禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2003年03月&04月)



■□■2003年04月27日(日)■□■
昨年3月に出版された『オバハンからの緊急レポート』が、英語とスペイン語に翻訳されました。
下記URLで紹介しています。ご興味のある方は一度、訪れてみてください。
英語版 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/english.htm
スペイン語版 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/spanish.htm

■□■2003年04月25日(金)■□■
アフガン政府は、次から次へと新しい通達。
正直言って迷惑きわまりない。アフガンで走っている車の90%が右ハンドルの日本車。この新しい通達で何処が潤うのか???

21日月曜日の閣議でアフガニスタンにおける自動車は全て左ハンドルとすることが決まり、右ハンドル車の輸入が禁止され、登録が停止されました。今使用している車両については、政府と私企業が共同して設立予定の工場で(独占的に)ハンドルの右から左への付け替え修理が行われることになっており、日本、韓国から部品を輸入し専門家を呼ぶそうです。付け替え修理の順番が回ってくるまでは右ハンドル車を使っていても良いということです。費用は一台1000ドル程と見られているとか!

■□■2003年04月24日(木)■□■
思いっきりの快晴、高く澄みあがった空に日没とともにオリオン座がくっきりと浮かび上がり、春の宵と星座をを満喫した。
標高1800mのカーブルも4月に入ったとたんに寒さが和らぎストーブ要らずの生活、有り難い。とはいえ、毎朝けむりの出る薪のストーブを焚くのも冬の日課のひとつであり、それで一日の始まりになる。煙や煤の出る薪ストーブで鍋底も手も顔も、そして部屋も煤けて汚らしいという生活を一冬過ごした。
・・・・・・という「きまぐれ便り」を書き始めていたら、何だかメールの調子が悪くなってその後を続けられなくなった。元々がアフガニスターンではないないづくしの生活だったから、不都合なことにも「足掻いて何とかなるのか?ならないのか?」の判断が直ぐにつき、諦めも早い。

薪ストーブによる煤けた鍋や手足を洗う充分な水も、台所と呼べるものもない生活だったが、しかしその後、4月8日になって突如として手頃な家が見つかり、大家の気が変わらない間にと契約、その日のうちに急遽引っ越しまでしてしまった。前回は手付け金を支払い、明日契約という段になって「大家が亡くなった、契約不能」という情況に2回もなったのだ!それにしても、アフガン人は不死身!1週間もすると復活してさらに高く借りてくれそうなNGOと交渉しているのをスタッフが見かけたというから、我々もタフにならねば!!

■□■2003年04月21日(月)■□■
21日、久しぶりに晴れ。
先週の月曜日から土曜日までの悪天…。パーキスターンに住んで20数年、今年の異常気象ぶりは群を抜いている。例年4月の10日をきくと寝られないくらいの暑さになるのが、今年は13日に扇風機を一度回しただけで、イスラマバードをはじめ北部地方は大雨、霰、雹、みぞれ、雪。カラコルム・ハイウエーは鉄砲水、土砂崩れ、滝の下をくぐり抜けるようなスリル満点、文字通り「スリルとイライラのパーキスターン」を体験してしまった。そして4月も下旬になろうとしているのに、朝晩の寒さ。昨夜などは最低気温が11度!!!信じられないような寒さだ。

アフガン(カーブル)の方も気温が低く寒いという。山間部に雪が大量に降り残るのは(農作業には)有り難いが、住民は困窮しているのかもしれない。タイラシャック村の村長も、カレーズ堀や植林などの打ち合わせに先日ようやく山からやって来たが、3日間もかかってバスの走っているところへ辿りついたという。
今年は試験的に28000本のリンゴ、杏、ポプラ、柳などの苗をハザラジャードへ植え、松とアカシアの種などを市内の女王宮後ろの丘陵へテスト的に蒔いてみる。

■□■2003年03月31日(月)■□■
20数年にわたる内戦などで何もなかったアフガニスターンとイラクの立場は、同じように国連からの経済制裁を受け疲弊していたとはいえ、根本的な国力、教育の程度による人間の質が違いすぎる。オバハンの知っているイラク人は、戦時国家に生きる人らしく、キリリ毅然と張りつめた美しさを持っている。
人間にはいろいろなタイプがあり、降伏して生き延びることに意義を見いだす人もあろうし、断固決戦と考える人もあろう。断固決戦に美学を感じる、その彼らを降伏させるには大きな犠牲を伴うであろう。ましてや、これでテロがなくなるどころか、ますます増えるであろうと思う。
やはりブッシュは「地獄の蓋」を開けたような気がしてならない。

