禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2003年05月&06月)



■□■2003年06月30日(月)■□■
食うや食わずの人が世界中に何千万人もいるというのに…。
たまたま見ることになったNHKの国際放送では、四国の懐石料理店で誕生日だかの犬に、本格的に取った出汁、手間暇かけた懐石料理を食わせていた。人々の暮らしがまだまだ安定していないアフガニスターンという貧しい国で、犬が懐石料理を食べるところを見たからでもないが、その醜悪さには吐き気がした。
日々、我が子に充分な食べ物を!と、心を煩わす人々の多いアフガニスターンやイラク、アフリカ諸国などの人々は、この番組をどのような目で見たことか?NHKの国際放送を見られるのは極一部の人には違いない。しかし、あの醜悪な放送を見て「アハハ!犬が懐石料理!」と笑う人がいたら、その人の心の貧しさに泣きたくなる。
作って食べさせる方(料理店)のプライドの無さ、見識の低さにもあきれてものが言えない。儲かれば良いとした節操のなさを恥ずべきだ!!!また、あんな醜悪な番組を一度ならず、二度三度流すNHK国際放送に抗議を申し込みたい。見てるのは日本人だけではないのだ。あの番組を企画、取材した人の馬鹿さ加減を思うだに恥かしくて頭が上げられない。

オバハンも大の犬好きだ。動物のいない生活、緑のない生活は考えられない。しかし、犬を人間のように扱うことはない。犬には犬の分があり、それを侵してはならないと思っている。

■□■2003年06月20日(金)■□■
本日は第3回世界難民の日とかで、当地でも記念式典がある。いったい何を祝うのだか知らないが…。
今年の会議は日本で開催されたので、多くの人に『世界難民の日』を知ってもらえたことと思う。しかし、私たちの想像を絶する、逞しさとしたたかさ、プライドの高さを持ち合わせている難民からは、私たちの方が学ばなければならないことも多いような気がする。難民を見たこともない日本人には(たぶん)可哀相…という印象しかないかもしれないが。

未明より雷と雨。
1年中で一番暑い夏至まで後2日というのに、早くも蒸し暑さが始まった。南部の方でも早々とモンスーンに入ったというし、この分では昨年に引き続き今年も酷暑の時期は短いようだ。

■□■2003年06月18日(水)■□■
毎日新聞のカメラマンがクラスター爆弾の不発弾を所持していて、それがはからずも空港で爆発、たいへんな不祥事になってしまった。毎日新聞社や日本国政府が相手国や被害者にどのくらいの誠意を示したのか知らないが、今回の寛大なる処置の陰には、莫大な補償や支援金のようなものが動いたことだろう。
毎日新聞の(元)カメラマンも、今までの取材する側から取材される側になってどんな思いを持ったのだろうか?取材される側になってはじめて、取材する人の無神経さや、思いやりのなさに腹を立てたのではないだろうか?しかし、爆弾の破片を持って帰っているのは毎日新聞(元)カメラマンだけではない(だから許されると言っているわけではない)。
アメリカのアフガン攻撃後、日本から取材に来たり、現地調査と称してやって来た人たちの多くが、いろいろな爆弾の破片を記念として持って帰っているのをオバハンは知っている。アフガンへ行ったという記念品的な意味だけではなく、戦場に行って来たというような、ちょっとした優越感情もあるようだ。不発弾や爆発物の破片を見たい、実際に手に取って自分の目で確認してみたいという人は結構多く、オバハンも「何処で破片が拾えますか?拾っておいて下さい!」という依頼を何回も受けている。激戦地になったところでは、それらは幾らでも拾える。一緒に取材に行った人たちの中には物珍しげに拾っていた人もある。
しかし当地で過ごした何年もの間に、何度も爆発物事故の話を聞かされて来た超怖がりのオバハンには、アフガニスターンの大地に落ちているものを触ろうという根性はない。

■□■2003年06月16日(月)■□■
SARSのせいで中国との国境を閉鎖していたパーキスターンだが、ようやく本日から中パ国境が開けられる。
パーキスターン側の出入国管理事務所(ススト)には、中国向けの商品を満載したトラックが連なって手続きを待っていたし、中国側でも同じ様だったろう。例年なら5月1日が開通日になるので、標高4700mのクンジェラーブ峠を何台ものトラックが越えて日用雑貨を運んで来るのだが、10日前に走ったカラコルム・ハイウエーは、大型車といえば軍需物資を運ぶトラックだけで、本当に静かだった。

