真実を直ぐに報道しない(出来ない)、自由の国アメリカの報道の自由というものはいかなるものなのか?と、時折すごく考え込んでしまう。
「自由の国アメリカ」などというのも、私達の大きな幻想なのかもしれない。また、最近の日本にも「自由」というものがなくなっている現実を、私たちはもっと自覚しなくてはならないのかも。安っぽい「自由」なんぞは要らない、本当の自由をシッカリ考え直さなくては。