アフガニスターンを空爆するについてブッシュは、ご都合主義的なプロパガンダを撒き散らした。しかし、僅か2年足らず前の出来事を世界が忘れるわけもなく、今となってはアメリカのアフガン攻撃がどれほど「ご都合主義」だったかと、世界に知らしめただけだと思う。
弱小国に対して戦闘を仕掛けるだけ仕掛けたアメリカに対し、「戦後の復興処理に努力をします」、また、戦後の復興だけではなく、今後の戦闘に莫大な戦費をかけるつもりのアメリカに、戦費の負担を言われたら言いなりになる構図が見え見えの日本。これからの日本は、不景気にはますます拍車がかかり、国民の負担がさらに増すだけだと思うと、先行きの長くないオバハンですら不安にかられる。

声を大きくして「平和」を希求しなければ。

■□■2003年03月30日(日)■□■
昨夜半までは雷とともに稲光。だらだらと続いていた小雨も上がり、透明で強い陽射しの中にふくらんで来た新芽が金平糖のように見えて来た。青空をバックに、アーモンドの大ぶりな花びらが、桜のように晴れがましい。
各地ではタリバンが再集結し、アメリカ軍や国連職員などを狙って殺しているとの不穏な動きがあるようだが、とりあえずカーブルの街は平穏だ。ただ、何が起こるのか分からないし、不要な外出は避けたいと考えている。それにしても、各地での反米デモに加え、今回は反日感情が露骨に出始めていると知人が言う。

アメリカが世界中の弱小国に対して無理無体な戦闘を仕掛け、それによってアメリカの軍産複合体が潤い、アメリカ経済を活性化させていくという構図は誰もが知っていることだが、そのアメリカと強い同盟を結んでいる日本政府は今後どうなるのか?
ここしばらくTVのない生活をしていて、昨日久々に小泉首相を画面で見たら生気が少なくなっているように見えた。小泉首相なりの苦悩はあるだろうが、大きな見込み違いをしたことの自覚だけは持って欲しいし、今後の日本をどう率いて行くつもりなのか、国益優先なのか、国民全体の利益と安全なのか、世界の平和なのかを真剣になって考えてほしい。

■□■2003年03月29日(土)■□■
世界各国から、膨大な復興支援金が流れ込んでいるにも関わらず、それらの支援金がどこで使われているの??という感じのアフガニスターンだが、個人的な資金は流れ込んでいるようで、アチコチの瓦礫が片づけられ、街中に大きな更地がドンドン増えている。ガソリンスタンドや、アフガンにしては画期的かつ近代的な車の修理屋も近所に店開きをしそうだし、小さな店舗が次々と店開きをしている。
しかし、雨のせいや寒さのせいではなく、明らかにバザールには人も車も少なくなって、狂気のような混雑がない。新年(ノウルーズ、春分)が終わり、冬の間はカーブルで日銭を稼いでいた人たちが、農作業に勤しむために、村へ帰って行ったとしか思えない。
雨・雨・雨のカーブル、大通りは泥濘。家々から流れ出る汚物は粘土質の大地と混ざり合い、小路は歩けたものではないが、それでも雨は大地に恵みをもたらせる。

ついにインターネットの(私立)プロバイダーがカーブルにも出来た。ただし加入金というのか?は5000$もし、電話代以外に毎月300$もかかると聞き、貧乏症なオバハンは、気を呑まれ口を開けて呆然とした…。
復興支援金は、まず通信施設、電気などのために使って欲しいなぁ!

■□■2003年03月28日(金)■□■
カーブルでは新年(春分)が終わり、学校は新学期。子どもたちの服装も1年前とは明らかに小ぎれいになったし、本来なら重要な働き手であろうヒゲのある若者たちがノンビリと下校してくるのもチラホラ見かける。ようするに、この1年間で市民たちの間には相当の生活余裕が出来たものと見える。人間だけではなく、街角のアチコチや塀の中では杏やアーモンドの花が咲き始め、冬も終わりかけのカーブルには少しずつ穏やかな活気が出始めている。事務所にある樺の新芽が芽吹くのも後一息だろうし、未明から窓の外で鳴いている山鳩や雀、誰もかれもが今のままの平穏を祈っているようにも思える。
ここ数年間、市内では流れが見られず、ゴミと澱んだ水があるだけのドブ川となっていたカーブル川や、その支流の川幅いっぱいに、濁流が流れて川らしくなり、人々は昔ながらの生活が戻ったかのように暮らしている。昨年末までの、あのたぎるような熱気や混乱は何だったのか!!と不思議な感じ。