ムシャラフ大統領は明日から2週間余もアメリカ、イギリス、フランスなどの4ヶ国を訪問。国内ではムシャラフ大統領に対して、国家の最高指導者と大統領職の兼任は違法だとか、軍隊の制服を脱ぐべきだとか、野党の突き上げが厳しくなって来ているが、ムシャラフは今まで通りの軍事路線を歩むと声明している。軍事路線とはいうものの、オバハンから見れば20年前の軍事政権より規制は緩いし、国民も政府に対してピリピリしていないし…と、大きく異なっているとしか言いようがない。現政権は、本格的な軍事路線と文民路線の中間というところか。
詳しく書き出せばキリがないから乱暴な表現になるが、オバハンの短絡的な思考では、パーキスターンにはまだまだ民主主義が育っていないし、また民主主義などは危険だと思う。で、現政権のような中間風的な政権が良いと考える。

■□■2003年06月15日(日)■□■
先般の大風以来、日に数回以上の停電。おまけに電話回線も調子が悪いのか、ここ3日ばかりはインターネットにも繋がらなかった。イライラ気味…。

早いモノで6月も半ば。街路などでは黄金色に盛り上がり、流れる滝のように美しかったゴールデンシャワーの花も盛りが過ぎつつあるし、それに変わって百日紅の花が街をうめるようになった。例年よりイマイチの暑さに、花々の色も今一つだが、それでも1年中、緑豊で花の途切れることがないイスラマバードの街は素晴らしい。田舎モノのせいか、オバハンには高層建築物のない、空間の大きいこのイスラマバードの街が何処よりも好もしい。
イスラマバードは、ここ数年で、車も人間も確かに増えた。野外バザールの屋台で買い物をしても「ありがとう」との声を何度となく聞き、信号のない交差点で相手に道を譲ると、これまた「ありがとう」と手をあげて挨拶返す青年に出会い、パーキスターンも徐々に変わって来ていることを感じる。日本人は「ありがとう」と「ごめんなさい」を気軽に連発する。私たちにとっては子どもの頃からの一番身近な単語だが、こちらでは「ありがとう」「ごめんなさい」を現地の人から聞くことは非常に少ない。
欧米諸国で住み難くなったパーキスターン人(イスラーム教徒)が911以降、大勢、帰国しつつあるこの頃、彼らのような帰国者を中心にパーキスターンも変わって行くのだろうか?

そんな欧米先進諸国での生活に慣れた都会モノを対象に、24時間オープンの店や休日でもオープンしている、小さいけれどスーパーマーケット風の店が幾つかイスラマバードで見られるようになった。クーラーの入った店では輸入物の食品や果物が並び、汗もかかずに買い物が出来る。人間は楽で便利な生活を一度味わうと抜けられないようだ…。

■□■2003年06月11日(水)■□■
TBSの番組『世界遺産』、アフガニスターン分の放送日が決まりましたのでご案内いたします。
    ・7月06日(日) バーミアン
    ・7月13日(日) ジャムのミナレット

■□■2003年06月10日(火)■□■
パーキスターンの(予算)年度は7月1日から。
新聞の日曜版による今年度の国家予算では、新しい税制の導入はなく、また保健衛生関係には前年度予算の20%アップ。公務員や、その退職者の給料および年金額が7月1日より15%アップになるとある。政府の統計によるインフレ率は3.3%と発表されているが、実生活者の感じとしてはもっと高いような気がする。数年前までの食生活費から考えると、大幅に高いもの…。ただ、車輌やクーラーなどの電化製品に対する税率は下がったというから気分的には嬉しく、ありがたい。
軍事費の国家予算に占める割合は20%と思っていたより少なく、かって本当の軍事政権だった15年もの昔に比べると3分の1にも減っている。
武力では平和を保てない、印パの問題にしても両国で核開発などしても何の解決にもならない。話し合いですべてが解決するなどと、夢のようなことを信じてはいないが、各国軍事予算を引き下げることで隣国などに与える悪影響を引き下げるべきかも。パーキスターンの軍事予算が20%であったことに快哉を感じる。

SARSなどの影響で乗客が減り、利益が大幅に減ったPIA(パーキスターン航空)。成田/イスラマバード間は毎週2便のフライトが、ついにが週1便になった。夏休みの始る頃には再び週2便になるそうだが、SARS影響で減収だったにもかかわらず、PIAは良く頑張ったと思う。

■□■2003年06月09日(月)■□■
本当かどうか??6月5日〜7日までは連日47℃〜48℃だったとか。イスラマバードを留守にしていてヨカッタ!
イスラマバードの暑さを他所に、ギルギットでの仕事を終えたあと桃源郷のフンザへまで足を延ばして、朝晩の寒さを楽しんで来た。時間の捻出は、毎朝4時半からの行動開始でおぎなった…。我ながら物好きだと思う…。

昨日は丸一日、雨が降る前の重く湿って体温より遥かに高い空気に、呼吸も覚束なかった。
しかし、ようやく今朝未明から台風なみの強風と横殴りの雨。ガラスの割れる音、次々と何かが吹っ飛んで転げて行く音、犬の遠吠え、絶え間ない雷の音、大木の折れる音と騒がしく、完全な睡眠不足…。
街では直径50〜70cmもある大きな樹があちらこちらで倒れ道路を封鎖しているために、警察も出て交通整理に余念がない。普段なら5分のところ、20分もかかったと遅れて来た従業員たちが、バタバタしながら朝の仕事にとりかかっている。

■□■2003年06月08日(日)■□■
オバハンと事務所のケイコさんが数年前から個人的に開いている、パーキスターン北方地域の中心地ギルギットの識字教室(母子保健教育を含む)と、縫製教室の生徒が増え過ぎ、何とかして欲しいとの要請もあり、僅かな時間を見つけた6月5日、急遽フライトした。いつもはお天気次第のパーキスターン航空(PIA=Pパーハップスたぶん・Iインッシャラー神の御心・Aエアライン)が、連日の多忙で睡眠時間を削るオバハンを哀れんでか、信じられないような軽やかさで、8000m銀嶺ヒマラヤ山脈をやや見上げながらスンナリ飛んでくれた。

ギルギットの教室は、オバハンの生き方そのもの、「シンプル イズ ベスト」がモットーである。化粧の禁止、装飾品の禁止、洗いざらしのシンプルな服であること、シンプルで無駄のない生活を心がけること。
ギルギットに住むオバハンの元亭主一族郎党約1万人は、頭の中身が本当に少ない。見栄っ張りで、いかに余裕があるように、金持ちに見えるか?そして、なきに等しいくだらないプライドを守るために生きている。そして、「女は綺麗にして座っていれば良い。勉強は5年生(小学校教育)のみで良い。」という男の勝手な価値観?に左右されている女性の社会。身を飾る(飾れる)ことが人間の値打ちを決める?と思い込んでいるようなところへ石を投げ込み、波紋を広げるのもオバハンの生き方…。
オバハン自身は大の勉強嫌いだったが、ある程度の教育が必要なことは理解している。25年もの昔にも教室を開こうとして一族から反発をくらい挫折したが、近頃では、ようよう一部ではあるけれど彼等自身が教育の必要性を感じて来た。最近では学校教育(10年生の卒業、日本の高卒にあたる)を受けたかどうか?が、嫁入り条件の一つにもなってきたと。
何でも良い、何かを学んで欲しいという願いを込め、細々とした活動を続けてセンター作りに動き出したのだが、この間は世話になろうとしていた北方地域の主席大臣が射殺された。今回はオバハンのカウンター・パートを務める夫婦の父親が脳卒中か何かで倒れ、目の前で事切れた。
「運の悪いプロジェクト!…」と、一瞬腰が引けそうになったが、そこは前向きのオバハン、「命は儚い!自分が後悔しないために!」プロジェクトをこのまま推進しようと決心。

ギルギットの識字教室では、活動を宣伝することもなく、ごく静かに勉強をしたり裁縫を学んだりしていたが、オバハンがアフガニスターンでの活動に走りまわり始めたら、彼女たちにも「欲」が出たと見えて、「自分たちギルギットへの支援をもっと!!」と言い出した。これも一つの進歩かもしれない。
アフガン難民を支える会−SORA』でのボランティア活動にも手抜きは出来ないが、ギルギットは元々はオバハンの地元。せっかくやる気を見せている彼女たちをムゲには出来ない。