インドとパーキスターンは共に、核弾頭搭載可能なミサイルの発射実験に成功したと。
昨年、インドはパーキスターンとの長大な国境線に膨大な軍を配備、今年はパーキスターン国境への軍配備予算が苦しいと聞いていたから、久々に印パ間では緊張がないかも・・・・・・と喜んでいたのに。世界中のメディアはアフガンの状況だけではなく、イラクでの悲惨な状況をも報道し続けている。報道を見ていれば「平和」の大切さは分かるだろうと思うのに。

■□■2003年03月24日(月)■□■
3月24日6時、雨上がりのなま暖かい風の中をイスラマバードから出発、ペシャーワルへ着いて国境越えの許可取得と共に、道中の安全のために警護の警察官をつけてもらおうと役所へ行ったら、「アフガニスターン?きょう、今から?外国人は事務所か自宅待機の筈なのに、本当に行くの?」と、呆れられてしまった。おまけに顔をシゲシゲと眺められ、「アメリカ人じゃないから良いかぁ…。でも、行くのなら早くパーキスターンを抜けて出て行って欲しい、パ国内で何かあっては困るからネ。」ニコリともせず、口をへの字に曲げたまま、許可書類にサインをしながら言われてみると、小心モノのオバハンなどはいささか居心地悪く、後味も悪い。しかし、まぁ、だからといって家に帰るわけにも行かず、結局はカーブルへ来てしまった。

さぁ!きょうからアフガンでのオバハンの活動再開!

・・・・・・・・・オバハンのカーブルでの活躍は、『SORA−アフガン難民を支える会』の活動報告でも紹介しています。

■□■2003年03月23日(日)■□■
未明、夢うつつにド〜ン、ド〜ンと鳴り続き響く大砲の音で目覚めた。
事務所の大住恵子はイラクの戦闘の余波??と一瞬思ったそうだが、オバハンの方はいち早く23MARCH(パーキスターン独立宣言記念日)の祝砲だと気がつき、徐々に明るさを増していく中で祝砲を数えていた。

1ヶ月以上も前からの練習や準備にもかかわらず、アッサリと記念式典を取りやめたパ政府の、同胞(イスラーム教徒)を思いやる心意気、また国内での反米、反戦デモの高まり、さらにはアメリカの独善的な行動を想いやると、次は北朝鮮かイラン?もしくはパーキスターンか?ということになり、浮かれる心境にもなれまい。今までにアメリカ国旗やブッシュ人形が焼かれることは多かったが、ついに日の丸まで燃やされるようになったと聞き、オバハンの心も複雑に揺れる。オバハンの家では昔から日の丸が掲げられることは、ただの一度もなかったし、子供心に「ウチは変わった家だ」と思って成長してきたので、日の丸に対する思いは薄い。しかし、日の丸が焼かれたと聞くと、次に来るのは日本人に対する反感だと思い、連続していく事柄に対し想像するだけで 鳥肌が立つ…。

■□■2003年03月21日(金)■□■
アメリカ(ブッシュ)の傲慢、横暴、勝手な言いぐさ。
暴力(テロや戦争)には暴力による連鎖を呼ぶだけではないのか!!アメリカ(ブッシュ)は、よくもよくもあそこまで言い切ることが出来るものだ!と、毎日毎日、呆れて腹を立てている間に攻撃が始まって2日目。本当に私たちにはなすべきことがないのだろうか?

アフガンへは19日に行くつもりだったが、とりあえず様子見を決め込んでいるので、パーキスターンでの時間がたくさん取れた。それで、一昨日から自分たちに出来ることを!と考え、「反戦」のステッカーをたくさん印刷して配ることにした。オバハンにとっては、アフガンへの支援活動と同じく「自己満足」な行動だが、何かをせずにはいられない。
本日は金曜礼拝の日、礼拝が終了したらそのまま全国的に反戦、反米、イラク攻撃への抗議デモへと変わる。国内にあるアメリカ大使館と、2つのアメリカ領事館は、テロを恐れて昨日から閉鎖された。街には外国人の姿が激減、オバハンたちも「日本人」と言えなくなって肩身が狭い。海外には何十万人と言う日本人が生活しているだろうが、こと、イスラーム圏に住むオバハンたちは、日本政府がアメリカの後押しをしているだけに、自分の事務所のスタッフ達にまで、外務省見解のような言い訳をしなければならないのが恥かしい。

みなさん、イエロー・リボン(平和を願うリボン)をつけて、平和を願いましょう!