■□■2003年06月04日(水)■□■
暑くなった!暑くなった!
昨日は42℃、一昨日が41℃のイスラマバード。ガァ〜ン!!ギラギラ、ジャッキーン!!と陽射しが夏になった昼日中、腹筋に力をいれ、気合も入れて買い物に行く。車から降りて、僅かな道のりであっても日陰のない陽の下では50℃にもなっているから、このシーズンの買い物は気合を入れていないと倒れてしまう。しかし、これでなくては夏ではない!!
インド国境に近いラホールが47℃、美味しいマンゴーが採れる町ムルターンは49℃だという。ようやくマンゴーなどの夏果物に期待が持てる。

■□■2003年06月01日(日)■□■
6月の声を聞いた途端、イスラマバードも39℃と夏らしくなった。
今までの白っぽい空が急に青空となり、外で植木を刈り込んだりするのにも息苦しい。とは言え、1年中で1番暑い6月になったというのに、まだ39℃だ。とにかく今年(5月)の涼しさは新記録に違いない。世界一美味しいといわれるパーキスターン・マンゴーの味は暑さに左右されるから、どんな具合かと気にかかる。などと、やはり20年以上にわたってパーキスターンやインド、アフガニスターン関係の調査研究をしている友人と四方山話…。

友人とは日曜毎に、パーキスターンを取り巻く周辺国との国際関係を勉強?するのだが、本日の話題の中心はアフガニスターンの某大臣の処世術から学ぶべきこと、そして日本におけるアフガン人の難民認定についてであった。
事務所の大住が怒り狂うのは、この夏場の忙しい時に相手の都合も考えないで電話をして来、長々と質問をする大阪の某人権団体。「メールやFAXなら後で返事をする時間的な余裕もあるのに、いきなりの電話は暴力だ!おまけに自分たち(あるいは団体)は困っているアフガン人を助けている善意の人間という驕りが何処かにある。」というわけ。
オバハンと国際関係の専門家は、アフガニスターンの現状からアフガン人(ハザラ人シーア派)の難民認定は不要!!と考える。
1. カナダなら難民申請をしてから6ヶ月で認定される。日本に比べると難民認定が緩やかなカナダへ何故、行かないのか?
2. ハザラ人でシーア派というだけで迫害され、帰国したら殺されると信じている、現地を知らない日本人は単純過ぎる。ハザラ人の男性(20代〜40代)の人口は約50〜60万人として、ハザラ人でシーア派であるというだけで迫害され、殺されるというのなら、いったい何万人のハザラ人が毎日殺されることになるのだろうか?
3. 公式行事より、会社の仕事より、家族(一族郎党、友人の)きずな最優先の彼等が、タガが外れて自由になり過ぎている現政府の下で、自分の家族と連絡が取れない?生死も判らない?などと言いたてる人の話を鵜呑みにするな!彼等は必ず一族郎党、友人の動向には神経を尖らせている(娯楽が何もない彼等のうちでは、知り合いの動向を話し合うのが最大の娯楽。早い話が、「お宅のネコチャン元気ですか?」という会話まであって、他人の動向には非常に詳しい)。だから、何の情報もないということなどはあり得ない。
4. 現在のアフガン政権の中では、タリバーン政権を倒した功績により、ハザラ人は恩賞人事で優遇されており、ハザラ人だからと小さくなっている人は少ない。オバハンの友人(ハザラ人でシーア派)の中にはタリバーンから指名手配になり、懸賞金がかかっていたのもいるが、早々と帰国、家族とともに普通に暮らしている。「懸賞金首」の友人だけではなく、知り合いたちは生き延びるために10年余におよぶムジャヒディーン暮らしを続け、戦闘によって多くの人を殺してもいるだろう。しかし、その彼等が普通の生活に戻っていることを思えば、「帰国すれば殺されるから、日本で難民指定を受けて暮らしたい」というのは、個人的に何か悪いことをして恨まれ、命を狙う「仇」がいるのではないか?と、オバハンはアフガニスターンの一般常識から考えざるを得ない。それでなければ、お人好し国民が住む日本で旨い生活をしようと考えている、ご都合主義者でしかない。
5. オバハンは、カーブル・ハザラ地区の真ん中に住んで1年半になるが、周辺でで殺人が起こったことを知らない。確かにタリバーン時代に比べて、また新アフガン政権が出来た直後よりは治安が不安定かもしれない。しかし、毎日毎日ハザラ人でシーア派というだけで人が殺されたり、迫害されている例をオバハンは知らない。
6. 昨年は200万人以上の難民が帰国、今年も200万人からが帰国するという。本当に危険なら、そんなに危険な国へ国連などが真剣に難民を還そうとするものか!
10年も前のことになるが、長年ウチで働いていたアクバル(アフガン人)が、子供の教育とより良い生活を目指してヨーロッパへ行きたいと相談して来たとき、彼をヨーロッパで政治亡命の難民として受け入れてもらうために、オバハンはアクバルに対して何枚かの脅迫状を書いた!脅迫状などがあれば、「アフガンで命を狙われている。政治亡命者として直ぐに認定されるから」と。
本当に命を狙われている人もあるだろうが、どうしても帰国したくないというのなら「難民認定申請」などをせず、難しくても正式に日本のビザを取って正々堂々と就労(あるいはビジネス)をすれば良い。

日本からアフガンが遠すぎるとはいえ、まったく、日本人のモノ知らず、人権擁護団体の「善意ある活動」には呆れる。いろいろな疑問を感じて、節度のある問い合わせには大住もオバハンも丁寧に応対する。しかし、この間などは、「ブッシュを告発するので、アフガニスターンでのアメリカの罪状を述べて欲しい、裁判の時に日本へ来て証言して欲しい!」という呆れるような依頼があった。
呆れる話はまだまだあるし、書き出したらキリがない。

■□■2003年05月31日(土)■□■
日本は、台風が熱帯低気圧になったせいで大雨とか、朝からニュースではドシャ降りの画面ばかりが映っている。ここ数日は久しぶりに時間的な余裕が出来、珍しくTVのニュースや新聞を見たり、家中の植木を動かしたりとノンビリした気分で過ごしている。もっとも、植木は庭師にアレコレ注文をつけるだけだし、新聞にいたっては興味のある記事に○印を付け、事務所のスタッフに「簡単に説明せよ!」などとオバハン流の横着を決め込んでいる。
垣間見る日本のニュースは、なんとなく腹が立ったり馬鹿臭かったりするために、普段は余り見ないようにしているのだが、見ないでいたり、知らないでいたりする間に、日本は大きく戦前に戻っているのではないかと思える法案が国会を通過していて恐ろしくなる。
「有事法制」などは、「有事の武力行使、首相が判断。参院特別委で政府見解」なんてことでギョッとしている。日本に住む人たちは、「有事」に対する意識が低すぎるのではないか!!将来、自衛隊だけではなく、自分たちの息子や孫、或いは肉親の誰かが「有事」の際に駆り出される構図が着々と出来あがって行くことに疑問を感じないのかと不思議でならない。

■□■2003年05月30日(金)■□■
5月も終わりというのに、今年の涼しさはどうしたことか!
例年の5月下旬に比べるとイスラマバードでは連日10℃近くも気温が低く、平均して32〜36℃。日本に比べると大幅に湿度の低いイスラマバードでは、クーラーを入れていなくても十分快適に過ごすことが出来るので、オバハンなどは大満悦!!パーキスターンに住んで20数年になるが、こんなに快適な夏なら1年中、天国に住むようではないか!!
パーキスターンでは、生きているだけで体力、気力を消耗させる過酷な夏があるからこそ、晩秋から早春へかけての快適さを、神さまからの「贈り物」と喜こべる。しかし、「この程度の暑さの夏」であれば、神様からの「贈り物」の喜びが薄れる。人間とはなんて厄介でワガママな存在なのか!

昨日、インドは短距離ミサイル「アカシュ」の実験に成功した。
過日、印パ両政府は公式発表として「今後は軍事設備を少なくして行きたい」などの声明を出したようだが、国防大臣あたりの本音は「削減などしたくない」とのことで、インドが削減しないのなら、「我々もしない」などとパーキスターン側も言い出している。
インド側は、軍事の増強は弱小国パーキスターンを対象としたものではなく、対中国的なものだから…と言っているらしいが。
その中国へ、パーキスターンから特別機で医薬品、医療用の備品が送られる。SARS撲滅に努力する中国政府に対する見舞いとか。「敵の敵は、味方」に違いないが、何となく脈絡もなく、先般のアルジェリア地震への日本からの緊急支援隊59人を思い出してしまった。ニュースになるような目立つ行動(パフォーマンス)は、どこの政府としても外交上、必要なんだなぁと納得した。

「人の命は地球より重い」
59人の渡航費、総経費が幾らかかったかの知らない。しかし、3人の命を助けたことで現場の59人には、お金に換えられない喜びがあったと。政府としては勘定が合ったのだろう。