■□■2003年03月5日(水)■□■
雪のカーブルにもようやく晴天が戻ったとのこと、イスラマバードも弱々しい晴れ空が2日続いたので、大きくなりそうな庭木を移動したり、鉢植えの指示を出したり、事務所仕事の合間も結構忙しい。

いよいよアフガニスターンでの緑化もスタート、昨秋からパーキスターン国内の高地で準備していた2万本の苗木を移動させなくてはと気が焦る。アフガン国内でも、幾つかのNGOが緑化に取り組むらしくて、苗木の値段は高騰、数も揃わないらしい。アフガンの国土を自分の目で眺めれば、緑化そのものの大切さが身にしみて理解出来るのかもしれない。
学校や病院の建築、またインフラ整備の重要性もさることながら、まずは人々に毎日の仕事を与え、そこから日当が入り、自給自足のための足がかりを作らなければアフガンの復興はあり得ない。大地を緑化することで水(カレーズ)の確保も、農作業にも人々が勤しむような生活環境作りが最優先されるのを、NGOの活動だからこそ可能なのだと考える。
しかし、小さな街だったカーブルは現在人口が350万人、NGOだけではなく帰還した人々も苗木を家の庭に必ず植えるらしくて、パーキスターンに比べて苗木は10倍も高い。しかし、パーキスターン側で用意した苗木をアフガンへ輸出するのにも、膨大な許可申請が必要なようで、根性の入れなおし。

世界の関心は今やイラク。
日本ではアフガンのニュースなどもう流れていないと思うので…、カーブル駐在員からの怖い話一つ。
「某大学教授をインターコンチに案内したのですが、同日、コンチの入り口でISAF(多国籍軍の兵士)が4人ほどイスラム過激派勢力に待ち伏せされて殺されたようです。翌日チキンストリート(パーキスターン、イラン、中央アジアなどの近隣諸国からの輸入飲料・食物品が比較的多い市場)を通ったら、休日の兵士たちが数十人、一人一丁ライフルを抱えて買い物してました。擬似占領中とはいえ、笑えない光景でした。」

■□■2003年03月3日(月)■□■
相変わらずの雨、おまけに雷鳴とともに雹。
この間から「鈍色」という単語に拘っていたが、本日は文字通り「鈍色」の空から突風と共に氷雨。庭師が毎朝きれいに掃き清めてくれる芝生に、たちまち吹きちぎられた木の葉や小枝が舞い落ち、ようやく再び花をつけ始めたスイトピーがあおられ心細げに揺れている。1月末に降った大量の雹も、長雨も、何でも30年振りの異常気象記録!と表現されているが、早い話がパーキスターンには気象データーがないということらしい。
アフガニスターンでも連日の雨は山に雪をもたらせている。どうぞ少しでも旱魃が解消されますように!!そして野山に緑が戻り、人々の心が少しでも和むことを祈っている。
それにしても、荒んだ心を持っているのが身近なアフガン人ばかりではないこと、近年の世界情勢を見れば荒んだ心は大国のエゴによって世界中に撒き散らされ、伝播して行くのが恐ろしい…。

カーブルの事務所からの連絡によると、今度は事務所の敷地に積み置いてあるカーペット枠の上に雷が落ちたと。事務所と庭は大音響とともに揺れ動き、先般の事務所上での、超低空ヘリコプターから撃たれたミサイル発射以上の衝撃だったとか。クワバラ、クワバラ!!
お化けや幽霊、遺体も怖いが雷も怖い!!あぁ、事務所に居なくて良かった!

■□■2003年03月2日(日)■□■
アメリカのイラク攻撃反対、反戦デモの高まりは、宗教政党連合などが呼びかけ人となってパーキスターンでも熱をおびて来た。本日2日と、9日には学生、法律家、労働組合、平和を願う市民などで100万人規模の「反戦デモ」が催される。
2月15日からは、時折晴れ間が見えたとはいえ、例年にない長雨が続いたパーキスターンでも、きょうはようやく再び晴れ間。本日のデモはカラチ市が中心だというが、もちろんイスラマバード(ラワルピンディ)でもデモは催されるという。「反戦」の意志表示者たち!頑張れ!
それに反して日本では「反戦デモ」がとてつもなく低調だったとか。自分自身がデモにも参加せず、こういう言い方は穏当ではないが、北朝鮮からの脅威??なども真剣に受け止め、「反戦」への意識を高めつつ、どこかで行動して欲しい。