■□■2003年05月29日(木)■□■
オバハンはアルコールが一滴も飲めない!奈良漬けの2切れでホロ酔い出来る。そんなわけで、久々に会う友人もコーラをぶら提げて遊びに来た。「これ、コカ・コーラじゃないのヨ!アメリカ製品非(売)買い運動とかで、店屋のオヤジがこれを買えと押しつけるので買って来た!」と。その名を「(アラブ)首長国・コーラ」という!!コカ・コーラに比べて心持ち酸味と甘味が強く、甘党のオバハンには違和感なしだが、もう少し炭酸が効いているとなおさらGood!!
コカ・コーラだけではなく、ケンタッキーフライドチキン屋の前には、大学生と思しき若い子たちが立っていて、「実はコレコレ、シカジカなのでケンタッキーの利用を止まって欲しい」と丁寧に話しかけて来る。この分では、マクドナルドの前にも学生たちが立っていることだろうという予想は難くない。

アル・カーイダとして逮捕されていた何人かが、春ころよりポツポツとキューバから送り返されて来たり、パーキスターン国内での裁判を終え、釈放されたりしている。TVや新聞のニュースで見る限り、再会に涙しているのは待ち受けていた家族の方ばかりだ。キューバでもパーキスターン国内でも待遇は悪くなかったのか、彼等はやつれてもいないし、それよりも長い髭を刈り込むこともなく、アル・カーイダらしい??風貌を保ったままだが、視線はやさしく、本当に彼等がテロの手先だったか?どうかと、考えてしまう。
もしかしたら、逮捕をしたもののアル・カーイダとは何の関係もなくっての釈放なのか?しかし、それならTVも新聞も「アル・カーイダ」などと表現はすまいと考えたり。

■□■2003年05月27日(火)■□■
1年半ぶりに印パ間の国境を走るバスの運行が再開される。
インドからは、領海侵犯でつかまり長らく投獄されていたパーキスターン人の漁師70人と、これまた捕まっていた一般市民60人が釈放され帰って来るという。それに対してパーキスターン側もインド人の漁師や一般市民の20人を釈放するとか。
両国はここ2年近く、何かと理由をつけては両国外交官同士の国外退去を言いたてたり、大使館の閉鎖をしたり。また雪解け前後に発生する列車転覆事故や、テロ活動、ミサイル実験などを続けさまに行う強気のバジパーイに対して、弱小国のパーキスターンも受けて立つゾ!との立場を崩さず、一住民としてオバハンも神経を尖らせて来た。
考えてみれば(何時も何処かで緊張していたとはいえ)それでも、平穏に暮らしていた数年前からみると、パーキスターンの揺れ具合は相当のものだった。揺れの始まりは印パ核実験だった、そしてクーデター、印パ紛争の高まり、911、アフガン問題……。
日本にいれば信じられないような緊張と激変、激動を(何処かで)楽しんでいたオバハンだが、印パ間を走るバスの運行再開には、両国の緊張が少しでも緩和されるのかと正直、とても嬉しい。

印パ間のテンションが高かったおかげで、パーキスターン航空のイスラマバード発バンコク行きと香港行きはインドの上空が飛べずに、ここ2年近くは中国上空を通ってバンコクと香港へ飛んでいた。何という燃料の無駄遣いであったろうか!そして、最近は吹き荒れるSARSのおかげでイスラマバード発、北京経由成田行きのパーキスターン航空便は、乗客もなくガラ空きだという。しかし、それでも定期便ということで運休せずに飛んでいる…。
誤解を招くことを承知で書くなら、10何億人の中の数千人がかかったSARSで、何を騒いでいるか!!と言いたい。人間死ぬ日は決まっている、心静かに神の御心に従いたい、なぁんてことを思うのだが。

■□■2003年05月26日(月)■□■
数日前の英字新聞に、「北西辺境州では、ケシの栽培が大幅に増えた」という記事があった。ケシ栽培の増加現象は、アフガニスターンでも同様で、こんなところにまで??というくらい、道端でも堂々と栽培しているのには驚かされる。
医療の恩恵にあずかれない山奥や僻村などでは、ケシから採れる生アヘンが、手軽な痛み止めにもなるので、罪悪感もなく使用する村人は多い。薬といえば生アヘンしかない場合も多いのだろうが、それにしても今年はアフガニスターンでも栽培面積が大幅に増えたことは確かだ。
パーキスターン政府の統計によると、北西辺境州での作付け面積は1998〜99年で471エーカー、1999〜00年が4310エーカー、2001〜02年が2776エーカーだといい、今年は7726エーカーだという。しかし、北西辺境州とトライバル・エリア(部族地域)をも合わせると、歴史的に見られないほどの広がりを見せ20000エーカーにもおよぶらしい。
生アヘンは貧ししい農村の人々が手軽に現金化できる作物ではあるが、この生アヘンから作られるヘロインなどは、隣国のイランや中央アジアを通って、欧米に流れて行くこととなる。パーキスターンとアフガニスターンを合わせると一体どのくらいの「ブツ」が生産され、人々を蝕み廃人にしていくのか。
アル・カーイダによるテロも怖いが、麻薬により「人を人でなくしていく」ことも数の上から見ると、テロ以上の被害ではないのか?

■□■2003年05月25日(日)■□■
1週間も前の17日夜にアフガニスターンからイスラマバードへ帰っていた。
今回は、どういうワケか疲れが酷く、アフガン滞在中に生まれて初めて「気力の衰え」を感じた。『SORA−アフガン難民を支える会』活動の合間に、時々(本職の)取材コーディネイターなども引き受けるのだが、今回のTV取材では何かが起こるのではないか!と、正直、怖くて腰がひけた。しかし、一旦引き受けた仕事を「怖い予感がスル」などとの理由では断れないし、とにかく出掛けたが、出発直前は気力を振り絞らないといけないほど億劫だった。まったく無事に帰ってこられてヨカッタ…。

世界のアチコチでテロ活動に拍車がかかっている。
アフガニスターンでも、タリバーン残党にオマル師から「アフガンから外国人及び、外国からの援助活動を排除すべし」との檄が飛び、今まではタリバーンの標的になっていなかった日本人も、今回の「檄」の中では標的になっているという。彼等にしか解からない価値観での活動が再開になったことで、アフガンでの支援活動も徐々に形を変えるのではないだろうか?
カーブル市内だけをとっても、アメリカ人やヨーロッパ人などの多国籍治安維持軍が標的になっている事件は(日本で報道されないだけで)数は多いし、外国からのNGOで働く人が狙撃されたりしていることを思えば、今後はアフガンへの行き帰り道中にも気を配らなくてはならない。
アメリカはタリバーンを掃討し、残党狩りに膨大なモノを投入しているわけだが、タリバーン(イスラーム神学生たち)は、毎日毎日の教典勉学中で新たに産まれ出ていることを認識するべきではないのか?今後、どれほどのタリバーンが産まれ出ていくのか、欧米諸国がイスラームの敵であると思われている限り、タリバーンの出撃は止むことがないように思えるのだが。

アメリカではテロに備え、上から2番目の警報が出されている。
パーキスターンの首都イスラマバードでも高い順位の警報が出された。アメリカと足並みを揃えることでしか生き残れない現政府の現状の中では、それに反対するテロ組織が活動をしても不思議ではないが、命が損なわれる活動のむなしさを理解して欲しいとツイツイ思ってしまう。
このことで街が緊張しているわけではない。しかし、何とはなしにオバハン自身の気分は重苦しい。

■□■2003年05月15日(木)■□■
2周間にわたる取材から事務所へ帰り着くと、自分の家に帰ったようにホッとし、台所に直行。鍋のフタをあけたり、あちこち覗いたり…。
イスラマバードにある、オバハンが趣味で開いているラベンダー・ハウス(ゲストハウス)に併設されている静かな日本食レストランは、オバハンと事務所の大住が老いた時の楽しみと作ったもので、その名を『きまぐれ亭』という。(もっともパーキスターン人のコックたちがいるので、普段の『きまぐれ亭』は彼等によって運営されている。)オバハンの気分転換は台所に立つこと、とにかく包丁を持ってカチャカチャすることが何よりも好き。

カーブルの事務所も、台所が使え水が水道の蛇口から出て来るという近代的なところへ先月、引越しをしたので、日本食(もどき)が作れるようになった。こちらもオバハンが純粋に楽しみながらチョコチョコと作るので、その名を『気晴らし亭』という。『気まぐれ亭』も『気晴らし亭』もオバハンにとっては欠くべからざるシロモノ。